Blog
2006/04/27のBlog
[ 01:40 ]
その人がなんで腹がたっているかというと、その人は、伝えたいことが10個あるのに、
そのうちの1個を伝えただけで、それを全てと解釈され、それは違うだの、お前はバカだの、あるいは、それで早々に見切りをつけたがる人がいるからである。
その人がなんで腹がたっているかというと、十分に時間を与えたのに、たったそれだけの結果しかもってこず、それを非難すると、また何かいいたげに睨むばかりで一向に要領を得ない人がいるからである。
両者の溝は深くて決して交わらない。
なぜなら、結局は自分のことばかりで、相手のことをわかろうとしてないからである。
伝えるというのは、とても難しい。
うまく気持ちを伝えるには、必要時間というものがあると思う。
付き合いが長くなればなるほど、その必要時間は短縮される。(以心伝心)
逆に付き合いが浅ければ浅いほど、その必要時間を十分にとらなければならない。
それは、つまり、相手を思いやる時間である。
それは、つまり、相手の気持ちを受け入れようと努力する時間である。
それが、思いやりであって、コミュニケーションという名のものであると思う。
でも、だからといって、相手にばかり求めてはいけなくて、
相手に、いかに自分の想いを上手く時間短縮で伝えられる
かという努力も必要である。
伝えるというのは、とても難しい。
相手を想いやる気持ちが必要だから。
だけど、現実問題、自分の意見を否定されたり、
ようやく円満に事を運ぼうとしているのに正論を振りかざして
足止めされたりすると、腹がたっちまう。
子供時代だったら、ぶん殴って解決してた。
でも、大人になるとそうもいかない。
だから、コミュニケーション能力を磨くしかない。
至極まどろっこしくて、至極面倒で、至極腹が立つけど、
実際、それが最善の策なのである。
僕は、まだまだ全然極められないけど、
もし、それを極めたら、とても人間好きになれるんだろうと思う。
とても、人に優しくなれるんだろうと思う。
でも、そんな日は当分こないような気がする。
だけど、少なくとも自分が少しだけそういう努力することで、
誰かが少しだけ傷付かなくてすむということだけは言える。
2006/04/22のBlog
[ 01:33 ]
アナタへ
失恋が悲しいのは、その人が世界中で1人の存在であると思うからであり、その人と共有した時間が幻となってしまうことへのせつなさであり、その人が与えてくれた優しさが嘘ではなかったと信じていたいからであり、もう一生と、もう絶対、もう二度と会えないという想いがあるからである。
だけど、失恋ほど「腐っても鯛」という諺があてはまる現象はないと僕は思う。
腐ってしまったら、鯛は食えないのである。
腐っているのに固執する。それはムダな努力であり、むなしい姿である。
つまり、鯛でなくても上手い魚はたくさんあるということである。
つまり、失恋で苦しむということは視野が狭いということであり、捨てきれない
固執する自分自身の強欲さなのである。
そんなことを言っている僕も、失恋の数は数知れず、いつもは聞かぬ
中島みゆきさえ聞いてしまった男である。
ただ、この年齢になって思うのは、きちんと自分を好きでいてくれる人というのは
きちんと最後まで投げずに自分のことを好きでいてくれるということである。きちんと、
待っていてくれるものだということである。
それは、暗闇の街、遠くで小さく優しく光る自動販売機のような。
だから、それまでは、その人に出会うまでは、いっぱい失恋すべきである。
いわば、通りすがりの失恋である。
出会うべくして出会うための人との出会うまでの「通りすがりの失恋」であり、
恋の練習試合であり、その自分を振った人間は、勉強をおしえてくれる講師みたいな
ものであり、だから、1回や2回の失恋で挫折しているような奴は阿呆であり、
そんな練習試合で落ち込んだり、つまづいたりしている時間は、もったいないのであり、
そんなことしてる暇があったら、少しでも、きちんと自分を好きでいてくれる人を
手繰り寄せるために前を向くべきなのである。
そして、もう1つ言うと、誰からも好かれようとする人間は、たとえ一時期は
複数不特定多数にモテたとしても、結局最後はひとりぼっちなのである。
みんなにちやほやされるのはたしかに気持ちいいが、
その先に何があるのかって。結局、その場しのぎなのである。
そのために、着飾ったり、思わせぶったりする計算高い人間にはなりたいか?
たしかにモテたいし、失恋なんかしたくないっていうのが人の常である。
でも、恋愛それは、ひとり1個まで。
そう決まっている。
2個持っててもいいけど、
それは2個じゃなく、1/2でしかない。
失恋が悲しいのは、その人が世界中で1人の存在であると思うからであり、その人と共有した時間が幻となってしまうことへのせつなさであり、その人が与えてくれた優しさが嘘ではなかったと信じていたいからであり、もう一生と、もう絶対、もう二度と会えないという想いがあるからである。
だけど、失恋ほど「腐っても鯛」という諺があてはまる現象はないと僕は思う。
腐ってしまったら、鯛は食えないのである。
腐っているのに固執する。それはムダな努力であり、むなしい姿である。
つまり、鯛でなくても上手い魚はたくさんあるということである。
つまり、失恋で苦しむということは視野が狭いということであり、捨てきれない
固執する自分自身の強欲さなのである。
そんなことを言っている僕も、失恋の数は数知れず、いつもは聞かぬ
中島みゆきさえ聞いてしまった男である。
ただ、この年齢になって思うのは、きちんと自分を好きでいてくれる人というのは
きちんと最後まで投げずに自分のことを好きでいてくれるということである。きちんと、
待っていてくれるものだということである。
それは、暗闇の街、遠くで小さく優しく光る自動販売機のような。
だから、それまでは、その人に出会うまでは、いっぱい失恋すべきである。
いわば、通りすがりの失恋である。
出会うべくして出会うための人との出会うまでの「通りすがりの失恋」であり、
恋の練習試合であり、その自分を振った人間は、勉強をおしえてくれる講師みたいな
ものであり、だから、1回や2回の失恋で挫折しているような奴は阿呆であり、
そんな練習試合で落ち込んだり、つまづいたりしている時間は、もったいないのであり、
そんなことしてる暇があったら、少しでも、きちんと自分を好きでいてくれる人を
手繰り寄せるために前を向くべきなのである。
そして、もう1つ言うと、誰からも好かれようとする人間は、たとえ一時期は
複数不特定多数にモテたとしても、結局最後はひとりぼっちなのである。
みんなにちやほやされるのはたしかに気持ちいいが、
その先に何があるのかって。結局、その場しのぎなのである。
そのために、着飾ったり、思わせぶったりする計算高い人間にはなりたいか?
たしかにモテたいし、失恋なんかしたくないっていうのが人の常である。
でも、恋愛それは、ひとり1個まで。
そう決まっている。
2個持っててもいいけど、
それは2個じゃなく、1/2でしかない。
2006/03/23のBlog
[ 16:59 ]
[ 貴様庫(妄想) ]
おっさんが、無理して「トゥモローネバーノーズ」うたっている。15個下のOLの気をひくために。
おっさんは、おっさんらしく「昴」をうたってほしいなと星に願う。
そして、「さらば、す、ば、るぅようようようようよおああああああ」と熱唱したあとに、
「あれっ、今の俺、少し恥ずかしい?」って、ちっちゃく反省していただいて、
その照れをかくすために、やおら、ビールを手にとり、グイッとやってほしい。
しかし、そのビールは自分のではなく15個下のOLのグラスで、結局、熱唱したのに、
最終的に15個下のOLに露骨に嫌な顔されるという辱めを受けてほしい。
等身大。
物事の格好よさや格好悪さというものの、
すべての基準は「等身大」であるか否かだと思うわけです。
上記のように、無理して「トゥモローネバーノーズ」うたっている、おっさんの格好悪さと、
「昴」をうたったが、結局天然ボケしてしまう、おっさんの格好悪さ。
それを天秤にかけた場合、断然、「昴」をうたったが、結局天然ボケしてしまう、
おっさんの格好悪さの方が素敵だと思うわけです。
おっさん、本人の中には「格好悪さ」は残るかもしれない。
でも、その様を見せられている第三者である、僕らにとっては無理して「トゥモローネバ
ーノーズ」うたっている、おっさんは愛せないが「昴」をうたったけど結局天然ボケで全てを
台無しにしてしまうおっさんの格好悪さの方が愛せるのである。
それは、なぜか?
それは、等身大のうえでの失敗だからである。
つまり、同じ失敗でも、見る者に不快感を与えるものと見る者を和ませるものがある。
誰の中にも、憎めない奴と、なぜか腹が立つ奴というのが存在するはずで、その理由を
紐解いてみると、「等身大」というワードがでてくるはずである。
全然へッポコのくせして、自慢話ばかりする奴。
すこぶる喧嘩弱そうなのに、「喧嘩すっときはさ、あごのここ、ここ。違う違う、ここ。
そう、そう、そこに一発いれればいいんだぜ」って語る奴。
「FRESH!」と大きくプリントされた黄色いTシャツを着た、おばちゃん。
良いたとえが思いつきませんが、自分は自分でありますし、背伸びしたいのは
わかりますが、背伸びしきれていれば問題ないのですけれど、それが、その
企みが、まったくもってバレバレな人というのは、まったくもって格好悪いものだと思うわけです。
等身大でよいのです。
[ 01:00 ]
[ 貴様庫(妄想) ]
身体測定がある日の朝、通学路にてウンコを催す。ウンコを催したからには、ウンコをせねばならない。
しかし、そこに便所はない。ただちに、野グソの構えに入る。ただし、そこは通学路である。同級生、
下級生、先輩、友人、知人、先生、好きな子、いじめてる子、尊敬している子、尊敬されている子などが
通る道である。即刻、事を成し遂げねばならない。小便の早さで大便をしなければならない。
木陰かなんかで。それは、年端の行かない少年にとっては、最上級のミッションである。
だから、イワンこっちゃない。
パンツを下ろし切れずに、パンツに、ウンコを引っ掛ける。
遠くに、女の子の二人組が見える。
ただちに、ウンコまみれのパンツは捨て、退散すべきである。
しかし、脳裏によぎるのは、「今日は、身体測定の日」
ノーパンで挑むわけにはいかないっていう男気。
っていうか、だからってウンコついたパンツで、どうせっちゅうねん。
これぞ、窮地。
今日は、身体測定の日。一人の男子が、なかなかズボンを脱がない。
女の先生に、ヒステリックにズボンを下げられノーパンをさらす。
みんな、げらげら笑う。
しかし、女の先生だけがなぜがヒステリックに言う。「んっまっ!」
そんなこんなの混乱の中で、そんなこんなの混乱に紛れて
もう一人ズボンを脱がない奴がいる。
こいつも、ノーパンか?みなの期待が一心に集まる。
ヒステリックな女の先生が、「あなたもなの!」ってやる。
ヒステリックに、やる。
いいじゃん別にって俺は思う。
そいつは、観念して自らズボンを脱ぎ捨てた。
そこにあらわれた、クラゲのような純白のヨレヨレパンツ。
そして、そのコアは、まっきっき。
そして、そのコアは、まっきっき。
まっきっくらうど、は、マイクまっきの息子。
どーみても、小便の、まっきっき。
ここに、新たに窮地の男、発見。
そして、男が言う。
「やべえ、弟のパンツ履いてきちゃった」
んー、美しい。
これもまた、最上級の窮地のカタチ。
ここに、ブーツを履いた女が一人。
今日は、初デート、しかし、いつもの店が開いておらず。
タタミの和風の店に入る。
さあ、ブーツを脱ぐか、脱がないか、脱がぬわけにはいかないし
・・・・・・・・・今日も、あちらこちらで窮地窮地窮地。
窮地窮地で、さようなら。
2006/03/21のBlog
[ 18:10 ]
[ 貴様庫(妄想) ]
オーラというものを見たことはないし、僕自身これから先も見ることはないだろうと思う。
ただ、気配とか雰囲気とか風情とか様子とかがオーラの親戚のようなものだ
としたら、それらは四六時中感じることができる。
以前、空手の世界チャンピョンのおじさんに遭遇したことがあったが、
そのときは確かにオーラのようなものを感じた。
その人が、部屋に入ってきた瞬間、すごい強風が吹いたような気がしたのである。
それに類似した体験というのは、たしかにたくさんあって、それがオーラなのか
オーラの親戚なのか、はたまたオーラとは違うものなのかは分からないが、
実際、人というのは、そういう目に見えない何かを身体から発している生き物
であることは間違いないと思うのである。
そう考えると色々ある。
別に、その人が何もしていないのに、なぜか無性に、そいつの顔を
見ると腹が立ったり、急に会話が途切れたり。あるいは、どうしようもなく気を使って
しまったり、その人を見ると無意識に防衛本能が働いたりする。そういうマイナス
オーラをもった人っていうのが存在する。逆に、その人が何もしていないのに、居る
だけで、テンションがあがったり、なんだか楽しい気分にさせてくれたり。あるいは、
この人のためだったら、この人に認められるためだったら、何でもしちゃうと思わせて
くれる、そんなプラスオーラをもった人もいる。
よくわからないが、(長島監督のような生まれついてプラスオーラをもった人
もいるだろうけど)それは、きっと、その人の背負ったもの。というか、今まで
その人がそういう風に自分をつくってきたこと。がオーラなんだろうと思う。
つまり、愚痴ばっか言ってる奴には寄り付きたくないし。人に汚れをさせて、
自分はキレイなところから出ない奴には何もしてやりたくない。暗い顔してる奴は、
暗さが移りそうだし。怠け者は、自分勝手に見えて腹が立つから友達になりたくない。
たとえ、辛くても笑顔の奴は、尊敬するし。自分のことより人のことを考える奴には、
協力したいし、アホだけど正直な奴は信じれるし、信じてやりたいと思う。
たぶん、そんなことである。
何が、いいたいかというと、上手くいかないことを人のせいにしても始まらない。
上手くいかないのは、自分がそういうオーラを発しているからだということ。
そこに打算や歪んだ偏見が、相手ではなく自分の深層心理の中にあるって
ことなんじゃないかと思うわけです。だから、人の好き嫌いが生まれるのでは
ないかと思うわけです。その好き嫌いという感情を決める根底にあるのが
オーラなんじゃないかと思ったのであります。
だけど、周りの人間が全員腐ったオーラをもっている場合もあるから、
一概には言えないけれどね。