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死者の書
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2008/04/30のBlog
近頃、「ターンAガンダム」を観ていて、この作品は国内アニメーションの
前世紀No.1作品だという結論に至りました。
それほどの幸福と、また同時に口惜しさも味わえたこの作品について。

しかしながら、放映時には、従来のガンダム放映局と異なり、フジテレビ系列での
放映。それも、全国ネットではなく、限られた地域のみの放送。
また、ガンダムのデザインも、「ブレードランナー」でのデザインに代表される
シド・ミード氏のデザインされた奇抜なガンダムと、視聴者をふるいに掛けるような
放映になりました。
僕も、当時は容易くテレビを見られる環境に居なかったので、数話で断念。
(ひとえに、ディアナカウンタのメカデザインと、それにプロペラ機で挑む地球人を
観て、ふるいにかけられてしまいました)

しかし、その後も余りに噂に上らない事から、ついつい放っておいてしまった
アニメでした。
それが、この度観る事で、噂に上らないのが不思議でならないアニメーションだと
思い知りました。
このアニメの特筆すべき、いまだ及ぶべくもない美点として、キャラクタと世界観が挙げられます。
それをこれから示して、このアニメーションの素晴らしさを伝えてゆきたいと思います。


まずは世界観から。主人公のロラン・セヤックは、月の調査員として、物語が動き出す
2年前に友人のキース、フランと共に地球に潜入し、現地の炭鉱地主、フランハイム家に
雇われます。その土地では、代々成人の儀式として、ホワイトドールというご神体の前で
村の選ばれた男女が成人の聖痕を授けあうという儀式があり、その最中に月からの移住者、
ディアナカウンタがモビルスーツ(以下MS)に乗って、母船と共に降下してきます。
これに対し、地球ではヒステリックな反応として、これを排除する行為が、
また、ディアナカウンタもまた圧倒的な武力で撃退してゆきます。
その戦闘の最中、成人の儀式の最中、ホワイトドールと呼ばれる石像の中から
一体の白いMSが現れ、ロランが乗り込んでしまう事になるというのが、
この物語の粗筋です。

また、ロランが住む地域は、北アメリア大陸のイングレッサ領で、
他にもルジャーナなど複数の領地があり、それぞれを領主が束ねている群体です。
そして、それぞれの領地に独立して、ミリシャという軍隊があり、これらの
軍隊がプロペラ機、戦車、爆弾、マウンテンサークルから出土した機械人形を
使って、「月からの侵略者」ディアナカウンターを迎え撃つのです。

また、圧倒的武力差と書きましたが、月の技術力と比較し、北アメリア、地球の
技術力は、現代から見ても見劣りする、現在の19~20世紀程度の文明。
プロペラ機でMSを撃退しようとする様子は、月星人(ムーンレイス)を驚かせ、蛮族呼ばわりさせます。

こうしたディスコミュニケーションにロランは悩まされ、和解の道を模索してゆくのが
本作品の大まかな流れです。また、ムーンレイスの女王、ディアナ・ソレルと、
ロランの主人、キエル・ハイムが瓜二つである事も、和解への模索の架け橋として
機能します。
敵対してしまったイングレッサとムーンレイス、その両者の和平交渉の場でディアナとキエルは
対面しますが、その後、一時の戯れから、両者が立場を交換してしまう事で、
ミリシャの暴走、ムーンレイスの入植者の受難など、多くの問題が月と地球という
枠に収まらず噴出してきて、ここにひとつ現代にも通じる問題意識を我々は感じる事になります。
主人公のロランは、パイロットと呼ぶには可哀想なくらい、気の優しい少年で、
自らがムーンレイスだと隠して生活しているだけに、両者の断絶に心を痛め、
また一生活者として、困っている人たちも放っておけない、戦闘に不向きな性格。
実際、食事のシーンのロランが一番幸せそうな顔をしています。
これまでのように、戦争の被害をヒロイックに描くよりも、生活者の視点に立って
描き出される作品なので、視聴者は戦記のダイナミズムよりも地球の美しさや暮らす人々に
目を奪われる事でしょう。戦争を嫌悪しつつも、描く目線はヒロイックという、これまでの
戦争アニメの手法では、真に戦争に対しての痛切なカウンタにはなり得ないのでは
ないかと、このアニメを観て思い知らされました。
また、この地球の描き方もまた秀逸で、北アメリアという名前から私たちは現在の
アメリカ大陸を想像し、そのアメリカ大陸が先住民族を駆逐して築かれた国家である
事を容易に思い出されるでしょう。
しかし、この北アメリア大陸では、西洋文化を花開かせた人類が、月からの「侵略」を
受けるという、逆説的な事態に直面し、MSに飛行機でという、竹やりでも持ち出しそうな
蛮勇を振りかざすのです。これはハッキリした告発です。
そうしたかつての人類の営みを露骨に参照としつつ描き出される物語に目を奪われずには
居られません。

余談ですが、このルジャーナ領の領主、グエン卿は、ムーンレイスの技術力だけは
頂戴し、彼らにはお帰りいただくという腹積もりで、物語をかき回してくれます。
この姿勢、かつての明治の日本にソックリではないでしょうか?



次にキャラクタについて触れさせていただきます。先ほど、生活者の視点に立って、
と書きましたが、この作品で私は一つのお願いをしました。かつての富野アニメのような
虐殺は勘弁してほしいという願いです。これは富野アニメをご存知の方なら蛇足ですが、
富野監督のアニメでは、作品の終盤で、登場人物が沢山死んでゆくという傾向が
ありました。その事態だけはこの作品では回避して欲しいと思っていました。
それほどまでに、可愛らしい、正確には愛嬌のあるキャラクタが多いのが今作品の
特徴だと思います。戦争の裏には授乳が出来ず困る夫婦も居れば、同僚に求婚する
兵士も居ます。両軍にパンを売って、出来る限りで人を救おうとするパン屋。
感極まってすぐに泣いてしまう兵士、武器を抜かずに両手を広げて両軍を制止する主人公、
感情的で活発なお転婆お嬢様や、かつての戦争のトラウマで異常なほどにガンダムに
執念を燃やすパイロット、ドジで間抜けな、心根の弱い兵士、地球の現状を一生活者として
観察して激しく動揺する為政者や、政治の重圧に耐え抜く炭鉱地主の娘、
世間知らずなんだけど、心は素直な領主の娘など、魅力的な登場人物は挙げればキリがありません。
戦争を戦争だけ描くという手法では、これほど魅力的な登場人物は産まれなかったでしょう。

特に、この作品の裏の主人公と呼ぶべき、ディアナ・ソレルにはかつて一度地球に
訪れて、地球の男性と恋に落ちたという過去も持っています(しかしながら、
冷凍睡眠に入らなければならず、結ばれる事無く月に帰ってしまったのですが)。
このように多面的に描かれる人物が魅力的に映るのは仕方ありません。

そんな人物たちが直面する敵対に、ディスコミュニケーションに打ち勝つプロセスが
先ほど述べた現実を裏打ちした世界で描かれるのです。

少しばかり触れましたが、この物語では日本の昔話、とりかえばや物語、竹取物語と
いったおとぎ話にも着眼されており、それらの複雑に編まれた多くの参照点を
情緒豊かに描く事に成功したのが本作品であります。
その白眉が第17話「建国のダストフロー」の演説シーン。

勿論、この回以外にも素晴らしい回は多くありますが。

最後に、本作品を前世紀No.1と言ったのはワケがありまして。
映像表現としてだと、この作品に勝るアニメーションは多いと思いますが、
アニメーションが映画、人間を描き出すドラマとして勝る作品はありません。
「ガンダム」と名の付くだけに、1stを例に比較しても、舞台が「月と地球」と
距離的なスケールは小さいながらも、自然と人の営みという点では、1stの持たない
多面性を持っていますし、その分だけ人の持つ悩みも多様化してゆき、2項対立を
回避する方法を模索するのは容易な事ではありません。確かに、1stはエポックな
作品ではありますが、この作品は風化しない普遍的物語となる事に、つまりは
人間を描き出す事に成功しているでしょう。
それはこれまでのガンダムと大きく異なり、本作品では女性がすごく
活き活きしているからかもしれません。
主人公・ロランが支えるお嬢様たちは、気高く、女性である事に物怖じしませんし、
ロランの友達フラン嬢は戦場カメラマンとして(本当は新聞記者、有事の為の転身)
地球に月にとシャッターを切りまくる。リリ嬢はスカートを履いたままで、不甲斐ない男たちに代わり
アメリアを合衆しようと立ち上がる。

男たちは政治と戦争に奔走し、尻拭いを強く美しい女性たちに頼む事に。
通底して流れる、女性性こそがこの作品を魅力的にしているのだと思います。


この作品で、私は総監督、富野由悠季氏は
「世界の富野」と呼ばれうる存在だと思わされました。
むしろ、「ガンダム」という冠が小さく感じるほど、この「ターンエーガンダム」は
偉大な作品なのです。

他のガンダムは差し置いても、この作品だけは是非に観ていただきたい!
観ていない方があれば、老若男女問わず是非にご覧ください。

長くなりそうなんで、この辺で。
2008/04/26のBlog
パ・リーグの、ホークス以外のチームの選手は皆豚骨になってしまえばいい!

僕も王監督を胴上げしたいぜ!悲願だぜ!!!!!!!!!!!!

多村、斉藤、みてますか?怪我は大丈夫ですか?
早く寝てますか?これみてたら早く戻ってきてください。
待ってます。
2008/04/24のBlog
[ 22:25 ] [ コマゴマ ]
前々から気になっていた事ですが(下品かも)、多分皆様マキグソをご存知だと思います。
そうそう、あのマキグソ。あの形を最初に考えた人についてチョイチョイ考えたりしてます。
なぜなら、あのマキグソ。かなりポップなデザインだからです。それに、あれは
自然に出来る形ではありません。多分、排泄の際には一度は試みたかと思うのですが、
360度回転させる事すら困難でしょう。つまり、あの形は誰かのイマジネーションの産物かもしれません。

ということは、そこにはクリエイティブが発揮されていると言えます。
皆様がマキグソと聞いてすぐに思い浮かべられるあの直観的シルエット、
かなり高度なデザインと言わざるを得ません。その、無名の誰かの創造性に敬意を払いつつ、
マキグソのうまれた背景や考案者について考えを巡らせています。


後、最初に口にモノを入れた人間の事なんかも考えています。そもそも、
どうしてある程度発達した摂食するのでしょうか?
この疑問は、ふとしたキッカケですが、空腹の時に食べるものが無くて、
煙草で誤魔化したり、空腹より強い刺激を与えれば良いと思って腹を殴ったりしてた時に、
うまれました。

モノを食べたら解決するのですが、腹が減る事と、口の中に何か入れる事の間には
結構飛躍があるんじゃないかと思いました。
生物は口で栄養を摂取するというのは当たり前で、最初に口に入れたとか、
そこにオリジナリティは無いのでしょうが(本能といえるでしょう)、与太でも良いので
納得できる説明を考えたりしていますが、中々コレは!という説明は浮かびませんね。
最初に考えたのは、「喉を潤す」という行為から。
喉の渇きは、腹よりも、より口に距離が近く、この中(口の中)の違和感を解消するには
水をここに通せば良いと直観し、食べ物で応用したという説。

「呼吸」も考えましたが、割合空気という概念は新しいのではと思います。
実際は説も何も、進化の過程から空腹時には大体の生物は口で摂食してたでしょうから、
本能的だってのがヨロシイんでしょうが、「本能」で片付けられたら面白くない。
これは勝負でもナンでもないんだから、そんな「本命」なんて詰まらないんデス。

と、意気込んでみても有力な説はうまれない。でも、暇つぶしの与太なので。
[ 07:59 ] [ コマゴマ ]
10月の撮影を振り返る

10月は6日と7日の2日間撮影を行いました。

それまではロケハンやら小道具の準備やらに追われていて、制作に一番時間の掛かる
小道具がようやくこの頃に完成しました。また、今回の撮影のロケ先や、
クライマックスで使うロケ先への打ち合わせも佳境を迎えて、撮影シーンも半分も終えて
これから後半という撮影でした。

他の制作者の方がどういう編集をやってらっしゃるかは存じ上げませんが、
この映画ではシーン毎に編集を行っていて、つまりこれまでの室内撮影の編集を経て、
大体の映画の色みたいなものは大方掴めてきていましたが、この2日間の撮影は
野外での撮影と、内容も序盤から中盤、終盤と映画の時間変化や物語の変化など、
各シーンは短いながらも物語を膨らませる上でも映画を膨らませる上でも不可欠な部分が多く、
大分緊張して撮影に臨みました。後、外ロケはイレギュラな要素が多いし。

また、今回で初登場のH君、Y君を迎えたり、メイクとして忙しい中のTさんを迎えたりと、
大所帯での撮影になりました。出演はSさん、それに前述したH君、Y君、後サトウさん(仮称)。
それに、サトウさん出演の立役者でありながら(ある意味サトウさん出演交渉が一番難儀でした。
言葉通じないし)、車まで出してくれたK君、F君(名サポーター!!)、メイキャッパーTさんに
応援に駆けつけてくれたM君と、これまでの撮影の中で最も大きな規模になりました。
ですが、膨らむ規模に対処出来なかった部分が僕自身にあって参加してくれている皆様を
戸惑わせてしまう部分があり、大いに反省をしなければならない撮影でもありました。

6日は、最初は東北本線の走る長町の高架下で。外ロケの宿命ですが行き交う人や車の為に、
演技の上ではOKでもNGを出さざるを得ないカットなどありました。
初参加のH君Y君はこれから役の人物を演じてもらうのに、何がNGだったのかを
詳しく説明する余裕も無く、二人の自発的な芝居に救われた撮影でもありました。
また、このシーンではポスプロで加工する部分もあり、役者の方たちは何で待っているのか
不明瞭なまま置き去りにしてしまったこともありました。
結局、僕は現場が大切だと言っていても、ファインダしかみていなくて、現場の雰囲気を
変えてゆくプロデューサとしての役割を疎かにしていたのだと思い知らされました。

そしてお昼の内に2シーン撮って、午後からは北山に。曹洞宗金剛宝山輪王寺での撮影を。
この輪王寺さんも、5日前にアポイントをとって内容をご説明させてもらったのですが、
嫌な顔もせずにロケ地をご提供くださいました。

メイクを直して、林の中で撮影。サトウさんが野生を思い出したか暴れ回る中、
最低の演出がなされた撮影が始まりました。多分、僕の現場が最低だと喧伝される原因、
日本語の通じない演出がH君、Y君、Sさんになされたのです。

普通の演出がどうなされるのか?ホントに心から知りたい部分なのですが、何と言えば
演出意図が通じるのか不明瞭なままに僕は「自分の映画」にこだわり続け、
役者の方たちを、支えてくれてるF君やK君、Tさんを困らせてしまいました。

今でも分かりませんが、どうやって演出意図を伝える方法を身につけるのでしょうか?
僕はこの演出意図を伝え切れていない、皆が理解できていないというモヤモヤを持ち続けて、
一層ファインダだけを観てしまったのです。これが今でも悔やまれます。
自嘲気味に、これまで言われてきた「人を素材としてしか観ていない」という言葉が
思い出されました。そして今回の撮影も、午前と同様かそれ以上に、H君、Y君、Sさんの
無理をした頑張りに依存した撮影になってしまいました。

今では若干振り返る事が出来るのですが、あの時は伝え切れていない事に拘らずに、
もっと役者の方は元より、周りでサポートしてくれている人たちを観ていれば良かったと
思います。皆に無理をさせない事はモチロン、皆が楽しんで参加してくれる事が僕には
嬉しい事だし、映画なんてその為の、皆と遊ぶ為の口実に過ぎないのだと思います。
そんな余裕が、演出意図だとか小せぇ事を吹っ飛ばして現場を楽しく出来るし、
それがちゃんとファインダに、フレームに現れるのだと思います。

こうして、人の嫌がる事を無理矢理して、6日の撮影は終了しました。


明けて7日、映画に流れる時間の都合上、また輪王寺さんでロケ。
今回もまた出演者はH君、Y君、Sさん。そして手伝ってくれるK君(多謝!!)、
F君(僕より不可欠な男)、名メイキャッパーTさんにM君(滅茶苦茶支えてもらってしまった)。

前にも申しましたように、シーン自体は短いものながら、映画を膨らませる上で
大切なシーンなので、やっぱり僕は気がはやって、前日と同じテツを踏んでしまいます。
言い訳すると、余裕が無さ過ぎたのでしょう。この日、前日の疲れも皆様あったと思いますが、
懲りずにまた撮影に、変な演出に付き合ってくれました。
特にロングのカットでは、余裕の無さからか良いか悪いかという二択でしか判断の
出来ない僕の演出に何度も何度も芝居をしてくれたSさんにご迷惑を掛けてしまい、
非常に悔いが残ります。それでも、何度もSさんに無理をさせて、ようやく輪王寺さんでの
撮影が終了。そしてまた長町へと行きました。

シーンの時間上、日が傾いた時を狙っていたので、3時間程時間が空き、その間僕は
M君とOPの撮影をして、ロケハン。皆には申し訳なくも近くで待機してもらいました。

そして、クライマックスへとなだれ込む為に大切なシーンの撮影を開始しました。
ホント不手際なのですが、ロケハンを重ねていたものの、狙った場所が見つからなかったんです。
しかし、2時間程さがした挙句、ようやく見つかって、しかも良い立地!!
神様が居ると思ったし、実際少しだけ涙ぐみながらアスファルトに頭をついてお辞儀した。

待っていてくれているみんなに連絡し、その後撮影を。
ここでもロングのカットを、しかも美しいロングのカットを2カット撮影した後、
最大の問題シーンに。外ロケのロングカットなのでNGも多く(交通の問題)、日も傾いて
思うような光も時間の問題になってきました。これで最後と疲れた皆にお願いして、
7カット撮影し無事終了。問題シーンの内容は今は触れませんが、我ながら最低だと
思える、非常に後味の悪い撮影でした。

やっぱり皆、撮影が終わると晴れやかな顔。相当無理をさせてしまったと反省するのですが、
撤収している時に、撮り忘れていたシーンを思い出し、急遽H君にお願いして撮影を。
彼は2001年から、彼は嫌がるでしょうが、付き合いがあり、今回の映画には色々な協力を
してくれた人物でした。軽く触れると、この映画がクランクアップする前の脚本段階から
協力してくれ、また、撮れずにいた僕を励ましてくれさえし(笑!)、M君という、
役者としても、ヘルプとしても、また、今尚音響麺でこの映画を支えてくれている
人物を紹介してくれました。また、これは結構大事なことですが、彼が2007年の春に
創った映画「わからないけど夢」は本当に良い映画だし、僕自身好きな映画であり、
影響は口惜しいが大きいと言わざるを得ない人物です。その彼と(紹介が長くなりましたが)、
サシの撮影というのは、これまた彼は嫌がるでしょうが、意外と感慨めいたものがありました。

シーン自体はこの映画の中で最も短いのだけれど。

そうして最後の撮影が無事終わり、予定していた撮影を消化する事が出来ました。
ホントは翌8日も卸町で撮影をする予定でしたが、あまりに疲れてしまったので、
雨を降らせて中止させました。コレホント。
実際、この映画の撮影で予定していた天候にならなかったのはこの8日だけで、
天候で順延した事はほとんどありませんでした。そう考えると、この映画は
神様が望んでいるとしか思えないなァ。


10月の撮影はこの2日間だけで、後は最後のロケ先の方との打ち合わせをしていました。
あ、そうそう、10月末に友人が結婚式を挙げたんですよ。その為に、及ばずながらも
新郎新婦紹介ビデオを作ったり。これはとっても良い経験でしたし、結婚式は馴染みの
友達にも会え、とても楽しかったのを覚えています。

では、次回は11月23日の撮影を振り返りたいと思います。
2008/04/22のBlog
[ 08:56 ] [ 映画 ]
黒い十人の女

市川昆監督の作品。
死んでから妙に気になるってのもまたイヤハヤ。随分と、情の薄い感じ。
実は訃報を聞く前日、友人と「次に死ぬ監督は誰だろう?」なんて、
嘆息混じりに話していて、話題にのぼった監督でした。

あまりに薄情な物言いだからか、夢見が悪いからか、勝手に追悼と思い、
少しずつ監督の作品を観ています。
一言で言うと、「映画ってコレだよな!」と思える映画。
この「黒い十人の女」もその一つ。よくある、映画のジャンルにサスペンスとか、
ミステリーだとか、色々あるけど、これはそんな糞みたいな細分化された
ジャンル如きに回収される作品ではなく、「映画」のど真ん中に
居座っており、そこにスパイスみたくサスペンスというふりかけがなされた
作品。

何が素晴らしいって、役者の演技、これにつきます。
若かりし船越英二(個人的に好きなもので)の甘い、スゥィィイイイトなマスクが
横糸だとすれば、縦に貫くのは黒い十人の女たち。
船越を巡りけん制しあう女たちの美しさとその裏の攻防戦は、観ていてとても
スリリング。
そんな11人の人間模様を照らす照明もまた素晴らしいんです。
ハッとさせられる陰を産み出したかと思えば、「なんじゃソリャ!」と思わせる、
ケレンに満ち溢れた光も。

最初は各人の魅力的な芝居で引っ張っていって、段々と映画的演出の威力が
増してゆく構成。最後には申し訳程度の世相への目配せが、ナンとも
とってつけた様で微笑ましいのです。


この映画、映画である事を放棄したら何も残らない。そんな潔さに胸を打たれます。

※あらすじで誤魔化せば、単なるジャンル映画としてしか書けないので、
観ていただけると真骨頂がご理解いただけると思います。


「黒い十人の女」@allcinemaONLINE


紅いコーリャン


今をトキメク北京オリンピック芸術監督、チャン・イーモウの長編デビュー作。
中華民国の頃の寒村を舞台にした映画。

30歳も離れた造り酒屋の婿の元に嫁ぐ嫁、というには若すぎた少女を祖母に持つ、
男の語りが映画を牽引してゆきます。一家の3代記が激動の中国と併走し描かれる
というのは、政権が変わる度に歴史が駆逐されてきた中国の持つカルマみたいな
ものかしらん?なんて思いながら観ていました。

の割りにテンポが遅い。三代記ならばもっと早く社会的な背景と絡みつつも
展開されないと…なんて思っていたら!

これは三代記の名を借りた、童話なんです。
造り酒屋では、コーリャン酒を造っていて、人の死も、誕生も、歴史の激動も、
そのコーリャン畑の上で営まれてゆきます。
が、それらの営みもコーリャン畑の上を過ぎる風のように、または昇っては沈み
コーリャンを照らす夕日のように、長い時間のほんの一瞬の出来事でしかありません。

身近にあった自然が、コーリャン畑やそれを育む大地が、天候が、最後には
人の営みだけでなく人生さえも包み込んでしまう。

かなり妄想めいた文章ですが、ご覧いただけたらご理解いただけると思います。
大河ドラマの構成を思わせつつも最後には大河の意味が反転してしまうこの映画は、
あの風に揺れるコーリャンに支えられています。

この後恐らく、チャン監督はフォーカスを人に合わせてゆくのでしょうが、
この作品は人の営みと歴史と大自然とが良いバランスで溶け合った良い作品では
ないかと思います。

余談ですが、コン・リー最高!吉田秋生作品に出てくる女性を思わせる、
素敵な女優さんですね!


「紅いコーリャン」@allcinemaONLINE
2008/04/20のBlog
先週は映画「或る死者の書~all she shouts~」の
効果音の収録をしてました。
それで、かつて撮影した場所に行って欲しい音を
カメラで収録していたのです。

望んだ音は収録できたのですが、
面白い事にもうかつて撮影した場所は
その場所では無くなっているという事も
ありました。





どういう事かと言いますと、
右側の写真。

これは現在再開発が進む長町の駅裏を
撮影したものですが、
かつて撮影した場所には工事の手が入り
既に過去のものになっています。

また、およそ10ヶ月前にはここにはシルク・ド・ソレイユの
ドラリオンの白いテントがポツンとそびえ立っていた場所でも
あります。


少しだけ映画に絡めて書いてみますと、この映画の別の側面として「過去を記録する」という
意味合いがあり、それは個人のアルバムであり、変わりゆく街の集合写真という事でもありました。

それは、人の死がものごとの終わりを示すものでは無く、その後も変化は続いてゆく事を
意味しており、つまりは始点と終点、生と死という線分ではなく、ある直線上に
人や街の状態の変化(生と死もこれに含まれる)が絶え間なくマークされると
言えるというのがこの映画の持つ別の側面だと思っています。


勿論、あらすじとは深い関係を持たない側面です。
映画で語られるドラマの上には始まりもあれば終わりもあり、フィクションだからこそ
カーテンコールが掛かればそこで登場人物はお役御免なワケです。


しかし、登場人物を演じるのも人間、舞台もむき出しの街(自主制作映画では、
予算の都合からセットは作られたりはしません)となれば、フィクションのお約束事に
乗っかるだけでは現実の変化(絶え間なく変化する直線)、に太刀打ち出来ず、
濁流にたわむれに流されては溺れる笹舟のように消え去る作品を創ってしまう事態になるでしょう。

ドラリオンを比較に出すのはコッケイかもしれませんが。あの催しであれば超絶技巧や
幻想的なテント仕掛けと相まって、サーカス(街に現れてやがて去ってゆく
非日常的な催事)としてのマナーを守り、街の人たちに娯楽を供給しうるのでしょうが、
あのような技巧も無く、住んでいる街に拮抗し得るセットもテントも建てられない中で
自主制作で映画を、娯楽を創ろうと思ったら、街の変化、現実の変化に目配せをしながら
創らなければ、その作品はただ黙って流される笹舟になってしまうのではないかと思いました。

ファンタジー作品のように現実に拮抗し得るオルタナティブな現実を提示出来るだけの
力量が僕にはまだありません。
ですので、あくまで僕なりのオルタナティブを提示しようと思ったら、現実の変化に則しながらも
違うものを提示するという方法が良いのではないかと思いました。

そしてそれは描こうと思った映画の中に組み込むには良くフィットする方法だと思えました。



長々と楽屋オチを繰り広げて、誠にミットモナイのですが、映画をご覧になられて
全く意図が通じないと空き缶やらをブツケラレルよりは、前もって言い訳しとくのが
観客の皆様のご不満も減るかもと思い、今回こうした運びにいたしました。


でもナンですね、コッ恥ずかしいものがありますね。
公開した後ならば、幾らでも言えるのかも知れませんが。
「映画に描かれていた事が全てだ」と言え、お客さんがそれで納得していただけるのが
映画にとって最も幸福なんでしょうが。


そうそう。僕の好きなドラマ「探偵物語」の工藤俊作事務所の入っていた同和ビルも2001年に
壊されてしまったそうで、もうあのビルもあの作品の中でしか観られないシロモノに
なっています。

余談ついでに、個人的「探偵物語」ベスト3

ベスト3
第23話「夕日に赤い血を!」
赤いサバンナが崖に落ちてゆくシーンが、叙情性を持って描かれていて、
人が消える、立ち去らざるを得ないという事情の裏側の悲哀が美しく描かれています。

ベスト2
第5話「夜汽車で来たあいつ」
かなりB級な演出です(水谷豊と松田優作の絡んでるシーン)が、作り手の羽目を外した暴走に
役者も応えてつくられている幸せな回。
二人の歌う「心もよう」が絶品!!!!!!!
公園で工藤ちゃんが、消えた妹を探す中で触れる噂話に中てられた田村(水谷)に、
消える人たちや消えざるを得ない人たちのそれぞれの事情について触れるシーンがあるんですが、
そこもまたホロリときます。

ベスト1
第6話「失踪者の影」
探偵物語オールタイムベスト!
冒頭「アザミ嬢のララバイ」から素晴らしく叙情をかき立てます!

物語は、探偵事務所に山梨から女の子が人探しの依頼をする所から始まります。
が、探したい人は一癖ありそうな結婚相手。同じ男をさがす内に、殺人課の刑事
(ご存知山西道広さんに成田三樹夫さん!でも今は殺人課なんていわないだろうな)
や、暴力団系のイリーガルな組織との三つ巴になってしまい、工藤ちゃん大ピンチ!

依頼者である女の子を、イリーガルな組織にさらわれてしまってからの展開が、
美しくも暴力的で、観てるものの心のひだをかき立ててゆきます。
特にラストシーンは、涙無しには観られません!

行き違いからうまれる悲哀。これは探偵物語などの日本の探偵モノがよくとり上げる
題材ですが、物語の展開によっかかった描写だけで描かずに、幻想的とさえ思える
ラストシーンで閉じたこの回は僕の探偵物語体験に、いや、人生に陰のある美しさを
投影してくれました。
2008/04/19のBlog
[ 01:16 ] [ 音楽 ]
「クリエイトの迷路をなおも好んで選ぶことを」

このフレーズで韻を踏む素晴らしさ!
と同時に力強い宣言にもなってる!

改めてTBHの1stに痺れています。もう10年前の事なのだけれど、いまだリリックの
閃きは衰えをみせず。情熱のキャタピラは空回りせずに。

あ、最後のフレーズ「共に成功を求めThis'98」と続きます。