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なべちゃんの散歩道
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2008/05/14のBlog
[関連したBlog]
綾部市テニス協会事務局から試合成績を送ってきたので掲載します。
舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市の四市総当たり対戦結果は、選手名のある下記のエクセル・ファイルをご覧ください。
男子シングルス:2対戦、男子ダブルス:2対戦、女子ダブルス:2対戦、壮年ダブルス:2対戦、ミックス・ダブルス:1対戦の合計:9ポイント試合です。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/56yontosi.xls
四都市の勝敗表は、写真をクリック拡大してご覧ください。綾部市が2勝1負で準優勝となりました。
綾部の古木名木100選の一つ サルスベリ幹周1.6M樹高4.1M
 他にも文化財としては「絹本著色十六善神像(縦123.5、横69.2センチメートル)」や綾部の古木名木百選の一つ「ケヤキ幹周4.4、高さ32メートル」もありますが紙面の都合上掲載出来ませんので是非各自でご参拝の上、見学をお薦め致します。
(綾部の文化財を守る会事務局追記)
引用文献:綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」
写真提供:綾部市資料館及び文化財を守る会事務局撮影
正暦寺住職 玉川正信
萩祭り(毎年九月中旬の土曜日)
 この萩祭りは不動堂に向かって左手にある「近畿楽寿観音霊場第二十一番札所」の「楽樹観音様」をお参りします。
 その後、正暦寺の「」を愉しんで頂きます。
千手観音堂前の萩
萩のトンネル
1.正暦寺の催事
不動明王大祭(毎年1月28日)
写真:正暦寺石段と山門 (御不動御縁日)

午前十時、庫裏前から山伏の法螺貝の音とともに不動堂の前へ行列行進。
 行事の後、本堂の「四国八十八ヶ所お砂踏み法要」もあり、叉、無料接待の「大根だき」等や模擬店は多数の参拝者で大繁盛であった。(綾部の文化財守る会事務局追記)
不動堂に関係僧侶・山伏参拝
不動明王大祭
柴燈大護摩供
正暦寺の扁額
 元禄時代の有名な書家・佐々木玄龍の作。
駕籠(かご)
 綾部藩九鬼家より寄進の駕籠。
文政五年(1822)に九代藩主となった九鬼隆都公のもとに、桑名十万石の松平家より嫁入りがあった際に使われた。
木造不動明王立像
江戸時代綾部藩主が参勤交代の折に道中の安全を願い,守り本尊にした仏像。新義真言宗を起こした興教大師(覚緵上人)の作と伝えられている。毎年1月28日に行なわれている「不動明王大祭」の本尊になっている。
木造千手観音立像(市指定文化財)
(平安時代、像高97.5メートル)
 綾部地方では十二世紀末ころから熊野信仰が盛んになった。その頃作られたものと思われ、藤原様式の繊細な感じの像である。本体部分は一木造で,両肩のところで腕を矧つけてある。冠飾り、髪の毛の生え際のつくり方、耳の曲線のつけ方、頬から顎にかけての顔の輪郭に平安時代後期ころの仏像と共通した特色がみられる。肩から胸部、腰辺から膝にかけては細い体躯つくられ、着衣の襞の表し方も彫が浅く、穏和な表現が特徴である。
府指定名勝・正暦寺庭園(府指定文化財)(江戸時代) 
庭園は、本堂の北に接して並ぶ客間(旧位牌堂)と庫裏の西側、庫裏側からの座視観賞を意図して築かれている。
南北幅約16メートル、東西の奥行き約11メートルの広さを持つ枯山水の庭園で、西辺を限る竹垣の手前に南北に延びる野すじ状の低い築山を主景として配し、立石を交えた50個あまりの景石で築山の輪郭と枯滝を組み上げている。
石組の構成は、もっとも高い立石から組みおろす枯滝と、それに呼応する形で据えられた低い立石から組みだされる枯滝を、それぞれ中心として成り立っている。
 築山外縁から約4メートル手前庫裏側に離れて、鶴島を意識して配置されたとみられる十数個の石で構成される独立した石組がある。この石組は、本来は長径1.5メートルほどの楕円形の輪郭をしていたものと考えられるが、現状では、客間の外縁部に近接した東及び南辺の一部が、建物の外壁輪郭に合わせ直線的な土留め石列に改められた形跡がある。
 庭園東側を画する本堂から古裏までの建物は天保年間(1830~44)の再中興期に建造されたものであり、寺伝ではそれ以後に建物平面輪郭を拡張する増改築はないといわれることから、庭園の築造は江戸時代中期に遡る可能性もある。
2008/05/13のBlog
1.正暦寺の文化財
絹本著色仏涅槃図(国重要文化財)
(鎌倉時代、縦118.8、横119.4センチメートル、奈良国立博物館寄託)
涅槃図は、釈迦入滅の2月15日、釈尊の遺徳奉賛追慕のために行なう涅槃会の本尊とする仏画で、釈尊がまさに入滅しようとする劇的な場面を描いたものである。沙羅双樹の下にしずかに身を横たえ臨終をむかえようとする釈尊の姿を描いている。
周囲には文殊、普賢などの諸菩薩、十大弟子、在家の信者たち、像・獅子・などの動物までが描かれ、釈尊の死を悲しむ姿が表現されている。
この涅槃図は、鎌倉時代の作品で,時代の風潮を反映して動きの激しい画面を濃厚な色彩と肥痩のある線を駆使して描いている。大げさに泣き叫ぶ羅漢,身を転げて悶える禽獣の姿には活気と動きがあらわされ、まとまりよく描かれている。
寺伝では画僧兆殿司(明兆=南北朝から室町時代の代表的画僧)筆と伝えているが、画き方からみて鎌倉時代の作とかんがえられている。