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ペンギン夫婦の山と旅
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2005/01/20のBlog
[ 10:14 ] [ 身辺雑記 ]
[関連したBlog]たぬきのひとりごと「週刊誌」

現役時代に電車の中で愛読していた週刊誌は、リタイア後、
殆ど買いません。
散髪に行ったときに、待ち時間にパラパラめくるくらいです。
月刊誌で定期購読しているのが「ナショナルジオグラフィック」。
写真がきれいなので、日本語版創刊から、ずっと残しています。

左が「創刊前特別号」、右は最新号(5年1月)です。

PC雑誌や山の雑誌は気に入った記事があったときだけ
買うようにしています。
2005/01/19のBlog
[ 16:07 ] [ 矢田日記 ]
寒冷前線が通過するという予報が嘘のような、ぽかぽかと
暖かい日射しの中を歩きました。
いつものウシさんはお食事中で外の運動場に出てきません
でしたが、お寺の下のサザンカの木で大勢のメジロたちが
出迎えてくれました。
季節外れのヒガンバナのように、畑を真っ赤な色に染めて
いたのは、近づいてみるとナンテンの苗木でした。

矢田寺からまほろば見晴らし所に登る時、少し汗ばみましたが、
稜線の風はまだ寒い冬を思わせました。
東明寺から下る道で、ふと去年の低徘オフに咲いていたレンゲ
の花を思いだし、三ノ矢塚に行ってみました。
去年と同じ田圃の縁に、今年ももう咲いていました。
タンポポも、この写真のオオイヌノフグリも咲き始めています。
三の矢塚の近くで柿の実を食べていた烏が一斉に
飛び立って、頭の上を旋回したのにには驚きました。
ヒチコックの「鳥」を連想させる異様な光景でした。

大和民俗公園の梅林では他の紅梅も白梅も蝋梅も
まだ蕾ですが、この紅梅だけが花を咲かせていました。
民俗公園には、このうような大和の古い民家が移築、保管
されています。
春を思わせるうららかな日射しに、垣根のサザンカの色も
暖かそうです。
そうそう、今、民俗博物館で開かれている特別展示は
「春を待つ いなかの冬の暮らし」です。

2005/01/17のBlog
この二つの山は、家の近くからも矢田丘陵からも良く見える、
お馴染みの山です。
今日は、千日山歩渉会の仲間たち18人で歩きました。

写真は貝ヶ平山からの帰りに見た鳥見山です。
5日前とはうって変わり、鳥見山公園にも3㎝ほどの積雪がありました。
風がなく割合に暖かでしたが、ずっと曇り空で時々雪が舞うお天気です。
鳥見山から貝ヶ平へ近づくにつれ、次第に雪が深くなります。
美しい樹氷の林を縫って山頂に向かいます。
貝ヶ平山頂でのペンギン夫婦夫婦(右端)と仲間たち。
822mの低山ですが、十分に雪山気分を味わわせてくれました。
鳥見山に帰る頃には時々青空ものぞき、すっかり満足して下山しました。
期待通り雪見もできて、楽しい今年の初例会でした。
2005/01/12のBlog
[ 16:47 ] [ 矢田日記 ]
昼食後に矢田丘陵を歩きました。
一昨日のほぼ逆のコースで、まず牛サンにご挨拶。
あのときは赤い色に反応したのか実験?のために、
今日の♀ペンはグレーのヤッケ姿です。
それでも「今日は」「おいで」と声をかけると、とっとと
走って来て「ムオッ」と小さな声で鳴きました。
どうも私たちの顔を覚えてくれたようで嬉しくなりました。
本当に愛想の良い牛サンです。
矢田寺の下で、美しい色のキジが目の前を横切って
飛んで行きました。
数年前までは、矢田山を歩くと必ず一羽は出会った
ものですが、最近は滅多にお目にかかることができません。
矢田寺の本堂へは252段の石段を登ります。
右の大きなお地蔵さんは「味噌嘗め地蔵」さんです。

矢田寺のお話はこちらにあります。
「まほろば見晴らし所」からは、昨日登った鳥見山が
正面右手に見えます。
今日も雪が舞っているのか、薄い紗の幕を掛けたように
霞んでいました。
三角点を踏んで子どもの森に下り、今日はここから東明寺
を経て帰りました。
矢田でも雪が降り出し、今日も冷たい風が吹いていました。

これは東明寺の下で見た真新しい「勧請懸け」です。

民俗公園13:10…矢田寺を経て7丁石14:00…まほろば見晴らし所14:10…
三角点14:25…子どもの森を経て東明寺14:55…民俗公園15:20
今年の干支の山なので、大賑わいが予想された3連休が終わった
この日に登りました。
登山口に駐車場があるのですが、桜井の「まほろば湖」から登山口
まで6㎞弱の東海自然歩道を歩くことにします。
40分ほど登ると高塚山です。
自然歩道を離れて、急な踏み跡を山頂に登ってみました。
室町末期の戦国時代には、この山頂台地に高束城がありましたが、
松永弾正に滅ぼされたといいます。
この石には馬乗石という名が付いています。
高塚山を下ると、しばらく気持ちのよい林の中を歩きます。
山里に出て舗装路を登り、「まほろば湖」から1時間30分で
登山口の鳥見山公園に着きました。
稜線に登ると、激しい風が吹きすぎて凍るような寒さです。
その風に逆らいながら、鳥見山山頂に向かいます。
稜線から西側の眺めです。
雪雲の下に音羽三山が並んでいます。左から熊ヶ岳、雪のついて
いるのが経ヶ塚山、その右が音羽山です。
林の中で無展望の頂上には、ちょうど正午に着きました。
貝ヶ平山は次の機会に残して公園に下り、四阿の中で熱いラーメン
を作って暖まってから元の道を帰りました。
普通は榛原の方に下るのでしょうが、車での山歩きではこの点が
泣き所です。
2005/01/10のBlog
[ 18:04 ] [ 矢田日記 ]
今年は若草山山焼きをスーパーの屋上から見ました。
昨日、昼間の新年会で飲み過ぎて、夜、矢田山に登るのは危ないのでやめました。
まだ酔いが残っているのか、ピンぼけの写真です。

今日は昼前に矢田丘陵を歩いてきました。
大和民俗公園に車を置いて、峠池~小笹の辻~矢田山三角点を経て最高点へ。写真は「まほろば見晴らし所」からみたマダラに焦げた状態の若草山です。
氷が溶けかけた露ナシ池の水面に、青空と白い雲が映っています。
矢田寺に下り、塔頭の大門坊で「北向き地蔵」さんを拝んできました。願い事を一つだけ叶えて下さるというお地蔵さんは、お正月できれいな衣装に替えておられました。私たちもそれぞれにお願いをしてきました。

帰り道で牛舎の外に二頭の牛が出ていて、♀ペンが「寒いねえ」などと声をかけると寄ってきました。「サヨナラ」と通り過ぎようとすると、凄い勢いで柵の端まで走って追いかけて来ました。きっと赤いフリースを見たので興奮したのでしょう。ちょっと驚きました。

今日も2時間ノンストップで、ちょっと汗ばむくらいに歩きました。

民俗公園10:18…峠池10:50…矢田山三角点11:15…まほろば見晴らし所11:25…矢田寺11:50…民俗公園12:20
2005/01/09のBlog
午後になって二人で矢田山を歩いてきました。
矢田寺の駐車場には数台の車が置いてありました。すぐ前を走っていた車から
降りた二人連れも、ザックを背負い軽登山靴に履き替えています。私たちは
スニーカーにウエストバッグだけの軽装で歩きます。

稜線の国見台まで出ると音を立てて霰が降ってきましたのでヤッケを被りま
したが、松尾山に登る頃には止みました。引き返して稜線を矢田山へ。
土曜日だけあって何人ものハイカーに出合いました。再び雪がちらついてきた
ので、前を歩いているグループを何組かを追い抜いて急いで矢田山の三角点
に向かいました。

よほどの物好きしか登らない三角点周辺は、厚くく積もった落ち葉のジュウタン
がフカフカと足に心地よく、木の梢と雪のスダレ越しに生駒山が見えました。

まったく展望がないので、最高点の見晴らし所ににもよらず矢田寺に下りました。
休憩なしで2時間、急ぎ足で歩いて少し汗をかき、いいトレーニングになりました。
今日9日は若草山の山焼きがあります。
これは去年、矢田山の
「まほろば見晴らし所」から見た山焼きです。
2005/01/08のBlog
私の娘は、プーケットで長期滞在者にゲストハウスを提供する傍ら、
バイク、マウンテンバイク、ジェットスキーのレンタル、スピードポート
のチャーター。クルーズ、魚釣り、シュノーケリングなどのアレンジや、
ラチャ島など周辺の島への手配したりする仕事をしています。

その娘からの6日付けの便りです

「年が明けてプーケットも少しずつ落ち着いてきたようです。

元日の午前3時から、パトンビーチで被災を免れたトゥクトゥクの
運転手が集まって、みんなでプーケット空港から支援物資を
被害のひどかった隣の県のパンガー・クラビーに運ぼう、という
イベント?が行われ、娘の亭主も手伝いに行っています。

4日にも、トゥクトゥクで物資の輸送に行きました。
50台くらい有志が集まったそうです。新聞かなんかの取材の人
が来ていて、みんなパトンビーチも被害が大きかったのに、
そこの人達がもっとひどいところを助けていることに驚いたそうです。
本当にいろいろとみんな自分のできることで助け合っています。

実家に下宿している人達は、隣のビーチで仕事をしていて津波に遭い、
持っていたお金や携帯電話身分証明書などほぼすべてを失って、
途方にくれていました。
それでも死ななかっただけましなんですが、体中傷だらけで
痛ましいです。
実家のお母さんや義姉が、ご飯食べるときに一緒に呼んであげたりし
ていて、そのときに話を聞きました。

今部品を買ってきてジェットスキーを修理しているのですが、
前に働いていた人は田舎に帰ってしまっていて、あてにならないし、
直っても仕事を一緒にやってくれる人を探すのも大変そうと
思っていたら、今朝その家にいる人達3人(註・これまで別の所に勤めていた)
が手伝ってくれるといってくれました。
困ってるときに助けてもらったので、今度は自分たちが助けるから
みたいなことをいってくれて、すごくうれしかったです。

津波にあった人同士の連帯感というか、感じたこととが共感できる
部分がすごくあって、「誰が優しいかわかった」というのをみんな
言っています。テレビでも白人の人が「タイの人に助けてもらって」と
いうようなことをよく言っています。

タイ語に「ミーナムジャイ」という言葉があります。、
「親切で優しい」(ミーは、ある。ナムは水。ジャイは、心という意味)
といった意味の単語ですが、それがあちこちで使われています。
私もそのような、人の本質に触れるような思いやりとかそんな気持ちを
いろんな人から受けました。

まだまだ復興には時間がかかるでしょうが、みんなで頑張ります。」
2005/01/05のBlog
[ 18:22 ] [ 身辺雑記 ]
いよいよ本格的な冬が来るのに備えて、カー用品店で車のタイヤを
スタッドレスに交換してきました。

午後は高校ラグビーの準決勝戦をTV観戦。
私の母校は公立普通校ながら戦前(旧制中学校)、戦後のある時期まで、
淀川工業とならんで大阪代表(当時は2校)の常連校でした。
シーズンになると体育の授業も男子はラグビー。
正月には生駒山麓(河内側)にあった家から花園ラグビー場へ、
自転車で高校や社会人の全国大会を観戦にいったものです。

そんな訳で今も大のラグビーファン。
今日の第二試合は地元天理の応援。ノーサイド寸前に激しいタックルで
拾った楕円球を、一直線に持ち込んたプレーに、思わず「やった」とTVの
前で躍り上がりました。それまでに大工大の攻撃を耐えにたえた粘り強い
防御があってこその、すばらしい勝利でした。

そのあと、民俗公園まで散歩。早足で二周してくると薄暗くなりました。
今日も何事もなく平穏な一日が終わりました。
2005/01/04のBlog
[ 18:22 ] [ 矢田日記 ]
お餅とおせちで重くなった腰をやっとあげて、矢田歩きにでかけました。
途中でお天気が怪しくなってきたのを口実に、大和民俗公園二周に変更。
冬枯れの公園は寒々として、サザンカの花も殆ど終わりに近いようです。
蝋梅の蕾もまだ膨らんでいません。
帰り道で歌ヶ崎御廟に寄りました。
昭和53年4月に大和郡山市の文化財(史蹟)に指定されています。
以下は市の説明板から引用します。

高さ約10mの丘陵の先端部を利用し造られた、郡山藩主本多忠常(1661~1709)の墓。面稽(?)は約770㎡.忠常が没した宝永6年に嗣子の忠直が建てたもので、江戸時代の大名の墓碑としては模範的なものです。台は亀の形をしています。碑文には藩主の経歴が詳しく書かれています。碑文は大学頭林信篤の撰によるものです。

あまり知られていない郷土の文化財ですが、周囲の草がきれいに刈られて整備されたのを見て何年かぶりでお参りしてきました。