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Joe's Labo
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2007/10/01のBlog
[ 21:12 ] [ 採用 ]
売り手市場が過熱気味。というわけで採用関連のニュースを。

まず、新社会人の転職希望登録者が昨年の4倍という話題。
大手のインテリジェンスだから、この数字はあながち的外れとは思えない。
しかし、入社半年経ってない段階でこの数字とは、正直びっくりした。

もちろん、人材の流動化自体は、長期的に見れば必ず労働環境の向上に
つながることなので、個人的には大歓迎だ。

にしても、大学の先生のコメントがいかす。

「彼らは“生弱”。幼い頃から親や先生から叩かれた経験もなく、傷ついた
 体験もない。上司に叱られるとビックリして深刻に悩んでしまう。
 それが大きな違いです」


そんなもんかねえ(笑)
あんまり変わんないと思うけど。
たとえば、僕の先輩にも、研修になじめずに半年で逃げ出した人がいる。
40代、今ではベンチャーの経営陣だ。
要するに、日本企業のカルチャーに馴染めなかったわけで、そういう人は昔から
一定数は存在したのだ。

もっとも、最後の「仕事人間になりたくない」という傾向は当たっていると思う。
既に20代においては、価値観の多様化は始まっているのだ。

こういうの読んでいていつも思うのだが、どんなに説明会やセミナーできれいごとを
並べても、第二新卒市場がこれだけ拡大した以上、既に何の意味も無い。
「新卒一回勝負、だからそこだけ騙せばこっちのもの」
という発想は、90年代以前の採用スタイルなのだ。

だから、見栄えのいい会社説明会や内定者拘束に金と手間をかけるよりも、
「ぜひ働かせてください」と若者が集まるような魅力的な職場作りに精を出したほうが
よっぽど前向きだと思うのだが。
実際、活力のある企業は、そうやって優秀な人材がよってくるシステムを構築している。
外資やリクルートが拘束で連れ回しなんて、いっぺんも聞いたことがないぞ(笑)

「車が売れなくなったから、売れるように客を研修に連れて行こう」
なんて企業はないだろう。採用についても、同じ発想で行くべきだ。

いや、それ以前に、そこまで骨を折るんだったら、いい加減に新卒以外から採れっての。
2007/09/26のBlog
[ 23:08 ] [ その他 ]
この仕事をしていると、いろんな記者、編集者と会う機会がある。
それぞれ専門分野が違うので単純に比較は出来ないが、まあ人並み以上の
物知り揃いだ。
特に新聞記者は、平均して優秀な人が多い。
扱っている情報量が違うのだろう。紙面に載る情報は、彼らが集める情報の
中の一部分でしかない。

ただ、これまで会った人達の中で一番印象に残っているのは、日経でも読売でも
朝日の記者でもなく、あるフリーライターの青年だった。
質問の論点の鋭さ、出来上がった文章のクオリティ等から、こりゃただものじゃないな
と驚いたことをおぼえている。

その彼だが、実は今年に入って、執筆活動である出版社の新人賞を受賞したとのこと。
いやあ、どうりで(笑)
モノが違ったわけですな。

さて、終身雇用だの年功序列だのとは無縁の彼だが、非常に面白いことを言っていた
ので紹介したい。

「勝ち組という幻想にこだわるよりも、既に既存の価値観が破綻していることを
 認めたうえで、新しい価値観を探すべき」

まったく、そのとおりだと思う。
僕の知人、特に30代男性には、どうやったら
「ドラマみたいに出世して、家を買って、嫁を専業主婦に出来るか」
という強迫観念にとりつかれたような人間が、結構いたりする。

そのためにビジネススクール通って、休日出勤して、上司の引越し手伝って…
と、あがいてみるのも一つ人生ではあるのだろうけど。
そういうのがいいという人がやればいいのであって、万人向きじゃないな、という気はする。

要するに、諦めちゃえばいいのだ。
向いてないことにエネルギー使うよりも、楽しいと思えることに使った方が、きっと充実した人生になると思う。
“スローライフ”や“スローキャリア”といった言葉が登場したのは、ここ数年の話だ。
これらは従来の価値観からすれば、ただの“諦め”で一括りにされてしまうかもしれない。
でも、そこから何か新しい価値観は生まれるはずだ。
彼の生き方は、とても重要なヒントを示しているような気がしてならない。
2007/09/20のBlog
日経のコラムで森永氏が吼えている。まあ別にどう吼えようがかまわないのだが、
今回ばかりはちょっと見過ごせないので引用してみたい。

まず、「格差問題の本質は正社員と非正社員の格差にある」と言っている点は正しい。
が、その理由を「資本家のエゴ」と言っているのはいただけない。

非正規雇用増大は、不況の長期化+グローバル化が理由だ。
90年代後半、日本企業の労働分配率が過去最高水準に陥ったのは事実であり、その時
日本は選択を迫られた。一つは正社員の首を切ること。
そしてもう一つは若年層に負担を押し付けること。
前者を選んだ代表はアメリカだ。80年代の不況において、アメリカ企業の多くは中間管理職の
首を切り、それにともなって組織のフラット化を推し進めることで、今日の繁栄の礎を築いた。

かたや日本は、“非正規雇用労働者”という新たなスケープゴートを作り上げることで、
その場をしのいだ。

もちろん与党と資本家がそれをやってきたわけだが、じゃあ労組と野党は清廉潔白かと
言われれば、それはありえないだろう。もし、90年代に共産党が単独与党だったとしても、
もう一方の選択肢をとったとはとうてい思えない。まったく同じ道を辿ったはずだ。
少なくとも3倍に急増する若年層フリーターに対して、何の手も打ちはしなかったろう。

好況に関わらず非正規雇用が増加し続けているのは、経済のグローバル化が主な原因だ。
IT関係だけで既に300万人以上の雇用が流出したアメリカに比べれば、(英語下手のおかげで)
日本にいて直接それを感じる機会は少ないかもしれない。ただ、そうやって生産された製品、
サービスと同じ土俵で戦うわけだから、結局は新興国の人件費水準に引きずられてしまうことになる。

剰余金が増えたのも事実だが、すかんぴんの2001年と比べること自体間違いだ。
そもそも、日本の正社員の給与は業績に連動していない。上がることはあっても、原則下がる
ことは無いのだから。
日本において「人件費は固定費」と言われるゆえんだ。
だから数年業績いいからってぽんぽん上げてたら、いざ業績低迷時にえらい苦労することになる。

99~02年頃、日本企業はまさにこれで苦しんだ。配置転換や早期退職募集などのリストラを
するにしても、莫大な構造改革費用が生じてしまうのだ。
最近だと、2005年に「従業員1万人削減のため」2100億円の構造改革費用を計上したソニーが
記憶に新しい。
もしその時、それだけの費用を計上できなかったら?企業は市場から退場することになる。
企業が剰余金を溜め込む、あるいは昇給ではなく一時金としての支給にこだわるのには、
こういった理由があるのだ。

その点、賃金が業績にしっかり連動しているアメリカの場合、好業績はきっちり報酬に反映される。
このことは日米の労働分配率の推移を比較すれば明らかだ。景気によって変動の激しい
日本に比べると、アメリカ企業は実に安定し、ほぼ5%幅におさまっている。
もし本当に給料を上げたい(つまり労働分配率を上げたい)と願うのなら、柔軟に見直しも
可能なシステムに移行すべきだろう。それには、少なくともホワイトカラーは年齢給から
職務給へウェイトを移す以外にはない。

さて、本題に入ろう。
上がることはあっても下がることの無い社会で、はたして得をするのは誰なのか、ということだ。
もうこれは単純に、既に上がっちゃった人、である。
アメリカのように柔軟に上下するスタイルは、安定感はないが既得権という問題もない。
少なくとも若い世代にとっては、はるかに希望のもてる話だろう。

森永氏の論の致命的な欠点は、世代間の格差を(意図的かどうかは知らないが)まったく
考慮していないという点にある。(雇用に関する)規制緩和や構造改革に反対するということは、
既得権の見直しに反対するということだ。それでいて、労働分配率の議論をする時だけは
まるで全世代同じ給与を貰っているかのごとく全世代合計の数字を駆使して
「ほら、こんなに低いんですよ、労働者は資本家と小泉さんにこれだけ搾取されてるんですよ」
と主張するのは、ものすごく汚い手だと思う。

それは結果的に、問題の本質を「世代間格差」から「資本家とかアメリカの陰謀」という風に
すり替えてしまうことになる。


だいたいなんだ資本主義者の陰謀って(笑)
あんたソ連官僚かよ。

さらに言えば。まがりなりにも東大の経済出て大学教授やってる人が、上記の事実に気づいて
いないとはとうてい思えない。
実際、彼は発売中の『月刊The 21』(PHP出版)のコラムで、次の日銀総裁は
「竹中平蔵氏がいい」と述べている。ご本人が格差拡大の犯人だと非難する小泉政権の
ブレーンだった人物だ。(本人の主張からすれば、慶応の金子勝先生あたりを推しそうなものだが)

少々うがった見方をすれば、彼は分かった上で、こういう主張をしているのではないか。
理由は自身の政治的スタンスか、あるいはまったく別次元のものかもしれないが。

今回、同氏の記事を引用したのは、それが典型的な改革反対派のスタンスだったからだ。
少なくとも、今十分に報われていないと感じている人、そして次代を担う世代は、古い価値観に
付き合わされて論点を見誤ってはならない。
信用できるのは既存メディアでも学者でもなく、自分の目だけだ。
2007/09/14のBlog
舛添厚労相の“家族だんらん法”について、いろいろ思うところがあって書こうと思っていたのだが。
突然の安倍総理の辞任で、頭の中が真っ白になってしまった。
たぶん、舛添さんもそうだと思うので、とりあえず安倍さんの件について整理してみたい。
どうせ、だんらん法も宙ぶらりんになるのは間違いないだろうし。

個人的には、そんなに悪い人には思えない。問題はあったのだろうが、むしろこういう形での
辞任が残念でならない。
会見を見ていて思い出したのは、民主前代表の前原さんの顔だ。
あの時も、同じような感想を抱いたことを、ふと思い出した。

政治の話は所詮は価値観の話になるので、ここではあまり書かないことにしている。
「まんじゅうが好きな人」と「ケーキが好きな人」が議論しても、答えなんて出ないから。
ただ、従来型の右左や保守革新といった分類には、既になんの意味もないと考えてはいる。
じゃあどういう分類があるかというと、実にシンプルきわまりない。
日本のあらゆる組織、人は、大きく二つのグループに色分けできる。

まず、現状の制度、システムには限界を感じ、何らかの改革が必要であると感じている人。
年金にせよ、格差にせよ、先送りではなく抜本的な構造の改革が必要であるとする人達で
仮にこのグループを平成派と呼ぼう。

一方で、そうではない人達も少なくない。下手にいじられるよりも、今のまま、何も変わらない方が
メリットがあると感じている、あるいは単に「90年代に戻してくれ」というだけの人。

こっちはとりあえず昭和派とでも呼んでおこう。分かりやすい例としては官僚だ。

政党でいえば、自民と民主は明らかな平成派だ。逆に、社民共産、国民新党は昭和派といえる。
保守政党が改革を主張し、もともと革新を売りにしていた社民共産が実質的な保守政党と
なってしまっている点にこそ、従来の区分けが形骸化しているという理由がある。

ややこしいのは、自民も民主も、建前としては改革を主張しつつも、本音では昭和派な人が
少なくない、ということだ。これも、なかなか改革が進まない理由の一つだろう。
余談だが、小泉さんが首相を降りた後、自分の後継者は?と聞かれ「前原さん」と答えた事がある。
ジョークととらえた人も多かったが、上記の区分けで行けば、彼らは同じ価値観を共有していたのだ。

ここまで書くと、大方の人は「自分は平成派だな」と感じているかもしれない。
そりゃそうだろう。現状のままで満足な人なんて、特に現役世代では少数派に違いない。
ただ、ニュースを伝えるメディア自体、実は強烈な昭和派であり、彼らのフィルターをかけて
伝えられるニュースの多くは、彼らの価値観の色がついてしまっている。
たとえば、小泉政権下で行われた一連の官邸機能の強化。強力に改革を推し進めるには
日本の内閣はあまりにもひ弱すぎる。その強化はあって然るべきなのだが、面白くない
人達にとっては「独裁的」だと映るらしい(選挙という手続きを経ても、だ)。
結果として、本音では平成派であっても、なんとなく昭和派に誘導されてしまっている人は多いはずだ。

安倍さんも前原さんも、明らかに平成派の急先鋒だった。彼らは党内にも敵がいたし、
党の支持者の中にも敵がいた。安倍さんの場合、それらにくわえて霞ヶ関という強敵も
相手にしていたわけだ。

それと一部のメディア。ものすごく色の付いた情報を流しては、意図的に世論を誘導していたように
思えてならない。

確かに安倍さんの人事には「?」というのが少なくなかった。
ただ、終わってみれば明らかなのは、少なくともこれで“改革”の芽はずっとずっと先に遠のいて
しまったという事実だけだ。
2007/09/09のBlog
先週の日経WOMANに興味深いアンケートが掲載されていたので
簡単に紹介。

「24時間を有効に使えていると感じますか?」という質問に対し、
 有効に使えていると答えた人は40%
有効に使えていないと答えた人は60%

面白いなと思ったのは、その後の質問に対する回答だ。
仕事、プライベート、そして人生に対する満足度で
“非有効派”が50点台だったのに対し
“有効派”がいずれも70点以上をマークしている点だ。
自分で「一日を有効に使えている」と感じているのだから
当然と言えば当然だろうが、これは結構重要なポイントだと思う。

つまり、なんらかの目的を持って、かつ、それに対して「時間を投資できている人」は
充実した暮らしを過ごせているわけだ。


ここで重要なのは、アンケートの設問が「何でもいいから、とにかく有効に使えているかどうか」
となっている点にあると思う。仕事はもちろん、別に趣味だろうが遊びだろうが、本人が
自分で望んだものなら、何だってかまわないわけだ。

これは僕個人に置き換えてもすごくよく分かる話だ。
たとえば、同じ休日にしても「よし休むぞ!」と思って部屋でゴロゴロしている日は、それはそれで
一定の満足感は得られる。部屋の掃除や模様替えをすると、思いもかけない掘り出し物を
見つけたり、新しいイメージが浮かんだりすることもある。
でも二度寝や二日酔いで結果的にゴロゴロ過ごした日は、「なんだかなぁ」という実感しかない。

仕事で忙しいことに対して、充実感を感じられる人と感じられない人がいる。
前者はまあいいとして、感じられないのであれば、きっと本人が求める動機は別のところに
あるのだろう。
そういう人にまで四の五の言わせず滅私奉公をさせてきた点に、年功序列の功罪があるのだ。
それをよしとする昭和的価値観を捨てないかぎり、人生に対する満足度はけして上がることはない。

毎日遅くまで会社に言われた仕事をこなし、帰宅後はとりあえず流されているテレビを見て
寝る暮らしも悪くはないかもしれない。ただ、「あれ?」と思っている人なら、一度ゆっくり
考えてみても損はないだろう。

と、いう話を知人にしたところ、
「じゃあ何をすればいいの?」
いや、だからそれは人に聞くなって(笑)