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スポンタ通信。 …スポンタ中村です。21世紀のテーマは「ステークホルダー主導時代の終焉」です。
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2006/06/10のBlog
と、湯川さんに言ったらしい。

他者に引用されることによって、自分の言葉の重要さ気づかされることがある。コミュニケーションとは価値があるものだ。

さて、最近の私の言説の流れに大きな影響を果たしているのは2ちゃんねるのこのサイトだ。スレッドのテーマは、私ではない。Mというカルト者が自らの出自を隠しネットジャーナリズムに参画し、言論誘導を試みようとしたことを観察するものだ。
実際に糾弾しているのは、鮫島氏他…。けろやん氏は、それを過去カルテでしかない。と看破。私はけろやん氏の思いに重ねる形で、未来カルテを書こうと思う。勿論、カルテをつくるだけでは意味がない。

オーマイニュースのテーマは「市民みんなが記者」という。オヨンホ氏に指摘される必要もなく、自由な言論は健全な民主主義にとって不可欠なものである。だが、本質的な課題は、「言論する人の言論」と「言論しない人の言論」の乖離を埋めることである。それさえできれば、仕事をしている人の手を止めさせることもせずに済む。
すべてはその究極の目標へのステップであって、「市民みんなが記者」というのは暫定目標でしかない。


事業コンセプト(未来カルテ)はできている。あとは、資金とプログラム。

具体的な働きかけを行いたいと思い、まずは、ホットブログの内山さんにコメント欄で声をかけたが、反応は薄い。

そういえば、5年ほど前に稲盛財団に手紙を書いたっけ。あのときに財団から頂戴した上質な紙とたいそうな活字でしたためられた門前払いの手紙を憶えている。あれから5年。世の中は変わっているのだろうか。私の脳みその中身は変わっていないが、どうなんだろう…。

以下、最近の私の2ちゃんねるの書きこみを採録しておく。

500 :スポ:2006/05/22(月) 09:47:07
ゴシップだなんて言って、ごめん。

アンポンタンな私は、「アレフブロガーの時代」を読んで、やっと分かった。こいつは大問題だよ。

こうなった以上、デジ・ジャ研(略してみると既視感に似てる…)の第二回がオープンな環境で開催されるはずもないが、 もし、開催されるならば、「ネットジャーナリズムとカルト宗教の正しいおつきあいの仕方」について、指弾したいと思います。

結局、これって、ニフティーサーブのフォーラムのときからの問題だったんだよね。
ブログで母集団が増えたことに浮かれてないで、原点に戻ろう。そういうことだな。


503 :スポ:2006/05/22(月) 11:24:38
私がアンポンタンなのは否定しない。否、否定しきれぬが、私は、湯川氏につらなるステークホルダーだったのじゃ。
でも、事実を書くだけじゃなくて、インテグレートして欲しいなぁ…。 で、ないと、なかなかわかんないんだよ。私。

ほんとうは、ゴッホとテオの書簡集を読んで感動せねばならぬのに、わたしゃ、「炎の人ゴッホ」の映画を見ねば分からぬ。 そんな一般ピーポーなんじゃ。(^^;)


510 :スポ:2006/05/22(月) 12:37
いやいや、ダビンチコードでいえば、あの図像学的な問題は関係者の間では知られていたわけで、 そいつを推理小説という形にしたことに意味がある。 世界で一番有名な「最後の晩餐」に聖杯がないことの意図を探らない研究家などいるはずもなし…。
語らぬことは卑怯ではない。ステークホルダーなのじゃ。ウエブ進化論の梅田氏もダ・ビンチ氏も…。

原典主義は専門家にとっては魅力だが、一般大衆にとってどれほどの意味を持つかは分からぬ。
ま、私は映画というメディアが好き。ただ、それだけの話だ…。
だから、脇が甘いかもしれぬ。と、先に弱音を吐いておく。


608 :スポ:2006/05/22(月) 22:44:48
オーマイジャパンは業界をまとめて新勢力となろうとしているのかもしれぬが、発足前に傷がついてしまったようだ。
鳥越編集長に期待だが、何かできることはあるのだろうか…。
「市民参加型ジャーナリズムは、グリコのおまけだ」ということにはたと気がついた。
市民参加型ジャーナリズムは、究極のジャーナリズムのコモディティー(日用品)化なのだ。
そこに、ニュースの職人が必要なのだろうか。
市民が職人になるのだろうか。職人が市民を語るのだろうか。
職人は職人であり、市民は市民である。それでいいじゃないか。

職人がいかにあがき否定しようと、コモディティー化は時代の趨勢だ。
ニュースの職人は、辛い立場に追い込まれてしまうに違いない。


625 :スポ:2006/05/23(火) 07:22
そういう言葉の表面について、私は争うつもりはまったくないよ。
伊藤博文を殺した犯人が、テロリストであろうと、革命家であろうと、私はかまわない。
約30人を殺したオウム者たちがテロリストだったのか、正規軍だったのかはそんなことはかまわない。
結局のところ、あそこでの論議は、テロリストを正規軍として裁け。そう謳っているような希ガス。


632 :スポ:2006/05/23(火) 14:32
私もそう思うよ。
私のように、作品・文章が情報の受け手の具体的な行動に繋がらなければ報酬が得られないプロモーションやビジネスの世界じゃない。

ビジネスの世界の私から見れば、既存のマスコミが言論の希釈作用に寄与しているとしか思えないのも、当然。 今回の佐々木氏の文章もね。
彼は言論を希釈するために書いてるんだよ。だけど、その文章のところどころでほころんでいる。
それだけのこと。
そう考えて、あの長い文章を詳しく読み解くのを私はヤメタよ。(^^;)


695 :スポ:2006/05/24(水) 05:12
はらたいらさんに千点。なんて最初に言ってから、コメントを開始すればノイズか、ノイズじゃないか分かりやすいんじゃないかな。 佐々木さんにしたって、エントリーのしょっぱなに、泉さんと松永さんにのこり全部。って書いてから、本論にすすめばよかった。


833 :スポ:2006/05/25(木) 18:57
オープンソースジャーナリズムなんて、ボランティア団体がやる河原の空き缶拾いと同じっすよ。

協賛する企業やバックアップする役所もあるが、基本は、好きな人たちが集まって、好きな人が拾う。
缶を拾うことで社会貢献をしたと満足する人もいるし、棄てた人に腹を立てながら缶を拾う人もいる。
でも、誰も缶でジュースを飲むという消費文化に背を向けることはしない。

私はそういうのを否定しないが、根本的なことじゃない。
本気で世の中を変えようと思ったら、できることは沢山あるはずだ。


850 :スポ:2006/05/26(金) 05:16
たとえば、マザー・テレサという人がいる。彼女の業績を批判する人は世の中にほとんどいないと思う。
じゃ、聖女よろしく、彼女がたんなる空き缶集め大会を地道にやっていたのかといえばそうではない。
さまざまなビジネス的な仕掛けやエスタブリッシュメントへの働きかけを積極的にやった。
勿論、彼女の弱者救済への思いは揺ぎ無いもの。だけど、パフォーマンスだけみたら、批判を浴びておかしくない。
それは、資金集めや寄付をつのるなどという托鉢ライクなものではなく、もっとエンタープライズ(事業的)なものだった。


たとえば、空き缶が一個5円の値段がつけば、空き地の空き缶はなくなる。
それが不可能でないことは、1クリックしただけでお金をくれる企業が沢山あることから明らか。
だけど、業界全体を変えるような構造に一役買うことは、失敗すると袋叩きにあうからなかなかできない。
一番の危惧は次の懸念だ。

空き缶を拾うことでこずかい稼ぎをする小学生が出る。それにまつわるイジメや恐喝事件も起きるだろう。
そのことを批判する言論がでてくる。
結果、こどもたちを経済活動に巻き込むよりも、河原に空き缶があふれていたほうがまし。…当然、そうなる。
というか、そういうことがなされていないのは、そういう事情があるから。

だが、空き缶という利権に関わって、こどもたちとホームレスとの距離がなくなる。
成長していくこどもたちが原体験として、社会の弱者を知っていることは悪くない。
子どもが株式を勉強する時代だ。机上で儲けることを憶える前に、体に汗して稼ぐことを覚えることが悪いはずはない。

すべては想定内だから空き缶問題は解決しない。
世のエスタブリッシュたちは、R30氏や佐々木氏、そして、薮本アナのような蛮勇はしない。叩かれた蛮勇者たちは、男はしらを切り、女は泣きにはいる。
湯川氏やF社のようなエスタブリッシュは、一定の説明を終えると、ただただ批判に耐えるだけである。



私はバッシングにはなれているし、私がバッシングの受け皿になることで、世の中が変わっていけばいいと思っている。 この指とまれ方式を上手く活用すればできる。そう思っている。
2006/06/09のBlog
義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい、男の世界~~。星野仙一氏はステークホルダー(利害関係者)ではない。

有名人もあのクラスになると、売名行為をする必要もない。また、彼は商売をしているのでもないから、金に困って自分の心ならぬことを言っているのではない。彼は男なのである。
阪神の現経営陣に請われて阪神の監督になったし、経営陣たちが男・星野を立てるために球団改革に乗り出し星野の言葉にしたがって補強したことは、阪神が久しぶりに優勝した後に盛んに報道された。
そのことに、星野は恩義を感じている。それが今回の発言になったと思う。



私は、村上ファンドの村上氏は馬鹿ではないと思う。ファンドは確かに売り抜けを目的にした短期的な利益を求めるシステムだ。だが、それとは別に、短期的な利益を求める敵対的買収が社会的な批判を浴びることを承知している。社会的な批判を浴びれば、投資者たちも資金を提供しなくなる。それは、チワワで有名な消費者金融会社の近況を見ても明らかだ。
村上氏はいま、日本的な資金運用のスタイルを構築しようとしている。だから、6月の阪神電鉄の株主総会で、経営陣に村上陣営が加わったとしても、阪神ファンにとって何ら都合の悪いことは起きないだろう。もし、唯一都合の悪いことがあるとしたら、経営陣の悪口を言いながら低迷阪神を肴に酒を飲むことができなくなることだけだ。
企業が消費者動向と無縁では立ち行かないのと同様に、ファンドも世論に背を向けては立ち行かない。



男・星野が義理にかられて、村上阪神になったらGMをやめるというのは理解する。
だが、世の中は人情で動いていく。村上阪神によって甲子園球場が、セーフコ球場のようにすばらしくリニューアルし、
その評価を殆どの阪神ファンが認めたとき、男・星野は戻ってくる。

たしかに、義理がすたればこの世は闇だ。だが、日本人の良さは、人情に対するもろさである。
義理にかられて辞任発言をした男・星野に心を寄せる人情家・阪神ファンたちの辛さを思ってやまない。
2006/06/08のBlog
鳥越さんが「ニュースの職人」と自らを定義し、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの世界で活躍してきたことを存じ上げていることは言うまでもありません。また、韓国において一応の成功を達成したオ・ヨンホ氏もジャーナリストでした。
したがって、私のような無名な市民が危惧する資格もないのかもしれませんが、ライブドア、JANJANなどで市民記者として苦い経験をしてきた私としては、既存のジャーナリズムというものと、市民参加型ジャーナリズムはある意味対極にあるものという気がしてなりません。

私のエントリーにトラックバックしてきた方は、鳥越さんは市民派ジャーナリストであって、オーマイニュースは市民ジャーナリズムだから相容れないと、はじまってもいないものを看破されている方がいます。
私の市民記者としての経験から言っても、既存のジャーナリズムと市民参加型ジャーナリズムはある意味対極に位置するという感慨があります。

果たして鳥越編集長を迎えてオーマイニュース日本版はどうなるのか。勿論、一介の市民でしかない私が杞憂することに何ら意味はないのかもしれません。

しかし、インターネットが登場し、技術的には市民の意見が社会に発信できる可能性があるのに、それが達成されていない現状を打破するには、鳥越さんやオーマイニュースさんのところに無名の市民たちが結集するしかない。そのように痛切に思うのです。

そして、鳥越さんが市民であることは紛れもない事実であり、ニュースの職人であるとともに、一人の市民でいらっしゃる。そのことを念頭に置けば、あたらしいメディアの未来に何の問題もないと考えています。



オーマイニュースの掲げたスローガン「市民みんなが記者」は、健全なる民主主義のためにどうしても必要なものです。その達成のために、すべての市民が参加できるシステムをつくらなければならない。

いままで、市民参加型ジャーナリズムが不調をかこっているのも、それはメディア側は参加できるシステムの構築を誤った、または、怠った結果だと私は見ています。

ぜひとも、オーマイニュース日本版に関しては、そのような轍を踏まぬことを願ってやみません。
そこでまず考えなければならないことは以下の二点。

・市民みんなが記者になることは、可能なのか。
 ……可能ならば、そのために何をしなければならないのか。

・市民みんなが記者になったときに、問題は発生しないのか。
 ……問題があるならば、その問題を解決するにはどうすればいいのか。


この二つについて、具体的に論じていくことが重要だと考えています。



さて、本来は、順序だてて論述していかなければならないのですが、さしあたって大きな問題が発生しています。

それは、市民みんなが記者になったとき、市民記者媒体がカルト宗教の宣伝の場になる可能性を否定できないのではないか。という問題です。

いま、GripBlogというブログを運営していた泉あい氏がオウム疑惑をかけられて払拭しきれない状況が起きています。

また、彼女が立ち上げようとしていたネットジャーナリズム期間に現役オウム信者の関与があるとの指摘があります。

勿論、信教の自由の問題もあり、カルト宗教と普通の宗教の線引きをどこでするかという微妙な問題もあります。とはいえ、約30名もの命を奪った集団の言説が再び日本の言論社会に流れ出すという危険を感じずにはいられません。

最近では、佐々木さんというgoogleに関するヒット本をかかれた方が、関連記事を書いています。佐々木氏の文章は、オウムと大日本帝国を関連付けて論じられています。ある分析(060523)によると、その論理はオウムのプロパガンダの典型的な手法であると。ならば、そのサイトはすでにオウムのプロパガンダに一役買っている。
勿論、犯罪集団のオウムといえども、法廷では弁護人がつく。だから、彼らの言説を止めることはできないのかもしれません。しかし、オウム者もしくはオウム擁護派の人は、自らをそのような立場であることを明示して、言論をしなければならないと思うのです。


ヨガのセミナーだと思って参加した。すると、ヨガの元になっている思想だといわれ教理を教えられ、なんとなく納得した。こんどヨガの合宿にいかないか。と誘われた。行って見ると、オウムだった。最寄駅まで数十キロ。バスはない。日常生活と隔絶した環境の中で、洗脳が行われる…。

私は、泉氏と、泉氏の言説を乗せているネット会社に次の但し書きをまず載せることが、情報の受け手の利益に資するのではないかと、関連するテーマを追求しつづけるブログに書きました。

・市民記者である泉氏は「私はオウム者ではありません」と明示しながら活動すること。これは、疑惑に答えない彼女が、情報の受け手にもたらすべき自らの透明性であり、至誠。(勿論、事実であろうが、なかろうが…)

彼女に言論の場を与えるメディア企業は、「当社はかつて犯罪集団でありながら、いまだに謝罪・賠償を完結していないオウム者たちを言論者として認めません。当社は表現の自由を制限することを良しとはしませんが、日本社会の公序良俗の範囲内で一定の制限が加えられることには同意します。」との表明をすべきことだと思う。


日本の公序良俗に反するカルト宗教の範囲をどこに求めるのかは極めて難しい問題です。しかし、情報発信者が、自分の所属する団体を明示することによって、ある程度の問題発生の抑止効果が得られるのではないかと考えるのです。

勿論、カルト者かどうかは、媒体が把握していればいいだけの話で、あえて読み手に明示するほどのことはない。との考え方もあるかもしれません。

しかし、これまでの時事通信の湯川氏をはじめとする、さまざまな関係者の方々の軋轢を見ていると、それが賢明なこととはどうしても思えない。逆にいえば、オーマイニュース日本版が同じようなことをすれば、それは致命的なものになりかねない。と思い、ご指摘もうしあげる次第です。

 敬具。
 
 2006年5月24日 中村厚一郎(スポンタ)
2006/06/07のBlog



ガ島通信さんにおいて、オーマイニュース日本版の初代編集長に鳥越俊太郎さんが就任されるとの報に接して、このエントリーを書いています。

はじめまして。私はスポンタ中村というものです。

私はライブドア・パブリックジャーナリズムの初期の市民記者であり、JANJAN、ツカサネット、オーマイニュースインターナショナルの市民記者登録者です。しかしながら、現在は、書かざる市民記者ということで、ブログ上での言論を主に活動しています。私がライブドア・パブリックジャーナリズムで味わった蹉跌については、幻想の市民参加型ジャーナリズムにおいて、更新中です。このブログのエントリーたちは、鳥越さんがTBSの筑紫さんの番組での鼎談でも一緒に出演された時事通信社の湯川鶴章氏の「ネットは新聞を殺すのか」の続編への寄稿を前提にして書かれたものですが、出版社の意向により採用されませんでした。当初は出版をめざしましたが、無名の私にとりあう出版社はなく、とりあえずネット上でのリリースを開始しています。

さて、私は、「オーマイニュースの挑戦」という本を読むとともに、インターネット時代のジャーナリズムのあり方を考えるシンポジウム「ネット・ジャーナリズムの可能性」(毎日新聞社主催)にて、オ・ヨンホ氏の言説に感銘を受けております。

 当日の会場で、「日本で市民記者をやっているが、記事を書くと巨大掲示板などでバッシングされる。韓国ではどうしているのか」と客席から質問をしたのは私です。

シンポジウムのパネラーたちの共通認識は、フジテレビ買収に動いたライブドアへの反感も手伝ってか、「日本には、市民参加型ジャーナリズムは成立しない」というものでした。
※市民参加型ジャーナリズムというのは、時事通信の湯川さんの言葉です。市民参加型ニュースサイトでも等価だと思っています。
私は、オ・ヨンホさんの言うように、健全な民主主義のためには、選挙による代議制だけではなく、誰でも発言できることが必要だと思っています。簡単にいえば、誰でも参加できる24時間365日続いている「朝まで生テレビ」がインターネット上にあったらいい。そう夢想しています。
しかし、それがいかに難しいかということを、私はライブドアPJでのさまざまな失敗で経験しました。最近になって、オーマイニュースが日本に上陸すると知ったとき、私の失敗を無駄にしたくないと考え、知人たちにオーマイニュースの関係者を紹介してくれないか。と懇願しましたが、果たされることはありませんでした。

時事通信の湯川さんの話を総合すると、オーマイニュース日本版はNPOとのアライアンスを模索しているようですね。また、ガ島通信さんのところの報告によれば、既存のネットジャーナリズムとの連携を図っているようでもある。しかし、それらの殆どがメジャーな言論パワーとして社会的に認知されていない。だから、失敗体験として学ぶことはあっても、不用意に連携すると利益がもたらさないばかりか、脚をひっぱられることもある。そう、私は感じています。
早くも2ちゃんねるでは、オウム疑惑を払拭しきれない泉あい氏とその仲間たちと同席したことで、新しいメディアの未来を危惧する声がでています。

すでに新しいニュースサイトの骨組みはできてしまっているのかもしれません。しかし、私の失敗や挫折、そして、何よりも無名の市民に記事を書ける環境を整えるためにはどうすればよいかを身をもって経験している唯一の無名人・一般人である私の意見に耳をかしていただけませんでしょうか。
その論のほとんどは、このブログにエントリーしていますが、鳥越さんにむけての書簡という形で、市民参加型ジャーナリズムについて関心の薄い方にもわかりやすいように、改めてまとめることにします。

もし、オーマイニュース日本版の関係者、もしくは、鳥越氏に近しい人・お知り合いの方がいらっしゃったらば、私がネット上でそのような言論・書簡を書き続けていることをお伝え願えませんでしょうか。

みなさま、よろしくお願いもうしあげます。

敬具
 
 2006年5月23日 中村厚一郎(スポンタ)
2006/06/06のBlog
GripBlog・泉あい氏を契機にするさまざまなネット上の記述について、私はゴシップ(ミーハーな興味を満足させるだけであって、時代に進歩を促すような要因とならぬもの。)だと言って切り捨てていた。
たしかにゴシップな部分はある。だが、ゴシップでない部分もある。そして、それがネット上の言論について、とても重要な問題を示唆している。だから、ネットが自由な言論の場であることを主張する人は、すべてこの問題に加担すべきであって、無視する人は、今後のネットの自由な言論の場を論じる資格がないと、私は断ずる。

事態の経緯をまとめたブログがある。アルファーブロガーのアルファーとオウム真理教の新教団の名前のアレフは、第一という語義が同じであると指摘したことがある。ブログのタイトルが私の指摘と同じくしていたアレフブロガーの時代というものだったので、読んでみた。
起きたことを淡々と述べている。私には、論拠にあたる記述にあたって、書かれていることの真偽を確かめる緻密さも勤勉さもないが、この記述に対する当事者たちの反応を見ればだいたいのことは分かると楽観している。



私が思う、今回のGripBrog騒動のジャーナリスティックな価値(世論を形成して、あるべき社会のための動因となるべき情報の価値)は、次のようなものになる。

【序論】
かつて、京都大学はオウム真理教の布教活動の場として重要な役目を果たした。だが、京都大学は、罪に問われることはおろか、一切の謝罪・弁解をしていない。また、明確な予防策もとられていないと聞く。
きっと京都大学の大学関係者は、ユニバーシティー(宇宙)という理想の持つ、学問の自由・言論の自由・表現の自由などに縛られて身動きが取れないのだろう。


インターネットももうひとつのユニバーシティー(宇宙)である。

2ちゃんねるという自由な言論の場でさまざまなことが起きている。その管理者である西村博之氏は、そこで繰り広げられる言論の責任をとらされて、東京地裁に日参するとともに、莫大な賠償金を請求されているという。

言論の場の管理者が、損害賠償を求められるのならば、京都大学もオウム真理教の被害者たちから、賠償要求をされていいはず。もちろん、教室とキャンパスの違いはあり、責任の範囲も違ってくるのかもしれない。
だが、私にとっては、ソープランドで売春を提供するか。それともラブホテルで売春するかの違いとしか思えない。何故なら、出会いの場を提供するだけでも罪に問われる時代だからである。

【本論】
ネットジャーナリズムを立ち上げようとしたGripBlogが、カルト宗教を内包しているか、または、カルト宗教を内包しているとの疑惑を拭い去れない状況において、それらが、社会的に認知・機能されることが許されるのか。そういうものに協力・支援するものに罪はないのか。

※泉氏はお金がないのでスポンサーを探しているという。


これはゴシップではない。

カルトを含むメディアがその素性を明らかにせぬままに、自己を主張したり、支援を募るのは、社会悪である。そのために 2ちゃんねる諸氏は言説を繰り返している。
彼らが、支援しかけた湯川氏が糾弾するのも当然だと思う。



私はカルトを否定するものではない。家庭・家族などというものは、もっとも先鋭的なカルト集団である。ただ、自らがカルトであることを明確に内外に明示している。だから、許される。



GripBlogも設立草案にもブレインとして、M氏の氏名と経歴を載せればよかっただけの話だ。それをしない、できないというのでは、情報のメディアリテラシーに寄与しない・不誠実の謗りをまぬがれないのだ。

巨人ファンのために書かれるスポーツ報知。阪神ファンのために書かれるデイリースポーツ。
オウムファンも読んでるGripBlog。それでいいと思う。
もし、「スポーツ報知は日本のすべての野球ファンのために編集されています」とナベツネが言ったら、「うそつき」と、世の中から総スカンを食らうだろう。だから、ナベツネは言わない。だからと言って、GripBlogが同じことをしていいことにはならぬと、私は思う。

折角、関係者一同が会した「デジタル・ジャーナリズム研究会」である。
「インターネットジャーナリズムは、いかにカルトとつき合っていくか」について、有効な議論ができると信じている。ジャーナリズムの定義などと呑気な議論をしている場合ではないのだ。


こう書いてしまったので、もう第二回の研究会がオープンな環境で開催されることも、私に案内状が送られてくることはないでしょう。ま、それが良かったのかどうかは分からないが、しかたのないことですね。

第一回が、関係者だけのクローズドで開催されたのは、示唆的です。きっと問題の危うさを出席者のそれぞれが感じていたのでしょうね。



追記:2ちゃんねる採録
500 :スポ:2006/05/22(月)

アンポンタンな私は、「アレフブロガーの時代」を読んで、やっと分かった。
こいつは大問題だよ。

こうなった以上、デジ・ジャ研(略してみると既視感に似てる…)の第二回がオープンな環境で開催されるはずもないが、 もし、開催されるならば、「ネットジャーナリズムとカルト宗教の正しいおつきあいの仕方」について、指弾したいと思います。

結局、これって、ニフティーサーブのフォーラムが荒れたときからの問題だったんだよね。
ブログで母集団が増えたことに浮かれてないで、原点に戻ろう。そういうことだな。