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なべちゃんの散歩道
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2005/08/12のBlog
今日の配付資料、毎日新聞?コピ-から
毎日 2005年7月3日(日)
発言席 「日本こそ中東和平の舞台」世界連邦宣言自治体全国協議会会長、京都府綾部市長:四方八洲男氏
 日本ほど中東和平の舞台にふさわしい所はない。一昨年夏、世界連邦都市宣言第一号の綾部市は「一滴の水を大河に-今こそ中東和平を!」という呼びかけを行い。イスラエルとパレスチナの爆撃やテロで父や親族を失った子供たち(14~18才)それぞれ7人ずつを綾部市-京都市-東京に招いた。
 憎しみのるつぼの中で壁を隔てた子供たち同士が交流することで共に語り、平和を誓ってほしいという願いを込めたプロジェクトであった。
イスラエル大使館、パレスチナ代表部、外務省、そして何より多くの市民の物心ともに熱いご支援をいただいた。
 首相官邸に出向いた子供たちを前に、小泉純一郎首相からは、「絶望は愚者の結論。勇気を!」という温かく力強い激励をいただいた。
 ◇イスラエルとパレスチナの旗を持った満場の綾部市民に向かって、イスラエルの少女があいさつした。「国へ帰ったら私は兵役につかねぱならない。しかし、戦争に勝利者はいない。双方に損失と死者をもたらすだけだ。平和を望む人々がいることを忘れないでほしい」
 ◇帰り着いたテルアビブ空港はイスラエルの管轄である。当然ながらイスラエルの子供たちはわずかな時間で荷物検査を終えた。しかしパレスチナの子供たちは、3時間もかかった。しかし、イスラエルの子供たちはパレスチナの子供たちの検査が終わるまで3時間もの間、じっと待ち続けた。そして手に手をとって家族の待つゲートに向かったという。
 ◇いつも白いチャドル(ベ-ル)をまとっていたパレスチナの少女のお母さんから電話があった。「娘は1年前に父親が殺されてから、とたんに話さなくなった。笑わなくなった。何とかせねばと悩んでいる時に綾部からの招待があった。思いきって参加させたが心配だった。しかし、その心配は思い過ごしだった。日本から帰ってきた娘は、イスラエルの子供と一緒にホームステイしたことや親切な日本人について楽しそうに話してくれた。人が変わったように明るくなった・・・」。お母さんの声は涙声だった。。
 このような情景からも明らかなように、イスラエルもパレスチナも日本に対する友情、日本に対する厚い信頼を抱いている。日本在住の双方の子供たちが同じ学校に通っているという事実もある。
 私が出会ったイスラエル人、パレスチナ人のすべてが「日本こそ中東和平の最高の舞台だ」と話している。時あたかも、小泉首相、町村信孝外相ともパレスチナヘの政府開発援助(ODA)の増額、アッパス議長の訪日の実現、シャロン首相の招請など次々と具体的な手を打ちつつある。
 中東和平を日本が積極的に働きかけ実現させることこそ、今起こっている日本に対する内外の危惧にに答え、平和への不動の姿勢を示すことになるのではないか。
 こうした国是を政府任せにするのではなく、。私たち地方自治体を含め草の根でしっかり支えなければならないと思う。
 一昨年の綾部プロジェクトは昨年、岡山市に引き継がれた。そして今年の夏は、徳島市で開催される。イスラエルとパレスチナの子供たちが共に阿波踊りの輪に入るのだ。
(毎週日曜日に掲載)
綾部世界連邦運動協会理事会があり、席上、鹿子木会長(写真右端)より、今国会において下記の国会決議成立の報告があった。
世界連邦運動の同志の皆様へ 国会決議成立のご報告
 拝啓、盛夏の候、皆様にはますますご清祥のことと、お喜び申し上げます。かねてから取り組んで参りました「世界連邦に関する国会決議」が、本日、同封しました文面をもって、8月2目の衆議院本会議において、成立致しましたことをご報告します。
 本決議は、衆議院議長の意向もあり、私どもによる“国連60周年にあたり国連改革および世界連邦の理想実現に関する決議案”ど原爆60周年にあたっての決議案”ど国連改革に関する決議案”の3つの決議案を議院運営委員会が1つにまとめ、本会議に提出するに至った次第であります。
 これもひとえに皆様方の永年にわたる活動とご支援による賜であり、今後政府が世界連邦実現を国是とするよう引き続き運動を展開して参りますので、何卒ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年に当たり更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」
 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破談兵器の拡散も懸念される。

このような国際社会の現実の中で、本院は国際連合が創設以来六十年にわたり、国際平和の維持と創造のために発揮した叡智と努力に深く敬意を表する。
 われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和の決意を新たにする決議」を想起し、わが国の過去の一時期の行為が他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。

 政府は、目本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。
 右、決議する。 平成十七年八月二目
2005/08/11のBlog
[ 08:49 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
千葉から孫が、夏休みでやってきた。着くと家にも入らず、上のお寺の境内で蟹取りをしていたが、二日目は父親と徳島までドライブして、野営(車中泊)し川遊び、獲物を持って帰ってきた。
手長エビと水中の虫状のいきもの。
エビと魚
大きなドロガメ
石も拾ってきた。
母親の娘は、遅れて電車で13日に帰省する。綾部在住の孫たちも泊まりに来て、我が家は加熱状態となる。
2005/08/10のBlog
昨年8月1日に「HP:綾部の文化財」をテスト公開して、おおよそ一ケ年経ちました。その間みなさまにご愛顧いただき、アクセス数が一万回を超えました。
心から厚く御礼を申し上げます。これからも良いHPづくりに努力して参りますので、倍旧のご指導、ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い蒸し上げます。

なお、あなたの身近な文化財記事のご投稿(写真・コメント)をお寄せください。
HPは皆んなでつくるものです。巻頭写真投稿写真ペ-ジ掲示板文化財だよりなど
の交流広場を設けています。手書きでお寄せくださればHP作成の作業は、こちらでさせていただきます。取材にも伺います。
綾部の文化財を守る会、ホ-ムペ-ジ委員会・リポ-タ- 一同。
2005/08/09のBlog
belage 様のブログ企画に協賛して
富山で社会人一年生になった頃の思い出です。
・1959(昭和34年4月10日)皇太子のご成婚。騎馬隊に先導された馬車に乗られ、沿道の人々にに手を振られる皇太子と美智子妃殿下の様子が映されました。
写真はweb 検索で引用しています。

・60年安保:樺美智子さんの死去に伴う日本を揺るがした大闘争でした。

・1961(昭和36年)6月トヨタ・パブリカが発売されました。
会社の上司が買いマイカー時代がやってきました。昭和41年マイカー元年と云われる、ニッサン・サニー発売、6ケ月遅れのトヨタ・カローラ発売に続きました。
2005/08/08のBlog
[ 10:09 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
「クマゼミ」が休んでいる。
クリックすると拡大します。
羽の先が少し切れているようだ。
「マイマイ」が、ずいぶんたくさんいる。桜に葉にくっついて揺れている。
平和な空、夏雲を写して「大欅」がそびえる。
遠く市境の「弥仙山」の秀峰が見える。頂上に金峯山神社が建ち明治初年までは、ここも「女人禁制」の地だった。
右手の「蓮ケ峯」から続く行者道があり、七堂伽藍が建っていた。
現在は宗教「大本」の聖地、信仰の山。
[ 09:57 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
[関連したBlog]
真夏の「アブラゼミ」の声がせわしい。
昼どきは「アブラゼミ」の天下だ
枯れた感じの「カマキリ」が休んでいた。
桜の葉先を若々しい「小カマキリ」が渉っていったが、撮るタイミングを外した。
空に青いシルエットで浮かび、画になったのに残念。
「コガネムシ」が、樹皮から密を吸っている。
「さるすべり」が夏空に鮮やか
2005/08/07のBlog
柏原資料館・栢原藩陣屋跡(国指定史跡)・田ステ女記念館
織田信包・織田信勝・宇陀騒動・織田信休・栢原藩の領地
田ステ女記念館・元禄の四俳女・尼僧 貞閑
柏原藩陣屋跡・表御殿・書院・上の間・長屋門
柏原藩陣屋跡
陣屋は、織田信休が移封後約20年を経た正徳4年(1714)に造営したものです。当時の陣屋は、約20、000平米の敷地に表御殿、中御殿、奥御殿のある主屋や台所、幕末には藩校の崇広館等が存在しました。現存するのは、文政3年(1820)に再建された表御殿の一部で昭和46年国の史跡に指定されました。
玄関を上がって・・
陣屋跡、文政3年(1820)に再建された表御殿の一部を見る
見学して回る
書院
書院・上の間
栢原藩陣屋跡(国指定史跡)
指定年月日:昭和46年1月6日 所有者、管理者:柏原町
柏原藩陣屋跡は、正徳4年(1714)に初代藩主織田信休によって造営された柏原藩主織田氏の居館跡である。道営当初の建物は、文政元年(1818)の火災で焼失し、文政3年(1820)頃に再建されたものが建存する御殿である。現在は表御門の部分と長屋門が残るだけであるが、門から御殿玄関へと続く構えは、全国的に類例が少なく、近世大名の居館を考えるうえでも貴重な遺構として、国の史跡に指定されている。
平成6年3月 柏原町
柏原藩陣屋跡に向かう
陣屋跡玄関に腰掛けて、一行18名+1(撮影者)