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なべちゃんの散歩道
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2008/05/09のBlog
綾部市の郷土史講座では、平成19年秋の現地研修会が、地元の綾部、舞鶴で仏像の拝観を中心に、11月17日に開催されました。見学した寺院は、綾部で医王寺、安国寺、仏南寺、舞鶴で円隆寺でした。今回見学した四寺の中で医王寺のことについて書かせていただきます。その理由は誠に恥づかしいことですが、私の不勉強で医王寺のことについては未知で、全く初めての見学であり、仏像阿弥陀如来が端正で美しい姿であるのに感激し、また寺の護持法が特異であることが分かったからです。医王寺は国道27号線で、八田中学校前の点滅信号の南、約百メートルの地点から東北東へ約1キロメートル程行った山中(市内梅迫内谷)にあります。同寺について、綾部市観光協会、綾部の文化財を守る会、内谷自治会の三者で作成した駒札に記されている内容では、本寺は寛正年間(1460~65)」安国寺九世妙澤和尚の創建と伝えられているが、現在は一堂宇を残すのみである。元寺名の如く薬師如来が本尊であったが盗難のため、他から移された阿弥陀如来像が今本尊となっている。この木造阿弥陀如来像は国の重要文化財で像高70.9センチメートルで胎内には元享三年(1323)3月日法印尭円の銘を有し、京三条大仏師尭円の作である。鎌倉後期の華麗な盛上彩色の文様をあらわし、寄木造りで宋風の力強い作品である。
 当日参加され、指導していただいた史談会の川端二三三郎先生の説明を少し付け加えますと、本尊の移動には当時の足利氏の力が動いているのではないか、本尊は玉眼入りで写実性の強い像であるとのことです。また当日の見学のお世話になった内谷自治会長辻井義明様の話では、この堂宇の周辺が医王寺の境内であり、同寺は現在まで長い間自治会の人たちによって年四回、春秋の彼岸、お釈迦様の誕生日、お盆の日にそれぞれの行事が行なわれ崇敬護持されているとのことです。本尊の拝観はお盆を除いて三回できるとのことです。この仏像については当会のインターネットホームページ「綾部の文化財」に掲載されています。 綾部の文化財を守る会会長 村上高一氏
写真:木造阿弥陀如来座像
4月29日(祭)に行われた「第5回綾部オープンミックス・テニス大会:春物語」は、好天気の中7チ-ムが参加、A・Bのブロックに分かれ予選の後、上位各2チ-ムが決勝戦を行い、1位:はるうらら、2位:南のビギナ-ズ、3位:ラフ、4位:綾部ロ-ンとなりました。
詳しくは次の戦績表(予選/決勝)/をご覧ください。
 http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/mix08.xls
[ 20:47 ] [ 花だより ]
花の寺:千手院境内のシャクナゲ
[ 15:51 ] [ 花だより ]
花の寺:千手院境内のシャクナゲ
[ 13:08 ] [ 花だより ]
花の寺:千手院境内のシャクナゲ
[ 13:07 ] [ 花だより ]
GWの一日、花の輝きを愛でながら自宅付近を散策。思わず「牡丹」「石楠花」「つつじ」を激写しました。
花の寺:千手院境内のしゃくなげ
紫鷺苔(むらさきさぎごけ)
tomato0714様「風景の色見本」、から「スミレ」でなく、「ムラサキサギゴケ」と、下記の花図鑑URLを教わりました。有り難うございました。
http://yoshino.hobby-web.net/hana/spring2/murasakigoke.html
花の形が鷺に似ているからこの名前になったようです。
2008/05/08のBlog
金谷峠に咲いていたレンゲソウ
ジロボウエンゴサク?
ムラサキケマン?
紫鷺苔(むらさきさぎごけ)
tomato0714様「風景の色見本」、から「スミレ」でなく、「ムラサキサギゴケ」と、下記の花図鑑URLを教わりました。有り難うございました。
http://yoshino.hobby-web.net/hana/spring2/murasakigoke.html
花の形が鷺に似ているからこの名前になったようです。
白い花
ユリワサビ?
金谷峠の分岐路を左に上がり、室尾谷観音寺のある「山の口」に向かう。地元有志の手で良く整備されている
少し登ると稜線に出る。ここから福知山観音寺に向かい下り坂。日の当たる所まで歩き引き返した。稜線から左に山道があり、枝木を横にして、行かないように示してあった。
先刻登って来た「空山」へ縦走路がある模様。福知山市境の稜線は、-△西四文字山△小西-袋峠-三坂峠△空山-金谷峠-△宗谷-宗谷峠-△宮ケ嶽-と尾根続きで縦走できそうだ。
金谷峠(推定標高200m)分岐路の標石(右:おくやま 左:山の口)
1 室尾谷の歴史・言い伝え
 江戸時代の藩制が敷かれた時代の室尾谷南山地区(旧加佐郡河東村)は田辺藩(舞鶴城主)で、巡検師の一行は福知山藩から田辺藩に入る時は鬼ケ城峠を通り(鬼ケ城峠は江戸時代福知山藩から田辺藩へ通じる主要道であった)観音寺で休憩されたと思われる。
 観音寺から金谷峠を通り、小畑~鍛治量~新庄~須波岐~白道路~上八田~七百石~上杉~於与岐まで一直線上(金谷峠入口から弥仙山が真直ぐに見える)で、弥仙山から丹後峠を越せば最短距離で田辺城(舞鶴城)へ入城出来たと思われる。
 巡検師が陸路の場合は、大きな川もなく、峠も少ない道で入城されたと思われる。
 室尾谷観音寺は行基菩薩が奈良時代、元明天皇の和銅7年(西暦714年)に開山されたと伝えられています。歴代の田辺藩主は毎年必ず1回参拝されたと記帳されています。
 歴史街道の境界は福知山藩、田辺藩、綾部藩が交わる唯一の地域で、山野口は鉱山の関係で、天領(幕府の直轄地域)であった様です。今思う時、約3kmの範囲内にこの様な重要な地帯があったのかとロマンを感じます。
2 丹波・丹後歴史街道
(1)金谷峠 金谷峠道は江戸時代から多くの人々の往来があり、峠道を越え下った終点に室尾谷観音寺があり、四国八十八ヵ所の霊場(大師)が祀られ、参拝者が多く大師道とも呼びました。又、由良川を利用して船で由良から有路まで魚、塩、海産物等を運び、有路から陸路で金谷峠越えで運び込まれた。丹波・丹後の境界には金谷、山野口、室尾谷の三ケ所に、鉱山が有り、茶店・女郎屋が有り、その名残で通称名で女郎が谷の地名が残っています。
 峠道は尾根より右に奥山・奈良原、左に山野口、真直ぐに室尾谷の四集落に出る事が出来ました。小学校の遠足時はお寺参りや鬼ケ域登りは山野口経由で、また由良川遊びは奥山越しと別れて行きました。
 明治41年の大水害で草折峠の山崩れで、金谷から室尾谷までの一部区間の山道が無くなっていました。丹波・丹後の境界線にある歴史街道を約100年振りに2007年(平成19年)12月に地域住民の25名の作業で無事開通する事が出来ました。この歴史街道は、両入口付近は登坂道で、大半は尾根伝いの起伏が少ない約3kmの道中で新緑、紅葉の時期には、森林浴を楽しむ絶好の散歩道です。是非散歩して下さい。
(2)薬師如来堂(最終民家の右隣) 立派な薬師如来像が祀られ、金谷の薬師さんと呼ぱれ、鼻、耳、母乳の仏様として、穴の通った小石をお供えすると願いが通じると言われ、親しまれ、多くの人達のお参りが有りました。横にはお地蔵(石像)も祀られています。是非お参り下さい。
(3)不動明王(最終民家の右上の谷)不動明王が大きな岩の上に2対祀られ、奈良県の大嶺山に参拝する前に身を清め、道中の安泰を祈願された。又願い事をすれば必ず通じると多くの人達が参拝されました。
(4)宗谷峠 この峠は河守に出る一番の近道ですが、現在は雑草本の繁茂で通行不能です。
(5)河守地区(現在の大江町)は、真中を由良川が流れ大雨の度に水害に遭い、水稲が壊滅状態となった事で、小畑地区は肥沃な土地柄で見た目より多くの米が収穫され、余剰米を夜、人目を忍んで牛の背中に俵を乗せて売りに行ったと古老の方に間きました。
 [丹波良い所、米所、嫁にやりたや、婿ほしや]のことわざがあります。