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Joe's Labo
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2008/07/23のBlog
7月23日 22:40頃~ 
「特集:成果主義」 出演予定
先日発表された「平成20年版 労働経済の分析(労働経済白書)」
について。日テレのニュースZEROでもコメントしたのだが、
30分くらい話したのに20秒弱に編集されてたので、ここで簡単に
フォローしておきたい。

ポイントは「成果主義の導入で労働者の満足度が下がっている」としている点。
特に50代の満足度低下が著しく、これをもって人事制度改革の内容に
疑問を呈する形となっているのだが。
ここで留意すべきは、この調査に関わった労働者の多く、そして恐らくは厚労省自身さえも、
“成果主義”が果たして何を指すのかあんまり理解していないだろうということだ。

いつも言っているように、現状の日本の成果主義は既得権の見直しが行われず、
もっぱら若手の昇給抑制にのみハードルが引き上げられてしまっているのげ現状だ。
これでは本来の成果主義とは呼べない代物で、本質的には年功序列制度と言っていい。
(以下、それを成果主義´とする)

ではなぜ50代はふて腐れているのか。年齢的に見て、彼らは年功に対するご褒美を
受け取る側にいる。それが思うような水準に達していない、それだけの話だ。
つまりこの白書を正しく要約するなら、
「年功序列制度は既に50代においても機能不全を起こしている」ということになる。
いわんや40歳以下をや、だろう。


たとえば、ほぼ完全に勝ち逃げできた世代である65歳以上と比べると、確かに今の
50代は既に割を食い始めている。先輩方は50代前半まで定昇し続けたが、
多くの企業で40歳以降の昇給は厳しく抑制され始めているし、ポストもぐっと少ない。
「なんでオレは課長止まりなんだ!きっちり年功序列を維持すべきなのに!」
と、憤懣やるかたないおっちゃん達は少なくない。だから成果主義´が悪い、というロジックだ。

ただし、年功序列だろうが成果主義´だろうが、ポストも金も無いもんは無いのであって、
それを保証してくれる人事制度など、もはやどこにも無いのだ。
たとえば官僚が良い例だ。一連の天下り規制によって既に彼らの年功序列制度は
ガタがきており、上のほうは深刻なポスト不足が発生している。
90年代以前なら各年度ごとに一人が事務次官ポストを与えられていたが、そっから
先の天下り先が少なくなったため、今では一人の事務次官が2,3年止まったままなのだ。
(防衛省の守屋さんなんて4年やっていた)
「だから成果主義が悪い!」という官僚はいない。彼らはそもそも成果主義´なんて入れて
いないから。どっちにしても変わらないという好例だ。

ではどうすべきか。30代だろうが50代だろうが、どこからでも逆転できるシステムに
移行するしかない。皆が横並びで上がれる時代ではないが、その機会を与えれば
良いのだ。それには年齢給を廃止縮小し、処遇の流動性を高めていくしかない。

ところで。
「制作費が厳しいだのなんだの言われてますが、上のほうには貰いすぎてる人が
いっぱいいるでしょ?そういうの削って、代わりに流動性を持たせるんですよ。
会社の中でもクライマックスシリーズやるようなもんですね」
「なるほど、そうですねぇ」
という会話がカットされていたことは言うまでもない。
2008/07/22のBlog
先日、話題のインディ・ジョーンズ新作を見てきたので雑感。
面白いのだが、ちょっと違和感が…
「インディって、こんな映画だったっけ?」
もうあんまり動けないとか、しわが増えたとかいうのはしょうがない。
H・フォードももう60代だ。
いや実年齢のことではなしに、なんというか劇中でもほんとに老けているのだ。

同じ老けてても、ランボーのように全力でアクションで魅せようという
姿勢ではなく、どこか現実を受け入れてしまっている。
それが昔のファンからすると微妙な違和感を感じさせてくれるわけだ。
このリアルっぽさはなんだろう。

と思ったら、インタビューでルーカスがはっきり言っていた(笑)

「意識するもなにも、私自身がそもそもベビーブーマー世代だから(笑)。要するに
私自身が自分と同じような年代の人間が活躍する映画を見たかった。それだけだよ」


そうか。団塊世代にエールを送る映画だったのか。
それなら第二の人生的なエンディングも納得。

もっともインディは「既得権死守のためにあらゆる改革に反対」とか
「若手を踏み台にして会社にしがみつく」なんてことはしないし、
常に攻めの姿勢は変わらないので、相変わらずカッコいいのだ。
“カッコいいオヤジ”とはイタリア製のスーツ着てヒゲ生やしてる人の
ことではなく、いつまでも守りに入らない人のことだと個人的には思う。
自分もそうありたいものだ。
2008/07/18のBlog
[ 13:33 ] [ 世代間問題 ]
先週号の週刊新潮読んでいてびっくり。
はぐれ自民の加藤紘一氏がこんなことをぶちかましたらしい。
「経済諮問委員会の八代さんが秋葉原事件を引き起こした張本人」
(TBS時事放談および週刊新潮後追い取材にて)
要するに、派遣法改正などの規制緩和を行ったから格差が生まれて、こういう事件が
起きたと結論付けているわけだ。

もうあちこちで喉が枯れるほど言ってる話だがもう一度書いておく。
日本の賃金制度は一度上がったら下げられないという実質的な年齢給をベースと
しており、不景気が続くと人件費の調整が出来ないという欠点を持つ。

じゃあどうするか?本来なら、人件費を職務給に見直した上で柔軟に見直し可能な
システムに移行するしかない。これは僕だけが言っている話ではなくて、OECDに
勧告されている“事実”でもある。

ただ、それは多数派の中高年正社員の逆鱗に触れることになる。国益ではなく
自分の選挙にしか関心が無い人たちに、言い出せるわけがない。

ならば安く搾取できる集団を作って、そいつらから吸い上げるしかない。
だからバブル崩壊の92年以降、非正規雇用は拡大しているし、それでも足りないと
わかると派遣法などが改正されることになった。

「既得権維持のために、偽装請負を含む非正規雇用拡大を黙認してきた」というのは
連合自身認めている事実だし、連合の三下であった社会党も黙認していたはずだ。
つまり、この問題は日本全体に大なり小なり責任があるということになる。

ところがだ。いまだにそれを認めようとしない人は少なくない。
大企業経営者か与党か、それでもダメならアメリカの陰謀ということにして、とにかく
自分の既得権だけは一円でも多く抱えたまま定年ゴールを突っ切りたいという連中だ。
いや、まあそういうのはしょうがない。所詮人間なんてそんなもんだろうし、個人的には
そいつらと世代間闘争して剥ぎ取るしかないと覚悟している。

ただ、そんな問題にまったく興味ないくせに、利用しようとちょっかい出してくる人間には
心底腹が立つ。加藤氏はなぜ今こんなアホな発言をしたのか。
政界で干され気味だから、(恐らくもっとも投票率の高いと思われる中高年向けの)人気取り
のために、こんな暴言をぶったのだろう。


彼のビジネスは着実に論点をぼやかし、改革の足を引っ張ってしまう。
なによりこういった事件に便乗するのは失礼なことだ。
きっちり問題に取り組め。興味がないのなら、せめて黙っていろだ。
2008/07/16のBlog
現役の東大教官による大学論。非常に優れた視点を複数含んでいるので
簡単に紹介したい。

冒頭、ある東大生の衝撃的な発言から始まる。
「先生、何やったら“優”をくれるんですか?」

他にも「カリキュラムに載っていない項目を教えると怒る学生」
「黒板に例題と解説を詳細に書き、テストはその中からしか出題
するべきではないと言い張る学生」など、トンデモ学生のケースが続く。

ホントかよ!と思う人もいるかもしれないが、本当ですよ。
だってそういうの実際にいっぱいいたから(笑)
学歴以外に寄る辺の無い人には耐えられない事実かもしれないが、
あれは要領の良さを示す指標の一つでしかない。
筆者はこのことを“仮想空間学力”と呼んでいるが、まったくその通りだと思う。
上記のような学生たちは、受験エリートの成れの果てだ。

もっとも、だからといって学生ばかりを責めるわけにも行かない。そういう人材を
求め続けてきたのは、他でもない企業自身だからだ。年功序列型企業は常に、
組織の一番下っ端で前例(=マニュアル)に忠実な人材を必要とし続けた。
まさに筆者の言うように“効率的社畜増殖システム”だ。

だが時代は変わってしまった。

一昔前まで、終身雇用が基本だった時代には、企業は大学に
「変なイロはつけなくていいので、基礎の確かな有能な人材」を求めていた。(中略)
ところが90年代以後、企業の求人は大きく変化する。同じ会社が「将来性ある人材」
から「即戦力」へと、リクエストを180度変えてきたのだ。(27P)


理由はいつも言っているとおり。受身で言われたことだけやっていれば、個人も組織も
ハッピーになれる時代が終わったからだ。若者は詰め込み勉強だけではなく、これから
は自分のアタマで考えることが重要となる。

一方で、当の大学自身もアタマやココロといった主体性は大して持ち合わせてはいない。
戦時中、技術開発からはては学徒出陣まで、大学と軍の関係は深いものがあった。
筆者は生家の戦争体験も織り交ぜつつ、官製大学の体質を強く批判する。
戦略と倫理なくして、実社会に役立つ学問が教えられるだろうか、と。
(もっとも、元々アタマが無い分、戦後の再出発はスムーズに進んだが)

では、高等教育は今後どうあるべきか。機構そのものの改革は(それに7年間従事した筆者が)
困難を極めると言う。実際そうだろう。大学の教授会なんて、連合が可愛らしく思えるくらい
既得権堅持の保守主義者で、その上“アカデミズムの独立”なる論理で要塞化されている。

その一方で、筆者の言うように、心構えの変化次第では既存のシステムでも十分に
ものは学べる。海外の大学を含めた単位認定制度は珍しく無くなったし、SFCのような
従来の文理枠にとらわれない学部も増えてきた。
眠っている人を眠ったまま知的エリートに育てるシステムを作り上げるのは難しいが、
目が覚めた人なら好きなだけ学べるのだ。

以前にも書いたように、大学の教養主義を殺したのは戦後の年功序列制度だ。
それが消えたと理解できた人間の中から、新たな教養主義が復活するに違いない。
もし21世紀のエリートとそうでない人の線引きをするとすれば。
学歴ではなく、この点でなされることになると個人的には考えている。