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なべちゃんの散歩道
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2006/07/10のBlog
糺の杜の名所(摂・末社など)と四季の行事
賀茂御祖神社(下鴨神社)入場パンフレットより
写真:横山健蔵氏(*印を除く)
1月4日 けまり始め
節分、弓神事
3月3日 ひな流し
5月3日 やぶさめ神事・平騎射
やぶさめ神事、束帯姿の射手
賀茂祭御幣物
5月15日賀茂祭に際し天皇陛下からお供えされた御幣物です。
幣物とは、一般的には神様へのお供えの総称ですが、賀茂祭では、平安時代さながらに、あざやかな五色の絹・麻布・麻苧・絹糸・木綿糸などが柳筥に納められ、天皇陛下の思し召しを体された勅使が御神前にお供えになります。賀茂祭は、石清水八幡宮の石清水祭、春日大社の春日祭とともに、日本三大勅使祭とよばれています。当神社の場合、御祭神が二柱のため、毎年二座分を御奉納になられます。
神饌お料理膳
斎串(いぐし)
竹串にテ-プ状の細紙を七廻り半、巻いたおの。これは自祓用の祓具で、みずから左・右・左と祓い、フッと息を一吹きし、その斎串を二つに折り、みたらし川に流すのがしきたりである。
勅使祓具一式
小麻をはじめ、人形(ひとがた)・玄米(げんまい)・切麻(きりぬさ)・解縄(ときなわ)で構成される祓具。賀茂祭に際し鳥居内の祓幄(はらいあく)で、勅使みずからお祓いをおつとめされる。人形など陰陽道系の祓具と考えられる。
江戸時代の足付け神事
流し雛
みたらし団子
薬酒つぼ
御薬酒
御薬酒の神事
2006/07/09のBlog
大炊殿(おおいどの)重要文化財
寛永五年(1624・江戸前期)の造替。大炊所(おおいどころ)とも呼ばれています。神饌(御供えもの)を調理する社殿で、主にご飯やお餅などの穀物類を調理し、魚鳥類は別棟の贄殿(にえどの)(現在は供御所の一間)で調理するならわしになっていました。
 大炊殿は、平安時代の「鴨社古図」にも描かれている歴史的な建造物です。入口の土間には竈(おくどさん)があり、中の間は台所になっており、流し台・用具類・御神料(神饌の材料)などを置きます。ここには「大炊殿の神」がまつってあり、調理をはじめるまえに御祓いが行われます。奥の間は、調理した御神料を盛り付けたり、御神前へお供えする順に配膳棚にならべておく所です。
 神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常にまれで貴重な社殿です。
写真:奥の間の台盤と配膳棚(資料展示)
大炊殿:中の間の展示物
大炊殿・土間
近江八幡宮、賀茂神社奉納捲懸稲と読める稲束がかけられている。
おくどさん水おけ
水ごしらえ場
若水神事をはじめ御水の祭事が行われる所。またこの岩は、式内末刀社(まとのやしろ・水の神)の御祭神が御降臨になる磐座(いわくら)との伝承があり、とよばれている。
賀茂斎院旧跡(大炊殿)見取り図
2006/07/08のBlog
シャクヤク キンポウゲ科
シャクヤクは、腹痛、胃けいれん等の鎮痛、止痛剤として効果があるほか、婦人病の治療に用います。
ユキノシタ ユキノシタ科
ユキノシタは、解熱の効果があり、生の葉の汁を耳疾に外用するほか、咳止めに煎じたものを用います。
ユキノシタの葉
下鴨神社・大炊殿の薬草園を参観しています。
ばらも薬草になるのだ?!
フタバアオイ ウマニスズクサ科
フタバアオイは、葉は薄く、冬落葉し、花は4~5月に咲きます。カモアオイとも言われ、当神社の紋となっています。
葵の庭(カリンの庭)
「文明の乱」によって焼失した賀茂斎院御所には双葉葵の自生する「葵の庭」があり、この庭が大炊殿の周りに再興された時にカリンヌルデ・クチナシ・カツラ・ヤマウコギなど御薬酒用の薬草本も栽培されるようになりました。なかでもカリンの古本が有名となって「カリンの庭」とも呼ばれています。
御井(みい)重要文化財
寛永五年(1624江戸前期)の造替。上屋を井戸屋、井筒を井戸屋形といいます。正月の「若水神事」をはじめ、神饌料理の御水に用いられました。井戸屋の前に「水ごしらえ場」があります。式内社 末刀社(まとのやしろ)の神が御降臨されるところとの伝承があり、御降臨石に御水桶を置いて神事を行います。
こちらは蕗?
イカリソウ メギ科
イカリソウは、特に健忘症等に効果があります。また強壮、強精に毎日服用すると良いといわれています。
葵の庭(カリンの庭)
忘れめや あふいを草に ひき結び かりねののべの つゆの曙(あけぼの)
第三十一代斎王式子内親王 新古今和歌集
賀茂斎院御所のアオイの自生する「葵の庭」をお詠みになった。
文明の乱の兵火により殿舎が退転したが、庭はここに再顕された。
大炊で調整される御薬酒用薬草も植栽されており、特にカリンの古木が有名で「カリンの庭」ともよばれている。(駒札より)
カリン バラ科
カリンは、鎮咳に有効で、のど飴の成分にも使われています。またカリン酒も疲労回復に効き目があります。
カリンの古木
日に照らされて輝くカリンの葉
主な薬用栽培植物の写真入り説明板
2006/07/07のBlog
三井社境内に入る一行
三井神社(重要文化財)
 本宮の若宮(わかみや:若々しいご神霊)としての信仰があり、賀茂建角身命、玉依媛命、伊賀古夜媛命(いがこやひめのみこと)の三神がまつられています。
 末社には葵祭の斎王さまで知られる初代有智子内親王(うちこないしんのう:平安時代の嵯峨(さが)天皇の皇女)から第三十五代礼子(いやこ)内親王(鎌倉時代の後鳥羽(ごとば)天皇の皇女)まで、歴代斎王のご神霊をまつるお社。けまりの神さまをまつるお社などが有名です。
三井(みつい)神社 江戸時代 寛永五年建替 重要文化財
中社 建角身命(たけつぬみのみこと)
東社 伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)
西社 玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)
「風土記」山城国逸文(やましろのくにいつぶん)に蓼倉里(たてくらのさと)三身社、延喜式(えんきしき)三井ノ神社(みいのかみのやしろ)とある神社です。
奈良時代から平安時代にかけて、このあたり一帯を蓼倉郷(たてくらごう)と呼ばれていました。三身社とは、本宮の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とその妻、伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、その子、玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)のことであり、三神がまつられています。
西側の末社
諏訪社(すわのやしろ) (重要文化財)
建御方神(たけみなかたのかみ)
・神代の昔、力比べを挑まれた勇猛果敢な神様は、勇気と力を与えてくださります。

小杜社(こもりのやしろ) (重要文化財)
水分神(みくまりのかみ)
・生活に欠かすことのできない水をつかさどる神様です。

白髯社(しらひげのやしろ) (重要文化財)
大伊乃伎命(おおいのきのみこと)別名、猿田彦命(さるたひこのみこと)
・導きの神様は、人生の指針をお教えくださいます。

斎王神霊社(さいおうしんれいしゃ)歴代斎王神霊>
白髯社に合祀されています。
・賀茂社に仕えた歴代斎王をおまつりしたお社は、女性守護の神様です。
平安時代の当神社社頭絵図(しゃとうえず)「鴨社古図」に描かれている各社の位置と現在なおかわりなく、糺の森の禁足地を背景とする古代の神社の構えを伝える貴重な神社です。また舞殿(まいどの)をはじめ棟門(とうもん)などすべてが重要文化財です。
三井社境内で説明中の京都SKY観光ガイド協会ガイドさま
白鬚社合祀(前方の末社)賀茂斎院歴代斎王神霊社
葵祭でしられている斎王は、弘仁元年(810)嵯峨天皇の皇女、有智子親王(うちこしんのう)を初代として斎院(さいいん)の制が定められました。以降後鳥羽天皇の皇女、禮子内親王(いやこないしんのう)の建暦二年(1212)御退位になるまで、約四百年間、三十五代にわたって葵祭などの祭祀を御奉仕になられました。
「源氏物語」や「枕草子」などの華やかで優雅な姿を現在に葵祭の斎王として伝えています。神霊社はもと当所より西方一帯に所在した賀茂斎院御所にまつられていたところ、文明の乱(1407)により社殿が焼亡したため、糺の森の鴨社神宮寺境内へ御動座になっていましたが、大正十年この社に合祭されました。
ガイドさんの説明を腰掛けて聞く一行
2006/07/06のBlog
東本殿・西本殿(国宝)を参拝する一行
下鴨神社の歴史
 当神社の創祀は紀元前に遡り、崇神天皇七年(BC90)には、早くも朝廷によって瑞垣が造替され、欽明天皇五年(AD544)に賀茂祭(葵まつり)が始められるなど、古くから大社としてまつられ、「山城国一の宮」と仰がれてきました。
弘仁元年(810)「葵まつりの斎王代」で知られる「賀茂斎院の制」がさだめられ、皇女が当神社の年内祭事を奉仕されていました。嵯峨天皇の皇女・有智子内親王以来三十五代、約四百年問続きました。今回はじめて公開する大炊殿は、賀茂斎院御所の宮城の社殿です。
 延暦十三年(794)、十二月二十一日、平安京の遷都にあたって、桓武天皇が御親斎されたのを始めとして、歴代の天皇・皇族方の御参拝は数知れず、平成六年十一月八日には、天皇・皇后両陛下がお揃いで御親拝になりました。その他日本の歴史の中で、数々の事項を知ることができます(入場パンフレットより)
一言社(ひとことしゃ)巳・未歳生まれの守護神を祀る
言社(ことしゃ)(えとの守り神)(重要文化財)
一言社(ひとことしゃ)(東社)大国魂神(おおくにたまのかみ)巳、未歳生まれの人の守護神
一言社(ひとことしゃ)(西社)顕国魂神(うつしくにたまのかみ)午歳生まれの人の守護神
二言社(ふたことしゃ)(北社)大国主神(おおくにぬしなかみ)子歳生まれの人の守護神
二言社(ふたことしゃ)(南社)大物主神(おおものぬしのかみ)丑、亥歳生まれの人の守護神
三言社(みことしゃ)(北社)志固男神(しこおのかみ)卯、酉歳生まれの人の守護神
三言社(みことしゃ)(中社)大己貴神(おおなむちのかみ)寅、戌歳生まれの人の守護神
三言社(みことしゃ)(南社)八千矛神(やちほこのかみ)辰、申歳生まれの人の守護神
 大国主命はお働きによりお名前を七つおもちで、お名前ごとに神社がまつられています。それぞれが十二支の生まれ年の守り神さまとして、また商売繁盛、事業繁栄の神さまとしても信仰されています。
 一月成人の日には、初大国えとまつり、十月九日には秋祭がおこなわれ、たくさんのお詣りがあります。(大国会会員を募集しています。社務所までお問い合せ下さい。)
三言社(みことしゃ)卯・酉歳、寅・戌歳、辰・申歳生まれの守護神を祀る
二言社(ふたことしゃ)子歳、丑・亥歳生まれの守護神を祀る
言社に参拝
世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)
賀茂御祖神社社務所発行の入場パンフレットより集録:表紙写真・四季の行事写真:横山健蔵氏
歴史・創祀
 当神社がまつられたのは、崇神天皇の二年(BC2)に神社の瑞垣の修造がおこなわれかという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。先年糺の杜(ただすのもり)周辺の発掘調査で弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘され、それを裏付けています。また社伝や歴史書に、お祭、、社殿、ご神宝の奉納などが記録されています。「続日本記」の文武天皇二年(698)には、葵祭に見物人がたくさん巣まるので警備するように命令が出された、という記事があります。このことから奈良時代より前から当神が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことがわかります。
 平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、別頂に記します式年遷宮(しきねんせんぐう)や斎王(さいおう・いつきのみや)の制度などがさだめられていた特別な神社であったことがしられます。そして 「源氏物語」や「枕草子」など王朝文学にしばしば登場いたしまずように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。
 平安侍代末期になりますと全国に六十余箇所もの荘園、御厨(みくりや)が寄進され神社をささえました。
 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えて行きすが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになりました。神殿守(殿司・どす)とよぱれる人々が全国をまわって、ご神徳を説いていくのもこのころです。当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれます。また国の重要な出来事には、かならずご祈願がおこなわれました。
 江戸時代にも国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。
 明治初年、全国の神社の代表として、官弊大社(かんぺいたいしゃ)の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなっています。(詳しくは、神社発行の「賀茂御祖神社略史」をごらん下さい)
御祭神とご神徳
 正式には「賀茂御祖(かものみおや)神社」とよぼます。京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお杜というところから「下鴨(しもがも)さん」とか、「下鴨神社」と親しくよげれています。
 東西の二殿の本殿はともに国宝です。
 玉依媛命(たまよりひめのみこと)東殿
 資茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)西殿

 資茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです 山城の国一宮として京邱の守護神としてまつられています。平安京が造営されるにあたって、まず当神社に成功の祈願が行われました。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました.
 出雲国「風土記」などに、玉依媛命が鴨川で禊(みそぎ)(身を清める儀式)をされているときに上流より流れ来た丹塗り(にぬり)の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ、結婚された。そしてお子をお生みになったとの神話が伝えられていますので、古くから縁結、子育ての神さまとして信仰されています。
 当神社は、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神であるとともに、厄除、縁結、安産、子育、交通安全など人々の暮らしを守る神さまです。
舞殿 重要文化財
賀茂祭(葵祭)のとき勅使が御祭文を奏上され、東遊(あずまあそび)が奉納される。御所が災害にあわれたとき、臨時の内侍所と定められている。
式年遷宮寛永五年度(1628)造替後は二十一年目ごとに解体修理が行われる。入母屋造、檜皮葺、桁行四間、梁間三間、殿上は宣命座の設置など、柱間ごとに細かく規定されている(駒札より)
神服殿(しんぷくでん)重要文化財
夏、冬の御神服を奉製する御殿であったため、その名がある。古代祭祀の神殿様式を伝える貴重な社殿である。近世は、勅使殿または到着殿となり、古来殿内の一室が行幸の時は玉座となった。「明けずの間」として伝えられている。
古くから御所が災害にあわれたとき、臨時の御座所と定められている。
式年遷宮寛永五年度(1628)造替後は二十一年目ごとに解体修理が行われる。入母屋造、檜皮葺、桁行五間、梁間四間(駒札より)
本殿・言社などの並ぶ構内に入門