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2004/07/14のBlog
[ 10:19 ] [ ぶっちゃけ日記 ]
中華料理屋さんの飲み物のメニューで発見。

ノンアルコール

えっ?

それって、ノンアルコール・ビールとか、あとになんかくっつくんじゃないの?

だからノンアルコールの何よ~。

それとも、ひまりんが知らないだけでそんな飲み物が出回ってるの?

注文してミネラルウォーターが出てきても文句言えない気もするし。

ノンアルコールでしょ?
[ 09:33 ] [ こんな私ですが… ]
コメントを書いたあと、送信ボタンが隠れて て、間違って スタートボタン をクリックしちゃうのは
ひまりんだけですか???

何度もやらかしてます、ぷぷぷ。。。
[ 09:20 ] [ ぶっちゃけ日記 ]
最近の陽射しは 暑い→熱い→痛い。
とても素肌をさらせたもんじゃないよ。
いえいえ、さらしたらエライことになるけど。
焼けないように最善の努力はしてるけど、やっぱり洋服で包まれてる部分とは差ができる。

夏真っ盛りで虫さんも飛び回ってるよ。
洗濯物を干してる途中で、なにやらどす黒いものが干したタオルの上にとまった。
怖いので、別のタオルで攻撃したら、ぶぉ~ん と、あんたマフラーの破れた車か? と思うような羽音で
飛んでった。
ホントに、あんまり大きな音で耳の奥が痛かった。

今日ひまりんはお仕事休みなの。
会社が休みなのよ。
だから、
「あ~暑いさなかに出てかなくてもよくてラッキー!」
なのに喜びもつかの間。
学校は午前中で終わりなんだった。
お昼ごはんいるよ。
スーパーの宅配サービスの配達は午後。
はい、買いに行きますよ、自力で…このクソ暑い中。
昨日のうちに注文するの忘れてた、アイタタタっ。

痛いことだらけだな~。
2004/07/13のBlog
[ 22:35 ] [ 思うんだけどさ… ]
何気ない言葉に勇気づけられたり励まされたり嬉しくなったりすることはよくあるよね。
たったひとことなのに、思い出しては顔をほころばせたりニヤけたり。。。
ずいぶん癒されることがある。

でも、そんな魔法の言葉でも、使用上の注意をおろそかにして遣い方に配慮がないと、たちどころに
凶器となって相手に襲いかかることになる。

しかも、現実にその形の存在する刃物や拳銃などとは違い、形がなくて目に見えないばかりか、
その言葉自体、また遣った当人には、なんら悪意のない場合がほとんどなのでやっかいきわまりない。

そう。
ここで言わんとするのは、凶器としてすぐに連想するような故意に発する誹謗・中傷の類ではない。


例えばその1:

ひとを誉めることは少しも悪いことではないよね。
むしろ、その人を認める気持ちの表れでとても良いことのはず。

でもでも、誰か1人だけを過剰に誉めちゃったりしたら、結果的に他の人たちをけなしていることに
ならないかなぁ…?
さりげなくじゃなくて、あくまでも過剰に…だったら。
 
誉められている内容が、その人だけにしかできないことだったとしても、周りの人にとって
あまりいい気持ちはしないよね。

その空気を読んだら、誉められた人もあまりうれしくはないと思うの。

行事で表彰するときは別として、個人的に誉めるのならその人が1人でいるときにしたほうがいいんじゃな~い?


たとえばその2:

悪い事例をあげようとして実在する誰かのことを引き合いに出すときには、まさか個人を特定できるような
表現はしないよね。
当然、名前も伏せておく。

でもそれが、ときとしてアダとなることもある。

ネタとして批判することだけが目的ではなくて、その人のためにならない・改善したほうがよいと
本当に思ってのことなら、
この場合も本人に直接言うべきだよね。

そうしないと、せめてもの配慮のつもりでとったファジーな表現で、それまで関わりのあった人たちに
「もしかして私のこと?」
と、疑心暗鬼を生じさせることになる。

そうなるとお互いの信頼関係も崩壊に向けてグラグラと音を立て始める…かも。


たとえばその3:

誰かがミスをしたとき、相手がすでに反省し後悔しているのに、何回も同じ事を忠告したら、その相手は
どう思うかな。

それは相手のことを思っての言葉でも、言われて傷つく度合いは、追い討ちをかけるように
非難されたときと大差がないと思う。
 
相手がすでに解っているのに、そのことを言葉にして釘を刺すのは、結局は言葉で追い込んで
逃げ道を遮ってしまう…その人の余裕をすっかり奪ってしまうことになりかねない。

そんな「がんじがらめ」の状態、誰しも覚えはあるよねぇ。


たとえばその4:

どこかに欠席する理由には、自分では重要なことでも他人から見れば取るに足らないというときもある。

「欠席します」 と申し出たあと、根ほり葉ほり理由を問い詰められ、あとで 「それぐらいのことで」 と
言われたら そんなことなら正直に言わなければよかった と思うよね。

欠席の連絡の目的は、その場所に行けないということを知らせることで、その理由が欠席に値するかどうかの
判断を仰ぐことではない。

無断欠席を弁護するわけじゃないけど、無届けになる欠席理由の中には、
欠席します、と言ったときに返ってくる言葉に傷つきたくないから
というのがきっとあるはずだ…。


パーフェクトな人間なんていない。
誰にでも、弱い部分・ずるい部分が必ずあるはず。

それを真っ向から否認されたら、そのときは自分の殻に閉じこもるしかない。

不完全であることを認めてあげさえすれば、言うほうにも言われるほうにも 余裕 が生まれる。

余裕というのは、例えば ブレーキの遊びのように、とっさの衝撃で傷つくことから自らを守るクッション のようなもの。
だからこれがないと、怖くて主力もMAXのパワーを出しきない。

形のない言葉の凶器は、その大切な余裕を奪って人を追い込んでしまう。
しかもそれはたちが悪く、どんな言葉からでも凶器に変化する。

思ったことを口に出す前に、
言ったあとで自分の言葉がどんな影響を与えるか、頭の中でシミュレーションしてみる
…のはいかがなものかな。
[ 21:52 ] [ こんな私ですが… ]
コメントの旅から戻ってきました。

日帰りですので、そんなに遠くにはいけましぇん。

結局、いつものお散歩コースでした、ガクッ。

充電しようとして気づきましたが、ひまりんは ソーラーパワー で可動してたのでした。。。
(もっと早く気づけよ)

何故って?

ひまりん のひまは ひまわり のひま。

ひまわりは 太陽の花 ですからね~。


いっぱいコメントもらってうれしかったですよ。
とっても、とっても。

それだけでも十分チャージできました!

それでは、これからもよろしくおねがいしま~す。
ちょっと充電しますね。
2004/07/12のBlog
[ 21:57 ] [ 思うんだけどさ… ]
TVの地震情報で
念のため津波に注意してください
って出たけど。

津波に注意するって、念のため にすることにしては大ごとじゃないの?

そのあとすぐに津波の心配はありませんって出たけど。

たぶんそうだろうなと思っても、やっぱりびっくりするよねぇ。

[ 09:53 ] [ パソコン好き好き ]
今朝の朝刊にくっついて来たパソコン教室のチラシに、
会社で足手まといにならないためにパソコンを習いましょう
のようなうたい文句が書いてあった。

会社でパソコンできないと足手まといなの?
そんなことはないでしょ…。

そりゃ、パソコンに限らず知ってるのに越したことはないかもしれないけどさ。

いくらパソコンできたって、会社にかかってきた電話にことごとく無愛想な対応しかできなかったら、
そっちのほうが足手まといじゃないの?

腕のいい職人さん、パソコンできなかったらその黄金の技術は封印されてしまうの?

できるかできないかじゃないと思うよ。

要は、機械にできることの範囲と仕事を機械にやらせることの人間の大変さを理解するってことだと思うの。

それさえ解っていれば、必ずしも自分でパソコンを操作する必要はない。

それを得意とする人に任せたらいいんだから。

適材適所 っていうじゃない。

それぞれが得意分野で活躍したらいいんじゃないの?

まぁね、自分の仕事はここまでです なんて言えないから、そこは仕事だと思ってやるしかないのかも
しれないけど。


会社で足手まといにならないためにパソコンを習いましょう じゃなくて、会社の偉いさん向けで、
仕事をパソコン(オフコンその他もね)にお願いするためのお約束あれこれ
な~んていう講座はどうかな?

例えば。
何度も確認の末、小数点以下がない前提で組んだプログラム、それにあわせてアウトプットするために
わざわざオーダーした規定シート。
ある日突然、ないはずだった小数点以下が出現しても、
今回だけとかなんとかいいようになんてわけにいかない
ってこと。

システム管理者はずっとパソコンの前にいて、実際何やってんだか偉いさん自身がわからなくても
決して遊んでるわけじゃないってこと。
みんなが普通に使えるように、もっと前の段階のことをやってるんだから。
間違っても 暇そう、これ頼んじゃおう などと思ってはいけない。

偉いさんがこういうことを解るだけでも、仕事でパソコン使ってる人は効率上がって助かるのさ。

嫌々習ってツールバー紛失させてるよりよっぽどいい勉強になると思うよ。

どう?
しつこいけどこの講座。
「仕事をパソコンにお願いするためのお約束あれこれ」
2004/07/11のBlog
関連したBlog 「Doblog 2880th street」 booさん

ひまりんもご近所を回ってみることにしました。(13240~13249)


 13241 わたくし、ひまりん でございます。

 13242 「CATS」 knockmanさん はじめまして。
 にゃんこちゃんいっぱいのblogですね。
 ご挨拶コメントにお返事いただけました、うれし~です。

ご近所回りの挨拶の品のコメント (ppeさんネーミング) はご近所3軒の方にお渡ししました。

番号のないうちの3軒分は、ひまりんが登録したときに間違っていくつも登録してしまい削除した分です。

だってさ~、設定を保存できませんでした って出たからてっきり登録ダメだったのかと思い、
もう1回やったらニックネームが使用済み。(当たり前だわね、自分で登録したんだから)

それの繰り返しでいっぱい登録してしまったのぉ~。(すみません)


みなさま、今後ともよろしくお願いしま~す。
2004/07/10のBlog
[ 22:08 ] [ 思うんだけどさ… ]
心がこもるという点では手書き文字のほうがだんぜん上だと思うけど、いろんな工程を経て
表される活字のほうが、ほんのちょっぴり信頼性が高い…ような気がしない?

(そのトラップに引っかかって、?を浮かばせながら、目を引く見出しの週刊誌を読んでしまうんだな~)

エッセイとか小説とか、何か本を読んだあと、その本によって考え方が変わった、と思うことはない? 

あるいは、もやもやした気持ちが吹っ切れた 迷いが消えて決心がついた ということはない? 

だからといって、さぞ道しるべになるような有り難~いことが書いてあるかというと、そうでもなかったり
するんだけど…。

それは、その本によって感化されたというより、自分の心の底に眠っている本音を、
その本
(の中の言葉)が言い表していた ということね。

その本を読むずっと前から、同じような気持ちの自分は存在していた。
だけどただ意識してなかっただけ。

何かを一人で選択しなければならないとき、それを決心することの重圧に、最初の一歩が
踏み出せずにいることはない?
 
誰かに判断を委ねられたらどんなに気が楽になることか。
いいえ。
すでに気持ちは決まっている。
あとは誰かがそっと背中を押してくれさえすれば。

そんなときに本を読み、活字の中に自分を見つける…。

今まで頭の中のイメージでしかなかったものが、目に見える活字となり共感を伴って現れたとき、
そこに、そっと後押ししてくれるもう一人の自分が存在するのではないだろうか。

自分を動かすことができるのは、他の誰でもない、言葉によって気持ちを再認識した自分自身 なのかも
しれないな~。