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2008/05/08のBlog
[ 06:10 ]
[ ポエム ]
かつては誰かを待つ椅子が
余分に用意されていた
耳をふさいではボリュームを上げ
逃げ込む先を探しあぐねては
別れを言った後も街は
変わり続けてゆく
立ち止まる会話 君に用意されたスペース
顔を上げるといつも君に似た人を見かける
夜になると明かりが灯る 皺が深く浮く影に映る
季節を幾度も巡る間 パーティは磨耗する
別れるために集まり笑う
歳を重ねてはパーティには 屈託が積もってゆく
集まりの厚みが無言でのしかかる
死人の声が以前とは 違って聞こえるようにと待ってる
そう願っている 長いお別れ
余分に用意されていた
耳をふさいではボリュームを上げ
逃げ込む先を探しあぐねては
別れを言った後も街は
変わり続けてゆく
立ち止まる会話 君に用意されたスペース
顔を上げるといつも君に似た人を見かける
夜になると明かりが灯る 皺が深く浮く影に映る
季節を幾度も巡る間 パーティは磨耗する
別れるために集まり笑う
歳を重ねてはパーティには 屈託が積もってゆく
集まりの厚みが無言でのしかかる
死人の声が以前とは 違って聞こえるようにと待ってる
そう願っている 長いお別れ
[ 06:03 ]
[ コマゴマ ]
映画は難しい。いや、映画だけじゃない、難しい事は他にも沢山ある。
問題は、僕に映画をつくる力量がない事だ。今に始まった事ではないが、ことさら強く実感させられる。
現在制作中の映画の編集中(今現在もだが)、「駄作だ」と「良いかもしれない」の間を
さまよい続け、それでも完成させる事を旨としてこられたのは、関わってくれた人たちの存在や
この作業が終わりの無いものだったからかもしれない。
が、今終わりが見え始めると、映画の完成度についつい眼が向く。
途端に、自身の力量の無さがそびえる。
難攻不落の力量の無さ、それは太陽が西から昇っても変わり様の無い力量の無さで、
誰しもが匙をなげてしまう。処置無しってほどの力量の無さだ。
芝居のテンポ、カットのテンポ、構図、色etc…。
あらゆる証拠が今突きつけられていて、身動きが取れない。
撮った映像を編集している際に気付いて、誰かに編集を委ねた方が映画としても
幸福だった事だと思うが、僕自身の執着で誰かに編集を委ねる事が出来なかったし、
結局自身で映画を私物化してしまったという事だ。力量も無いくせに、映画を私物化する不遜を、
映画は許したりはしないだろう。そのツケが今映像となって実際に現れている。
勿論、編集を自分でやる意図はあって、それはこれまでの映画とは別のリズムを出したいと思ったからだが、アクション映画には遅く、それ以外の映画にしては速いという、
ある意味中途半端なリズムは、理解を拒む作用を引き起こしてしまった。
重大な背信行為を、映画にも、協力してくれた人たちにも働いてしまった。
今後はこの駄作を、どうにかして編集作業でみられるものに変える作業をする事こそが僕の作業だ。
精一杯やったと思って、それでもまだ届かない。本当の事を言うと、この制作中に何度と無く挫折しかけた。
それでも、運や周りの協力があってここまで来たから、自分としては本当に運が良かったと
思っているし、「これは映画が完成される必要がある」と流れがきてるんだと
楽天的にとらえていたが、その映画にとって最も枷になる存在が僕自身だったのだ。
最早僕のエゴに依らず映画は完成するが、この不甲斐なさ、敗北感はとても大きい。
望んでいないけれど何か重大な裏切りを働いてしまったみたいだ。
死んでしまっても禊にはならないし、くだらんヒロイズムに酔うには醒めているが、
この罪悪感を持ち続けるには今の僕には重過ぎる。
効果音、残り7シーン。
問題は、僕に映画をつくる力量がない事だ。今に始まった事ではないが、ことさら強く実感させられる。
現在制作中の映画の編集中(今現在もだが)、「駄作だ」と「良いかもしれない」の間を
さまよい続け、それでも完成させる事を旨としてこられたのは、関わってくれた人たちの存在や
この作業が終わりの無いものだったからかもしれない。
が、今終わりが見え始めると、映画の完成度についつい眼が向く。
途端に、自身の力量の無さがそびえる。
難攻不落の力量の無さ、それは太陽が西から昇っても変わり様の無い力量の無さで、
誰しもが匙をなげてしまう。処置無しってほどの力量の無さだ。
芝居のテンポ、カットのテンポ、構図、色etc…。
あらゆる証拠が今突きつけられていて、身動きが取れない。
撮った映像を編集している際に気付いて、誰かに編集を委ねた方が映画としても
幸福だった事だと思うが、僕自身の執着で誰かに編集を委ねる事が出来なかったし、
結局自身で映画を私物化してしまったという事だ。力量も無いくせに、映画を私物化する不遜を、
映画は許したりはしないだろう。そのツケが今映像となって実際に現れている。
勿論、編集を自分でやる意図はあって、それはこれまでの映画とは別のリズムを出したいと思ったからだが、アクション映画には遅く、それ以外の映画にしては速いという、
ある意味中途半端なリズムは、理解を拒む作用を引き起こしてしまった。
重大な背信行為を、映画にも、協力してくれた人たちにも働いてしまった。
今後はこの駄作を、どうにかして編集作業でみられるものに変える作業をする事こそが僕の作業だ。
精一杯やったと思って、それでもまだ届かない。本当の事を言うと、この制作中に何度と無く挫折しかけた。
それでも、運や周りの協力があってここまで来たから、自分としては本当に運が良かったと
思っているし、「これは映画が完成される必要がある」と流れがきてるんだと
楽天的にとらえていたが、その映画にとって最も枷になる存在が僕自身だったのだ。
最早僕のエゴに依らず映画は完成するが、この不甲斐なさ、敗北感はとても大きい。
望んでいないけれど何か重大な裏切りを働いてしまったみたいだ。
死んでしまっても禊にはならないし、くだらんヒロイズムに酔うには醒めているが、
この罪悪感を持ち続けるには今の僕には重過ぎる。
効果音、残り7シーン。
2008/05/03のBlog
[ 12:59 ]
[ コマゴマ ]
昨日、「ルパン三世~カリオストロの城~」という、有名なアニメを観ていたら、
本当に美味そうにスパゲッティを食べていた。多分そうとうデカイ鍋でパスタを茹でたんでしょう。
また、別のアニメですが、昔NHKでやってた「モンタナ」というアニメでも、
何処に行くにもパスタを茹でる道具一式は欠かさず持ってゆくという冒険家が居て、
そこでも大きな鍋で仲間とパスタを茹でて食べていました。
こうした「同じ釜の飯」を食べるのをみていて、鍋に近いホッコリ感にとても嬉しくなりました。
飯は美味しそうに食べなきゃいけない。
普段からあまりご飯に頓着しない性分ですが、飯は美味そうに食べるのが一番だと思います。
半田やの名キャッチ、「生まれた時からどんぶり飯」も、あの5歳児位のキッドが
美味そうに飯を掻きこんでいる写真があればこそだと思います。
いかなる時も、死ぬ時も、飯は美味そうに食べようよ。な?
本当に美味そうにスパゲッティを食べていた。多分そうとうデカイ鍋でパスタを茹でたんでしょう。
また、別のアニメですが、昔NHKでやってた「モンタナ」というアニメでも、
何処に行くにもパスタを茹でる道具一式は欠かさず持ってゆくという冒険家が居て、
そこでも大きな鍋で仲間とパスタを茹でて食べていました。
こうした「同じ釜の飯」を食べるのをみていて、鍋に近いホッコリ感にとても嬉しくなりました。
飯は美味しそうに食べなきゃいけない。
普段からあまりご飯に頓着しない性分ですが、飯は美味そうに食べるのが一番だと思います。
半田やの名キャッチ、「生まれた時からどんぶり飯」も、あの5歳児位のキッドが
美味そうに飯を掻きこんでいる写真があればこそだと思います。
いかなる時も、死ぬ時も、飯は美味そうに食べようよ。な?
2008/05/02のBlog
[ 09:17 ]
[ コマゴマ ]
12月の撮影を振り返る
11月を振り返ったばかり。舌の根乾かさず12月。坊主も走れば喉渇く師走。
12月は週末は毎回撮影でした。皆様にはお忙しい中、よくあれだけ御付き合いくださったなと。
思い出すと色々涙ぐんじゃいますね。そんな12月でした。
この時点で残り3割ちょっとでした。全42シーンの内、16シーン残っていたのかな。
そして、その14シーンを卸町の倉庫で撮影するというのが、12月のメインイベント。
今回、協同組合仙台卸商センターの方から倉庫を1カ月お借りする事が出来、
まずは7日に道具の搬入を。KN君、F君に手伝ってもらって、10BOX、
たまたま居合わせた劇団IQ150舞台監督ユースケさんから借りる道具や
持込の道具を倉庫に設置。
以前は撮影前の準備って嫌いでしたが、今回は割合そんな事もなく。
撮影というハレ舞台に巣立ってゆく道具たちの準備は、我が子を送り出す親の心もち。
親になったことないけど。結局映画で何が大切かって、リアリティの担保になりまして、
それはカットだとか、アングル以前に、演出だったり美術だったり、お客さんの
眼に入るモノが最も大切なのです。そして光やアングル、カットはそれを効果的に
伝達する為の手段でしかありません。なので、これらの屋台骨が貧しいと、
映画そのものが貧しく、画餅になってしまいます。そう思ってからは、この準備という
地味な作業が意義深いものになりました。
そして、KN君、F君の協力を得て、搬入無事終了。
翌8日には、MR君、KN君を迎えての撮影になります。
この日は、僕を含めた3人での撮影。
嫌がる二人に無慈悲にカメラを向ける僕です。
この撮影で、完全にMR君にも人格を疑われてしまったのではないでしょうか。
映像をつくる度に、「(人として)どうかと思う…」と人から言われてしまうのは、
もう止めたいのですが…。何だろ、つまりは人間終わってる?
寒い中、MR君を文字通り脱がせ、二人の絡みを無事撮影。
二人が風邪を引かなかったのが唯一の救い。
ダイアローグをどう構成するか、一つの課題として臨みましたが、その為に
用意した演出は、イササカ特異、アケスケに言うと、変、なようで、二人には
嫌な思いをさせてしまいました。
6時間で20カットは今後のスケジュールを考えても遅いかなと思うので、
翌日以降の修正案件として持ち越し。あとは撮影現場をどうやって
ポジティブなものにしてゆくかを考えさせられた撮影でした。
翌9日は、3シーンの撮影でした。出演はKN君とKW君。
撮影は僕と、これまた最小ユニットで。
今回も前日の撮影同様、KN君とKW君のからみ。
撮れるシーンからサクサクをモットーに、この日も、シーン数は2つと少ないながらも
二人の協力で20カットを4時間と、まずまず無難な撮影を。前日の課題を克服しました。
この日も二人の撮影で、前日同様ダイアローグを飽きさせないようにと気を配りました。
生身の人が活きて喋るからこそ、人の心を打つ台詞になると思ってますので、
何を喋るかよりもどう喋るかが大切なのです。だからこそ、シチュエイションや
表情が映画では何より大切だと思います。
この作品にはデカプリオもケイト・ウィンスレットも出てきませんが、匹敵するだけの
良い表情はあると思っていますし、それこそが人に最も惹かれる部分だと思います。
ツラがどんなに良かろうが、表情が死んでいたら、そりゃ引っ張れません。
この映画で、僕は演出させていただきながら、どう意図を言葉で伝えようかばかり
腐心していましたが、結局はカメラに死んだ人間を写すのかどうかは演者の中から
気持ちを引っ張り出す事なのだから、そんな環境を創る事こそが大切なのでした。
言葉ばかりに頼らないと思っていたのに、結局は安易に言葉に頼ってしまったのでした。
今、この文章を書く為に、8日、9日に撮影したカットを見直していて、そんな気持ちにさせられました。
次回は、15日の撮影を振り返りたいと思います。
効果音は、残すところ後4割になりました。今回も音は気合が入っています。
音次第で映画は化けますから。観てもらいたいのは元より、今は早く聴いてもらいたい
と思っています。
11月を振り返ったばかり。舌の根乾かさず12月。坊主も走れば喉渇く師走。
12月は週末は毎回撮影でした。皆様にはお忙しい中、よくあれだけ御付き合いくださったなと。
思い出すと色々涙ぐんじゃいますね。そんな12月でした。
この時点で残り3割ちょっとでした。全42シーンの内、16シーン残っていたのかな。
そして、その14シーンを卸町の倉庫で撮影するというのが、12月のメインイベント。
今回、協同組合仙台卸商センターの方から倉庫を1カ月お借りする事が出来、
まずは7日に道具の搬入を。KN君、F君に手伝ってもらって、10BOX、
たまたま居合わせた劇団IQ150舞台監督ユースケさんから借りる道具や
持込の道具を倉庫に設置。
以前は撮影前の準備って嫌いでしたが、今回は割合そんな事もなく。
撮影というハレ舞台に巣立ってゆく道具たちの準備は、我が子を送り出す親の心もち。
親になったことないけど。結局映画で何が大切かって、リアリティの担保になりまして、
それはカットだとか、アングル以前に、演出だったり美術だったり、お客さんの
眼に入るモノが最も大切なのです。そして光やアングル、カットはそれを効果的に
伝達する為の手段でしかありません。なので、これらの屋台骨が貧しいと、
映画そのものが貧しく、画餅になってしまいます。そう思ってからは、この準備という
地味な作業が意義深いものになりました。
そして、KN君、F君の協力を得て、搬入無事終了。
翌8日には、MR君、KN君を迎えての撮影になります。
この日は、僕を含めた3人での撮影。
嫌がる二人に無慈悲にカメラを向ける僕です。
この撮影で、完全にMR君にも人格を疑われてしまったのではないでしょうか。
映像をつくる度に、「(人として)どうかと思う…」と人から言われてしまうのは、
もう止めたいのですが…。何だろ、つまりは人間終わってる?
寒い中、MR君を文字通り脱がせ、二人の絡みを無事撮影。
二人が風邪を引かなかったのが唯一の救い。
ダイアローグをどう構成するか、一つの課題として臨みましたが、その為に
用意した演出は、イササカ特異、アケスケに言うと、変、なようで、二人には
嫌な思いをさせてしまいました。
6時間で20カットは今後のスケジュールを考えても遅いかなと思うので、
翌日以降の修正案件として持ち越し。あとは撮影現場をどうやって
ポジティブなものにしてゆくかを考えさせられた撮影でした。
翌9日は、3シーンの撮影でした。出演はKN君とKW君。
撮影は僕と、これまた最小ユニットで。
今回も前日の撮影同様、KN君とKW君のからみ。
撮れるシーンからサクサクをモットーに、この日も、シーン数は2つと少ないながらも
二人の協力で20カットを4時間と、まずまず無難な撮影を。前日の課題を克服しました。
この日も二人の撮影で、前日同様ダイアローグを飽きさせないようにと気を配りました。
生身の人が活きて喋るからこそ、人の心を打つ台詞になると思ってますので、
何を喋るかよりもどう喋るかが大切なのです。だからこそ、シチュエイションや
表情が映画では何より大切だと思います。
この作品にはデカプリオもケイト・ウィンスレットも出てきませんが、匹敵するだけの
良い表情はあると思っていますし、それこそが人に最も惹かれる部分だと思います。
ツラがどんなに良かろうが、表情が死んでいたら、そりゃ引っ張れません。
この映画で、僕は演出させていただきながら、どう意図を言葉で伝えようかばかり
腐心していましたが、結局はカメラに死んだ人間を写すのかどうかは演者の中から
気持ちを引っ張り出す事なのだから、そんな環境を創る事こそが大切なのでした。
言葉ばかりに頼らないと思っていたのに、結局は安易に言葉に頼ってしまったのでした。
今、この文章を書く為に、8日、9日に撮影したカットを見直していて、そんな気持ちにさせられました。
次回は、15日の撮影を振り返りたいと思います。
効果音は、残すところ後4割になりました。今回も音は気合が入っています。
音次第で映画は化けますから。観てもらいたいのは元より、今は早く聴いてもらいたい
と思っています。
[ 07:00 ]
[ コマゴマ ]
お元気ですか?いかがお過ごしでしょうか?
現在、効果音の制作中ですが、5割終わりました。
ようやく半分なのか、後半分なのか、分かりませんが、この制作を通じて、
やれる事をやれる分だけ、コツコツと制作しています。
プロセス自体は初めてする事だったり、これまでより一段階上のクオリティを
目指したりと、新鮮でとても面白いものですが、早く次の作品に向かってゆきたいとの
思いもあります。
そうそう、音響デザインをやってくれているMR君(主演の一人)の家でアフレコのトラックを
加工したものを聴かせてもらいましたが、軽く鳥肌が立つクオリティで、期待と
分不相応なんじゃないかという怖気が渦巻きました。
正直、映画館で音がどう響くのかについてのノウハウを持っていないので、
(爆音で聴いても壊れない音のバランスを目指していますが)
その点では不安ですが、このアフレコのクオリティは頼もしいものがあります。
こうした自分の予想を超える出来事に直面すると制作していて楽しいと心から思えます。
頼んでいたBGMに関しても同様で、皆様からあがってくる音源がヤンチャで、
どう映像に乗っけてゆこうかと刺激を受けます。
さて今回は11月の撮影について、11月は1回。
11月23日に撮影を行いました。
このシーンでは、KA君に撮影に使う小道具をお願いし、また、彼にもシーンのアイディアをもらいました。
多分、突飛にうつるシーンになったと思います。
そして、そんなシーンに参加してくれるのは、OさんとKW君。また、ロケ先として
お家を貸してくれたFJ君と命メイキャッパーTさん!
雪もちらつく寒い日でした。午後6時にFJ君宅に集合してもらいましたが、
この時点でまだ準備が…FJ君の家での撮影はギミックを多用するのですが、
今度の撮影が最も手間が掛かったかもしれません。皆様にお手伝いいただきながら、
8時位から撮影開始。
下ごしらえが面倒だっただけで、撮影自体は快調でした。そのせいか僕自身、
少し奔放に撮影させてもらえました。演じてくれるKW君、Oさんも、それに応えてくれた、
パワフルな撮影でした。
序盤の数カット、ラストカットを撮影後、このシーンの山場の撮影をKW君と共に。
今回の撮影でのKW君は陰日向に献身的で、まるで死期間近な大富豪に嫁いだ若嫁のような
裏があるのではと勘繰りたくなる程(優しさに慣れていないもので…)。
隣の部屋ではヘルプに入ってくれたFJ君が見守ってくれていると思うと、
存分にKW君とあーでもなくこーでもなくと撮影出来ました。
カメラテストする暇もなく、撮影の前のリハーサルだけでの撮影は、リスク承知でしたが、
アングルを変え、動作を変え、何とか伝わるカットが撮れたと思います
(それでも、モニタがないので編集画面で確認するまでは不安でしたが)。
今回に限らず、この映画の撮影ではポスプロ作業に重点を置いていたので、
実際にどう撮影出来ているのか、どう加工するのか等、経験不足をリカバリするのが
大変ではありましたが、今後に繋がる撮影が出来ました。
次回は12月の撮影についてお届けします。
いよいよ、卸町の倉庫を使った撮影が始まります。
現在、効果音の制作中ですが、5割終わりました。
ようやく半分なのか、後半分なのか、分かりませんが、この制作を通じて、
やれる事をやれる分だけ、コツコツと制作しています。
プロセス自体は初めてする事だったり、これまでより一段階上のクオリティを
目指したりと、新鮮でとても面白いものですが、早く次の作品に向かってゆきたいとの
思いもあります。
そうそう、音響デザインをやってくれているMR君(主演の一人)の家でアフレコのトラックを
加工したものを聴かせてもらいましたが、軽く鳥肌が立つクオリティで、期待と
分不相応なんじゃないかという怖気が渦巻きました。
正直、映画館で音がどう響くのかについてのノウハウを持っていないので、
(爆音で聴いても壊れない音のバランスを目指していますが)
その点では不安ですが、このアフレコのクオリティは頼もしいものがあります。
こうした自分の予想を超える出来事に直面すると制作していて楽しいと心から思えます。
頼んでいたBGMに関しても同様で、皆様からあがってくる音源がヤンチャで、
どう映像に乗っけてゆこうかと刺激を受けます。
さて今回は11月の撮影について、11月は1回。
11月23日に撮影を行いました。
このシーンでは、KA君に撮影に使う小道具をお願いし、また、彼にもシーンのアイディアをもらいました。
多分、突飛にうつるシーンになったと思います。
そして、そんなシーンに参加してくれるのは、OさんとKW君。また、ロケ先として
お家を貸してくれたFJ君と命メイキャッパーTさん!
雪もちらつく寒い日でした。午後6時にFJ君宅に集合してもらいましたが、
この時点でまだ準備が…FJ君の家での撮影はギミックを多用するのですが、
今度の撮影が最も手間が掛かったかもしれません。皆様にお手伝いいただきながら、
8時位から撮影開始。
下ごしらえが面倒だっただけで、撮影自体は快調でした。そのせいか僕自身、
少し奔放に撮影させてもらえました。演じてくれるKW君、Oさんも、それに応えてくれた、
パワフルな撮影でした。
序盤の数カット、ラストカットを撮影後、このシーンの山場の撮影をKW君と共に。
今回の撮影でのKW君は陰日向に献身的で、まるで死期間近な大富豪に嫁いだ若嫁のような
裏があるのではと勘繰りたくなる程(優しさに慣れていないもので…)。
隣の部屋ではヘルプに入ってくれたFJ君が見守ってくれていると思うと、
存分にKW君とあーでもなくこーでもなくと撮影出来ました。
カメラテストする暇もなく、撮影の前のリハーサルだけでの撮影は、リスク承知でしたが、
アングルを変え、動作を変え、何とか伝わるカットが撮れたと思います
(それでも、モニタがないので編集画面で確認するまでは不安でしたが)。
今回に限らず、この映画の撮影ではポスプロ作業に重点を置いていたので、
実際にどう撮影出来ているのか、どう加工するのか等、経験不足をリカバリするのが
大変ではありましたが、今後に繋がる撮影が出来ました。
次回は12月の撮影についてお届けします。
いよいよ、卸町の倉庫を使った撮影が始まります。
[ 06:31 ]
[ コマゴマ ]
日本シリーズ以上に有名な、待ちに待った「どんたくシリーズ」が今年も開催されますね!
博多に夜はやってきません。夜が、那珂川が、街の明かりで輝く季節、皆様お元気でしょうか?
このシリーズで持ち直して欲しい福岡Sホークス(現在パ・リーグ5位)!!
でも、考えてみれば10年以上前にはAクラスに入るにも危ない球団でした。
僕らはあの日々を忘れない!あの1勝の重みを忘れない!!!!!
再び王監督を胴上げしたいのです(切望)!
玄界灘の潮風に舞う王監督!!!!
全世界60億もの人々が願う胴上げです。
福岡ソフトバンクホークスofficialsite
昨夜の「すぽると」小久保が4号ソロを豪快に埼玉の空に打ち上げたのに、
試合結果の画面でそれをクレジットしやがらなかったな!!!
ボケが!!!!!!!!!!
博多に夜はやってきません。夜が、那珂川が、街の明かりで輝く季節、皆様お元気でしょうか?
このシリーズで持ち直して欲しい福岡Sホークス(現在パ・リーグ5位)!!
でも、考えてみれば10年以上前にはAクラスに入るにも危ない球団でした。
僕らはあの日々を忘れない!あの1勝の重みを忘れない!!!!!
再び王監督を胴上げしたいのです(切望)!
玄界灘の潮風に舞う王監督!!!!
全世界60億もの人々が願う胴上げです。
福岡ソフトバンクホークスofficialsite
昨夜の「すぽると」小久保が4号ソロを豪快に埼玉の空に打ち上げたのに、
試合結果の画面でそれをクレジットしやがらなかったな!!!
ボケが!!!!!!!!!!
2008/04/30のBlog
[ 08:25 ]
[ 映画 ]
近頃、「ターンAガンダム」を観ていて、この作品は国内アニメーションの
前世紀No.1作品だという結論に至りました。
それほどの幸福と、また同時に口惜しさも味わえたこの作品について。
しかしながら、放映時には、従来のガンダム放映局と異なり、フジテレビ系列での
放映。それも、全国ネットではなく、限られた地域のみの放送。
また、ガンダムのデザインも、「ブレードランナー」でのデザインに代表される
シド・ミード氏のデザインされた奇抜なガンダムと、視聴者をふるいに掛けるような
放映になりました。
僕も、当時は容易くテレビを見られる環境に居なかったので、数話で断念。
(ひとえに、ディアナカウンタのメカデザインと、それにプロペラ機で挑む地球人を
観て、ふるいにかけられてしまいました)
しかし、その後も余りに噂に上らない事から、ついつい放っておいてしまった
アニメでした。
それが、この度観る事で、噂に上らないのが不思議でならないアニメーションだと
思い知りました。
このアニメの特筆すべき、いまだ及ぶべくもない美点として、キャラクタと世界観が挙げられます。
それをこれから示して、このアニメーションの素晴らしさを伝えてゆきたいと思います。
まずは世界観から。主人公のロラン・セヤックは、月の調査員として、物語が動き出す
2年前に友人のキース、フランと共に地球に潜入し、現地の炭鉱地主、フランハイム家に
雇われます。その土地では、代々成人の儀式として、ホワイトドールというご神体の前で
村の選ばれた男女が成人の聖痕を授けあうという儀式があり、その最中に月からの移住者、
ディアナカウンタがモビルスーツ(以下MS)に乗って、母船と共に降下してきます。
これに対し、地球ではヒステリックな反応として、これを排除する行為が、
また、ディアナカウンタもまた圧倒的な武力で撃退してゆきます。
その戦闘の最中、成人の儀式の最中、ホワイトドールと呼ばれる石像の中から
一体の白いMSが現れ、ロランが乗り込んでしまう事になるというのが、
この物語の粗筋です。
また、ロランが住む地域は、北アメリア大陸のイングレッサ領で、
他にもルジャーナなど複数の領地があり、それぞれを領主が束ねている群体です。
そして、それぞれの領地に独立して、ミリシャという軍隊があり、これらの
軍隊がプロペラ機、戦車、爆弾、マウンテンサークルから出土した機械人形を
使って、「月からの侵略者」ディアナカウンターを迎え撃つのです。
また、圧倒的武力差と書きましたが、月の技術力と比較し、北アメリア、地球の
技術力は、現代から見ても見劣りする、現在の19~20世紀程度の文明。
プロペラ機でMSを撃退しようとする様子は、月星人(ムーンレイス)を驚かせ、蛮族呼ばわりさせます。
こうしたディスコミュニケーションにロランは悩まされ、和解の道を模索してゆくのが
本作品の大まかな流れです。また、ムーンレイスの女王、ディアナ・ソレルと、
ロランの主人、キエル・ハイムが瓜二つである事も、和解への模索の架け橋として
機能します。
敵対してしまったイングレッサとムーンレイス、その両者の和平交渉の場でディアナとキエルは
対面しますが、その後、一時の戯れから、両者が立場を交換してしまう事で、
ミリシャの暴走、ムーンレイスの入植者の受難など、多くの問題が月と地球という
枠に収まらず噴出してきて、ここにひとつ現代にも通じる問題意識を我々は感じる事になります。
主人公のロランは、パイロットと呼ぶには可哀想なくらい、気の優しい少年で、
自らがムーンレイスだと隠して生活しているだけに、両者の断絶に心を痛め、
また一生活者として、困っている人たちも放っておけない、戦闘に不向きな性格。
実際、食事のシーンのロランが一番幸せそうな顔をしています。
これまでのように、戦争の被害をヒロイックに描くよりも、生活者の視点に立って
描き出される作品なので、視聴者は戦記のダイナミズムよりも地球の美しさや暮らす人々に
目を奪われる事でしょう。戦争を嫌悪しつつも、描く目線はヒロイックという、これまでの
戦争アニメの手法では、真に戦争に対しての痛切なカウンタにはなり得ないのでは
ないかと、このアニメを観て思い知らされました。
また、この地球の描き方もまた秀逸で、北アメリアという名前から私たちは現在の
アメリカ大陸を想像し、そのアメリカ大陸が先住民族を駆逐して築かれた国家である
事を容易に思い出されるでしょう。
しかし、この北アメリア大陸では、西洋文化を花開かせた人類が、月からの「侵略」を
受けるという、逆説的な事態に直面し、MSに飛行機でという、竹やりでも持ち出しそうな
蛮勇を振りかざすのです。これはハッキリした告発です。
そうしたかつての人類の営みを露骨に参照としつつ描き出される物語に目を奪われずには
居られません。
余談ですが、このルジャーナ領の領主、グエン卿は、ムーンレイスの技術力だけは
頂戴し、彼らにはお帰りいただくという腹積もりで、物語をかき回してくれます。
この姿勢、かつての明治の日本にソックリではないでしょうか?
次にキャラクタについて触れさせていただきます。先ほど、生活者の視点に立って、
と書きましたが、この作品で私は一つのお願いをしました。かつての富野アニメのような
虐殺は勘弁してほしいという願いです。これは富野アニメをご存知の方なら蛇足ですが、
富野監督のアニメでは、作品の終盤で、登場人物が沢山死んでゆくという傾向が
ありました。その事態だけはこの作品では回避して欲しいと思っていました。
それほどまでに、可愛らしい、正確には愛嬌のあるキャラクタが多いのが今作品の
特徴だと思います。戦争の裏には授乳が出来ず困る夫婦も居れば、同僚に求婚する
兵士も居ます。両軍にパンを売って、出来る限りで人を救おうとするパン屋。
感極まってすぐに泣いてしまう兵士、武器を抜かずに両手を広げて両軍を制止する主人公、
感情的で活発なお転婆お嬢様や、かつての戦争のトラウマで異常なほどにガンダムに
執念を燃やすパイロット、ドジで間抜けな、心根の弱い兵士、地球の現状を一生活者として
観察して激しく動揺する為政者や、政治の重圧に耐え抜く炭鉱地主の娘、
世間知らずなんだけど、心は素直な領主の娘など、魅力的な登場人物は挙げればキリがありません。
戦争を戦争だけ描くという手法では、これほど魅力的な登場人物は産まれなかったでしょう。
特に、この作品の裏の主人公と呼ぶべき、ディアナ・ソレルにはかつて一度地球に
訪れて、地球の男性と恋に落ちたという過去も持っています(しかしながら、
冷凍睡眠に入らなければならず、結ばれる事無く月に帰ってしまったのですが)。
このように多面的に描かれる人物が魅力的に映るのは仕方ありません。
そんな人物たちが直面する敵対に、ディスコミュニケーションに打ち勝つプロセスが
先ほど述べた現実を裏打ちした世界で描かれるのです。
少しばかり触れましたが、この物語では日本の昔話、とりかえばや物語、竹取物語と
いったおとぎ話にも着眼されており、それらの複雑に編まれた多くの参照点を
情緒豊かに描く事に成功したのが本作品であります。
その白眉が第17話「建国のダストフロー」の演説シーン。
勿論、この回以外にも素晴らしい回は多くありますが。
最後に、本作品を前世紀No.1と言ったのはワケがありまして。
映像表現としてだと、この作品に勝るアニメーションは多いと思いますが、
アニメーションが映画、人間を描き出すドラマとして勝る作品はありません。
「ガンダム」と名の付くだけに、1stを例に比較しても、舞台が「月と地球」と
距離的なスケールは小さいながらも、自然と人の営みという点では、1stの持たない
多面性を持っていますし、その分だけ人の持つ悩みも多様化してゆき、2項対立を
回避する方法を模索するのは容易な事ではありません。確かに、1stはエポックな
作品ではありますが、この作品は風化しない普遍的物語となる事に、つまりは
人間を描き出す事に成功しているでしょう。
それはこれまでのガンダムと大きく異なり、本作品では女性がすごく
活き活きしているからかもしれません。
主人公・ロランが支えるお嬢様たちは、気高く、女性である事に物怖じしませんし、
ロランの友達フラン嬢は戦場カメラマンとして(本当は新聞記者、有事の為の転身)
地球に月にとシャッターを切りまくる。リリ嬢はスカートを履いたままで、不甲斐ない男たちに代わり
アメリアを合衆しようと立ち上がる。
男たちは政治と戦争に奔走し、尻拭いを強く美しい女性たちに頼む事に。
通底して流れる、女性性こそがこの作品を魅力的にしているのだと思います。
この作品で、私は総監督、富野由悠季氏は
「世界の富野」と呼ばれうる存在だと思わされました。
むしろ、「ガンダム」という冠が小さく感じるほど、この「ターンエーガンダム」は
偉大な作品なのです。
他のガンダムは差し置いても、この作品だけは是非に観ていただきたい!
観ていない方があれば、老若男女問わず是非にご覧ください。
長くなりそうなんで、この辺で。
前世紀No.1作品だという結論に至りました。
それほどの幸福と、また同時に口惜しさも味わえたこの作品について。
しかしながら、放映時には、従来のガンダム放映局と異なり、フジテレビ系列での
放映。それも、全国ネットではなく、限られた地域のみの放送。
また、ガンダムのデザインも、「ブレードランナー」でのデザインに代表される
シド・ミード氏のデザインされた奇抜なガンダムと、視聴者をふるいに掛けるような
放映になりました。
僕も、当時は容易くテレビを見られる環境に居なかったので、数話で断念。
(ひとえに、ディアナカウンタのメカデザインと、それにプロペラ機で挑む地球人を
観て、ふるいにかけられてしまいました)
しかし、その後も余りに噂に上らない事から、ついつい放っておいてしまった
アニメでした。
それが、この度観る事で、噂に上らないのが不思議でならないアニメーションだと
思い知りました。
このアニメの特筆すべき、いまだ及ぶべくもない美点として、キャラクタと世界観が挙げられます。
それをこれから示して、このアニメーションの素晴らしさを伝えてゆきたいと思います。
まずは世界観から。主人公のロラン・セヤックは、月の調査員として、物語が動き出す
2年前に友人のキース、フランと共に地球に潜入し、現地の炭鉱地主、フランハイム家に
雇われます。その土地では、代々成人の儀式として、ホワイトドールというご神体の前で
村の選ばれた男女が成人の聖痕を授けあうという儀式があり、その最中に月からの移住者、
ディアナカウンタがモビルスーツ(以下MS)に乗って、母船と共に降下してきます。
これに対し、地球ではヒステリックな反応として、これを排除する行為が、
また、ディアナカウンタもまた圧倒的な武力で撃退してゆきます。
その戦闘の最中、成人の儀式の最中、ホワイトドールと呼ばれる石像の中から
一体の白いMSが現れ、ロランが乗り込んでしまう事になるというのが、
この物語の粗筋です。
また、ロランが住む地域は、北アメリア大陸のイングレッサ領で、
他にもルジャーナなど複数の領地があり、それぞれを領主が束ねている群体です。
そして、それぞれの領地に独立して、ミリシャという軍隊があり、これらの
軍隊がプロペラ機、戦車、爆弾、マウンテンサークルから出土した機械人形を
使って、「月からの侵略者」ディアナカウンターを迎え撃つのです。
また、圧倒的武力差と書きましたが、月の技術力と比較し、北アメリア、地球の
技術力は、現代から見ても見劣りする、現在の19~20世紀程度の文明。
プロペラ機でMSを撃退しようとする様子は、月星人(ムーンレイス)を驚かせ、蛮族呼ばわりさせます。
こうしたディスコミュニケーションにロランは悩まされ、和解の道を模索してゆくのが
本作品の大まかな流れです。また、ムーンレイスの女王、ディアナ・ソレルと、
ロランの主人、キエル・ハイムが瓜二つである事も、和解への模索の架け橋として
機能します。
敵対してしまったイングレッサとムーンレイス、その両者の和平交渉の場でディアナとキエルは
対面しますが、その後、一時の戯れから、両者が立場を交換してしまう事で、
ミリシャの暴走、ムーンレイスの入植者の受難など、多くの問題が月と地球という
枠に収まらず噴出してきて、ここにひとつ現代にも通じる問題意識を我々は感じる事になります。
主人公のロランは、パイロットと呼ぶには可哀想なくらい、気の優しい少年で、
自らがムーンレイスだと隠して生活しているだけに、両者の断絶に心を痛め、
また一生活者として、困っている人たちも放っておけない、戦闘に不向きな性格。
実際、食事のシーンのロランが一番幸せそうな顔をしています。
これまでのように、戦争の被害をヒロイックに描くよりも、生活者の視点に立って
描き出される作品なので、視聴者は戦記のダイナミズムよりも地球の美しさや暮らす人々に
目を奪われる事でしょう。戦争を嫌悪しつつも、描く目線はヒロイックという、これまでの
戦争アニメの手法では、真に戦争に対しての痛切なカウンタにはなり得ないのでは
ないかと、このアニメを観て思い知らされました。
また、この地球の描き方もまた秀逸で、北アメリアという名前から私たちは現在の
アメリカ大陸を想像し、そのアメリカ大陸が先住民族を駆逐して築かれた国家である
事を容易に思い出されるでしょう。
しかし、この北アメリア大陸では、西洋文化を花開かせた人類が、月からの「侵略」を
受けるという、逆説的な事態に直面し、MSに飛行機でという、竹やりでも持ち出しそうな
蛮勇を振りかざすのです。これはハッキリした告発です。
そうしたかつての人類の営みを露骨に参照としつつ描き出される物語に目を奪われずには
居られません。
余談ですが、このルジャーナ領の領主、グエン卿は、ムーンレイスの技術力だけは
頂戴し、彼らにはお帰りいただくという腹積もりで、物語をかき回してくれます。
この姿勢、かつての明治の日本にソックリではないでしょうか?
次にキャラクタについて触れさせていただきます。先ほど、生活者の視点に立って、
と書きましたが、この作品で私は一つのお願いをしました。かつての富野アニメのような
虐殺は勘弁してほしいという願いです。これは富野アニメをご存知の方なら蛇足ですが、
富野監督のアニメでは、作品の終盤で、登場人物が沢山死んでゆくという傾向が
ありました。その事態だけはこの作品では回避して欲しいと思っていました。
それほどまでに、可愛らしい、正確には愛嬌のあるキャラクタが多いのが今作品の
特徴だと思います。戦争の裏には授乳が出来ず困る夫婦も居れば、同僚に求婚する
兵士も居ます。両軍にパンを売って、出来る限りで人を救おうとするパン屋。
感極まってすぐに泣いてしまう兵士、武器を抜かずに両手を広げて両軍を制止する主人公、
感情的で活発なお転婆お嬢様や、かつての戦争のトラウマで異常なほどにガンダムに
執念を燃やすパイロット、ドジで間抜けな、心根の弱い兵士、地球の現状を一生活者として
観察して激しく動揺する為政者や、政治の重圧に耐え抜く炭鉱地主の娘、
世間知らずなんだけど、心は素直な領主の娘など、魅力的な登場人物は挙げればキリがありません。
戦争を戦争だけ描くという手法では、これほど魅力的な登場人物は産まれなかったでしょう。
特に、この作品の裏の主人公と呼ぶべき、ディアナ・ソレルにはかつて一度地球に
訪れて、地球の男性と恋に落ちたという過去も持っています(しかしながら、
冷凍睡眠に入らなければならず、結ばれる事無く月に帰ってしまったのですが)。
このように多面的に描かれる人物が魅力的に映るのは仕方ありません。
そんな人物たちが直面する敵対に、ディスコミュニケーションに打ち勝つプロセスが
先ほど述べた現実を裏打ちした世界で描かれるのです。
少しばかり触れましたが、この物語では日本の昔話、とりかえばや物語、竹取物語と
いったおとぎ話にも着眼されており、それらの複雑に編まれた多くの参照点を
情緒豊かに描く事に成功したのが本作品であります。
その白眉が第17話「建国のダストフロー」の演説シーン。
勿論、この回以外にも素晴らしい回は多くありますが。
最後に、本作品を前世紀No.1と言ったのはワケがありまして。
映像表現としてだと、この作品に勝るアニメーションは多いと思いますが、
アニメーションが映画、人間を描き出すドラマとして勝る作品はありません。
「ガンダム」と名の付くだけに、1stを例に比較しても、舞台が「月と地球」と
距離的なスケールは小さいながらも、自然と人の営みという点では、1stの持たない
多面性を持っていますし、その分だけ人の持つ悩みも多様化してゆき、2項対立を
回避する方法を模索するのは容易な事ではありません。確かに、1stはエポックな
作品ではありますが、この作品は風化しない普遍的物語となる事に、つまりは
人間を描き出す事に成功しているでしょう。
それはこれまでのガンダムと大きく異なり、本作品では女性がすごく
活き活きしているからかもしれません。
主人公・ロランが支えるお嬢様たちは、気高く、女性である事に物怖じしませんし、
ロランの友達フラン嬢は戦場カメラマンとして(本当は新聞記者、有事の為の転身)
地球に月にとシャッターを切りまくる。リリ嬢はスカートを履いたままで、不甲斐ない男たちに代わり
アメリアを合衆しようと立ち上がる。
男たちは政治と戦争に奔走し、尻拭いを強く美しい女性たちに頼む事に。
通底して流れる、女性性こそがこの作品を魅力的にしているのだと思います。
この作品で、私は総監督、富野由悠季氏は
「世界の富野」と呼ばれうる存在だと思わされました。
むしろ、「ガンダム」という冠が小さく感じるほど、この「ターンエーガンダム」は
偉大な作品なのです。
他のガンダムは差し置いても、この作品だけは是非に観ていただきたい!
観ていない方があれば、老若男女問わず是非にご覧ください。
長くなりそうなんで、この辺で。