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なべちゃんの散歩道
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2006/07/21のBlog
[ 22:05 ] [ 平和 世界連邦 ]
世界連邦市民学習会のご案内
綾部世界連邦運動協会では、世界連邦に関する市民学習会を3回シリ-ズで開催いたします。綾部市が「世界連邦都市宣言」をわが国で初めて行ったまちであることは、多くの皆さんがご存知だと想います。
 それはわかっているけれど・・世界連邦とは具体的にどんなことなの? どうして綾部で最初に宣言することができたの? どうやって世界連邦を実現しようと考えているの? 私たちにいったい何ができるの? こんな疑問をお持ちになったことはないでしょうか。
 この学習会は、こういった疑問や問いかけに少しでも答え、皆さんとともに世界連邦について理解を深めていくために開催するものです。 もっと世界連邦について知りたいお考えの方、どなたでもお気軽にご参加ください。お待ちしています。
写真:学習会の司会をされる出口三平氏。
第1回 7月15日(土)午後1時30分 綾部世界連邦運動協会顧問 綾部市長 四方八洲男氏
「昨日の夢であっても明日の現実だ」 ~世界連邦について知ってほしい~
第2回 8月5日(土)午後1時30分 綾部世界連邦運動協会 相談役 山崎 巌氏
「戦後、綾部の世界連邦運動の思い出」
第3回 9月2日(土)午後1時30分 綾部世界連邦運動協会 会長 鹿子木 旦夫氏
「世界連邦実現への道」
会場:綾部市市民センタ- 多目的ホ-ル
イスラエルとパレスチナの戦争で肉親を失った子供達を招いて、中東和平子供サミットをしかけ、綾部市を皮切りに徳島市、岡山市、亀岡市とつづく活動への熱い思いを語る四方八洲男綾部市長。
綾部市での初回以来、訪れた子供達が小泉総理大臣と出会い励ましの言葉を貰ったこと。再会の約束を果たすべく小泉総理の中東訪問があり再会できたこと。しかし小泉総理の平和メッセ-ジは、捕虜問題などを契機に、イスラエルの「カザ進駐」「レバノン閉鎖」という中東問題の危機に当たってしまったこと。エルサレム市と綾部市との友好都市締結のこと。当時のエルサレム市長(現イスラエル首相):オルメルト氏との友好都市締結訪問での出会い・・・。綾部市民に世界連邦運動への実践、参加を呼びかけられました。
2006/07/20のBlog
[ 07:07 ] [ スキ- 銀嶺会 ]
HEAD社のEDGE9.8 H.P.HEATFIT
上位機種並の機能を搭載した快適ブ-ツ。ハイパフォ-マンス・ヒ-トフィット・インナ-採用で快適性がさらに高く。
ALL MOUNTAIN 優れたフィット感を持ちながら、履きやすさも追求した、4バックルブ-ツ。上位機種譲りの数々のフィッテイング機能を持ち、快適でありながら優れた滑走性を発揮します。
PCで靴にかかる加重の分布を測って貰う
靴を履き測定台に乗り、直滑降の前傾姿勢をとり測定。左右のつま先と踵部の加重状態が色で示されている。
インナ-に熱を加えているところ、このあと厚手の靴下をはき靴に足を入れ、滑降姿勢でインナ-が固まるまでじっと立っていた。
仕入れられた店内のスキ-板、すでに予約済みの板も結構見られた。サマ-セ-ル中。舞鶴市(西)のスキ-専門店「KID」
ウエア、靴、スキ-用品など店内狭しと在庫豊富の状態だった
2006/07/19のBlog
京野菜を京都の町屋の方からいただいた。見事な賀茂なす
賀茂なすのグラタン、皮まで食べられる
紫頭巾(むらさきづきん)枝豆
実がしっかり入っている。
さっそく豆ご飯に、美味しい!
かぼちゃ
見事なトマトやこれらの京野菜、さらにお米まで自分たちで作っていられるといわれ大変感心しました
北野天満宮の交差点を渡っていると、長蛇の行列が目に付きました。つくりあげたばかりの京豆腐を、湯豆腐・ひろうす・おあげなど京の味をふんだんに盛込んだメニューに仕立てて家庭的な雰囲気の中で味わえるお店「とようけ茶屋」です。
一本うどんの「たわらや」もすぐ近くです
豆腐の出来上がるのを行列で座って待っておられる
平成4年創業の看板が上がっている
2006/07/18のBlog
老舗店の名物は、極太麺の一本うどん たわらや
京都の所用をすませてから、北野天満宮を参拝、お昼になったので昼食に寄った。
冷やしうどんセットも美味しかった
京都では「天神さん」と親しまれている北野天満宮。かつては神社への参道だったという御前通(おんまえどおり)に面してあるのが、この「たわらや」です。
 築460年という風格のある町家に一歩入ると、まるで江戸時代にタイムスリップしかかのような佇まい。こちらでは高い天井や黒光りする柱、階段箪笥、古い井戸もそのままの落ち着いた雰囲気のなか、名物の一本うどん「たわらやうどん」が味わえます。
 「江戸時代の終わり頃、天神さんの縁日に来る参拝客のため、うどんをふるまつたのが始まりと煕いております」と御主人。
 さて、その名物うどんは、幅約1センチ、長さ約50センチの極太麺。もちもちとしたコシの強さが特長で、生姜のきいただしによく合い、体もほっこり芯から温まります。 2月は、北野天満宮の梅も美しい季節、参拝帰りにぜひ寄ってみたいお店です。
北野天満宮の門前茶屋として始まった時代そのままの店構えは、どこか郷愁を感じさせる
[ 19:53 ] [ 文化財を訪ねて ]
謡曲『志賀』にちなみ、大伴黒主(おおとものくろぬし)が桜の花を仰ぎ眺めている姿をあらわす。御神躰(人形)は、寛政元年(1789)作の銘を持つ。山に飾る桜の造花は、粽(ちまき)と同様に戸口にさすと悪事が入ってこないといわれている。
 水引は,雲龍文様の繻珍(しゅちん)。前掛は伝萬歴帝御服(でんばんれきていぎょふく)(1989)復元。胴掛は百華文の綴錦。見送は宝暦十四年(1764)記銘の牡丹鳳凰文様綴錦(ぼたんほうおうもんつづれにしき)と紅地唐子遊図(べにじからこゆうず)の二種類が隔年交替で用いられる。
 人形着用の古衣装には、延宝三年(1675)在銘の紺地菊唐草文金襴小袖(こんじきくからくさもんきんらんこそで)及び正徳元年(1711)在銘の萌葱絽地牡丹文(もえぎらじぼたんもん)色入金襴大口袴(きんらんおおぐちはかま)がある。また右前掛の波濤飛龍図(はとうひりゅうず)は中国綴織。これは明朝最後の君主尚寧王(しょうねいおう)が師にあたる京の袋中上人に献上した十六世紀の織物で、現在京都国立博物館に保管されている明時代の貴重なものである。
また人形をかざる町屋の一階は、特に折上格天井(おりあげこうてんじょう)につくられ、この人形が御身躰として大切にされている様子がうかがえる。京都市
大伴黒主(おおとものくろぬし)が桜の花を仰ぎ眺めている姿をあらわす
大伴黒主、掛け物など
掛け物
黒主山の後ろ姿
2006/07/17のBlog
[ 20:29 ] [ 文化財を訪ねて ]
役行者山(えんのぎょうじゃやま)
山の御神体(人形)として、役行者と一言主神と葛城神の三体を安置し、この組合せは、役行者が一言主神を使って葛城と大峯の間に橋をかけたという伝承を想起させる。
正面の洞に役行者が角帽子、袈裟、錫杖を持って座し、葛城神は女体で、手に宝輪と末広を持ち、一言主神は鬼形で赤熊をかぶり、手に斧を持っている。
水引は、つづら織りの名手とうたわれた西山勘七作の唐子遊図、前掛は、牡丹・胡蝶図と雲龍文との三枚継ぎ、胴掛は、雲龍波涛文の綴織。見送は二種あり、袋中上人請来と伝える朝鮮軍旗、竜文のものを三枚合わせ、淵を赤地古金欄(安楽庵製)で縁どったものと、中国の明朝の官工場で織られた紅地唐美人図の綴織とがあり、二つを一年交替に用いている。京都市
正面の洞に役行者が角帽子、袈裟、錫杖を持って座し、葛城神は女体で、手に宝輪と末広を持ち、一言主神は鬼形で赤熊をかぶり、手に斧を持っている
見送は二種あり、袋中上人請来と伝える朝鮮軍旗、竜文のものを三枚合わせ、淵を赤地古金欄(安楽庵製)で縁どったものと、中国の明朝の官工場で織られた紅地唐美人図の綴織とがあり、二つを一年交替に用いている
綴れ織り
「役行者山」 後ろから
[ 12:40 ] [ 文化財を訪ねて ]
登龍門「鯉山」の由来
中国黄河の上流に龍門という激流の難所があり、鯉がここを登り切って龍となって祀られたという「登龍門」の古事から、人々の成功と繁栄を願って「鯉山」がつくられました。最近特に激しい入学試験や就職試験に際し、また良縁・事業成功を念願される方々は、宵山の参詣にあわせて、ぜひ登龍門守護の「お守り」・厄除けの「ちまき」などをお授かりください。
鯉山のデ-タ
高さ:6.0m、長さ:5.5m、巾:2.3m、重さ:1.5ton、担ぎ手:22人
鯉山の古い名前
「れうもんの鯉山」「竜門の滝」「鯉の滝のぼり」「こいの山」
写真:祭壇と鯉とタペストリ-
ベルギーで織られたタペストリー(壁掛)が、なぜ祇園祭「鯉山」に飾られているのでしょうか? 歴史とロマン・・世界の文化財・・

タペストリ-渡来の謎
鯉山を飾るタペストリーは、ホメロス作ギリシャ神話「イーリアス」をもとに、16世紀にフランドル地方ブラバン州(現在のベルギー)で製作された5枚シリーズのうちの1枚です。17世紀、伊達政宗の家臣である支倉常長が、遣欧使節としてローマ法王に謁見したおり、法王から政宗への贈物として日本に持ち帰られました。その後5枚のタペストリーは会津藩の手に渡り、うち3枚が会津天寧寺を通じて京都の天寧寺に運び込まれたといわれています。そしてその1枚を鯉山町が購入し、大小9枚に分断して、右図のように、鯉山飾りとしました。
●このタペストリーは、16世紀中期現在のベルギー・ブリュッセルで製作され、図柄は、紀元前1200年頃のトロイ戦争(ギリシャとトロイの戦い)を題材としたギリシャ詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」中の重要な場面での、トロイ王の英姿です。もとは写真のように一枚の織物としてつくられました。
鯉山鉾
祇園祭-貞観11年(869)平安京に御霊会(ごりょうえ)として始まる。●宵 山 7月14日頃~16日 各山鉾町において町席飾り
●巡 行 7月17日長刀鉾、午前9時四条烏丸集合・出発(さきのまつり)、(山鉾32基) 鯉山午前10時頃、町内出発・正午すぎ帰着(あとのまつり)

◆鉾の辻(室町通と四条通の交叉点)…四方に鉾が建つ宵山の中心地点
巡行の当日、菊水鉾と鶏鉾は一回目と六回目の辻まわしをここでおこなう
他の鉾は計四回の辻まわしで元の場所(町内)に戻ることができる
[ 12:22 ] [ 文化財を訪ねて ]
昨日曜日は所用で京都に行き、午後の小時間を祇園祭の宵山で飾られた矛を見て回った。
祇園祭-貞観11年(869)平安京に御霊会(ごりょうえ)として始まる。
宵山 7月14日頃~16日 各山鉾町において町席飾り
巡行 7月17日 長刀鉾、午前9時四条烏丸集合・出発(さきのまつり)、(山鉾32基)、鯉山午前10時頃、町内出発・正午すぎ帰着(あとのまつり) 写真:鯉山鉾のタペストリ-
鯉山鉾
鯉山鉾
鯉山鉾タペストリ-
灯火を供える
2006/07/16のBlog
上賀茂神社の楼門をバックにて2号車
第三十八回春の研修旅行 「世界文化遺産登録京都の国宝三社寺巡り」 2号車 味方町 新宮美恵子様
 おだやかな日差しのもと、東寺の広い境内は楠が繁り、若葉を吹き抜ける風が清々しい梅雨に入る前の六月六日、春の文化財研修旅行に参加させて頂き、先ず東寺に到着。何年か前、しまい弘法に来て境内にひしめく露店を巡り、ただ広いことに驚いた記憶があるが、この日は新めて寺域の広大さ、古い伽藍の数々に目を見張った。前以って「守る会」の会報により、役員の方々が事前に下見をし、くわしい資料を作って綿密なる計画が立てられていた由であるが、当日、予定通り順調に進行され、感謝、感服した。
 そこからガイドさんが付いて下さり、東寺の伽藍は南大門から一直線上に金堂・講堂・食堂(じきどう)が配されている事や、この五重塔は京都の象徴で、平安遷都以来千二百余年の間に幾度かの災害に遭っても同じ場所に再建された事など、知らなかったことを次々と教わる。 
 この塔をはじめ寺域の建物・仏像は殆どが国宝・重文で貴重な文化財ばかり。見る程聞く程に、先人達が全て手作業で造り上げた想像もつかぬ智慧と技術、努力に只々感心するばかり。特に金堂・講堂に並ぶ尊像群の見事さに心惹かれた。
 十箇所に近い堂塔・山門を見巡り、頭の中の整理がつかぬ程の知識と疲れでぐったりとなったが、あとの昼食、休憩で気をとり戻し、次の上賀茂神社へ向かう。
 ここは下鴨神社と両社で「賀茂社」と総称され、以前ご神体は後方の神山(こうやま)であったが、天武天皇の御代に現在の地に社殿が造営された。正式には
賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)と言う。下鴨神社の御祭神「建角命(たけつぬのみこと)」の娘「玉依日咩(たまよりひめ)」が川遊びをしていると丹塗りの矢が流れつき、床においた所懐妊して「別雷命」が生まれ、上賀茂神社の御祭神になられたと説明を聞く。歴代皇室の信仰が篤く、伊勢神宮に次ぎ神社の筆頭として武家、庶民の参詣も絶えなかった由。
 たまたま六月六日は「梅の日」とて、和歌山県から献上梅の珍しい一行に遭遇したが、平素非公開の国宝・本殿、権殿を神職に説明されていた時と重なり大混雑でした。森影を清らかに流れる「ならの小川」に心を癒し、明神川沿いの社家の佇まいに見入っていた時、俄に空が暗み僅かに夕立が来て雷が鳴り出した。 
 バスガイドさんは咄嗟に「さすが北山しぐれですね。別雷の神にふさわしく雷も鳴って」とのジョークに私達は疲れもほぐれ、バスに駆け込む。
 続いて訪れたにのは下鴨神社の摂社「河合神社」、二つの川の合流点でその名が付き「方丈記」の鴨長明に関わる宮で、社の前にその庵が復元されていた。更に珍しかったのは、左の小さな祠にサッカーのシンボルマークの八咫鴉(やたがらす)が祀られ、フアンのお参りが多いと言う。
 下鴨神社は正式名は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)でここも世界文化遺産登録である。広大な「礼の森(だだすのもり)」は昼でも暗く巨木が繁り、長い参道を爽やかな風が吹き通る。本殿から大炊殿(おおいどの)、みたらしの池など見学し、両社共に数えきれぬ程の境内社があり、年中参詣者が絶えぬことに実感が湧く。遷都以来千二百年のちも尊い神事が脈々と受け継がれている事に敬畏の念を一層深め、わが国で最も多い文化財が遺り守られている京都の一部をくわしく見学させて頂けた幸せを心から感謝しながら、胸ふくらむ思いで帰路についた。