ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
死者の書
Blog
[ 総Blog数:628件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2005/11/13のBlog
[ 05:31 ] [ コマゴマ ]
いやはや久しぶりです。そうでなくても構いません、お元気してました?皆様。

面白い記事を見つけましたのでご紹介。
ロールケーキ列車、初運行 北九州モノレール

北九州というのは地下鉄ではなくモノレールが走ってまして、眼下に車の往来が
眺められる素敵な乗り物なのですが、如何せんレールを通すのが面倒なせいか
拡張性もアクセシビリティも地下鉄より劣っていると思う交通手段。

僕も特定の用事以外には滅多に利用してませんでした。そこでこんな催し物を
やっているとは全く知りませんでした。しかもこの企救ガ丘から小倉駅までって
モノレールの端から端までですから。正直企画意図が理解出来ない。

おいしいケーキの店を街おこしにつなげようと市民が作った
「小倉ロールケーキ研究会」が企画


そう書かれても何でモノレール?疑問は尽きません。

でも、こうした腑に落ちないお祭は皆さんも経験あるんじゃないでしょうか?
町興しという名目で「ミス○○」を選んだところで別に○○とミスコンが
全然結び付いちゃいない、とか、切羽詰まって変テコな企画が沢山乱立して、
気が付くと奇妙な町になっていた、なんて他の町でもよくある事だと思います。
それに北九州も政令指定都市ではありますが、合併を繰り返して100万人都市に
なったものの、その後人口の減少は進んでいる筈。必死なんだと思います。

ですが、こうした変テコは嫌いじゃありません、こうした必死さから出た行動こそ
愛着が持てるんです。普段は真面目なあの人がオッチョコチョイな事を
やらかしたのを見て急に親近感が湧く、といった事。アイタタタ…と思っても、
何故か憎めない。

そして北九州は僕の生まれた町です。身近な親類のちょっとお茶目な大失敗を
見てる思いです。ですが全く憎めません。アイタタタ…と思っても、街にいる人は
いる人なりにこの街を盛り上げようと考えているんだなと伝わってきます。
急に懐かしくなってしまいました。
2005/11/09のBlog
[ 08:03 ] [ コマゴマ ]
最近時間少ないねぇ…と感じる事多い。
誰もが考える事だとは思うけど僕もそうで、1日は72時間程あれば悔いなく一日を
過ごせると思う。それがダメなら自分が3人居れば良い、とか。

一人は遊んで、もう一人は一日ボーっとして、最後の一人はアクセク働く。
その持ち回りで人生メ一杯楽しめると思う。てか今死んだら味わい尽くせない。

そんなこんなでコピーロボットが欲しいな、と最近漠然と考えています。
漠然としてるのは、それは現実味が乏しく、「そんな事考える時間あるなら
それは暇なんじゃないの?」という私の中の良識、見たいな所から声が聞こえるから。
ごもっとも。ですがそれでも言い訳なんかしてコピーロボットが実際にあった場合の
想像をリアルに進めてゆきます。

データの転送はどのように行われる?とか、転送された記憶の解析は?とか…
これまでのデータの転送とは違うとは思ってます。
何故なら人は考えるからだ、inputが3倍になってもその都度考えるものだから、
実際の純粋なinputとは違うと思います。
目や耳といった感覚器が増えるのとは訳が違い、情報の処理がその都度挟まれる。
その後記憶を共有する段になっても情報の処理が不可欠。
3人の内誰かが忘れていた事も他の二人は覚えている場合もある、
記憶は混濁するだろう。この記事も以前書いてあった事に付け足されて書いています。
齟齬が出ないのは書いていることだけに注意して、以前書いていた自分なんか
気にせずに書くから。要するに過去の自分の上にアグラをかいている、これは
人の歴史でとても大切な事だと思います。過去にアグラをかくという事。


話が逸れました。
以前読んだ西澤保彦の「複製症候群」を思い出すが、アレは複製後は別人格だから
コピーロボットのシステムとは違う。
矢張り記憶は欠落無しに可換なのが望ましい。
人と人とのコミュニケーションならばニュータイプに勝るものは無いだろう…
他者の思考との齟齬が少ないから。多分自分が幾ら増えても、共有する場合には
コミュニケーションに似たプロセスが挟まれるんじゃないかと思う。
それが会話で為されるのかどうかは定かではないけれど。

「妄想膨らむ事宇宙の如し」である。

こうしている間にも時間は過ぎて行く。

そして僕はこの過ぎてく時間を消費しながらも楽しんでいます。

※何かしらも結論は出てません。脳内妄想の垂れ流しです。
保険でさえも掛け捨てが減りつつあるのにこんな事でいいんでしょうか。
2005/11/04のBlog
[ 07:06 ] [ コマゴマ ]
「ほぼ日」の今日のダーリンでも同様の事が書いてあったんですが。


便利が味気なくなった。だって沢山あるんだもの。
別に自分が使わないものまで便利が叫ばれても、便利は僕らの生活に
ありふれていて(暴言って事は承知の介ですよ)、便利じゃないものの
方が有難かったりする、文字通り。

勿論僕も文明の恩恵みたいなものにドップリ浸かっていて、
深夜でもお腹が減ったらコンビニへ買い物に行ったりとか、
欲しい物がネットを使えば簡単に購入できたりとか、
何かにつけて「不便」とは無縁の生活をおくれています。
「便利になったなぁ」ってその時には感じるんですが、
それ以外の時には感じないのです。無いのと同じ。
必要な時にあって初めて「便利」を感じる訳です。

しかしながら、この「必要な時」っていうのがクセモノだと思うのですよ。

例えばですね、自分のPCのアプリケーションって一体幾つ入ってます?
僕は大体30は入っていますが、毎日これら全てを使うとは限らないんです。
勿論使うから入れてあるんですが、それ以外の時には使わず、「便利だ~」と
思ったりしません。沢山入ってるアプリケーションですが、使っている時も
目的の方が優先されちゃって、「嗚呼、フォトショップは便利で快適だァ~」
なんて殆ど思いませんし、それよりも作っているモノへの興味が
優先されちゃうんです。勝手ながら、「便利」って毎日思い続けるには
力が足りない感情なんだと思います。

そしてまた、今ってモノが溢れていると思います。何でかというと、
僕の知らないモノが沢山あるからです。TVだって一つの会社で一種類ではなく、
一つの会社でも複数の製品があるしブランドも沢山ある。とてもじゃないけれど
そんなにカバーし切れません。他にも洗濯機や電子レンジ、家電に限らず
色々な製品、モノが多種類になる中でそれぞれが「便利」を声高に言っても
一体どう「便利」なのか僕の一つの身体、24時間の中では中々実感できないんです。

そして、「便利」っていうのは人から言われるよりも自分で使ってみて初めて
出てくる言葉なんじゃないかなぁとも思うのです。面倒臭いかもしれませんが。
個人的なイメージとしては「親や教師のお説教」に似てるかな、と。
実感して初めて分かるトコとか。



だからこそですね、「どう便利か」を力説されても中々ピンとこない。
それよりも、どう「面白いか」だったりどう「楽しいか」の方が伝わり易いと
思うんです。だって、友達との会話では「面白」かったり「楽しい」話題を
選ぶ筈だと思うから。だってそっちの方が言い易いもん。
2005/11/02のBlog
先日アストロ球団を読み終えました。
疲労しているにも関わらず頭が加速して寝付けず。
「これはもう読書ではない、戦闘だ」という心持ち。
渾身の力を込めてぶつけられた弾丸。
読み手である僕はこれまた渾身の力を込めて
相対せねばなりませんでした。
この漫画はニンニクと同じです。
適量ならば身体に良いとされるが、
過剰に摂取すれば身体がニンニクパワーについて来れず、
悪影響を及ぼしてしまいます。この漫画もまた同様。
鎮まりたい深夜に読むと、「やったるでぇー」という気持ちになり、
とてもじゃないがマトモでなんかいられません。
明日もまた予定があるからゆっくりと鎮まりたいのですが加速された頭脳の回転は
止まらないのです。否応無く「アストロ球団」の熱にうなされ、気が休まりません。
火に魅せられた虫の如き心境、今では取り返しの付かない事をしたと思ってます。
ですが後悔がありません、不思議です。そして日中に激しく眠る予感。

以前書いておいた記録も付加。以下↓


半月ほど前になるが、
「アストロ球団」をようやく揃えました。
そしてようやく伝説をこの目に焼き付ける事が出来ました。
そう、この漫画は数ある野球漫画の中で一際異彩を放ち、
伝説となるに相応しい漫画であると言えます。

伝説その1:試合で死人、再起不能者が出る。
伝説その2:東京ドームより早く、全天候型の球場が出てくる。
伝説その3:長嶋、川上という巨人軍の歴史を築いた監督、
 選手が悪役として出てくる。
伝説その4:殺るか殺られるかの特訓が…目白押しッ。
伝説その5:身体の何処かに野球ボールの痣が…。

と伝説を挙げてゆけば引っ切り無しに出てくる。また、ページを捲る手が震える。
ひとコマひとコマを目に焼き付けようと、読むのがとても遅くなる、
と、これほどページ当たりの内容が濃い漫画はそうそうありません。

粗筋から言うと、
稀代の名投手沢村栄治が太平洋戦争で戦死する前日、
昭和29年9月9日午前9時9分に生まれた野球ボールの痣を身体に持つ
9人の男たちが、野球超人となって大リーグに挑戦するという夢を見ました。
その予言を実践するべく、レイテ島で沢村に野球を教わったシュウロが、
日本で野球超人たちを集めて日本プロ野球に挑戦するというのが粗筋。


シュウロに見出された宇野球一(球児)ことアストロ1は仲間を集めてプロ野球の
チームを粉砕してゆく話です。

物語の中では野球の試合が行われますが、その試合というのが
半端ではないのです。野球超人たちは一試合完全燃焼をモットーに、
血反吐吐き骨砕いて勝利へとまい進してゆきます。その飽くなき挑戦は
目を見張ります。
(特訓に重力装置を導入したのは「ドラゴンボール」が初めてではありません)

また、3段ドロップ、スカイラブ投法などの変化球を武器にする宇野球一も、
自身の変化球に磨きをかける為、高速回転する電動ドリルを握り
手の平の形を変えたり…。

そして、彼らの最大のライバルこそ、アストロ4率いる「ビクトリー球団」。
「ビクトリー」には格闘技の猛者たちが集まり、アストロ超人たちを抹殺する為に
組織されますが、アストロ超人たちは持ち前のアストロガッツを武器に、
ビクトリー球団に対抗してゆきます。






台詞も素敵なものばかり







「竹だ!どんな強い風にもへし折れない しなやかな強さももたねば…」
(シュウロがアストロ球場で呟いた言葉)

「八の字サラシだサラシ~俺の腹にサラシをまけ~い」
(ロッテオリオンズ戦、球一復活後球七が叫ぶ)

「さあーっいこうでえ~ 泥沼への前進じゃ―――――っ」
(ロッテオリオンズ戦、満身創痍で臨む延長10回表でのアストロ戦士たちの叫び)

「オラァあすの栄光がほしい 勝つためには!勝利をにぎるためには!
過去の栄光はいらねえ!」

(ビクトリー球団戦を控え、特訓中の球一はそう言って回転する
電動ドリルを握り締めた)

他にもまだまだ凄い台詞はありますが、割愛。



しかしこの漫画、
本当に恐ろしいのは巻を重ねるごとに
その表現の密度が増してゆく所にあります。
毎回これでもかというような危機が迫りくる中、
アストロ戦士は瀕死になりながらも
辛くも乗り越えようとします。
超人といえど人間、
五体がいつバラバラになってもおかしくない状況下で
彼らの胸中にあるのは、死に場所は球場であるという事。
この覚悟は恐ろしい。

そう、僕は恐ろしいと感じるのです。と同時に自分では絶対に到達しえない憧れも
感じてしまいます。彼らは限界を知りません。限界は死んだ時です。

翻って、私の日々はどうかといえば、24時間内の制約の元、言い訳をしたり
疲労しては挫けたりと、アストロ戦士に顔向けできないような事ばかりです。
日頃でもここで死ぬのは馬鹿らしいと思ったり、力をセーブする事も少なくないし、
未熟さゆえからかどうも弱腰です。そういった所にナメられる原因があるのでしょう。

ですが彼らは逆境や己の未熟さを死ぬ気で跳ね返していきます。これは
超人だからという問題でもなく、単に覚悟の差であろうと推測します。
今の僕は覚悟の量が不足しています。私のモットーとして、
断定を行わないというものがありますが、これからは行います。
その代わり、断定したならばその決定を死ぬ気で為す。

この言葉もまた覚悟です。以前ならばこんな言い切りは行ってきませんでしたが、
言って形にする、退路を断つという覚悟で生きてゆこうと思います。

単なる男一匹ですが、懐にピストル持つ覚悟でぶつかってゆきます。
最後に、アストロ球団応援歌の歌詞を
引用して終わろうと思います。





「男ならー 男ならー 男なりゃこそ 死ぬ気でかけた 野球一筋
アストロ戦士度胸一発ぶっかませ 男なら やってみな?
男なら男なら タマとバットは男のあかし
ど~んとや~らにゃ男がすたる 世界制覇のその日まで 男ならやってみな~」

(アストロ球団応援歌)
随分?ご無沙汰してました。映画も観られない状況でした。映画部の上映会が
ホント久々、ご無沙汰してました。起きて研究室に行くという日々、帰宅すると
BLUES BROTHERS」を延々垂れ流しておいて気付けば寝ているという生活。

(日記っぽいでしょ)

音楽も聴けておらず悶々としてまして、昨日研究室でこのままじゃイカンと
悟ったのです。僕にはニルヴァーナ成分が足りていませんでした。

そこで帰宅して「アンプラグド」を聴く。
するとどうだろう、不可欠な栄養素が身体に入るととても満たされたように感じるが、
それと同様に音が身体に満たされてとても気持ち良かった。

そしてそのままツラツラと「ニルヴァーナ」を通じてなされたコミュニケーションを
思い出した。僕は94年にはまだガキでニルヴァーナの存在は知らず、01年に
友達が「smells like teen spilit」を歌っているのを聴いてようやくその音楽に
出会ったのだ。そして所属しているサークルの先輩たちに色々と話を聞いたり
なんかして、リアルタイムに聴いてた人には94年の出来事とか聞いてると
未だに消化できないものがあるのかもと思わされた。

中でも94年にカート・コバーンが死んだ時、先輩(当時高校生)はその死が衝撃で
部室で追悼呑みをやっていた所教師に見付かって
「いや、カートが死んだんで…」と言い訳をした話を思い出して独り笑った。

無くなって惜しいバンドは沢山あるけれど、これほどのわだかまりが今だ消えずに
存在しているというのは、遣る瀬無い。換え難い音楽だと聴いてて殊更に実感する。

過去の音源を楽しめるのは良い事だし、それを享受している立場に居るけれど、
どうしてもちょっとした苦味を感じずには居られない。

リアルタイムで聴いていてその当時を経験した人ならば尚更だろうと思う。
最近、「スリヴァー」だか知らないが、未発表音源のベストが出たけれど、
アンプラグドの映像が兎に角観たいと思った秋の夜長。

意外とセンチメンタリズムの支配が濃厚な季節の出来事。


済みません、要領を得ない記事で。
2005/10/22のBlog
今日東京で面接を受けました。

そしたらキョンシーの真似が出来るようになりました。
2005/10/19のBlog
以前何処かでソースを貰った「スーパーサイヤ人10」について。
ドラゴンボールという作品お著作権は現在作者の鳥山明先生には
無く、アメリカの法人(?)にあるらしい。そしてそのアメリカでは、
ドラゴンボールGTの続編がアニメで放映されたらしい。という情報を
何処かで頂いた。
その作品ではナッパもスーパーサイヤ人になっているし、トンデモ無い
無節操な世界が創られている様子。

それで検索した結果「ドラゴンボールAF」という作品の存在が…

結果から一番最初にあるサイトのページを開くと…
黒地に白文字のテキストと共に画像へのリンクが貼られている
内容はご自身で確認下さい。


最初画像を目の当たりにする前は笑い話程度に捉えていたのだが、
何かネタ臭さがし始めた。幾らなんでも…というレベルをはるか超えた
ネタだったからだ。正直見なきゃ良かったとも思った。
もしこれが事実ならと考えるとホント恐ろしい。

以下妄想
アメリカという土壌がこの作品を求めたのか、完全に「強さ」によって
バランスを壊した作品を見せ付けられる破目になる。約束が崩壊し、
飽くなき強さだけが許される世界。

日本でのドラゴンボールの扱いですら、「強さのインフレ」で最後は
グダグダという印象を拭い切れないのに、アメリカ版はそれすらも凌駕する作品になっていはしないか?観てはいないが、このネタはそういった恐れも抱かせる。

一度観てみたいものだ。