ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
マルコポーロになりたい
Blog
[ 総Blog数:690件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2005/02/08のBlog
最近年甲斐もなくジオラマを作ってみたくなり、この度作ってみました。
といっても、自分でやったのは人形とアクセサリの塗装だけ。
ジオラマ本体はDDFのぷちらまコンバット、大砲と車両はタカラのワールドタンクミュージアムをそのまま使っただけです。
このスケールだと、実にお手軽にジオラマが作れます。
ローアングルから接写すると、意外にも迫力がありました。
ハンス君です。
年齢30歳。
身長11mm。




働いてます。

人形の服がてかってしまいました。
タミヤカラーのフィールドグレーにはたっぷりフラットベースを仕込まないといけないようです。



サボってます。




ジオラマの建物の窓越しに、88ミリ砲の装填手を撮影。
手に持っている砲弾はシャーペンの芯です。

色々撮っていると、ジオラマの中に入り込んだようで、結構面白かったです。




2005/02/05のBlog
紫禁城。
元、明、清時代の皇居。
画像は協和門から見た広場の景色で、左は午門、中央は金水橋、右は太和門。

午門は紫禁城の正門で、中央3つの入口のうち真中は皇帝しか通れない。例外のひとつが科挙の成績上位3名で、最終試験の後ここから退出できた。さぞかし鼻が高かっただろう。上部の左右の楼閣は鼓楼と鐘楼。中央の楼閣は皇帝の閲兵用。

金水橋は金水河という川の上にかかった玉石でできた橋。5本の橋があり真中の大きい橋が皇帝専用。

太和門は、即位式や科挙合格者の謁見等、公的な式典を執り行う場所。門の前には一対の青銅獅子が置かれている。明代には皇帝を迎えての役人の朝礼が行なわれたらしいが、遅れたり倒れたりするとムチで叩かれて死者も出たそうだ。俺なんか小学校の朝礼でよく気分が悪くなったから登庁初日で即死だろうな。恐ろしい・・・。

太和門を潜った先には、巨大な太和殿、中和殿、保和殿と続いて、ようやく内廷と呼ばれる皇帝の居所や後宮にたどり着く。

とにかく何もかもスケールの大きいところです。



夜の天安門広場。
2005/01/10のBlog
[ 22:33 ] [ 楽しい首都圏ハイキング ]
大げさなタイトルですが、私の隠れ癒されスポットです。
一瞬ここが横浜市内か、と思えるような場所です。
自宅からハイキングコースを歩く事一時間半でこの場所に着きます。
大抵の市民の森は車の騒音が容赦なく入ってきますが、ここは尾根に囲まれていて鳥のさえずりと小川のせせらぎしか聞こえません。
森林浴の効果もさることながら、ここで読書すると本の内容が頭に染み込むように入ります。


元日は雪が覆っていました。





蛇足。
中々blogの更新ができませんが、
現在ネタだけは180件分あります。
山行記録をメインに、国内旅行、ゲームのリプレイ、その他新企画などなど。
作成時間がありませんが、2年位かけてUPする予定。

2005/01/03のBlog
引き続き、敦煌のパノラマです。
敦煌北西の漢の長城から南側を見たところです。
背中側に漢の長城があります。
何と言うか、ただの荒野なんですが・・・。
見渡す限りの荒野というのも、ある意味インパクトがありました。


敦煌莫高窟の駐車場から見た、職人住居?です。






鳴沙山です。
写真がうまく繋がっていませんが・・・。
観光客は、右端のラクダ乗り場からラクダに乗って、
月牙泉にトコトコ向います。

2005/01/01のBlog
Nスペ便乗記事です。
画像は敦煌郊外の陽関の烽火台近くの東屋からの眺めですが、
左端(南)の緑は南湖という集落。
中央(西)はシルクロードの遺物が転がる古薫砂漠。
右端(北)は陽関博物館。
通常のサイズに伸ばして見てください。



2004/12/16のBlog
5.バルジの戦い
出版社:翔企画/国際通信社
期間:12/16~12/26
地図の範囲:アルデンヌ地方
ユニットの基本的な規模:師団
1ヘクス=?キロ
プレイヤーが交互に1ユニットずつ動かす将棋のようなゲーム。
隣接されるとZOCを失ったり、マストアタックだったり、道路上の自軍ユニットを追い越す時に道路移動できないなど、かなり頭を使いそうな印象。ゲームとしては面白そうだ。
一段目は、第1SS装甲師団。
二段目は、第150装甲擲弾兵旅団。
三段目は、第101空挺師団。
ハイテはなし。
6.バルジ
出版社:SPI/HJ
期間:12/16~1/2
地図の範囲:アルデンヌ地方
ユニットの基本的な規模:師団
1ヘクス=8キロ
ミニゲームゆえか勝敗はサイコロの出目次第らしい(違っていたらごめんなさい)。
一段目は、第1SS装甲師団。
二段目は、第150装甲旅団。
三段目は、ハイテ空挺連隊。
四段目は、第101空挺師団。

7.セカンド・フロント
出版社:GRD
期間:1943年7月~1945年5月
地図の範囲:フランス、ドイツ、イタリア
ユニットの基本的な規模:陸軍=師団、空軍=航空隊(40機)、海軍=巡洋艦以上は1隻・駆逐艦以下は小艦隊
1ヘクス=16マイル
第二次大戦のヨーロッパ、北アフリカ、中近東を2万個以上のユニットと70×50cmのマップ40枚で再現しようというヨーロッパシリーズの中の1作。海空軍のルールも充実している(このゲームシステムの太平洋戦争版もあり、中国大陸のマップはとにかく大きい)。また戦闘序列の細かさには目を見張る。
ただし史実に照らして説得力のあるゲーム展開にならないらしく、今は日本ではあまり人気がない。アメリカでは何故か人気がある。
このゲームにはアルデンヌの戦いのシナリオがあるわけではなく、アルデンヌの戦いが起こるかどうかはプレイヤー次第。ヨーロッパシリーズの専門誌、「ヨーロッパ」67号にはバルジの戦いのシナリオとマップが掲載されている。
一段目は、第1SS装甲師団。左端が師団ユニット、右側がその分割ユニット(このゲームの師団ユニットは司令部と各連隊に分割できる)。
二段目は、第150装甲コマンド旅団。
三段目は、ハイテ空挺連隊とジェット戦闘機隊(Me262A1)、ジェット地上攻撃機隊(Me262A2)。
四段目は、第101空挺師団とその分割ユニット。

8.フォートレス・ヨーロッパ
出版社:AH/JEDKO/国際通信社
期間:1944年6月~1945年5月
地図の範囲:フランス、ドイツ
ユニットの基本的な規模:師団
1ヘクス=?キロ
フランス上陸からライン渡河までの西部戦線を描く。
これもアルデンヌの戦いのシナリオはなくプレイヤー次第。ただし「装甲予備」ルールによりドイツ装甲軍のサプライズアタックが再現できる。
一段目は、第1SS装甲師団。
二段目は、第150装甲旅団。
三段目は、ハイテ空挺連隊。
四段目は、第101空挺師団。

9.ラインへの道
出版社:GDW
期間:1944年9月~1945年4月
地図の範囲:フランス東部、ドイツ西部
ユニットの基本的な規模:陸軍=師団、空軍=航空団
1ヘクス=7マイル
マーケットガーデン作戦からライン渡河までを扱う。自動車化されたユニットや航空機が行動する為には機動補給(=燃料)が必要で、豊富な連合軍と疲弊したドイツ軍の違いがくっきりと浮かび上がる。
アルデンヌの戦いのシナリオがあるので、西部戦線全体の中でのこの戦いの位置付けがわかる。デザイナーズノートには「ゲームで観る戦史」として、アルデンヌの戦いの実際の推移をゲームで再現する記事があり、歴史ファンとしては嬉しい。
一段目は、第1SS装甲師団。
二段目は、第150装甲旅団。
三段目は、ハイテ空挺連隊。
四段目は、第101空挺師団。

2004/12/14のBlog
12月16日はアルデンヌの戦い(通称バルジの戦い)開始から丁度60年目。
そこで普段積んどくの、バルジゲームを押し入れから出して眺めてみた。
別にこのテーマを狙って買った訳ではないのに、人気テーマだけあって沢山見つかった。
1.ヒトラーズ・ラスト・ギャンブル
出版社:3W/ヨシカワデザイン
期間:12/16~1/2
地図の範囲:アルデンヌ地方
ユニットの基本的な規模:連隊
1ヘクス=3.2キロ
現在最も完成度の高いバルジゲームらしい。リサーチや、ゲームの展開の面で。
画像の地図はアメリカ101空挺師団が立て篭もったバストーニュ周辺(以下のゲームも同じ)。バストーニュのすぐ上の森は、テレビシリーズ「バンド・オブ・ブラザーズ」第6話の舞台になったボア・ジャックの森。その右上のFOYは第7話の舞台になった集落。
ユニットは、上から一段目がパイパー戦闘団の所属する第1SS装甲師団。各ユニットの上には戦闘団の名前が、シルエットは装備していた車両の機種を表す(戦闘にも影響する)。パイパー戦闘団は左端の2ユニットで、それぞれⅣ号戦車、パンテルを装備。
二、三段目は、アメリカ軍に偽装したスコルツェニーの特殊部隊。左端が第150装甲旅団。その他はアインハルト・シュタイロウと呼ばれる米軍ジープに乗ったドイツ軍。
四段目は、ハイテの空挺大隊とジェット戦闘機ME-262。
五段目は、アメリカ101空挺師団。

2.ウェイブ・オブ・テラー
出版社:XTR/国際通信社
期間:12/16~1/1
地図の範囲:アルデンヌ地方
ユニットの基本的な規模:大隊
1ヘクス=1.5マイル
ユニットの規模が大隊なので、各師団の編成の違いがよくわかる。ユニット数は多いがルールはシンプル。
一段目は、第1SS装甲師団。
二段目は、第150装甲擲弾兵旅団。
三、四段目は、第101空挺師団。
ハイテはいない。

3.アルデンヌの戦い
出版社:SPI/TSR
期間:12/16~1/2
地図の範囲:アルデンヌ地方
ユニットの基本的な規模:連隊
1ヘクス=3.2キロ
時代を感じさせるマップデザイン。
一段目は、第1SS装甲師団。パイパーは左端。
二段目は、第150装甲旅団。
三段目は、ハイテ空挺連隊。
四段目は、第101空挺師団。


4.バルジ大作戦
出版社:エポック/国際通信社
期間:12/16~12/28
地図の範囲:アルデンヌ地方
ユニットの基本的な規模:連隊
1ヘクス=3.3キロ
純国産のバルジゲーム。
ユニットの数値は判で押したようだが、マップデザインのセンスは一番良いと思う。
一段目は、第1SS装甲師団。
二段目は、第150装甲擲弾兵旅団と偽装コマンド部隊。
三段目は、ハイテ空挺旅団。
四段目は、第101空挺師団。
2004/12/12のBlog
[ 23:29 ] [ 楽しい首都圏ハイキング ]
神奈川県湯河原町の幕山に行って来ました。
平家に追われた源頼朝が逃れた山です。
標高620m。
頂上からは真鶴半島が良く見えます。


頂上で恒例のうどん作り。
冷える冬のアウトドアでは欠かせません。
今年はなんとニンニク5個をスライスして
きしめんと一緒に煮込むという
名古屋人もビックリのニンニクきしめんを作りました。
予想外の出来事で、作っている時は皆あっけにとられていましたが、
薄味の関西風スープと不思議に違和感がなく、
食べ尽くしてしまったのでした。

幕山頂上を後にして
南郷山を目指す。


南郷山(610.9m)の登りはメチャクチャ急。
ニンニク臭い息を弾ませながら
登ったのでした。

雨が降りそうだった天気も何とか持ちこたえて
楽しい山行でした。

2004/12/07のBlog
[ 20:21 ] [ マルコポーロ情報 ]
少ないですが、手持ちのマルコポーロ関連商品を並べてみました。

書籍
マルコポーロと言えば、東方見聞録を外す訳にはいかない。というかこれがマルコポーロの全て。他は邪道。
画像の左2冊は平凡社ライブラリー刊「完訳・東方見聞録(Ⅰ・Ⅱ)」。
詳細な注釈がとにかく嬉しい。東方見聞録に出てくる地名は、マルコポーロが自分の耳で捉えた音をそのまま標記しているので、現在のどの場所を指すのかわからない事が多い。しかしこの本は場所の特定に当っての諸説、推測をその理由と共に丁寧に解説してくれている。また時代背景の説明も詳しい。
右端は新評論刊「ヴェネツィアの冒険家・マルコポーロ伝」。
東方見聞録に出てこない当時のベネチアの様子が詳しい。


写真集
左上:日経ナショナルジオグラフィック社刊「再見マルコ・ポーロ 東方見聞録」。
マルコポーロが旅した全行程!を忠実に辿った写真集。仕事とは言え、会社の金でこんな大旅行ができるなんて羨ましい限りだ・・・。北部同盟を頼って内戦下のアフガニスタンにまで乗り込んでいる。著者のマイケル・ヤマシタ氏の講演会があったので行って見たが、本人はメキシコの酒場にでも居そうな、ニコニコした赤ら顔のおじさんでした。
右中:HONGKONG CHINA TOURISM PRESS刊 「Tracing Marco Polo's Northern Route」。
敦煌で手に入れた品。これもマルコポーロの行程を辿ったルポ。中国シルクロード限定ながら前記の本より細かく現地の様子を紹介しており写真数も多い。
左下:デアゴスティーニ・ジャパン刊「週間100人・マルコポーロ」。
マルコポーロに関する情報を手際よくまとめている。



マンガ
潮出版社刊「カラモランの大空」。
潮出版社と言えば横山光輝の三国志。重厚な作品を期待したが、かるーいマルコポーロでした。まだほとんど読んでいないがキリスト教ネストリウス派を登場させるなど新鮮な切り口でマルコポーロの旅を描いているのが印象的だった。

ビデオ
株式会社にっかつ「マルコ・ポーロ シルクロードの冒険」。
1982年にTBSで放映された米伊日中合作のテレビ映画のビデオ版。TV版よりかなり長い。
正確な時代再現に巨費と時間をかけている。13世紀フェチにはたまらんでしょう。
当時珍しかった中国ロケ(紫禁城、頤和園、円明園、万里の長城、承徳山荘、内モンゴル等)の迫力ある映像が良い。
出演者も多国籍に渡っており、ブレイク前の石田純一が出ていた。
マルコポーロの描き方はまあ美化されています。


サントラ
全て上記映画のサントラ。エンニオ・モリコーネの哀愁を帯びた曲が美しい。
上:LP盤。20曲。
左下:ブート盤CD。内容はLPと同じだが音はイマイチ。
右下:今年発売された正規盤CD。36曲。なぜ放映後20年も経って豪華2枚組CDが発売されたのか謎。以前から欲しかっただけに嬉しい限りだが。

以上の品々はほとんどヤフオクなどインターネットで入手したものばかり。インターネットを使わなければ存在すら知らなかったと思われる。使う使わないで人生変わりますなあ。


2004/08/26のBlog
[ 23:59 ] [ 青島(山東省) ]
6:00起床。天気は曇り。洗濯物はまだ乾いていない。
8:22、ホテルのレストランでバイキングの朝食。料理の種類が多く、パン9種、お粥3種、フルーツ5種、その他洋、中華中心で30種程。中で珍しかったのが揚げた春雨のような物の中にイモアンが入った物。
8:55、会社に電話する。時差がある事を忘れ1時間遅れで掛けてしまった。
9:00、セーフティボックスに貴重品を預けて観光に出発。気温28度、蒸し暑い。この付近で1時間程度で行ける所として植民地時代の別荘地、八大関景区を選ぶ。一人で行動するので人通りの少ない場所を避け、香港西路という大通りを西に歩く。途中正陽関路に入り更に紫荊関路を通って海の方向に進む。
9:24、第1目標の花石楼に着いた。石造りの塔が美しいかつての蒋介石の別荘だ。雰囲気は神戸の異人館めぐり。冷たい飲み物の露店が2つ3つ並んでいる。入場料は3元だが時間がないので入らず。
次に公主楼(旧デンマーク公使令嬢の住居)を目指す。緑の木々と芝生の公園周辺をうろうろするが中々見つからない。
塔がついた水色の建物がそれらしいので一応見たことにして帰路に着く。
途中厳重な警備の建物があったが後で八大関賓館(国賓を迎える高級ホテル)だと知る。
第二海水浴場沿いの山海関路を通って花石楼に戻る。そのまま海沿いの黄海路を歩くとやがて開けた砂浜に出る。潮風が心地良い。西側に東海飯店のある岬に建つ高層マンションが見えた。
更に海沿いの太平角一路を歩くと、洋風建築の別荘が立ち並ぶ地区に入る。今も人が住んでいるのでジロジロ見るのは気が引けたが、中々綺麗な場所だ。
10:15、第一海水浴場に着く。波打ち際で遊んでいる人が幾らかいるが平日のせいか疎らだ。貸し水着屋というのがあった。
ここからは東側に連なる高層ビル群の眺めが実に見事だ。また近くのレストラン?では白い礼服に身を包んだ新郎が結婚式に臨もうとしている姿が見られ、ちょっとすがすがしい気分になった。遥か北の丘の上には湛山寺やテレビ塔が望めたがさすがにもう観光する時間がない。
10:35、ホテルの自室に戻ってテレビを見ながら横になる。洗濯物はまだ乾いていなかった。敦煌とは大違いだ。
11:30、チェックアウトして出発。空港に向う。
12:23、青島流亭国際空港着。搭乗ロビーで職場向けの栗羊羹を買う。
14:13、NH158便離陸。上空から青島中心部の入り組んだ海岸線が良く見える。岬に建つ高層マンションがひときわ高くそびえていた。遠くに勞山、サッカースタジアム。
やがて分厚い雲が覆って景色が見えなくなり同時に眠気が襲う。高空まで発達した雲により激しいゆれ。無事帰国の途に着いた事を祝って機内食のワインで一人乾杯。
17:10、関空に着陸。関空を利用するのは初めて。予約した羽田行きは21:10搭乗。随分遅いがこれより前の便は昨日の情報では予約一杯だったのだ。で暇で仕方が無いので空港ビル内に何か珍しい物はないかとうろつくが、食べ物屋とみやげ物屋など普通の店舗があるだけ。この時間に前の便でキャンセルが出ていないか確認すればよかったのに全然頭が回らず。とりあえず折角大阪の近くなんだからとガンコ寿司を食べる。
本屋を見つけたのでずっと立ち読み。岳人9月号は冒険心をそそる「山上の桃源郷」企画。5年程前に北アルプス1/25000の地図を見て憧れていた、赤牛岳と薬師岳の間にある薬師見平という平地を訪れた記録が載っていた。登山道がないので訪れるには相当の技術力が必要、でも山上の楽園、高天原や夢ノ平に近く、きっと綺麗な場所だろうなと夢に想い描いていた。こうして写真で見るとやっぱり綺麗な所だがなんか見ないほうが夢があってよかった気もする。
21:30、関空を離陸。
22:25、羽田着。家に着いたのは25:30。明日はスーツケースを返さなきゃいけないのでもう一仕事。会社にまともに行けるんだろうか?

敦煌は想像以上に素晴らしい所だった。砂漠やシルクロードの雰囲気を手軽に味わいたい人には絶対お勧めである。最初期待していなかった莫高窟は、荒涼とした砂漠の中に忽然と現れた美術館さながらで仏様の安らかな顔は心に潤いを与えてくれる。見てよかったとつくづく思う。できれば特別窟も見たほうがいい。特別料金を払うだけの価値は十分にある。また通常のツアーならば西安とパックになっているので、一層満足感の大きいツアーになるだろう。
今回延泊した分の宿泊代、食事代等は全て海外旅行保険でカバーできた。今回のように中国国内を乗り継ぎで帰国する場合、病気や盗難よりも航空機遅延の特約の方がメリットが大きいのではないかと思った。現地ガイドはこのような保険の為の遅延証明の取得について、一切アドバイスはなく残念であった。現地ガイドとは観光と宿泊のみのサポート要員なのだろうか。
鳴沙山で履いていた靴下はもう何回も洗濯したが、未だに履く時に砂が零れ落ちる。その瞬間が何となく嬉しい今日この頃である。
2004/08/25のBlog
[ 23:49 ] [ 青島(山東省) ]
6:00起床。今日は帰るだけの日である。天気は曇り。窓から西安城の城壁が見渡せた。
7:10、1階のカフェインザパークで洋食バイキングの朝食。
7:33、チェックアウトを済ませてホテルを出発。空港に向う。西安の街は丁度ラッシュアワーが始まるところ。今日が平日だった事を思い出す。
途中古代の陵墓が散在している。西安近郊は未発掘の陵墓が無数にあり、中には歴史を塗り替えるようなお宝もあるかもしれない。ただ発掘すると布や紙はたちまち炭化してしまい、うかつに発掘できない。
8:25、西安咸陽国際空港着。空港使用料50元を払う。国内線で青島へ。青島から国際線で成田に向う。ガイドのCさん、Gさんと別れ搭乗ロビーに入る。みやげ物屋で三国志のチョコレート80元を買う。ところが同じフロアの別の店に入ったら60元で売られていてショック。
9:20、搭乗時間を過ぎても案内がない。出発時刻のモニターを見てもMU289の便名がない。何回も目を凝らす。搭乗口の前に中国語のホワイトボードがありよくわからないが天候不順で出発が遅れるらしい。
少し待ってみるが搭乗開始の気配まるでなし。国際線への乗り継ぎの都合もあるので近くの空港係員に聞いてみるがLateと言うばかり。国内線ロビーなので日本語がわかる係員がいない。埒があかずツアー会社の現地事務所に電話して空港に確認してもらう事にした。
中国の公衆電話で初めて電話する。ICカードを入れるが壊れているのか中々通じない。空港係員を捕まえて電話を掛けてもらうがやはりダメで匙を投げられた。10台ある電話のうちやっと通じる電話を探して事務所に電話した。
10分後、10:50に出発予定である事が判明。国際線は13:40発なのでぎりぎりだ。現地事務所は空港に圧力をかけて飛行機を引き止めますから、と言っていたらしいが・・・。
10:50間際になったが未だに搭乗の気配なし。中国東方航空のカウンターにて再確認する。言葉が通じず係員もイライラ。やっと11:30出発だとの答え。これでは予定の国際線に間に合わないので、ツアー会社の現地事務所に電話して今日中に帰れるよう別の便を手配してくれるように依頼。11:30が迫るが搭乗案内なし。
11:30、いきなり搭乗開始。今回のツアーで初めて窓際の席。ほっとして座り込む。
12:03に離陸した。機内食はパンと、イカとニンジンとセロリのマリネ。雲海の上を飛ぶ。雲海を見ていると鳴沙山の砂丘を思い出す。青島が近づくと海と密集したレンガ色の建物が見える。
13:35、青島流亭国際空港着。当初乗る予定だった国際線が入れ違いに飛び立つのが見えた。到着ロビーで待っていた現地ガイドに今日の帰りの便はどうなるのか訪ねると、今日は帰れないとの意外な答え。明日の午後の便になるという。抗議すると、今日のこれ以降の便は他の航空会社になるので運賃は自腹になるという。明日の便ならば無償で用意すると。
パッケージツアーならば日本に帰るまでの費用は全額主催会社持ちだと思い込んでいたが、旅行条件書を読み返すと確かに、旅行会社は天災の場合の損害に対して責任は負わない、とある。結局今日は青島で一泊して、明日関空経由で羽田に向う事になった。航空会社の人に来てもらいチケット交換の手続きをする。
15:20、空港発。空港近くの宿はないそうで1時間程かけて青島市内に向う。途中、道教の聖山、勞山の険しい峰々が見える。景観保護の為だろうか家の屋根は全てレンガ色で統一されていて美しい。青島はドイツの植民地、次いで日本の植民地になった所だ。
16:17、ホテル海天大酒店に着く。宿泊代はサービス料込みで558元。何故か値段表に書いてある料金より全然安い。
ガイドから明日の予定等色々聞いた後部屋に入る。ポーターにチップ5元を払おうとすると何故か拒否する。余りに少なすぎて頂けませんという事だった。西安のホテルでは感謝の言葉と共に受け取っていたのに。10元渡すと受け取った。
部屋の中は何故か油臭かった。部屋からは南側の海と東側の香港中路に連なるビルが見えた。西洋風の建物が多く敦煌や西安とは全く違う雰囲気の街だ。
18:06、他のツアー客らと夕食の為外出する。近くに天天漁港酒家という餃子の店があったので入ってみる。ところが餃子が全く見当たらず、様々な中華料理のサンプルと奥の方に魚が入った水槽が並んでいる。
今まで食事はガイドにお任せだったので、どう注文するのかよくわからない。ましてや水槽の前に案内されて、どうぞ好きな魚を選べと言われても、調理方法を指示できるはずもなく、早々に水槽前から立ち去った。
注文方法だが、サンプルに値段が書いてあるので好きなものを選んで店員に言えばよいとわかった。サンプルは3、4人前位の大皿で一つ約20元~35元。幾らなんでもこの大皿1つがこの値段じゃないよなあ、という事で皆この値段は一人前だと信じて疑う者なく、一人一皿注文する事にした。
注文を終えようやくテーブルに着いたが、言葉がうまく通じずお茶が出ずに水が出た。
頼んだ料理が来た。イカ、玉ねぎ、ピーマン、赤ピーマン、唐辛子の炒め物、セロリ、とうがん、きくらげ、ギンナン、人参、ゆりね、マッシュルームの炒め物、海老が埋め込まれた豆腐に葱がのせてある料理、私が頼んだ料理は見た目炒飯だと思ったら、卵白と海老とコーンを炒めたものだった。私の失態で炭水化物が異様に少ない夕食になってしまった。だが自分で苦労して注文した事もあり、味は満足出来た。
隣のテーブルを見ると餃子の山。餃子は当り前すぎてサンプルが無かったのだろう。そろそろ出ようかと言う事で勘定を頼むと、全部で112元だった。あの値段は大皿1枚の値段だったのだ。この味と量でこの安さに感動。それならもっと注文すればよかったと後悔。
19:10、外に出ると既に暗くなっていた。青島は経度が北京に近いので時差が少なく、日本と同じ時間感覚で過ごせる。
ホテルについた後、公衆電話から家に電話しようと四苦八苦。何故かICカードで国際電話がかけられないのだ。仕方なくクレジットカード払いのオペレータ通話で電話する。
19:40、部屋に戻る。明日空港に行くまで午前中暇なので近場の観光計画を練る。21時過ぎ頃、「マッサージドウデスカ?」の電話。明日着る物がないので洗濯する。今日は観光はしていないが疲れた。23:00に寝た。
2004/08/24のBlog
7:30起床。昨日と同様早朝は雨、後曇り。今日は敦煌を離れ西安に向う。今回のツアーは敦煌がメインなので西安はおまけなのだが、おまけと言うには存在感ありすぎの兵馬俑坑が待っている。
8:30、レストランにて食事、その後チェックアウト、両替、9:02にホテルを出発。敦煌の景色もこれが最後、車窓から目を凝らす。
9:20、敦煌空港 40 09' 53.47"N 94 48' 05.58"E 着。来た時は真っ暗で見えなかった空港周辺の景色を初めて見た。と言っても広場があるだけ。空港使用料50元を払い9:35に入場、現地ガイドのJさんと別れる。明るい性格の良いガイドだった。
搭乗時間まで40分あるので狭い搭乗ロビー内のみやげ物屋を行ったり来たり。1袋20元のドライフルーツを買う。
10:20、MU2503便に搭乗。滑走路を歩くと空港の建物以外何も無い大平原。二日目のゴビ灘を彷彿とさせる。
10:52、機内食。辛い味付けの鶏の唐揚とご飯、ソーセージの入ったパンと菓子パン。
12:27、西安咸陽国際空港着。こちらは雨だった。空港の外に出ると日本の夏を思わせるような蒸し暑さ。敦煌の乾いた空気が懐かしい。現地ガイドのGさんに会い、12:48出発。
13:01、机場賓館餐庁にて昼食。機内食を食べたばかりだが食べなきゃもったいない。トマトと卵の炒め物、瓜とハムを炒めた物、小豆とふきを炒めた物、マーボー豆腐、挽肉と玉ねぎの炒め物、チンゲン菜の炒め物、とうがんと挽肉の炒め物、鶏肉の醤油煮、中華ソバ、ご飯、スイカ。いつもの事だがご飯は人気が無い。贅沢な話だが日本のコメより味が落ちぼそぼそしていて食欲をそそらないので誰も箸をつけない。
13:42出発。西安郊外の兵馬俑坑まで高速道路を走る。Gさんから西安の概要説明。7、8月は雨がやや多いそうだ。道の両側はとうもろこし畑。昔の宮殿のような大掛かりな建物があったが漢の皇帝の陵墓だそうだ。
14:37、兵馬俑坑 34 23' 08.40"N 109 17' 47.53"E 近くの駐車場着。ここから入口まで延々と歩く。世界遺産になって色々制約があるのか兵馬俑坑の周囲が広大な緑地になっており車は近づけない。広場にみやげ物の露店が建ち並んでいた。
14:51、入口着。兵馬俑坑は秦始皇帝の陵墓を守る兵士の実物大の焼き物が発掘された場所で、一号坑、二号坑、三号坑、銅車馬展覧館から成り立っている。世界でも屈指の遺跡なので観光客の顔ぶれも欧米はもとより中近東やインドから来ているような人もいて多彩だ。いまや始皇帝は兵馬俑坑によって中国のみ