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2006/07/30のBlog
[ 09:48 ]
ここからいけます。ちなみに、写真はホリエモン(パネル)と、2ちゃんねるの西村博之氏(実物)との記念写真。
2006/07/15のBlog
2006/06/15のBlog
[ 08:12 ]
東京都三多摩地区の共産党シンパの両親の家に生まれた。60年安保では母親の背中でデモに参加し、ニュースフィルムに登場したらしい。
小中高と公立学校に学び、大学受験に挫折する。
スポンタは、放任主義の父親に育てられたと、苦々しく自分の幼少期を振り返る。
父親の放任主義にはデカダン(厭世観)が含まれていた。青春前期の彼は、他者について悪態をつき続ける父親を見て育ち、人間不信に陥っていた。父親に植えつけられたデカダンは、ボディーブロウのように彼の精神の底に沈殿した。
その後、スポンタは今村昌平の映画学校(現・日本映画学校)に学ぶ。
「人間が好きだ。と言って憚らない映画学校の人たちを見て驚いた。人間が好きだから、人間を描く。そのようなことを私はできない」。スポンタは映画監督を志望しながらも、自らの未来をCM科に席を置いた。彼は幼い頃、テレビドラマ「奥様の魔女」のファンだったから、主人公のダーリンの職業に憧れていたのだ。と嘯いているが、それは戯言である。
彼が何故、日活の映画監督の独立系プロダクションに入社したのかは定かではない。単なる運命のいたずらだったのかもしれない。スポンタはそこで演劇に出会う。芝居の製作過程に立ち会うことにより、演技の本質をおぼろげながら体得することになる。その後、テレビ番組、ラジオ番組、プロモーションビデオなどの現場に加わる。プロダクションを5年ほどで退社後、シナリオ作家と活動をともにする時期を経て、ビジネスイベントとビジネスビデオを制作するプロダクションに入社する。彼はここで晴れてディレクターとなり、各種ビデオをつくることになる。このプロダクションは、彼が入社後数年で倒産する。スポンタは倒産半年前に、退社しフリーランスのディレクターとして活動を開始した。
彼がインターネットとの関わりを最初に持ったのは1997年、「マピオン」の広告主獲得用プロモーションビデオ。雇い主の担当者は、インターネットショッピングモールの失敗を経験していて、新しい地図サイトの立ち上げに腐心していた。当時のスポンタは、ネットスケープナビゲータとインターネットエクスプローラーの違いも理解していなかった。
ブロードバンド元年ともいえる2000年。スポンタは、インプレスTVのストリーミング番組「インターネットウォッチプラス」のディレクターとなる。彼は、IT情報が集まるインプレス社の空気に触れる。番組の中で、当時、インターネットウォッチの編集者だった岡田大助氏とメインキャストが「逝ってよろしい。お前もな」と、絶叫させたのは、スポンタの2ちゃんねる讃美論の原点といえるかもしれぬ。
2005年、ホリエモンのニッポン放送大量株入手騒動の中で、スポンタは週刊アスキーの歌田氏のコラムで、ライブドアのパブリックジャーナリズムを立ち上げたことを知り、応募する。
2005年3月は毎日のように市民記者としての記事をあげ、その月末には2ちゃんねるバッシング。ライブドアの市民メディアも、執拗な2ちゃんねるからの批判を受け、その中で、市民記者たちは市民メディアに対する改善提案を積極的にしはじめる。しかし、その議論の場になった関係者向けの掲示板の情報が2ちゃんねるに漏れたことから掲示板も閉鎖される。当時のスポンタは次のように言明している。
「自由という概念は、不自由である自由というを許容しない。ならば、自由という概念は矛盾を孕んでおり、多様性の許容という概念が適当だと思われる」。何故、彼がそのようなことを吐いたのか、その理由は明解である。新しい市民メディアは、無名な市民たちの言論を抽出するためにあるのではなく、既存のマスコミから片隅に追いやられた人たちが既存メディアへの対抗心をむき出しにする場所として成立していたからだ。彼らは国家権力などとすぐに口にする。だが、民主主義の国家において、権力が民衆の対立概念と単純に言ってすまされるような時代ではない。そもそも自由とは絶対主義時代の概念であって、民主国家で通用するような言葉ではない。
その後、同僚の市民記者有志とmixi上で徒党を組むもさまざまな意見の対立から瓦解。たまらず、パブリックジャーナリズムに対する批判を自らのブログに掲載するや、物議をかもし、以後、スポンタの記事はライブドアの主宰者の方針により一切掲載されぬ処分となる。
その騒動の中で、スポンタは時事通信社の湯川鶴章氏と出会う。
初めて会った時事通信社の食堂で、スポンタは次のようにいっている。
「取材対象との距離を必要とするジャーナリズムは、他者の悲しみさえも自分の悲しみとする市民感情とは相容れない」。市民参加型ジャーナリズムを提唱する湯川氏に投げかけた言葉は、既存のジャーナリズムの延長線上に、市民が発言する新しいメディアがないことを暗示していた。だが、そのことを当時の彼はまだ気づいていなかった。彼は、韓国で成功したというオーマイニュースの日本上陸に期待していた。当時彼は、MSNが主催したシンポジウム「ネット・ジャーナリズムの可能性」に姿をみせていた。一般からの質問コーナーでは、自らがライブドアの市民記者だったことを明かし、ネットバッシンクが市民発信の障害にならぬのかと、オ・ヨンホ氏に質問している。
その後、スポンタは市民新聞JANJANにいくつかの記事をあげている。そして、2006年3月11日、JANJANの市民記者交流会に参加している。この会の懇親会で彼は2ちゃんねるの西村博之氏と記念写真に納まっている。有名人と会ってこれほど嬉しがるのはとても珍しいことだ。
この会のシンポジウムで彼はひどく憤っていた。一つは、パネラーの一人の下村健一氏が「市民メディアのアイデンティティーは、商業的でないこと」と会を締めくくったこと。もうひとつは、JANJANの編集者のトップが、「市民記者を育てる」と言って憚らなかったことである。
たしかにJANJANは非商業的ではある。だが、そのために所謂プロ市民と揶揄される人たちの言論の主戦場と化している。これでは一般市民の感情との乖離は埋められるべくもない。もうひとつの問題は、市民記者になってしまった市民は、もう市民といえないのではないか。という問題である。彼は「魚屋のご主人が魚屋のご主人のまま記事を書くことが重要だ」と説いている。マイクを向けられたり、スポットライトがあったときに、個が変容してしまう。それは自然なことであり、マイクやスポットライトが介在しないで言論できるシステムが必要なのだと、彼はこの時、気づくのである。
そして、彼は、言論の最小単位として、「主体、文体、意志」という3つの構成要素を定義した。
言論の最小単位
主体:実名・固定ハンドルネームが必要。
...つまり、棄てハンドルネーム・匿名でないことが求められていた。
文体:国語力を必要とする。
...国語力がないものは事実上発信できない。
意志:未来への意思表示。Yes or No.
...賛成・反対だけの意見は言論として認められなかった。
※従来のメディアでは、基本的にこの3つの要素を兼ね備えることが情報発信者に求められていた。また、表面的な摩擦を恐れて、意志を表示しない発信も多く、言論の希釈効果に一役かっていた。
3つのうちどれか一つさえあれば、発信できる。...私は理想を語っているのではない。リアリズムなのだ。
いままで、3つが揃わないと言論する資格がなかった。だが、スポンタは、そのうちの一つでもしれば、それは言論として成立する。そして、1/3のものが統合(インテグレート)することによって、言論が成立していけばよいと諭している。
市民参加型ジャーナリズムにおけるジャーナリストの役割とは、インテグレートすることであると、既存のメディア人たちに期待している。
彼は、ジャーナリズムについて次のように定義している。
「ジャーナリズムとは、世論を形成するものである」。その点において、ニュースとは異なる。ニュースはそれ自体が、世論を生成し、日本の健全な民主主義の有効なリファレンス(参考資料)とあることを義務づけられていない。日本の既存メディアは明治期の言論統制を経て、言論の希釈システムとして機能するようにできている。それは民族的に同質性の高い文化の中ではある意味しかたないことだという。
市民ニュースと、市民参加型ジャーナリズムは決定的に違う。そのことを踏まえた上で、スポンタは市民参加型ジャーナリズムの5つの段階を提唱する。
物いへば唇寒し秋の風では、市民は発言をしなくなる。スポンタの危惧が次の5段階という概念を生み出した。
市民参加型ジャーナリズムの5つのフェイズ(段階)。
1. オープン(誰でも参加できる。新たに加わった人を最優先する)、
2. トランスペアレンシー(運営や編集の都合が外部の人にも分かる)、
3. インテグレート(集まった記事をそのままほったらかしにするのではなく、それぞれを比較・対照・総合することによって情報の価値を高める)、
4. オーソライズ(集まった情報を、メディアの御墨付きとして発信する、情報のよりどころとなる)、
5. アクション(情報が社会に機能するための努力をする。働きかけをする。)
その他、スポンタの重要な用語の一つとして、「ステークホルダー(利害関係者)」がある。彼がこの語を使うのは、ステークホルダーであることを責めるのではなく、ステークホルダーには単に発言権がないと指摘するだけのことだ。
スポンタはステークホルダーたちが日本の未来を決めていくことに危うさを感じている。そしてこうも言う。
「日本の平和憲法はアメリカが作った。だけどアメリカが偉いわけじゃない。彼らが日本社会のステークホルダーでなかっただけだ。彼らがステークホルダーである自国では市民から拳銃を取り上げることすらできない」
もうひとつ、スポンタの重要な視点として、コミュニケーションへの疑問がある。
「差分のないもの同志がコミュニケーションしても、それはコミュニケーションではない。アイランド現象(閉じたコミュニティーでの馴れ合い)だ」
「コピイ&ペイストが一般的な現代において、他者の中に自分の言説を見つけて嬉しがったり・楽しんだりすることに価値はない。あるべきコミュニケーションとは、差分のある個同士が情報を交換し、それぞれの個が、新たなる自分と出会うことだ」
スポンタは、ボストモダンの現代思想が、孤立論や逃走論で頓挫していることを嘆いている。そして、ポストモダンの先にあるべき思潮は、「個は揺ぎ無い個として存在すべきであり、そういう個をインテグレート(言論を対照すること)により、言論は社会にアクティブに関わるべし」ということに尽きると、指摘してし続ける。
スポンタは、市民参加型ジャーナリズムを生み出そうとしている。その形は彼の頭の中では形をなしているが、それが社会で相似形を生むのはいつのことになるのだろうか。
その手がかりとして、まずはネット上で形を生まなければならないのだが、それさえも覚束ない。
それが、2006年初夏である。
..............2006.05.30 (本人が倫理用語集のスタイルをもじって記す。wwww
追記:
2006年7月、東京財団にて研究会に出席。
・インターネットはすでにオルタナティブメディアではなく、ネットジャーナリズムは、オルタナティブジャーナリズムではないと確信する。(ネットはオルタナティブメディアとする本を読む…。)
・2ちゃんねるはリゾーム(地下茎)であると気づく。(現代思想の行方を探りながら…。)
・リゾーム(地下茎)に対称するツールとして、バイン(葡萄の木)の必要性を感じる。
・それを平成目安箱として、安倍晋三氏に提案。
2006年8月。メディアの時代が終わり、P2Pの時代が到来することを確信する。(プレスセンターのパネルディスカッションに接し)
☆
現在は、真理谷円四郎的議論とゲーム理論の有用性について考えている。
スポンタ的思考の原点は禅なるものであり、フラットについては戦国時代を、ヒエラルキーについては江戸時代に範を求めればよいと感じている。
...............2006年10月19日追記。
12月:
コミュニティー進化論(異分子の考察)・コミュニケーション論(トリガー・トリビア)
2007年
1月:
ネット時代のジャーナリストと市民記者
2月:
「冬のソナタ・四月の雪」アナリーゼ
3月:
カテドラル、バザールそして、P2P論(インテグレート篇)
4月:
新聞人の皆様へ。
グーグル・クローズドアルゴリズムロボット論。
5月:アルゴリズム論。5/25:新聞労働組合連合「ネットは新聞に何をつきつけているか」シンポジウム登壇。
6月:単一アルゴリズムの専横とフラットなアルゴリズムの弊害。
7月15日:「サイバージャーナリズム論・「それから」のマスメディア」(ソフトバンク新書)発売。
Youtubeは、コンテンツに重要度のメタタグをつける権利をユーザーに与えたことにより、画期的である。これにより、「視聴者編成参加型番組」が可能になる。
コンテンツ発信者がコンテンツに君臨する時代が終わる。
プラスチックな時代。プラスチックジャーナリズム。
P2Pコミュニケーションにおける、コンテンツの可塑性(プラスチック)の関与。
マテリアル(記事)・形状(論調)・パッケージ(メディア)を明確に意思的した分析。
9月:SI企業に就職。放送と通信について考える。
10月:インテグレートとアルゴリズムについて考える。全数検索とサンプリング…。
11月:線分コミュニケーション、集合コミュニティーについて考える。
12月:放送と通信の融合とは、メディアとコミュニティーの融合だと気づく。そして、非オーソライズメディアが存在することも…。否、すべてはコミュニティー内の現象であり、そこに権威者がいるかどうか。権威の有様が、メディアとコミュニティーの違いである。
小中高と公立学校に学び、大学受験に挫折する。
スポンタは、放任主義の父親に育てられたと、苦々しく自分の幼少期を振り返る。
父親の放任主義にはデカダン(厭世観)が含まれていた。青春前期の彼は、他者について悪態をつき続ける父親を見て育ち、人間不信に陥っていた。父親に植えつけられたデカダンは、ボディーブロウのように彼の精神の底に沈殿した。
その後、スポンタは今村昌平の映画学校(現・日本映画学校)に学ぶ。
「人間が好きだ。と言って憚らない映画学校の人たちを見て驚いた。人間が好きだから、人間を描く。そのようなことを私はできない」。スポンタは映画監督を志望しながらも、自らの未来をCM科に席を置いた。彼は幼い頃、テレビドラマ「奥様の魔女」のファンだったから、主人公のダーリンの職業に憧れていたのだ。と嘯いているが、それは戯言である。
彼が何故、日活の映画監督の独立系プロダクションに入社したのかは定かではない。単なる運命のいたずらだったのかもしれない。スポンタはそこで演劇に出会う。芝居の製作過程に立ち会うことにより、演技の本質をおぼろげながら体得することになる。その後、テレビ番組、ラジオ番組、プロモーションビデオなどの現場に加わる。プロダクションを5年ほどで退社後、シナリオ作家と活動をともにする時期を経て、ビジネスイベントとビジネスビデオを制作するプロダクションに入社する。彼はここで晴れてディレクターとなり、各種ビデオをつくることになる。このプロダクションは、彼が入社後数年で倒産する。スポンタは倒産半年前に、退社しフリーランスのディレクターとして活動を開始した。
彼がインターネットとの関わりを最初に持ったのは1997年、「マピオン」の広告主獲得用プロモーションビデオ。雇い主の担当者は、インターネットショッピングモールの失敗を経験していて、新しい地図サイトの立ち上げに腐心していた。当時のスポンタは、ネットスケープナビゲータとインターネットエクスプローラーの違いも理解していなかった。
ブロードバンド元年ともいえる2000年。スポンタは、インプレスTVのストリーミング番組「インターネットウォッチプラス」のディレクターとなる。彼は、IT情報が集まるインプレス社の空気に触れる。番組の中で、当時、インターネットウォッチの編集者だった岡田大助氏とメインキャストが「逝ってよろしい。お前もな」と、絶叫させたのは、スポンタの2ちゃんねる讃美論の原点といえるかもしれぬ。
2005年、ホリエモンのニッポン放送大量株入手騒動の中で、スポンタは週刊アスキーの歌田氏のコラムで、ライブドアのパブリックジャーナリズムを立ち上げたことを知り、応募する。
2005年3月は毎日のように市民記者としての記事をあげ、その月末には2ちゃんねるバッシング。ライブドアの市民メディアも、執拗な2ちゃんねるからの批判を受け、その中で、市民記者たちは市民メディアに対する改善提案を積極的にしはじめる。しかし、その議論の場になった関係者向けの掲示板の情報が2ちゃんねるに漏れたことから掲示板も閉鎖される。当時のスポンタは次のように言明している。
「自由という概念は、不自由である自由というを許容しない。ならば、自由という概念は矛盾を孕んでおり、多様性の許容という概念が適当だと思われる」。何故、彼がそのようなことを吐いたのか、その理由は明解である。新しい市民メディアは、無名な市民たちの言論を抽出するためにあるのではなく、既存のマスコミから片隅に追いやられた人たちが既存メディアへの対抗心をむき出しにする場所として成立していたからだ。彼らは国家権力などとすぐに口にする。だが、民主主義の国家において、権力が民衆の対立概念と単純に言ってすまされるような時代ではない。そもそも自由とは絶対主義時代の概念であって、民主国家で通用するような言葉ではない。
その後、同僚の市民記者有志とmixi上で徒党を組むもさまざまな意見の対立から瓦解。たまらず、パブリックジャーナリズムに対する批判を自らのブログに掲載するや、物議をかもし、以後、スポンタの記事はライブドアの主宰者の方針により一切掲載されぬ処分となる。
その騒動の中で、スポンタは時事通信社の湯川鶴章氏と出会う。
初めて会った時事通信社の食堂で、スポンタは次のようにいっている。
「取材対象との距離を必要とするジャーナリズムは、他者の悲しみさえも自分の悲しみとする市民感情とは相容れない」。市民参加型ジャーナリズムを提唱する湯川氏に投げかけた言葉は、既存のジャーナリズムの延長線上に、市民が発言する新しいメディアがないことを暗示していた。だが、そのことを当時の彼はまだ気づいていなかった。彼は、韓国で成功したというオーマイニュースの日本上陸に期待していた。当時彼は、MSNが主催したシンポジウム「ネット・ジャーナリズムの可能性」に姿をみせていた。一般からの質問コーナーでは、自らがライブドアの市民記者だったことを明かし、ネットバッシンクが市民発信の障害にならぬのかと、オ・ヨンホ氏に質問している。
その後、スポンタは市民新聞JANJANにいくつかの記事をあげている。そして、2006年3月11日、JANJANの市民記者交流会に参加している。この会の懇親会で彼は2ちゃんねるの西村博之氏と記念写真に納まっている。有名人と会ってこれほど嬉しがるのはとても珍しいことだ。
この会のシンポジウムで彼はひどく憤っていた。一つは、パネラーの一人の下村健一氏が「市民メディアのアイデンティティーは、商業的でないこと」と会を締めくくったこと。もうひとつは、JANJANの編集者のトップが、「市民記者を育てる」と言って憚らなかったことである。
たしかにJANJANは非商業的ではある。だが、そのために所謂プロ市民と揶揄される人たちの言論の主戦場と化している。これでは一般市民の感情との乖離は埋められるべくもない。もうひとつの問題は、市民記者になってしまった市民は、もう市民といえないのではないか。という問題である。彼は「魚屋のご主人が魚屋のご主人のまま記事を書くことが重要だ」と説いている。マイクを向けられたり、スポットライトがあったときに、個が変容してしまう。それは自然なことであり、マイクやスポットライトが介在しないで言論できるシステムが必要なのだと、彼はこの時、気づくのである。
そして、彼は、言論の最小単位として、「主体、文体、意志」という3つの構成要素を定義した。
言論の最小単位
主体:実名・固定ハンドルネームが必要。
...つまり、棄てハンドルネーム・匿名でないことが求められていた。
文体:国語力を必要とする。
...国語力がないものは事実上発信できない。
意志:未来への意思表示。Yes or No.
...賛成・反対だけの意見は言論として認められなかった。
※従来のメディアでは、基本的にこの3つの要素を兼ね備えることが情報発信者に求められていた。また、表面的な摩擦を恐れて、意志を表示しない発信も多く、言論の希釈効果に一役かっていた。
3つのうちどれか一つさえあれば、発信できる。...私は理想を語っているのではない。リアリズムなのだ。
いままで、3つが揃わないと言論する資格がなかった。だが、スポンタは、そのうちの一つでもしれば、それは言論として成立する。そして、1/3のものが統合(インテグレート)することによって、言論が成立していけばよいと諭している。
市民参加型ジャーナリズムにおけるジャーナリストの役割とは、インテグレートすることであると、既存のメディア人たちに期待している。
彼は、ジャーナリズムについて次のように定義している。
「ジャーナリズムとは、世論を形成するものである」。その点において、ニュースとは異なる。ニュースはそれ自体が、世論を生成し、日本の健全な民主主義の有効なリファレンス(参考資料)とあることを義務づけられていない。日本の既存メディアは明治期の言論統制を経て、言論の希釈システムとして機能するようにできている。それは民族的に同質性の高い文化の中ではある意味しかたないことだという。
市民ニュースと、市民参加型ジャーナリズムは決定的に違う。そのことを踏まえた上で、スポンタは市民参加型ジャーナリズムの5つの段階を提唱する。
物いへば唇寒し秋の風では、市民は発言をしなくなる。スポンタの危惧が次の5段階という概念を生み出した。
市民参加型ジャーナリズムの5つのフェイズ(段階)。
1. オープン(誰でも参加できる。新たに加わった人を最優先する)、
2. トランスペアレンシー(運営や編集の都合が外部の人にも分かる)、
3. インテグレート(集まった記事をそのままほったらかしにするのではなく、それぞれを比較・対照・総合することによって情報の価値を高める)、
4. オーソライズ(集まった情報を、メディアの御墨付きとして発信する、情報のよりどころとなる)、
5. アクション(情報が社会に機能するための努力をする。働きかけをする。)
その他、スポンタの重要な用語の一つとして、「ステークホルダー(利害関係者)」がある。彼がこの語を使うのは、ステークホルダーであることを責めるのではなく、ステークホルダーには単に発言権がないと指摘するだけのことだ。
スポンタはステークホルダーたちが日本の未来を決めていくことに危うさを感じている。そしてこうも言う。
「日本の平和憲法はアメリカが作った。だけどアメリカが偉いわけじゃない。彼らが日本社会のステークホルダーでなかっただけだ。彼らがステークホルダーである自国では市民から拳銃を取り上げることすらできない」
もうひとつ、スポンタの重要な視点として、コミュニケーションへの疑問がある。
「差分のないもの同志がコミュニケーションしても、それはコミュニケーションではない。アイランド現象(閉じたコミュニティーでの馴れ合い)だ」
「コピイ&ペイストが一般的な現代において、他者の中に自分の言説を見つけて嬉しがったり・楽しんだりすることに価値はない。あるべきコミュニケーションとは、差分のある個同士が情報を交換し、それぞれの個が、新たなる自分と出会うことだ」
スポンタは、ボストモダンの現代思想が、孤立論や逃走論で頓挫していることを嘆いている。そして、ポストモダンの先にあるべき思潮は、「個は揺ぎ無い個として存在すべきであり、そういう個をインテグレート(言論を対照すること)により、言論は社会にアクティブに関わるべし」ということに尽きると、指摘してし続ける。
スポンタは、市民参加型ジャーナリズムを生み出そうとしている。その形は彼の頭の中では形をなしているが、それが社会で相似形を生むのはいつのことになるのだろうか。
その手がかりとして、まずはネット上で形を生まなければならないのだが、それさえも覚束ない。
それが、2006年初夏である。
..............2006.05.30 (本人が倫理用語集のスタイルをもじって記す。wwww
追記:
2006年7月、東京財団にて研究会に出席。
・インターネットはすでにオルタナティブメディアではなく、ネットジャーナリズムは、オルタナティブジャーナリズムではないと確信する。(ネットはオルタナティブメディアとする本を読む…。)
・2ちゃんねるはリゾーム(地下茎)であると気づく。(現代思想の行方を探りながら…。)
・リゾーム(地下茎)に対称するツールとして、バイン(葡萄の木)の必要性を感じる。
・それを平成目安箱として、安倍晋三氏に提案。
2006年8月。メディアの時代が終わり、P2Pの時代が到来することを確信する。(プレスセンターのパネルディスカッションに接し)
☆
現在は、真理谷円四郎的議論とゲーム理論の有用性について考えている。
スポンタ的思考の原点は禅なるものであり、フラットについては戦国時代を、ヒエラルキーについては江戸時代に範を求めればよいと感じている。
...............2006年10月19日追記。
12月:
コミュニティー進化論(異分子の考察)・コミュニケーション論(トリガー・トリビア)
2007年
1月:
ネット時代のジャーナリストと市民記者
2月:
「冬のソナタ・四月の雪」アナリーゼ
3月:
カテドラル、バザールそして、P2P論(インテグレート篇)
4月:
新聞人の皆様へ。
グーグル・クローズドアルゴリズムロボット論。
5月:アルゴリズム論。5/25:新聞労働組合連合「ネットは新聞に何をつきつけているか」シンポジウム登壇。
6月:単一アルゴリズムの専横とフラットなアルゴリズムの弊害。
7月15日:「サイバージャーナリズム論・「それから」のマスメディア」(ソフトバンク新書)発売。
Youtubeは、コンテンツに重要度のメタタグをつける権利をユーザーに与えたことにより、画期的である。これにより、「視聴者編成参加型番組」が可能になる。
コンテンツ発信者がコンテンツに君臨する時代が終わる。
プラスチックな時代。プラスチックジャーナリズム。
P2Pコミュニケーションにおける、コンテンツの可塑性(プラスチック)の関与。
マテリアル(記事)・形状(論調)・パッケージ(メディア)を明確に意思的した分析。
9月:SI企業に就職。放送と通信について考える。
10月:インテグレートとアルゴリズムについて考える。全数検索とサンプリング…。
11月:線分コミュニケーション、集合コミュニティーについて考える。
12月:放送と通信の融合とは、メディアとコミュニティーの融合だと気づく。そして、非オーソライズメディアが存在することも…。否、すべてはコミュニティー内の現象であり、そこに権威者がいるかどうか。権威の有様が、メディアとコミュニティーの違いである。
2006/06/12のBlog
6月から、駐車違反の関する業務が民間委託されるとともに、発見・即違反という判断が下されるようになるという。だが、近くに駐車場がない場合もある。客待ち・荷待ち・荷物の積み下ろしなどで、駐車と停車の境目は曖昧だ。「花より男子」のF4の御曹司のように、運転手つきの車を持っていればいいが、そんなことは望むべくもない。結局のところ、弱いものいじめの法律の施行でしかない。
しかし、それよりもびっくりするのは、警察や行政などの取り締まる側の人間のテレビでの発言だ。
曰く、「めりはりのついた規制を行う」。
つまり、交通の迷惑になる場所や繁華街などの規制と、その他の地域の規制のレベルを違えることで、文句のでないような運用を心がけるということだろう。
だが、この発言が法の下の平等を謳う日本国憲法に違反していることは明らかだ。何故、そのことをマスコミ人は指摘しないのか。…理解に苦しむ。
善意で解釈すれば、下記のよう。
警察から権限を委譲された民間人が、警察から指示されたルールにのっとって違反切符を切る。
だが、それを最悪のケースを持って、表現すると、
警察権力をたてに、いばりくさったオッサンが、その日の気分のうさばらしに、違反切符を切りまくる。
そういうことが起きないとも限らない。
市民たちよ。立ち上がれ。そして、新しい法律に抵抗せよ。PSE法案と同じような運命を、この法律にもたらせ。
そのための近道は、駐車禁止業務の委託する民間人に善良なる市民が応募することだ。そして、その悪事を暴け。私は市民を信じている。民間委託とはそういうことだ。図らずも、警察内のできごとが、衆目のもとにさらされるのだ。そう思えば、けっして悪いことではない。
勿論、既存のマスコミが民間人になりすまして(最初っから民間人だが…)、委託業務に潜入し内部告発するのも良し。いやぁ…、日本の未来は明るいぞ。
しかし、それよりもびっくりするのは、警察や行政などの取り締まる側の人間のテレビでの発言だ。
曰く、「めりはりのついた規制を行う」。
つまり、交通の迷惑になる場所や繁華街などの規制と、その他の地域の規制のレベルを違えることで、文句のでないような運用を心がけるということだろう。
だが、この発言が法の下の平等を謳う日本国憲法に違反していることは明らかだ。何故、そのことをマスコミ人は指摘しないのか。…理解に苦しむ。
善意で解釈すれば、下記のよう。
警察から権限を委譲された民間人が、警察から指示されたルールにのっとって違反切符を切る。
だが、それを最悪のケースを持って、表現すると、
警察権力をたてに、いばりくさったオッサンが、その日の気分のうさばらしに、違反切符を切りまくる。
そういうことが起きないとも限らない。
市民たちよ。立ち上がれ。そして、新しい法律に抵抗せよ。PSE法案と同じような運命を、この法律にもたらせ。
そのための近道は、駐車禁止業務の委託する民間人に善良なる市民が応募することだ。そして、その悪事を暴け。私は市民を信じている。民間委託とはそういうことだ。図らずも、警察内のできごとが、衆目のもとにさらされるのだ。そう思えば、けっして悪いことではない。
勿論、既存のマスコミが民間人になりすまして(最初っから民間人だが…)、委託業務に潜入し内部告発するのも良し。いやぁ…、日本の未来は明るいぞ。
2006/06/11のBlog
[ 11:44 ]
ダヴィンチコードの本を読んだ。推理小説ではない。日本文芸社から出ている「オール図解・30分で分かるダ・ヴィンチの暗号と謎」である。
推理小説がどういう謎かけをやっているのかわからないので詳細は書かぬことにするが、歴史の中で、為政者と教会の都合によって聖書は改ざんされ続け、実在した人間イエスとその周りで実際に起きたことと大きく隔たっている。そのことをダヴィンチは暗号にしたのだろう。
500年前のできごとであり、かの国の言語であり、かの国の宗教。だから、暗号が難しく感じるかもしれないが、最後まで読んでいくと、とっても分かりやすい暗号だと思えてくる。
ワイハといえば、ハワイのことだし、アタリッパといえばスリッパだ。
大将といえば欽ちゃん、若といえばさんまさん、殿といえばビートたけし。そんな分かりやすい符丁のような暗号。
若や殿や大将とみんなが口に出して言っていても、そういう文献はほとんどないだろうから、何世代か後の後世の人はなかなか分からない。そんな感じだ。
つまり、ダ・ヴィンチ時代、暗号は暗号ではなく、風刺画だった。つまり、歌舞伎界が大石蔵之助ではなくオオボシユラノスケとしたのと同じようなこと。体制が怖くで誰も口には出さなかったけど、みんな知っていた。
そう直感する。
そう考えてくると、多神教が進化した形が一神教だと言ったマルクスの意図が見えてくる。進化したのではない。退化させたのだ。
為政者が人民を統治するために宗教を利用した。統治するために一番効果的な宗教は、創造神も救世主も諸霊もひっくるめた絶対的な一神教である。
だが、それは為政者(教会を含む)の拵え物にすぎず、ご都合主義に満ちている。リアルな人間や自然の有様とはかくも隔たっている。
レオナルド・ダ・ヴィンヂが、軍事技術や生命の実体について研究しつづけたのも、リアルな世界と教会がつくった聖書の世界の亀裂を世の中に暗示していくためだったのだろう。
彼はトランスジェンダー(男色者)らしいが、それが異端とされ、教会から危うく処刑される危機に遭遇したという。彼の才能を惜しむ、メディチ家によって、彼は生き延びたが、それが彼のトラウマとしてどう残ったのだろうか。一度失った人生だもの。との思いで、余生を過ごした可能性は高い。
☆
さて、明治初年。日本の秀才たちは、ヨーロッパを歴訪し、多くを学んだ。そして、科学技術だけでなく、国家体制についても多くを学び取った。歴史の教科書では、「ドイツの立憲君主制が、天皇制を存続してきた日本に合致している」として、ドイツの法制が取り入れられたというが、それだけではないだろう。
ヨーロッパの国家・文化・技術に学んだ彼らが、キリスト教の本質を学ばなかったはずはない。
近代国家をつくろうとしてヨーロッパを歴訪した人たちは、その国のトップクラスの人たちとであったはずだ。彼らが、フリーメイソンや秘密結社の人たちの情報とであった可能性は高い。(フリーメイソンの日本支部には、日本のトップが出入りしていたという記述もあるという…)
そういうトップクラスの人たちと出会わなかった人、そういう立場の人が、キリスト教の教義を表面的に感動し、日本にキリスト教を教育指針にした学校たちをつくっていったと、私には思えてならない。
※余談だが、カミサンは、その種の女学校で学び、無謀にも、宗教の時間に教員に論争をしかけ、赤点すれすれの報復を受けたという。
だが、秘密結社の情報に接し、キリスト教の正統と異端の双方を知ることになった日本のVIPたちは、日本に帰って何をしたか。
彼らは、日本国家をヨーロッパ諸国のような堅固なものとするために、天皇を神格化したのである。逆説のようで、おもしろいのだが、日本の社会にとって、「天皇の神格化は近代化の一つだった」のだ。
薩長の人たちは、天皇に対してかしこまってはいたが、天皇を神として信じていたわけではない。
シャーマンではあったろうが、ゴッドではなかったはずだ。
会議などで天皇と面識があり、晩餐会などで食事をともにすれば、そう感じるのは当然のことだ。
だが、天皇を人ではなく、神とあがめることによって、国家の求心力が高まる。当時の日本人が、ヨーロッパの歴史に学ぶことに躊躇する気持ちは微塵もなかったのだろう。
だが、そのようなたくらみには無理がある。
第二次世界大戦が敗北で終わると、天皇の神格否定が行われ、天皇は人間であるという、至極当たり前のことが起きた。
しかし、ヨーロッパ社会は悲しいかな、やっと、映画によって、「キリストは人間であった」と、広く知られるようになった。(勿論、異論はつきないが…。)
☆
一神教は、国家の求心力を加速するためのツールである。そのことをようやくヨーロッパ社会も公に論議できる時代になったようだ。
日本は多神教の国である。
たしかに、一神教を模索した明治時代があった。だが、それは敗戦とともに一瞬のうちに消え去った。
あのとき、もしマッカーサーが天皇制を否定していたらどうなっていたのだろうか。
きっと、宗教とは別のフェイズの一神教がはびこって、世の中は混乱していたに違いない。
天皇は人間であり、日本は多神教の国である。
その歴史的価値を見失ってはいけない。
推理小説がどういう謎かけをやっているのかわからないので詳細は書かぬことにするが、歴史の中で、為政者と教会の都合によって聖書は改ざんされ続け、実在した人間イエスとその周りで実際に起きたことと大きく隔たっている。そのことをダヴィンチは暗号にしたのだろう。
500年前のできごとであり、かの国の言語であり、かの国の宗教。だから、暗号が難しく感じるかもしれないが、最後まで読んでいくと、とっても分かりやすい暗号だと思えてくる。
ワイハといえば、ハワイのことだし、アタリッパといえばスリッパだ。
大将といえば欽ちゃん、若といえばさんまさん、殿といえばビートたけし。そんな分かりやすい符丁のような暗号。
若や殿や大将とみんなが口に出して言っていても、そういう文献はほとんどないだろうから、何世代か後の後世の人はなかなか分からない。そんな感じだ。
つまり、ダ・ヴィンチ時代、暗号は暗号ではなく、風刺画だった。つまり、歌舞伎界が大石蔵之助ではなくオオボシユラノスケとしたのと同じようなこと。体制が怖くで誰も口には出さなかったけど、みんな知っていた。
そう直感する。
そう考えてくると、多神教が進化した形が一神教だと言ったマルクスの意図が見えてくる。進化したのではない。退化させたのだ。
為政者が人民を統治するために宗教を利用した。統治するために一番効果的な宗教は、創造神も救世主も諸霊もひっくるめた絶対的な一神教である。
だが、それは為政者(教会を含む)の拵え物にすぎず、ご都合主義に満ちている。リアルな人間や自然の有様とはかくも隔たっている。
レオナルド・ダ・ヴィンヂが、軍事技術や生命の実体について研究しつづけたのも、リアルな世界と教会がつくった聖書の世界の亀裂を世の中に暗示していくためだったのだろう。
彼はトランスジェンダー(男色者)らしいが、それが異端とされ、教会から危うく処刑される危機に遭遇したという。彼の才能を惜しむ、メディチ家によって、彼は生き延びたが、それが彼のトラウマとしてどう残ったのだろうか。一度失った人生だもの。との思いで、余生を過ごした可能性は高い。
☆
さて、明治初年。日本の秀才たちは、ヨーロッパを歴訪し、多くを学んだ。そして、科学技術だけでなく、国家体制についても多くを学び取った。歴史の教科書では、「ドイツの立憲君主制が、天皇制を存続してきた日本に合致している」として、ドイツの法制が取り入れられたというが、それだけではないだろう。
ヨーロッパの国家・文化・技術に学んだ彼らが、キリスト教の本質を学ばなかったはずはない。
近代国家をつくろうとしてヨーロッパを歴訪した人たちは、その国のトップクラスの人たちとであったはずだ。彼らが、フリーメイソンや秘密結社の人たちの情報とであった可能性は高い。(フリーメイソンの日本支部には、日本のトップが出入りしていたという記述もあるという…)
そういうトップクラスの人たちと出会わなかった人、そういう立場の人が、キリスト教の教義を表面的に感動し、日本にキリスト教を教育指針にした学校たちをつくっていったと、私には思えてならない。
※余談だが、カミサンは、その種の女学校で学び、無謀にも、宗教の時間に教員に論争をしかけ、赤点すれすれの報復を受けたという。
だが、秘密結社の情報に接し、キリスト教の正統と異端の双方を知ることになった日本のVIPたちは、日本に帰って何をしたか。
彼らは、日本国家をヨーロッパ諸国のような堅固なものとするために、天皇を神格化したのである。逆説のようで、おもしろいのだが、日本の社会にとって、「天皇の神格化は近代化の一つだった」のだ。
薩長の人たちは、天皇に対してかしこまってはいたが、天皇を神として信じていたわけではない。
シャーマンではあったろうが、ゴッドではなかったはずだ。
会議などで天皇と面識があり、晩餐会などで食事をともにすれば、そう感じるのは当然のことだ。
だが、天皇を人ではなく、神とあがめることによって、国家の求心力が高まる。当時の日本人が、ヨーロッパの歴史に学ぶことに躊躇する気持ちは微塵もなかったのだろう。
だが、そのようなたくらみには無理がある。
第二次世界大戦が敗北で終わると、天皇の神格否定が行われ、天皇は人間であるという、至極当たり前のことが起きた。
しかし、ヨーロッパ社会は悲しいかな、やっと、映画によって、「キリストは人間であった」と、広く知られるようになった。(勿論、異論はつきないが…。)
☆
一神教は、国家の求心力を加速するためのツールである。そのことをようやくヨーロッパ社会も公に論議できる時代になったようだ。
日本は多神教の国である。
たしかに、一神教を模索した明治時代があった。だが、それは敗戦とともに一瞬のうちに消え去った。
あのとき、もしマッカーサーが天皇制を否定していたらどうなっていたのだろうか。
きっと、宗教とは別のフェイズの一神教がはびこって、世の中は混乱していたに違いない。
天皇は人間であり、日本は多神教の国である。
その歴史的価値を見失ってはいけない。
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