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Joe's Labo
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2008/05/06のBlog
[ 17:23 ] [ 経済一般 ]
与党が移民庁を企画しているらしい。いよいよきたか、という感じだ。

まず、留学生や技術者については受け入れに問題は無い。
彼らは高等教育や企業競争力を維持するために必須だし、そもそも多少の規制を
緩和したところで日本に来る人数などたかがしれている。
問題は単純労働者を想定した移民だ。
これは現状の社会構造を固定化させる可能性が高い。

いつも言っているように、労働力不足と言うのは、企業に多様化を受け入れ
させるチャンスでもある。簡単に言えば、
「若い男性労働者をフルタイムで滅私奉公させる」
という価値観からの脱却だ。
パート5000人を転勤無しの正社員にしたユニクロや、派遣社員3000人を
正社員に転換した三井住友銀行のように、既に多様化は広がりつつある。
だが、もの言わぬ労働者がどっと流れ込んでくることで、時計の針は確実に逆戻り
してしまうだろう。


そして、後には疲弊した世帯だけが残る。
ぎりぎりまで追い込まれる男性世帯主と、パートで下支えする妻と、
一人っこという構図だ。結局、純正日本人は減り続けることになる。
移民で出生率は一時的に改善するだろうが、二世世代は日本人と同じ道を
たどるだろう。
彼らを取り巻く閉塞感は純正日本人のものと変わらないのだから。

僕は移民自体は長期的には受け入れざるを得ないだろうと思う。
ただ、その前に昭和的価値観を打ち壊すというステップがあるべきだ。
結局のところ、現在日本人が直面している現実に目を瞑って人を買ってきた
ところで、不幸な家庭を量産するだけで終わるだろう。


「女性もフリーターも中高年も戦力にはならないから早く移民入れろよ」と言ってる
お爺ちゃんは、しょせん内輪のカイゼンは得意でも、国を代表するべき人間では
ないということだ。
2008/04/30のBlog
先日、ニュース23でも特集が組まれていたので、記憶している人も多いと思う。
実は今月頭に見ていたので、ちょっと感想。

“革命戦士”と聞くと、若い世代は長州力を連想するかもしれないが、この映画は
70年前後、日本での武力革命を夢見た若者たちの物語だ。
40歳未満の人は、たまにニュース映像で当時の記録を見るくらいしか縁が無いだろう。
かくいう僕もそんな一人で、事実として知ってはいても、映画として見せられるそれは
強烈なインパクトだった。

いやもう、とにかく強烈なのだ。

極限状態の中、延々と繰り返されるリンチ、リンチ…。そして終盤の出口の無い銃撃戦。
主人公もおらず、(現在から見た)正義も無く、淡々と事実だけがぶちまけられ、怒涛の
ようにアンハッピーエンドに突撃していく。

ニュース23の特集の中で、出演した若手俳優がこんな感想を述べていた。
「出演する前も、作品として見終わった後も、彼らの考えが理解できない」
自分もまったく同感だ。ものすごくリアルで強烈なインパクトを受けたものの、
理解も共感も最後まで生まれなかった。それが“時代”だと言ってしまえばそれまでが。
彼らを駆り立てたものとはなんだったのだろう?

この点について、リアルタイム経験世代の竹内洋が面白い考察を述べている。
要約すれば、60年代というのは戦後始まった高度成長の中に大学が取り込まれ、
大卒が従来の“知的エリート”から、一サラリーマンへと固定化されたプロセスだったこと。
そしてその中で強烈なフラストレーションが当時の若年世代全体に行き渡り、
そういった既成の秩序を打ち倒し、新しい価値観を打ち立てようとする原動力となった
というものだ(教養主義の没落)。

当時を生きていない僕としては正否は判断しかねるが、結構鋭い分析だと思う。
上記のサラリーマン化プロセスを昭和的価値観と読み替えると、暴れてた人たちの
エネルギーは、一種アウトサイダー的バイタリティということになるかもしれない。

ところで、平日の昼間というのもあるだろうが、客席には初老の男性の姿が目に付いた。
団塊世代は、まさしくその世代の一員でもある。中にはデモ行進したり、ゲバ棒持って
練り歩いていた人もいたはずだ。
彼らは劇中で描かれた当時の姿と、日本の現状をどのように感じているのだろうか。
年功序列だの既得権だのといった話題を抜きに、いっぺん腹を割って聞いてみたい。
そんな気にさせてくれる映画だ。

間違っても地上波で流れることは無いと思うので、興味のある人はテアトル新宿
Go!だ。
2008/04/27のBlog
[ 12:50 ] [ 経済一般 ]
先日の朝生について。久しぶりに白熱した内容だったと思う。
特に渡邉氏の孤軍奮闘ぶりには脱帽。
が、番組全体を通じた議論自体は、必ずしもかみ合ったものではなかった。

現場提起派⇒現状のレポート、こんなにひどいですよという話。

改革は必要派⇒成長は必要だ、スキルアップでどうのこうの

渡邉氏⇒「正社員の既得権にメス入れなきゃ格差なんて無くなんない」

モリタク、連合「いや経営者が悪い!」と必死にデコイ放出
(以下・無限ループ)

中でもモリタクの暴論には唖然。以下おぼえているものだけでも列挙してみるが。
「護送船団方式が良かった」
「郵政民営化はいらなかった。実際、窓口やサービスは低下」
「企業が配当増やすのはダメ、金融自由化なんてする必要ない」


いちいち突っ込むのもバカらしいが、郵政民営化については、松原氏が指摘したように
民間の成長分野に資金を回すという点に加え、財投を通じて赤字セクターに垂れ流す
構図にメスを入れるために行われたものだ。
しかも郵貯の金利を維持するために、財投には0.2%ほど金利が上乗せされていたという。
当然ツケは国民が払う羽目になる(この辺は高橋洋一氏の著作に詳しい)。
「窓口云々」というのは、もはやいちゃもんレベルの話でしかない。

「配当なんていらない」はもうマトモな学者の意見ではないだろう。
いまどき金融鎖国するというのなら、それこそWTO脱退するくらいの覚悟決めないと
出来る話ではない。彼は日本を北朝鮮みたいな国にしたいのか?

彼の“商売”は、結果的に改革を遅らせ、日本の凋落を進める一方だ。
番組のラスト、田原総一郎の冷静な指摘は、上記の点を見事についている。
「森永さん、あなた超勝ち組のくせに、負け組みのふりしちゃいけないよ」

この指摘にもあらわれているように、田原氏は意外に論点を正しく理解していた。
途中も議論をそっちに誘導しようとする様が何度か見られたように思う。

しかし。このニッチなテーマでもこれだけ百家争鳴状態なのを見ると、
暗澹たる気分になる。
堺屋太一の「平成三十年」という小説がある。日本が「何も改革しないまま」
時が経ったと仮定した近未来小説だ。
消費税20%、貿易赤字転落、インフレと、構造的な課題に苦悶する日本の将来が赤裸々に
描かれている。IT描写やセリフに「?」なところはあるものの、大筋ではうなづく部分も多い。
この小説が書かれて約10年が経とうとしている。
その間、日本は何かを変えたのだろうか。いや、我々は何かを変えられたのだろうか。
2008/04/24のBlog
[ 11:57 ] [ その他 ]
僕は関係ないのだが
今週末の“朝生”、テーマはずばり「新しい貧困」だそうだ。
タイムリーでホットなテーマだと思うので、久しぶりにリアルタイムで見てみようと思う。

ところでパネリストはこんな面々
一見、それなりに幅広くバランスを取っているように見えるものの…。
必ずしもそうとはいえないところに今日の問題がある。
ちょっとだけ僕の独断と偏見で分類しなおしてみたい。

【平成派】
格差問題=世代間問題であり、昭和型の雇用~社会システムからの脱却こそが
本丸であると理解しているグループ(というか稀少種)。

渡邉 正裕(マイニュースジャパン代表、元日経新聞記者)

【とりあえず改革は必要派】
主に経済学的な見地から昭和の規制・バラマキ型からの脱却は唱えるものの
世代間格差や新貧困層の問題にはイマイチ理解が無いか、そもそも無関心。
経済学者や経営層はほとんどこれ。

世耕 弘成(自民党・参議院議員、参院 議院運営委員会筆頭理事)
奥谷 禮子(ザ・アール代表取締役社長、経済同友会幹事)
堀 紘一(ドリームインキュベータ会長)
松原 聡(東洋大学教授、経済政策学)

【現場提起派】
ずっと現場レベルで活動し、情報発信も続けている貴重な存在。
ただ、そこから問題の本質に迫り切れていない面もあり、
時に最大の敵であるはずの既得権グループに担ぎ出されたりすることも。

雨宮 処凛(作家、非正規雇用を考えるアソシエーション会員)
河添 誠(首都圏青年ユニオン書記長)
湯浅 誠(反貧困ネット事務局長、NPO法人「もやい」事務局長)

【実質保守派】
龍井 葉二(連合非正規労働者センター所長)
森永 卓郎(独協大学教授、経済アナリスト)

一番タチが悪い。一見万民受けしそうな平等論をぶつが、その実
もっとも解決には程遠い。要するに、論点をずらそうと試みるグループ。
既存左派的なスタンスだが、“保守本流”の国民新党と言ってることが
ほとんど同じという点に注目。要は保守派なわけだ。


↑上記のように、大まかにいくつかのグループに分けられる。
こういう観点から見れば、きっと違った一面も見えてくるはずだ。

ところで、渡邉氏は「3年で辞めた~」にも登場する団塊ジュニア筆頭。
僕とほぼ同じ意見なので、ぜひとも頑張って欲しい。
いやもう、途中でつまみ出されるくらい言っちゃってください。
2008/04/21のBlog
前回の「人を基準とした処遇から、仕事を基準とした処遇云々…」について、
とても重要なことなので簡単にフォロー。

4月1日より、パートタイム労働法が改正、施行された。
当初、正社員と非正規雇用の間にある格差を乗り越え、同一労働同一賃金
への突破口となる法案だったはずなのだが…。

【以下、厚労省サイトより】
正社員(通常の労働者)と同視すべきパート労働者(正社員と職務(仕事の内容や責任)
が同じで、人材活用の仕組み(人事異動の有無や範囲)が全雇用期間を通じて同じ で、
かつ、契約期間が実質的に無期契約となっているパート労働者)のすべての待遇に
ついて、パート労働者であることを理由に差別的に取り扱うことが禁止されます。

まず、対象となるパートタイマーの範囲が非常に分かり辛く(厳密に突き詰めると狭すぎる)
かなりの抜け穴がある。これは各所で指摘されている通りだ。

ただ、問題はもっと別のところにある。
もし仮にもっと対象範囲を広げようとしても、ではどのように社員に合わせるのかという点で
必ず壁にぶち当たるのだ。
そもそも日本企業においては、正社員が果たして適正な報酬を受け取っていると言えるのか
非常に怪しい状況だ。現実には同じ業務・成果の20代と50代正社員の間でも、厳然たる
格差は存在するのだから。

この点は、先に話題となった大阪府職員の賃金問題が典型だろう。
極論すれば、大阪府職員と同等の賃金に引き上げろということになる。
こうなるともはや現実的な話ではない。
そしてこれと似たようなケースは、独立行政法人に行けばいくらでも目にすることが出来る。

要するに日本の属人型の年功賃金は、ほっておいても国全体が毎年成長していった時代
でないと維持できない代物であって、明らかにそうでなくなった現在、仕事を基準とした
賃金体系にシフトする以外にないのだ。


そのためには、まず正社員の既得権にメスを入れるためのルール策定が必須であり
それをやらない限り、同一労働同一賃金なんて夢のまた夢でしかない。
この“メス入れ”というプロセスはなんだかイメージが悪いかもしれないが、
仕事に対する適正な対価を決める作業だと考えてもらえばわかりやすいと思う。
けして正社員一律で待遇が下がるというわけではない。