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2005/08/12のBlog
『エピソード3』を観た。
とても、せつない気持ちになった。

憎しみはもちろんだけど、愛する気持ちでさえ
深く強く激しく抱くことは、「いけない」
たとえ、お互いに愛し合っていても。
誰にでも祝福される関係であっても。

そう言っているのだろうか。
私には、そう感じた。

普通の人とは違う、
心に"強い"力を持っている人だから
という設定での話かもしれないが
これを一般的な人々にも普遍的に言えると主張してないとは、思わない。
それとも、
いわば、"仙人"的な存在であろうと努力する人間には。という制限つきの?
確かにストーリー上はそうかもしれないけど
主題として言わんとしていることであれば
やっぱり、普遍的なテーマ、のつもりでないと
訴えるものが小さすぎるし。

いわゆる"煩悩"であるのだから、ということなのかしら。

確かに、深く強く激しく・・・といった愛情は
ともすると、盲目的になりがちで
人間性や、運命さえ
大きく左右してしまう可能性が強いものだろうけど。

 ===== 公式サイト 『STAR WARS Japan エピソード3』
2005/08/06のBlog
[ 22:00 ] [ Listen ]
===== 心にとまった言葉 ==========

ずっと、後になって、私は、本心、というものが、それを言った当初はそう思えなくても、
じつはだんだんにそれに近づいていくこともあるのだと思った。
むしろ、そのときにはわからなかった本心が、ひょこっと顔を出す、
ということがあるのかもしれない。

それを考えると、時間というものは不思議だと思う。
その時点ではわからずにいた言動が、あとになって全体を振り返ってみると、
あらかじめ見事にコーディネイトされた一つのテーマに統一されているようにも見えるのだ。

========== 梨木香歩 著『エンジェル エンジェル エンジェル』 より引用。
2005/08/01のBlog
昨年も1人だった気がする。
そう思って振り返ってみたら、記憶が流れ出してきた。
だけど、今年は、そばにすら、いない。。。

1人きりの方が、いい。
そばにいるのに、一緒にいないみたいに感じるくらいなら。
気持ちが溢れるままに、涙を流すことだってできるし
声を押し殺す必要もないし

今年の新色は、パステルカラーだね。
霞のように柔らかな輝きも、新しかったね。

毎年、創意の随を尽くした花火がきらめく空を
一緒に眺めて、うっとりとした気分を味わいたいのに

大きく開く光の粒
そのあとに響く低く唸るような振動に、心臓がどきんとして
振動にどきんとして、涙がまた溢れてくる

来年は、1人じゃないよね?
私は変わらなくてはいけないのに、まだ、ここから動けずにいる。
花火と悲しみとが、ジンクスのように結びつかないように
こんなところに立ちすくんではいられないんだけど
2005/07/31のBlog
見た目と、実際に話したりといった接触を持ったときとの 印象の違いが
あまり変わらない人と、けっこう大きい人と
世間には、いろいろな人がいます。

自分はどちらのタイプと思われることが多いですか?
また、どちらのタイプの方が、生きやすいかしら?

私は、多くの場合、後者、つまり、外見とのギャップがあるように取られるタイプです。
そして、どちらかというと、そうあることが、少し苦手。
見たまんまなら、少し、楽なんじゃないかな・・・なんて、ときどき思います。

自分なんて、
見た目と同じだろうと違おうと、ありのまま、そのままでしかないから
考える必要も、苦労するなんて思う必要も、本当はないのでしょうけどね。。。
2005/07/29のBlog
[ 22:00 ] [ Diary ]
お薬を飲んでいないと、1日中、頭痛が続く。
軽いときもあれば、ひどいときもあるし
脳みそをかき回されているように、ぐちゃぐちゃとした痛みの時もあれば
こめかみ や 後頭部が、ずーんと痛いときなど
その、痛みの程度や種類は、いろいろだけれど。

お薬を飲み始めて、5年近く。
いろんな種類の薬を試して、1年半くらい前に、ようやく私にあった薬に出会った。
みるみる調子がよくなって、とても嬉しかったけど、
・・・今、そのお薬を、事情があってやめている。

普通の人って、四六時中の頭痛ってないものなのかしら。
だけど、頭痛持ちの人って、世の中にけっこういるよね。
そんな人たちでも、普通の人たちと同様に
ちゃんと社会生活を送っているのって、すごいと思う。
けっこう、つらいよね。。。
2005/07/28のBlog
[ 22:00 ] [ Diary ]
眠れない夜。
頭の中で、いろんな声がしたり、体をじっとさせておくのがもどかしいような、そんな夜。

それでも、
となりで寝ている穏くんを、睡眠不足にさせないように
できるだけ静かに、できるだけじっとして、長い暗闇をやり過ごそうとする。

ふと、手のひらで、自分の肩や腰や腕を、そっと
とん、とん、とん、・・・とリズムを取って叩いてみる。
まるで、子供の頃、お母さんに子守歌を歌ってもらったときのように。
とん、とん、とん、・・・

これが、意外と効き目があるのです。
私だけなのかな。
母の子守歌の記憶がある者にだけ、有効なのかもしれないけど

いつの間にか速く打っていた心音が
少しずつ、
とん、とん、とん、・・・ のリズムに同化していって
気持ちが落ち着いてくるの。
2005/07/27のBlog
[ 22:00 ] [ Diary ]
穏くんが、落とし物をしたので、落とした場所に電話したら
見当たらないと言われて、2人で、かなり落ち込んでしまった。
というのは、昨日の話。

今日のお昼前、穏くんからの電話。
見つかったんだって。って、
ほんとによかった。ほんとに、よかったーーー。

大切なものが、見つかる喜びv
2005/07/26のBlog
[ 22:00 ] [ Diary ]
久しぶりに、とても楽しく過ごした1日。
もう、へとへと。

ふと気づくと、真ん中で、どっしり腰を据えて、大きな存在感を持つ、私の中の私が1人。
そういえば、今日1日、ずっと 中心にどっかりと居座って、大きな声で自己主張していた気がする。
まだ 喋りやめる気配がなく、言いたいことを延々と論じ続けている。

・・・う る さ い 。
もう、私は、すっかり疲れているの。
今日1日を終えて、夢の世界に行ってしまいたいのに。
・・・う る さ い 。
ゆっくり休みたいのに。

今日は、どかん。と大きな1人が、まん真ん中に居座り続けている。
もう うんざり。
2005/07/25のBlog
このブログは日記のようなものだから、コメントなんて期待していないけれど
コミュニケーションを期待して、記事を書いたりしている場所では
誰にもコメントやTBをいただかないと、まるで無視されているようで、妙に寂しい。
それが、他ブログへの訪問やコメント記入回数と、全然比例しないと、なおさら。

アクセス数とコメント数は、必ずしも比例しなくて
アクセス数がそれ程なくても、コメントが比較的よくつくブログもあれば
アクセス数のわりには、コメントがほとんどつかないブログもある。
もちろん、記事内容によるところは、大きいのだろうけど。
情報系のブログや写真系のブログなら
見るだけで、特にコメントなし --- ということは、大いにあり得ると思うし。

ブログ内容は、一見同じように見えるのに
それらの差がつくのは、管理者による 他ブログへのコミュニケーション力の差によるのかな。
記事内容がほぼ同じなのに、コメントがつくところと つかないところの差が大きかったりするのは
いわゆる"お人柄"によるものなの?
ときどき、私の目から見ると、何でもなさそうな"ふつう"な記事なのに
コメント数が、本人のお返事数を除いても、何十件もついているブログをみると
不思議を通り越して、不気味な気さえすることがある。
この人、いったい何をして、こんなに信望を集めているのだろうって。

コメントを書きたくなる場所とは、どういうところなのかしら。
私は、記事を読んで、興味がある内容だと、コメントしたくなるけれど
それだけではなさそうだと感じる。

よく訪問してくださり、さらにコメントを入れてくださる方のブログには
興味を持ち、足を運びたくなることもあるけれど
足を運んだ先で、また遊びに行きたいと思ったり、コメントつけたいと思ったりするのは
また、別の話。
面白ければ、また足を運ぶし、会話を楽しみたいと思ったりもする。
けれど、たとえ自分のブログによくお越しくださる方であっても
必ずしも、私が興味を持てる記事を書かれる方とは限らない。
1ページ目にある どの記事を拝見しても、1つとして興味を持てないようなブログは、
残念ながらご訪問差し上げなくなる。
だけど、コメントくださる方のブログに遊びに行き、
1ページ内に1つくらい興味を持てる記事が、毎回あるようなら
機会あるごとに足を運ぶようになるし、こちらからもコメントするようになる。


結局、自分からコミュニケーションを取っていることを前提にしても
どんな記事を書いてもコメントなどをもらえないってコトは
記事に全然、全然、魅力がないって1点に収束するのかしら。
2005/07/24のBlog
[ 22:00 ] [ Diary ]
家族というものは、とても大きな環境。

生まれてすぐ親を中心とする家族に属して
成人する頃まで、その環境の中で生活をする。
その後、独立し、独り暮らしをするとしても
それが長く続けば、多少、自分の世界が確立するけれども
生まれ育つうちに属していた環境である家族は
体の隅々にまで染み込んでいて
たとえ、自分なりのアレンジはあっても
大きな価値観の変化は、むずかしい。

新しく暮らす人と、新しい家族を作ることは
人生にとって、とても大きな転機になるということは
理屈では分かっているつもりでも
実際にその変化の波を体感することにより得られる感覚からすれば
ほんの薄っぺらな空想にしか過ぎないと思う。

すぐには分からないことも多いかもしれない。
けれども、明らかに
私自身は、新しい家族を得ることにより、生まれ変わりにも似た感覚を味わっている。
まったく異なる家庭環境に住まうことは
まったく異なる世界に住まうのと同じくらい大きな環境の変化。

その意味において、いちばん容易に家庭環境を変える方法は、結婚かもしれないが
身をおく世界に住まう人々と溶け合うことができるようになるなら
それは、結婚に限らない。
身をおく世界に住まう人々と、溶け合うようになることが、私の言う 家族。

自分ではない人が、自分の中に流れ込むことで、自分が変化する。
自分ではない人に、自分が流れ込むことで、その人が変化する。

一期一会の関係でも、それは起こりうるかもしれないけれど。
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