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2006/01/13のBlog
[ 23:08 ]
[ 時事問題 ]
現在は高齢者優位の時代です。
日本の貯蓄や資産の約70~75%は、50代以上の人達が保有しています。そして、彼らは消費活動にも消極的です。
一方で、若者は年収600万円に満たない層が大半を占め、家購入や結婚式にまで両親の助けを仰ぐような厳しい状態にあります。原因は下記の通りです。
(1) 少子化で若者の割合が減少
(2) 若者の投票率は相変わらず低い
(3) その結果、選挙で若者票の割合が激減
つまり、政治家にとってのお客様は、投票率の高い高齢者と組織票です。そこに若者の姿はありません。だから若者ばかりが割を食う政治となっているのです。
悪いのは政治家ではありません。投票に行かない若者です。だからこそ若者は白紙投票でもいいから選挙に行き、若者の投票率を上げなければなりません。
しかし、いくら言っても今の大半の若者は投票に行かないでしょう。だから、私は無投票者に罰則を課す法律が必要だと考えます。
(例1) 無投票者には罰金10万円
(例2) 無投票者はパスポート没収
(例3) 無投票者は自衛隊体験入隊
それぐらいしないと、この国は良くならないでしょう。
日本の貯蓄や資産の約70~75%は、50代以上の人達が保有しています。そして、彼らは消費活動にも消極的です。
一方で、若者は年収600万円に満たない層が大半を占め、家購入や結婚式にまで両親の助けを仰ぐような厳しい状態にあります。原因は下記の通りです。
(1) 少子化で若者の割合が減少
(2) 若者の投票率は相変わらず低い
(3) その結果、選挙で若者票の割合が激減
つまり、政治家にとってのお客様は、投票率の高い高齢者と組織票です。そこに若者の姿はありません。だから若者ばかりが割を食う政治となっているのです。
悪いのは政治家ではありません。投票に行かない若者です。だからこそ若者は白紙投票でもいいから選挙に行き、若者の投票率を上げなければなりません。
しかし、いくら言っても今の大半の若者は投票に行かないでしょう。だから、私は無投票者に罰則を課す法律が必要だと考えます。
(例1) 無投票者には罰金10万円
(例2) 無投票者はパスポート没収
(例3) 無投票者は自衛隊体験入隊
それぐらいしないと、この国は良くならないでしょう。
2006/01/10のBlog
[ 23:53 ]
[ 日記 ]
統計データを見ていたところ、年収600万円以上の人は全体の2割しかいませんでした。ちょっと驚きました。
冷静に考えると、年収600万円以下で十分な不動産を購入したり、家族を養っていくのは、物価が高い日本ではかなり難しいことです。
日本は総中流社会と言われていますが、確実に格差は広がっていますし、それは止めようのない必然の流れです。気がついたら「はい、あなたは下の中ね」と負け組認定される破目になりかねません。
では、「豊かさと生活コストは反比例する」で述べたように、同一所得でもよりよい生活をするために、規制緩和で生活コストを下げる必要がありますが、残念ながら日本はその方向には向かっていません。
やはり個人が勝ち抜くしかないのです。好きな仕事をしながら。げしょげしょ
冷静に考えると、年収600万円以下で十分な不動産を購入したり、家族を養っていくのは、物価が高い日本ではかなり難しいことです。
日本は総中流社会と言われていますが、確実に格差は広がっていますし、それは止めようのない必然の流れです。気がついたら「はい、あなたは下の中ね」と負け組認定される破目になりかねません。
では、「豊かさと生活コストは反比例する」で述べたように、同一所得でもよりよい生活をするために、規制緩和で生活コストを下げる必要がありますが、残念ながら日本はその方向には向かっていません。
やはり個人が勝ち抜くしかないのです。好きな仕事をしながら。げしょげしょ
2006/01/09のBlog
[ 22:02 ]
[ 仕事観&人生観 ]
仕事では、自分のアイデアを暖める時間をいかに確保するのかが大事だと考えています。
入社したばかりの頃は、与えられた仕事をこなすことに忙殺されました。しかし、このままでは他人が決めたレール上を歩むことしかできません。そう思った私は、自分のアイデアを仮説検証する時間を確保することを最優先事項としました。不要と思える会議などはなるべく回避するようにしています。いわゆる時間のリストラです。
すると、最初は勤務時間の99%が頼まれ仕事・雑務に奪われていましたが、それが90%、80%と少なくなり、代わって自分の企画案を暖める時間を少しづつ確保することができるようになりました。考える習慣を増すように努力し、仕事以外の時間でもなるべくアンテナを立てられるようにがんばりたいと思っています。
若い頃は金も地位も経験もないので、自由になるのは時間だけです。自分のアイデアのための時間確保をなにより大切にしたいと思います。
入社したばかりの頃は、与えられた仕事をこなすことに忙殺されました。しかし、このままでは他人が決めたレール上を歩むことしかできません。そう思った私は、自分のアイデアを仮説検証する時間を確保することを最優先事項としました。不要と思える会議などはなるべく回避するようにしています。いわゆる時間のリストラです。
すると、最初は勤務時間の99%が頼まれ仕事・雑務に奪われていましたが、それが90%、80%と少なくなり、代わって自分の企画案を暖める時間を少しづつ確保することができるようになりました。考える習慣を増すように努力し、仕事以外の時間でもなるべくアンテナを立てられるようにがんばりたいと思っています。
若い頃は金も地位も経験もないので、自由になるのは時間だけです。自分のアイデアのための時間確保をなにより大切にしたいと思います。
2006/01/06のBlog
[ 12:35 ]
[ 時事問題 ]
今の税制には哲学がないと思います。
日本の税制は、累進率が非常に高い直接税(所得税など)と、世界的に見ても高い水準の法人税によって構成されています。一方で、間接税(消費税など)は5%と低い水準です。
しかし冷静に考えると、納税の対価として得られる公的サービスは均等です。税金を年間1億円納める人でも、所得税を1円も払わない人でも、行政サービスは平等に受けられます。警察・消防・救急車は納税額に関係なく利用できます。これは公平性に大きく欠けているのではないでしょうか?
税制には大きく下記の4手法があると考えています。
(1) 人頭税
「一人当たりの税金は年間○○万円」のように所得の大小に関わらず平等な税額を納税する手法。
(2) 所得税
所得の大小に応じて課税する手法。高額所得者は大金を徴収され、小額所得者は免税されている。
(3) 消費税
店舗などを介在して消費活動に課税する手法。具体的には消費の大小に応じて納税する消費税が有名。
(4) 資産税
資産の大小に応じて課税する手法。固定資産税などが好例。
私は「人頭税+資産税」の組み合わせがよいのではないかと考えます。理由は下記の通りです。税収も維持、もしくは増収を見込めるかもしれません。
■ 提案
「定額の人頭税」と「定率の資産税(個人&法人)」の組み合わせ
■理由
(1) 納税の対価である公的サービスは平等なので、納税も人頭税のような平等なものにするべき
(2) 所得・消費は年々縮小しているので、所得税や消費税では効果が薄くて意味がない
(3) 資産は順調に増えているので、資産に対する課税に切り替え安定した税収を確保する
(4) 資産は高齢者に偏在しており、遊んでいる土地も多い。資産税によって資産の若者層への再配分と遊休土地の流動化を図る
(5) 世界一高い法人税を改め、透明な資産課税に切り替えることで経済活動を活性化する
■ 実施例
・定額の人頭税(18~60歳から年間20万円徴収)
年間15兆円
・定率の資産税(非金融資産3,000兆円に1%課税)
年間30兆円
・合計の税収
年間45兆円
日本の税制は、累進率が非常に高い直接税(所得税など)と、世界的に見ても高い水準の法人税によって構成されています。一方で、間接税(消費税など)は5%と低い水準です。
しかし冷静に考えると、納税の対価として得られる公的サービスは均等です。税金を年間1億円納める人でも、所得税を1円も払わない人でも、行政サービスは平等に受けられます。警察・消防・救急車は納税額に関係なく利用できます。これは公平性に大きく欠けているのではないでしょうか?
税制には大きく下記の4手法があると考えています。
(1) 人頭税
「一人当たりの税金は年間○○万円」のように所得の大小に関わらず平等な税額を納税する手法。
(2) 所得税
所得の大小に応じて課税する手法。高額所得者は大金を徴収され、小額所得者は免税されている。
(3) 消費税
店舗などを介在して消費活動に課税する手法。具体的には消費の大小に応じて納税する消費税が有名。
(4) 資産税
資産の大小に応じて課税する手法。固定資産税などが好例。
私は「人頭税+資産税」の組み合わせがよいのではないかと考えます。理由は下記の通りです。税収も維持、もしくは増収を見込めるかもしれません。
■ 提案
「定額の人頭税」と「定率の資産税(個人&法人)」の組み合わせ
■理由
(1) 納税の対価である公的サービスは平等なので、納税も人頭税のような平等なものにするべき
(2) 所得・消費は年々縮小しているので、所得税や消費税では効果が薄くて意味がない
(3) 資産は順調に増えているので、資産に対する課税に切り替え安定した税収を確保する
(4) 資産は高齢者に偏在しており、遊んでいる土地も多い。資産税によって資産の若者層への再配分と遊休土地の流動化を図る
(5) 世界一高い法人税を改め、透明な資産課税に切り替えることで経済活動を活性化する
■ 実施例
・定額の人頭税(18~60歳から年間20万円徴収)
年間15兆円
・定率の資産税(非金融資産3,000兆円に1%課税)
年間30兆円
・合計の税収
年間45兆円
[ 01:02 ]
[ 時事問題 ]
今の年金制度は、金融商品とは呼べない代物です。
本来ならば 「自分の払った年金→自分が受け取る年金」 となるはずが、 「その時代の若者の払った年金→その時代の高齢者が受け取る年金」 となっています。この手法だと、若者が高齢者よりも多い時代にはうまく機能しますが、逆だと非常に不公平な構図となります。これから若者の不公平感はさらに増大していくでしょう。年金の破綻局面になれば、深刻な世代間対立を生むものと思われます。
私は年金制度を民営化し、年金運用は民間に任せるべきだと考えます。
政府は年金を強制徴収せずに、国民に任せればいいのです。そして国民は自己責任の元に資産運用をするべきです。「政府には年金を運用する力などない」ので、民間に任せた方が安心です。年金運用に失敗した高齢者については、場合によっては生活保護の対象としてもよいでしょう(年金と生活保護は分けるべきです)。少なくとも、人口動態に関わらずその時代の若者から金をまきあげる今の構図は間違っています。それは右肩上がりの経済成長、人口増加の時代にしか成立しません。
私の場合は、年間100万円弱の厚生年金を徴収されています。会社もほぼ同額の年金を払っているでしょうから、合計すると年間200万円です。例えばこれからもずっとこの徴収額で35年間働いたとすると、ライフで7,000万円の年金が貯まることになります。しかし、現行システムでは7,000万円の支払いを義務づけられていることは確かですが、いくら回収できるかは全く分かりません。政府はそのような通知を全くしませんし、調べることもできません。仮に調べられても、その金額は信頼できません。それだったら最初から私に年金を返還してもらいたいのです。
年金問題もマンション強度偽装問題と同じです。政府は様々な指導・介入をする割に、成果には責任をとりません。税金の先取りのように国民から金を巻き上げ、どんぶり勘定で乱用し、国民にいくら戻すかさえも明らかにしていない。
将来性もない郵便事業の民営化は、国民の幸せに寄与しません。それよりも国民の一大資産である年金を民営化し、国民に返還するべきと思います。
本来ならば 「自分の払った年金→自分が受け取る年金」 となるはずが、 「その時代の若者の払った年金→その時代の高齢者が受け取る年金」 となっています。この手法だと、若者が高齢者よりも多い時代にはうまく機能しますが、逆だと非常に不公平な構図となります。これから若者の不公平感はさらに増大していくでしょう。年金の破綻局面になれば、深刻な世代間対立を生むものと思われます。
私は年金制度を民営化し、年金運用は民間に任せるべきだと考えます。
政府は年金を強制徴収せずに、国民に任せればいいのです。そして国民は自己責任の元に資産運用をするべきです。「政府には年金を運用する力などない」ので、民間に任せた方が安心です。年金運用に失敗した高齢者については、場合によっては生活保護の対象としてもよいでしょう(年金と生活保護は分けるべきです)。少なくとも、人口動態に関わらずその時代の若者から金をまきあげる今の構図は間違っています。それは右肩上がりの経済成長、人口増加の時代にしか成立しません。
私の場合は、年間100万円弱の厚生年金を徴収されています。会社もほぼ同額の年金を払っているでしょうから、合計すると年間200万円です。例えばこれからもずっとこの徴収額で35年間働いたとすると、ライフで7,000万円の年金が貯まることになります。しかし、現行システムでは7,000万円の支払いを義務づけられていることは確かですが、いくら回収できるかは全く分かりません。政府はそのような通知を全くしませんし、調べることもできません。仮に調べられても、その金額は信頼できません。それだったら最初から私に年金を返還してもらいたいのです。
年金問題もマンション強度偽装問題と同じです。政府は様々な指導・介入をする割に、成果には責任をとりません。税金の先取りのように国民から金を巻き上げ、どんぶり勘定で乱用し、国民にいくら戻すかさえも明らかにしていない。
将来性もない郵便事業の民営化は、国民の幸せに寄与しません。それよりも国民の一大資産である年金を民営化し、国民に返還するべきと思います。
2006/01/02のBlog
[ 20:42 ]
[ ビジネス ]
私の会社でもリストラが進行中です。リストラと言うとネガティブで後ろ向きなイメージしかありませんが、今日はリストラのプラスの部分に焦点を当ててみたいと思います。
私は本来は「リストラ」は良いことだと考えています。
企業は大量の人員を雇い入れますが、それらの人々全てが有能であるとは限りません。どんなに選抜に力を注いでも、実際に働かせてみないと分からない要素が多すぎるのです。
ですから、雇った人が成果を出せないのであれば、解雇するべきです。それが企業のためであり、悪平等を防ぐという点で他の従業員達のためでもあるのです。つまり、リストラは企業の健康を維持するために不可欠な作業と言えるでしょう。
しかし、世間で行われている大部分のリストラは、むしろ企業の健康を損なっているものがほとんどです。「ホワイトカラーを確保できる人事制度を」でも述べたように、大部分の企業では人事評価システムが機能していません。人事評価システムが機能していないということは、「なんとしてでも確保したい従業員」や「リストラして辞めて欲しい従業員」を区別できないということを意味します。
そのような状況では、リストラは正常に機能しません。むしろ、優秀な従業員に逃げられて崩壊するのがオチです。
要は、人事評価制度の構築が急務と言えます。これはリストラに限らず、企業運営全般に言えることです。「自分に値札をつけよう」で述べたように、定量的な人事評価制度を構築しなければなりません。もし私が人事ならそうします。
私は本来は「リストラ」は良いことだと考えています。
企業は大量の人員を雇い入れますが、それらの人々全てが有能であるとは限りません。どんなに選抜に力を注いでも、実際に働かせてみないと分からない要素が多すぎるのです。
ですから、雇った人が成果を出せないのであれば、解雇するべきです。それが企業のためであり、悪平等を防ぐという点で他の従業員達のためでもあるのです。つまり、リストラは企業の健康を維持するために不可欠な作業と言えるでしょう。
しかし、世間で行われている大部分のリストラは、むしろ企業の健康を損なっているものがほとんどです。「ホワイトカラーを確保できる人事制度を」でも述べたように、大部分の企業では人事評価システムが機能していません。人事評価システムが機能していないということは、「なんとしてでも確保したい従業員」や「リストラして辞めて欲しい従業員」を区別できないということを意味します。
そのような状況では、リストラは正常に機能しません。むしろ、優秀な従業員に逃げられて崩壊するのがオチです。
要は、人事評価制度の構築が急務と言えます。これはリストラに限らず、企業運営全般に言えることです。「自分に値札をつけよう」で述べたように、定量的な人事評価制度を構築しなければなりません。もし私が人事ならそうします。
2005/12/30のBlog
[ 20:43 ]
[ 日記 ]
2005年は、日本にとっても、私にとっても後退の年だったように思います。
日本はと言えば、空前の株高ブームや冬ボーナスに沸いてはいるものの、日本の競争力に大きな改善が見られたわけではありませんでした。規制に守られて旧態依然としている業界はいまだに無数に存在していますし、一方で諸外国はより一層と力をつけてきています。
製造業が中国などに移転する空洞化が進んでしばらくが経ちますが、製造業以上に競争力が劣る他産業にも、これから修羅場が訪れることでしょう。「ホワイトカラー」とされている業種には多くの無駄が存在しています。本格的な大失業時代は近いでしょう。
私自身を省みても、心の贅肉が増えたと感じます。入社当時の私はそれこそ捨て身でした。問題意識と体当たりの試行錯誤だけが自分の武器でした。あえて良い言い方をすると「Attacker」だったのかもしれません。それが今では守りに入りかけている節があります。心に贅肉がついてきている証拠です。身体ではなく心につく贅肉は、自分ではなかなか気付かないものですね。
私は大事なことを忘れかけてきているように感じます。自分が正しいと思うことを貫き通したとしても、最悪でもクビになる程度で済むのです。戦時中と違って、いきなり死ぬわけではないのです。クビになってもまた新しい仕事を楽しめばいい。現状を失うことを恐れることなど、ちゃんちゃらおかしいのです。
今の日本は豊かだから、現状維持をするだけで十分に幸せだという意見もあります。しかし、我々の載っているレールは後向きに動いており、しかもその速度は加速してきています。守りに入り、現状維持をするだけでは、高齢化・人口減少する日本は後退するのみなのです。
現状維持の先に待っているのは緩慢な死です。「まだまだ大丈夫」と思っている内に確実に衰弱し、自力では立てなくなります。まるで茹でガエルのように。
私は茹でガエルにならないよう、自己の商品力をより高めなければなりません。さしあたっては下記の実現を目指します。
目標1) とあるプロジェクトを自分のアイデアで成功させる
目標2) 私が考えるビジネスモデル実現の橋頭堡を築く
日本はと言えば、空前の株高ブームや冬ボーナスに沸いてはいるものの、日本の競争力に大きな改善が見られたわけではありませんでした。規制に守られて旧態依然としている業界はいまだに無数に存在していますし、一方で諸外国はより一層と力をつけてきています。
製造業が中国などに移転する空洞化が進んでしばらくが経ちますが、製造業以上に競争力が劣る他産業にも、これから修羅場が訪れることでしょう。「ホワイトカラー」とされている業種には多くの無駄が存在しています。本格的な大失業時代は近いでしょう。
私自身を省みても、心の贅肉が増えたと感じます。入社当時の私はそれこそ捨て身でした。問題意識と体当たりの試行錯誤だけが自分の武器でした。あえて良い言い方をすると「Attacker」だったのかもしれません。それが今では守りに入りかけている節があります。心に贅肉がついてきている証拠です。身体ではなく心につく贅肉は、自分ではなかなか気付かないものですね。
私は大事なことを忘れかけてきているように感じます。自分が正しいと思うことを貫き通したとしても、最悪でもクビになる程度で済むのです。戦時中と違って、いきなり死ぬわけではないのです。クビになってもまた新しい仕事を楽しめばいい。現状を失うことを恐れることなど、ちゃんちゃらおかしいのです。
今の日本は豊かだから、現状維持をするだけで十分に幸せだという意見もあります。しかし、我々の載っているレールは後向きに動いており、しかもその速度は加速してきています。守りに入り、現状維持をするだけでは、高齢化・人口減少する日本は後退するのみなのです。
現状維持の先に待っているのは緩慢な死です。「まだまだ大丈夫」と思っている内に確実に衰弱し、自力では立てなくなります。まるで茹でガエルのように。
私は茹でガエルにならないよう、自己の商品力をより高めなければなりません。さしあたっては下記の実現を目指します。
目標1) とあるプロジェクトを自分のアイデアで成功させる
目標2) 私が考えるビジネスモデル実現の橋頭堡を築く
2005/12/29のBlog
[ 19:12 ]
[ 日記 ]
私はこの8年間ほど年賀状を書いていません。
なぜならe-mailという便利なツールができたので、元旦の何日も前から年賀状を書かなくてもすむからです。大晦日の日に文面と画像を作り、日付が変わる寸前に送信すればOKです。手紙の方が心がこもって良い面もありますが、それだけ深い仲の友人なんてどうせそんなにいないはずです。
それ以上に「構造改革は手段であって目的ではない」でも述べた通り、私は郵政民営化&不要論者です。ですから、法的義務のない案件で郵便サービスを使いたくないのです。
さて、私は一足早く故郷に帰省しております。四万十の清流の流れを楽しみながら、家族団欒の一時を過ごします。では、次回の更新は新年明けです。みなさまよいお年を。
なぜならe-mailという便利なツールができたので、元旦の何日も前から年賀状を書かなくてもすむからです。大晦日の日に文面と画像を作り、日付が変わる寸前に送信すればOKです。手紙の方が心がこもって良い面もありますが、それだけ深い仲の友人なんてどうせそんなにいないはずです。
それ以上に「構造改革は手段であって目的ではない」でも述べた通り、私は郵政民営化&不要論者です。ですから、法的義務のない案件で郵便サービスを使いたくないのです。
さて、私は一足早く故郷に帰省しております。四万十の清流の流れを楽しみながら、家族団欒の一時を過ごします。では、次回の更新は新年明けです。みなさまよいお年を。
2005/12/26のBlog
[ 21:36 ]
[ 時事問題 ]
マンションの耐震強度偽装問題がマスコミを賑わせていますが、私にはそもそも基準となる建築基準法にどれほど意味があるのかが疑問です。
まず、日本の住宅・不動産業界は世界で最も遅れています。住宅建築費は他先進国の倍以上しますし、礼金・保証人・更新手数料のような悪習も跋扈しています。自動車、家電や工作機械のように世界最高水準の商品を作っている業界とは雲泥の差です。
これは業界だけに責任があるのではなく、時代遅れの許認可制度を設けている政府にも根本原因があります。許認可に長大な日数を要し、高価な建材しか許さないような制度をとることで、建築費の高騰を招いているからです。
それで日本の住宅事情が良くなるのであれば、消えていった大金も少しは浮かばれます。しかし現実には大地震の度に建物が倒壊し、アスベスト問題やシックハウス症候群が野放しとなっています。つまり厳しい建築基準法はなんの役にも立っていないのです。
政府は膨大な費用と日数が必要な許認可制度を行っていたわけですから、今回のマンション偽装問題もアスベスト問題も、政府が責任をとらなければならない。そうでなければ許認可制度の意味がない。もし政府が責任をとらないのなら、一体なんのために許認可していたというのでしょう?
私は気休めにもならない許認可制度など止めるべきだと考えます。周辺の迷惑とならない建築の最低限ボーダーを定めて、後は自己責任でやらせればいいのです。そうすればもっと安く、もっとよい住宅を作れるはずです。
要は、選択肢は下記の2通りあるということです。マスコミはすぐ「違反業者の取り締まりを厳しくしろ」などの対症療法に走りがちですが、それでは効果のない建築基準法がより不効率で利権の温床となることを促すだけです。
・選択肢1
許認可制度を廃止し、官は最低限のルールだけ定めて、後は自己責任とする。
・選択肢2
許認可制度を継続するが、認可した以上は政府が責任まで負う。
まず、日本の住宅・不動産業界は世界で最も遅れています。住宅建築費は他先進国の倍以上しますし、礼金・保証人・更新手数料のような悪習も跋扈しています。自動車、家電や工作機械のように世界最高水準の商品を作っている業界とは雲泥の差です。
これは業界だけに責任があるのではなく、時代遅れの許認可制度を設けている政府にも根本原因があります。許認可に長大な日数を要し、高価な建材しか許さないような制度をとることで、建築費の高騰を招いているからです。
それで日本の住宅事情が良くなるのであれば、消えていった大金も少しは浮かばれます。しかし現実には大地震の度に建物が倒壊し、アスベスト問題やシックハウス症候群が野放しとなっています。つまり厳しい建築基準法はなんの役にも立っていないのです。
政府は膨大な費用と日数が必要な許認可制度を行っていたわけですから、今回のマンション偽装問題もアスベスト問題も、政府が責任をとらなければならない。そうでなければ許認可制度の意味がない。もし政府が責任をとらないのなら、一体なんのために許認可していたというのでしょう?
私は気休めにもならない許認可制度など止めるべきだと考えます。周辺の迷惑とならない建築の最低限ボーダーを定めて、後は自己責任でやらせればいいのです。そうすればもっと安く、もっとよい住宅を作れるはずです。
要は、選択肢は下記の2通りあるということです。マスコミはすぐ「違反業者の取り締まりを厳しくしろ」などの対症療法に走りがちですが、それでは効果のない建築基準法がより不効率で利権の温床となることを促すだけです。
・選択肢1
許認可制度を廃止し、官は最低限のルールだけ定めて、後は自己責任とする。
・選択肢2
許認可制度を継続するが、認可した以上は政府が責任まで負う。
2005/12/25のBlog
[ 16:18 ]
[ 仕事観&人生観 ]
ブランド戦略というと、なにやら小難しいビジネス本に書かれているうんちくを連想してしまいます。そこで今回はブランドについて、身近な例でシンプルに考えてみたいと思います。
私は「ブランドとはお客様の選択を楽にするもの」だと考えています。例えばほとんど同じ価格の松下電器製DVDプレイヤーと中国製DVDプレイヤ-があれば前者を買うでしょう。なぜなら前者の方がブランドがある、つまり信頼性が高いからです。いちいちスペックの詳細や不良率まで調査して選ぶ手間は避けたがります。つまり、ブランドとは選択・選別を簡易化するための基準だということができます。
ブランドの構築には非常に長い時間がかかります。信頼の醸成には長期間に渡る実績が必要だからです。そしてブランドを失うのは一瞬です。雪印や三菱自動車の例を出すまでもなく、一度失われたブランドは元に戻りません。
これは人間にも当てはまります。「あの人になら仕事を任せても大丈夫」と思われれば、それは自分のブランド価値が高いことを意味します。私は普遍性のあるブランド人間になることを目指したいと考えています。つまり会社の内外を問わずに認められるようになりたいのです。
私は「ブランドとはお客様の選択を楽にするもの」だと考えています。例えばほとんど同じ価格の松下電器製DVDプレイヤーと中国製DVDプレイヤ-があれば前者を買うでしょう。なぜなら前者の方がブランドがある、つまり信頼性が高いからです。いちいちスペックの詳細や不良率まで調査して選ぶ手間は避けたがります。つまり、ブランドとは選択・選別を簡易化するための基準だということができます。
ブランドの構築には非常に長い時間がかかります。信頼の醸成には長期間に渡る実績が必要だからです。そしてブランドを失うのは一瞬です。雪印や三菱自動車の例を出すまでもなく、一度失われたブランドは元に戻りません。
これは人間にも当てはまります。「あの人になら仕事を任せても大丈夫」と思われれば、それは自分のブランド価値が高いことを意味します。私は普遍性のあるブランド人間になることを目指したいと考えています。つまり会社の内外を問わずに認められるようになりたいのです。
2005/12/23のBlog
[ 09:57 ]
[ 日記 ]
今の株式市場はバブルの様相を呈しています。外国資本と個人投資家の急増が高騰に拍車をかけています。
しかし右肩上がりの今はよいですが、いずれババ引きが始まります。私はこれ以上の勝負は怖いので、かなり堅い銘柄を除いては売り払うことにします。
為替は全面的な円安です。US$1=\121の時に米ドル資産の大半は利確しました。
みんな株式に向かっているので、私はこれから新興国ファンドを中心に運用することにします。こちらもリスクは低いとは言えませんが、今の日本株よりは旨味が大きそうです。
ローリスクローリターンが信条ですので、これからも年率10%での運用を続けていきたいと思います。
しかし右肩上がりの今はよいですが、いずれババ引きが始まります。私はこれ以上の勝負は怖いので、かなり堅い銘柄を除いては売り払うことにします。
為替は全面的な円安です。US$1=\121の時に米ドル資産の大半は利確しました。
みんな株式に向かっているので、私はこれから新興国ファンドを中心に運用することにします。こちらもリスクは低いとは言えませんが、今の日本株よりは旨味が大きそうです。
ローリスクローリターンが信条ですので、これからも年率10%での運用を続けていきたいと思います。
2005/12/21のBlog
[ 21:37 ]
[ ビジネス ]
【2005年11月19日】
全世界のPCネットワークユーザー数は、2005年には11億人になると予測されています(*1)。そして携帯電話保有者数も昨年度時点で11億人を突破しました(*2)。つまり、ネットワーク接続された裕福な人々が全世界に10億人はいるということです。日米欧(日本・アメリカ・ドイツ・イギリス・フランス・イタリア)の人口を全て合わせても7億人に満たないことを考えると、これは非常に大きな潜在市場です。このまだ見ぬ巨大なネット大陸をいかに攻略するのかが重要です。
【環境分析】
1. オンラインデリバリー時代の到来
「オンラインデリバリー時代の到来」でも述べたように、ネット上で行われるコンテンツ流通量は増加の一途を辿るばかりです。
2. 情報過多時代の到来
かつての情報メディアは新聞数刊、TV3~10局、ラジオ十数局程度でしたが、今では桁違いの情報が溢れています。GoogleによるとWebサイトだけでも80億を超えるそうです。
3. 選択からの逃避
情報過多はユーザーに選択肢の幅を広げるメリットをもたらす一方で、時間的制約から全ての情報を把握できないケースが多くなったことも事実です。「ある調査」によれば、90%程度のユーザーが「自分にとって有益な情報が得られるのであれば、購入履歴を利用してもかまわない」と回答したという結果が出ています。つまり、能動的な検索不要で欲しいコンテンツを得られることに需要はあるのです。
【私の考え】
1. コンテンツダイレクト戦略
まず、任意のコンテンツをダイレクトに楽しめる「コンテンツダイレクト戦略」をとるべきだと考えます。現状のコンテンツは、CDやテープなど物理メディアで寸断されていたり、デジカメ写真はパソコンで冬眠していたり、わざわざ店まで赴いてコンテンツを購入せねばならないなど不便なことこの上ないです。しかし、本来ならば「任意のコンテンツをいつでもどこでも楽しめること」が大事なはずです。メディアはそのための手段に過ぎません。
2. 究極のダイレクトマーケティング戦略
そして、ユーザーのオンラインコンテンツ利用・購買履歴から好みを分析し、その人が喜びそうなコンテンツや商品サービスを自動的に提供・提案できる「究極のダイレクトマーケティング戦略」を行うのです。
【構成】
・ストレージ
保有コンテンツを一元管理するスペースです。パソコンやゲートウェイサーバーを想定しています。
・ゲートウェイ
任意のコンテンツにアクセスするための機器です。屋内ではパソコンや次世代ゲーム機、屋外では携帯電話を想定しています。
・クライアント
主に屋外でコンテンツを楽しむためのお手頃価格の機器です。iPodなどのクライアント機器を想定しており、将来的には携帯電話に集約される可能性が高いと考えます。
【概要】
屋内では、パソコンや次世代ゲーム機からストレージにアクセスし、任意のコンテンツを楽しみます。
屋外では、携帯電話からストレージにアクセスします。そして携帯電話とPAN状態にあるクライアント機器か、携帯電話自身でコンテンツを楽しみます。後者の場合には、デジカメ機能、音楽再生機能、IC録音、ラジオなどの機能は全て携帯電話に統合されるはずです。
また、携帯電話と車との連携も重要です。携帯のGPSや音楽などを車に付加したり、運転時にハンズフリーで通話やメールをする連携や、音声認証や指紋認証が可能な携帯を車のキーとすることなどが考えられると思います。
以上に伴って、メディアはよく使うコンテンツをバッファする手段という副次的な要素へと徐々に後退していきます。容量ニーズに応じてHDDやFlashなどを搭載すればいいのです。
そして、ユーザーのオンラインコンテンツ利用・購買履歴から好みを分析し、その人が喜びそうなコンテンツや商品サービスを自動的に提供・提案できる「究極のダイレクトマーケティング戦略」を行います。その際に広告収入や仲介収入を得る仕組みを作ることができれば、先行者逃げ切り型の収穫逓増モデルを築くことができるかもしれません。
(*1) eTForecasts集計
(*2) 総務省集計
【2005年12月21日】
「ロングテールとパレートの法則」
「オクノ総研」さんのBlogはいつも楽しく拝見させて頂いておりますが、この記事は特に興味深かったです。
私も似たようなことを考えているのかもしれません。続きが楽しみです(´ω`)
全世界のPCネットワークユーザー数は、2005年には11億人になると予測されています(*1)。そして携帯電話保有者数も昨年度時点で11億人を突破しました(*2)。つまり、ネットワーク接続された裕福な人々が全世界に10億人はいるということです。日米欧(日本・アメリカ・ドイツ・イギリス・フランス・イタリア)の人口を全て合わせても7億人に満たないことを考えると、これは非常に大きな潜在市場です。このまだ見ぬ巨大なネット大陸をいかに攻略するのかが重要です。
【環境分析】
1. オンラインデリバリー時代の到来
「オンラインデリバリー時代の到来」でも述べたように、ネット上で行われるコンテンツ流通量は増加の一途を辿るばかりです。
2. 情報過多時代の到来
かつての情報メディアは新聞数刊、TV3~10局、ラジオ十数局程度でしたが、今では桁違いの情報が溢れています。GoogleによるとWebサイトだけでも80億を超えるそうです。
3. 選択からの逃避
情報過多はユーザーに選択肢の幅を広げるメリットをもたらす一方で、時間的制約から全ての情報を把握できないケースが多くなったことも事実です。「ある調査」によれば、90%程度のユーザーが「自分にとって有益な情報が得られるのであれば、購入履歴を利用してもかまわない」と回答したという結果が出ています。つまり、能動的な検索不要で欲しいコンテンツを得られることに需要はあるのです。
【私の考え】
1. コンテンツダイレクト戦略
まず、任意のコンテンツをダイレクトに楽しめる「コンテンツダイレクト戦略」をとるべきだと考えます。現状のコンテンツは、CDやテープなど物理メディアで寸断されていたり、デジカメ写真はパソコンで冬眠していたり、わざわざ店まで赴いてコンテンツを購入せねばならないなど不便なことこの上ないです。しかし、本来ならば「任意のコンテンツをいつでもどこでも楽しめること」が大事なはずです。メディアはそのための手段に過ぎません。
2. 究極のダイレクトマーケティング戦略
そして、ユーザーのオンラインコンテンツ利用・購買履歴から好みを分析し、その人が喜びそうなコンテンツや商品サービスを自動的に提供・提案できる「究極のダイレクトマーケティング戦略」を行うのです。
【構成】
・ストレージ
保有コンテンツを一元管理するスペースです。パソコンやゲートウェイサーバーを想定しています。
・ゲートウェイ
任意のコンテンツにアクセスするための機器です。屋内ではパソコンや次世代ゲーム機、屋外では携帯電話を想定しています。
・クライアント
主に屋外でコンテンツを楽しむためのお手頃価格の機器です。iPodなどのクライアント機器を想定しており、将来的には携帯電話に集約される可能性が高いと考えます。
【概要】
屋内では、パソコンや次世代ゲーム機からストレージにアクセスし、任意のコンテンツを楽しみます。
屋外では、携帯電話からストレージにアクセスします。そして携帯電話とPAN状態にあるクライアント機器か、携帯電話自身でコンテンツを楽しみます。後者の場合には、デジカメ機能、音楽再生機能、IC録音、ラジオなどの機能は全て携帯電話に統合されるはずです。
また、携帯電話と車との連携も重要です。携帯のGPSや音楽などを車に付加したり、運転時にハンズフリーで通話やメールをする連携や、音声認証や指紋認証が可能な携帯を車のキーとすることなどが考えられると思います。
以上に伴って、メディアはよく使うコンテンツをバッファする手段という副次的な要素へと徐々に後退していきます。容量ニーズに応じてHDDやFlashなどを搭載すればいいのです。
そして、ユーザーのオンラインコンテンツ利用・購買履歴から好みを分析し、その人が喜びそうなコンテンツや商品サービスを自動的に提供・提案できる「究極のダイレクトマーケティング戦略」を行います。その際に広告収入や仲介収入を得る仕組みを作ることができれば、先行者逃げ切り型の収穫逓増モデルを築くことができるかもしれません。
(*1) eTForecasts集計
(*2) 総務省集計
【2005年12月21日】
「ロングテールとパレートの法則」
「オクノ総研」さんのBlogはいつも楽しく拝見させて頂いておりますが、この記事は特に興味深かったです。
私も似たようなことを考えているのかもしれません。続きが楽しみです(´ω`)
[ 21:07 ]
[ 日記 ]
「オンラインデリバリー時代の到来」で述べたように、ネットで配信されるコンテンツはこれからも増えていくことでしょう。
しかし、それらのコンテンツをPCの前でしか楽しめないのはナンセンスです。かといって、デジタルメディアプレイヤーを買っても設定が難しいですし、各部屋に一つづつ置くとすごく金がかかります。
だから、自分のコンテンツを家のどこでも楽しむことができ、設定が簡単で、しかも安価なシステムを作るべきです。なんとなくアイデアの雛形ができたので、これからまとめてみます。
しかし、それらのコンテンツをPCの前でしか楽しめないのはナンセンスです。かといって、デジタルメディアプレイヤーを買っても設定が難しいですし、各部屋に一つづつ置くとすごく金がかかります。
だから、自分のコンテンツを家のどこでも楽しむことができ、設定が簡単で、しかも安価なシステムを作るべきです。なんとなくアイデアの雛形ができたので、これからまとめてみます。
2005/12/20のBlog
[ 20:59 ]
[ 日記 ]
友人の「飲む飲む」さんから「戦争の防ぎ方」に対して、mixi上でTrack Backを頂きました。閉鎖空間だけで公開されているのももったいないので、当Blogで紹介させて頂くことにします。
友人sivuch氏が「戦争」というものについて書いていたので、それに対する返答ではないのですが、まじめに自分の意見を述べておきたいテーマだなと思ったので。。。
戦争というものについて。友人のblogに対する、私の回答というか、意見として、ここに述べておこうと思う。
といっても、以下、ほとんど友人と同じ意見になってしまった気もするのだけれども。
戦争とは、その行為そのものを論ずる場合と、その思想を論ずる場合で論点が異なると思う。
まず、行為としての戦争とは何か。
第一にいえるのは、究極の消費経済であるということである。
戦争は、生産を伴わず、延々と消費のみを続ける。経済活動として、活発ではあるが、非常にゆがんだ形態であるといえる。生産を伴わない以上、物的にも人的にも経済を疲弊させる。負ければもちろん全てを失うが、勝ったとしても無傷というわけにはいかない。
それなのになぜ戦争を行うのか、というと、思想としての戦争、ということが重要になってくる。
思想としての戦争、とは宗教、イデオロギーという意味にとどまらない。完全に無駄な、「意地」による戦争ということである。
大国の意地。宗教的な意地。イデオロギーに発する意地。民族的な意地。
そういったものが戦争に駆り立てる。
しかしながら、「戦争」とは本来手段であり、目的ではない。その目的が戦争以外の手段でかなえられるのであれば、戦争は必要ないのである。
したがって、戦争を起こさないために必要なこと。
ひとつは、国際的な協調体制である。
そもそもなぜ戦争という手段を選ぶのか。
それは、友人がblogでも書いていたことだが、まさに効率がいいからである。うまくいけば、短時間に莫大な利益を得られる、様に見える。実際には損害が0というわけにはいかないし、国際的な世論の反発なども招きかねない。それでも戦争という手段に出るのは、まず第一に戦争を起こす当事者が自国内の国民にしか責任がないからだ。戦争によろうとも、自国の経済なり文化なりが豊かになるのであれば、あるいは国民の持っている内的な不満を解消できるのであれば、国民は一部の良識ある人々を除いてそれに賛成をする。それは、悲しいことに、いくら否定してみても歴史が証明しているとおりである。
しかしながら、効率がいい方法が戦争であるということは、片方に効率の悪い方法も、あるということだ。
それは、外交である。
「戦わずに勝つ」とは、孫子の言であるが、2500年たってもいまだこの言葉は心理であると思う。
「国家間に真の友人はいない」という言葉がある。それは真理だと思う。しかしここで私が言いたいのは、「みんなで仲良くしましょうね」などということではない。それぞれの国が、それぞれの国の利益を図るのは当然のことである。要は、それらの国家のうちのどこかが暴走を始めるときに、それをとめられるか、ということだ。その暴走を止めようとする動きの動機が、自国の不利だから、でかまわないのだ。そういった抑止の効果(必ずしも軍事力によらない。世論なども含む)は必須である。
また外交といっても、単なる国家間の交渉、というだけに留めるつもりはない。
実際、これだけでは不足だ。アメリカの軍事力は世界一で、二位から十位までの国の軍事予算の合計額よりも多い軍事予算を組んでいる。これは、単純に二位から十位までの国が束になってかかってもアメリカには勝てない、ということだ。
ゆえに、単純な軍事力による抑止ではなく、そもそも戦争を起こす必要を無くすことが重要なのだ。その為にも、お互いの国、地域に対する敬意(少なくとも、相手に不満を与えない)が必要だと思う。
それぞれの国、地域、民族などによって、ある産業、ある文化にたいする得意不得意というものは、確実に存在する。それらに対して貪欲になって、全てを自国に抱え込もうとするのではなく、国家間における、分業というものを真剣に考える必要があると思う。
ここで、友人がblogで書いている「経済の相互依存関係」を、もうちょっと私流に進めて考えて生きたいと思う。
いくら、平和的な手段によるとはいえ、やはり例えば他国の企業に自国の市場、資源を活用されるのは、面白くないところがあると思う。この「面白くない」国民の感情は、恐ろしいものである。人間の感情、というのは「戦争」に一番近い。ヒットラーがあれだけ国民の支持を得たのも、彼が正しいことを言っていたからではなく、国民に不満があったからである。
私としては、「おだてて、機嫌よくする」のが一番だと思う。語弊のある言い方であることは、わかっているが、言いたいことを一言でいるなら、まさにそれなのだ。
つまり、出来ること、得意なことはその国、地域にある程度任せてしまう。
全てを、自国に抱え込む必要はないのだ。たとえば、アメリカがアラブの石油を支配する必要はない。それぞれがお互いの長所と利点を生かしていくような国際経済体制を作るべきだ。後進国の作物なども、それに食料を依存している日本などはもっと高く買うかあるいは関税を安くするなりするべきで、無理をしてまで国内の農業を優遇しすぎる必要はないと思う。(誤解のないように:ここで言っているのは、農家に「死ね」といっているわけではない。国内の農家にしか作れないものをブランド化するなりして、市場の論理を国産、輸入にかかわらず農業などにも導入するべきだということを言っている。)
そこでもうひとつ必要なのが、教育である。
もちろん、勉強ができればいい、ということを、言いたいわけではない。
アジテーターに煽動されない、真に未来の自分と、自国と、世界について考えるだけの力をもった人間を、育てていくことである。戦争というものがどういう行為であるのか、目的を達するために戦争以外にどういった手段があるのか。またそもそもその目的は達成するに値するものなのか。そういった事柄を見極める力。
また、自分とは違う国、違う文化的背景に対して理解し、敬意を払うことができる理解力。
そういったものを身に着けた(押し付けられたではないことに注意)人間の育成。それこそがもっとも重要なテーマだと思う。
私は、倫理観による戦争の抑止は、理想ではあるが不可能だと考える。
したがって、友人のblogでの意見に賛成である。
多くのことが友人が書いてある内容と重なってしまったが、私の言いたいことも要約してしまえば「戦争」を不必要なもの、不利益なものにしてしまえばいい、そしてそれを理解できる人間を育てていくことが重要だということだ。
友人sivuch氏が「戦争」というものについて書いていたので、それに対する返答ではないのですが、まじめに自分の意見を述べておきたいテーマだなと思ったので。。。
戦争というものについて。友人のblogに対する、私の回答というか、意見として、ここに述べておこうと思う。
といっても、以下、ほとんど友人と同じ意見になってしまった気もするのだけれども。
戦争とは、その行為そのものを論ずる場合と、その思想を論ずる場合で論点が異なると思う。
まず、行為としての戦争とは何か。
第一にいえるのは、究極の消費経済であるということである。
戦争は、生産を伴わず、延々と消費のみを続ける。経済活動として、活発ではあるが、非常にゆがんだ形態であるといえる。生産を伴わない以上、物的にも人的にも経済を疲弊させる。負ければもちろん全てを失うが、勝ったとしても無傷というわけにはいかない。
それなのになぜ戦争を行うのか、というと、思想としての戦争、ということが重要になってくる。
思想としての戦争、とは宗教、イデオロギーという意味にとどまらない。完全に無駄な、「意地」による戦争ということである。
大国の意地。宗教的な意地。イデオロギーに発する意地。民族的な意地。
そういったものが戦争に駆り立てる。
しかしながら、「戦争」とは本来手段であり、目的ではない。その目的が戦争以外の手段でかなえられるのであれば、戦争は必要ないのである。
したがって、戦争を起こさないために必要なこと。
ひとつは、国際的な協調体制である。
そもそもなぜ戦争という手段を選ぶのか。
それは、友人がblogでも書いていたことだが、まさに効率がいいからである。うまくいけば、短時間に莫大な利益を得られる、様に見える。実際には損害が0というわけにはいかないし、国際的な世論の反発なども招きかねない。それでも戦争という手段に出るのは、まず第一に戦争を起こす当事者が自国内の国民にしか責任がないからだ。戦争によろうとも、自国の経済なり文化なりが豊かになるのであれば、あるいは国民の持っている内的な不満を解消できるのであれば、国民は一部の良識ある人々を除いてそれに賛成をする。それは、悲しいことに、いくら否定してみても歴史が証明しているとおりである。
しかしながら、効率がいい方法が戦争であるということは、片方に効率の悪い方法も、あるということだ。
それは、外交である。
「戦わずに勝つ」とは、孫子の言であるが、2500年たってもいまだこの言葉は心理であると思う。
「国家間に真の友人はいない」という言葉がある。それは真理だと思う。しかしここで私が言いたいのは、「みんなで仲良くしましょうね」などということではない。それぞれの国が、それぞれの国の利益を図るのは当然のことである。要は、それらの国家のうちのどこかが暴走を始めるときに、それをとめられるか、ということだ。その暴走を止めようとする動きの動機が、自国の不利だから、でかまわないのだ。そういった抑止の効果(必ずしも軍事力によらない。世論なども含む)は必須である。
また外交といっても、単なる国家間の交渉、というだけに留めるつもりはない。
実際、これだけでは不足だ。アメリカの軍事力は世界一で、二位から十位までの国の軍事予算の合計額よりも多い軍事予算を組んでいる。これは、単純に二位から十位までの国が束になってかかってもアメリカには勝てない、ということだ。
ゆえに、単純な軍事力による抑止ではなく、そもそも戦争を起こす必要を無くすことが重要なのだ。その為にも、お互いの国、地域に対する敬意(少なくとも、相手に不満を与えない)が必要だと思う。
それぞれの国、地域、民族などによって、ある産業、ある文化にたいする得意不得意というものは、確実に存在する。それらに対して貪欲になって、全てを自国に抱え込もうとするのではなく、国家間における、分業というものを真剣に考える必要があると思う。
ここで、友人がblogで書いている「経済の相互依存関係」を、もうちょっと私流に進めて考えて生きたいと思う。
いくら、平和的な手段によるとはいえ、やはり例えば他国の企業に自国の市場、資源を活用されるのは、面白くないところがあると思う。この「面白くない」国民の感情は、恐ろしいものである。人間の感情、というのは「戦争」に一番近い。ヒットラーがあれだけ国民の支持を得たのも、彼が正しいことを言っていたからではなく、国民に不満があったからである。
私としては、「おだてて、機嫌よくする」のが一番だと思う。語弊のある言い方であることは、わかっているが、言いたいことを一言でいるなら、まさにそれなのだ。
つまり、出来ること、得意なことはその国、地域にある程度任せてしまう。
全てを、自国に抱え込む必要はないのだ。たとえば、アメリカがアラブの石油を支配する必要はない。それぞれがお互いの長所と利点を生かしていくような国際経済体制を作るべきだ。後進国の作物なども、それに食料を依存している日本などはもっと高く買うかあるいは関税を安くするなりするべきで、無理をしてまで国内の農業を優遇しすぎる必要はないと思う。(誤解のないように:ここで言っているのは、農家に「死ね」といっているわけではない。国内の農家にしか作れないものをブランド化するなりして、市場の論理を国産、輸入にかかわらず農業などにも導入するべきだということを言っている。)
そこでもうひとつ必要なのが、教育である。
もちろん、勉強ができればいい、ということを、言いたいわけではない。
アジテーターに煽動されない、真に未来の自分と、自国と、世界について考えるだけの力をもった人間を、育てていくことである。戦争というものがどういう行為であるのか、目的を達するために戦争以外にどういった手段があるのか。またそもそもその目的は達成するに値するものなのか。そういった事柄を見極める力。
また、自分とは違う国、違う文化的背景に対して理解し、敬意を払うことができる理解力。
そういったものを身に着けた(押し付けられたではないことに注意)人間の育成。それこそがもっとも重要なテーマだと思う。
私は、倫理観による戦争の抑止は、理想ではあるが不可能だと考える。
したがって、友人のblogでの意見に賛成である。
多くのことが友人が書いてある内容と重なってしまったが、私の言いたいことも要約してしまえば「戦争」を不必要なもの、不利益なものにしてしまえばいい、そしてそれを理解できる人間を育てていくことが重要だということだ。
2005/12/19のBlog
[ 21:46 ]
[ 日記 ]
「大見忠弘教授インタビュー」
この人は本当にすごい方です。この方がいなければ、半導体の王者Intelの現在はなかったことでしょう。インタビュー内容にも共感します。
そして私の最大の親友は、大見さんの助手をしています。この親友は能力的にも人格的に傑出しており、学ぶべきところが多く、いつも私に刺激を与えてくれます。日本人ではありませんが、どの日本人友人よりも親しみを感じます。
非才な私も精一杯がんばらねば、と思わされる人です。
この人は本当にすごい方です。この方がいなければ、半導体の王者Intelの現在はなかったことでしょう。インタビュー内容にも共感します。
そして私の最大の親友は、大見さんの助手をしています。この親友は能力的にも人格的に傑出しており、学ぶべきところが多く、いつも私に刺激を与えてくれます。日本人ではありませんが、どの日本人友人よりも親しみを感じます。
非才な私も精一杯がんばらねば、と思わされる人です。
2005/12/18のBlog
[ 14:32 ]
[ 時事問題 ]
「戦争ほどひどいことはない」「戦争こそ最大の愚行だ」・・・・・有史以来、戦争ほど人々から嫌われ、呪われてきたものはありません。しかし人類はこれまで常に戦と共に歩んできましたし、いま現在も世界各地で戦火が交えられています。戦争はこれほど人々から嫌われているのに、なぜこうも頻発するのでしょうか?
戦争が悪だということを知っているのは現代人だけではありません。太古の人々だって、それぐらいは知っていたはずです。しかしそれでも戦の呪縛からは逃れられませんでした。これまでに数え切れないほどの戦争が起き、おびただしい数の命が散っていったことはご周知の通りです。私は、「戦争=悪」という倫理観では戦争は防げないと考えます。残念ながら、そのことは我々の歴史自身が証明しています。そのため、「戦争=悪」で思考停止しないことが大事だと思います。戦争には下記の2つの顔があると考えます。
■ 戦争は合理的なものである
戦争が悪ということが分かっていたのに、それでも人類が戦を繰り返してきたのは、戦争が合理的なものだったことが原因だと思います。例えば帝国主義時代末期には経済ブロック化が進み、自国の国境線の内側に多くの市場・資源を囲い込むことが、すなわちその国家の豊かさ・幸せにつながりました。このような場合には、国民の幸せの増大にあたって、戦争は非常に合理的な選択肢となり得ます。
■ 戦争は本能的なものである
社会現象である殺人事件が根絶できないのと同様に、戦争もまた根絶できません。どちらも本能だからです。この点については意見が分かれるところですが、いつも合理性を理性で考えた戦争ばかりだったとは思えませんし、昔の人々がとてつもなく愚かだったからだとも思えません。やはり人間の内面に戦争の要素はあるのです。時としてそれは、正義、善意や組織への忠誠という形をとります。そのため、いきなり本能の否定から入るのではなく、本能をいかにコントロールするかという視点で考えるべきではないでしょうか?
戦争が悪だということを知っているのは現代人だけではありません。太古の人々だって、それぐらいは知っていたはずです。しかしそれでも戦の呪縛からは逃れられませんでした。これまでに数え切れないほどの戦争が起き、おびただしい数の命が散っていったことはご周知の通りです。私は、「戦争=悪」という倫理観では戦争は防げないと考えます。残念ながら、そのことは我々の歴史自身が証明しています。そのため、「戦争=悪」で思考停止しないことが大事だと思います。戦争には下記の2つの顔があると考えます。
■ 戦争は合理的なものである
戦争が悪ということが分かっていたのに、それでも人類が戦を繰り返してきたのは、戦争が合理的なものだったことが原因だと思います。例えば帝国主義時代末期には経済ブロック化が進み、自国の国境線の内側に多くの市場・資源を囲い込むことが、すなわちその国家の豊かさ・幸せにつながりました。このような場合には、国民の幸せの増大にあたって、戦争は非常に合理的な選択肢となり得ます。
■ 戦争は本能的なものである
社会現象である殺人事件が根絶できないのと同様に、戦争もまた根絶できません。どちらも本能だからです。この点については意見が分かれるところですが、いつも合理性を理性で考えた戦争ばかりだったとは思えませんし、昔の人々がとてつもなく愚かだったからだとも思えません。やはり人間の内面に戦争の要素はあるのです。時としてそれは、正義、善意や組織への忠誠という形をとります。そのため、いきなり本能の否定から入るのではなく、本能をいかにコントロールするかという視点で考えるべきではないでしょうか?
【まとめ】
戦争を倫理観で防ぐのは不可能です。なぜなら、戦争は「合理的」なものであり、「本能的」なものであるからです。おそらく後者についてはどうしようもないでしょう。
だとすれば、経済の相互依存関係を構築して「戦争を非合理的なもの」にすればよいのです。例えば今の日本は中国に攻め込む必要がありません。すでに平和的手段によって中国の市場・資源を活用できるからです。中国も日本を攻めると国が成り行きません。アメリカと日本、アメリカと中国の関係も同様です。
いくら倫理的に悪いことであっても、それが合理的である限り、必ず一線を踏み外す者が出てきます。しかし非合理的(得しない・儲からない)ことであれば、倫理に関わらずやりたがらないものです。私は、経済の相互依存関係を築くことが平和への近道と考えます。微力ではありますが、自分の仕事を通じてそれを実践していきたいと考えます。
【2005年12月18日】
「暴力が障害物をたちどころに一掃してしまうことはある。しかし、暴力そのものが創造的であると証明されたことは一度もない」
これは60余年前に、アインシュタインがトルーマン大統領に原爆使用を重いとどまるようにしたためた手紙の中の一文です。
武力面での抑止力は必要不可欠なものですが、それだけでは恒久的な平和を実現することはできません。そのことを痛感させられる一文です。
戦争を倫理観で防ぐのは不可能です。なぜなら、戦争は「合理的」なものであり、「本能的」なものであるからです。おそらく後者についてはどうしようもないでしょう。
だとすれば、経済の相互依存関係を構築して「戦争を非合理的なもの」にすればよいのです。例えば今の日本は中国に攻め込む必要がありません。すでに平和的手段によって中国の市場・資源を活用できるからです。中国も日本を攻めると国が成り行きません。アメリカと日本、アメリカと中国の関係も同様です。
いくら倫理的に悪いことであっても、それが合理的である限り、必ず一線を踏み外す者が出てきます。しかし非合理的(得しない・儲からない)ことであれば、倫理に関わらずやりたがらないものです。私は、経済の相互依存関係を築くことが平和への近道と考えます。微力ではありますが、自分の仕事を通じてそれを実践していきたいと考えます。
【2005年12月18日】
「暴力が障害物をたちどころに一掃してしまうことはある。しかし、暴力そのものが創造的であると証明されたことは一度もない」
これは60余年前に、アインシュタインがトルーマン大統領に原爆使用を重いとどまるようにしたためた手紙の中の一文です。
武力面での抑止力は必要不可欠なものですが、それだけでは恒久的な平和を実現することはできません。そのことを痛感させられる一文です。
[ 00:09 ]
[ ビジネス ]
【2005年11月04日】
ソニーの新WALKMANが発表されましたが、Appleに同タイミングでiPod nanoを同時発表&発売され、11月の発売前からほぼ勝負があった感があります。もし私が新WALKMANを作るとしたらどのようなものになるか、考えてみました。
■現状分析
・ソニーの弱み
1.価格競争力でAppleが断トツで勝てない
2.操作性で回転ホイールのような決定打がない
3.iPodに追随しても物真似商品にしかならない
・ソニーの強み
1.サイズのコンパクト化が得意
2.バッテリーライフを伸ばす省電力ノウハウがある
3.使いやすい液晶リモコンがある
■私ならこんなWALKMANを作る
・サイズ
本体からディスプレイを削除し、基本操作ボタンのみとします。そのことにより、世界最小最軽量サイズを実現します。なぜなら、セットの主な構成要素である「ストレージ(HDD)」「メイン基盤」「バッテリー」「ディスプレイ」の内で、大幅な削減が可能なのはディスプレイだけだからです。同デバイスの削除により、劇的なコンパクト化を実現します。
・コスト
ディスプレイの削除により、部品単価で\1,000~\2,000のコスト削減が可能となります(カラーLCDや有機ELの場合)。その余剰分を使って、Bluetoothチップ(単価\1,000~1,500)を搭載します。
・操作
そして、Bluetooth搭載携帯電話でWALKMANの検索操作を行うのです。iPodもカラーディスプレイや回転ホイールなどで工夫していますが、大型カラーディスプレイと豊富で誰でも分かる操作ボタンを持つ携帯電話のUIには勝てないと思います(携帯電話側にはSerial Port Profile準拠のJavaアプリを入れるだけで済みます)。つまり、アーティストやプレイリスト検索のような高度な操作は携帯電話のUIで、曲送りや音量調整のような単純操作はWALKMAN本体で行えばいいのです。
・バッテリー
ディスプレイ削除により、WALKMANの電力消費は軽減されます。もちろんBluetooth通信で電力は食いますが、検索操作時のみにSPP通信するだけだとすると、消費量は非常に小さいと考えられます(待ち受け時間は800~900mAhバッテリーで400~500時間はもつ)。
・アクセサリー展開
さらにWALKMANにBluetoothモジュールが搭載されているため、今後の普及が予想されるBluetooth機器群との連携が可能となります。例えばWALKMANの音をBluetoothワイヤレスヘッドホンで聞いたり、Bluetoothカーステレオやスピーカーからシームレスに再生することも可能です。さらにBluetooth間欠転送を実現すれば、かなりのバッテリーライフ向上も図れます。
・Boluetooth携帯電話が普及していない市場では
一方でBluetooth携帯電話が普及していない日本市場向けには、リモコン操作を前提とした商品投入が考えられます。AppleにはないSONYお得意の液晶リモコンを活用しつつ、ディスプレイ削除によって本体価格を下げられて一石二鳥です。
■私の商品案のメリット
「より大容量ストレージ」「大型ディスプレイ」「カラーディスプレイ」「画期的な操作UIデバイス」・・・・・商品をより良くしようとすると、コスト増大、サイズ大型化などの副作用に悩まされます。トレードオフの壁に必ずぶつかるのです。「足し算」の商品作りでは、先行するAppleには勝てるはずもありません。
ですから、「オーディオプレイヤーとして画期的な操作UI」「操作UIのコスト・サイズ・バッテリー消費」をBluetooth携帯電話に依存することにより、サイズ・操作性・バッテリー・コスト面の全てで優れたWALKMANを創出するべきだと思うのです。リスクの高い賭けではありますが、普通にやってはトレードオフの壁を打破することは無理です。SONYは挑戦者だからこそ、王者よりも攻撃的な姿勢で臨むべきだと考えます。
1.世界最小最軽量サイズを実現できる
2.iPodを超える操作性を提案できる
3.世界最長バッテリーライフを維持できる
4.iPodにはないワイヤレスライフスタイルを提案でき、新規性を出せる
5.ソニーの強みであるリモコンを活用しつつ、価格競争力を向上できる(日本など)
※Bluetooth連携アイデアは、「携帯のマルチリモコン化」時のものです。
【2005年11月20日】
「Good-bye Walkman A1000」
>結局、繋がる喜びも、おもてなしも、何にも感じられませんでした。
>フツーは新製品を手にするとうれしくなるはずなのに、
>A1000を手にして感じるのは怒りを通り越した悲しみでした。
私も店頭でA1000動作品を触ってみましたが、かなり微妙な出来でした。
まずUIが複雑です。メニュー選択肢が多く、「年代別シャッフル」などよく分からない機能が搭載されています。一部のマニアの方には受けるかもしれませんが、もっと普通の選曲操作に気を遣った方がよかったのではないでしょうか?
また、アーティストリンク機能はGraceNoteのとあるDBを使っているように見えますが、音楽のジャンル分けは個人差が大きいので、この機能の評価は分かれるところでしょう。私は地域別のジャンル分類(「Japan」や「UK Rock」など)以外に、客観的なジャンル分けを知りません。
そしてサイズですが、同じ1inch HDD1を使っているiPod miniに比べてかなり大きく感じます。特に厚さはiPod miniの約1.5倍もあり、ソニーのお家芸である小型化で、PCメーカーであるAppleに惨敗していることは残念でなりません。
iPod miniの最大外形寸法
50.8mm×91.4mm×12.7mm
NW-A1000の最大外形寸法
55.0mm×88.1mm×18.7mm
Connect Playerは使っていないので分かりませんが、バグ満載のまま出したようですね。ネット上のいたるところで問題発生レポートが出回っています。
いずれにしても、ソニーファンである「ソニ☆モバ」さんにまで酷評されてしまっている現状を、ソニーは直視するべきでしょう。
【2005年12月20日】
「Wireless iPod by mid 2006?」
・・・と思ったらAppleの方が先にBluetooth対応しそうな勢いですね(笑)。
もっとも王者の戦略がとれるAppleとしては、Bluetooth対応はあくまでAdd onフィーチャーであり、車への展開を睨んだものに過ぎないでしょう。要はオマケです。
挑戦者SONYよりも、王者Appleの方がアグレッシブで積極的という不思議な状況が続いております。
ソニーの新WALKMANが発表されましたが、Appleに同タイミングでiPod nanoを同時発表&発売され、11月の発売前からほぼ勝負があった感があります。もし私が新WALKMANを作るとしたらどのようなものになるか、考えてみました。
■現状分析
・ソニーの弱み
1.価格競争力でAppleが断トツで勝てない
2.操作性で回転ホイールのような決定打がない
3.iPodに追随しても物真似商品にしかならない
・ソニーの強み
1.サイズのコンパクト化が得意
2.バッテリーライフを伸ばす省電力ノウハウがある
3.使いやすい液晶リモコンがある
■私ならこんなWALKMANを作る
・サイズ
本体からディスプレイを削除し、基本操作ボタンのみとします。そのことにより、世界最小最軽量サイズを実現します。なぜなら、セットの主な構成要素である「ストレージ(HDD)」「メイン基盤」「バッテリー」「ディスプレイ」の内で、大幅な削減が可能なのはディスプレイだけだからです。同デバイスの削除により、劇的なコンパクト化を実現します。
・コスト
ディスプレイの削除により、部品単価で\1,000~\2,000のコスト削減が可能となります(カラーLCDや有機ELの場合)。その余剰分を使って、Bluetoothチップ(単価\1,000~1,500)を搭載します。
・操作
そして、Bluetooth搭載携帯電話でWALKMANの検索操作を行うのです。iPodもカラーディスプレイや回転ホイールなどで工夫していますが、大型カラーディスプレイと豊富で誰でも分かる操作ボタンを持つ携帯電話のUIには勝てないと思います(携帯電話側にはSerial Port Profile準拠のJavaアプリを入れるだけで済みます)。つまり、アーティストやプレイリスト検索のような高度な操作は携帯電話のUIで、曲送りや音量調整のような単純操作はWALKMAN本体で行えばいいのです。
・バッテリー
ディスプレイ削除により、WALKMANの電力消費は軽減されます。もちろんBluetooth通信で電力は食いますが、検索操作時のみにSPP通信するだけだとすると、消費量は非常に小さいと考えられます(待ち受け時間は800~900mAhバッテリーで400~500時間はもつ)。
・アクセサリー展開
さらにWALKMANにBluetoothモジュールが搭載されているため、今後の普及が予想されるBluetooth機器群との連携が可能となります。例えばWALKMANの音をBluetoothワイヤレスヘッドホンで聞いたり、Bluetoothカーステレオやスピーカーからシームレスに再生することも可能です。さらにBluetooth間欠転送を実現すれば、かなりのバッテリーライフ向上も図れます。
・Boluetooth携帯電話が普及していない市場では
一方でBluetooth携帯電話が普及していない日本市場向けには、リモコン操作を前提とした商品投入が考えられます。AppleにはないSONYお得意の液晶リモコンを活用しつつ、ディスプレイ削除によって本体価格を下げられて一石二鳥です。
■私の商品案のメリット
「より大容量ストレージ」「大型ディスプレイ」「カラーディスプレイ」「画期的な操作UIデバイス」・・・・・商品をより良くしようとすると、コスト増大、サイズ大型化などの副作用に悩まされます。トレードオフの壁に必ずぶつかるのです。「足し算」の商品作りでは、先行するAppleには勝てるはずもありません。
ですから、「オーディオプレイヤーとして画期的な操作UI」「操作UIのコスト・サイズ・バッテリー消費」をBluetooth携帯電話に依存することにより、サイズ・操作性・バッテリー・コスト面の全てで優れたWALKMANを創出するべきだと思うのです。リスクの高い賭けではありますが、普通にやってはトレードオフの壁を打破することは無理です。SONYは挑戦者だからこそ、王者よりも攻撃的な姿勢で臨むべきだと考えます。
1.世界最小最軽量サイズを実現できる
2.iPodを超える操作性を提案できる
3.世界最長バッテリーライフを維持できる
4.iPodにはないワイヤレスライフスタイルを提案でき、新規性を出せる
5.ソニーの強みであるリモコンを活用しつつ、価格競争力を向上できる(日本など)
※Bluetooth連携アイデアは、「携帯のマルチリモコン化」時のものです。
【2005年11月20日】
「Good-bye Walkman A1000」
>結局、繋がる喜びも、おもてなしも、何にも感じられませんでした。
>フツーは新製品を手にするとうれしくなるはずなのに、
>A1000を手にして感じるのは怒りを通り越した悲しみでした。
私も店頭でA1000動作品を触ってみましたが、かなり微妙な出来でした。
まずUIが複雑です。メニュー選択肢が多く、「年代別シャッフル」などよく分からない機能が搭載されています。一部のマニアの方には受けるかもしれませんが、もっと普通の選曲操作に気を遣った方がよかったのではないでしょうか?
また、アーティストリンク機能はGraceNoteのとあるDBを使っているように見えますが、音楽のジャンル分けは個人差が大きいので、この機能の評価は分かれるところでしょう。私は地域別のジャンル分類(「Japan」や「UK Rock」など)以外に、客観的なジャンル分けを知りません。
そしてサイズですが、同じ1inch HDD1を使っているiPod miniに比べてかなり大きく感じます。特に厚さはiPod miniの約1.5倍もあり、ソニーのお家芸である小型化で、PCメーカーであるAppleに惨敗していることは残念でなりません。
iPod miniの最大外形寸法
50.8mm×91.4mm×12.7mm
NW-A1000の最大外形寸法
55.0mm×88.1mm×18.7mm
Connect Playerは使っていないので分かりませんが、バグ満載のまま出したようですね。ネット上のいたるところで問題発生レポートが出回っています。
いずれにしても、ソニーファンである「ソニ☆モバ」さんにまで酷評されてしまっている現状を、ソニーは直視するべきでしょう。
【2005年12月20日】
「Wireless iPod by mid 2006?」
・・・と思ったらAppleの方が先にBluetooth対応しそうな勢いですね(笑)。
もっとも王者の戦略がとれるAppleとしては、Bluetooth対応はあくまでAdd onフィーチャーであり、車への展開を睨んだものに過ぎないでしょう。要はオマケです。
挑戦者SONYよりも、王者Appleの方がアグレッシブで積極的という不思議な状況が続いております。
2005/12/17のBlog
[ 00:41 ]
[ 仕事観&人生観 ]
いま、私が所属しているビジネスは破綻寸前の状態にあると見ています。
ただし、私が入社時に担当したビジネスと違って赤字でもなければ差し迫った危機があるわけでもありません。かえってこれが問題の根を深くしています。
この先に待っているのは緩慢な死です。「まだまだ大丈夫」と思っている内に確実に衰弱し、自力では立てなくなります。まるで茹でガエルのように。
だから、長期的な目標をしっかりと定めた上で布石を打っていく必要があります。
その際に大事なことは、予定調和的なアイデアを排することです。前の職場で私が築いたビジネスの1割以下の利益率しかない現在の手法を前提としても、敗北が待っているだけでしょう。戦場のルールを変えねば勝てません。
とはいえ、私のアイデアもまだまだ凡庸。がんばりたいところです(転職という保険を確保しつつ)。
ただし、私が入社時に担当したビジネスと違って赤字でもなければ差し迫った危機があるわけでもありません。かえってこれが問題の根を深くしています。
この先に待っているのは緩慢な死です。「まだまだ大丈夫」と思っている内に確実に衰弱し、自力では立てなくなります。まるで茹でガエルのように。
だから、長期的な目標をしっかりと定めた上で布石を打っていく必要があります。
その際に大事なことは、予定調和的なアイデアを排することです。前の職場で私が築いたビジネスの1割以下の利益率しかない現在の手法を前提としても、敗北が待っているだけでしょう。戦場のルールを変えねば勝てません。
とはいえ、私のアイデアもまだまだ凡庸。がんばりたいところです(転職という保険を確保しつつ)。
2005/12/15のBlog
[ 21:31 ]
[ 仕事観&人生観 ]
子供の頃から、私はヤバいくらいのアレルギー性鼻炎でした。
そんな私がやってこれたのは、「ベルエムピ点鼻薬」(カネボウ薬品)という素晴らしい薬があったからです。私の体質によく合っていたらしく、親元を離れた12歳頃からこれまで約16年間もお世話になりました。
大げさかもしれませんが、「ベルエムピ君」は私の人生の相棒だったといっても過言ではございません。いや、渋谷の女子高生にとってのケータイ以上に、私にとっては生活必需品でした。
しかし!
どうやら「ベルエムピ君」は生産完了となってしまったようです。それもつい先日。カネボウも色々とゴタゴタしているからでしょうね・・・私はこれからどうやって生きていけばよいのでしょうか・・・orz
それにしても、この薬は少なくとも16年間以上は人々に親しまれ続けているわけです。業界が違うから当然のことかもしれませんが、これは私にとっては羨ましいことでもあります。
私の業界では、大部分の商品は数ヶ月~数年間で生産完了となってしまいます。どんなに丹念に作り込んだ商品も、数年経てば姿を消し、忘却の彼方へと押しやられてしまうのです。記憶に留めてくれる人はごく一部です。
確かにカネボウという会社は大変な状態にありますが、この薬を開発した人のDNAは16年間以上も世に溢れ、少なくとも私という熱烈なファンもいたわけです。それは素晴らしいことだと思います。
ベルエムピ開発チームの皆様。これまで16年間も本当にありがとうございました。私も人々の思い出に残るよい商品を創るため、これからも精進して参ります。
そんな私がやってこれたのは、「ベルエムピ点鼻薬」(カネボウ薬品)という素晴らしい薬があったからです。私の体質によく合っていたらしく、親元を離れた12歳頃からこれまで約16年間もお世話になりました。
大げさかもしれませんが、「ベルエムピ君」は私の人生の相棒だったといっても過言ではございません。いや、渋谷の女子高生にとってのケータイ以上に、私にとっては生活必需品でした。
しかし!
どうやら「ベルエムピ君」は生産完了となってしまったようです。それもつい先日。カネボウも色々とゴタゴタしているからでしょうね・・・私はこれからどうやって生きていけばよいのでしょうか・・・orz
それにしても、この薬は少なくとも16年間以上は人々に親しまれ続けているわけです。業界が違うから当然のことかもしれませんが、これは私にとっては羨ましいことでもあります。
私の業界では、大部分の商品は数ヶ月~数年間で生産完了となってしまいます。どんなに丹念に作り込んだ商品も、数年経てば姿を消し、忘却の彼方へと押しやられてしまうのです。記憶に留めてくれる人はごく一部です。
確かにカネボウという会社は大変な状態にありますが、この薬を開発した人のDNAは16年間以上も世に溢れ、少なくとも私という熱烈なファンもいたわけです。それは素晴らしいことだと思います。
ベルエムピ開発チームの皆様。これまで16年間も本当にありがとうございました。私も人々の思い出に残るよい商品を創るため、これからも精進して参ります。
2005/12/14のBlog
[ 00:20 ]
[ 時事問題 ]