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なべちゃんの散歩道
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2005/10/08のBlog
[ 12:01 ] [ あやべの文化財 ]
聖(ひじり)塚古墳と約100mの間隔をおいて築かれている。この古墳は、一辺30mの方墳で、約6mの周壕を巡らせ、南側に造り出しを有している。
昭和58年度調査により、造り出しは二段に突出する特異な形態であることが判明した。聖塚古墳との前後関係は定かでないが、造り出しの形態などから五世紀前半代に、菖蒲塚→聖塚古墳の順に築かれたと推定されている。平成5年3月 綾部市教育委員会
史跡 聖塚・菖蒲塚古墳
平成4年5月6日 文部省指定
形状:方墳(周辺に造り出しを付属)
規模:聖塚古墳 一辺 54m
菖蒲塚古墳 一辺 30m
築機:古墳時代中期前半(五世紀)前半)
[ 10:19 ] [ ブログ関係 ]
ブログの背景画像用に、Ibmホームページ・ビルダーの背景画像を借用してみる。
program files/ibm homepage builder/color/image/wallppr/
blue_p6b 空
g3b みどり
g2b グリ-ン
pur2b パープル
y7b イエロー
他種類あるので入れ替えると使えるかも?
2005/10/07のBlog
[ 11:42 ] [ あやべの街 ]
市街地から20分程離れた和木町の会員宅に会報を届けに行った。
由良川左岸からさらに南に入る台地の上にある。和木町の一番奥になる。
道路に鉄板が敷かれている。路肩は土が抉られたのか何か危なそうだ。
あちこちこんな鉄板敷きの場所がある。崖の下は川、ずいぶん深い谷だ。
根ざす家が見えてきた。集落の一番上の家だ。
道の終点は大工事中。車を降りて工事人に案内して貰い、狭い工事現場を渡り、谷に架かる橋をわたった。
下を覗くと暗渠工事の最中だった。
歩いて上がり上に立つN会員宅に会報を届けた。
2005/10/06のBlog
[ 17:39 ] [ あやべの文化財 ]
文化財を守る会の会報61号(秋号)を配りに行った。年会費1000円の会で、年2回の会報(一部カラ-刷り31ペ-ジ)を発行している。
送料が出せないので、常任幹事以上の役員が手分けして配布している。
会員には、高齢者も多く、見るのを楽しみにして待って貰っている。
萩の花と大師像
萩祭りはとっくに終わっているが、まだ赤、白の萩が綺麗だった。
会員のおられるお寺境内である。
白萩
赤萩
HP「綾部の文化財」にアップしました。
画像をクリックしても見られます。
本当は記事の最終に入れたかったのですが、イメ-ジのホ-ムペ-ジリンクは、Doblog ツ-ルバ-からのログインしか受け入れず、すでに投稿済みの三番目に入れる方法が分かりませんでした。知っている方あれば、アドバイスください。
[ 09:25 ] [ あやべの文化財 ]
冬「雪中はんぽ反哺の孝」・・・巣立ちした三羽のカラスが、成長し、親に恩返しをする場面。「鳩に三枝の礼あり、鴉に反哺の孝あり」の故事に基づく。
なお、弁財山の池の近くには、一禾画伯が全国各地で用いた筆を納めた筆塚がある。
2005/10/05のBlog
[ 19:45 ] [ あやべの文化財 ]
夏「高野杉に鴉」・・・高野山(真言宗の聖地)の老杉とカラス。「鴉百態」といって、様々なカラスの姿が描かれている。
秋「湖畔の鴉」・・・湖のほとりで休息するカラス、一方、川に通ずる広大な空間を飛翔するカラスで、静と動の対象である。
[ 13:41 ] [ あやべの文化財 ]
庫裡の「長井いっか一禾」の四季の鴉(襖絵) と「一禾筆塚」
長井一禾は明治2年新潟県水原町に生まれる。東京に出、中野其明、平福穂庵に師事し、円山派の画法を学ぶ。明治37年(1904)に、当時、東京美術学校に招かれていたフエノロサ博士に見出され、博士の帰国と共に渡米。五年間滞在し、日本画の紹介を兼ね、洋画を研究。ポーランド大博覧会では名誉賞を受賞。帰国後、特にカラス絵の技法が妙を得、大隈重信公から「鴉博士」の称号を贈られる。当山には昭和12年(1937)から翌年かけて滞在。庫裡の四座敷に春夏秋冬のカラスの絵を描く。昭和15年(1940)に没。
春「いく育すう雛の間」両親のカラスが巣にえさを運び、三羽のひなをいつくしみ育てている。カラスのオス、メスはくちばしに特徴があるといわれる。
[ 10:04 ] [ あやべの文化財 ]
本堂(本尊 薬師瑠璃光如来、日光・月光菩薩、十二神将)
旧本堂は元禄時代(1688~1703)の建立であったが、柱等の主要部分が松材であった為、総体的に老朽化が甚だしく、遂に全面改築となり平成14年春着工、15年秋、新本堂が完成した。 
 本堂内部は折り上げ格天井で枠数96面の秋田杉の板に岩絵具で彩色された様々の花の絵が描かれている。画家は円山応挙から直系八代目・円山慶祥氏とその弟子・真祥氏である。「瑠璃光華曼荼羅」が現出されている。
梵鐘
 綾部藩・九鬼領内に時を知らせる鐘として寛政四年(1792)に鋳造。「同國天田群福知山住 統領 惣官鋳物師 足立 大和藤原重延」の銘がある。廃藩後、綾部町が保管していたものを、昭和24年(1949)に当山に招致。表面には文化二年(1805)の綾部大火の際、斧で乱打した傷跡が残る。
2005/10/04のBlog
[ 16:48 ] [ あやべの文化財 ]
綾部の文化財シリーズ (第五回)
(丹波のカラス寺)
塩岳山 吉祥院りょうごんじ楞嚴寺(高野山真言宗)
本尊薬師瑠璃光如来 
関西花の寺霊場第2番(綾部唯一)
綾部西国観音霊場第十四番
「縁起」
 楞厳寺は奈良朝、聖武天皇の天平四年(732)林聖上人の開基である。以後、幾多の時代の変遷と再三の兵火により寺坊は悉く焼失し古記・古文書の多くが散逸し、歴代住職の事歴も不明のまま多くの年を経ている。しかし南北朝時代の楞厳寺敷地紛失状(綾部市指定文化財)によれば、寺領は可成り広大であったことがわかる。
 元禄十六年から宝永五年(1708)にかけて旧本堂が完成され、その本堂建立の時の住職、盛長法印を中興開山としている。尚、これより五十年後の宝暦八年(1758)に現在の庫裡が建築され漸く伽藍が整えられている。