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2008/05/18のBlog
[ 19:01 ] [ どろり。 ]
会社のレクレーションで東京タワーへ行ったので
相方君に御土産を買ってきた。











おっぱいプリン part2

真ん中に可愛く東京タワーがいらっしゃいます♪








開けてみると、こんな感じ♪

「ゆっくりやさしく味わってネ」

と、今風なオネーチャンが囁きます(*´д`*)ハァハァ






あんまり美味しくないとは分かりきっていたので
一応フォローにとろ~りクリームプリン
買っておいて食べさせましたよ~。

もちろん

「お疲れ様♪ とろ~り、する?」

とCMのマネをすることは忘れません!(`・ω・´)シャキーン
ちゃんとアーンして食べさせたし、
私っていい彼女!貧乳だけどな!

さて、おっぱいんと言えば、実は4年前に新潟旅行に行ったとき
帰りに富山にいたなっちんに会いに(初対面)行った際の
手土産がまさにこれでした(ノ´∀`*)

写真は4年前に、おっぱいプリンのブラジャーをはずす
なっちん(*´д`*)ハァハァハァアハァ

さて、今日の夜に夜行列車で
4年ぶりに新潟に旅立ちますヽ(´ー`)ノ

まだ宿もどこに観光するかも決めてないけれど
まあ、4年前のように気楽な一人旅を楽しんできますえ!

その前に、新潟旅行の過去ログをアップしますが
過去の日付でアップしようと考えてます。
何度もリストにあがってしまうかと思いますが
そこは勘弁してください(^-^;A

では、いってきま~すヽ(´ー`)ノ
2008/05/17のBlog
[ 00:40 ] [ すもーく・ぶぎ。 ]
変な味がすると思ったら
唇を切って血が滲んでいたんだ。

現実は、ドラマみたいに上手くはいかないからね。

血の味がする煙草は
それなりに美味しくて
私はなんだかやりきれない。
2008/05/16のBlog
[ 02:44 ] [ めもがき。 ]
本当に久しぶりに、2年前に14年飼っていたコゲが死んだ時を思い出し、相方君の腕の中で、泣いてしまった。

そして、もう1つ今思い出した。

コゲが苦しんでいた時に、探し当たった祈りの言葉を。

神様 私にお与え下さい

変えられないものを受け入れる落ち着きを、

変えられるものを変える勇気を、

そして、その2つを見分ける賢さを


今の私に変えられるものは?
変えられないものは?

…分からない。。

でもだからこそ、祈る。

彼に、彼女に、私に、貴方に、皆に、

平安を…。
2008/05/15のBlog
[ 18:29 ] [ 過去ログさるべーじ。 ]
最近自分の中で感じるのは、21歳の私。
4年前の、rakuと名乗り始めた頃の私。
その私が今の私に一番近いのかもしれない。
その私が今の私に何か伝えたがっているのかもしれない。

その頃の私を知ってる人も、初めて会う人も、
4年前という時を気にせず、
私の妹の話としてでも読んでほしい。

彼女は今も、存在するのだから。

*************** 

2004/07/30のBlog 『情熱』

 きっと涙は 音もなく
 流れるけれど
 赤裸々に 頬濡らし
 心まで 溶かし始める


ぶっちゃけ、嫌いな言葉というのがあります。
あんまり自分の嫌いを言いたくなかったのですが
(だってそれは誰かを傷つけるから)
やっぱり自分の好き以上に見つけるのが苦手で
だからこそ見つけたら、きちんと整理しておかないと
自分はまた曖昧に逃げ、見失ってしまうから。
だから、すみません。

 うざい
 
これが、一番嫌いです。

私の同世代が良く使う言葉です。無意識にも。
だるい、さむい、めんどい等も普通の言葉として
定着していますが、
聞くたびに私の中に、何かが澱のように、
少しずつ溜まっていきます。
否定はしないし、私も場合によっては使うかもしれません。
それでも、嫌いは嫌いなんです。

嫌いとは、否定することじゃなくて、
何かを諦めることだと思っています。
伝えることを諦めること。
理解することを諦めること。
好きになることを諦めること。
つまり、私にとってストップがかかる稀有な例です。

私は、とても行動派だと言われます。
興味を持つと、動かずにはいられない。
感じて、動く。感動しやすいのです。
即行動の上、その量は圧倒するものがあるということで、
よく、うざがられるのです。
中には遠まわしにいう人、直接言う人、たくさんいますが、
私は直接言われた方が、嬉しいです。
行動にブレーキをかけられるから。改められるから。
「嫌い」としてストップをかけたくないのです。
「嫌われたく」ないのです。

だから、いつもセーブしている。これでも。
仮面を被って、生きている。これでも。
たった一人でいい。
私を許してくれる誰かを、待っている。
私は、そういう人なのです。
理解して欲しいのじゃなくて、事実として受け止めて欲しい。
私の手を握ればわかるように、
私は本当に熱いのです。
汗として発散できずに、体内を燻る熱が、存在するのです。
そんな自分が自分で、嫌いでした。 



  こわれるくらい
 抱きしめて欲しかったけど
 思い出に笑われて
 足跡も傷跡隠す


だから、ちょっとでも自分を誰かに解放しようとする時、
聞かずには、いられません。

 引かない?引いてない?引いたでしょ?

私は、私を否定されるのを、恐れています。
だから、ブレーキをかけようとしています。
否定するのになれて、肯定するのに、慣れていません。
否定されるのになれて、肯定されるのに、
慣れていません。

だから、これからしようとしている話は、
貴方が肯定してくれたから、
話せるんだよ、なっちん。
大丈夫だよって言ってくれたから、
話せたんだよ。
私の秘密。私の、情熱。

だから、もう聞きません。
こういうのが嫌いな人は、ストップしてやってください。
後生ですから。
私は、好かれたいんじゃ、ないだから。


 遠い昔の夢は
 怖いくらいに広く
 こぼれそうに蒼ざめてた
 空に2人抱かれて
3年前、そう18歳の頃に私は、
毎日2時間かけて東京にある大学まで通っていた。
往復4時間を、電車という空間で過ごした。
そこでの私の関心は、主に車内広告だった。

もちろん、車内ではたいてい本を読んでいたり、
人間観察をしていたりはするのだけれど、
電車の中の広告は、見える範囲全てチェックするのも
私の日課だった。
広告というものは、とても面白い。
人に注目されるために、惹きつけるために、
様々な方法を使って飽きさせない努力をしている。
それを見るのが、私の楽しみだったのだ。

ある秋の日、「手毬」という良寛さまに関する文庫本を、
読み終えた、ちょうどその頃だ。
私の目に、あるコピーが飛び込んできた。

 良寛さま
 難しい顔をしていると
 生きることも難しくなるばかりですね


どきっとした。

それは、新潟観光局の広告だった。
「むかしのはやさで歩こう」
というキャッチコピーがついている、
一枚の懐かしい感じのする写真広告。

一瞬で、心を奪われた。

それから、私はその新潟広告シリーズを
見つけるために、座らずに車内を動き回ることになった。
幸いなことに、入り口の上に、つり革の横に、
駅のポスターに。それはたくさんあった。
どれも期待どおり、期待以上の素晴らしさだった。
それは、広告ではなかった。
私へのメッセージに思えた。
私以外に、気にする人はいないかに見えたから。

 ひたむきな
 愛なんて、
 もう文学の中にしか
 ないのでしょうか。


それはまさに、私が「手毬」を読んでの感想だった。
そこには一人の女性が、木の下で本を持っていた。

私は、決めた。新潟に行くことを。

でもその前に、大学があったし、やることはいっぱいあった。
だから、私は、別な方向に突き進むことにした。

 このポスターを手に入れ、このポスターを作った人に会う。

若さとは無謀なもので、それなら簡単にできる気がした。
それから私はまず、駅員さんに聞いた。
ポスターを手に入れるのはどうしたらいいのか。
直接でも電話でもネットでも。
その答えは、わからない。だった。

それでも、私は諦めなかった。
ポスターに記載されている新潟観光局の連絡先を記録し、
そこに電話をかけたのだ。
担当者の方は、とても優しかった。
そこまで惚れこんだことを素直に喜び、
それならば彼が持っているポスターを私にくれる、
とまで言ってくれて、実際に無料で全てのポスターを
私に送ってくれたのだ。それも、すぐ。
私は丁重にお礼の電話をかけなおした。

私はそのポスターを、部屋にはった。
駅用のだから当然、大きい。
それでも、余計なものを全てどかし、
それらのポスターを貼っていった。

そこで、満足はしなかった。
見れば見るほど、手に入れれば手に入れるほど、
それを作った、生み出した人に、会いたくなったのだ。
小さくかかれた、名前を見つけた。コピーライターの。
それをすぐさまネットで検索をかけた。
あまりひっかからなかった。

それでも、その人が登録している、
大きなコピーライターの組織は見つかった。
まずは、そこに助けを求めた。
三年前の書き込みは、いまだに残っていた。

はじめまして。
ええと、Googleの検索で「●●」さんで検索をかけてここに辿りつきました。
私はJR××線の利用者なのですが、車内広告の
「新潟ディスティネーションキャンペーン」に纏わる
一連の中吊り広告のキャッチコピーを目にして、
すっかり惚れ込みまして、一連のキャッチで目にしたものは全て携帯に入力して、
それにも飽きたらず、新潟キャンペーンさんの方に直接電話して
それらのポスターについて色々お聞きしたりもして、
新潟支社や△△の製作会社等を経てコピーライターの
●●さんのお名前をお聞きしました。
もちろん、純粋にその一連の広告に惚れ込んだ以外の他意はなく、
一連のポスターのうちのまだ知らないものがあれば、見てみたい。
という欲求を叶えるために色々情報を集めさせて頂いたのですが、
これ以上詳しいことはわからないみたいなので、
作者の方と直接連絡をとれないかな、と思って
厚かましくもこの掲示板にかかさせて頂きました。


レスはつかなかった。
そこで、担当者の人にメールをだした。
今度は、返事が来た。●●さんのアドレスとともに。

私はついに、●●さんと繋がったのだ。

何を書いたりやりとりしたかは、私はよく覚えていない。
ただ、●●さんはとても喜んでくれた。
ありがとうと、言ってくれた。
私の方が、言いたかった。ありがとうと。
その代わり、新潟へこれから旅行に行きます。と答えた。

しかし、実際には、3年前にはいけなかったのだ。

そして、今、私は再び、●●さんと連絡をとることができた。
3年前なので、もちろん向うのアドレスも覚えていないし、
私のアドレスも変わっていた。
あのポスターの写真家の方のHPも見つけ、
そちらにも叙情を話し、連絡をとった。
写真家の方も喜んでくれて、このブログで紹介することを
許可してくれた。●●さんにも連絡をとってくれた。
私は3年前と同じように、コピーライタークラブに連絡をとり、
●●さんにメールを送ることができた。

一昨日、ようやく●●さんから、返信がきた。
私のことを、覚えていてくれた。
返信が遅れたことを、謝って頂いた。
今でも仕事で忙しくしているらしい。
暇ができたら、このブログの感想を送ってくれると、
約束してくれた。

そして、

今度の旅がよい旅になることをお祈りしております。
ではお気を付けていってらしてください。


と結んであった。

そうして、私は三年越しに、新潟へ行くのだ。

私の中の情熱は、言葉となって、発散される。
私の中の情熱は、行動となって、縁を結ぶ。
私の中の情熱は、貴方の情熱で、解放される。

 さあ、旅にでよう。貴方の言葉を持って。

 行ってきます。

(明日の朝、時間があれば●●さんのお名前と
コピーをご紹介します。写真家の映像つきで。)

 
 遠回りして
 あとずさりする
 雲を撫でて
 ほらね眠りの森が見えた

 きっと涙は

 「情熱」UA 


[ 更新日時:2004/07/30 13:45 ]
[ 17:04 ] [ めもがき。 ]
4年前、このブログを始めた夏、
私は新潟へ一人旅に出かけた。

それはヒキコモリから抜け出した
最初の大イベントであり
新潟で沢山の縁があった。

そして、4年後の今、再び新潟へ向かう。
来週、有給をとって4連休にしたのだ。

ヒキコモリから抜け出した小さなイベントとしては
朝顔を育てていた。
母親から種を貰い、一から自分で育て
秋になり種になったら、このブログで縁のできた人たちに
郵送で種を届けた。

その一つの種を、新潟で知り合った人にも送った。
今年、その人から年賀状が届いた。
3日程前、私はその人に葉書で「来週訪れます」と送った。
今日、泊まり仕事から帰ってきたら、葉書が届いていた。
新潟の人からだった。
私の訪問を楽しみにしてくれている旨と一緒に

 私、とてもよく貴女を覚えて居ります。
 ちなみにこの葉書の朝顔、貴女が送ってくださったものを
 知人のカメラマンが撮って私にくれたものです。


という文章が添えてあった。


なんて言葉にしていいのか、正直浮かばないのだが、、、

縁 という言葉の深さを噛み締める。

(しばらく「過去ログさるべーじ。」が増えるかもしれません。)
2008/05/13のBlog
[ 23:46 ] [ すもーく・ぶぎ。 ]
わーい。やっとドブログさんが立ち直ったよーヽ('A`)ノ
てわけで記念記事上げ(ノ・∀・)ノ

メッセ会話にて。

ドブロガ友人
「おまいってさあ…」
raku
「あによ('A`)」
ドブロガ友人
「平均台みたいな人生すきだなー」
raku
「平均台?!どういう意味だΣ(゚д゚lll)ガーン」
ドブロガ友人
「文字通りだ」
raku
「ジェットコースター人生ってこの間、高校友人に言われたばかりなのにヽ('A`)ノ」
ドブロガ友人
「ヘンな意味じゃなくてよ… ジェットコースターっていうよか…
周りに左右されすぎだなーと私は思うが」
raku
「そうだろうなヽ('A`)ノエッヘン
てか、それ言うならやじろべえじゃねぇ?ヽ('A`)ノおっとっとヽ('A`)ノ」

ドブロガ友人
「ああ!」
raku
「あによ、今度は('A`)ダルー」
ドブロガ友人
「棒倒しのようだ、とかどうよ?」
raku
「どうって言われても…ヽ('A`;)ノ
棒倒しって、あれか。砂場でやるやつか!だから!どんな人生だよw」
ドブロガ友人
「周りの砂:周囲の人々
立ってる棒:おまい で…」
raku
「…で?ヽ('A`)ノ」
ドブロガ友人
「こう・・・倒されないように~みたいな
周りも倒さないように~みたいな」
raku
「へ、へぇー('A`)」
ドブロガ友人
「あ、でも自立してないな('A`) 」
raku
「ガ━━ΣΣ(゚Д゚;)━━ン!!」

ドブロガ友人
「なんかもっといいのないかね…」

ドブロガ友人
「!!」
raku
「…今度は何だヽ('A`)ノ」
ドブロガ友人
「吹流し(こいのぼりでも可)とか
いい風が吹けば、、よく泳げる、みたいな・・・」
raku
「…屋根よ~り~た~か~い~ヽ('A`)ノ♪」
ドブロガ友人
「・・・って誰でもそうだろな_| ̄|○」
raku
「で、中身空洞ってかヽ('A`)ノ」
ドブロガ友人
「そこまでは思いつかなかったΣ(゚Д゚)」
raku
「工エエェェ(´д`)ェェエエ工工」
ドブロガ友人
「そういうとあれだな思い切り含みありそうな人生だよな」
raku
「…それが私の人生かい…('A`)」
ドブロガ友人
「(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン」
raku
「('A`).。oO() 」

2008/05/12のBlog
私がドブログで書き始めた時、すぐに尊敬すべき人、
私が師匠と仰ぐべき人ができた。

『コラム・インテリジェンス』のしげる50さん

そのコラムを一目みた私は、もう弟子に立候補した。
この人こそが、私の人生の師匠で文章の師匠で
私がなりたい私の師匠。
つまりは、全ての師なのだ。と完全に思い込んだ。

しげる50さんが私の存在に気がついてくれたのは
私がブログを始めた2004年6月11日の12日後のこと。
初めてしげる50さんからコメントを頂いた。
(当時このブログは『滞空時間』という名前だった。)

[ しげる50 ] [2004/06/23 07:54]
呼吸がくるしくなるほどの2100円の耳掻きへの物欲♪情熱♪いいないいなぁ(笑)
「滞空時間」は拝読していて自分にも当てはまることが多く
引き込まれたくない引き込まれたい感情の駆け引きを楽しんでおります(笑)
選択すること事態が必要なことなのかの選択に迷う時には選択しないでやり過ごしてきました。
はなからしません。ほっときます。いい加減です。
このいい加減に救われてきたことも「滞空時間」で気付き始めたばかりです(笑)


今現在から見ても
>選択すること事態が必要なことなのかの選択に迷う時には
>選択しないでやり過ごしてきました。
>はなからしません。ほっときます。いい加減です。

という言葉は私の心の底の底までに染み渡る言葉だ。

すぐさまコメントで返事を書いた。

>しげるさん
やーん。カキコありがとうございますー。
「インテリジェンスしげる」氏と勝手に呼んでブログ拝見させて頂いてました<(_ _)>
どんどん引き込んじゃいますよー。
滞空時間。それは空から落ちてるわずかな瞬間。
それが恐怖なのか恍惚なのは貴方次第なのであります。
ふふ。きっと気持ちいいぞぉヽ(´ー`)ノ


それから何かがきかっけでしげる50さんにメールを出して、しげる50さんの過去ログを全て読み、しげる50さんがコラムを更新すれば必ず、出来れば一番乗りにコメントを書き入れ、しげる50さんが薦めた本は買いに行き、しげる50さんのバイブルと聞けば自分の出来る色んな手段を使って手に入れた。

しげる50さんにいつか会いたくて、しげる50さんに振り向いてほしくて
しげる50さんのコメントがほしくて、しげる50さんにとにかく認められたくて
もう弟子として、夢中で仕方がなかった。

当時、4年前ぐらいになりますが、ドブログではオフ会というものが盛んで
しげる50さんの弟子と名乗る他の3名と一緒に、しげる50さんのオフ会、
というより勉強会、講習会、しげる50さんに集う会というのをやろうと
計画していたことがあった。(勿論、しげる50さんの承知の元)
わざわざそのためのブログまで作ったり、ネット上で参加者の呼びかけをしたり
冊子を作ろうとしたり、講習会場を取ろうと画策したりと、イベントとして
やっていこうと思った矢先、私以外の3名と連絡がとれなくなった。突然。

私は混乱した。

参加予定の者たちも混乱した。一体何があったのだというのか。
しげる50さんにどうして謝ろう?!どうして3人は連絡がつかなくなったの?!
私は、怒った。怒った挙句泣いてしげる50さんに泣きついたことを覚えている。
しげる50さんは事情を知っていて私に教えてくれてなだめてくれた。

結果、別の人が設けた機会で、
私はしげる50さんに直接お会いした。
その日は、次の日がしげる50さんの
50歳の記念すべき誕生日である日だったと記憶している。

多分だが、しげる50さんにお会いできる
最初で最後の機会だったと思う。

何を言われたかは、覚えてる。しげる50さんの登場の仕方や
他の人の対応や、会話や、その時喋ったり感じたことも。
でも、しげる50さんの顔や吸っていた煙草や服装は、全く思い出せない。
他の人の写真はあるけれど、しげる50さんは、恐れ多くて撮れなかった。
その時の感想があったので再掲してみる。

 しげる50さん
 いやあ、まさか会えるとは思いませんでした(笑)
 私のお師匠でございます♪
 運の良いことに、お隣の席で張り付いてましたYO!
 お話したことはたくさんありますが、(CICのこととかね)
 いやあ、もったいなくて語れないよっ(^_-)☆ミ
 でも、ほぼイメージどおりでしたよう。
 しげるさんもしきりに「ブログのままだね、rakuちゃん!」
 と仰っていたのでした♪
 えへ。ダンディなおじさまでした。(*´Д`)ハァハァ

 以上ヽ(´ー`)ノ


帰ってから、しげる50さんも私のことをブログに書いてくれた。

2004/09/21『真摯な淑女』
(内容についてはリンク先のしげる50さんの
ブログ記事でご確認ください<(_ _)>)

その頃私は、全くのヒキコモリであり、世の中と繋がりがなく
自分に誇れるものは何一つなく、自分自身にダメの烙印を押し
世界と繋がりたいけれどその手段がわからなくネットにのめり込んでいた。
ネットのrakuと自分の距離をはかりかね、自分自身が見れなくなっていた。
でも、しげる50さんはちゃんと『私』を見て下さったと感じた。
ヒキコモリという状態ではなく、rakuというネット上の人格でもなく、『私』を。
そんな経験は、初めてだった。

ずっとずっと、このまま弟子のままずっとずっとこの師匠を
追って追って追いまくろうと心に決めていた。
そして願わくば、一番の弟子になる。と。

その思いを私は貫くことが、出来なかった。

私はある理由によって、脳内がただれていったことが何度もあった。
しげる50さんの書くコラムの意味が理解できない。
コメント欄とにらめっこしても、書くべき言葉が見つからない。
しげる50さんの世界に入ってけない。
自分自身のブログに書くことも見つからない。

私は、静かにしげる50さんのブログから離れていった。

私は、弟子に相応しくない。
私は何も出来やしない。
私は師と仰げない。
私はrakuじゃ、ない。

それから数年がたち、ブログ名は変えてしまったけれど
今、私はまたrakuとしてここへ戻ってきた。

だが、しげる50さんに「ただいま」の挨拶をしにいかなかった。
私は、その資格がないのだから。
でもしげる50さんのブログやコラムはこっそり見守っていた。

私がkaguyaさんを探し始めた時、一番頼りたかったのはしげる50さんだった。

kaguyaさんとしげる50さんは、通じ合っていたと私は思っている。
kaguyaさんは決して私のようにしげる50さんを師だと仰いでいたわけではない。
ただ二人は、通じ合っていた。それだけは、自称弟子の私にもわかった。
kaguyaさんを私が探しているのなら、しげる50さんも手伝ってくれるかもしれない、
との淡い期待と打算もあった。

しかし、そうコメント欄でkaguyaさんを探していることをおそるおそる
久しぶりに書き込みして以来、今度はしげる50さんもブログを更新しなくなってしまった。
当然返信ももらえてないし、「ただいま」も言えてない。
3月20日に更新して以来だから、もうすぐ丸2ヶ月が経ってしまう。
コラム・インテリジェンスの更新は昔より頻度が少なくなったものの
これだけ更新が開いたことはなかった。。

あなたへ 

しげる50さん。rakuです。お久しぶりです。
今、お元気でいらっしゃるでしょうか?
お仕事が忙しいのでしょうか?
でもどんなに忙しい時でもしげる50さんは更新してらしていましたよね。
何かが、しげる50さんの身にあったのでしょうか?
しげる50さんとネット上で出会ってからもうすぐ丸4年が経ちます。
実際に現実でお会いしてからも数年経ちますが
私は真摯な淑女になれたでしょうか?
「ただいま」とあなたに申し上げる前に「おかえり」とあなたに
申し上げたいので、更新待っております。いつでもいつまでも。