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2006/01/22のBlog
[ 23:32 ]
異性の容姿でテンションがばっち変わる私中根なのですが、どうもこう、整いすぎてる顔というのもなんだか苦手でありまして。
言わずもがな、人間の顔というのは千差万別なわけですが、しかしまあでもそれなりの傾向というものはあると思うのですよね。イヌ顔だとかリスっぽいとか子猫ちゃんとか台湾系とか可哀想な顔とか。でまあ、何をどう考えても骸骨系よりはネコ顔の方が可愛いわけですが、しかしその系統にもそれぞれのレベルがありまして。ネコ顔レベル5とか。MEGUMIと森三中の村上は同じ系統でレベルが少し違う、みたいな感じですね。
んで、タイプの女性の話をするとき、顔に関して言えばこの系統の話をしていると思うんですよ。俺はネコが好きだとか二次元しか愛せないとか。この時系統の話だけであって決してそのレベルについては話してないと思うんです。レベルというのは個人個人が心の深いところでしている線引きであって、あまり表には出てこないものだと思うのですよ。美的感覚、とでも言い直せばわかりやすいか。ラーメンのスープで表すとみそ、しょうゆ、塩といったものが系統、横の線で、その味の濃さがレベル、縦の線です。スープに例えた事に、他意はありません。
まあ系統に関しては味噌が好きな人もいれば塩が好きな人もいる、って事で納得しやすいのですが、レベルに関してはなかなかそうもいきません。スープの濃さならともかく人間の容姿ですから整っていれば整っているだけ、つまりレベルが低いよりは高い方がいいと思いがちなのですが、どうも話はそう単純なことではないらしいのです。いや、いきなりブス専の事を取り出そうってんじゃなくて。例えばレベルが1~10まであるとすると、僕なんかは5~7くらいが好きです。9とか10とかの人と話すと、妙に気を使うし何しゃべっていいのかわからないし、なんだかとても疲れます。しかもその感覚はどうやら世の男性全般(という名の僕の周りの人々)に当てはまるらしいのです。
まあ何事もほどほどってね。←書いてる途中で明日試験だった事に気付き、無理矢理まとめてみた。ぷぎゃー。
言わずもがな、人間の顔というのは千差万別なわけですが、しかしまあでもそれなりの傾向というものはあると思うのですよね。イヌ顔だとかリスっぽいとか子猫ちゃんとか台湾系とか可哀想な顔とか。でまあ、何をどう考えても骸骨系よりはネコ顔の方が可愛いわけですが、しかしその系統にもそれぞれのレベルがありまして。ネコ顔レベル5とか。MEGUMIと森三中の村上は同じ系統でレベルが少し違う、みたいな感じですね。
んで、タイプの女性の話をするとき、顔に関して言えばこの系統の話をしていると思うんですよ。俺はネコが好きだとか二次元しか愛せないとか。この時系統の話だけであって決してそのレベルについては話してないと思うんです。レベルというのは個人個人が心の深いところでしている線引きであって、あまり表には出てこないものだと思うのですよ。美的感覚、とでも言い直せばわかりやすいか。ラーメンのスープで表すとみそ、しょうゆ、塩といったものが系統、横の線で、その味の濃さがレベル、縦の線です。スープに例えた事に、他意はありません。
まあ系統に関しては味噌が好きな人もいれば塩が好きな人もいる、って事で納得しやすいのですが、レベルに関してはなかなかそうもいきません。スープの濃さならともかく人間の容姿ですから整っていれば整っているだけ、つまりレベルが低いよりは高い方がいいと思いがちなのですが、どうも話はそう単純なことではないらしいのです。いや、いきなりブス専の事を取り出そうってんじゃなくて。例えばレベルが1~10まであるとすると、僕なんかは5~7くらいが好きです。9とか10とかの人と話すと、妙に気を使うし何しゃべっていいのかわからないし、なんだかとても疲れます。しかもその感覚はどうやら世の男性全般(という名の僕の周りの人々)に当てはまるらしいのです。
まあ何事もほどほどってね。←書いてる途中で明日試験だった事に気付き、無理矢理まとめてみた。ぷぎゃー。
[ 03:33 ]
昨年(と一月が半分ちょっと)は色々とありましたが、いつの間にか新年です。
なんていうかうん、ほったらかしすぎブログ。いや、いいんだけどさ。うん。
えーと。
なんていうかうん、いや、インターネット自体は毎日ばりばりやってるんですけどね。
えーと、えーと。
まああの、来月から環境がちょっと変わるので、どうなるか未定ですが、やるならやる、やめるならやめるではっきりしたいと思います。うん。
今年もよろしくお願いします。
なんていうかうん、ほったらかしすぎブログ。いや、いいんだけどさ。うん。
えーと。
なんていうかうん、いや、インターネット自体は毎日ばりばりやってるんですけどね。
えーと、えーと。
まああの、来月から環境がちょっと変わるので、どうなるか未定ですが、やるならやる、やめるならやめるではっきりしたいと思います。うん。
今年もよろしくお願いします。
2005/11/18のBlog
[ 23:14 ]
僕はトランプを記号的に扱うのがどうも苦手で、物質的な現象ばかりをしてしまっています。また、どちらの解釈も可能な場合は、特に意識をしなくても物質的な結論を出してしまっているように思います。
例えば、テーブルに置いたカードと手に持っているカードが入れ替わるという現象を考える時、僕はそのカードの位置が交換されていると考えます。しかしこれを記号的な意味で考えるなら、仮にテーブルのカードをエース、手に持ったカードをキングとして、エースの要素とキングの要素が交換された、という意味に捉えることが可能なわけです。後者の場合ですと、エースとキングの概念そのものが入れ替わったのであり、カード(紙)自体は変化がないわけです。多少の語弊はあるかもしれませんが、わかりやすく言うとトランプの紙自体はそのままで印刷されたインクだけが入れ替わった、という感じです。
本当は、マジシャンは後者のイメージであるべきなのではないか、と僕は思います。もちろんまあ誰がどう考えたって、カードが入れ替わったらすり替えたとしかないわけですし、概念が交換するなんて事を話した所で誰も信じるわけはないんでしょうが、そのイメージはタネからとても離れているし本当の魔法に近いのではないか、と思います。もし物体的に二つのカードの位置が交換されているのならテーブル上のカードがまったく微動だにしないというのも変な話です。この交換現象に対するもっとも矛盾のない魔法的答えは概念の移動であると思います。
まあ考えてはいるんですが、なかなか出来ません(眠くなったから投げやり)
例えば、テーブルに置いたカードと手に持っているカードが入れ替わるという現象を考える時、僕はそのカードの位置が交換されていると考えます。しかしこれを記号的な意味で考えるなら、仮にテーブルのカードをエース、手に持ったカードをキングとして、エースの要素とキングの要素が交換された、という意味に捉えることが可能なわけです。後者の場合ですと、エースとキングの概念そのものが入れ替わったのであり、カード(紙)自体は変化がないわけです。多少の語弊はあるかもしれませんが、わかりやすく言うとトランプの紙自体はそのままで印刷されたインクだけが入れ替わった、という感じです。
本当は、マジシャンは後者のイメージであるべきなのではないか、と僕は思います。もちろんまあ誰がどう考えたって、カードが入れ替わったらすり替えたとしかないわけですし、概念が交換するなんて事を話した所で誰も信じるわけはないんでしょうが、そのイメージはタネからとても離れているし本当の魔法に近いのではないか、と思います。もし物体的に二つのカードの位置が交換されているのならテーブル上のカードがまったく微動だにしないというのも変な話です。この交換現象に対するもっとも矛盾のない魔法的答えは概念の移動であると思います。
まあ考えてはいるんですが、なかなか出来ません(眠くなったから投げやり)
2005/10/10のBlog
[ 22:44 ]
最近セックスしてない!(挨拶)
さて、今日は普通の日記を書いてみたいと思います。
いつもは基本的に部屋にひきこもって手品とかちんことかしてるんですが(ちんこ?)このままだと廃人まっしぐらなので、今日は友達と遊んでみることにしました。同じ学科の友達と友達が連れてきた中国人と一緒にボーリングに行くことにしたのですが、いざ行ってみるとなんかそのボーリング場でトーナメントが開かれていて、えらい混み合っていました。え、なに? ボーリングブーム再来? くらいひどい混みよう。お前らトーナメントだからって普段来てないボーリング場来てんじゃねーよ。ボーリング場ってのは(略)
で、がんばってDDRしたり170円のアクエリ飲んだり目の合った女の子に恋をしたりしながら、二時間くらい待ってようやくボーリングをする事ができました。なんか今日は妙に調子がよくて150くらいスコアいったんですけど、隣の女の子が200とか出してて、うわ、プロい! とか思ってました。隣の小学生も130くらい出してました。なにこの空間?
で、その後で土間土間に行ってビールとか嗜んだわけですが、ここ何日か風邪気味でしかも久しぶりの運動で疲れてたのであからさまに酔っ払いました。僕酔うとテンション上がるっていうか単に気持ちが悪くなるという、なんのために金払って酒飲んでるのかわからないアビリティを備えているのでトイレで普通にうずくまってました。地球なんて滅んじゃえ、とか思いました。
で、家に帰ってパソコン開いて更新してます。終わり。(普通)
さて、今日は普通の日記を書いてみたいと思います。
いつもは基本的に部屋にひきこもって手品とかちんことかしてるんですが(ちんこ?)このままだと廃人まっしぐらなので、今日は友達と遊んでみることにしました。同じ学科の友達と友達が連れてきた中国人と一緒にボーリングに行くことにしたのですが、いざ行ってみるとなんかそのボーリング場でトーナメントが開かれていて、えらい混み合っていました。え、なに? ボーリングブーム再来? くらいひどい混みよう。お前らトーナメントだからって普段来てないボーリング場来てんじゃねーよ。ボーリング場ってのは(略)
で、がんばってDDRしたり170円のアクエリ飲んだり目の合った女の子に恋をしたりしながら、二時間くらい待ってようやくボーリングをする事ができました。なんか今日は妙に調子がよくて150くらいスコアいったんですけど、隣の女の子が200とか出してて、うわ、プロい! とか思ってました。隣の小学生も130くらい出してました。なにこの空間?
で、その後で土間土間に行ってビールとか嗜んだわけですが、ここ何日か風邪気味でしかも久しぶりの運動で疲れてたのであからさまに酔っ払いました。僕酔うとテンション上がるっていうか単に気持ちが悪くなるという、なんのために金払って酒飲んでるのかわからないアビリティを備えているのでトイレで普通にうずくまってました。地球なんて滅んじゃえ、とか思いました。
で、家に帰ってパソコン開いて更新してます。終わり。(普通)
2005/09/15のBlog
[ 00:14 ]
はいはいこんにちはー。今宵もノープラン考察の時間がやってまいりましたー。ノープラン考察とは、その名の通りちょっと疑問に思った事を事前に何一つ考えないで、ブログ書きながら考察していってみようという、まとまりがなく読んでる側にはあんまり関係のない企画の事です。なぜ、今宵もと言ってるのにこんにちはなのかとか今までこんなんやった事ないじゃんとかはどうでもいいので気にしないでください。なっちゃんオレンジ飲んだ後に「QOO~」とか言っちゃったくらいどうでもいい。
さて、栄えある第一回の考察テーマは手品についての話題です。題して「シルクハットを捨て箱にするのはどうなのか」です。意味がわからない人はソフトオンデマンドのサンプルAVでも見てればいいと思います。
んで。
なんかもう当然の如くですね、みなさんシルクハットを捨て箱にしてるじゃないですか。まあステージのスライドハンドとかに多いですけど、クロースアップでも使ってますよね。うん。結構メジャーな捨て箱ですよね。
さて、冷静に考えてみて帽子にトランプとかシルクとかボールとかその他様々なものを入れるというのはどうなんでしょうか。帽子ですから普段は頭にかぶっているもので、つまり結構汗や整髪料の匂いが染み付いているわけです。そこに自らの商売道具であるトランプとか他の道具を入れるという事はそれらに汗や整髪料の匂いがうつる事を容認してしまってるわけです。イコール、自分が使っている手品道具を大切にしない人間であるということを観客に積極的にアピールしてしまっているわけです。もしくはそんな事には無頓着な適当な人間であると認識されてしまうかもしれません。
もちろん「これは手品道具を入れるための物であって、別に普段帽子として使っていない」という反論は当然出てくるでしょうし、実際に普段からシルクハットをかぶっている人なんてほとんどいないでしょう。だとするならば、なぜわざわざ手品の道具を入れるために帽子なんていう不自然なものを使わなくてはならないのでしょうか。「一般の人が考えるマジシャンのイメージが燕尾服にシルクハットにステッキだから」というのなら、やはりそもそもシルクハットはかぶっていなければならないし、それを脱いだ跡に捨て箱にしなければならない理由はどこにも見つかりません。脱いだ後は片付けるかどこかに置いとけばいいだけの話ですし、そもそもなぜかぶるかの理由もなくてはなりません。帽子としても箱としても使えるなんてめっさ便利じゃないの、とか言われても、そんなエコロジカルな意見が果たしてどこまで通用するか。舞台芸能として見た時には逆に安っぽさを演出してしまうんじゃないかとさえ思います。
正直、シルクハットを捨て箱として使うというのは、かなり特殊な状況でないと成立がしない気がするのです。
例えば、燕尾服でシルクハット被ってステッキ持って登場し、ステッキを床に立てシルクハットをステッキの上に置いてテーブルを作る、白い手袋を脱いでそれを白いシルクにし、胸の赤いポケットチーフと白いシルクを丸めると赤白のストライプになる。といったような手順なら、マジシャンがその身一つで登場し、自分が身に付けている物だけで手順を進行していくという、ある種の縛りというかテーマがそこには存在するわけです。あといくつか考えてみましょうか。
例えばそのシルクハットがなんらかの手品道具としての価値を持っているのなら、そこまで問題ない気もします。大切そうにシルクハットを持って登場し、中に何もない事を改めてから中から鳩なりなんなりを出し、一旦テーブルにシルクハットを置き、その後ミリオンカードなどを行い出したカードをシルクハットに捨てていき、おまじないなどをかけると入れたカードがシルクハットから噴水のように舞い上がる。というものなら、事前に魔法が起こせる帽子なのだという前提を作っていますし、そこに物を捨てていくのは最後の現象への布石なのだという事を示せます。
もしくはちゃんと出したものを入れる入れ物を用意してたのに想像以上に出てくる物が多くて仕方なくかぶっていた帽子を使うとか。やはりまあ何かしらシルクハットと現象をからめるというのがいいんじゃないかなと思いますよ。「ただの箱じゃなくてシルクハットに物を入れないともう俺はどうしようもないんだ!」的な何かがないとねぇ。
って、まあ思いつきで思いついた疑問で思いついたままに書いていったので、なんか「手順で使う物はそれでないといけないという明確な理由が必要だ」という、とっても当たり前の話になっちゃいましたね。あはー。
ただまあこれってすでに一つの「型」になっちゃってるから、何も考えずに漠然と使ってる人って割と多いような気がするんですよね。ただ「型」なんていうものは通の間で通用するものでしかないから、もはや悪しき伝統なんじゃないかと思うのですが。大体シルクハットを捨て箱にしてて「カワイイ」とか「カッコイイ」とか「なるほど」とか思うような人間って果たしているのかな。小さいシルクハットにアクセと入れて並べたりするのはカワイイと思うけども、普通の入れ物としてテーブルの上に置いといてそん中にロープとハサミ入れていくだけにどれだけの意味があるっていうんだろう。
さて、栄えある第一回の考察テーマは手品についての話題です。題して「シルクハットを捨て箱にするのはどうなのか」です。意味がわからない人はソフトオンデマンドのサンプルAVでも見てればいいと思います。
んで。
なんかもう当然の如くですね、みなさんシルクハットを捨て箱にしてるじゃないですか。まあステージのスライドハンドとかに多いですけど、クロースアップでも使ってますよね。うん。結構メジャーな捨て箱ですよね。
さて、冷静に考えてみて帽子にトランプとかシルクとかボールとかその他様々なものを入れるというのはどうなんでしょうか。帽子ですから普段は頭にかぶっているもので、つまり結構汗や整髪料の匂いが染み付いているわけです。そこに自らの商売道具であるトランプとか他の道具を入れるという事はそれらに汗や整髪料の匂いがうつる事を容認してしまってるわけです。イコール、自分が使っている手品道具を大切にしない人間であるということを観客に積極的にアピールしてしまっているわけです。もしくはそんな事には無頓着な適当な人間であると認識されてしまうかもしれません。
もちろん「これは手品道具を入れるための物であって、別に普段帽子として使っていない」という反論は当然出てくるでしょうし、実際に普段からシルクハットをかぶっている人なんてほとんどいないでしょう。だとするならば、なぜわざわざ手品の道具を入れるために帽子なんていう不自然なものを使わなくてはならないのでしょうか。「一般の人が考えるマジシャンのイメージが燕尾服にシルクハットにステッキだから」というのなら、やはりそもそもシルクハットはかぶっていなければならないし、それを脱いだ跡に捨て箱にしなければならない理由はどこにも見つかりません。脱いだ後は片付けるかどこかに置いとけばいいだけの話ですし、そもそもなぜかぶるかの理由もなくてはなりません。帽子としても箱としても使えるなんてめっさ便利じゃないの、とか言われても、そんなエコロジカルな意見が果たしてどこまで通用するか。舞台芸能として見た時には逆に安っぽさを演出してしまうんじゃないかとさえ思います。
正直、シルクハットを捨て箱として使うというのは、かなり特殊な状況でないと成立がしない気がするのです。
例えば、燕尾服でシルクハット被ってステッキ持って登場し、ステッキを床に立てシルクハットをステッキの上に置いてテーブルを作る、白い手袋を脱いでそれを白いシルクにし、胸の赤いポケットチーフと白いシルクを丸めると赤白のストライプになる。といったような手順なら、マジシャンがその身一つで登場し、自分が身に付けている物だけで手順を進行していくという、ある種の縛りというかテーマがそこには存在するわけです。あといくつか考えてみましょうか。
例えばそのシルクハットがなんらかの手品道具としての価値を持っているのなら、そこまで問題ない気もします。大切そうにシルクハットを持って登場し、中に何もない事を改めてから中から鳩なりなんなりを出し、一旦テーブルにシルクハットを置き、その後ミリオンカードなどを行い出したカードをシルクハットに捨てていき、おまじないなどをかけると入れたカードがシルクハットから噴水のように舞い上がる。というものなら、事前に魔法が起こせる帽子なのだという前提を作っていますし、そこに物を捨てていくのは最後の現象への布石なのだという事を示せます。
もしくはちゃんと出したものを入れる入れ物を用意してたのに想像以上に出てくる物が多くて仕方なくかぶっていた帽子を使うとか。やはりまあ何かしらシルクハットと現象をからめるというのがいいんじゃないかなと思いますよ。「ただの箱じゃなくてシルクハットに物を入れないともう俺はどうしようもないんだ!」的な何かがないとねぇ。
って、まあ思いつきで思いついた疑問で思いついたままに書いていったので、なんか「手順で使う物はそれでないといけないという明確な理由が必要だ」という、とっても当たり前の話になっちゃいましたね。あはー。
ただまあこれってすでに一つの「型」になっちゃってるから、何も考えずに漠然と使ってる人って割と多いような気がするんですよね。ただ「型」なんていうものは通の間で通用するものでしかないから、もはや悪しき伝統なんじゃないかと思うのですが。大体シルクハットを捨て箱にしてて「カワイイ」とか「カッコイイ」とか「なるほど」とか思うような人間って果たしているのかな。小さいシルクハットにアクセと入れて並べたりするのはカワイイと思うけども、普通の入れ物としてテーブルの上に置いといてそん中にロープとハサミ入れていくだけにどれだけの意味があるっていうんだろう。