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2006/10/08のBlog
[ 08:58 ] [ 貴様庫(小説日誌) ]

会社の出張で、ある街へ行った。
東京から約3時間30分。
着いた頃は、もうすっかり夜で街はネオンで活気づいていた。
僕は、明日の朝早いことを思い出しネオン街の通りにはいかず、
ホテルのすぐそばのラーメン屋で夕食を簡単にすませることにした。

その店は、若い夫婦がやっており、10人座れるぐらいのL字方のカウンター4人がけ
テーブル2席といったこじんまりした風情。のれんをくぐると、L字型の長いほうでは、カウンターでは高校生が数人、おおきくて重そうなスポーツバックを床に散乱させ部活の話に興じており、L字型の短い方では、得たいの知れない普通のオバサンが2人、なぜか7時30分という全く不自然な時間にラーメンを食べていた。いや、ラーメンはすでに平らげられていて、なにやら実のない話を、ヒソヒソと話し込んでいた。僕は、そういうのをぜんぶ、ひとくくりにして眼中から遮断できる、L字型の長いほうのいちばん端に座った。普通、旅人というのは、知らない街の、そういう空気感に浸るものである。でも、僕は疲れていた。

僕は、席に座って15秒で注文した。つまり、店の名前のついているラーメンを頼んだ。
なぜなら、僕は疲れていた。

早いとこラーメンを食い、早いとこホテルに戻り、酒で酔いつぶれて、そのまま寝よう。
明日は、AM5:00起きである。

そして、ラーメンに集中。ときどき若夫婦の会話のなさに、色々妄想。

そうしていると、ある男が僕のとなりに座った。
何故、意識したかというと僕のとなりのとなりもあいているのに、
ぼくのとなりに詰めて座ってきたからだ。
僕は、半身で食べていたが、さらに半身。だから、ほとんど横を向いてラーメンをたべた。
つまり、遮断の儀式である。

「ゴチュウモンハ?」
「・・・・・・・・・」
「ゴチュウモンハ?」
「・・・・・・・・・」

振り返る俺。男の顔は、笑顔だった。

「ゴチュウモンハ?」
「・・・・・・・・・」


男は、声を出さず
ただ、メニューを指差した。

男は、引きこもり。
ただ、週末は、こうして一人、この時間に、この決まった席に座り、
ここのラーメンを食べる。男は、いいたいことがいっぱいあって、
伝えたいことがいっぱいあった。でも、伝える術をもたなかった。
だから、ずっと家にいる。外に出たいけど、家にいる。外にでれば、
また、言いたいことがふえる。また、伝えたいことがふえる。
それが耐えられなかった。でも、週に1度だけ心の鎖国を解く。
それが、このラーメン屋だった。


僕は、疲れていた。褒めても貶しても一生懸命でも不真面目でも
仕事でも遊びでも誤解をとくにもふざけるにも何に関しても言葉が必要で、
言葉はかならずしも、正義ではなくて、ときに人を傷つけ、誤解をとくために
使った言葉がまた誤解をよんで、自分のことをわからせようと語ると、
それが逆に伝わらず、しゃべればしゃべるほど疲れるのであった。

そんな2人が出会った。
しゃべりたい男としゃべりたくない男。
実は二人は前世同士であって

・・・・・・・・・・・・・・とまあ、ここまで空想を膨らませて、僕は、ホテルに帰り
ちょっと小説ちっくにまとめようと思った矢先、

男が、大声で元気いっぱいに言った。
「あと、しなちくの盛り合わせも1つ!だっしょ!」


引きこもりでも、引っ込み思案でもない。
ただのおっさんであった。
さらにいうと、人とコミュニケーションがとれずにメニューを指さしたのではなく、
メニューの漢字が難しくて読めなかった模様。

僕は、さらに疲れて店を出た。

でも、その男が、こんなに僕の妄想をかき立てたのは、
彼のせつな笑い。


ときおり、見せる、せつない笑顔だった。



2006/09/01のBlog

女性のハンドバックの持ち方が気になる。
そもそもハンドバックは、ハンドのバックであって、
ハンドで、紐の部分をもつ仕組みである。
だのに、世の女性は、ヒジをVの字に折り曲げて、そのヒジのVの字の
真ん中にバンドバックを引っ掛けて窮屈そうに歩くのである。

それ、持ちにくいやろ。
っていうか、重いやろ。
よしんば、ハンドバックのハンドの意味ないやろ。


と、思うのである。

「こちらへどうぞ」である。
「こちらへどうぞ」の格好で、歩いているのである。
「こちらへどうぞ」の格好で、さらに「こちらへどうぞ」とやっているヒジのVの字の真ん中には
豹柄の攻撃的なバンドバックがぶらさがっているのである。
意味不明である。

まあ、百歩譲って、それをOKとする。
それもまた人生と言い聞かす。
しかし、それが複数人になると、実に、間抜けな風景となる。
「こちらへどうぞ」の格好で、さらに「こちらへどうぞ」とやっているヒジのVの字の真ん中には
豹柄の攻撃的なバンドバックがぶらさがっていて、さらに3人横並びで同じ格好で
歩幅さえあって歩いていたりする。

Vの字ハンドバック女である。
Vの字ハンドバックウーマントリオである。

そんな彼女らと遭遇するたびに、いつか、
僕は、正しいハンドバックの持ち方を彼女らに
説き伏せたいと思う。

ただし、間違ってる!といわれるのは、たぶん僕のほうで
たぶん、間違ってねえよ!と思いながら、「ごめんなさい」
とすんなり謝ってしまうであろう僕の姿が容易に想像できるのであり、
人生とは、そういうもので、正しいとか正しくないとかはあまり重要視
されるものでなく、みんなやっているかやっていないか、あるいは世論などという
実に流動的で、あいまいで、刹那的なものに人は左右されるもので、
それが間違っていると、たとえ皆が心の底で思っていても、自分が無知な
だけではないかという、自分は少数派なのではないかという、どうでもいい
プライドや、みんなに嫌われたくないという臆病さが、すべてを不明瞭なものにしていくのである。
2006/08/20のBlog
[ 08:14 ] [ 貴様庫(妄想) ]




ひとには感情の沸点というものがあって、ひとそれぞれ違う。
どうして沸点がバラバラかというと、それぞれの人生背景が違うからである。
感情の沸点とはつまり、その人を形成する根源の線みたいなもの。
とても繊細で、張り詰めていて、気安くさわっちゃいけない部分なのである。

ただ、感動を求めるには、その線を、いい塩梅でいじくる必要がある。
というか、人生なんてものは、その線をいじくることそのものとさえ言える。
キレないように、キレないように、弾く。
そのやりとりこそが、人間関係であり、社会であり、自己実現であり、
人生そのものの目的である。

コシの強いUDONみたいなもんで、その感情の沸点、
つまり、感情の琴線を弾いた回数が多ければ多いほど
強い心となり、味が出て、徳の高い人間に近づくのである。

だけど、それは、危険と隣り合わせの作業であって、大人になるというのは、
そんな自分の大事な部分を、より多く手垢のついた他人に弾かせるということであって、
まだまだ子供の僕らにとって、その大事に大事にしているむき出しの部分を誰かに
無神経に触られることが耐えられないのであり、さらに、世の中というのは、その弾き方も知らない連中ばかりであって、無造作に乱暴にその琴線にふれるのである。

だから、キレるのだ。

世の中には、「流石ですね」という言葉がある。
「流石」という言葉の前提は、「よくあなたのことを知っている」である。
じつは、この言葉ほど危険なものはないと思っている。
個人的に言うと、この言葉こそ、僕の沸点、僕の感情の琴線であったりする。

なぜなら、繰り返すが、
「流石」という言葉の前提は、「よくあなたのことを知っている」だからである。

自分のことを対した知らない相手が、一面的にしか観てない相手が、
使っちゃいけない言葉なのである。

正しくは、「よくあなたのことを知っている」と言うだけの資格があるかどうか。
つまり、お互いがお互いを心から信頼しあっていますという、お互いの確証があって、
はじめて「流石」という言葉を使う資格があるのである。

それなのに気安く「流石」なんて使っちゃいけない。
たしかに、「流石」と言う言葉は、褒め言葉に使うと、非常に効果がある。
じっさいに、僕も、よく使う。ましてや自分が言われるとすごく嬉しい。
でも、自分が自分をそういう人間じゃないと想っているのに、「流石」なんて言葉で
もって褒められると逆に傷ついたりもする。そういうものである。

「流石」という言葉の前提は、「よくあなたのことを知っている」である。
だから、相手の琴線に直接触れる言葉であるようにも思う。

富に、僕は、それに敏感で。

たとえば、何か、失敗したら、それを延々と引きずって、それ以降何か失敗する
たびに「流石」という言葉を使って、相手をバカにするような奴に対峙したとき
自分でも信じられないほどの怒りがこみ上げる。
それは、僕自身がやられるのならまだしも、僕の友人や、もっといえば、
街角で、そういう境遇に出くわしただけでも。

感情の沸点がMAXに達し、感情の5弦の線がブツッとキレ、小便を
もらし、俺の右ストレートは、○○駅前のゲーセンでは9位にランクされてたから
大丈夫、でも、アッパーの方がいいかなってシャドーしてみて、踏み込みすぎて
ブッと屁をこいてしまって、それを犬の散歩している美人OLに目撃されて、
ポっとなって、思わずラジオ体操をやっているふりをして、「ここじゃなくて、あそこ」
と近所の小学生に指さされた場所が小学校のグランドで、たしかに数十人の
ガキがラジオ体操している、「んー実に健康的!」って、オイ!と自分突っ込みをして
・・・・・・・・・・・・すみません、取り乱しました。

とにかく、そうとうに激高し我を忘れる。
理性が保てなくなる。

と、まあこんなに書き連ねたのに、
ここで、今更いうのも、なんなんですが、

、じつは、「流石」と言う言葉がぼくの沸点、ぼくの琴線であるなんて
今の今まで気づかなかった。
そういえば。。。と思い返してみると、思い当たるフシが多すぎて
ビクッとしたのである。

じゃあ、なんで僕が、それに気づいたかというと、
今朝、そういう夢を見たからであり、
その夢が僕がそういう人間なんだと教えてくれたのである。

そこにはストーリーがあり、感情の葛藤があり、
そして、目がさめると明確な答えが残っていた。

それは、とても僕という人間の本質をついていて
何かに導かれるような、そんな不思議な夢だった。