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ペンギン夫婦の山と旅
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2004/12/03のBlog
タイ料理は一般に「辛い」というのが定評ですが、辛さの中にちょっと甘みと酸っぱさを加えた感じです。また、店によっては外国人(私たちも外国人です!)向けに、辛さを抑えた味付けのところもあります。数あるタイ料理のうちから、私たちが食べたものの一部をお伝えします。

まずは、お昼に土地の人が利用する「食堂」から。
これは「ポピア」という生春巻きを作っているところです。クレープのような薄い皮に野菜や肉を乗せて、くるりと巻いていきます。写真のように食材が並んでいて、好みで入れてくれます。
甘辛いタレをかけて(あるいは付けて)食べます。
日本で食べるものに比べて格段においしいので、♀ペンの大好物です。
この春巻きと豚肉と餅米のチマキ、それに牛肉の炒め物でお腹いっぱいです。

ただ、このような地元の人が利用する店ではビールは置いていません。
デザートに学校帰りの中学生たちと同じように、トコロテンと豆の上にかき氷を乗せ、ココナツミルクをかけた蜜豆風のデザート=ルアム・ミットを食べました。
夕方の果物市場。このようなお店がずらりと並んでいます。
パパイア、パイナップル、ブドウ、ザボンの他、見たこともない珍しい形のフルーツもあります。お値段は大きな西瓜半分で80B(210円くらい)です。

夜の露店。いろんな味の店が軒を連ねています。
これは、魚の練り団子(つみれのようなもの)を串に刺して油で揚げています。
一串10バーツ(26円)。スルメも見えますね。
これも夜店の味付け豚肉を売る店。
子ブタの丸焼きを包丁で切り刻んで量り売りしています。
テーブル下に捨てられた容器で分かるように、たこ焼き感覚で食べ歩きします。
次は夕食をご紹介しましょう。
[ 18:29 ] [ 矢田日記 ]
このところの運動不足で身体が鈍っているので、2時過ぎから2時間半ほど矢田丘陵を歩いてきました。なんと1ヶ月半ぶりの矢田歩きです。
キノコもコウヤボウキもなくなった淋しい尾根道を、ふかふかの落ち葉を踏みながら歩きました。
矢田山最高所から、1時間ほど前にいた松尾山を振り返った写真です。
矢田寺に下る途中、夏の終わりに白い花の写真を撮ったカラスウリが、真っ赤な実を付けているのを見ました。
夕暮れの矢田寺です。
真っ赤に色付いたモミジの下で、お地蔵さんが静かに佇んでおられました。
2004/12/02のBlog
[ 18:35 ] [ 旅日記 ]
なるべく珍しそうな(私にとって)花をお目にかけます。
名前は全く分かりません。図鑑やネットの検索をこまめにすればいいのでしょうが、学名など私には無縁ですので…

これはホテルの庭に咲いていました。
現地名を知りたいと思い通りかかった従業員に聞きますと、一寸考えたすえに「リャン」とも「リァン」とも聞こえる答えでした。日本語で「蘭」と教えようとしたようです。

これもホテルの庭に咲いていました。
ハマユウの仲間のような気がしますが…

これはハマナスの類でしょうか?
下の写真のように砂浜一面に咲いていました。
島北東部のパンペイというビーチです。
これは海を見下ろす山の中腹、標高400m付近で見たツル性の雑草です。
変わった形と綺麗な薄紫色の花でした。
[ 09:44 ] [ 旅日記 ]
11月26日、満月が上りました。海岸は大勢の人で賑わっています。
クラトンは、バナナの幹を輪切りにして葉っぱで捲き、その上を花で飾って線香やローソクを立てたものです。
30バーツ(80円ほど) でクラトンjを売っている少女に「写真を撮らせて」というと、にっこり微笑んでポーズをしてくれました。私たちも、このクラトンを買って砂浜に下りました。
クラトンは私たち人間の穢れや災いを乗せて海や湖に流すという、バラモン教起源の美しいお祭りです。
しかし波が打ち寄せて舟を浜に押し戻し、風が吹いてローソクの灯が消えたりで、満足な写真は一枚も取れませんでした。
(この写真は地元情報誌のものです。お布施?として何バーツかを乗せたり、爪や髪飾りを載せたりすることもあると書いてあります。)
ここ2~3年の間に急に盛んになったのは、筒型の凧に火を付けて熱気球の原理で空に飛ばすイーペインという「灯篭飛ばし?」です。
料金は80バーツ(220円)。つづいてこれを試してみました。
こわごわ火を点けて貰う♀ペン。「熱い、熱い」と言いながら手を放すタイミングをはかっています。
成功!どんどん大空に舞い上がっていきます。
今年の嫌だったことも、悩みもみんな一緒に飛んでいきますように…。
数知れぬイーペインがゆらゆらと夜空を舞い漂うのは、赤い蛍が乱舞するようで美しくも幻想的な眺めです。
いつまでも見飽きない夜空のショーに出会えて実に幸運でした。「島に来て良かった」とつくづく思いました。
ホテルに帰ってからも、部屋のテラスからも、まだ同じような光景を見ることができました。
2004/12/01のBlog
ロイクラトンは毎年、乾期が始まった満月の夜に行われる行事です。
たまたま私たちがプーケットに着いた翌日が満月でした。
ビーチには何日も前からアーチが立ち、人々が心待ちにしている様子がうかがえます。

この乗り物はトゥクトゥク。タクシーよりも安くて小回りが利くので、便利な庶民の乗り物です。
ホテルの前のバングラ通りはバトンビーチでも最も賑わう所で、ふだんでも深夜まで人通りが絶えないのですが、この日は本当のお祭り騒ぎ。
通行止めになった通りの中央は露店が建ち並び、ホテルの前にはステージが設けられました。
夜店の中にはこんなものもあります。
「THE PUKET CLIFF HUNGER 」の文字が見えますが、普段は別の場所で営業しています。お祭りを当て込んで通りの端っこに一日がかりで移動させ、できあがりました。
写真は上部三分の一で、見上げると結構高度感があります。

ステージでは「ニューハーフ・ショー」が始まりました。
とても「元」男性とは思えない、女性よりも美しいスタイルと容貌です。
♀ペンまでが、ウットリと見惚れておりました。
これは「本物の女性」のミスコンテストです。
番号と名前を呼ばれると、1人ずつ前に出て愛嬌を振りまきます。その度に、観客席から拍手と歓声が沸きます。
まだまだ、いろんな催しの中に町は夜通し賑わいました。
2004/11/30のBlog
11月25日から昨29日までタイ南部のプーケット島におりました。
南北50キロ、東西21キロの大きな島で「マンダリン海の真珠」と呼ばれる、美しい島です。数あるビーチの中でも一番賑わうパトン・ビーチのホテルを拠点にあちこち動き回りました。
しかし、何といっても暑さに弱いペンギン夫婦のこと、汗だくの5日間でした。
水が高いのをいいことに、♂ペンは昼からビールを飲んでおりました。(安いのです!)
これは私たちの泊まったバーンスコータイ・ホテルです。古いタイ王朝の名前を付けた落ち着いてエレガントな感じのホテルです。
今回が四度目で、マリンスポーツもエレファント・トレッキングも夜のエンターテイメントも経験し、主な観光地や島巡りも一応すませています。
それで今回は、ボーッとのんびり過ごすつもりでいました。ところが図らずも年に一度のお祭り、ロイクラトンに出くわしたのです。
これは日本で言えば「精霊ながし」、華やかな中にも厳粛さを感じさせる重要な行事です。(写真は地元情報誌より借用、詳しくはのちほどお伝えします)
不思議にも別の日にもう一つ大きな行事に出合いました。
標高450mほどの山の上にあるお寺から海を見ようと出掛けたところ、凄い数の車が上っていきます。なんと、この山の上に大仏が鋳造されることになり、その最初の「火入れ式?」だったようです。これも珍しい見ものでした。
南国の花は全て華やかで色彩に富んでいます。
ブーゲンビリアやハイビスカスの他、名前は全く分かりませんがランの類や野草に至るまでどこに行っても初めて見る花、、はな、ハナが咲き乱れています。
これも後程、あらためて写真を見て頂きます。
そして辛いので有名なタイ料理。
手前はかの有名な「トム・やん・君」。この辛さは半端じゃありません。
これは、かなり有名なレストランのものですが、屋台でも安いシーフードが食べられます。また屋台ではレストランでは絶対に食べられない珍しい物があります。
たとえば、食虫植物の「ウツボカズラ」にココナツで炊いた餅米を詰めたもの…こわごわ食べてみましたが「さくら餅」風で結構いけました。
これらも改めて紹介しましょう。
では…次回をお楽しみに…

2004/11/23のBlog
1934.11.22 0歳。大阪市東住吉区。田辺小学校前の紙卸小売商「芳村紙店」に長子出生。変でも愚でもない健やかな男の子だった。

1945年 10歳。大阪府大東市。前年、家族で移ったこの地で「疎開っこ」と言われながら、食糧難でひもじい思いの毎日を過ごす。

1955年 20歳。大阪府大東市。2年遅れで大学へ入学した年。同年生まれの石原裕次郎は翌56年「太陽の季節」でデビュー、一躍スターに…。


1958.11.23 24歳。六甲山。この月の初め、伯耆大山へ登り山の魅力を知る。その時と同じメンバーでこの日、宝塚から東六甲を縦走、芦屋に降りる。

*この後、11.23が祭日で連休になった年も多く、どこかの山で迎えたことが多かった。

1959.11.22 25歳。長野県茅野市、日赤病院。前夜、中央線の車中で山の先輩が急性虫垂炎に。即、手術の付き添いで病院のベッド脇で仮眠。11.23 単独で初冬の八ヶ岳へ。八ヶ岳鉱泉に泊まり、翌日、雪と岩の赤岳に登頂。
(写真は美濃戸からの横岳と赤岳)
1961.11.22 26歳。比良山、金糞峠下の幕営地。顧問をしている高校山岳部の生徒達が、思いがけず大きなバーズデーケーキで祝ってくれ感激する。美しい月夜だった。
11.23 昼前に雨から雪に変わったが無事に武奈ヶ岳登頂、写真の北比良峠を下る。

1965年 30歳。大阪府池田市。前年暮れ結婚。薄給の青年教師と一緒になった♀ペンは家計のやりくりに必死。

197911.22 フランス、パリ。文部省海外教育視察団の一員でギリシャ、ブルガリア、イタリア、フランスと回り、この日が最終日だった。団長と添乗員の好意で全員から誕生日を祝って貰う。しかし、ドゴール空港のストで飛行機が飛ばず、急遽、バスを仕立てフェリーでドーバー海峡を渡る。23日、半日余裕ができたのでロンドンの市内見物。ヒースロー空港から帰国の途に…写真はロンドン塔にて。
1999.11.22 65歳。ネパール、エベレスト街道。カラパタール(5,545m)への途次。ペリチェを過ぎると高山病の病の徴候が出てきた。昼食地のトゥクラはすでに標高4,600mを越えている。バッティの前の椅子に腰掛けて、念仏を称えながらマニ車を廻し続ける老人がいた。元シェルパで英語が話せる。歳をたずねると私と同年。辛く厳しい年月の皺がずっと年上に見せる。「俺はまだまだ若い!」急に元気が出て来た。

2003.11.22 69歳。ネパール、カトマンドゥ、トリブファン空港。16日に念願のゴーキョピークに登った。前回のカラパタールより200m程低いが、加齢のためか高山の影響はひどく食欲がなかった。今、3度目のネパールを離れようとしている。長い時間待ちで日付が23日に変わる1分前にやっと離陸した。「また必ず来るぞ!」離れていく眼下の町の灯に誓った。

そして昨日2004年11月22日、古稀を迎えました。

2004/11/22のBlog
「菜の花の中に城あり郡山」 基角
私の住んでいる大和郡山は十五万石の城下町です。

郡山城は織田信長の命により、筒井順慶が天正8年(1580)に築城。天正13年からは大納言・豊臣秀長が大和・紀伊・和泉百万石を治める居城なりましたた。江戸末期の享保9年(1724)には柳澤吉里(かの柳沢吉保の息)が甲斐から移り、明治まで十五万石の城下町として栄えました。

しかし、明治のはじめに城は壊され、石垣や掘だけが残されていました。今、近鉄電車から見える城郭(城址会館)はそれほど古いものでなく、県立旧奈良図書館の建物を移築したものです。ここ30年ほどの間に、市青年会議所などが中心となって追手門、隅櫓、多聞櫓などが復元されましたが、残念ながら現在、天守閣はありません。
そこに11月3日、突如、天守閣が出現しました。
毎年、この日には「親子まつり」が行われますが、今年はその30回、また市制50周年にもあたるので、市青年団体協議会が当時の資料を基に「幻の天守閣」を出現させたのです。
実は25年前にも同じ企画があり、今年はその復刻版です。当初は11月4日から解体される予定でしたが、費用と日数をかけた力作を一日で終わらせるのは惜しいという市民の声に、明日11月23日の「市制50周年フィナーレ」まで残されることになりました。
夜はライトアップもされています。

今日はその姿を見に行きました。上の写真は柳沢神社から、下は西公園の遊歩道からのものです。よく見ると発泡スチロール製の張りぼてなのですが、とてもそうは思えぬ堂々たる姿です。

情報を下さった「竜馬16さん」ありがとうございました。
2004/11/21のBlog
石楠花山は西裏六甲にある、訪れる人も少なく静かな山です。
快晴の土曜日、千日山歩渉会の仲間たちと訪れました。山頂の展望台からは目の前に摩耶山が、そして西六甲縦走路の通る山々の間から神戸の海が見えました。



ここだけでは物足りないので、カワウソ池からマムシ谷を下り、新穂高を回り込んで穂高湖(名前は立派ですが、小さなダム湖です)へ足を延ばしました。
湖畔を一周して徳川道を下り、桜谷出合いから車の置いてある森林植物園に向かいます。これは徳川道の飛び石渡りです。
午後遅くなっても、ちょうど紅葉が見頃の植物園は大勢の人で賑わっていました。
広い園内でカモシカを見たり、展示館を見学したりして遊びました。これは園内・長谷池のすばらしい紅葉です。
近く(池田市)に住んでいた若い頃には、しょっちゅう歩いた六甲ですが、最近はすっかり足が遠のいていました。懐かしい思い出が蘇った山歩きでした。

2004/11/19のBlog
雪嶺パチュムハムと岩峰ギャゾンカンの二つの未踏峰を登頂した大西隊、また日本人で初めてヒマラヤを越えてチベットに入国した川口慧海の足跡を求めた和田隊。日本山岳会関西支部が70周年行事として派遣した二つの登山隊の帰国報告会が、11月19日(金)、大阪堂島の中央電気倶楽部で行われました。

これは当日の読売新聞です。
会は登山隊実行委員長・平林克敏副会長)の開会挨拶、総隊長・阿部和行関西支部長の拶で始まり、大西保隊長の概要報告に続いてビデオ画面による青井隊員のパチュムハム登山報告、千田隊員のギャゾンカン登山報告と続きました。
写真はギャンゾンカン峰です。
和田豊司学術隊長から、川口慧海のツァンポ流域周辺の足跡踏査で、チベット入りのルートがほぼ二つに絞られたということが報告されました。
写真はお土産に頂いたネパール発行の「川口慧海」切手です。
その後懇親会に移り、解禁されたばかりのボージョレヌーボーなどを飲みながら隊員各氏とも楽しくお話しできました。私にとって特に嬉しかったのは、1年前にエベレスト・ビュー・ホテルで出合った千田隊員と再会できたことでした。千田氏は私たちと出会った後、冬のローチェ南壁に挑み、8000mを越す高所でのルート工作にすばらしい活躍をされたことが大西隊長から伝えられました。

最後に副実行委員長・重廣恒夫氏の閉会挨拶でお開きになりました。ご存知の方が多いと思いますが、エベレスト登頂をはじめ多くの足跡を世界の山々に残された有名な登山家です。♀ペンが大の重廣さんファンなので懇親会の途中、並んで写真を撮らせて貰いました。お別れするとき重廣さんから「奥さんによろしく」と言って頂いたことを、帰って伝えると、たいへん感激して喜んでおりました。

写真は登山隊からお土産に頂いたイラムティー(紅茶)とチベット産の岩塩です。慧海切手の他、ヒマラヤの高峰を描いた切手もたくさん頂きました。有意義で楽しい会でした。