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2006/07/04のBlog
[ 11:38 ]
[ 文化財を訪ねて ]
河合神社 下鴨神社の摂社
祭神 玉依姫命 祭神は神武天皇の御母神
例祭日 十一月十五日
神徳 神武天皇とともに御母神として日本の建国に貢献された内助の御神徳は、日本婦人の鑑とも仰がれており、安産、育児、縁結び、学業、延命長寿の守護神として広く知られている。
由緒 鎮座の年代は不詳であるが、神武天皇の御代から余り遠くない時代と伝えられている。「延喜式」に鴨河合・・(駒札より集録)
祭神 玉依姫命 祭神は神武天皇の御母神
例祭日 十一月十五日
神徳 神武天皇とともに御母神として日本の建国に貢献された内助の御神徳は、日本婦人の鑑とも仰がれており、安産、育児、縁結び、学業、延命長寿の守護神として広く知られている。
由緒 鎮座の年代は不詳であるが、神武天皇の御代から余り遠くない時代と伝えられている。「延喜式」に鴨河合・・(駒札より集録)
糺の杜(ただすのもり)の名所(摂末社(せつまつしゃ)など
河合(かわい)神社と鴨長明(かものちょうめい)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)(初代の天皇・神式天皇の御母神、本宮のご祭神とは同名異神)をまつっています。古くから本宮に次ぐ大社として歴史に登場し、女性の守護神として信仰されています。
『方丈記』の著者、鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれましたが、いろいろの事情によって、この重職を継ぐことができませんでした。
このこと方ら強い厭世観を抱くようになり、やがて『方丈記』を書くにいたったといわれています。復元された方丈が現在展示されています。
末社には任部社(とべしゃ)とよび八咫烏(やたのからす)をまつるお社があり、昭和六年(1931)日本サッカー協会設立時より現在のJリーグにいたるまで、ご祭神の姿をシンボルマークとしています。(入場パンフレットより集録)
河合(かわい)神社と鴨長明(かものちょうめい)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)(初代の天皇・神式天皇の御母神、本宮のご祭神とは同名異神)をまつっています。古くから本宮に次ぐ大社として歴史に登場し、女性の守護神として信仰されています。
『方丈記』の著者、鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれましたが、いろいろの事情によって、この重職を継ぐことができませんでした。
このこと方ら強い厭世観を抱くようになり、やがて『方丈記』を書くにいたったといわれています。復元された方丈が現在展示されています。
末社には任部社(とべしゃ)とよび八咫烏(やたのからす)をまつるお社があり、昭和六年(1931)日本サッカー協会設立時より現在のJリーグにいたるまで、ご祭神の姿をシンボルマークとしています。(入場パンフレットより集録)
[ 08:03 ]
[ 自宅(自分)その周辺 ]
2006/07/03のBlog
[ 06:44 ]
[ 自宅(自分)その周辺 ]
このところ日曜日の天候が気になっている。というのは市民総体テニス選手権大会が開催中なのだ。水無月まつり協賛大会を兼ねるので、毎年梅雨時に開催する。
一日目の男子、女子の各シングルスは先々週に小雨模様の中で終了。昨日曜日は、男子、女子の各ダブルス試合の予定。朝からの降雨で順延かと思われたが幸い雨が上がり、試合開始時間を11時にづらして実施された。日の長い時節と1昨年完成した夜間照明も利用できるので、この点大変便利になった。
来日曜日は、この大会の予備日コ-トを利用して、テニスの催しをおこなう予定。そして来々週の日曜日は我が家の余儀ない予定がある。
もし雨が降れば次々に順延して来るので、それで日曜日のテニス行事の試合消化が気になっている理由である。
一日目の男子、女子の各シングルスは先々週に小雨模様の中で終了。昨日曜日は、男子、女子の各ダブルス試合の予定。朝からの降雨で順延かと思われたが幸い雨が上がり、試合開始時間を11時にづらして実施された。日の長い時節と1昨年完成した夜間照明も利用できるので、この点大変便利になった。
来日曜日は、この大会の予備日コ-トを利用して、テニスの催しをおこなう予定。そして来々週の日曜日は我が家の余儀ない予定がある。
もし雨が降れば次々に順延して来るので、それで日曜日のテニス行事の試合消化が気になっている理由である。
2006/07/02のBlog
[ 21:40 ]
[ 自宅(自分)その周辺 ]
このところ毎週のように知人の告別式に参列している。こう蒸し暑いと高齢者の方は大変だなと思う。人間は暑さ寒さに弱い生き物かも・・。
今日は母の百ケ日もかねてお寺の住職様に来ていただいて初盆をした。自宅周辺および自宅の公共下水路への排水接続工事がやっと一段落。初盆には少し早いが、八月盆にはお寺で新仏の施餓鬼法要が営まれるそうだ。
文化財研修旅行記の資料の整理、パンフレットをスキャナ(OCR)でとっても殆ど文字の再入力になり、また現地の駒札の写真から筆記で書き出して、文字入力するのも大変な根気仕事だ。
息抜きに自宅周辺に咲く花を撮りまくってきたので、順不同、花名不詳で並べるのでご容赦願いたい。
今日は母の百ケ日もかねてお寺の住職様に来ていただいて初盆をした。自宅周辺および自宅の公共下水路への排水接続工事がやっと一段落。初盆には少し早いが、八月盆にはお寺で新仏の施餓鬼法要が営まれるそうだ。
文化財研修旅行記の資料の整理、パンフレットをスキャナ(OCR)でとっても殆ど文字の再入力になり、また現地の駒札の写真から筆記で書き出して、文字入力するのも大変な根気仕事だ。
息抜きに自宅周辺に咲く花を撮りまくってきたので、順不同、花名不詳で並べるのでご容赦願いたい。
[ 08:56 ]
[ 文化財を訪ねて ]
白い祭幕の張られた本殿・権殿参拝の入り口。参拝者はその手前の廊下に上がり下足を預け、白い襷を首に掛け左手の控え室に入っていく。2号車一行は入ってかなり時間が経つがまだ出てこない。心配そうに幕の前で待つ四方事務局長。案内をしていただいた祢宜さまが出てこられたが、交代で入る肝心の1号車の会員の姿がない。
ここで「献上・紀州梅道中」の一行が登場。予期せぬハプニング1号車の会員の姿も行列見物の向こう側に垣間見えるが、私は続いて楼門内の撮影に回ったので連絡のとりようなし。
ここで「献上・紀州梅道中」の一行が登場。予期せぬハプニング1号車の会員の姿も行列見物の向こう側に垣間見えるが、私は続いて楼門内の撮影に回ったので連絡のとりようなし。
事情が分からないまま四方事務局長と二人して心配していた1号車の皆様は、権禰宜・村松晃男さまのお世話で別の拝観場所に特別に案内していただいて、本殿・権殿(国宝)前での梅献上の儀式を拝見したとあとで聞きほっとする。こちらのブログを参照ださい
2006/07/01のBlog
[ 16:32 ]
[ 文化財を訪ねて ]
祭 祀
賀茂祭(葵祭)勅祭 五月十五日
欽明天皇の御代(六世紀)天下風雨順ならず、庶民大いに嘆いたので勅してうらなわしめ給うたところ、賀茂大神の崇りであると判った。そこで馬に鈴をかけ走らせ祭祀を行った結果、五穀成熟して天下奉平となった。
このことにより毎年国家的な行事として祭が行われるようになった。これが賀茂祭の起源である。
神前に葵を献じ、全部の社殿には葵を飾り、奉仕員全て葵を着けるので葵祭ともいう。平安時代は殊に盛んであって、「まつり」と言えば葵祭を指すほどであった。現今は五月十五日、皇室より勅使を御差遣になり旧儀によリ行われる。その行列は近衛使代を中心に牛車、花傘、斉王代(さいおうだい)列など総勢五百名、列の長さは八百メートルに及ぶ。
先づ、午前京都御所を出発、下鴨神社にて祭儀を行った後、再び行粧を整えて、賀茂川の堤を北上し、午後当神社に到着。勅使の御祭文奏上、牽馬(ひきうま)、東游(あづまあそび)、走馬等の儀が約二時問にわたり、古儀のまま行われる。清らかな流れと、新緑の境内で行われるこの祭儀の有様は、さながら王朝絵巻を見るが如くである。(入場パンフレットより)
賀茂祭(葵祭)勅祭 五月十五日
欽明天皇の御代(六世紀)天下風雨順ならず、庶民大いに嘆いたので勅してうらなわしめ給うたところ、賀茂大神の崇りであると判った。そこで馬に鈴をかけ走らせ祭祀を行った結果、五穀成熟して天下奉平となった。
このことにより毎年国家的な行事として祭が行われるようになった。これが賀茂祭の起源である。
神前に葵を献じ、全部の社殿には葵を飾り、奉仕員全て葵を着けるので葵祭ともいう。平安時代は殊に盛んであって、「まつり」と言えば葵祭を指すほどであった。現今は五月十五日、皇室より勅使を御差遣になり旧儀によリ行われる。その行列は近衛使代を中心に牛車、花傘、斉王代(さいおうだい)列など総勢五百名、列の長さは八百メートルに及ぶ。
先づ、午前京都御所を出発、下鴨神社にて祭儀を行った後、再び行粧を整えて、賀茂川の堤を北上し、午後当神社に到着。勅使の御祭文奏上、牽馬(ひきうま)、東游(あづまあそび)、走馬等の儀が約二時問にわたり、古儀のまま行われる。清らかな流れと、新緑の境内で行われるこの祭儀の有様は、さながら王朝絵巻を見るが如くである。(入場パンフレットより)
競馬会神事 五月五日
稲沢天皇の寛力士年二〇九三年)に始まる。早朝より頓言遷御、菖蒲の根合せ等が行われる。見尻(騎手)は左右口分れ、左方は打毬、右方は柏餅の舞楽装束を善げ、馬口見って社頭口参進する。
勧盃、日形見、月形見、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競脂する。号の様子は『徒然草』などにもよく書かれている。蓋し天下の壮観である。京都市登録無形民俗文化財。これ口先仁志、五月コ已には、五日の競馬に出場する馬足の、優劣を定める足汰式がある。
烏相撲 九月九日
菊花を献じ無病息災を祈願する重陽神事を了えて後、細殿の前庭にて童子二十人をして相撲(すま)わしめ神覧に供する。その問、刀禰が烏鳴き、烏の横飛びなどをして、頗る興趣のある行事である。烏の行事は八咫烏(やたがらす)伝説に由来し、細殿にて葵祭に奉仕された斎王代が御覧になる。
稲沢天皇の寛力士年二〇九三年)に始まる。早朝より頓言遷御、菖蒲の根合せ等が行われる。見尻(騎手)は左右口分れ、左方は打毬、右方は柏餅の舞楽装束を善げ、馬口見って社頭口参進する。
勧盃、日形見、月形見、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競脂する。号の様子は『徒然草』などにもよく書かれている。蓋し天下の壮観である。京都市登録無形民俗文化財。これ口先仁志、五月コ已には、五日の競馬に出場する馬足の、優劣を定める足汰式がある。
烏相撲 九月九日
菊花を献じ無病息災を祈願する重陽神事を了えて後、細殿の前庭にて童子二十人をして相撲(すま)わしめ神覧に供する。その問、刀禰が烏鳴き、烏の横飛びなどをして、頗る興趣のある行事である。烏の行事は八咫烏(やたがらす)伝説に由来し、細殿にて葵祭に奉仕された斎王代が御覧になる。
[ 16:02 ]
[ 文化財を訪ねて ]
岩上(がんじょう)
賀茂祭(葵祭)には、宮司この岩の上に蹲踞(そんきょ)勅使と対面し、御祭文(ごさいもん)に対して神の御意志を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所である。 太古、御祭神が天降りされた秀峰神山(こうやま)は、本殿の後方約2kmの処に在り、頂きには降臨石(こうりんせき)を拝し、山麓には御阿礼所(みあれしょ)を設け、厳粛な祭祀が斉行されてきた。
この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路(かよいじ)でもあり、「気」の集中する場所である。(駒札から集録)
賀茂祭(葵祭)には、宮司この岩の上に蹲踞(そんきょ)勅使と対面し、御祭文(ごさいもん)に対して神の御意志を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所である。 太古、御祭神が天降りされた秀峰神山(こうやま)は、本殿の後方約2kmの処に在り、頂きには降臨石(こうりんせき)を拝し、山麓には御阿礼所(みあれしょ)を設け、厳粛な祭祀が斉行されてきた。
この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路(かよいじ)でもあり、「気」の集中する場所である。(駒札から集録)
[ 10:12 ]
[ Doblog 朝顔・風船蔓部 ]
風船蔓部(どぶろぐ・花環の会)シルバ様からいただきました種子から育てた風船蔓も元気に伸び、可憐な花を付けています。
風船蔓部(どぶろぐ・花環の会)は、Rolling 55 (belage) さまが主宰されています
風船蔓部(どぶろぐ・花環の会)は、Rolling 55 (belage) さまが主宰されています
[ 10:05 ]
[ Doblog 朝顔・風船蔓部 ]
シルバ様からいただきました種子朝顔部(どぶろぐ・花環の会)から育てた朝顔、プランタ-仕立てです。