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2005/08/22のBlog
[ 19:41 ]
[ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
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「キツネノカミソリ」です。今回は舞鶴~大江にかけて由良川右岸の路肩のあちこちに
今咲いています。
ふじもと様、季節の花、有り難うございました。「ヒガンバナ属・ヒガンバナ科」の花だそうですね。
「キツネノカミソリ」です。今回は舞鶴~大江にかけて由良川右岸の路肩のあちこちに
今咲いています。
ふじもと様、季節の花、有り難うございました。「ヒガンバナ属・ヒガンバナ科」の花だそうですね。
2005/08/21のBlog
[ 12:00 ]
[ 山野草・滝(ふじもと様投稿) ]
[ 11:45 ]
[ 文化財を訪ねて ]
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京都市歴史資料館テーマ展
城郭と寺社 ・ 大工頭中井家の絵図から・・・・・前ブログにつづいて四方續夫事務局長提供資料からのOCR収録です。解説のかなりの部分を省略しました。
■中井家絵図について
大工頭中井家は江戸幕府の旗本で、代々京都に居住した。現上京区寺町通丸大町上る・同志社新島会館敷地がその旧地である。
中井家はもともと法隆寺(奈良県)の宮大工の家であるが、旗本初代大和守正清(1565~1619)が五畿内・近江の大工等支配を命じられた時以来、徳川家の大工として重要な建築工事にたずさわってきた。とくに初代正清は徳川家康の絶大な信頼を受け、二条城、江戸城、駿府城、名古屋城、増上寺、大仏殿方広寺、久能山東照宮、日光東照宮などの大工事を担当した。
中井家では業務の必要に応じさまざまな図面が作成された。それらの絵図類は、現在宮内庁(書陵部)、京都大学(附属図書館)、京都府立総合資料館に分蔵されている。今回展示した絵図類は中井家に伝えられたもので、京都市歴史資料館に寄託されている581点の一部である。
京都市歴史資料館寄託絵図頼については、大阪市立大学の谷直樹氏により総合調査が行われ、その成果は、谷直樹編『大工頭中井家建築指図集 中井家所蔵本』(2003年思文閣出版刊)として刊行された。詳細は同書に譲るが、中井家絵図は建築史だけではなく、歴史学の貴重な資料でもある。とくに二条城、知恩院などの城郭や寺社の指図(平面図)や立地割図(断面図)や鳥瞰図は、京都の歴史にとっても重要であることはいうまでもない。
今回の展示では、中井家絵図の中から、城郭絵図と寺社絵図を選んで展示した。とくに二条城とその周囲の図をまとめて展示した。
■解説
1.水口城御指図
水口(現滋賀県甲賀郡)は、東海道に而して位置する城下町である。水口城は、寛永十一年(1634)の三代将軍家光の上洛に際し、宿泊用の施設として造営された。寛文十年(1670)の年紀があるこの図面からは、堀で囲まれた本丸と、その西北部に位置する二の丸で構成されており、天守は設けられていなかったことが分かる。
京都市歴史資料館テーマ展
城郭と寺社 ・ 大工頭中井家の絵図から・・・・・前ブログにつづいて四方續夫事務局長提供資料からのOCR収録です。解説のかなりの部分を省略しました。
■中井家絵図について
大工頭中井家は江戸幕府の旗本で、代々京都に居住した。現上京区寺町通丸大町上る・同志社新島会館敷地がその旧地である。
中井家はもともと法隆寺(奈良県)の宮大工の家であるが、旗本初代大和守正清(1565~1619)が五畿内・近江の大工等支配を命じられた時以来、徳川家の大工として重要な建築工事にたずさわってきた。とくに初代正清は徳川家康の絶大な信頼を受け、二条城、江戸城、駿府城、名古屋城、増上寺、大仏殿方広寺、久能山東照宮、日光東照宮などの大工事を担当した。
中井家では業務の必要に応じさまざまな図面が作成された。それらの絵図類は、現在宮内庁(書陵部)、京都大学(附属図書館)、京都府立総合資料館に分蔵されている。今回展示した絵図類は中井家に伝えられたもので、京都市歴史資料館に寄託されている581点の一部である。
京都市歴史資料館寄託絵図頼については、大阪市立大学の谷直樹氏により総合調査が行われ、その成果は、谷直樹編『大工頭中井家建築指図集 中井家所蔵本』(2003年思文閣出版刊)として刊行された。詳細は同書に譲るが、中井家絵図は建築史だけではなく、歴史学の貴重な資料でもある。とくに二条城、知恩院などの城郭や寺社の指図(平面図)や立地割図(断面図)や鳥瞰図は、京都の歴史にとっても重要であることはいうまでもない。
今回の展示では、中井家絵図の中から、城郭絵図と寺社絵図を選んで展示した。とくに二条城とその周囲の図をまとめて展示した。
■解説
1.水口城御指図
水口(現滋賀県甲賀郡)は、東海道に而して位置する城下町である。水口城は、寛永十一年(1634)の三代将軍家光の上洛に際し、宿泊用の施設として造営された。寛文十年(1670)の年紀があるこの図面からは、堀で囲まれた本丸と、その西北部に位置する二の丸で構成されており、天守は設けられていなかったことが分かる。
2.豊臣時代大坂城指図
天正十一年(1583))に豊臣秀吉が築いた大坂城は難攻不落を誇ったが、元和元年(1615)の大坂夏の陣で落城した。徳川氏による再建は、豊臣氏の大坂城にかぶせるように築かれ、城は大きく姿を変えた。この図は豊臣時代の大坂城の姿を伝える貴重な指図である。昭和34(1959)の調査で発見された石垣が本図の記載内容と一致したため、内容の信頼性が高まり注目を巣めた。
3.行幸御殿井古御建物御取解不相成以前二条御城中絵図 解説を省略
4.御城之図(二条城) 解説を省略
5.二条御城惣御指図 解説を省略
6.御本丸之図 解説を省略
7.二条御城御本丸地坪数絵図
8.二条御城二之御丸地坪数絵図
9.二条御城外曲輪地坪数絵図
三点とも享保十三年(1728)八月に作られた指図で、本丸・二の丸・外曲輪の敷地の形状と規模などを示している。本丸は約五千五坪、周囲の塀四千八百七十七坪などを加えると、総敷地は約一万五十二坪(約三万四千平米)。二の丸は総敷地九千六百三十三坪、外曲輪(御城外御撰)は約四万四千三百七十八坪(約百四万六万四千平米)という広大な規模である。
10.二条御城内御預り所絵図 解説を省略
天正十一年(1583))に豊臣秀吉が築いた大坂城は難攻不落を誇ったが、元和元年(1615)の大坂夏の陣で落城した。徳川氏による再建は、豊臣氏の大坂城にかぶせるように築かれ、城は大きく姿を変えた。この図は豊臣時代の大坂城の姿を伝える貴重な指図である。昭和34(1959)の調査で発見された石垣が本図の記載内容と一致したため、内容の信頼性が高まり注目を巣めた。
3.行幸御殿井古御建物御取解不相成以前二条御城中絵図 解説を省略
4.御城之図(二条城) 解説を省略
5.二条御城惣御指図 解説を省略
6.御本丸之図 解説を省略
7.二条御城御本丸地坪数絵図
8.二条御城二之御丸地坪数絵図
9.二条御城外曲輪地坪数絵図
三点とも享保十三年(1728)八月に作られた指図で、本丸・二の丸・外曲輪の敷地の形状と規模などを示している。本丸は約五千五坪、周囲の塀四千八百七十七坪などを加えると、総敷地は約一万五十二坪(約三万四千平米)。二の丸は総敷地九千六百三十三坪、外曲輪(御城外御撰)は約四万四千三百七十八坪(約百四万六万四千平米)という広大な規模である。
10.二条御城内御預り所絵図 解説を省略
11.二条御城御天守
寛永三年(1626)の後水尾天皇行幸以前に完成した五層の天守の軸組図で南妻面を示す。この天守は寛延三年(1750)の落雷で焼失した。
12.御城内御本丸二之御丸御殿向絵図 解説を省略
13.二条御城中二之御丸御庭蘇鉄有所之図
14.二条御城中二之御丸御庭蘇鉄之図 以上の解説を省略
15.東大御番頭小屋絵図 解説を省略
16.西大御番頭小屋絵図 解説を省略
17.二条御城内東御番衆小屋絵図拍
18.二条御城内東御番頭小屋井与力同心小屋絵回拍
19.二条御城内西御番頭小屋絵図拍
20.二条御城内西御番衆小屋井同心小屋絵図拍 以上の解説を省略
21.二条御城廻り御役屋鋪絵図
22.二条御城廻り絵図
23.二条御城廻絵図
24.二条御城廻絵図 以上の解説を省略
25.所司代屋敷絵図 解説を省略
26.御所司上屋鋪表座敷之図 解説を省略
27.御評定所図(京都所司代)
京都市中の裁判は、町奉行の管轄であったが、正徳四年(1714)に水野和泉守が所司代に就任すると、邸内に評定所を新設し、町奉行では手に負えない訴訟をそこで裁断することになった。評定所は、享保二年(1717)に水野から松平伊賀守に所司代が交代すると取り壊された。
28.東御役屋敷絵図(京都町奉行所)
29.西御役屋敷絵図(京都町奉行所)
東西の町奉行の役宅図。奉行の邸宅と具に敷地の大半を占めているのが奉行所(役所)である。そこには、公事方、勘定方、証文方などの与力・同心が勤務する事務所や、白州、公事入居所(訴訟をする人の待合室)などの裁判施設などが配置されている。他にも馬場や池、稲荷社までも備えた広大な敷地は、東町奉行が約5327坪、西町奉行が約3886坪であった。
30.牢屋敷絵図
これは六角牢屋敷(正式には三条新地牢屋敷)として知られる牢屋敷でニ条城の南、六角通大宮西入に位置した。天明8年(1788)の年記があり、天明8年の京都大火焼失後の復興に関連して作成されたと考えられる。牢屋敷の管理は町奉行配下の雑色がおこなっていた。
31.守護職上屋鋪絵図 解説を省略
32.伏見古御城絵図 解説を省略
33.山州淀御城御天守木口指図 解説を省略
34.江戸御天守
35.江戸御天守
江戸城天守の軸組図。最初の天守は慶長十二年(1607)に完成したが、その後も元和・寛氷期に改築された。本図は元和期の改築のものであると考えられる。江戸城天守は、明暦三年(1657)に焼失後、再建されることはなかった。
寛永三年(1626)の後水尾天皇行幸以前に完成した五層の天守の軸組図で南妻面を示す。この天守は寛延三年(1750)の落雷で焼失した。
12.御城内御本丸二之御丸御殿向絵図 解説を省略
13.二条御城中二之御丸御庭蘇鉄有所之図
14.二条御城中二之御丸御庭蘇鉄之図 以上の解説を省略
15.東大御番頭小屋絵図 解説を省略
16.西大御番頭小屋絵図 解説を省略
17.二条御城内東御番衆小屋絵図拍
18.二条御城内東御番頭小屋井与力同心小屋絵回拍
19.二条御城内西御番頭小屋絵図拍
20.二条御城内西御番衆小屋井同心小屋絵図拍 以上の解説を省略
21.二条御城廻り御役屋鋪絵図
22.二条御城廻り絵図
23.二条御城廻絵図
24.二条御城廻絵図 以上の解説を省略
25.所司代屋敷絵図 解説を省略
26.御所司上屋鋪表座敷之図 解説を省略
27.御評定所図(京都所司代)
京都市中の裁判は、町奉行の管轄であったが、正徳四年(1714)に水野和泉守が所司代に就任すると、邸内に評定所を新設し、町奉行では手に負えない訴訟をそこで裁断することになった。評定所は、享保二年(1717)に水野から松平伊賀守に所司代が交代すると取り壊された。
28.東御役屋敷絵図(京都町奉行所)
29.西御役屋敷絵図(京都町奉行所)
東西の町奉行の役宅図。奉行の邸宅と具に敷地の大半を占めているのが奉行所(役所)である。そこには、公事方、勘定方、証文方などの与力・同心が勤務する事務所や、白州、公事入居所(訴訟をする人の待合室)などの裁判施設などが配置されている。他にも馬場や池、稲荷社までも備えた広大な敷地は、東町奉行が約5327坪、西町奉行が約3886坪であった。
30.牢屋敷絵図
これは六角牢屋敷(正式には三条新地牢屋敷)として知られる牢屋敷でニ条城の南、六角通大宮西入に位置した。天明8年(1788)の年記があり、天明8年の京都大火焼失後の復興に関連して作成されたと考えられる。牢屋敷の管理は町奉行配下の雑色がおこなっていた。
31.守護職上屋鋪絵図 解説を省略
32.伏見古御城絵図 解説を省略
33.山州淀御城御天守木口指図 解説を省略
34.江戸御天守
35.江戸御天守
江戸城天守の軸組図。最初の天守は慶長十二年(1607)に完成したが、その後も元和・寛氷期に改築された。本図は元和期の改築のものであると考えられる。江戸城天守は、明暦三年(1657)に焼失後、再建されることはなかった。
36.洛東清水寺惣絵図
門前町を舎む清水寺境内を南側から望んだもので、中井家の絵図には珍しい鳥瞰図。僧坊の有無などにより景観年代は江戸時代の終わり頃と考えられる。本堂(清水の舞台)などの主要な堂舎は、寛永六年(1629)の火災の後、寛永十年に復興整備され、多くが現存している。子安の塔(秦産寺)は明治43年までは本図に描かれた仁王門前にあったが、現在は、谷を挟んで本堂の向かいに移転している。【図は表紙】
門前町を舎む清水寺境内を南側から望んだもので、中井家の絵図には珍しい鳥瞰図。僧坊の有無などにより景観年代は江戸時代の終わり頃と考えられる。本堂(清水の舞台)などの主要な堂舎は、寛永六年(1629)の火災の後、寛永十年に復興整備され、多くが現存している。子安の塔(秦産寺)は明治43年までは本図に描かれた仁王門前にあったが、現在は、谷を挟んで本堂の向かいに移転している。【図は表紙】
37.知恩院絵図
知恩院境内(背後の華頂山も含む)を描いた図。各堂舎が正面の方向を向いた、中世以来の境内図の伝統を引く描写である。左端の黄色で描かれた部分は門前の町家。東西に並行する二本の通りは、北(上)が古門前通、南(下)が新門前通で、その中を白川が流れている。中央部下方に山門が見える。境内の堂舎は寛氷期(1624)~44)に復興整備されたが、図は門前の町名や堂舎の状況から寛文五年(1665))から宝永七年(1710)までの景観を描いている。
38.知恵院宮様御入室二付寺内御道筋絵図拍 解説を省略
39.泉涌寺御再建絵図 解説を省略
40.泉涌寺伏見街道人ロヨリ御廟所迄仮建物竹矢来絵図 解説を省略
41.般舟院惣絵図 解説を省略 ゛’゛`ど宍’゛
42.上使被為入候絵図(本圀寺)
43.上使御対面座席絵図(本圀寺)
44.三使御饗応座席絵図(本圀寺)
朝鮮通信使は江戸へ下向する途中に京都で宿泊することが恒例であり、本圀寺が宿舎になることが多かった。この絵図は正徳元年(1711)9月28日、徳川家宣の将軍就任を賀するために来目した通信使の応接図で、到着時(42)、上使松平紀伊守との対面(43)、饗応の席次(44)をそれぞれ記す。「正使」「副使」「従事」とあるのが通信使側、対馬藩主で朝鮮外交を任されていた「宗対馬守」、本圀寺の「長老」二人が日本側である。
45.方広寺大仏殿諸建物井三十三間堂建地割図 解説を省略
46.北野天満天神御社立地割弁社堂間数目録 解説を省略
47.吉田社建地割 解説を省略
テーマ展「城郭と寺社」展示目録 省略します。
・会期 平成17年6月3日(金)~8月28日(日)
・休館日 月曜 祝日
・編集・発行
京都市歴史資料館
602-0867京都市上京区寺町通荒神口下る松蔭町138-1
Tel.075-241-4312
知恩院境内(背後の華頂山も含む)を描いた図。各堂舎が正面の方向を向いた、中世以来の境内図の伝統を引く描写である。左端の黄色で描かれた部分は門前の町家。東西に並行する二本の通りは、北(上)が古門前通、南(下)が新門前通で、その中を白川が流れている。中央部下方に山門が見える。境内の堂舎は寛氷期(1624)~44)に復興整備されたが、図は門前の町名や堂舎の状況から寛文五年(1665))から宝永七年(1710)までの景観を描いている。
38.知恵院宮様御入室二付寺内御道筋絵図拍 解説を省略
39.泉涌寺御再建絵図 解説を省略
40.泉涌寺伏見街道人ロヨリ御廟所迄仮建物竹矢来絵図 解説を省略
41.般舟院惣絵図 解説を省略 ゛’゛`ど宍’゛
42.上使被為入候絵図(本圀寺)
43.上使御対面座席絵図(本圀寺)
44.三使御饗応座席絵図(本圀寺)
朝鮮通信使は江戸へ下向する途中に京都で宿泊することが恒例であり、本圀寺が宿舎になることが多かった。この絵図は正徳元年(1711)9月28日、徳川家宣の将軍就任を賀するために来目した通信使の応接図で、到着時(42)、上使松平紀伊守との対面(43)、饗応の席次(44)をそれぞれ記す。「正使」「副使」「従事」とあるのが通信使側、対馬藩主で朝鮮外交を任されていた「宗対馬守」、本圀寺の「長老」二人が日本側である。
45.方広寺大仏殿諸建物井三十三間堂建地割図 解説を省略
46.北野天満天神御社立地割弁社堂間数目録 解説を省略
47.吉田社建地割 解説を省略
テーマ展「城郭と寺社」展示目録 省略します。
・会期 平成17年6月3日(金)~8月28日(日)
・休館日 月曜 祝日
・編集・発行
京都市歴史資料館
602-0867京都市上京区寺町通荒神口下る松蔭町138-1
Tel.075-241-4312
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綾部の文化財を守る会の四方續夫事務局長から預かりました文書、HP収録の下準備です。
中井家文書
江戸幕府の京都御大工頭の中井家に伝わった、内裏・城郭など幕府作事に関する文書、597点926通。中井家は関ケ原合戦の後、徳川家から五畿内および近江の大工・杣・木挽の三職の支配を許され、近世を通じて、ほぼ500石40人扶持でその職を勤めた旗本の家柄である。元禄六(1693)年ごろ、自分の屋敷内に中井役所を設け、以前は中井家の負担で行なわれていた建物の破損見分・仕様帳等、あるいは絵図の作成まで作事に伴う手続事務を幕府経費で行なうようになり、役所は公的側面をもち、文書保管機能は強化されることになる。これにより多量の文書が残ったのである。この文書群の特徴は夥しい量の絵図が含まれていることで、とくに宝氷期(1704~11)以前の絵図は、ヘラ押計線の台紙に、色紙で要件を表記する、いわゆる貼絵図のものが多い。中井家が五畿内・近江の大工等を支配したことから、文書も山城、摂津、河内、近江等にわたり、その作事対象も、内裏御所、公家屋敷、城郭并武家屋敷、寺院、神社、洛中、公家町、河川、お土居など多岐にわたっている。内裏御所関係の文書は、86点224通あり、慶長、承応、寛文、延宝、宝氷、寛政、安政の各造営度のうち、宝氷度のものが一番充実している。公家屋敷に関する文書は、32点39通で、近衛家に仮内裏がおかれた時の指図や九条家、徳大寺家をけじめ20家分かある。武家関係文書は、城郭(伏見城、二条城、永原茶屋、水口城)分109九点175通、京都所司代分22点30通、火消屋数分7点8通、武家屋敷分31点33通、それに幕末京都警固(幕末期に京都の治安維持を目的に上洛した武士の屋敷建築のための手続文書等)分8点22通がある。そのうち、伏見城は元和年間(1615~24)の材木帳が12点。二条城は、創建期の慶長七(1602)年から同一〇年のもの、元和年間の秀忠上洛時の作事に関するもの、寛永年間(1624~44)の後水尾行幸・家光上洛時のもの、貞享・元禄期(1684~1704)の本丸、二之丸の修理時のもの等の作事に関係したものが、全体で60点127七通ある。永原茶屋分は33点。水口城は3点残っている。寺院関係の文書は、大部分が山城のもので、全体で56カ寺、127点179通。神社関係としては、18社分、70点90通ある。そのほか、洛中絵図が4点7通、公家町絵図が13点14通。加茂川をはじめとする河川に関係した文書が26点30通、お土居に関するものが5点残っている。
以上、当館が所蔵する分の中井家文書の概略であるが、ほかに中井家、中井家の菩提寺である長香寺(現在、京都大学へ寄託中)、宮内庁書陵部、京都大学附属図書館にも分れて所蔵されている。当館所蔵分については、昭和56年(1981)年、当館発行の『資料館紀要』第10号「史料紹介・総合資料館蔵の中井家文書について」で、解説を行なうと共に一点宛の目録を付した。
綾部の文化財を守る会の四方續夫事務局長から預かりました文書、HP収録の下準備です。
中井家文書
江戸幕府の京都御大工頭の中井家に伝わった、内裏・城郭など幕府作事に関する文書、597点926通。中井家は関ケ原合戦の後、徳川家から五畿内および近江の大工・杣・木挽の三職の支配を許され、近世を通じて、ほぼ500石40人扶持でその職を勤めた旗本の家柄である。元禄六(1693)年ごろ、自分の屋敷内に中井役所を設け、以前は中井家の負担で行なわれていた建物の破損見分・仕様帳等、あるいは絵図の作成まで作事に伴う手続事務を幕府経費で行なうようになり、役所は公的側面をもち、文書保管機能は強化されることになる。これにより多量の文書が残ったのである。この文書群の特徴は夥しい量の絵図が含まれていることで、とくに宝氷期(1704~11)以前の絵図は、ヘラ押計線の台紙に、色紙で要件を表記する、いわゆる貼絵図のものが多い。中井家が五畿内・近江の大工等を支配したことから、文書も山城、摂津、河内、近江等にわたり、その作事対象も、内裏御所、公家屋敷、城郭并武家屋敷、寺院、神社、洛中、公家町、河川、お土居など多岐にわたっている。内裏御所関係の文書は、86点224通あり、慶長、承応、寛文、延宝、宝氷、寛政、安政の各造営度のうち、宝氷度のものが一番充実している。公家屋敷に関する文書は、32点39通で、近衛家に仮内裏がおかれた時の指図や九条家、徳大寺家をけじめ20家分かある。武家関係文書は、城郭(伏見城、二条城、永原茶屋、水口城)分109九点175通、京都所司代分22点30通、火消屋数分7点8通、武家屋敷分31点33通、それに幕末京都警固(幕末期に京都の治安維持を目的に上洛した武士の屋敷建築のための手続文書等)分8点22通がある。そのうち、伏見城は元和年間(1615~24)の材木帳が12点。二条城は、創建期の慶長七(1602)年から同一〇年のもの、元和年間の秀忠上洛時の作事に関するもの、寛永年間(1624~44)の後水尾行幸・家光上洛時のもの、貞享・元禄期(1684~1704)の本丸、二之丸の修理時のもの等の作事に関係したものが、全体で60点127七通ある。永原茶屋分は33点。水口城は3点残っている。寺院関係の文書は、大部分が山城のもので、全体で56カ寺、127点179通。神社関係としては、18社分、70点90通ある。そのほか、洛中絵図が4点7通、公家町絵図が13点14通。加茂川をはじめとする河川に関係した文書が26点30通、お土居に関するものが5点残っている。
以上、当館が所蔵する分の中井家文書の概略であるが、ほかに中井家、中井家の菩提寺である長香寺(現在、京都大学へ寄託中)、宮内庁書陵部、京都大学附属図書館にも分れて所蔵されている。当館所蔵分については、昭和56年(1981)年、当館発行の『資料館紀要』第10号「史料紹介・総合資料館蔵の中井家文書について」で、解説を行なうと共に一点宛の目録を付した。
2005/08/20のBlog
[ 11:51 ]
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投稿者: 事務局:四方續夫氏
「京都府総合資料館」には、綾部の文化財をを守る会の会報第1号から60号までをそろえて置いてあります。
8月18日に担当の楠久美さんにお会いし、故・山下潔己副会長兼事務局長の研究途中の中井家・幕府京都御大工頭との関係を一緒に2時間弱をも調査してもらったのですが不明でした。只、中井家いくつもあり、関白豊臣秀次に700石の高禄で仕えた初代中井藤右衛門正清の同腹の弟松野忠助、中井半兵衛(孫太夫)など豊臣家に多くの中井の姓で仕えた者や正清の弟・正純や従兄弟の利次等すぐれた大工が育ち、2・3代目の後見役を務めている。その方の系図は不明であるので、この方の系統と考えられる。次に訪れた「京都市資料館」で中井家の多くの地図が特別展で展示されていた、例えば、伏見城、二条城、知恩院等有名な城郭や寺社の設計図が多数であるが、館員の方の話では本家は幕末の14代まで続くが本家の「銘」は絶対に出ないそうです。両館にお願いし判明すれば「掲示板」で報告頂くことになっています。
尚、幕府御大工頭は4名で、内、木原・鈴木・片山家の3家は主として江戸及び関東一円の作事をしたが、知行高は享保期以降は80石・役扶持20人の旗本であり、初代京都御大工頭の中井藤右衛門正清は徳川家康から始め200石、そして500石に加増、大阪の陣の時は大阪城へ派遣され見取り図の作成や騎馬30騎及び配下を連れ参戦、旗本禄高1,000石従四位下大和守に登る。三代目正知から500石20人扶持と御役扶持となり、さらに20人扶持をうけた特別の家柄であった。正清が1,000石をもらったのは一代限りの功績と言われている。つまり四代目正豊では主水となっている。中井家の先祖は巨勢氏を称し、代々大和国三輪大明神の神職であり、当初、筒井家に父、孫太夫(正吉)は仕えていて、その後、辞任し、筒井家をはばかり中井の姓を名乗るようになった家柄で上記江戸幕府の他の3家とは格段の上位にあった。
投稿者: 事務局:四方續夫氏
「京都府総合資料館」には、綾部の文化財をを守る会の会報第1号から60号までをそろえて置いてあります。
8月18日に担当の楠久美さんにお会いし、故・山下潔己副会長兼事務局長の研究途中の中井家・幕府京都御大工頭との関係を一緒に2時間弱をも調査してもらったのですが不明でした。只、中井家いくつもあり、関白豊臣秀次に700石の高禄で仕えた初代中井藤右衛門正清の同腹の弟松野忠助、中井半兵衛(孫太夫)など豊臣家に多くの中井の姓で仕えた者や正清の弟・正純や従兄弟の利次等すぐれた大工が育ち、2・3代目の後見役を務めている。その方の系図は不明であるので、この方の系統と考えられる。次に訪れた「京都市資料館」で中井家の多くの地図が特別展で展示されていた、例えば、伏見城、二条城、知恩院等有名な城郭や寺社の設計図が多数であるが、館員の方の話では本家は幕末の14代まで続くが本家の「銘」は絶対に出ないそうです。両館にお願いし判明すれば「掲示板」で報告頂くことになっています。
尚、幕府御大工頭は4名で、内、木原・鈴木・片山家の3家は主として江戸及び関東一円の作事をしたが、知行高は享保期以降は80石・役扶持20人の旗本であり、初代京都御大工頭の中井藤右衛門正清は徳川家康から始め200石、そして500石に加増、大阪の陣の時は大阪城へ派遣され見取り図の作成や騎馬30騎及び配下を連れ参戦、旗本禄高1,000石従四位下大和守に登る。三代目正知から500石20人扶持と御役扶持となり、さらに20人扶持をうけた特別の家柄であった。正清が1,000石をもらったのは一代限りの功績と言われている。つまり四代目正豊では主水となっている。中井家の先祖は巨勢氏を称し、代々大和国三輪大明神の神職であり、当初、筒井家に父、孫太夫(正吉)は仕えていて、その後、辞任し、筒井家をはばかり中井の姓を名乗るようになった家柄で上記江戸幕府の他の3家とは格段の上位にあった。
[ 11:41 ]
[ 文化財を訪ねて ]
[関連したBlog]
投稿者: 綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫さまです。
故・山下潔己氏の記事の件ですが、山川出版社発行「新全国歴史散歩シリーズ第26巻の京都府の歴史散歩50頁」によると次のように出ています。
{高倉通松原下ルに「長香寺(浄土宗)」がある。慶長年間(1596~1615)に徳川家康の側室於古知也(おこちや)(法号長香院)の本願により、信誉称阿(しんよしょうあ)を開山として創建された。建立は京都所司代板倉勝重、大工頭中井家初代正清、金座の後藤庄三郎らが参画した。~略~中井家は江戸時代を通じ、畿内60ヶ国の大工・大鋸職(のこぎりしょく)を支配した幕府御大工頭の家柄で、長香寺は中井家の菩提寺で代々の墓がある。}と記されています。
小生は問い合わせては居ませんが、此の中井家の承認がないと神社・寺等は建設できないので、これは間違いないと思います。必要でしたら寺へ直接問い合わされると良いでしょう。関連HP http://www.ayaco.net/bunka/kaiho/bfor/nakai.htm
投稿者: 綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫さまです。
故・山下潔己氏の記事の件ですが、山川出版社発行「新全国歴史散歩シリーズ第26巻の京都府の歴史散歩50頁」によると次のように出ています。
{高倉通松原下ルに「長香寺(浄土宗)」がある。慶長年間(1596~1615)に徳川家康の側室於古知也(おこちや)(法号長香院)の本願により、信誉称阿(しんよしょうあ)を開山として創建された。建立は京都所司代板倉勝重、大工頭中井家初代正清、金座の後藤庄三郎らが参画した。~略~中井家は江戸時代を通じ、畿内60ヶ国の大工・大鋸職(のこぎりしょく)を支配した幕府御大工頭の家柄で、長香寺は中井家の菩提寺で代々の墓がある。}と記されています。
小生は問い合わせては居ませんが、此の中井家の承認がないと神社・寺等は建設できないので、これは間違いないと思います。必要でしたら寺へ直接問い合わされると良いでしょう。関連HP http://www.ayaco.net/bunka/kaiho/bfor/nakai.htm
2005/08/19のBlog
[ 11:05 ]
[ ブログ関係 ]
[関連したBlog]
「飛ばないパンダ:コロコロこころ」様のブログに「昨日も今日も突然異変??」とありましたので自分のカウントを見てみました。やはり異常です。それで人気ブログランキングを見ると、何と上がってるんです。なんで?
先輩の「風に吹かれて:chibisaru」様、「Rolling55:belage」様などがランキング上位におられるのは知っていましたが、自分のは「まさか」です。
ついでに最近30日ブックマークランキングを見ました。上記のお二方は勿論ですが、「ひなたぼっこ:ひなたぼっこ」様、「北の窓から:芦田っち」様と並んで私のブログもありました。道理で最近いろんな方から、コメントをいただくようになったと思いました。ほんの一時的なことだと思いますが、今後とも頑張って良いブログ作りをしていきたいと思っています。皆様有り難うございました。
「飛ばないパンダ:コロコロこころ」様のブログに「昨日も今日も突然異変??」とありましたので自分のカウントを見てみました。やはり異常です。それで人気ブログランキングを見ると、何と上がってるんです。なんで?
先輩の「風に吹かれて:chibisaru」様、「Rolling55:belage」様などがランキング上位におられるのは知っていましたが、自分のは「まさか」です。
ついでに最近30日ブックマークランキングを見ました。上記のお二方は勿論ですが、「ひなたぼっこ:ひなたぼっこ」様、「北の窓から:芦田っち」様と並んで私のブログもありました。道理で最近いろんな方から、コメントをいただくようになったと思いました。ほんの一時的なことだと思いますが、今後とも頑張って良いブログ作りをしていきたいと思っています。皆様有り難うございました。
2005/08/16のBlog
[ 11:21 ]
[ 自宅(自分)その周辺 ]
[ 11:20 ]
[ 自宅(自分)その周辺 ]
[ 09:12 ]
[ 平和 世界連邦 ]
日本で最初に「世界連邦平和都市宣言」を行い、綾部市市民憲章にもその第一項で「平和を願い、祈りのあるまちにしよう」を定め、毎年継続的に世界恒久平和に向けて、「平和」、「世界連邦」、「地球市民」などをキ-ワ-ドに、地方自治体における活動、市民レベルの活動が行われている。「世界宗教者平和会議」では、「万教同根」、「人類愛善」の理念のもと、宗教にもとずく戦争をなくそうとの会議が行われ、綾部の地では敵対する宗教者どうしの歩み寄りの姿が見らた。先般の「今こそ中東和平を」の活動では、招待したイスラエルとパレスチナの戦争で親族を失った子供たちに友情が芽生えた。この活動は、岡山市、徳島市へと引き継がれて行われている。
「α:アルファ」は綾部市の市章です。何でも一番最初に。
---------------------------------------------------
現在は「国連」の枠組みの中で世界平和が保たれている。それが万全でないことは周知の事実である。特に地球環境などでも「国家主権」によるところの協調が不可欠とされる。
未来社会の中に「世界法:地球憲章」のもとで機能する「地球連邦政府」が誕生するのか、それは「国連」の延長上に成立するのであろうか。「地球市民」、「世界連邦自治体」としての、人類の叡智と、良識、相互理解、博愛・・を代表する「単位細胞」は、どう機能するのであろうか。国家、民族、資源、饑餓貧困、環境・・・を超えて地球の輝かしい未来がつくれるのであろうか。
私たち一人ひとりが、その形成にどのように、かかわれるのであろうか。
カテゴリ-「平和」に再分類した最近の投稿記事です。なおブログ左のサイドメニュ-「ジャンル:平和」からも、以前のものも含め、投稿日順に見られます。
綾部市民平和祈願の集い1 2005.08.15(ブログ投稿日)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1729789#1729789
綾部市民平和祈願の集い2 2005.08.15
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1729825#1729825
さんだ歴史資料集蔵の先進地視察14(さんだの空襲) 2005.07.24
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1634128#1634128
三田の空襲(さんだ歴史資料集蔵の先進地視察16) 2005.08.14
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1727072#1727072
ひなたぼっこ様のブログ:終戦前後の記録、平和への願いを紹介します。2005.08.13
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1720277#1720277
「日本こそ中東和平の舞台」世界連邦宣言自治体全国協議会会長、京都府綾部市長:四方八洲男氏 2005.08.12
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1720125#1720125
世界連邦、被爆60周年、世界恒久平和に関する国会決議 2005.08.12
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1719976#1719976
決議までの経緯 および 第25回世界連邦日本大会(広島市)案内 2005.08.16
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1733536#1733536
大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは? 2005.08.01
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1679904#1679904
金峯山(山上ケ岳)の女人禁制について 2005.07.30
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1667951#1667951
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現在は「国連」の枠組みの中で世界平和が保たれている。それが万全でないことは周知の事実である。特に地球環境などでも「国家主権」によるところの協調が不可欠とされる。
未来社会の中に「世界法:地球憲章」のもとで機能する「地球連邦政府」が誕生するのか、それは「国連」の延長上に成立するのであろうか。「地球市民」、「世界連邦自治体」としての、人類の叡智と、良識、相互理解、博愛・・を代表する「単位細胞」は、どう機能するのであろうか。国家、民族、資源、饑餓貧困、環境・・・を超えて地球の輝かしい未来がつくれるのであろうか。
私たち一人ひとりが、その形成にどのように、かかわれるのであろうか。
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綾部市民平和祈願の集い1 2005.08.15(ブログ投稿日)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1729789#1729789
綾部市民平和祈願の集い2 2005.08.15
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三田の空襲(さんだ歴史資料集蔵の先進地視察16) 2005.08.14
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決議までの経緯 および 第25回世界連邦日本大会(広島市)案内 2005.08.16
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大峯山(山上ケ岳)の「女人禁制」と「人間の尊厳」との関わりは? 2005.08.01
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