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なべちゃんの散歩道
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2006/07/16のBlog
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東寺の日本一高い国宝・五重塔をバックに1号車
―京都の国宝と文化財を訪ねるー 研修旅行に参加して 1号車常任幹事・多田町 小村一郎様
 昨秋の「古都奈良」への研修旅行には、病のため参加できず大変残念な思いをした。今回も体調に問題があり心配したが、何とか参加することが出来た。朝六時四十五分集合は厳しかったが、顔なじみの皆さんの顔をみて参加できる喜びをしみじみと感じた。
 定刻、無事出発し、用意していただいたビデオで予備知識をしこみながら、又はずむ話でお互いの親睦を深めあう中に、東寺へ着いた。早速、五重塔をバックに記念撮影の後、京都スカイ観光ガイドさんの懇切な説明に導かれて広い寺域内を見学してまわった。
 東寺の塔は日本一高い五重塔であるとか、最上層から最下層まで各層の大きさが殆んど変わらないという珍しい特徴を持っているとか、話を聞きながら見上げる塔はいかにも美しく、力強く感じられた。金堂は桃山時代を代表する豪壮で、もこし(裳層)の正面が一部高く切り上げられ破風(はふう)がつけられているのは、大仏殿(天竺様と云う)によく似ておりいかめしささえ感じた。正面扉の上に開き窓があるのは、庶民が遠くから仏を拝するためのものであるとのこと、仏教が貴族のものであった当時の社会の姿を考えさせられた。全国至る所にあるお大師さんの姿や、庶民を救おうとされたという伝説との間に大きなへだたりが感じられるが、これはどういうことなのだろうと、ふと思った。講堂においては、堂内に配置された二十一体の仏像群の素晴らしさに目を見張った。密教宇宙界を表現する立体曼荼羅といわれるが、その仏像がすべて国宝・重文である。宇宙の真理の体現とされる大日如来を中心に、如来、菩薩、明王諸天が整然と並ぶ姿に、荘厳さと共に理知的なものを感じた。優れた理論家であったと言われる、弘法大師の構成されたものであるせいであろうか。更に進んで大師堂を参観した。
 大師の住房であったと言うここは、一転して優雅さを感じさせる場であった。ガイドさんの説明によれば寝殿造りの貴重な国宝であるとのこと、今迄見学して来た堂々たる仏殿、仏像の世界と異なるくつろぎを覚える世界であった。弘法大師の芸術家空海としての一面をあらわすものと言えようか。
 アミタ本店での、楽しい昼食やショッピングのひとときの後、上賀茂神社へ向かった。鳥居から神殿まで広々とした芝生の中の道を、何か和らぎを感じながら歩いた。国宝の本殿・権殿の特別参拝が出来るということであったが、丁度、「紀州梅献上行列」及び「献上儀式」にぶつかり、大きく予定が狂ってあわただしい参観になってしまった。しかし珍しい古式豊かな行列を見学し、普段は絶対に入れない内庭に入り、献上儀式の様子を垣間みることが出来たのは収穫であった。 参拝が終わる頃、急に雷鳴が聞こえ好天気と思われた空から少し雨も降って来た。別雷大神の感応があったかと話しながらバスに急いだ。
 下鴨神社では、二十年毎に式年遷宮があったことに驚いた。遷宮のあるのは伊勢神宮だけと思っていたのである。もっとも現代では大修理をもって遷宮としているとのことであった。大都会の中とは思えぬ「糺の森(ただすのもり)」の静けさを賞でながら歩き、やぶさめ神事の行われる広い広場を見て、その勇壮な姿を偲んだりした。その中でならの小川の話を聞いた。
 風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける 
百人一首のなかのなじみ深いうたであるが、上賀茂神社の夏越祓を詠ったものと聞いて、「ならの小川」を「奈良の小川」と思いこんで奈良の夏の情景と思っていた不明を恥ずかしく思った。鴨長明の寓居「方丈(復原のもの)」を見学して方丈記を、更に受験の頃を思い出すなど、実りの多い見学であった。勉強することの多い一日であったが、中でも特に印象に残ったことをまとまりなく列記し、感想文に替えさせていただくことにしたい。
昼食は岡崎平安神宮北の「アミタ本店」で京料理を食べた。大型バスが2台、市道から本店横のトンネルのような路地をバックで通り抜け駐車できた。
お土産を買い求める会員も大勢いた。
一階フロントロビ-では「京象嵌」の実演をされていた。
細かな「京象嵌」作成作業を見守る会員たち
一階奧の京都美術品展示店でも「京象嵌」作成の実演をされていた。囲んで見学する会員たち
2006/07/15のBlog
大賀ハス
大賀ハスの中心は黄金色に輝く
大賀ハス
極楽寺参道よこの蓮池に咲く水連
鮮やかな紅が古代を想わせる
大賀ハス
ハスの葉も面白い
シオカラトンボもご機嫌
ブル-とピンクの朝顔が咲き誇っています。
風船葛(ふうせんかずら)も一杯風船をぶらさげています。
シルバ様:朝顔部(どぶろぐ・花環の会)からいただきました種子から育てました
2006/07/14のBlog
[ 16:45 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
子供から大人までのスキ-靴、合計10足。今日の粗大ゴミとして出した。燃えるゴミの分類で良いそうだ。我が子の保育園時代からの家族スポ-ツのなりの果てである。
まだ各自一足づつは現在使用中の靴があり、さらにこの夏至に一足予約したので、あと5足程度はある勘定になる。嫁に行った娘三人は各自の家庭でしっかりスキ-用具を抱えている。次回はスキ-板もゴミに出す予定のようだ。果たして何本あるだろうか?
写真を良く見ると、樹脂は経年劣化するので、バリンバリンに割れている。クッション部のウレタンも痩せて弾力性がなくなっている。こうなると使い物にならないのである。

北海道の「ともっぽ様」が新しいブログ「スポーツとPCとその他もろもろ rev.2」を立ち上げられた。早速「Fisher」 の最高級の競技スキ-を予約された記事が載っている
新しいブログのご繁栄を祈る次第である。左サイドメニュ-のリンクに載せさせていただいた。
二千年の眠りから覚めた大賀ハス
この蓮は、昔、日本各地に生えていたものが二千年ぶりで蘇った古代蓮である。蓮にまつわる話として、故大賀一郎博士のことに触れなければならない。博士は昭和初期に南満州(中国東北部)で、数百年昔の蓮の種子を発見し、育て上げて学位を取り、蓮博士と称せられた学者。この池の蓮の種子も、博士が千葉市で発見した三粒の種子の一粒である。
千葉市検見川(けみがわ)は、大昔、海に近い一面の湿地で、地下は深い泥炭層である。博士は弟子の学生や地元学生の協力を得、毎日々々泥を掘ってはフルイにかけ、水で洗うという作業を続けた。昭和26年は第二次世界大戦後で、機器機械は乏しく、食物も不足な時代、今日見つからねば作業を中止しようと決意した40日目に、地下6米を掘ったところ、フルイに三粒の種子がかかる。昭和26年3月30日の夕方である。その時の博士の顔は涙と泥でグシャグシャだったという。
三粒の種子の一粒は博士の庭で、一粒は地元検見川で二千年の睡りから芽を出し、昭和27年7月18日に花が咲いた時は、生物の奇跡として、世界の学会は驚く。翌28年にはドイツの国際園芸博覧会で開花し、世界で認められ、「大賀ハス」と名付けられ、千葉県の文化財に指定されている。
今、京都府では府立植物園と、ここだけがこの珍しい蓮の花を咲かせている。
はちす葉の にごりにしまぬ こころもて なにかは 露の玉とあざむく
 僧正 遍照
友人と極楽寺(白道路・はそうじ)大賀ハスを見に行った。今年も薄紅の幽玄な花を咲かせていた
大賀ハス
大賀ハス
固い蕾に塩辛トンボが止まっていた。
2006/07/13のBlog
国指定史跡 糺の杜(ただすのもり)
三万六千坪の境内は「糺の杜」とよばれ、全体が国の史跡に指定されています。また、数々の社殿群とともに世界文化遺産にも登録されています。
 糺の杜は、古代の山城国の名残をとどめる自然遺産で、文化財と白然環境保護のために財団法人「糺の杜顕彰会」が結成され、毎年四月二十九日(みどりの日)の市民植樹祭をはじめいろいろの保全活動がおこなわれています。
 お問い合わせは、当神社社務所内事務局までお申し出ください。
下鴨神社境内図
霊璽(れいじ)社(印社(いんのやしろ)、印璽社(重要文化財)
印鑑・契約守護の神さまとして篤い信仰があります。
境内に、この霊璽社の分霊「印納(いんのう)社」がおまつりされており、古い印章を納めています。(古印章納のご祈祷は随時受付けています。)

出雲井於(いずもいのへの)神社(通称・比良本(ひらき)社 重要文化財)
地主神である須佐之男命(すさのおのみこと)をまつっています。この神社の周囲にどのような本を植えても、柊葉(ひいらぎば)のようにギザギザになることから比良本社(柊社)ともよばれています。運開き、厄除けの神さま、また茶道の神さまとして信仰されています。 末社には短歌や芸ごとの上達を祈願する神さまがまつられています。

相生(あいおい)社と連理(れんり)の賢木(さかき)
縁結びの神さまとして有名で、神皇産霊神(かむむすびのかみ)さまをおまつりしています。結納の守護神としてもあがめられ、古い結納を納めるご祈梼も随時お受けいたしております。
 また、お社の脇の授与所は、『源氏物語』にちなんで調製された「縁結びおみくじ」が人気になっています。
 また、相生社の縁結びの霊験のあらわれによって二本の木が途中から一本に結ばれている「連理の賢木(れんりのさかき)」という不思議なご神木があります。あまりの珍しさに「京の七不思議』にあげられています。この木が枯れると、糺の杜のどこかに跡継ぎが出末るとの言伝えがあり、現在のご神本も四代目にあたります。

御蔭(みかげ)神社
比飯山の西方、東山三十六峰二番目の御蔭山(みかげやま)に鎮座し、古代からの祭祀、御生神事(みあれしんじ)、現在は御蔭祭(みかげまつり)とよばれているお祭りがおこなわれます。

赤の宮(あかのみや)賀茂波爾(かもはに)神社
高野川の上流にあり、古くから開拓の神として篤い信仰があります。御蔭祭には「路次祭」がおこなわれ、雅楽「還城楽(げんじょうらく)」が奉納されます。
2006/07/12のBlog
井上社 別名 御手洗(みたらし)社
祭神 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
例祭 土用の丑の日
この社の前身は、「三代実録」元慶三年(879)九月二十五日の条をはじめ、諸書に見える唐崎社である。賀茂斎院の御禊や解斎、関白賀茂祭の解除に参拝になった社である。
元の社地は、高野川と鴨川の合流地東岸に鎮座のところ、文明の乱により、文明二年(1470)六月十四日焼亡したため、文禄年間(1592~96)にこの所に再興になり、寛永度(1629)式年遷宮より官営神社となった。また井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになった。
賀茂祭(葵祭)に先立つ斎王代の御禊の儀は、この社前の御手洗池で行われ、夏の風物詩。土用の丑の日の足つけ神事立秋の前夜の矢取りの神事はともに有名である。
土用になれば御手洗池より清水が湧き出ることで七不思議の一つにも挙げられ、池底から自然に吹き上がる水泡をかたどったのが、みたらし団子の発祥と伝えられている。

御手洗(みたらし)社(井上杜)
 瀬織津比賣命(せおりつひめのみこと)をおまつりしています。病気やけが、さまざまな災難除けの神さまです。お社は井戸の上に建立されており、社の前がみたらしの池と呼ばれ、下流を御手洗川(みたらしがわ)とよんでいます。みたらしの池の南庭は、おまつりの時のお祓いの場所です。葵祭に先だって斎王代がみそぎをされるところです。
 夏の土用の丑の日の「足つけ神事」、立秋前夜の「矢取り神事」は有名でたくさんの人で賑わいます。また、みたらしの池の湧く水のあぶくを人の形にかたちどったのが「みたらし団子」で、発祥の地と伝えられています。

御手洗川(みたらしがわ)
君がため 御手洗川を若水に むすぶや千代の 初めなるらむ (後撰和歌集)
土用の丑の日に、この御手洗川に足を浸し、疾病や病を封じて祈願して賑わう「足つけ神事」や立秋の前夜の「矢取り神事」葵祭の「斎王代(さいおうだい)の禊の儀(みそぎのぎ)}をはじめ、祓いの神事が執り行われるところである。
また常は水が流れていないが、土用が近づくと、こんこんと湧き出るところから、京の七不思議の一つとされ、その様をかたちどったと云われる「みたらし団子」の発祥のところでもある。
お社の前に立てられている「駒札」などの写真を撮っている間に、バス2台の一行から遅れてしまった!
HP作成は、写真も記録資料(文)も必要なのがつらい。うっかり写真だけ撮っていても、さて何のお社だったのかなと言うことも屡々生じる。本来、文化財に親しんでいる会員の姿を撮るのが目的で、社殿など文化財そのものは入場パンフレットなどから拝借すれば済むのではあるが、多少はりっぱな国宝・重文も撮りたいし、そうなると駒札を撮って帰り、書き出してパソコン入力をすることになる。
話しがそれたが、バス2台の皆から遅れ、その最後尾が「糺の杜」方面に消えるのを片目で見ながら、反対方向の「御手洗社(井上社)」に向かい駒札と神社の写真を撮る。
引き返して慌てて橋殿の横から「糺の杜」に入り、「奈良の小川」沿いの小道を森の中を急ぐ。ところが僅かに散策する人がいるだけで、行けども行けども誰もいず追いつけない。
「はぐれた」と思うとあせった。そうなるともう折角の「糺の杜」の風景・樹木など、写真を撮る余裕もない。そして飛び出したのがこの下鴨神社に入る手前の大鳥居。
いたいた皆んないた。何のことはない糺の杜の小道を散策せずに、ただ参道を戻ってきたのだ。
と言うわけで以前に「糺の杜」をゆっくり散策した思い出の再現(これを期待)ができませんでした。団体旅行のつらいところです。
下鴨神社境内
式年遷宮と文化財の社殿五十五棟
 当神社は、ほとんどの社殿を二十一年ごとお社を造り替える式年遷宮の制度がが定められています。現在はすべての社殿が国宝・重要文化財に指定されているため、大修理をもって遷宮とされています。ただいまは、第三十三回式年遷宮が平成六年に東西両本殿のご遷宮がおこなわれ、つついで各社殿やお社の修理がおこなれています。
 社殿はいずれも、平安時代の様式を史実に伝え、本殿二棟は国宝、五十三棟が重要文化財に指定されています。
 国宝の東西本殿はいずれも「流造(ながれづくり)」という様式です。この流造は全国の神社で最も多い様式ですが、そのはじまりの形をそのまま伝えています。
古神札納所の案内指示が見える
輪橋(そりばし)と光琳(こうりん)の梅
尾形光琳(1658~1716)が、このあたりを描いたのが「紅白梅図屏風(国宝)」である。この梅を「光琳の梅」と呼ばれるようになった。
橋殿 (重要文化財)
御蔭祭(みかげまつり)のとき、御神宝を奉安する御殿。古くは御戸代会(みとしろえ)神事、奏楽、里神楽、倭舞(やまとまい)が行われていた。
また行幸、御幸のさい、公卿、殿上人の控え所と定められていた。
現在は、名月管弦祭、正月神事等、年中祭事のときに神事芸能が奉納される社殿。
式年遷宮寛永五年度(1628)造替後は、二十一年ごとに解体修理が行われる。
入母屋造、檜皮葺、桁行四間、梁間三間。
細殿 (重要文化財)
平安時代の当神社「神殿記」に「細殿」とあり、歴代天皇の行幸、上皇、院、関白賀茂詣には、歌会などが行われた社殿である。
近くは霊元天皇、亨保年中の行幸に歌会が行われた。また天明度御所回禄(火災)には、内侍所(賢所)の泰安所となり、文久回禄の時には、祐宮(明治天皇)安座所となった他、文久三年、孝明天皇賀茂行幸には、徳川家茂将軍の侍所となるなど歴史的な社殿である。
内部の構造は、二重天井となっており、外部は向背付流造という建築学的にも重要である。
御本宮式年遷宮ごとに造替されており、現在の社殿は寛永五年度(1628)遷宮建替になるもので、以降は遷宮ごとに解体修理が行われている。