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2005/05/19のBlog
[ 17:38 ]
[ 社会 ]
メール無差別大量配信「スパムメール」を初摘発
これによると、大阪市西区南堀江、アダルトサイト会社経営者が有線電気通信法違反(有線電気通信の妨害)の疑いで逮捕。いわゆる「出会い系サイト」宣伝による初の御用という。
私がそろそろネットや携帯も免許制度にしたら?に書いた通りのお話であった。
一方、朝日新聞記事:
「病気だから捕まらない」 小林容疑者、監禁中に話す
アダルトゲーム千点押収 少女監禁事件の小林容疑者宅
などによれば、この人物が所有していたアダルトゲームソフトの数は約1000点という。
これまた、私が”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術で書いたことがまったく事実であったことが分かったであろう。私は以下のように書いていた。
『まず、”性犯罪者探し”を考えてみよう。頻度分析を行うためには性犯罪者と非常に相関のある”何か”を指標として探し出さなくてはならない。そこで例えば過去に逮捕された性犯罪者のデータから特有の”傾向”を見つけるのである。
例えば、児童ポルノの雑誌やビデオ等の所有数、そういったもののビデオ店からのレンタル数、インターネットのアクセス数などを調べるのである。
すると当然性犯罪者からその予備軍、そして普通人と比較すれば、ある傾向が発見できるはずである。これが頻度分析である。例えば、性犯罪者の家には無数の児童ポルノのビデオ等があたり一面に保管されているはずである。一方、普通人はほとんど持っていないであろう。この頻度分布が一つのスペクトルを与えることになる。
そして今度は実際に性犯罪者の特定に使う。つまり一般人の中で異様に無数の児童ポルノのビデオ等の所有数の多い人物を探すのである。するとこの集団の中に犯人がいる確率が非常に高くなるということである。』
性犯罪者に限らないが、何か突出した”傾向”を持った人物は、その筋のコレクションが普通人の1000倍以上であるということである。
物理学者であれば、普通人の1000倍、つまり1000册ほど物理や数学の本を所有しているはずである。事実、私自身がそうである。同様に、生物学者であれば、生物関連の本を1000册程度持っているはずである。軍事専門家であれば、軍事関連の本や雑誌を1000冊程度持っているはずである。サッカー選手であれば、サッカー関連の本を1000册近く持っているはずである。芸能人の誰かのファンであれば、その人の雑誌や写真集をたくさん持っているはずである。
こうした傾向が犯罪者にも見られる、ということである。パンチラ、いわゆる盗撮犯罪者であれば、こういった雑誌や写真などを1000以上持っているはずである。
私のこれまでの知識では、専門家(犯罪者も犯罪の専門家のようなもの)と普通人の知識量の差は1000倍以上である、ということである。これは、1日1冊の本の知識量とすれば、1年で365冊であるので、およそ3年分の読書量にあたる。つまり、専門家と素人とは単純に見積もっても、3年以上の経験の差があるということである。
ある犯罪者(予備軍)が、児童ポルノビデオを毎日1本見るとすれば、この人物が1000本見るには、約3年かかることになる。この程度見ていると脳みそがこれでフルになり、いつでも犯罪に走る準備完了となる、というわけである。だから、性犯罪者の場合には、早くそうしたデータを集めて、未然に予防する必要があるのである。
犯罪者と専門家の違いがあるとすれば、その向きが逆であるということである。社会にとって役立つ方向に向かっているか、あるいは社会に損害を与える方向に向かっているの違いであるといえる。やっていることはそれほど違いは無いと言えるかも知れない。なぜなら、専門家も犯罪者も”何かにとりつかれている”という面では全く同じだからである。
職業上のプロという人々も、犯罪者も、人間の質としては、どちらも似た人間であるのである。だから、時にこの両者を重ねたような人物が現れるのであろう。大学教授で犯罪者というような人物である。
以上から、やはり児童ポルノビデオやエロビデオ、犯罪ビデオ、あるいはこうしたもののゲーム版など、こういったものは簡単には出版できないように制限すべきであろう。適当にシャドウマスクで陰部を消して済むというようなものではないのである。制作者にやはりその責任の一端はあるのである。もし制作者側がそれを”表現の自由”というのであれば、詭弁の一種である。そのために犯罪の犠牲となって命を失った遺族の声を聞いてみるべきだろう。
もし、JR西日本の社長が、『ダイヤを改善するもしないもこれはJR西日本の”表現の自由”である”』と言ったとしたら、あの事故の被害者や遺族やマンション住民達はどう思うだろうか?
わざわざ犯罪を誘発するための”表現の自由”というものは、この世には存在しない、のである。私はそう思うネ。
これによると、大阪市西区南堀江、アダルトサイト会社経営者が有線電気通信法違反(有線電気通信の妨害)の疑いで逮捕。いわゆる「出会い系サイト」宣伝による初の御用という。
私がそろそろネットや携帯も免許制度にしたら?に書いた通りのお話であった。
一方、朝日新聞記事:
「病気だから捕まらない」 小林容疑者、監禁中に話す
アダルトゲーム千点押収 少女監禁事件の小林容疑者宅
などによれば、この人物が所有していたアダルトゲームソフトの数は約1000点という。
これまた、私が”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術で書いたことがまったく事実であったことが分かったであろう。私は以下のように書いていた。
『まず、”性犯罪者探し”を考えてみよう。頻度分析を行うためには性犯罪者と非常に相関のある”何か”を指標として探し出さなくてはならない。そこで例えば過去に逮捕された性犯罪者のデータから特有の”傾向”を見つけるのである。
例えば、児童ポルノの雑誌やビデオ等の所有数、そういったもののビデオ店からのレンタル数、インターネットのアクセス数などを調べるのである。
すると当然性犯罪者からその予備軍、そして普通人と比較すれば、ある傾向が発見できるはずである。これが頻度分析である。例えば、性犯罪者の家には無数の児童ポルノのビデオ等があたり一面に保管されているはずである。一方、普通人はほとんど持っていないであろう。この頻度分布が一つのスペクトルを与えることになる。
そして今度は実際に性犯罪者の特定に使う。つまり一般人の中で異様に無数の児童ポルノのビデオ等の所有数の多い人物を探すのである。するとこの集団の中に犯人がいる確率が非常に高くなるということである。』
性犯罪者に限らないが、何か突出した”傾向”を持った人物は、その筋のコレクションが普通人の1000倍以上であるということである。
物理学者であれば、普通人の1000倍、つまり1000册ほど物理や数学の本を所有しているはずである。事実、私自身がそうである。同様に、生物学者であれば、生物関連の本を1000册程度持っているはずである。軍事専門家であれば、軍事関連の本や雑誌を1000冊程度持っているはずである。サッカー選手であれば、サッカー関連の本を1000册近く持っているはずである。芸能人の誰かのファンであれば、その人の雑誌や写真集をたくさん持っているはずである。
こうした傾向が犯罪者にも見られる、ということである。パンチラ、いわゆる盗撮犯罪者であれば、こういった雑誌や写真などを1000以上持っているはずである。
私のこれまでの知識では、専門家(犯罪者も犯罪の専門家のようなもの)と普通人の知識量の差は1000倍以上である、ということである。これは、1日1冊の本の知識量とすれば、1年で365冊であるので、およそ3年分の読書量にあたる。つまり、専門家と素人とは単純に見積もっても、3年以上の経験の差があるということである。
ある犯罪者(予備軍)が、児童ポルノビデオを毎日1本見るとすれば、この人物が1000本見るには、約3年かかることになる。この程度見ていると脳みそがこれでフルになり、いつでも犯罪に走る準備完了となる、というわけである。だから、性犯罪者の場合には、早くそうしたデータを集めて、未然に予防する必要があるのである。
犯罪者と専門家の違いがあるとすれば、その向きが逆であるということである。社会にとって役立つ方向に向かっているか、あるいは社会に損害を与える方向に向かっているの違いであるといえる。やっていることはそれほど違いは無いと言えるかも知れない。なぜなら、専門家も犯罪者も”何かにとりつかれている”という面では全く同じだからである。
職業上のプロという人々も、犯罪者も、人間の質としては、どちらも似た人間であるのである。だから、時にこの両者を重ねたような人物が現れるのであろう。大学教授で犯罪者というような人物である。
以上から、やはり児童ポルノビデオやエロビデオ、犯罪ビデオ、あるいはこうしたもののゲーム版など、こういったものは簡単には出版できないように制限すべきであろう。適当にシャドウマスクで陰部を消して済むというようなものではないのである。制作者にやはりその責任の一端はあるのである。もし制作者側がそれを”表現の自由”というのであれば、詭弁の一種である。そのために犯罪の犠牲となって命を失った遺族の声を聞いてみるべきだろう。
もし、JR西日本の社長が、『ダイヤを改善するもしないもこれはJR西日本の”表現の自由”である”』と言ったとしたら、あの事故の被害者や遺族やマンション住民達はどう思うだろうか?
わざわざ犯罪を誘発するための”表現の自由”というものは、この世には存在しない、のである。私はそう思うネ。
2005/05/18のBlog
[ 09:44 ]
[ 社会 ]
先に”親の気持ちマスコミ知らず”に
『もっとも今年の長者番付1位は文系の金融関係の会社員(成果主義で「100億円長者」納税1位に)であったように、いわゆる”マネタリスト”(拝金主義者)や”マテアリズミスト”(拝物主義者)という、新手の”恐竜”が地球上を闊歩する時代となったようである。』
と書いたが、どうしてこうなってしまったのであろうか?
実は、これがかつてバックミンスター・フラーが著書『クリティカル・パス』の中で”貪欲な法律家資本主義”と呼んでいたものである。要するに、お金が余りに余っているから金融業が蔓延るのである。(『フラーとカウフマンの世界』にも解説してある。)
その昔、人類は”狩猟”生活で始まった。物資が足りなければ、人は食うや食わずの状態に陥る。それが定住生活のために物資が余り、土地を所有するようになった。すると土地の”広さ”は物資生産の”量”を意味するようになった。そして余った物資(牛や米)が通貨となったわけである。これが”農産物資本主義”である。
素手や木の農作機具で行っていた農作業が金属でできるようになると、鉄器文明となり、金属文明となった。金属工具の使用が農産物の生産性を高める。したがって、金属の”量”は農産物の”量”を意味するようになった。そして米や牛の通貨の代わりに金(ゴールド)を使うようになる。そして、土地と金属(金)の交換が行われるようになった。つまり、土地を担保にしたり、その土地で生産されるだろう物資を担保にお金を借りるようになった。これが”土地資本主義”である。しかし、ここに”土地を持つもの(王様)”と”持たざるもの(家来)”というディバイド(格差)が生まれるようになった。これが国の誕生である。
物資や金属を大量に保管するには、それを奪われないように防御する必要がある。より多くの生産を行うためにはより多くの土地を必要とする。そこで国際的に土地を拡大しなくてはならず、ここに帝国主義が始まる。軍隊には大量の金属が必要となる。大量の金属を持つことは、大量の物資やお金を持つことを意味する。自分が所有する金属が余れば、これを担保に取り引きを行う。これが”金属資本主義”あるいは”鉱物資本主義”である。
しかし大量の金属や金は持ち運ぶことが出来ない。そこで、その代わりをするようになったのが紙幣であった。そして紙幣や証券など紙の”量”が生産性や豊かさの”量”を表すこととなった。自分の持つ”権利”や”証券”や”紙幣”が余れば、今度はこれを元にして取り引きを行う。これが”金融資本主義”である。しかし、ここに”会社を持つもの(経営者)”と”会社に雇われるもの(従業員)”というディバイドが誕生した。
そして20世紀に”映像や音声の世紀”となり、写真、映画、レコード、ラジオ、テレビなどが発明されると、こういったメディアにおける発信度(広告=コマーシャル)の”時間”が、生産性の”量”を表すようになった。これが”コマーシャル資本主義”である。ここにいわゆるタレント(芸能界)が各国に誕生した。しかし同時に人々に”テレビの中の人(芸能人)”と”その外の人(一般人)”というディバイド(格差)が誕生することとなった。
そして現在インターネットの時代となると、こういう”権利”や”紙幣”や”証券”などの現物をネットワーク上に流通させることができない。そのため、ネット上は”ネットマネー”(情報信号)をやり取りすることにした。すべての”権利”や”金”や”証券”などをコンピュータネットワーク内の”情報”に置き換えるのである。これが、”情報資本主義”である。これは、その昔、牛や米を船で運ぶのは難しく、代わりに金銀で運んだことや、大量の金銀は海を超えて運ぶのが難しく、その代わりに紙幣を運んだこと、あるいは紙幣を運ぶのではなく、地元にある支払い銀行と預金銀行の間でお金のやり取りが行われたというようなことに似ている。しかし、ここにネットワーク(会社)を”所有するもの”と”所有せざるもの”というディバイドが生じることとなった。
つまり、現代人は
狩猟生活 → 農産物資本主義 → 土地資本主義 → 鉱物資本主義 →
金融資本主義 → コマーシャル資本主義 → 情報資本主義 →
と進んできたわけである。したがって、情報資本主義で失敗すれば、一気に狩猟生活に逆戻りするはめに陥るのである。現在社会における”狩猟生活”とは、まさしく浮浪者かあるいは犯罪者となってしまうであろう。ここに我々が住む現在社会の病巣のルーツ(根)が潜んでいるのである。
これをどう解決すべきか?
この問題は非常に面白い。かつ大変重要である。これについてもフラーは20年以上前に提案したが、これについてはまたいつかにしよう。
『もっとも今年の長者番付1位は文系の金融関係の会社員(成果主義で「100億円長者」納税1位に)であったように、いわゆる”マネタリスト”(拝金主義者)や”マテアリズミスト”(拝物主義者)という、新手の”恐竜”が地球上を闊歩する時代となったようである。』
と書いたが、どうしてこうなってしまったのであろうか?
実は、これがかつてバックミンスター・フラーが著書『クリティカル・パス』の中で”貪欲な法律家資本主義”と呼んでいたものである。要するに、お金が余りに余っているから金融業が蔓延るのである。(『フラーとカウフマンの世界』にも解説してある。)
その昔、人類は”狩猟”生活で始まった。物資が足りなければ、人は食うや食わずの状態に陥る。それが定住生活のために物資が余り、土地を所有するようになった。すると土地の”広さ”は物資生産の”量”を意味するようになった。そして余った物資(牛や米)が通貨となったわけである。これが”農産物資本主義”である。
素手や木の農作機具で行っていた農作業が金属でできるようになると、鉄器文明となり、金属文明となった。金属工具の使用が農産物の生産性を高める。したがって、金属の”量”は農産物の”量”を意味するようになった。そして米や牛の通貨の代わりに金(ゴールド)を使うようになる。そして、土地と金属(金)の交換が行われるようになった。つまり、土地を担保にしたり、その土地で生産されるだろう物資を担保にお金を借りるようになった。これが”土地資本主義”である。しかし、ここに”土地を持つもの(王様)”と”持たざるもの(家来)”というディバイド(格差)が生まれるようになった。これが国の誕生である。
物資や金属を大量に保管するには、それを奪われないように防御する必要がある。より多くの生産を行うためにはより多くの土地を必要とする。そこで国際的に土地を拡大しなくてはならず、ここに帝国主義が始まる。軍隊には大量の金属が必要となる。大量の金属を持つことは、大量の物資やお金を持つことを意味する。自分が所有する金属が余れば、これを担保に取り引きを行う。これが”金属資本主義”あるいは”鉱物資本主義”である。
しかし大量の金属や金は持ち運ぶことが出来ない。そこで、その代わりをするようになったのが紙幣であった。そして紙幣や証券など紙の”量”が生産性や豊かさの”量”を表すこととなった。自分の持つ”権利”や”証券”や”紙幣”が余れば、今度はこれを元にして取り引きを行う。これが”金融資本主義”である。しかし、ここに”会社を持つもの(経営者)”と”会社に雇われるもの(従業員)”というディバイドが誕生した。
そして20世紀に”映像や音声の世紀”となり、写真、映画、レコード、ラジオ、テレビなどが発明されると、こういったメディアにおける発信度(広告=コマーシャル)の”時間”が、生産性の”量”を表すようになった。これが”コマーシャル資本主義”である。ここにいわゆるタレント(芸能界)が各国に誕生した。しかし同時に人々に”テレビの中の人(芸能人)”と”その外の人(一般人)”というディバイド(格差)が誕生することとなった。
そして現在インターネットの時代となると、こういう”権利”や”紙幣”や”証券”などの現物をネットワーク上に流通させることができない。そのため、ネット上は”ネットマネー”(情報信号)をやり取りすることにした。すべての”権利”や”金”や”証券”などをコンピュータネットワーク内の”情報”に置き換えるのである。これが、”情報資本主義”である。これは、その昔、牛や米を船で運ぶのは難しく、代わりに金銀で運んだことや、大量の金銀は海を超えて運ぶのが難しく、その代わりに紙幣を運んだこと、あるいは紙幣を運ぶのではなく、地元にある支払い銀行と預金銀行の間でお金のやり取りが行われたというようなことに似ている。しかし、ここにネットワーク(会社)を”所有するもの”と”所有せざるもの”というディバイドが生じることとなった。
つまり、現代人は
狩猟生活 → 農産物資本主義 → 土地資本主義 → 鉱物資本主義 →
金融資本主義 → コマーシャル資本主義 → 情報資本主義 →
と進んできたわけである。したがって、情報資本主義で失敗すれば、一気に狩猟生活に逆戻りするはめに陥るのである。現在社会における”狩猟生活”とは、まさしく浮浪者かあるいは犯罪者となってしまうであろう。ここに我々が住む現在社会の病巣のルーツ(根)が潜んでいるのである。
これをどう解決すべきか?
この問題は非常に面白い。かつ大変重要である。これについてもフラーは20年以上前に提案したが、これについてはまたいつかにしよう。
[ 09:24 ]
[ 社会 ]
徳島新聞記事:またも「ロンドンハーツ」 子どもに見せたくない番組
は、面白い。
日本には”親の気持ち子知らず”という言葉がある。これと似て、昨今の日本では”親の気持ちマスコミ知らず”というべき現象が起こっているようである。
私も子の親、この記事にある結果とほぼ同じような印象を持つ。
日本PTA全国協議会が、テレビ番組やインターネット利用についての調査結果を17日公表したという。調査対象は小5と中2の保護者。我が家の子供達はちょうどこの中間の小6と中1である。
結果は以下の通り。
ーーー子どもに見せたい番組ーーーーーーー子どもに見せたくない番組
1位ープロジェクトXーーー17・8%ーーロンドンハーツーーー25・7%
2位ーどうぶつ奇想天外!ー10・2%ーー水10!ーーーーーー11・2%
3位ー3年B組金八先生ーー10・1%ーークレヨンしんちゃんー10・7%
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーサスペンス番組
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー残酷な場面が多い
ーーー子どもに見せたくないCM
1位ー消費者金融
2位ー消費者金融
3位ー消費者金融
4位ー消費者金融、など。
さて、問題は、子供の親たちにこのように毎年思われているにもかかわらず、毎年こういった番組やCMを作り続ける製作会社、お金を投入するスポンサー企業、そしてそこにタレントを送り込む吉本興行のような人材派遣企業は、この結果をどう考えているのか、ということである。どうして毎年こういったバカ番組を提供し続けるのか?ということであろう。
それにはそれなりの”目論み”や”目的”があるということであろう。
これは、日本人を”バカ”にして、日本社会を”混乱”に陥れることなのであろうか?
吉本興業の管理職には、それなりの国立大学を卒業したインテリも入っていると聞く。こういう人々は何を目的に毎日”下らん番組”を製作しているのだろうか?
世に言う”バカ文系”が、低賃金、重労働を強いられる”優秀な理系”よりもずっと”お得だ”ということを世に知らせることが目的なのだろうか?
もっとも今年の長者番付1位は文系の金融関係の会社員(成果主義で「100億円長者」納税1位に)であったように、いわゆる”マネタリスト”(拝金主義者)や”マテアリズミスト”(拝物主義者)という、新手の”恐竜”が地球上を闊歩する時代となったようである。
は、面白い。
日本には”親の気持ち子知らず”という言葉がある。これと似て、昨今の日本では”親の気持ちマスコミ知らず”というべき現象が起こっているようである。
私も子の親、この記事にある結果とほぼ同じような印象を持つ。
日本PTA全国協議会が、テレビ番組やインターネット利用についての調査結果を17日公表したという。調査対象は小5と中2の保護者。我が家の子供達はちょうどこの中間の小6と中1である。
結果は以下の通り。
ーーー子どもに見せたい番組ーーーーーーー子どもに見せたくない番組
1位ープロジェクトXーーー17・8%ーーロンドンハーツーーー25・7%
2位ーどうぶつ奇想天外!ー10・2%ーー水10!ーーーーーー11・2%
3位ー3年B組金八先生ーー10・1%ーークレヨンしんちゃんー10・7%
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーサスペンス番組
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー残酷な場面が多い
ーーー子どもに見せたくないCM
1位ー消費者金融
2位ー消費者金融
3位ー消費者金融
4位ー消費者金融、など。
さて、問題は、子供の親たちにこのように毎年思われているにもかかわらず、毎年こういった番組やCMを作り続ける製作会社、お金を投入するスポンサー企業、そしてそこにタレントを送り込む吉本興行のような人材派遣企業は、この結果をどう考えているのか、ということである。どうして毎年こういったバカ番組を提供し続けるのか?ということであろう。
それにはそれなりの”目論み”や”目的”があるということであろう。
これは、日本人を”バカ”にして、日本社会を”混乱”に陥れることなのであろうか?
吉本興業の管理職には、それなりの国立大学を卒業したインテリも入っていると聞く。こういう人々は何を目的に毎日”下らん番組”を製作しているのだろうか?
世に言う”バカ文系”が、低賃金、重労働を強いられる”優秀な理系”よりもずっと”お得だ”ということを世に知らせることが目的なのだろうか?
もっとも今年の長者番付1位は文系の金融関係の会社員(成果主義で「100億円長者」納税1位に)であったように、いわゆる”マネタリスト”(拝金主義者)や”マテアリズミスト”(拝物主義者)という、新手の”恐竜”が地球上を闊歩する時代となったようである。
2005/05/17のBlog
[ 15:33 ]
[ 政治・経済 ]
以前【168】 志士の人:読売新聞の追悼文 2004/02/05(Thu)(あるいは、柘植の「反秀才論」を読み解く)に書いたように、故柘植俊一さんのいう、”お公家さん”の特徴とは、
『卑怯、狡猾、虚弱、虚栄』
という言葉に表されるような特質であるという。
私は昨日、JR西日本の社長の国会の予算委員会における答弁(例えば、徳島新聞:JR西社長、辞意 脱線事故で参院国交委 参照。)をNHKで見たが、この社長が事故の事など全く知らないかのごとく自信満々に”雄弁”に語る姿には正直非常に驚いた。まさしく旧国鉄の”官僚答弁”のようであった。
”水を得た魚”というのはこういうのを言うのだろう。この言葉そのもののように、自分の本来の居場所に満足したのか、非常に饒舌にすら見えた。それと比べれば、福知山線の事故犠牲者たち、遺族の前で見せた姿は、”仮の姿”(つまり、お芝居)のようにすら見える。
こういった応対の違いを巧妙に演出するこの特質とは、まさに上で述べた”お公家さん”の特徴そのものであると言えるだろう。
それにしても、私に分からないのは、”お公家さん”というのは、12、3世紀前の万葉時代に日本に現れてきた特質であるはずだが、それから1300年も経った今に至っても、当時と似たような特質の人物がこの日本には必ず現れて来る。(こういう人々は東大に行きたがる。)
これはいったいどうしてなのであろうか?
この答えは、おそらく”お公家さん”遺伝子が優性遺伝する、ということだろう。父あるいは母のどちらか一方が少なくともこの遺伝子を持てば、”お公家さん”となるというような遺伝子である。
それに対して、”お侍さん”遺伝子は劣性遺伝するのだろうか?つまり、父母の両方から受け継がない限り発現しない。
『卑怯、狡猾、虚弱、虚栄』
という言葉に表されるような特質であるという。
私は昨日、JR西日本の社長の国会の予算委員会における答弁(例えば、徳島新聞:JR西社長、辞意 脱線事故で参院国交委 参照。)をNHKで見たが、この社長が事故の事など全く知らないかのごとく自信満々に”雄弁”に語る姿には正直非常に驚いた。まさしく旧国鉄の”官僚答弁”のようであった。
”水を得た魚”というのはこういうのを言うのだろう。この言葉そのもののように、自分の本来の居場所に満足したのか、非常に饒舌にすら見えた。それと比べれば、福知山線の事故犠牲者たち、遺族の前で見せた姿は、”仮の姿”(つまり、お芝居)のようにすら見える。
こういった応対の違いを巧妙に演出するこの特質とは、まさに上で述べた”お公家さん”の特徴そのものであると言えるだろう。
それにしても、私に分からないのは、”お公家さん”というのは、12、3世紀前の万葉時代に日本に現れてきた特質であるはずだが、それから1300年も経った今に至っても、当時と似たような特質の人物がこの日本には必ず現れて来る。(こういう人々は東大に行きたがる。)
これはいったいどうしてなのであろうか?
この答えは、おそらく”お公家さん”遺伝子が優性遺伝する、ということだろう。父あるいは母のどちらか一方が少なくともこの遺伝子を持てば、”お公家さん”となるというような遺伝子である。
それに対して、”お侍さん”遺伝子は劣性遺伝するのだろうか?つまり、父母の両方から受け継がない限り発現しない。
ところで、最近イラクで銃撃された斉藤昭彦さんという日本人がいる。私はこの人を見ていると、この”お侍さん”遺伝子が強く発現している人ではないか、と思う。
自衛隊に勤務したが、日本の自衛隊など何の”実践経験”のない、サラリーマン部隊に過ぎない。PKOで海外に行けば大半の隊員は精神を病むという軟弱部隊だ。だから、即刻止めて、”フランス外人部隊(俗に、”傭兵部隊”と言われている)”に入る。そこで、世界中の紛争地帯に行っては実践経験を積む。だれに言われたわけでもなく、己の血がそうさせる。
この”フランス外人部隊”とは、私の遠い記憶(ここ20年ほど私はマンガというものを一切読まないため、というよりは読めなくなったというべきだろうが)では、”ゴルゴ13”というマンガの中で、”ベレー帽にシャツと短パン姿”の、屈強な身体に銃で武装して乗り込んで来る、傭兵部隊として描かれていた。
ニュースで出てきた斉藤さんの姿はまさにそれであった。ベレー帽と迷彩色の短パン。これぞ現在の”サムライ”の姿であろう。こんな部隊に所属する日本人もわずかながらいるという。その数、およそ40人程度とか。
”国境なき医師団”というのは、名も無き世界中の医師達が紛争地帯や第三世界の無医村地域で活動する組織である。これはすでにノーベル平和賞を受賞した。
果たして”フランス外人部隊”がその内ノーベル平和賞をとるとは思えないが、その重要性は計り知れないものがある。”国境なき医師団”に勝るとも劣らないだろう。
こんな組織で20年にも渡って人知れず活躍したという”謎”の人物。私はこういう人物が好きなんだヨ。
ぜひサムライ斉藤さんが生還されることを心より望む。グッドラック!
自衛隊に勤務したが、日本の自衛隊など何の”実践経験”のない、サラリーマン部隊に過ぎない。PKOで海外に行けば大半の隊員は精神を病むという軟弱部隊だ。だから、即刻止めて、”フランス外人部隊(俗に、”傭兵部隊”と言われている)”に入る。そこで、世界中の紛争地帯に行っては実践経験を積む。だれに言われたわけでもなく、己の血がそうさせる。
この”フランス外人部隊”とは、私の遠い記憶(ここ20年ほど私はマンガというものを一切読まないため、というよりは読めなくなったというべきだろうが)では、”ゴルゴ13”というマンガの中で、”ベレー帽にシャツと短パン姿”の、屈強な身体に銃で武装して乗り込んで来る、傭兵部隊として描かれていた。
ニュースで出てきた斉藤さんの姿はまさにそれであった。ベレー帽と迷彩色の短パン。これぞ現在の”サムライ”の姿であろう。こんな部隊に所属する日本人もわずかながらいるという。その数、およそ40人程度とか。
”国境なき医師団”というのは、名も無き世界中の医師達が紛争地帯や第三世界の無医村地域で活動する組織である。これはすでにノーベル平和賞を受賞した。
果たして”フランス外人部隊”がその内ノーベル平和賞をとるとは思えないが、その重要性は計り知れないものがある。”国境なき医師団”に勝るとも劣らないだろう。
こんな組織で20年にも渡って人知れず活躍したという”謎”の人物。私はこういう人物が好きなんだヨ。
ぜひサムライ斉藤さんが生還されることを心より望む。グッドラック!
2005/05/16のBlog
[ 18:32 ]
[ 歴史 ]
[関連したBlog]
諫早湾の干拓事業に関連して昔書いたエッセイを紹介しておきますヨ。
ドラマ「海の畑」:諫早湾問題のルーツ
さて、世の中の人、特に日本人というのは、自分の父母、祖父祖母くらいまでは覚えているが、祖祖父祖祖母の代になるとまったく見当がつかない。自分のルーツをほとんど気にかけないのが現在の日本人である。我が家もこれと似たようなものである。
俗に言う”江戸っ子”とは”三代に渡り東京生まれの東京育ち”のことをいう。また、いわゆる”名家”とは何代にも渡りその家系図が残っている家系のことであるという。3000年に渡る家系図が残っているのは、日本では天皇家くらいだろう。
西洋ではユダヤ人には5000年の家系図が残っているものがいるという話である。アメリカでは、ユタ州のモルモン家系はユタ州に入植した頃からのすべての家系図や婚姻暦や出産暦や死亡暦などが正確に記録されているという。
実は、諫早湾の海苔業者の先祖は、江戸時代から300年に渡って東京湾で海苔をとっていた、生っ粋の江戸っ子である。それが、戦後、東京湾から追い出されて諫早湾に移り、そして現在に至っている、のである。
私もNHKのこのドラマ「海の畑」を見るまではこのことを全く知らなかったのである。
諫早の海苔業者はそのことを誇りに感じるべきだろうヨ。
諫早湾の干拓事業に関連して昔書いたエッセイを紹介しておきますヨ。
ドラマ「海の畑」:諫早湾問題のルーツ
さて、世の中の人、特に日本人というのは、自分の父母、祖父祖母くらいまでは覚えているが、祖祖父祖祖母の代になるとまったく見当がつかない。自分のルーツをほとんど気にかけないのが現在の日本人である。我が家もこれと似たようなものである。
俗に言う”江戸っ子”とは”三代に渡り東京生まれの東京育ち”のことをいう。また、いわゆる”名家”とは何代にも渡りその家系図が残っている家系のことであるという。3000年に渡る家系図が残っているのは、日本では天皇家くらいだろう。
西洋ではユダヤ人には5000年の家系図が残っているものがいるという話である。アメリカでは、ユタ州のモルモン家系はユタ州に入植した頃からのすべての家系図や婚姻暦や出産暦や死亡暦などが正確に記録されているという。
実は、諫早湾の海苔業者の先祖は、江戸時代から300年に渡って東京湾で海苔をとっていた、生っ粋の江戸っ子である。それが、戦後、東京湾から追い出されて諫早湾に移り、そして現在に至っている、のである。
私もNHKのこのドラマ「海の畑」を見るまではこのことを全く知らなかったのである。
諫早の海苔業者はそのことを誇りに感じるべきだろうヨ。
2005/05/14のBlog
[ 18:41 ]
[ スケールフリー ]
数は2位、引用はいま一歩 日本発の科学技術論文
この記事は以前、
科学技術政策研究所はいつハラキリするの?
で紹介した事がある文部科学省科学技術政策研究所から出たニュースであるようだ。
この記事の結果をまとめると、こうである。
2001一03年に世界で発表された英文論文数=数百万本。
これらから国別割合計算。その結果は以下の通り。
ーーーー論文出版数ーーーーー上位10%の引用数に入る論文数
1位ーー米国ー32・4%ーーーー米国ー49・2%
2位ーー日本ー10・0%ーーーー英国ー11・4%
3位ーー英国ーー8・9%ーーーードイツ11・4%
4位ーードイツー8・7%ーーーー日本ーー8・8%
5位ーーフランス6・4%ーーーーフランス7・2%
これによれば、日本は、アメリカの1/3の論文を書いているが、上位10%の引用数に入る論文数はアメリカの1/6以下に過ぎない。つまり、これらの比が1/2以下で、アメリカの半分以下の重要性ということである。(ここでの引用数とは被引用数の意味。)
一方、イギリスとドイツは、アメリカの1/4の論文数に過ぎないが、上位10%の引用数に入る論文数もまたアメリカの1/4。つまり、イギリスとドイツはアメリカとほぼ同列、ということである。
フランスは、アメリカの1/5の論文数に過ぎないが、上位10%の引用数に入る論文数は1/7。つまり、これらの比は5/7で、米英独より少し歩が悪い。
とまあ、こういった分析がこの結果からもたらされるわけだが、これはもうすでに予想されていることである。
私に良く分からないのは、この”科学政策研究所”というのはこういったデータを公表して、『いったい何が目的なのであろうか?』ということである。
日本の研究者の尻を蹴って、『お前らもっと頑張れ!』と”ハッパをかけたい”のであろうか?それとも、己が作った大学・大学院制度を『大学・大学院制度に問題あり』、と”自ら指摘したい”のであろうか?自分で自分の首を絞めるデータをなぜ税金を使って研究してまで分析する理由というのはいったい何なのであろうか?
この辺りが私には全く理解できない。
ところで、このデータは、まだ私の個人的予想や見積もりよりははるかに”好意的”な過剰な見積もりであると私は考えている。
なぜなら、実際、上位10%に入る引用数の論文数、というのは”極めて甘い”からである。事実、以前紹介したGoogle Scholarと研究者の”被引用数”で論じたように、”論文引用数と順位の関係”は、スケールフリー(つまり、ベキ法則)になっているからである。(ちなみに”論文引用数と順位の関係”については、Blogのアクセスランキングもスケールフリー?に簡単に説明しているので参照して欲しい。)
簡単に言えば、1位と比べると、2位はその1/10の引用数でしかない。3位はまたその1/10、つまり1位の1/100の引用数でしかない。以下同様である。
より具体的に言えば、ノーベル賞級の論文は引用数が500一2000、その次のクラスは、引用数が300一500。その次のクラスは、引用数が100一300。その次のクラスは、引用数が50一100、などと続く。そして、もっとも多いのは引用数が1一5程度のものである。
一方、トップクラスの論文数は全体の1/100万程度、次のクラスは1/10万程度。その次のクラスは1/1万程度。すなわち、トップレベルはせいぜい数百万の論文の内の10未満。その次はその10倍の100未満。そしてその次は1000未満。そしてそのまた次は1万未満の数しかない。そしてもっとも凡庸な論文は100万のオーダーの数だけある、ということなのである。
だから、上位10%に入る論文引用数といっても、この上位10%にはまだまだ大きな差があるということなのである。”科学政策研究所”の分析にはこの辺の事情が無視されているのである。
結局、以上の分析から言えることは、世界から優秀な人材を結集させて質量ともに優位なアメリカに対して、英独仏は”少数精鋭部隊”で対抗しているが、日本はアメリカの真似をして失敗しているということである。つまり、それほどたいして多くの優秀な人間がいないのに、”数打ちゃー当る”方式で対抗して見事に外れている、ということであろう。
やはり、ずっと以前から私が主張し続けているように、大学院レベル以上は”少数精鋭”方式に限る、ということが国際的に見事に証明されたということであろうネ。文部省は私の言うことを信じるべきですナ。もう10年以上も前にこういうことを(私の本:『三セクター分立の概念』や『何が科学をつぶすのか?』で)説明してきたのだから。もっとも、付け加えれば、私の他の本で言っていることも全くその通りなんだヨ。ただ書き方が普通の本とはちょっと変わっているだけなのだがネ。
この記事は以前、
科学技術政策研究所はいつハラキリするの?
で紹介した事がある文部科学省科学技術政策研究所から出たニュースであるようだ。
この記事の結果をまとめると、こうである。
2001一03年に世界で発表された英文論文数=数百万本。
これらから国別割合計算。その結果は以下の通り。
ーーーー論文出版数ーーーーー上位10%の引用数に入る論文数
1位ーー米国ー32・4%ーーーー米国ー49・2%
2位ーー日本ー10・0%ーーーー英国ー11・4%
3位ーー英国ーー8・9%ーーーードイツ11・4%
4位ーードイツー8・7%ーーーー日本ーー8・8%
5位ーーフランス6・4%ーーーーフランス7・2%
これによれば、日本は、アメリカの1/3の論文を書いているが、上位10%の引用数に入る論文数はアメリカの1/6以下に過ぎない。つまり、これらの比が1/2以下で、アメリカの半分以下の重要性ということである。(ここでの引用数とは被引用数の意味。)
一方、イギリスとドイツは、アメリカの1/4の論文数に過ぎないが、上位10%の引用数に入る論文数もまたアメリカの1/4。つまり、イギリスとドイツはアメリカとほぼ同列、ということである。
フランスは、アメリカの1/5の論文数に過ぎないが、上位10%の引用数に入る論文数は1/7。つまり、これらの比は5/7で、米英独より少し歩が悪い。
とまあ、こういった分析がこの結果からもたらされるわけだが、これはもうすでに予想されていることである。
私に良く分からないのは、この”科学政策研究所”というのはこういったデータを公表して、『いったい何が目的なのであろうか?』ということである。
日本の研究者の尻を蹴って、『お前らもっと頑張れ!』と”ハッパをかけたい”のであろうか?それとも、己が作った大学・大学院制度を『大学・大学院制度に問題あり』、と”自ら指摘したい”のであろうか?自分で自分の首を絞めるデータをなぜ税金を使って研究してまで分析する理由というのはいったい何なのであろうか?
この辺りが私には全く理解できない。
ところで、このデータは、まだ私の個人的予想や見積もりよりははるかに”好意的”な過剰な見積もりであると私は考えている。
なぜなら、実際、上位10%に入る引用数の論文数、というのは”極めて甘い”からである。事実、以前紹介したGoogle Scholarと研究者の”被引用数”で論じたように、”論文引用数と順位の関係”は、スケールフリー(つまり、ベキ法則)になっているからである。(ちなみに”論文引用数と順位の関係”については、Blogのアクセスランキングもスケールフリー?に簡単に説明しているので参照して欲しい。)
簡単に言えば、1位と比べると、2位はその1/10の引用数でしかない。3位はまたその1/10、つまり1位の1/100の引用数でしかない。以下同様である。
より具体的に言えば、ノーベル賞級の論文は引用数が500一2000、その次のクラスは、引用数が300一500。その次のクラスは、引用数が100一300。その次のクラスは、引用数が50一100、などと続く。そして、もっとも多いのは引用数が1一5程度のものである。
一方、トップクラスの論文数は全体の1/100万程度、次のクラスは1/10万程度。その次のクラスは1/1万程度。すなわち、トップレベルはせいぜい数百万の論文の内の10未満。その次はその10倍の100未満。そしてその次は1000未満。そしてそのまた次は1万未満の数しかない。そしてもっとも凡庸な論文は100万のオーダーの数だけある、ということなのである。
だから、上位10%に入る論文引用数といっても、この上位10%にはまだまだ大きな差があるということなのである。”科学政策研究所”の分析にはこの辺の事情が無視されているのである。
結局、以上の分析から言えることは、世界から優秀な人材を結集させて質量ともに優位なアメリカに対して、英独仏は”少数精鋭部隊”で対抗しているが、日本はアメリカの真似をして失敗しているということである。つまり、それほどたいして多くの優秀な人間がいないのに、”数打ちゃー当る”方式で対抗して見事に外れている、ということであろう。
やはり、ずっと以前から私が主張し続けているように、大学院レベル以上は”少数精鋭”方式に限る、ということが国際的に見事に証明されたということであろうネ。文部省は私の言うことを信じるべきですナ。もう10年以上も前にこういうことを(私の本:『三セクター分立の概念』や『何が科学をつぶすのか?』で)説明してきたのだから。もっとも、付け加えれば、私の他の本で言っていることも全くその通りなんだヨ。ただ書き方が普通の本とはちょっと変わっているだけなのだがネ。
2005/05/13のBlog
[ 08:46 ]
[ 科学ニュース ]
米国版ノーベル賞、南部陽一郎さんが受賞
シカゴ大学名誉教授である理論物理学者の南部陽一郎博士(84歳)が、”ノーベル賞の前触れ”とされているアメリカのベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞した。(参考:ベンジャミンフランクリンの戒律と鉄舟の自己規律)心からおめでとうと言いたい。
南部博士は、私とは違ういわゆる”高エネルギー物理”あるいは”素粒子論”と呼ばれる分野の専門家である。(参考:南部陽一郎が語る 日本物理学の青春時代。)
博士の考え出したものには、”素粒子の色自由度(カラー)”、現在の超ひも理論の先駆である”ヒモ理論”、物性物理学における超伝導の”南部表示”、また超伝導のアイデアを素粒子に持ち込んで”質量”の起原を論じた理論、など非常に多岐にわたる。これらは、すでに10年前に出版されてた南部博士の論文選集:
T. Eguchi, K. Nishijima editors, "Broken Symmetry, Selected papers of Y. Nambu"
(World Scientific, Singapore, 1995)
にある。
また、比較的最近では、私がユタ大学の博士コース時代に学部生であり、私と同じ物理数学のクラスメートであったMarcus Luty博士(現在メリーランド大学教授)がシカゴ大学大学院に行った時の”恩師”として知られている。Luty博士は素粒子理論分野の若手の新進気鋭の理論物理学者に育っている。
このフランクリン・メダルはその年のノーベル賞を占う一番の賞と考えられている。かつてから南部博士はずっとノーベル賞に一番近い日本人の1人に君臨してきたが、いよいよその夢も近付いてきたと言えるかも知れない。
昨今では、ノーベル化学賞を連続して日本人が受賞するなどして、物理学者の”衰退”や”凋落”傾向が著しい。が、もし南部博士が受賞すれば、少しは我々日本の理論物理学者にも社会の目が向けられる日が来るのかも知れない。学問の王道である物理学に、再び、湯川秀樹、朝永振一郎の時代が蘇る日が来れば良いと私は思うが、果たしてどうなることか?ぜひ南部博士にノーベル賞が行くことを心から期待している。
今年はアルバート・アインシュタイン博士の偉業を記念した、相対性理論100周年にあたる”国際物理学年”であるだけに、現在のアインシュタインに相当する人々に”白羽の矢”があたる可能性が極めて高い。私はそう思うネ。
ちなみに、2003年度は、2002年度のノーベル物理学賞を受賞した小柴雅俊博士、2002年度は、青色発光ダイオードの発明で知られる中村修二博士とカーボンナノチューブで知られる飯島澄雄博士がフランクリン・メダルを受賞している。もっと前には、プランク、アインシュタイン、ハッブル、フェルミ、バーディーン、ブラッテン、日本人では、江崎玲於奈博士(1961年)、有馬朗人(1990年)、外村彰博士(1999年)らが受賞している。したがって、日本人では7人目ということになる。
シカゴ大学名誉教授である理論物理学者の南部陽一郎博士(84歳)が、”ノーベル賞の前触れ”とされているアメリカのベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞した。(参考:ベンジャミンフランクリンの戒律と鉄舟の自己規律)心からおめでとうと言いたい。
南部博士は、私とは違ういわゆる”高エネルギー物理”あるいは”素粒子論”と呼ばれる分野の専門家である。(参考:南部陽一郎が語る 日本物理学の青春時代。)
博士の考え出したものには、”素粒子の色自由度(カラー)”、現在の超ひも理論の先駆である”ヒモ理論”、物性物理学における超伝導の”南部表示”、また超伝導のアイデアを素粒子に持ち込んで”質量”の起原を論じた理論、など非常に多岐にわたる。これらは、すでに10年前に出版されてた南部博士の論文選集:
T. Eguchi, K. Nishijima editors, "Broken Symmetry, Selected papers of Y. Nambu"
(World Scientific, Singapore, 1995)
にある。
また、比較的最近では、私がユタ大学の博士コース時代に学部生であり、私と同じ物理数学のクラスメートであったMarcus Luty博士(現在メリーランド大学教授)がシカゴ大学大学院に行った時の”恩師”として知られている。Luty博士は素粒子理論分野の若手の新進気鋭の理論物理学者に育っている。
このフランクリン・メダルはその年のノーベル賞を占う一番の賞と考えられている。かつてから南部博士はずっとノーベル賞に一番近い日本人の1人に君臨してきたが、いよいよその夢も近付いてきたと言えるかも知れない。
昨今では、ノーベル化学賞を連続して日本人が受賞するなどして、物理学者の”衰退”や”凋落”傾向が著しい。が、もし南部博士が受賞すれば、少しは我々日本の理論物理学者にも社会の目が向けられる日が来るのかも知れない。学問の王道である物理学に、再び、湯川秀樹、朝永振一郎の時代が蘇る日が来れば良いと私は思うが、果たしてどうなることか?ぜひ南部博士にノーベル賞が行くことを心から期待している。
今年はアルバート・アインシュタイン博士の偉業を記念した、相対性理論100周年にあたる”国際物理学年”であるだけに、現在のアインシュタインに相当する人々に”白羽の矢”があたる可能性が極めて高い。私はそう思うネ。
ちなみに、2003年度は、2002年度のノーベル物理学賞を受賞した小柴雅俊博士、2002年度は、青色発光ダイオードの発明で知られる中村修二博士とカーボンナノチューブで知られる飯島澄雄博士がフランクリン・メダルを受賞している。もっと前には、プランク、アインシュタイン、ハッブル、フェルミ、バーディーン、ブラッテン、日本人では、江崎玲於奈博士(1961年)、有馬朗人(1990年)、外村彰博士(1999年)らが受賞している。したがって、日本人では7人目ということになる。
2005/05/12のBlog
[ 13:53 ]
[ 政治・経済 ]
高額納税者狙う振り込め詐欺、さらに8人逮捕
相変わらず、「オレオレ詐欺」=「振り込め詐欺」をやっているばか者がいるようだ。
参考:
犯罪者に甘い日本:振り込め詐欺天国
”振り込め詐欺”のジレンマ
”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術
”性犯罪者探し”の術、読んでくださいヨ。
さて、日本国内でインターネットが出始めたのは、1996年以降である。これは、アメリカのクリントン一ゴア政権時代の”スーパーハイウェー構想”の影響であった。アメリカに張り巡らされたフリーウェイのように、今度は国中をインターネット網で張り巡らせようという計画であった。
これに対抗する形で森首相が日本でも同様な計画を進めようということで始まったのであった。それからほぼ10年が経ち、日本国内にはほぼインターネット網が張り巡らされるようになった。
しかし、そうして蓋を開けてみれば、インターネット世界は、新手の犯罪の温床という闇世界への”入り口”(ポータルサイト)となってしまった。「出会い系サイト」、「自殺系サイト」、「アダルトサイト」、「盗難物オークションサイト」、「闇金融サイト」などなどが、ヤフー、ライブドア、NTTなどのインターネット会社のインターネット網を通じて行われるようになったのである。
こうなってくると、『もしインターネットがなければ自分はこんな目に会わずに済んだのではないか?』と思う人々がたくさんいるはずである。
そして、さらに携帯電話網が整備されるようになった。電話とインターネットの結合である。これには日本発のソフトエンジン”トロン”が搭載されているという。そしてこれまた日本人の発明である、ブロードバンドによって、電話回線のスピードがISDN専用回線以上の早さとなった。こうして、誰もが簡単にメールを打てる時代へと変化した。
そうなると、それに応じて犯罪も増えたというわけである。”詐称メール”、”スパムメール”などを自動的に操るソフト、”ウィルスメール”を送りつけるソフトなどをつくり出すものまで出てきたわけである。
ところが、当初のスーパーハイウェー構想は自動車ハイウェーのようなイメージを想定したものであったが、インターネットのスーパーハイウェーは、それとは全く異なり、だれがハイウェーを走り回っているのか、だれにも分からないという顛末となってしまったのである。もはやそういったインチキメールがどこからやってくるのか、だれが送りつけているのか、だれにも分からないのである。
ましてや、自動車のスーパーハイウェーであれば、だれかが道路を運転するためには、それなりの”運転免許証”がいる。それなりの年齢に満たなければ車を運転できる資格が得られない。
しかし、一方のインターネットハイウェーでは、年齢制限もなければ、運転免許証もない。電子信号が走るわけだから、1人で一度に何百万ものネット網を走ることも可能となる。めちゃくちゃ運転やでたらめ運転もインターネット上ではいくらもできるのである。
そして一度に無数の人間にインチキ請求書を送りつけるという”架空請求”犯罪まで発展したのである。この手口に慣れた人間は、今度は表の電話でも同様の手口を堂々と使うようになった。それが”振り込め詐欺”である。ヤクザ組織が用意したそのための”マニュアル”まであるという時代となったのである。
さて、こんな時代どのようにして今後を対処すれば良いだろうか?
この問題は結構”面白い”。
(あ)まず、一番の方式は、インターネットも許認可制度にして、”運転免許証”のようなものを公的に発行し、それにしかるべき”法規”を付けて、違反者には”罰則”を設ける、という方法である。つまり、自動車免許のように、法制度化するということである。いくらヴァーチャルな世界だからといっても、それなりの公道を走るインターネットでありたいとすれば、それなりの法制度が必要であろう、という考え方である。
(い)次のやり方は、もっと面白い。昔の言い方に”働かざるもの食うべからず”という労働者の考え方がある。これを現在版に変えるのである。
つまり、携帯電話であれ、インターネットであれ、電話であれ、ちゃんとした行為を行わない人間にはその利用を拒否する、という考え方である。つまり、社会が意識的にそのたわけた人物を”ディジタルディバイドの世界に追いやる”のである。
もっと具体的に言えば、インターネット犯罪者には、パソコン利用を禁止。携帯電話で違法な行為を行ったものには、罰則として携帯電話を使用禁止。販売してやらない、のである。
ところで、これと似て、昔はそれなりの職業を持ってそれなりの預金を証明できないものには金を貸すことができなかった。それが、いつからか、おそらく1990年代のバブル崩壊の後から、金融機関は己の借金(国からの公的資金)返済のために、だれかれなく闇雲に金を貸すように変貌した。『マルサの女』に描かれたように、80年代のバブル期に日本の金融関係者のモラルは著しく低下した。そしてそのバブル崩壊後、えげつない金融商売へと手を染めるようになったのである。それが、いわゆるローン会社やクレジット会社への裏からの資金援助である。
こうして、まったく資産や財産のないものにまで金を貸すという金融業が生み出されることとなったのである。この時代背景の下で便乗していわゆる”ヤミ金融”も蔓延るようになったのである。だから、こうした金融業、アコム、アイフル、武富士、などなどが跋扈する社会へと日本は変貌したのである。なんの担保もなしに金融業は原理的に行うことは出来ない。にもかかわらず、簡単に金を貸す、ということは、それなりのからくりが潜む。つまり、金を簡単に借りた人物の生活の場や命を狙っているということである。一言で言えば、こういった手口は一種の”テロ行為”である、ということができるだろう。だから日本社会が物騒になったのである。
まあ、これとて、しかるべき財産やそれにかわる担保保証がなければお金は貸せないように法律を直せば、こういった問題は簡単に解決するのである。つまり、
”預金のないものは借りるべからず!”、
”職のないものは金を借りるべからず!”、
などとやれば良いのである。こうすれば、一気にフリーターは減るはずであろう。
なぜなら、定職証明がなければ金は借りられない、からである。定職証明や財産証明がなければ携帯電話も買えない、のである。150万人やら200万人いると言われる日本のフリーターは一気に定職を持とうとするはずである。
携帯電話犯罪者の携帯電話所持を禁止!
インターネット犯罪者のパソコン利用禁止!
預金のないもの金借りるべからず!
働かざるもの携帯持つべからず!
職持たざるもの携帯持つべからず!
こういった新手の法律は結構”効く”と私は思うネ。
相変わらず、「オレオレ詐欺」=「振り込め詐欺」をやっているばか者がいるようだ。
参考:
犯罪者に甘い日本:振り込め詐欺天国
”振り込め詐欺”のジレンマ
”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術
”性犯罪者探し”の術、読んでくださいヨ。
さて、日本国内でインターネットが出始めたのは、1996年以降である。これは、アメリカのクリントン一ゴア政権時代の”スーパーハイウェー構想”の影響であった。アメリカに張り巡らされたフリーウェイのように、今度は国中をインターネット網で張り巡らせようという計画であった。
これに対抗する形で森首相が日本でも同様な計画を進めようということで始まったのであった。それからほぼ10年が経ち、日本国内にはほぼインターネット網が張り巡らされるようになった。
しかし、そうして蓋を開けてみれば、インターネット世界は、新手の犯罪の温床という闇世界への”入り口”(ポータルサイト)となってしまった。「出会い系サイト」、「自殺系サイト」、「アダルトサイト」、「盗難物オークションサイト」、「闇金融サイト」などなどが、ヤフー、ライブドア、NTTなどのインターネット会社のインターネット網を通じて行われるようになったのである。
こうなってくると、『もしインターネットがなければ自分はこんな目に会わずに済んだのではないか?』と思う人々がたくさんいるはずである。
そして、さらに携帯電話網が整備されるようになった。電話とインターネットの結合である。これには日本発のソフトエンジン”トロン”が搭載されているという。そしてこれまた日本人の発明である、ブロードバンドによって、電話回線のスピードがISDN専用回線以上の早さとなった。こうして、誰もが簡単にメールを打てる時代へと変化した。
そうなると、それに応じて犯罪も増えたというわけである。”詐称メール”、”スパムメール”などを自動的に操るソフト、”ウィルスメール”を送りつけるソフトなどをつくり出すものまで出てきたわけである。
ところが、当初のスーパーハイウェー構想は自動車ハイウェーのようなイメージを想定したものであったが、インターネットのスーパーハイウェーは、それとは全く異なり、だれがハイウェーを走り回っているのか、だれにも分からないという顛末となってしまったのである。もはやそういったインチキメールがどこからやってくるのか、だれが送りつけているのか、だれにも分からないのである。
ましてや、自動車のスーパーハイウェーであれば、だれかが道路を運転するためには、それなりの”運転免許証”がいる。それなりの年齢に満たなければ車を運転できる資格が得られない。
しかし、一方のインターネットハイウェーでは、年齢制限もなければ、運転免許証もない。電子信号が走るわけだから、1人で一度に何百万ものネット網を走ることも可能となる。めちゃくちゃ運転やでたらめ運転もインターネット上ではいくらもできるのである。
そして一度に無数の人間にインチキ請求書を送りつけるという”架空請求”犯罪まで発展したのである。この手口に慣れた人間は、今度は表の電話でも同様の手口を堂々と使うようになった。それが”振り込め詐欺”である。ヤクザ組織が用意したそのための”マニュアル”まであるという時代となったのである。
さて、こんな時代どのようにして今後を対処すれば良いだろうか?
この問題は結構”面白い”。
(あ)まず、一番の方式は、インターネットも許認可制度にして、”運転免許証”のようなものを公的に発行し、それにしかるべき”法規”を付けて、違反者には”罰則”を設ける、という方法である。つまり、自動車免許のように、法制度化するということである。いくらヴァーチャルな世界だからといっても、それなりの公道を走るインターネットでありたいとすれば、それなりの法制度が必要であろう、という考え方である。
(い)次のやり方は、もっと面白い。昔の言い方に”働かざるもの食うべからず”という労働者の考え方がある。これを現在版に変えるのである。
つまり、携帯電話であれ、インターネットであれ、電話であれ、ちゃんとした行為を行わない人間にはその利用を拒否する、という考え方である。つまり、社会が意識的にそのたわけた人物を”ディジタルディバイドの世界に追いやる”のである。
もっと具体的に言えば、インターネット犯罪者には、パソコン利用を禁止。携帯電話で違法な行為を行ったものには、罰則として携帯電話を使用禁止。販売してやらない、のである。
ところで、これと似て、昔はそれなりの職業を持ってそれなりの預金を証明できないものには金を貸すことができなかった。それが、いつからか、おそらく1990年代のバブル崩壊の後から、金融機関は己の借金(国からの公的資金)返済のために、だれかれなく闇雲に金を貸すように変貌した。『マルサの女』に描かれたように、80年代のバブル期に日本の金融関係者のモラルは著しく低下した。そしてそのバブル崩壊後、えげつない金融商売へと手を染めるようになったのである。それが、いわゆるローン会社やクレジット会社への裏からの資金援助である。
こうして、まったく資産や財産のないものにまで金を貸すという金融業が生み出されることとなったのである。この時代背景の下で便乗していわゆる”ヤミ金融”も蔓延るようになったのである。だから、こうした金融業、アコム、アイフル、武富士、などなどが跋扈する社会へと日本は変貌したのである。なんの担保もなしに金融業は原理的に行うことは出来ない。にもかかわらず、簡単に金を貸す、ということは、それなりのからくりが潜む。つまり、金を簡単に借りた人物の生活の場や命を狙っているということである。一言で言えば、こういった手口は一種の”テロ行為”である、ということができるだろう。だから日本社会が物騒になったのである。
まあ、これとて、しかるべき財産やそれにかわる担保保証がなければお金は貸せないように法律を直せば、こういった問題は簡単に解決するのである。つまり、
”預金のないものは借りるべからず!”、
”職のないものは金を借りるべからず!”、
などとやれば良いのである。こうすれば、一気にフリーターは減るはずであろう。
なぜなら、定職証明がなければ金は借りられない、からである。定職証明や財産証明がなければ携帯電話も買えない、のである。150万人やら200万人いると言われる日本のフリーターは一気に定職を持とうとするはずである。
携帯電話犯罪者の携帯電話所持を禁止!
インターネット犯罪者のパソコン利用禁止!
預金のないもの金借りるべからず!
働かざるもの携帯持つべからず!
職持たざるもの携帯持つべからず!
こういった新手の法律は結構”効く”と私は思うネ。
2005/05/11のBlog
[ 15:03 ]
[ 科学ニュース ]
ツタンカーメン、CTで再現黄金のマスクそっくり
この図から見る限り、エジプト王はやはり中近東の”顔”であり、ハリウッド映画”クレオパトラ”などにみるような、いわゆる西洋人(ヨーロッパ人=コケイジアン)ではなかった、ということである。
したがって、エジプト王はやはりアラブ人であった、ということが証明されたということであろうネ。
この歴史あるアラブ人から見れば、アメリカのブッシュ王朝など、北欧バイキングの子孫としか見られないだろうネ。
この図から見る限り、エジプト王はやはり中近東の”顔”であり、ハリウッド映画”クレオパトラ”などにみるような、いわゆる西洋人(ヨーロッパ人=コケイジアン)ではなかった、ということである。
したがって、エジプト王はやはりアラブ人であった、ということが証明されたということであろうネ。
この歴史あるアラブ人から見れば、アメリカのブッシュ王朝など、北欧バイキングの子孫としか見られないだろうネ。
[ 12:19 ]
[ 社会 ]
三菱自動車、JR西日本、これらの会社に共通するものは何か?
それは、方や度重なる事故を引き起こした欠陥自動車の販売であり、もう一方は信楽鉄道衝突事故や福知山線転覆脱線事故のずさんな鉄道運営であるという、”無責任体質”である。
ではそもそもそういったずさんな体質を引き起こしたもっと根源的なものと言えば何であろうか?もっと他に共通する重大事項はないのだろうか?
その答えは、”ある”である。
それは、両者の会長や社長などの役職がいわゆる”東大閥”であった、ということである。
柘植俊一先生の『反秀才論』にもあったように、戦前の日本の空軍の零戦、海軍の軍艦、陸軍の戦車、そして鉄道などの建設を可能にしたのは、”戦前の”東大の学者や研究者や工学者たちであった。そして、零戦を作っていたのが”三菱”であった。
だから、こういった戦前からの軍需産業分野、いわゆる”重厚長大な”企業のリーダーが東大閥であることは容易に想像がつくはずであろう。社会というものは、国民が知ろうが知るまいが、かならずその背景に”歴史”というしがらみを引きずっているものなのである。
こういった歴史の”歪み”が今回の事故を引き起こしたのである。
最初に働いた戦前の東大の学者は非常にものすごかった、といえる。しかし、戦後のその次である息子の世代、そしてそのまた次ぎとなる孫の世代の東大の学者や東大出身者が、昔と同じ”威厳”や”風格”や”才能”や”技量”や”知識”をもってことに立ち向かっているのか?といえば、そういうことは実際にはないのである。
がしかし、”控えおろう!この紋所が目に入らぬか!”式の昔のご威光というものは、人間世界の常、その先入観のために、今もって社会では通じてしまうのである。
『東大は偉い。東大は違う。東大出身者はやっぱり違う。』
人は未だにこんな感じで物を見る。マスコミもこういう印象を世の中に蔓延らせている張本人である。しかし、現実はすでにそういう時代はとうの昔に”終わっている”のである。
一度今回の事故や不祥事を起こせば、『JR西日本という会社はなんて会社だ。』、『三菱自動車はだめだ。』などと180度立場を変えたようなことを言い出す。がしかし、よくよく考えれば、自分達が”東大出身者はすごい”という虚構の上に築いた会社なのである。大事故を起こして後、今さらそんなことを言っても遅いのである。死者は帰っては来ない。これが現実なのである。
私はこういうことをずっと昔から知っている。だから、かつてから私は”東大廃止論者”の1人なのである。戦前は東大の学者は確かに偉かった。しかし、戦後はそうではない。しかし制度は戦前のままなのである。だから東大閥の歪みが社会に伝播する。ゆえに、東大は解体廃止。というのが、私の単純な論法である。
かつて歴史学者の羽仁五郎さんが「文部省廃止論」を唱えたことがある。今、私は「東大廃止論」を唱える。実際、東京から東大がなくなれば(もちろん歴史的建物は図書館や博物館にして残すべきだろうが)、その予算規模からして10倍の職員や大学を地方に賄えるはずである。それほどに”不経済”な組織なのである。
とはいうものの、”東大出身者”というのは、太平洋戦争敗戦後の日本の新たなる”貴族階級”なのである。だから、”お公家さん”的東大派閥の牙城は決してくずせないであろう。
とまあ、要するに、今の三菱自動車やJRなどの組織は、東大出身者という現在の”お公家さん”の率いる大会社なのである。これが社会を揺るがす大事故を引き起こしたという本当の原因なのである。
最後に、参考のためにいくつかHPを紹介しておこう。
西岡 喬 氏(三菱自動車会長)。
ご挨拶&経営理念(JR西日本会長、社長)。
この『経営理念』にはこうある。
JR西日本は、人間性尊重の立場に立って、労使相互信頼のもと、基幹事業としての鉄道の活性化に努めるとともに、地域に愛され共に繁栄する総合サービス企業となることを目指し、わが国のリーディングカンパニーとして、社会・経済・文化の発展、向上に貢献します。
また『ハート&アクション』にはこうある。
1.安全・正確な輸送の提供
私たちは、安全・正確な輸送に徹し、お客様に信頼される輸送サービスを提供します。
2.お客様本位のサービス
私たちは、お客様に感謝し、お客様の立場で考え、お客様のニーズを先取りし、心のこもった最高のサービスを目指します。
3.会社の発展は自らの幸せ
私たちは、あらゆる機会をとらえて売上げの増加に努め、常にコスト意識を持って業務の効率化を図り、会社を発展させ、株主の負託に応えるとともに、自らの幸せを築きます。
4.規律正しい、明るい職場づくり
私たちは、規律正しい、自由闊達な明るい職場づくりに努めます。
5.自己研鑚とチャレンジ精神
私たちは、自己研鑚に努め、豊かな感性と燃える情熱をもって、あらゆる目標に、果敢にチャレンジします。
6.同業他社を凌ぐ強い体質づくり
私たちは、常に創意工夫に努め、同業他社を凌ぐ強い体質づくりに、持てる力の全てを発揮します。
これぞ”机上の空論”。これが、いかに現実とは違っているか、今や誰の目にも明かとなっただろう。単なる”お公家さん”体質の大企業だったということでしかない。
しかし、東大神話というものもまったくこれと同じで、現実と虚構の世界とはまったく違っているのである。もちろん、普通の人には分からないだろうがネ。
それは、方や度重なる事故を引き起こした欠陥自動車の販売であり、もう一方は信楽鉄道衝突事故や福知山線転覆脱線事故のずさんな鉄道運営であるという、”無責任体質”である。
ではそもそもそういったずさんな体質を引き起こしたもっと根源的なものと言えば何であろうか?もっと他に共通する重大事項はないのだろうか?
その答えは、”ある”である。
それは、両者の会長や社長などの役職がいわゆる”東大閥”であった、ということである。
柘植俊一先生の『反秀才論』にもあったように、戦前の日本の空軍の零戦、海軍の軍艦、陸軍の戦車、そして鉄道などの建設を可能にしたのは、”戦前の”東大の学者や研究者や工学者たちであった。そして、零戦を作っていたのが”三菱”であった。
だから、こういった戦前からの軍需産業分野、いわゆる”重厚長大な”企業のリーダーが東大閥であることは容易に想像がつくはずであろう。社会というものは、国民が知ろうが知るまいが、かならずその背景に”歴史”というしがらみを引きずっているものなのである。
こういった歴史の”歪み”が今回の事故を引き起こしたのである。
最初に働いた戦前の東大の学者は非常にものすごかった、といえる。しかし、戦後のその次である息子の世代、そしてそのまた次ぎとなる孫の世代の東大の学者や東大出身者が、昔と同じ”威厳”や”風格”や”才能”や”技量”や”知識”をもってことに立ち向かっているのか?といえば、そういうことは実際にはないのである。
がしかし、”控えおろう!この紋所が目に入らぬか!”式の昔のご威光というものは、人間世界の常、その先入観のために、今もって社会では通じてしまうのである。
『東大は偉い。東大は違う。東大出身者はやっぱり違う。』
人は未だにこんな感じで物を見る。マスコミもこういう印象を世の中に蔓延らせている張本人である。しかし、現実はすでにそういう時代はとうの昔に”終わっている”のである。
一度今回の事故や不祥事を起こせば、『JR西日本という会社はなんて会社だ。』、『三菱自動車はだめだ。』などと180度立場を変えたようなことを言い出す。がしかし、よくよく考えれば、自分達が”東大出身者はすごい”という虚構の上に築いた会社なのである。大事故を起こして後、今さらそんなことを言っても遅いのである。死者は帰っては来ない。これが現実なのである。
私はこういうことをずっと昔から知っている。だから、かつてから私は”東大廃止論者”の1人なのである。戦前は東大の学者は確かに偉かった。しかし、戦後はそうではない。しかし制度は戦前のままなのである。だから東大閥の歪みが社会に伝播する。ゆえに、東大は解体廃止。というのが、私の単純な論法である。
かつて歴史学者の羽仁五郎さんが「文部省廃止論」を唱えたことがある。今、私は「東大廃止論」を唱える。実際、東京から東大がなくなれば(もちろん歴史的建物は図書館や博物館にして残すべきだろうが)、その予算規模からして10倍の職員や大学を地方に賄えるはずである。それほどに”不経済”な組織なのである。
とはいうものの、”東大出身者”というのは、太平洋戦争敗戦後の日本の新たなる”貴族階級”なのである。だから、”お公家さん”的東大派閥の牙城は決してくずせないであろう。
とまあ、要するに、今の三菱自動車やJRなどの組織は、東大出身者という現在の”お公家さん”の率いる大会社なのである。これが社会を揺るがす大事故を引き起こしたという本当の原因なのである。
最後に、参考のためにいくつかHPを紹介しておこう。
西岡 喬 氏(三菱自動車会長)。
ご挨拶&経営理念(JR西日本会長、社長)。
この『経営理念』にはこうある。
JR西日本は、人間性尊重の立場に立って、労使相互信頼のもと、基幹事業としての鉄道の活性化に努めるとともに、地域に愛され共に繁栄する総合サービス企業となることを目指し、わが国のリーディングカンパニーとして、社会・経済・文化の発展、向上に貢献します。
また『ハート&アクション』にはこうある。
1.安全・正確な輸送の提供
私たちは、安全・正確な輸送に徹し、お客様に信頼される輸送サービスを提供します。
2.お客様本位のサービス
私たちは、お客様に感謝し、お客様の立場で考え、お客様のニーズを先取りし、心のこもった最高のサービスを目指します。
3.会社の発展は自らの幸せ
私たちは、あらゆる機会をとらえて売上げの増加に努め、常にコスト意識を持って業務の効率化を図り、会社を発展させ、株主の負託に応えるとともに、自らの幸せを築きます。
4.規律正しい、明るい職場づくり
私たちは、規律正しい、自由闊達な明るい職場づくりに努めます。
5.自己研鑚とチャレンジ精神
私たちは、自己研鑚に努め、豊かな感性と燃える情熱をもって、あらゆる目標に、果敢にチャレンジします。
6.同業他社を凌ぐ強い体質づくり
私たちは、常に創意工夫に努め、同業他社を凌ぐ強い体質づくりに、持てる力の全てを発揮します。
これぞ”机上の空論”。これが、いかに現実とは違っているか、今や誰の目にも明かとなっただろう。単なる”お公家さん”体質の大企業だったということでしかない。
しかし、東大神話というものもまったくこれと同じで、現実と虚構の世界とはまったく違っているのである。もちろん、普通の人には分からないだろうがネ。
[ 09:15 ]
[ 音楽・芸能 ]
歌舞伎は国技だろうか?:梨園の世界から考える新しい学校の必要性
失礼、市川染五郎さんだった。
これらは、1年ちょっと前に書いたことだが、いわゆる”梨園”の世界、歌舞伎の世界の”護送船団方式”の問題であった。つまり、歌舞伎という国技に近い芸能を一部のファミリーだけの”ファミリー企業”にしてその特権を与え続けることの弊害というものを論じたものであった。
さて、これに関連して、歌舞伎界のプレイボーイ、市川染五郎氏に続き、歌舞伎界のウド、中村獅童氏が女優の竹内結子さんと”できちゃった結婚”することになった、ようである。
竹内結子さんと中村獅童さん、月内に婚姻届 妊娠3カ月
男と女の色恋に第三者が口を挟むのは、不粋というものではあろうが、国を代表しその恩恵を受けている”歌舞伎”役者が、それなりの手続きを経ないで、その辺のイカれた野郎と同じような”ゲットするならやっちゃえ”的な発想で結婚というものをお考えでは困ったものだと思うネ。
映画や舞台で共演しては相手役とセックスしてしまう。これでは、商品に手をつける商売人のようなものである。自分の学生に手を出す教師や大学教授のようなものである。プロとしては”失格”であろう。
ほんと、歌舞伎役者というのは、江戸時代以前から”歩くペニス”ぶりを発揮してきたわけだが、この”歩くペニス”遺伝子は脈々と今の若手歌舞伎俳優にも”遺伝”しているようですナ。
失礼、市川染五郎さんだった。
これらは、1年ちょっと前に書いたことだが、いわゆる”梨園”の世界、歌舞伎の世界の”護送船団方式”の問題であった。つまり、歌舞伎という国技に近い芸能を一部のファミリーだけの”ファミリー企業”にしてその特権を与え続けることの弊害というものを論じたものであった。
さて、これに関連して、歌舞伎界のプレイボーイ、市川染五郎氏に続き、歌舞伎界のウド、中村獅童氏が女優の竹内結子さんと”できちゃった結婚”することになった、ようである。
竹内結子さんと中村獅童さん、月内に婚姻届 妊娠3カ月
男と女の色恋に第三者が口を挟むのは、不粋というものではあろうが、国を代表しその恩恵を受けている”歌舞伎”役者が、それなりの手続きを経ないで、その辺のイカれた野郎と同じような”ゲットするならやっちゃえ”的な発想で結婚というものをお考えでは困ったものだと思うネ。
映画や舞台で共演しては相手役とセックスしてしまう。これでは、商品に手をつける商売人のようなものである。自分の学生に手を出す教師や大学教授のようなものである。プロとしては”失格”であろう。
ほんと、歌舞伎役者というのは、江戸時代以前から”歩くペニス”ぶりを発揮してきたわけだが、この”歩くペニス”遺伝子は脈々と今の若手歌舞伎俳優にも”遺伝”しているようですナ。
2005/05/10のBlog
[ 08:45 ]
[ 教育 ]
日本人の”英語ネタジョーク”
これでは、結構シビアな話をしたが、これこそいわゆる”表音文字”を使う言語と”表意文字”を使う言語の違いというものであろう。
日本語のような”表意文字”言語の世界では、話す者と聞く者のどちらもが共通する”漢字”や”文字”を想定しながら話す。だから多少の音の間違いや違いというものもさほど大きく影響しない。
ところが、英語のような”表音文字”言語の世界ではこれはまったく通用しないのである。ほんのわずかな音の違いや間違いが全く別の単語を聞くものに呼び起こすからである。この世界では、”正しく発音できない”ということ=”死を意味する”、といってもよいほどに重大なものなのである。
どうも日本人はこの”重大さ”が良く分かっていないようである。これは、官僚や学者や文芸人などの、いわゆる”インテリ”もそうで、自分達が話す”めちゃくちゃ英語”がどういう事態(印象)を相手に与えているのか、まったく理解できないでいるのである。
これにはそれ相当の理由がある。
要するに、一言でいえば、アメリカ人が説明する英語を聞き取れない(=理解できない)からである。
自分が話したことが相手のアメリカ人にどういう印象を得たかということを聞いたとしても、相手のアメリカ人の英語が早すぎて聞き取れない。例え聞き取れたとしてもその意味が理解出来ない。応答や返答というものはほんの”一瞬”の生ものである。ジョークの面白さや受けた印象というものも、ほんの一瞬の一過性のものである。だから、日本人のそういった”聞き返し”に対してもその”一瞬”で理解できなければ、"Never mind(=気にしないで)"と言われてそれでおしまい。だから、結局、その日本人は自分の犯した英語の間違いの本質を全く理解できないまま、次のシーンへと進まざるを得ないのである。これをくり返していくのであれば、何年も欧米で生活しても何も理解しないまま、”表象”の世界を生きてそれで終わり。アメリカ生活という”現実(=リアリティー)”は決して理解できずに終わるのである。
ところで、いわゆる”肩書き
これでは、結構シビアな話をしたが、これこそいわゆる”表音文字”を使う言語と”表意文字”を使う言語の違いというものであろう。
日本語のような”表意文字”言語の世界では、話す者と聞く者のどちらもが共通する”漢字”や”文字”を想定しながら話す。だから多少の音の間違いや違いというものもさほど大きく影響しない。
ところが、英語のような”表音文字”言語の世界ではこれはまったく通用しないのである。ほんのわずかな音の違いや間違いが全く別の単語を聞くものに呼び起こすからである。この世界では、”正しく発音できない”ということ=”死を意味する”、といってもよいほどに重大なものなのである。
どうも日本人はこの”重大さ”が良く分かっていないようである。これは、官僚や学者や文芸人などの、いわゆる”インテリ”もそうで、自分達が話す”めちゃくちゃ英語”がどういう事態(印象)を相手に与えているのか、まったく理解できないでいるのである。
これにはそれ相当の理由がある。
要するに、一言でいえば、アメリカ人が説明する英語を聞き取れない(=理解できない)からである。
自分が話したことが相手のアメリカ人にどういう印象を得たかということを聞いたとしても、相手のアメリカ人の英語が早すぎて聞き取れない。例え聞き取れたとしてもその意味が理解出来ない。応答や返答というものはほんの”一瞬”の生ものである。ジョークの面白さや受けた印象というものも、ほんの一瞬の一過性のものである。だから、日本人のそういった”聞き返し”に対してもその”一瞬”で理解できなければ、"Never mind(=気にしないで)"と言われてそれでおしまい。だから、結局、その日本人は自分の犯した英語の間違いの本質を全く理解できないまま、次のシーンへと進まざるを得ないのである。これをくり返していくのであれば、何年も欧米で生活しても何も理解しないまま、”表象”の世界を生きてそれで終わり。アメリカ生活という”現実(=リアリティー)”は決して理解できずに終わるのである。
ところで、いわゆる”肩書き