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真理探究の精神
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2007/09/17のBlog
社長を出せ、百戦百勝!
これは国家や企業の犯罪で、
国民に負けたことがないという慢話であるようだ。

日本人の日本に生まれた不幸の物語りだ。
国民は百%泣き寝入りをしなければならない。

これが企業の自慢話なのだろう。
つまり国家や企業が畜生・餓鬼・鬼畜であることの自慢だ。

自分の畜生・餓鬼・鬼畜を見ることが出来ない、
畜生・餓鬼・鬼畜を素直で真面目で几帳面に行う。

社長を出せ、百戦百勝、
対偶を取る、
消費者は泣け、百戦百敗。

国民消費者に味方はいない。
これを民事不介入という。

国民は国のために死ね、
役立たずは餓死自決しろ。
これが自己責任自助努力自己管理だ。

国家側は百戦百勝、国民は百戦百敗。
これが日本の国家秩序だ。

この国が人類世界に裁判に掛けられた、
それが太平洋戦争かもしれない。

国民に百戦百勝の国家は、世界に全滅させられた。
戦争指揮官は吊るされた。

すべてに日本人は殺される、
国民は国家によって殺され、
国家は人類によって殺される。

この脱出は、世界の普遍原理、人間の尊厳に立つことでしょうか。

それが見えない・分からない・出来ない、
汝自身が見えない。

見えないことを夢中でやる。
見えないからこそ出来る。
知性に欠けているということでしょうか。
学校空間では、宗教の自由を守るために宗教の持込を禁止する。
信教の自由は学校空間でも成立しなくてはならない。

どっちにするか決定不能だ。

自由を守るために自由を制限する、
自由は制限を認めない、
双方無矛盾だ。

言論空間での自由、現実空間での自由。
言論空間の自由には制限が無い。

現実空間の自由は、心が成立しなくてはならない。
しかも心は成長進化する。

宗教空間、言論空間、現実空間。
宗教と現実は四次元、言論は五次元。
言論は自由度が四次元より多い。

この三つの空間のマルチチャンネル・クロスオーバー、
言論空間は、他の二つの間に、断層を作る。
この断層で言論空間の自由は捻り曲げられる。

四次元の自由と言論空間五次元の自由は全く違う。
事実としての自由、真実としての心のある自由。

これを現代の宗教は認識しない。
宗教を現実とする宗教は、妄想である。
だから他の排除に成り立つ。

妄想宗教の制御の出来ない人類知性だ。
最も宗教の一部の妄想があるのだ。
国家神道やユダヤ教を考えるとよい。
世界展開するから世界に否定されるのだ。

現代宗教は、キリスト教でもイスラームでも、
Gёdel合理性に従わなくてはならない。

Gёdel合理性が21世紀地球社会の生き方だ。
Gёdel合理性への反抗期、
Gёdel合理性を学んで地球社会だ。

宗教対立はそのイニシエーションにしなくてはならない。
それはスーパー理性の体得だ。

国家神道ももっと大きなものの一部であること認めなくてはならない。
生きることを否定して生きる。
これがシステムや生きることの発振である。

生は老衰に至るまでの生の発振である。
生は死に至る病である。

それなら経済を発振し、死に至るまで生きることは正常か。
これは経済の死を生きることであり、
生を死に至るまで生きることとは違う。

事実としての生と死、
真実としての生と死、
事実としての死に至る病、真実としての死に至る病。

心に入っていない生と死、心の入っている生と死。
心の理論を入れると分かる。

応用。
靖国、慰安婦・強制労働・虐殺を考えよう。
国家の神聖は永遠に死ぬことはない。
靖国問題は永遠不滅の問題だ。

即ち死に至る病だ。
即ち問題はなくならず、問題とする人がいなくなるまで続く。

国家の神聖の問題だから、
これを信ずる人には何より大切な問題だ。
この問題に生き、この問題に死ぬ。

これは生命の否定ではないか。
生きることを否定して生きることではないか。

靖国に生きて死に、靖国に死んで生きる。

これは生きることか死ぬことか。
決定不能、唯一つ正しいことは、
靖国はあっても無くても、人は存在する。

靖国に死んで生きることは無矛盾である。
靖国に生きて死ぬことも無矛盾である。
この無矛盾は証明不能。
即ち、靖国現象は言葉の上で存在し、現実に存在しない。

生を否定して生きる生。
靖国に生きて死ぬ、靖国に死んで生きる、
これはパラドックスで存在しない。

存在しないものを存在させる。
これは妄想の存在である。
従ってこれがを成立するには、反対者を抹殺しなければならない。

鬼畜米英に天誅殲滅。
これは存在しない大日本帝国を存在させることであったのではないか。
法治国家は、法治国家による法治国家の否定であった。

法が作る国家秩序は、
良心良識による社会秩序とは別のものだ。

ここの良心良識の否定と、一方良心良識自由化が起きた。
このギャップに利潤所得・消費快楽・欲望セレブ追及が起きた。
これが国家秩序となった。
つまり犯罪社会の追及である。

法治国家空間と良心良識空間の間に、所得・消費・欲望空間が成立。
これが法も良心良識もゆがめる巨大圧力を作った。

ここの良心良識は機能せず、
国家空間を支配し、
所得・消費・欲望空間世界を作った。

これがグローバリゼ-ションに結晶、
グローバリゼ-ションが法であり良心良識に置換した。

所得・消費・欲望を法とし、
利潤所得・消費快楽・欲望セレブ追及を良心に代え、
ここの死に至る病が発生した。

永遠に死に至るまで、利潤所得・消費快楽・欲望セレブ追及を生きる。
殺し合いが発生しても、それを制御するものが無い。
何が何でも所得・消費・欲望追求。

所得・消費・欲望が暴走し、暴力となった。
法治国家は所得・消費・欲望を製造販売消費する。
これをグローバリゼ-ションという。

消費と消費する、
これを自己責任自助努力自己管理という。

まさにその通りだ。
消費が消費を消費する。
世界が破滅するまでとまらない。

産業文明は暴走、自己破壊暴力に占拠された。

生と死の同一化、
生きることが殺すことであり、殺すことが生きることである。
これがグローバリゼ-ションであった。

産業文明は暴走と暴行からなり、
法と暴力が交換できる国、
所得・消費・欲望と事故事件犯罪戦争障害が、
信用貸しで両替できる国、
完全に不完全な法治国家を用いて、
人のすべてを金権力に排泄する下水装置。
2007/09/16のBlog
お上日本人、即ち事実しか生きられない人は、自白しか出来ない。

自分に反対の人には非難し、
賛成にはお世辞、
分からない時は日常的挨拶とか無視。

人の間に言論や対話が無い。
人間関係も無い。
人情世間体関係、これは人間関係でない人間関係。
即ち事実としての人間関係。

真実がないと、対話も人間関係も不能。

だから嘘を本気にするとか、
笑い話をマジにするとか、
例え話を真に受ける。

一方平気で嘘をつくし、
冗談といって相手を馬鹿にするし、
意味不明のことをマジに言う。

この統合失調、
これは現実を幕藩体制、即ちお上体制で作り、
人情世間体で関係することで発生した。

お上体制は神の世界となり、
人情世間体は国家神道になった。

ここに嘘を本気にし、平気で嘘を言う、統合失調となった。
入ってくるものは本気にし、出すものは嘘で済ます。
行きと帰りで、反対になる。

売るときはニコニコ、欠陥出せば開き直って突っ張り殺す。
これは対偶ペアとなっている!

ニコニコ人間、いざ開き直った突っ張り殺人犯。
家ではいいお父さん、会社では極悪党。

極悪としてのいいサービス、
売るときも欠陥対策も、
相手を突っ張り殺す。

お客様は神様です、
対偶取れば、
会社や役所は極悪党です。

命を賭して働く。
対偶を取れば、
国のために死んでもらいます。

自己管理と国家支配は対偶対であった。

これが人に意識に同時成立、即ち統合失調。
それをまとめる神の国妄想。

偽善と虚偽の演技を国家がまとめると、絶対神が生まれる。
後にも先にも妄想で統一される。
事実は人の世界であり、真実は神の世界である。

事実をいくら積み上げても、真実にはならない。

心を作るには、心の後進波が必要である。
これが反抗期であり、
正しさと誤りの定在波に心が成立する。

心が成立するに、天使性と悪魔性が必要である。
この重ね合わせに心が成立する。

だから反抗期は少年の頃にやるのだ。
大人になってからでは社会を壊す。

少年から反抗期を奪うお上日本の校則教育。
ここに極悪非道の人が作られる!
厳罰社会という畜生・餓鬼・鬼畜世界。

お上日本が神を殺して神になったため、
日本は畜生・餓鬼・鬼畜の世界になった。

神を殺さなければ、国家は神になれない。

日本人は死ねば皆神になる。
ここでは事実の神と真実の神が混同されている。

事実としての偽の神、
事実論では贋物も本物も区別されない!

真実において始めて区別される。
正しい反抗期が無いと、真実に抜けられない。

反抗期にも贋物と本物がある。
この区別は心にしか出来ない。
この区別が出来ない国家教育。
愛国と厳罰、飴と鞭で畜生・餓鬼・鬼畜となる。

さてお上日本を畜生・餓鬼・鬼畜ということは事実か真実か。
決定不能証明不能、
畜生・餓鬼・鬼畜に人として向き合う。
だがやはり治療や改善が必要だ。
自己責任・自助努力・自己管理は、
自己否定・自己破壊・自己虐待である。

恫喝は自己への拷問であり、拷問は自己への恫喝である。

自分が他人にやっているから、
恫喝や拷問が自傷行為に見えない。

これが事実論であり、
真実は自己と他人の世界の暴行破壊である。

恫喝や拷問することで、
自己の人格は捩じ切られ、社会は歪み卑劣化する。

国家の神聖に閉じ込められた人には、これが見えない。
世界には丸出しである。

それが戦争謝罪や慰安婦・強制労働・虐殺問題であろう。
見えないから無い、
これが事実論であり、
真実が見えないだけのことだ。

月を見ないから無いだけのことだ。

見えないその主体の特性が問題に出来ない、
これがAsperger論理学だ。

国家や自己は全知全能にして完全無欠の絶対者である。
自己恍惚状態、自己陶酔状態、太陽感情状態。
即ち自己責任自助努力自己管理、
即ち、万歳突撃、自決玉砕。

自己を恫喝する万歳突撃、
自己の拷問は自決玉砕。

神聖とは恫喝拷問と見つけたり。

お上日本は死の本能に捕まっている。

お上日本が死を受け持ち、クールジャパンは生を受け持つ。
中間が両者を往来交換調停する。

この日本は人類は受け入れない。
お上日本はクールジャパンを生むための特異体制だった。
[ 05:27 ] [ 政治・経済・国際 ]
現代は、幸福であって不幸、成功であって失敗、
つまり決定不能にして証明不能の世界に突入した。

地獄でも人は生きることが出来る。
そして成功は失敗を求め、幸福は不幸を求める。
これがGёdelの不完全性定理であった。

成功と幸福追求、
この現代的生き方によって、
世界と人間は切り裂かれた。

だがこれで経済は発展、豊かになった。
だがこれで、人々は幸福と成功に苦しむことになった。

幸福と成功、
これが不幸と失敗であることを知ることは出来ない。

理論理性はユークリッド理性で、
非ユークリッド世界を見ることが出来ないからだ。

貧乏時代は喜怒哀楽は分離していた。
豊かになると喜怒哀楽は統合してきた。
時には過度に分離したり、互いに喧嘩闘争する。

喜怒哀楽という木は、喜怒哀楽の森になった。

衣食住(=木)でなく生き甲斐(=森)が問題になってきた。
その時、生き甲斐は失われ、再生不可能になっていた。

衣食住ユークリッド空間から、
生き甲斐非ユークリッド空間に人は移動していた。
だが国家ユークリッド空間が、この移動を妨げる。
知性が現状に遅れているのだ。

学校知能が人間知能を排除する。

法治国家が進歩を排除リストカットするのだ。

成功と幸福、これは魔女が魔女屋敷に誘惑するお菓子だった。
これを食って人は魔女に食われ、魔女になってしまった。

成功と幸福追求で、
国家と世界にグローバリゼ-ションという偽善の演技が行われ、
国家と人の間にナショナリズムという虚偽の演技が行われる。
ここにアメリカとイスラムは衝突した。

アメリカは国家と愛国心の統合を行った。
それがアメリカの戦争だ。

戦争でしかまとまらないアメリカ。
これに疲労破壊が始まった。
アメリカが壊れ始めた。

アメリカをまとめることが、アメリカを壊すことになった。

アメリカという苦しみ、
アメリカ自身と世界の苦しみ。
苦しみは発振した。
全世界を覆っている。

幸福と不幸、成功と失敗が一体化した。
これがアメリカ現象であり、
このアメリカ・ペストは世界に蔓延した。

一体何をやっているんだろう。
出来ないことをやり、
やってはいけないことをやっているのだ!

これが幸福と不幸、成功と失敗の一体化であった。
つまり決定不能で証明不能現象!

人類の初めて経験する得体の知れない世界。
これが物の怪の世界なのだろうか。
2007/09/15のBlog
アウシュビッツはなかった→ガス室はなかった→チクロンで死なない。

原爆は製造されなかった→原爆は投下されなかった→原爆被害はない。

慰安婦はいなかった→強制労働はなかった→南京問題はなかった。

これらの問題があったことを証明してくれ。

これは月を見たことがない人に、月の存在を証明することだ。

何事も、偽造だ、捏造だ、ガセネタだ、偽装だと反論できる。

何故だ、この問題提起に嵌ることだ。

世間は流れと勢いだ。
ここから外れた人たちを、世間に引き戻す問題だ。

死に体の人たち、死に体を生きる人たち、
この人たちに生き体を再生する。

この極端の場合が、病気の治療だろう。

病気になった振りをして、治せ。
そういう場合もあろうか。

或いは極端の場合が、犯罪の場合だ。
ガンをつけたな、落とし前を払え。

こんなことに弱い社会、それが問題ではないか。
これを日本社会の弱点と認識する能力、
その乏しさが問題の本質ではないか。

真実に欠ける社会、このような事実に対応できない!
光源氏の母親は女官組織にいじめ殺された。
紫の上は六条御息所の怨霊に殺された。
源氏物語では多くの人が出家する。

これらの共通点を取ると、磔刑されることだ。
磔の刑になって死ぬ。

出家は自ら磔にすることかも知れない。
源氏物語の天皇は、次から次から出家する。

これが天に帰る方法なのかも知れない。
源氏物語から見ると、天寿を全うする死に方は例外的だ。
当時は病死が多い時代であった。

源氏物語では、いじめ殺されることを、
許されざることと見てはいない。

死んで蘇生する生き方が、推奨されているかのごとくだ。
生き残ることが絶対ではない。

天に帰る生き方、生き残る生き方。
事実と真実、この違いは明らかだ。