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なべちゃんの散歩道
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2006/02/24のBlog
聖塚 秦氏ゆかりの方形古墳(多田町) 34p
栗城 址(栗町) 34p
新熊野神社(並松) 35p
岩王寺(七百石) 35p
古刹那智山正歴寺(並松町) 36・37p
2006/02/23のBlog
以仁王伝説ゆかりの大塚(青野町) 28p
君尾山光明寺・国宝仁王門を望む(奥上林) 29p
幻の大橡 樹齢約2000年(奥上林) 30・31p
光明寺より丈なす熊笹をおしわけ、稜線を進むこと約一時間。西北の谷間にその巨観をみる。
なべちゃん注:右にある虚(うろ)から、この世を覗かれているのは、綾部青年会議所認証十周年実行委員長、「丹の国」と「人間調和都市」の生みの親:故塩見清毅さんです。清毅さんのなされた偉大な御業績と先見性を偲び、ここに、ご冥福をお祈り申し上げます。
大本聖地・本宮山 32p
安国寺春色(東八田) 33p
足利尊氏生誕の地。 桜・紅葉の名所としても有名である。
弁天の滝2(奥上林) 23p
丹波筍の名産地・報恩寺(ほうじ)にて(報恩寺町) 24p
養蚕のメッカ・京都府立農事研修所(豊里) 25p
東八田施福寺 26p
お前みたよな、芍薬の花が 咲いております くる道に
綾部民謡「糸つむぎ歌」より
弥仙山全景 27p
丹波道主命ゆかりの於与岐町は綾部で最も早く開けた処の一つである。中世山岳仏教の一大道場ともなり、近年は大本の霊場として市民の尊崇を集めている綾部のシンボルともいえる霊山である。
春の岩王寺(しゃこうじ)(七百石町) 18p
古屋の初夏(奥上林) 19p
古屋二軒家(奥上林) 20p
水車(位田町) 21p
弁天の滝1(奥上林) 22p
2006/02/22のBlog
四ツ尾山全景 13・12p
長宮峠:いにしえの主要道 14p
綾部の霊山 弥仙山々頂よりの展望 15p
弥仙山登山道(於与岐町) 16p
弥仙山々頂より 17p
[ 11:18 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
丹の国・綾部 エピロ-グ 著:綾部JC十周年実行委員長:塩見 清毅(故)

終わりなき終わりに

綾部青年会議所の
十年の歩みは
その「綾部」なるが故に
その「青年」なるが故に
わが愛する郷土---
綾部という町の
理念の追求と
輝しい未来像への
挑戦の歴史であった。

幾多の屈折と
試行錯誤をくりかえし乍ら
その長い苦しい
模索の中で
文字どおり 血を吐く思いで
この一冊が出来上がった。

作業のくるしみは
創造をこえていたが
とりわけ
我々を
なやましつづけたのは
長い間
陽の目をみなかった
歴史の
怨嗟の声であった。

「知識」の場からでなく
「生活」の場からの
問題提起や
思想の展開は、
「矛盾」と「撞着」を
現実
その「からだ」に感じているだけに
「知識」の場からの
それ等のように
明晰ではないであらう。
しかしそれだけに
切実な訴求を
こめたつもりである。

この我々の
思想の提起が
綾部のあらゆる人々の
熱っぽい
わきたつような
「ふるさと」への
情熱と指向に
火をつける事を願いつつ。

さらに
日本列島の中で
「過密」にあえぐ人々のためにも
「過疎」でなやむ人々のためにも
その心の中に
「ふるさと」を よみがえらせ
真に
日本としての日本の
未来への凝視を うながしつつ。

終りなき終りの結びとする。
2006/02/21のBlog
[ 14:15 ] [ 自宅(自分)その周辺 ]
享年90才5ケ月余の天寿を全うして、母が眠るが如く安らかに永久の眠りにつきました。生前に皆様から寄せられました暖かいお見舞いやご友情に対しまして、心から厚く御礼と感謝の意を申し上げます。
 昨年家内が風呂場で滑って肋骨4本の骨折をして3ケ月間の治療期間中、母のベッドと車椅子の移動など介護が困難となり、幸いにも近くの老人施設に母を預けることが出来ました。その間、痴呆症の進行の為かうつらうつらしている状態が多くなっていました。
 2月14日(火)に退寮する前日、お腹を下し吐いた、食事がとれず微熱があるという連絡があり心配しましたが、翌日は食事も食べ微熱も治まりました。
 老人施設に母を迎えに行った帰りに、念のため何時も世話になっている家庭医の内科医院に寄り、丁寧に診察していただき、インフルエンザの症状はない(予防接種済み)とのことで4日分の薬をいただいて帰りました。
 家では微熱もなく、食事もきちんと食べ(自分で口元まで食事を運ぶのですが、口に入らなくなっていました、施設では自分で食べられたとのことです)、便も普通でした。2人がかりで立たせオムツを替えるのですが、ベッドの手すりに力一杯しがみつく様子でした。17日(金)夜8時にベッドに寝かしつけ、10時に熟睡の様子を確認して私も寝ました。18日(土)明け方6時半に寝たままの状態で呼吸が止まっているのを見つけ、内科医の往診を頼みましたが、既に手の施しようもなく心不全の死亡診断でした。
 シティホ-ルで行いました、お通夜も告別式にもたくさんの方々に参列していただき、お見送りいただきました。また丁重なお供えや供花、弔電などを頂戴し、隣組の方などには、受付などのお世話を賜りましたこと、重ねて心からの厚くお礼を申し上げます。
2006/02/20のBlog
補 論
 現在、「後進」と「過疎」故に、綾部の思想と生活がある種の諦観と沈滞に追いやられている現状は否定出来ないが、要は逆にこの「ふるさと」という未来都市論理の確認と、先取りする心がまえさえあれば、あとはテクニックというか、行政なら行政による調和のとれた集落と土地の再編成--線引きであり、合意に立った社会資本の導入と参加等であり、容易に逆転するチャンスがあるのである。

 従って先ず、綾部のふるさと的価値が、未来都市たり得るという確認と、そしてその方向にむけての市民の意欲的な意思統一が大切である。

 このふるさと意識という前駆的精神面の開発が、眠っている綾部の赤々としたナショナリズムを覚醒し、そのプライドとエネルギ-が現実「ふるさと」未来都市を夢に終わらせる事なく、実現具体の原動力となるであろう。
即ち先ず、本書全体から感じられる、古く美しい豊かな自然と風土、更に掘下げて大和以前の出雲精神文化圏の一大拠点。住民の土着信仰の中になお生きる、天津神以前の国津神々の真の日本の原像としてのパタ-ン。

 その二つが長い風雪に耐え乍ら、地下水の様に脈々と継承され、人間を育て、文化を作り、遂には大本教の「世界の中心」発想。更には近年世界連邦都市の第一号宣言に見られる、その精神的な日本の中心的位置づけを想えば、日本のふるさととして、真の人間調和都市としての大前提は他に類例を見ないのである。

 この根源的基盤に立って、産業や教育や住宅等々の「仕事」「暮し」のバランスを考察して見ると、夫々にその未来的萌芽の可能性が多面的にある。

 その未来的展開論は別冊にゆずるとしても、例えば当然「ふるさと」は農業や観光を真の本源的意味で未来づけるであろうし、工業に就いても、日本の工業が従来の労働集約的、加工生産的なものを超えて、知識産業、装置産業に志向するとなれば、又教育や住宅の未来的環境を思えば「ふるさと綾部」はその基盤的条件を具備しているし、地域地場としても、日本海時代の到来を背景にすれば、丁度日本海ベルト地帯の中心であり、それが更に日本列島の中心近畿圏と重なる極めて枢要な位置にあるのである。

 それ故にこそ、大都市に、又他の都市には見られない、真の意味の調和都市たり得ると考えられる。従って、今はやりの広域経済あるいは行政圏の構想が具体化したとしても、その中で割拠する個性偏向都市群(例えば臨海工業都市、商業都市、農林業都市、内陸工業都市、観光都市等々)を、綾部はその調和性の故に求心的につなぐ中核都市として動きをなすに違いないと考察出来る。

 本論は、本書の「ふるさとへの回帰」と別冊の「ふるさとの具体的未来展望」の継手の役目を果たすものであるため、ある時は抽象に又ある時はメンタルに傾斜したけれども、所詮「物」から「心」への確証的な未来予測理論ドライブに沿って論じて来たのであるから、当然の論理に帰結したといえると想う。
2006/02/19のBlog
日本の未来、未来都市の理想型、後進都市の開発戦略視点、日本海時代、といろいろな角度から論旨をかなり重複させ乍ら進めてきたが最後に、現実ふるさと綾部にせまらねばならない。

 綾部市は京都府のほぼ中央、東経135度16分、北緯35度18分に位置し、京都市から76粁、大阪から80粁の圏内にある。
 市域は北に舞鶴市、西に福知山市と周囲二市四町と福井県に接する丹波の心臓部である。国鉄山陰本線は綾部駅で分岐し、宮津線、北陸線に接続、又国道27号線が市東部を、国道9号線が市外南部を走り、京都、大阪、舞鶴若狭、福知山、山陰を夫々連絡路としての役割を果たしている。

 市域は又中国山系の山々から流れる由良川及びその支流沿岸に形成された盆地にあり、面積の三分の二は山岳地で占め、特に東北部は五百米級の山が点在し、北桑田三国連山に連なり、中央部より南西に平坦な沃野が福知山盆地まで広がりを見せ、東西36粁、南北16粁、総面積348平方粁、近畿78市中、三番目の広さを有している。

 人口は約4萬4千人を数える・沿革と歴史は、本書の第一話から第六話にわたる歴史を横割りにした物語と、フォトグラフィに見られる如く、古代、出雲文化圏の一つの大きな拠点としてひらけ、大和時代には「いかるが」(綾部市の旧郡名)富緒川(現在の安場川)等と奈良にゆかりの地名に象徴される様に栄え、大陸からの帰化人で綾織りに長じた漢人の集落漢部郷として登場以来、中世には中央貴族や社寺の荘園として富み、

 近世には小藩とは言え、九鬼水軍で有名な九鬼氏の善政の下に推移、明治以後アヤヒトの伝統が蚕都として復活発展、一方長く受けつがれて来た住民の心が、民衆の宗教大本となって結晶具現、昭和十年綾部の黄金時代をむかえるに至る。

 その後、大本教の弾圧、戦争、戦後の混乱と社会構造の激変、加えて日本列島を表と裏にひきさいた跋行的な経済成長により、止め様もない人口流出に見舞われ、明治末期の人口に逆行する程に落込みを余儀なくされ、尚この状態は傾向化されるかに見える。
 事実低生産の産業構造と伸び悩む市民総所得の中で、市財政は極度に窮乏化し、市も市民も綾部の将来を見失なおうとしている。

 しかし、此処で重要な事は、既に論じてきた様に、この「後進」の現状こそが逆に未来的可能性に置換出来る事を確認せねばならない。前述の日本の将来、都市の未来、後進都市の開発視点、日本海時代の到来等々の結論を想起すれば、その気になりさえすれば一転して、今こそ「ふるさと綾部」の出番である。と考えられるのである。