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なべちゃんの散歩道
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2006/03/10のBlog
生活の革新6 -正衣とは-
 次ぎに正衣とは何であろう。正食の場合と同様に、身土不二の天則に従って、理想としては日本の国土に算出する生糸や植物性の糸を草木染にして織り上げ、愛情を込めて縫い上げたものがよいとされる。
 大量生産、大量消費が支配している今日、この正衣は高嶺の花となったが、じつは先人が日常の生活の中で考え、織りあげ身に着けていた生活の知恵なのである。
 たとえば紫根(しこん)、藍、紅(べに)花、鬱金(うこん)など、すべて植物で染め上げた織布は、見た目が美しいばかりでなく、健康のためにも良く、医学的に見ても薬用効果がある。
 たとえば昔から乳児には鬱金で染めた着物を着せたが、これは乳児が着物をしゃぶっても、鬱金が腎臓の薬となるからである。
 これに反して化学繊維、化学染料の多くは、衣料公害をひきおこす「悪衣」と云うべきであろう。先般西ドイツの染料会社バイエル社が世論に屈して、数百類におよぶ化学染料の製造を中止したという事実に照らしても明かである。
2006/03/09のBlog
生活の革新5 -正食の特性と悪食-
 食べ物に特性があり、薬効があることも知っておくべきであろう。たとえば「米は陽性のもので、是を常食すれば勇気が出る。野菜を食えば仁の心が養われる。魚類を食えば智恵がわく」「肉類、魚類には多大の栄養分があるように思っているが、かなり大きい鯛と大きな大根1本と相当する位のものである」
 「動脈硬化症より免れようとするものは、断然肉食をやめて、菜食に移らねばならない。魚類もなるべく避けた方がよい。ことに刺身の類はよろしくない。たまにあっさりした川魚ぐらいは食べてもよい」「毒ガス除けには、らっきょうと梅干し、松の葉をかむこと、大根やねぎを生で食べるとよい」など、数多の説示がある。
 一方、悪食については、肉食の害がまずあげられる。「獣、鳥、魚などの肉は、いったん食べ物として消化されたものが肉となったのであるから、それを摂取してもあまり益はない。獣肉をたしなむと精欲が盛んになり、性質が獰猛になる。獣食する人は、本当の慈悲の心は持たない。神に近づくときは肉食してはよくない。霊覚を妨げるものである」。
 つぎに、今日流行している食品添加物を上げねばならない。添加物本来の目的は、食生活の健全化を計るためのものであるが、実際は、原因不明の慢性疾患の原因として、いつの間にか人体をむしばんでいる。
 着色剤、防腐剤、漂白剤、人工甘味料などであるが、自然の動植物を原料としているものは少なく、主に石油、石炭が原料となっているからである。その他、白米、白砂糖、白パンの「三白」や化学肥料、農薬による弊害など枚挙にいとまがない。
生活の革新4 -身土不二の思想-
 正食は天地の大恩を知ることから始まる。これは正衣、清居の場合も同じである。人間及び動物は、植物をとおして、太陽、月、空気、水、大地の気のミックスされた精気、エネルギ-を摂取して生きているのだから、この植物中にあるエネルギ-を出来るだけ効果的に多くとり入れ、同化し、血となし肉とするところに正しい食生活の原理がある。
 開祖や二代教主は、つねに神恩を感謝し、お土を大切にし、大根の葉一枚でも上手に料理して美味しく食されていたが、食物が氾濫し食生活が乱れている今日こそ、この天恩を無駄にしない食事法や料理の原則は、改めて見直されねばならない。
 また東洋には古来、身土不二の思想があり、住む土地にできるものが、肉体生命を真に養う食べ物だと考えてきた。
 王仁三郎は、日本の天から与えられた食べ物は、穀菜食であると唱え、この天則を守らなければ天寿を全うすることが出来ず、罪を犯すことさえあると説いている。
 もともと日本人は、米、麦をはじめ、あわ、ひえ、大豆、小豆などの穀物をとり混ぜて主食とし、豊かな酵素、ビタミン、ことに野生酵母を多く含む野菜、山菜、根菜などを常食として、血液を清らかに保ち、健康を増進してきた。
 また河海の魚介や海草などを摂って強壮にし、様々な加工品をつくって食生活を豊かなものとした。大豆からつくった「とうふ」「なっとう」「ゆば」「みそ」「しょうゆ」などは、日本の味を代表するものとして食卓に欠かせない。
生活の革新3 -正食、正衣、清居の必要性-地産地消の原点(なべちゃん)
 この方策は、資本主義的経済組織を根底からゆさぶり、生産、流通、分配、消費の各分野にわたって変革が要請される。
 「新(さら)つの世」を志す神の警告は、生活様式にたいしても、極めて厳しい。「衣類、食物、家屋倉庫(いえくら)までも変へさして、贅沢な事はいたさせんぞよ」「贅沢三昧は何うしても出来ぬように厳しく変わるぞよ。今迄のやうな生活方法(やりかた)では、世界中がモウ立行かんから、明治25年から筆先に出してある通りの心の持方をいたして居らぬと、大変に困窮事(こまること)が出来するぞよ」と、繰り返し戒められている。
 衣食住が経済や生活の基本であることは言うまでもなく、衣食住の乱れが、社会混乱の原因となっていると云っても言い過ぎではない。
 王仁三郎も「食制の改革が社会改造の第一義」と述べ、正食、正衣、清居の必要性を繰り返し説いているが、日常欠かせぬ事だけに、その影響と結果の違いは、極めて大きい。
 なぜ正食が必要なのであろうか。端的に言って、「食べものは人間の肉体ばかりでなく心まで支配」し、「正食は肉体の栄養になると同時に精神に活力を与え、魂の食物になる」からである。
[ 17:29 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
生活の革新2 -天産物自給(おつちからあがりた)
 そのため「神さまが世界の人民を保護しておられるのを無にして、神の子たる多くの人民を苦しめて世界の地所、資本を独占」してはばからない「世に出ている悪人」「餓という虫」どもが横行し、「世界一切の生産物は一人一人の私有(もの)で無く、皆天地の所管(もの)で、世界の人民が安心と幸福をうけるために神さまのお造り遊ばしたものにかかわらず、世界の宝を横領し、世の中の難儀を高見から見物いたす厄介者、蛆虫人間」の存在を許すに至ったのである。
 そこで、「今の世界のこの有様、神はもう黙っては居れん事になりた」と愛なる神の怒りが爆発する。世界の蛆虫人間や厄介物をたいらげ、「これまでの世の行(や)り方、法律」「これまでの習慣制度(やりかたほじつ)をさつぱり革新(かえ)て了ふ」と宣言して、
 「金銀を余り大切にいたすと、世は何時までも治まらんから、艮の金神の天晴(あつぱれ)守護になりたら、天産物自給(おつちからあがりた)其国々の物で生活(いけ)る様にいたして、天地に御目にかける仕組がいたしてある」と、救済への構想を明示される。
 土地為本、天産物自給の方策が、具体的にどの様なことになるのか、今後の研究に待たねばならないが、基本的には、お土を大切にし、国土、季節、民族性を統一的に把握して、夫々の個性を尊重する理念に根ざし、天産物を開発して、天恵無尽の利沢を人生に均霑せしめることを目的としている。
[ 17:28 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
生活の革新1 -正衣・正食・清居の教え
 現在は、まさに病める社会であり、病める人間のあふれた時代である。一方には「徳義もなければ節操もなく、つねに意気傲然として入りては大厦高楼に起伏し、出てはすなわち酒池肉林、千金を春宵に散じて遊惰、安逸、放縦をこれ事として転化にはばからない」強者があるかと思えば、一方には「営々として喘ぎなおかつ粗雑な食にあまんじ、もってその飢えたる口腹を満たすに足らず痣憊困倒して九尺二間の陋屋に廃残の体躯を横たえる」貧者がいる。
 「我一方で勝手気儘(きまま)の仕放題(しほうだい)、悪い事のやりほうだいで恐いものなしに、奸智恵(わるぢえ)ばかりが働いて」「金さえありたら何もいらぬと申して、欲ばかりに迷ふて、人に憐(あわれ)みといふことをチットも知らずに、田地を求め、家倉を立派に建て我物と思ひ」「毎日毒ばかり飲んだり食らうたりして、皮相の美しいものでさえあれば、後のためにはちっともとんちゃくせんゆえ、われとわが手に毒を食らうて苦しみ悶え」てさらにかえりみようとしない。一体これはどうしたことだろう。
 これは金銀為本の経済政策に根本的欠陥があるのではないか。金銀の価値を人間の上におく結果「人世は戦場なりとして、自他ともに経済的戦争を是認するにいたり、その究極するところ国家の存亡を賭し、幾千万の生霊を犠牲となし弱肉強食、優勝劣敗の淘汰をもって人間社会の条理なり」となすにいたった。
[ 17:27 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
教育の杜(もり) 2
 日本では、こうした理想を実現するため第一に大学の設置を考慮し、(出口王仁三郎聖師は、すでにこの事を考慮されて、北九州小倉に東筑紫学園(東筑紫短大付属幼稚園、照曜館中学校、東筑紫学園高等学校、東筑紫短期大学、九州栄養福祉大学)を設置し、礼儀作法、躾に重きをおく全人教育の学府づくりを実践されている。このことは、あまり綾部市民に知られていないと思われる)当面は農業、芸術、医学、語学などの部門が予想される。農業は公害の根源をたちきって人命を尊重し健康を増進するため農薬や化学肥料の弊害をさけた農法の研究、普及につくす。芸術では陶芸、機織、八雲琴など民族文化の伝統を基礎とした新たな創造を指向し、また医学は東洋医学に力点がおかれる。
 大学構想は、研究と育成指導の二面をもち、大学、高校、中学、小学などタテの体系と同時に、いわゆる市民教育として、青少年の夏季学級、文化教室、市民大学、母親学級などヨコの体系をもふくめて、幅広く総合教育センタ-の役割が果たせるよう配慮される。
 綾部の少年夏季学級はすでに23回を数え、信徒や市民の子弟が数多く参加して着実に実績をあげつつある。これが糸口となって高校生、大学生学級も発展して行くにちがいない。これらの根底では、徹底した人間教育に力点が置かれることは言うまでもない。
 そこには豊かな自然がある。生き甲斐ある学問がある。充実した生活がある。教師と学生の人間的ふれあいがある。鎮魂道場も設置されよう。何よりも神の恵みの下、人間の和がある。
「学校」と呼ぶより、あえて「教育の杜」といった方がふさわしいかも知れない。
 平和な環境と自由な人間のむれ、これを夢で終わらせたくはない。
[ 17:26 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
教育の杜(もり) 1
 日本における学校教育の普及率は、今後10年以内に後期中学校教育が90%、高校教育でも30%を超すものと予想されている。だがその中味が従来通りの立身出世のための受験教育だとしたら、その弊害は大きい。
 「園児450人の半分が塾に通っている幼稚園まであらわれ、0才からの英語教育、3才からの漢字教育など異常な早期教育」に熱中する傾向まであらわれている。
 今日の学校教育は、経済成長に適合させた極端な能力主義にゆがめられ、人間の成長を促す真の教育は影を潜めたともいえる。そのために先ず教育の姿勢を正すべきでないか。
 そのためには「教育が倫理的基礎、それも神よりきたる絶対的倫理のうえに統一」されねばならない。そして勇気をもって社会の方向を企業中心から民衆生活中心にきりかえ、人と自然と技術の調和した社会の造成へ向けねばならぬ。
 今日こそ「平和、文明、自由、独立、人権を守り、これを破る者に向かってあくまで戦う」人間を必要とし、「人の心にかんながらに内在する愛善の力を発揚せしめて、もって国家社会を正しくする道」としての教育、政治、「物質に内在する愛善の力を正しく利用する道」としての科学や産業が要請される。
 小学校から大学までこの方針で貫き、従属でなく自律と自治の教育、模倣でなく創造の教育、暗記でなく思考の教育が尊重されねばならぬ。
 こうした全人的教育の前提として、胎教、幼児のしつけ、女子教育を忘れることはできない。この目的を果たすためには上からの行政的画一化をさけて、地方自治、住民参加のシステムが配慮されねばならない。
[ 17:25 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
まつりの宴(うたげ) 2
 旧七月6日から7日間は、神集祭がおこなわれる。「末代の規則を制定(きめる)場所は綾部の大本と末代きまりたのであるぞよ。天のミロクの大神様と地の国常立尊が天地の王で末代の規則を制定(きめる)ぞよ」と筆先にも示されているように、八百万(やほよろず)の神々が主神を中心に天で集会され、1年間の世界の経綸を決められるときとされ、この間本宮山の月山不二で毎夕祭典が行われる。これは世界の将来にかかわることである。
 これからはせめて各方面の代表参拝でも行われるよう、意義の周知徹底など適当な方策がたてられてゆく。
 春の大みまつりは「みろく大祭」、秋は大本開祖大祭として行われ、豊年祈願祭、新穀感謝祭があわせて厳修されている。
 また大本と綾部の産土神との関係を見落とすことはできない。旧綾部町には熊野神社、若宮八幡、八幡宮、二の宮、三の宮、笠原、斎の七社が(尊崇されている)あるが、明治36年旧5月24日(4月28日)に開祖みずから、弥仙山の岩戸開きの御礼参拝をされ、今日も信徒は、(秋祭りの宵宮には)多数揃って参拝がなされている。
 とくに熊野神社は、開教以来総産土神として崇敬され、王仁三郎は「太古に素戔嗚尊が出雲から出て来られた時に、本宮山の上に母神である伊邪那美尊さまをおまつりになりこれを熊野神社と名づけられた」と神話的に述べられている。
 夏祭りは、7月28日水無月祭りとして人々に親しまれているが、この夜由良川の闇を彩る万燈流しは、明治40年(1907)旧9月に竜宮様へ献燈するため大本で28燈を点じ、王仁三郎の手によって川に流されたのが始まりとされる。
 こうして産土神のお祭りを通して大本と綾部の一体化がふかまり、氏子である市民の生活や、綾部の繁栄が促されていく。
 まつりはもともと民衆のものであり、神迎え・神と人の交歓・神送りの素朴な神事に芸能が結びついて、民族文化の素型として受け継がれ、培われてきたものである。しかしいつの間にか、まつりは儀式化、職能化して民衆性を失い、一方では土着的な神々への信仰と生産への喜びが失われてただ伝習として無気力な形骸と堕して行く。分極化しつつあるまつりを再び民衆の手にかえし、民衆のエネルギ-を結集し、新しい時代への文化創造の担い手となさなければならぬ。 綾部の発展の糸口は、またそこから開けてゆくにちがいない。
[ 17:24 ] [ 丹(に)の国・綾部 ]
まつりの宴(うたげ) 1
 まことの神の住まいどころである綾部は、大本の発祥の地であり、祭祀の中心的地場である。毎年節分大祭(2月)、みろく大祭(4月)、神集祭(旧7月)、大本開祖大祭(11月)の大みまつりが行われ、月々には大神様、竜宮乙姫、塩釜様、祖霊などの月並祭が執行されている。
 人々は、まつりをとおして神の心にかえり、あわせて世界の平和と人類の幸福を祈る。また、まつりによって神と人と自然の調和がもたらされ、神とともに生き、働き、楽しむ地上の天国が実現される。大本の祭神は、宇宙の主宰神であり、一教団の神ではない。
 「万教同根」「万教帰一」を主張する大本は、ひらかれた宗教としてひろく民衆に呼びかけ、民衆が参加できうるよう、より一層の工夫がはらわれていく。
 大みまつりは、まず節分の夜からはじまる。祭典の状況は第一部で述べてあるが、大本の節分の意義づけは、今までの解釈とは全く違う。一般の人々には耳新しいことでもあるが、節分は太古に艮金神が隠退させられた受難の日であり、明治25年に再び綾部の大本に出現された記念の日なのである。
 この夜世間では「鬼正らい」(鬼償い(おにやらい))として年男が煎豆をまくが、しかしその「鬼」が艮の金神と知る人はすくない。この神を再び世の表に出させまいとして、太古から邪神のしくんだ艮金神調伏の儀式が、(長く社会的習慣として)神事や仏事の習わしとして民間に広められてきたのである。
 「鬼は外」といって煎豆をまくのは、艮金神を鬼にたとえて「煎豆に花が咲いたら世に出しましょう」ということで、煎豆に花が咲くはずはないから、この神を万却末代おしこめるというナゾなのである。(そこには、宗教上の大切な価値の転換が鮮やかに見受けられる。
 正月にシメなわをはるのも金神をおしこめて世に出さないためで、五節句の祝い行事の起源はすべて艮金神の調伏につながっている。だから大本では白豆をお供えし「福は内鬼も内」といってお下げするのである。ついでだが大本では節分に神々へ甘酒を供えて祝い、一同にこの甘酒の接待がある。
 この夜は節分大祭に引き続き潔済の神事、人型大祓などが、みろく殿内と由良川で夜通し行われ、苑内は大篝火にかがやき、甘酒や福引きでにぎわう。
 せめて1年365日のうち節分の一夜だけは、殿内で祝詞をあげるのもよし、大篝火や甘酒でおかげをいただくのもよし、また家にありて静かにゆく年を追憶し、来る春の幸を祈るもやし、信徒も市民も共々に節分を祝い、節分に祈りたいものである。(節分の夜に追放(やらわれ)し、艮の金神の再び現れます時は来にけり、-