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2008/05/14のBlog
[ 08:20 ]
[ テニス 綾部市テニス協会 ]
[関連したBlog]
綾部市テニス協会事務局から試合成績を送ってきたので掲載します。
舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市の四市総当たり対戦結果は、選手名のある下記のエクセル・ファイルをご覧ください。
男子シングルス:2対戦、男子ダブルス:2対戦、女子ダブルス:2対戦、壮年ダブルス:2対戦、ミックス・ダブルス:1対戦の合計:9ポイント試合です。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/56yontosi.xls
四都市の勝敗表は、写真をクリック拡大してご覧ください。綾部市が2勝1負で準優勝となりました。
綾部市テニス協会事務局から試合成績を送ってきたので掲載します。
舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市の四市総当たり対戦結果は、選手名のある下記のエクセル・ファイルをご覧ください。
男子シングルス:2対戦、男子ダブルス:2対戦、女子ダブルス:2対戦、壮年ダブルス:2対戦、ミックス・ダブルス:1対戦の合計:9ポイント試合です。
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/56yontosi.xls
四都市の勝敗表は、写真をクリック拡大してご覧ください。綾部市が2勝1負で準優勝となりました。
[ 07:54 ]
[ あやべの文化財 ]
[ 07:53 ]
[ あやべの文化財 ]
[ 07:52 ]
[ あやべの文化財 ]
1.正暦寺の催事
〇不動明王大祭(毎年1月28日)
写真:正暦寺石段と山門 (御不動御縁日)
午前十時、庫裏前から山伏の法螺貝の音とともに不動堂の前へ行列行進。
行事の後、本堂の「四国八十八ヶ所お砂踏み法要」もあり、叉、無料接待の「大根だき」等や模擬店は多数の参拝者で大繁盛であった。(綾部の文化財守る会事務局追記)
〇不動明王大祭(毎年1月28日)
写真:正暦寺石段と山門 (御不動御縁日)
午前十時、庫裏前から山伏の法螺貝の音とともに不動堂の前へ行列行進。
行事の後、本堂の「四国八十八ヶ所お砂踏み法要」もあり、叉、無料接待の「大根だき」等や模擬店は多数の参拝者で大繁盛であった。(綾部の文化財守る会事務局追記)
[ 07:51 ]
[ あやべの文化財 ]
[ 07:50 ]
[ あやべの文化財 ]
[ 07:49 ]
[ あやべの文化財 ]
[ 07:48 ]
[ あやべの文化財 ]
[ 07:47 ]
[ あやべの文化財 ]
〇府指定名勝・正暦寺庭園(府指定文化財)(江戸時代)
庭園は、本堂の北に接して並ぶ客間(旧位牌堂)と庫裏の西側、庫裏側からの座視観賞を意図して築かれている。
南北幅約16メートル、東西の奥行き約11メートルの広さを持つ枯山水の庭園で、西辺を限る竹垣の手前に南北に延びる野すじ状の低い築山を主景として配し、立石を交えた50個あまりの景石で築山の輪郭と枯滝を組み上げている。
石組の構成は、もっとも高い立石から組みおろす枯滝と、それに呼応する形で据えられた低い立石から組みだされる枯滝を、それぞれ中心として成り立っている。
築山外縁から約4メートル手前庫裏側に離れて、鶴島を意識して配置されたとみられる十数個の石で構成される独立した石組がある。この石組は、本来は長径1.5メートルほどの楕円形の輪郭をしていたものと考えられるが、現状では、客間の外縁部に近接した東及び南辺の一部が、建物の外壁輪郭に合わせ直線的な土留め石列に改められた形跡がある。
庭園東側を画する本堂から古裏までの建物は天保年間(1830~44)の再中興期に建造されたものであり、寺伝ではそれ以後に建物平面輪郭を拡張する増改築はないといわれることから、庭園の築造は江戸時代中期に遡る可能性もある。
庭園は、本堂の北に接して並ぶ客間(旧位牌堂)と庫裏の西側、庫裏側からの座視観賞を意図して築かれている。
南北幅約16メートル、東西の奥行き約11メートルの広さを持つ枯山水の庭園で、西辺を限る竹垣の手前に南北に延びる野すじ状の低い築山を主景として配し、立石を交えた50個あまりの景石で築山の輪郭と枯滝を組み上げている。
石組の構成は、もっとも高い立石から組みおろす枯滝と、それに呼応する形で据えられた低い立石から組みだされる枯滝を、それぞれ中心として成り立っている。
築山外縁から約4メートル手前庫裏側に離れて、鶴島を意識して配置されたとみられる十数個の石で構成される独立した石組がある。この石組は、本来は長径1.5メートルほどの楕円形の輪郭をしていたものと考えられるが、現状では、客間の外縁部に近接した東及び南辺の一部が、建物の外壁輪郭に合わせ直線的な土留め石列に改められた形跡がある。
庭園東側を画する本堂から古裏までの建物は天保年間(1830~44)の再中興期に建造されたものであり、寺伝ではそれ以後に建物平面輪郭を拡張する増改築はないといわれることから、庭園の築造は江戸時代中期に遡る可能性もある。
2008/05/13のBlog
[ 19:27 ]
[ あやべの文化財 ]
1.正暦寺の文化財
〇絹本著色仏涅槃図(国重要文化財)
(鎌倉時代、縦118.8、横119.4センチメートル、奈良国立博物館寄託)
涅槃図は、釈迦入滅の2月15日、釈尊の遺徳奉賛追慕のために行なう涅槃会の本尊とする仏画で、釈尊がまさに入滅しようとする劇的な場面を描いたものである。沙羅双樹の下にしずかに身を横たえ臨終をむかえようとする釈尊の姿を描いている。
周囲には文殊、普賢などの諸菩薩、十大弟子、在家の信者たち、像・獅子・などの動物までが描かれ、釈尊の死を悲しむ姿が表現されている。
この涅槃図は、鎌倉時代の作品で,時代の風潮を反映して動きの激しい画面を濃厚な色彩と肥痩のある線を駆使して描いている。大げさに泣き叫ぶ羅漢,身を転げて悶える禽獣の姿には活気と動きがあらわされ、まとまりよく描かれている。
寺伝では画僧兆殿司(明兆=南北朝から室町時代の代表的画僧)筆と伝えているが、画き方からみて鎌倉時代の作とかんがえられている。
〇絹本著色仏涅槃図(国重要文化財)
(鎌倉時代、縦118.8、横119.4センチメートル、奈良国立博物館寄託)
涅槃図は、釈迦入滅の2月15日、釈尊の遺徳奉賛追慕のために行なう涅槃会の本尊とする仏画で、釈尊がまさに入滅しようとする劇的な場面を描いたものである。沙羅双樹の下にしずかに身を横たえ臨終をむかえようとする釈尊の姿を描いている。
周囲には文殊、普賢などの諸菩薩、十大弟子、在家の信者たち、像・獅子・などの動物までが描かれ、釈尊の死を悲しむ姿が表現されている。
この涅槃図は、鎌倉時代の作品で,時代の風潮を反映して動きの激しい画面を濃厚な色彩と肥痩のある線を駆使して描いている。大げさに泣き叫ぶ羅漢,身を転げて悶える禽獣の姿には活気と動きがあらわされ、まとまりよく描かれている。
寺伝では画僧兆殿司(明兆=南北朝から室町時代の代表的画僧)筆と伝えているが、画き方からみて鎌倉時代の作とかんがえられている。