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2006/04/29のBlog
RNA作る“スイッチ”は1遺伝子に5個以上

は非常に面白い。

関連:
[解説]ゲノム、7割に機能遺伝子概念の再考迫る
生命に役立つ機能、ゲノムの7割も定説は2%

以前、セントラル・ドグマは間違いだった?で紹介したのは、すぐ上の2つの話だったが、今回の研究はさらにそれを続けたものであるようだ。

簡単に言えば、従来の”定説”では、大野乾(すすむ)博士(故人)が、打ち立てた”ジャンク遺伝子”という言葉が示すように、DNA塩基配列上の遺伝子は非常にわずかで、ほとんどが”無意味な遺伝子(=ジャンク遺伝子)”だと考えられていたが、こうした領域はタンパク質をコードしているのではなく、RNAをコードしていたということを発見したのである。

もし従来の定説が正しいとすると、つまり、タンパク質をコードした塩基配列領域だけを”遺伝子”(エクソン領域)と考えると、その後の研究で、人間の全遺伝子数は数万個しかなく、ハエや線虫などの下等生物と比較してもせいぜい数倍程度しかないということになってしまったが、これでは、高等生物の複雑な細胞活動をどうやって制御しているのか理解できない。

また、物理学者などのDNA領域のジャンク遺伝子領域の研究により、無意味だと考えられて来た領域(イントロン領域)にも同じような規則構造があるということが分かった。無意味なのに言語学的に同等の情報が含まれているというのは非常に奇妙で、こういった領域にも何かのコードがあるかも知れないと予測できる。しかし、それが何かは分からなかった。

この矛盾を解くカギが、実はDNA上の「わずかな部分はタンパク質のための部分」であるが、それ以外の「ほとんどの部分はRNAのための部分」=「RNAを作り出すためのスイッチ」であるという新しい視点である。RNA生成を指示するスイッチがどこにあるかを探した結果、こうしたスイッチは、人間では”19万513個”あり、「1つの遺伝子に平均5個以上のスイッチが存在する」ということを見つけたという記事である。(ちなみに、タンパク質のコード領域=従来の意味の遺伝子の数は数万個。ゆえに、この数の数倍のRNA生成スイッチがあるということになる。)

研究者の新しい見解では、

”これが高等動物の複雑な生命活動の原動力である可能性がある”

という。もっと詳しいことは論文を見ないと分からないので、関心がある人は読むことを勧める。


セントラル・ドグマはクリック博士が発明したアイデアだが、このクリック博士は最近2004 年7月28日に亡くなった。博士の死後、こうしてどんどんセントラル・ドグマが撃ち破られていくのは非常に面白い。ここに来て生物学では非常に大きな進展があったように見える。今後を期待したい。
2006/04/27のBlog
若い研究者+少ない費用=国際的評価の論文

この記事は面白い。

”日本人研究者の中で国際的に高い評価を受けた論文を書いた人とはどんな研究者か?”

その答えは、

(あ)国際的な文献データベースを基に、論文の被引用回数が、世界的に見て上位10%に入る「注目論文」を書いた日本人研究者は、国内の約79万人の研究者のうち858人=全研究者の約0・1%。
(い)平均年齢は39・9歳。
(う)その半数が約490万円以下の比較的少額な研究費で成果を上げていた。

こんなことが、文部科学省科学技術政策研究所の調査でわかったというニュース。

以前私は「’理系白書’05:漂う“ポスドク”1万人」の中でこう書いていた。

”ハンス・マーク博士によれば、基礎研究のできる人は、応用研究のできる人のおよそ1/10程度という。ましてや開発研究のできる人の1/100程度にすぎない、と見積もっているのである。この比率はアメリカ社会のものであるので、日本においてどのようなものであるか、まっ先にお役人や科学研究政策の研究者は調べるべきであろう。そしてそれ相応に予算配分や人員配分するというのがもっとも理にかなったやり方となるだろう。

こんなわけで、結局「 研究者社会は”少数精鋭”に限る!」ということとなる。この事実を無視した結果、最初の理系白書の問題点が浮き上がってきたということなのである。”

また「研究者社会は”少数精鋭”に限る!」の中ではこう書いていた。

”結局、以上の分析から言えることは、世界から優秀な人材を結集させて質量ともに優位なアメリカに対して、英独仏は”少数精鋭部隊”で対抗しているが、日本はアメリカの真似をして失敗しているということである。つまり、それほどたいして多くの優秀な人間がいないのに、”数打ちゃー当る”方式で対抗して見事に外れている、ということであろう。

やはり、ずっと以前から私が主張し続けているように、大学院レベル以上は”少数精鋭”方式に限る、ということが国際的に見事に証明されたということであろうネ。文部省は私の言うことを信じるべきですナ。もう10年以上も前にこういうことを(私の本:『三セクター分立の概念』や『何が科学をつぶすのか?』で)説明してきたのだから。もっとも、付け加えれば、私の他の本で言っていることも全くその通りなんだヨ。ただ書き方が普通の本とはちょっと変わっているだけなのだがネ。”

こんなわけで、これまた私が主張し続けて来たことがまったく”真実”であったということを証明してくれたようである。

科学研究者と言っても、真に貢献できるほどの人材や逸材はそう多くはいない。今回のアンケート調査にあたっては、国内の”約79万人”の研究者のうち、世界的に見て上位10%に入る「注目論文」を書いた日本人研究者はたったの”858人”しかいなかった。つまり、最初にあげたように、全体の0・1%に過ぎなかった、ということである。

これこそ、かつて20数年程前にハンス・マーク博士が主張したように、”基礎研究のできる人は、応用研究のできる人のおよそ1/10程度。開発研究のできる人の1/100程度。”を彷佛させる結果であった。つまり、”基礎研究できる人”の中でも”注目論文”を書ける人は、そのまた1/10程度に過ぎないということであろう。

そして特に大事なことは、世界的にトップレベルの注目論文を書く人は、必要な研究費の額はそれほど多くないということだ。せいぜい”数百万円でOK”であったということなのである。

このことから、私が「”研究バブル”もノーベル賞学者頼み?」の中で

”要するに、日本の競争力の問題は野依博士たちが思っているような金の問題ではない、のである。むしろ、企業社会、科学者社会のモラル(英語のエティクス、倫理観)の問題なのである。

もし国が日本人研究者に25兆円を投資したとしても、そのほとんどが国際協力と言う名の下に諸外国の研究者に流れるというのであれば、最初からこの25兆円は必要無いのである。もしその大半が日本の企業に実験装置の発注で終わるとすれば、これまたこの金は必要無いのである。もしその大半が国際学会参加のための旅費に終わるのであれば、これまたこの金は必要無いのである。もしその大半が研究者の衣服や居住生活に使われるとすれば、これまたこの金は必要無いのである。そもそも自分の高額な給料で賄うことができるからである。”

と書いていたように、文部科学省は、毎年1兆円規模で日本の研究者に研究開発費を支援しているが、その大半は、研究というよりは、別のものに使われてしまっている公算が高い、ということをこのデータは示しているといえるだろう。なぜなら、世界のトップ10%に入る研究をする人の総研究費は、たったの

858人×490万円/人=42億420万円

で良かったという計算になるからである。これは、総予算1兆円/年の内のたったの0・4%に過ぎない。残りの99・6%はどこかに消えて行ってしまったのである。上の私のエッセイで

”こんなわけで、私はノーベル賞学者の野依さんらの行いは、決して誉められたものではない、と考える。”

と書いておいたが、まさにその通りであったということを証明したわけである。まったく、”研究バブル”さながらの話であったということであろう。

要するに、結論を言えば、ずっと前から私が主張して来ていたように、基礎研究するに値する能力のあるごく少数の研究者に適切な額の投資を行えば、しっかり良い研究は生まれる。つまり”研究者社会は少数精鋭に限る”ということなのである。
2006/04/26のBlog
ところで、話は飛ぶが、金メダリスト荒川静香さんと小泉純一郎首相のだんながツーショットでプッチーニの歌劇「トゥーランドット」を鑑賞というニュースがあったが、実はこの会場でとんでもないことが起こっていたのだとか。それは、開演前に小泉のだんなに対する”猛烈なブーイングの嵐”だったという。
報道されなかったブーイング 情けない大手マスコミの姿(参考:小泉首相:荒川静香選手とオペラ鑑賞

”やはりオペラ好きの江川紹子さんが偶然同じ公演を見に来ていました。
「いやはや、すごいブーイングの嵐でした。これまで音楽会やオペラで、こんな激しく長いブーイングは、聞いたことがありません。しかも、このブーイングがあったのは、公演が始まる前のこと」。
「開幕直前、2階席の最前列に小泉さんが現れたのですが、なんと荒川静香選手を伴っていました。その姿が見えた途端、すさまじいブーイングが起きたのでした」。
こう書きだした江川さんは
「たぶん、荒川さん一人だったら、大拍手とブラヴォーで迎えられたでしょう」
「本当に、今日のブーイングは荒川さんにはお気の毒」
といいます。同時に
「小泉さんが一人で来られたとしても、こんなブーイングの嵐にはならなかったと思います」
でも、荒川さんとのツーショットというマスコミの注目を見越したパフォーマンスが
「かなりの人たちの目に、あざとい、という風に映ったのでしょうね、きっと」
と指摘します。”


ひと頃”世紀末の日本”という言葉が流行ったが、実質的にはその頃とまったく変わっていないどころか、なおいっそう悪くなっているのだが、良い言葉がなく表現しにくいところがある。”新世紀”が必ずよろしいということはない。まあ、とりあえず”崩壊前の日本”とでも呼ぶことにしておこう。

この”崩壊前の日本”(要するに”崩壊前の東京時代”という意味だが、東京が崩壊するだけで日本全体が崩壊してしまうという実に情けない国になってしまったわけだ。その点、江戸時代と大差ない)の時代、こういった”お公家さん”タイプばかりの人物がもてはやされる時代となった、ということである。これは、どの国でも、どの時代でもいつでも真実であり、本当ならこういったこと(事実の歴史、教訓)を人文系の学問で学ばなくてはならないことなのである。

いずれにしても、良いことや難しいことをやり遂げようと日夜努力している我々のような名もない科学者たちには、一向に何の援助もないというこの国で、権力や知名度にアグラを書いてバカしているだけの人物には、ふんだんに金の自由が効くらしい。

最近、ワールドカップサッカー前のドイツで”DNA nanoelectronics 2006”というDNAの国際学会が開催され、世界中の”DNA電子論”研究者が集まったというが、この中の数人は私の知人であった。中でもスペイン人のEnrique Maciaさんは私の10年程前にここ阿南でやったDNA研究を紹介してくれた。私に端を発した2本鎖DNA理論を発展させてくれたのである。たいへんありがたいことだ。3年前に日本物理学会で国内にこの手の分野の種を蒔いたのは私だが、その成果も現れていた。素晴らしいことだ。

こうやって実質的に世界貢献、世界の科学文化に”人知れず”貢献している我々は、日本国内では影ながら細々と生き長らえているというのが現実だ。とはいっても、税金からお金をもらおうという気持ちは毛頭ない(私が書いたつたない本を買ってくれたら良いのだ)。ただ、今や我々のパソコンレベルでできることはすでに終わってしまったというところだろう。スーパーコンピュータや超スーパーコンピュータの力がぜひとも必要な時代に進んでしまったのだ。こうなると、もはや我々の出番は少なくなる(まあ、まったく出番がなくなるということではないが)。

とはいっても、今我々が使っているパソコンは、20、30年前の大学にあったスーパーコンピュータ並みの能力や性能を持っているのだ。これをたいていの人はタイプライターやワープロやテレビや端末代わりに使っているだけでどれだけ本当に使いこなしているのかといえば、心もとないというのが現実だろう。頭を使えばパソコンだけでも国際級の研究もできるのだよ。

”サッカーがいくらうまくても、だめなんだよ。ビジネスマンの私の場合はね。”

というクリスチャン・ロナウドのCMがあったが、私の場合はこんな感じだろう。

”サッカーがいくらうまくても、だめなんだよ。理論物理学者の私の場合はね。”
松本専務理事ら理事8人が辞任表明 スケート連盟

によると、「国際事業委員会の不透明支出を巡り、当時の同委員会委員だった藤森光三会長代行、松本充雄専務理事、城田憲子フィギュア強化部長、亀岡寛治スピード委員長ら8人が6月30日付で理事を辞任する」と発表したようだ。

数日前に私が「女子フィギュアの”不明朗選出”、”不明朗会計”」に紹介しておいたことがほぼ裏付けられる結果となった。

「連盟の財産約3億円を減らした」
「日本スケート連盟の久永勝一郎元会長が就任した98年に連盟事務局から事務所と会計が分離され、03年までの3年間に1億5千万円以上の赤字が出た。」
「国際事業委が適切な会計手続きを行わず、正すべき立場にありながらこれを正さなかった」
「久永元会長が会長在任中、個人的な海外投機に関連して、連盟の国際事業委員会の資金を私的に流用していた疑いがある」
「久永元会長は98一04年の在任中、フィギュアの大会などを運営する国際事業委の事務局を自社に移転。連盟本部から会計処理も分離して、支出の大半を決裁していた。」

などと、選手達の血の滲むような努力を尻目にこういったことを行っていたのである。中でも特に悪なのは、久永元会長なる謎の人物である。今度辞任に追い込まれた理事たちは、この人物の”子飼い”のような元取り巻きのような感じで、この人物の尻拭いをさせられた感がある。

”連盟幹部によると、久永元会長は北海道旭川市で03年に開かれたフィギュアNHK杯の開催準備金1千万円について「足りなくなった」と追加支出を要請。幹部らが開催準備金を管理する国際事業委の口座を調べたところ、目的外に使用された疑いが浮上した。久永元会長はこの後の04年6月、会長を退いた。

 NHK杯の開催準備金は海外選手の誘致などに使う資金で、NHK子会社から毎年1千万円が国際事業委の口座に直接振り込まれていた。

 連盟幹部は朝日新聞の取材に対し「松本専務理事は久永元会長から資金をもっと出せと言われていた。流用の後始末もしていた」と証言している。松本専務は「(久永氏が準備金を)自由に使っていたので、それはやめさせた」と述べ、久永元会長が正規の手続きを取らずに連盟の業務と関係のない出張をしていたことを認めた。 ”

「スケート関係者と社会一般の方々に心からおわびを申し上げます」

「自らの襟を正すべきである」として自主的に辞めることを決めたというが、口先だけは”うまいこと”を言う。こういう”言い逃れ”だけは知恵が働くタイプの人間たちなのだろう。しかし、”辞任”という形の一種の逃避でこの問題は決着するのだろうか。これでは、人様のお金を勝手に使い込んで、そそくさと海外逃亡を企む泥棒連中と何ら変わりはない。

それにしても、久永勝一郎とは一体何ものなのだろうか。この人物をお縄にして牢屋に閉じ込めることなく、その手下の辞任だけでは、話が甘過ぎるのだろう。
2006/04/24のBlog
[ 10:29 ] [ スケールフリー ]
おそらく、21世紀に入ってからこの10年で日本はまったく違ったタイプの国になるのではないか、と私は予想している。というより、もう部分的にはすでにそうなってしまっていると言うべきかも知れないが。これは、日本は完璧な”世襲社会”に逆戻りするだろう、ということである。『国家の品格』うんぬんする以前の問題である。

戦後、日本は敗戦国としてアメリカ型の自由民主主義社会を力づくで目指させられることとなった。戦前の貴族主義国家とは違った一般庶民の国を構築することがその目的だった。戦後50年ほどの間はアメリカの核ミサイルの傘の下で、”戦後55年体制”という代物で、今日までなんとかやってきた。1970年代の高度成長期はまさにこの大衆庶民化社会の到来で、大阪万国博がその象徴となった。この時期の子供達の夢は、21世紀はバラ色の世界で都市は高層ビルで埋め尽くされ、その間を道路が飛び交う未来社会であった。鉄腕アトムが描く未来がこの時代の未来像だったと言える。そして1980年代で経済大国となり、バブル全盛時代となり、日本人が世界中を買い漁り、世界中を闊歩する時代となった。

しかし、この大衆庶民社会の日本システムが21世紀に入ってほぼ崩壊した。残念ながら、これが今日の日本の現実の姿であり、鉄腕アトム時代に夢見た近未来の21世紀像とは全く違った姿となったというわけである。バブル全盛時代にアグラをかき、油断したツケが、その後1990年代、2000年代の今日の時代背景を生み出す基礎を作ったと言えるだろう。

あれほど30年前には科学技術の時代ともてはやされたものが、今ではお笑いブームの時代に成り果てた。”科学離れ”も進み、科学者を夢見る子供も少なくなった。30年前のアメリカ人のように、無知で不器用が代名詞となる国民に日本人は変わってしまった。料理もできず包丁もナイフも使えず、フロリダがアメリカのどこにあるかも分からない。その昔日本は中国大陸の中にあると答えたアメリカ女性のようなものである。

その理由は何だろうか?

ある人は、その理由を物質主義化した行き過ぎたアメリカナイゼーションに見る。アメリカ型の核家族化、商業主義化の成果であると。別のある人は、団塊の世代のモラル欠如に見る。この世代は”品格”が失われ、良妻賢母や武士道精神を子孫に伝えることができなかったと。また別のある人は、周辺諸国の台頭に見る。韓国中国やシンガポールなどのアジア諸国の近代化のせいであると。また別のある人は、アメリカの陰謀説に見る。アメリカがバブル崩壊を演出し、続く教育崩壊や日本崩壊を演出したのだと。

理由をアメリカや周辺諸国など他人のせいにすることは容易いが、私には本当の理由は良く分からない。これらのすべてが微妙にからみ合って生じたというのがフェアなところだろう。ただ、確かに言えることは、戦後、特に1960年代後半から今日まで、一貫して行われて来ていることは、受験制度(やいわゆる偏差値神話)に基づく官僚登用制度であり、これと東京を中心とした中央集権化という大きなうねりとが見事にマッチして今日があるという事実である。

一般人にはあまり理解されていないかも知れないが、いわゆるグローバリゼーションと中央集権化は表裏一体のものである。国際化、普遍化すればするほど、情報は中心(ハブ)に有利に働く。こういうことが明確に分かって来たというのが最近のネットワーク理論の成果である。

具体的に言えば、世界がグローバル化し情報が自由に行き交えば交う程、その中心に位置するアメリカ(や先進諸国)が有利となるということである。先進諸国は未発達な周辺に位置する国々の犠牲の上に存在することとなる。金、物資、人材などを根こそぎ中心国が消費できることになる。これが今日見られる現実である。

これと同じことが、日本国内でも生じたということである。東京という先進国を中心として、一部の大都市群がその周辺地域の金、物資、人材を根こそぎしたのである。戦前では、これがいわゆる”出稼ぎ”というものであったが、戦後も同様で”出稼ぎ”という言葉は廃れたが、実質的には東京近郊に居住しない限り仕事がないという状況を生み続けている。特に、職種が高級になればなるほどその傾向に拍車がかかる。(もっとも、”出稼ぎ”とは帰ってくることを前提にしている概念だが、戦後では最初から帰ってくることを前提としなくなったということであろうが。事実、昔は失敗すれば故郷に帰ったものだが、今ではホームレスになっても故郷に戻らない。)

ところで、中央集権化とグローバリゼーションそのものが必ずしも悪いというわけではない。しかし、これが行き過ぎると、社会が完全に階層化するということである。というのは、税金は国全体から一律に中央に集まるが、その矛先は中央にしか向かないからである。結果として、お金を使える人は大都市近郊の人たちだけで、周辺の人々は税金を払うために一生を終えるという形となるからである。

1970年代高度成長期の田中角栄に代表される日本列島改造論の時代があるが、この時期に日本全国に道路整備や建築ラッシュが起きて国に集められたお金は土建業を通じて全国に行き渡った。確かに談合や無駄な道路建設のために都市部の人々の反感を買ったが、地方がある程度潤うためには、今思えば、土建業程度しかなかったと言えるかも知れない。しかし、道路建設や土建業を中心としたものから科学技術を中心としたものへとシフトした現在、国に集まった金の使い道はほとんどが大学のある都市中心となった。結果として数百の大学群や大企業群がある首都圏を中心にお金はばらまかれたが、地方へはほとんど到達しないこととなった。

これは、ネットワーク理論からも正当化できるストーリーである。ネットワーク理論によれば、道路網は中心があるといっても、平面という物理的な2次元世界の話であるために、東京に向かう道路数には限りがある。無限に主幹道路が増えることはない。道路はほぼ全国に均等にはり巡らされる傾向がその原理からして生じる。だからお金をこの道路に割り振れば、全国だいたい均一にその規模に応じて行き渡る。

ところが、情報に関した場合にはこうはならない。なぜなら、大学は首都圏や大都市を中心に一ケ所集中しているからである。つまり、大学ネットワークは東大や京大を中心として大都市にしかなく、それらをして階層的に構築されているからである。ましてや情報網となれば、それに拍車がかかる。情報網は空中を経由したり光ファイバー網や電話線網を経由するために、物理的次元をはるかに超えた多次元世界のネットワークとなる。この場合には、中心に行き着くネットワークリンク数は無数に上限なく増えることが可能となる。こうしたネットワーク上にお金を投入するとすれば、そのお金はほとんどが中心(ハブ)近郊に留まる。

さらにネットワーク上の拡散(ディヒュージョン)理論の帰結を基にすれば、こうしたスケールフリーネットワーク上の拡散はハブに集まる傾向があると分かっている。なぜなら、道路網であれば、道路網上の2点を結ぶと、どちらからも物流は対称に運ぶことが可能である:つまり、道路交差点の数がだいたいどこも一定であるためにA点からB点へ運ぶこととB点からA点に運ぶことはほぼ等価になる。

しかし、スケールフリーの情報網の場合には、ハブと周辺を結ぶ2点は等価ではなく、リンク数に多対1対応となっているため、もし周辺からハブに1の確率で物(情報)を運んだとすれば、ハブから周辺へは(1/リンク数)の確率でしか物(情報)が運べないからである。もしハブのリンク数がとてつもなく大きければ、この確率はほとんどゼロとなり、周辺地域が搾取されることはあってもリターンしてくることはない。具体的に言えば、税金は一律に取られるために確率1で(つまり確実に)取られるが、その税金の投資先に自分が選ばれる確率はゼロということである。しかし、あなたが大学に所属すれば、確実に税金の投資先に選ばれるだろう。もっと卑近な例を出せば、ネットワーク詐欺事件、オレオレ詐欺や架空請求は全部首都圏や大都市近郊で行われていることからもこの意味が分かるだろう。

こうして、地方は過疎化どころか、過金不足化しているのである。これが、地方の老舗や商店街がどんどん閉鎖している現実の根本原因なのである。

さらに、これが科学離れの根本理由でもある。要するに、こういった階層化した社会になると、一般人の子供が科学者になる確率より、科学者の子供が科学者になる確率(あるいは、大学や研究所に職を持つ人の子供が大学や研究所に職を持つ確率)の方が1000倍から1万倍高くなるだろうからである。なぜなら、本来医者や科学者の資金は税金であるが、その元となる税金の投資先は大学や研究所しかなく、一般人には来ないからである。

具体的に言えば、大学や研究所でほぼ年功序列の給与体系で中堅になれば、年収は1000万円を軽く超えるという。しかし、同じ年齢で一般社会ではその半分である。これからして受験戦争に勝つ確率は親の給与に比例するはずであるからほぼ倍から10倍の開きが生じる。さらに大学院、ポスドクなどと進むにはそれまでの家庭環境が安定していなくてはならない。こうして、各段階で10倍、10倍と進むために、結果として1000倍程度(あるいはそれ以上)の差になると見積もることができる。ようするに、”科学離れ”というよりは”(大学の科学者の子供でない限り)科学者になれない”状況が現実にはあるということである。言い換えれば、日本の科学者社会は”完全に”世襲化したということである。

巷では、特に宇宙飛行士で科学館館長の毛利衛さんに代表される日本の科学者は、「子供の頃から科学知識に触れさせれば科学離れが防げる」と考えているように見える。また、京大の柳田充弘博士のようなタイプの科学者は、「科学者の待遇を上げれば科学離れは食い止められる」と考えているように見える。しかし、私の観点からすれば、前者は1980年代までの話、後者は1990年から2000年代までの話であり、かつて私が拙著「何が科学をつぶすのか?」を書いた頃以前の話である。現実はもっと急速に悪くなっているのだ。この事実を中央や大都市に住んでいる人々は理解しない。

ここ阿南のような田舎でも離婚は急速に増えつつあるが、それは昔のように性格の不一致とかいう個人の問題というよりはすでに経済状況の問題なのである。経済が破たんして別れるしかないというようなケースが増えているのである。(もちろん、同じことは大都市でもすでに起こっている。)ましてや先生たちの職も子供達の人口減少を追うようにどんどん年ごとに減っている。一方どんどん年金生活老人は増える一方だ。老人の中には生活に困窮していっしょに住まざるを得ない自分の子供の家族すら追い出してまで豊かな老後にこだわるものも出てくる始末。こういった状況は義務教育を要する年代の子供達にのしかかって来ているのが現実である。

こういう風潮の中で、じっくり腰をすえて取り組まなくてはハードルを超えられない科学者の生活は時代背景に合わない。「科学は好きだから科学者にはなりたい」から始まって「科学は好きだが科学者にはなりたくない」と変わり、それが今では「科学は好きでも科学者になれない」という時代に変わったのである。

毛利さんや柳田さんが税金で賄われた科学館や京大という組織に君臨して”科学離れ”うんぬんと子供達に何かしようとすればするほどその裏で税金を支払わされて科学の道を諦めなくてはならないという家庭が増える一方なのである。まあ、極端な話、本当に新しい世代の科学者を増やしたければ、今大学や研究所にいる科学者全部が根こそぎ退職し民間企業に移る他ない。そうでもして税金を減らしてやらない限り、ごく一般人の子供が科学者になれるという可能性はないのである。むしろ今現実に起こっていることは、その逆である。税金で生活させてもらっている大学や国立研究所の職員の子供がさらにまた税金をもらって良い生活を行う可能性が高いという完全な”悪循環”に陥っているのである。親がサラ金で借金して育った子供が再びサラ金で生活する人間になるというような話である。しかしこうした人の方が自分で稼いで生活する人より良い生活をしているのが今の日本なのである。

かつて江戸時代末期、武家官僚制度の末端にいた侍たちは『武士は食わねど高ようじ』と言って、武士が貧困にいることを容認し、いざというときのために備えていたという。もし侍達が豪奢な生活を望んでいれば、江戸時代は100年も持たなかったであろう。

では、官僚や大学教授が豪奢な生活を望む現在、東京時代がいつまで持つのだろうか? 

東京大震災が先か、東京経済破綻が先か、果たしてどっちが先だろうか。

破綻は困る。が、しかし、破綻しなくてずっと今までどおり進むとすればますます現状は悪化する。どうすれば良いのだろうか。このジレンマ、矛盾をどうやって解決するか?そこに日本人の知恵が試されているはずである。

いずれにせよ、”このままで行けば”、ここに描いたストーリーによって、現実はますます”世襲化”していくことだろう。官僚の子は官僚に、政治家の子は政治家に、学者の子は学者に、芸人の子が芸人に、そして貧民の子は貧民に。それからさらに官僚の子はますます官僚に、政治家の子はますます政治家に、学者の子はますます学者に、芸人の子がますます芸人に、そして貧民の子はますます貧民に、の社会に変わっていくのではないか。私はそう予見するのである。そしていつの日にか、科学の話は特定の科学者とお友達にならない限り教えてもらえない。大金を支払わない限り科学知識に触れることはない。こんな感じの国になっていくだろうと私は直感するのである。
2006/04/21のBlog
中国から毎年この時期になるとやってくる”黄砂”。この中には、いろんな花粉やら微生物(菌類)も含まれているとか。中には、中国政府が国外持ち出し禁止にしている貴重な菌類もあるらしい。外にシャーレをおいて採取すれば、中国三千年の秘宝となる納豆が作れるかも知れない。


水金地火木土天海冥。お隣の”金星”にも雲があり、対流がある。私が子供の頃は、金星の大気は、”灼熱地獄”で”硫酸の雨あられ”、とても生命は住めない、という話をNASAは流布していた。しかし、ここに来てNASAも密かに方向転換してきたのだろうか。”金星にも雲がある”とやんわりさりげなく地球型惑星の様相をリークするようになったようだ。もうすぐ、金星も火星並みに地球人が住める惑星だなんていう話も飛び出すかもしれないナ。金星人が地球に来ていると言ったのは、確かアダムスキー型UFOに乗ったというアダムスキーだったかナ。忘れてしまったが、学研の”ムー”並みにNASAもなってきたのだろうか。


腰に”くびれ”ある女性は、”セクシー”の代名詞。最近はセクシーとは言わず”エロい”というのだとか。しかし、私の世代では、どうも”エロい”という響きは悪い。どうしても”エロイカ”を思い出してしまう。そんなセクシーな魚の化石が発見された。なんと腰ではなく、首に”くびれ”ある魚。つまり、両生類に進化する一歩手前の魚らしい。実に”エロ”い魚だ。


さてもっと”エロい”やつは、なんと足のある”蛇”が発見された。龍には足も手もあるが、それを彷佛させる、足のある蛇の化石がアルゼンチンで発見された。その地層がもともと陸上だったことから、蛇はとかげ類の一種が地上で穴掘って生きていく内に手足を失ったのだという一説。ところが、実はそんな奴はまだアルゼンチンに生きている。俗に”手のあるミミズ”。このミミズはまさしく肌色をした超”エロい”蛇なんだナ。


最後に、御存じ”ナスカの地上絵”。この新種がNASAの航空宇宙写真を見ている内に日本の研究者が発見してしまった。これぞ”他人のふんどしで相撲を取る”、関取の風上にもおけない大作戦。NASAのふんどしで相撲を取って大金星をあげたというやつだ。しかし、この新地上絵、何が書いてあるのかさっぱり分からない。さかさまにすれば、何やら”渦巻き星雲をみて万歳している人間”のようにも見えなくはないが、真偽のほどは今後の研究を待つほかないネ。
細胞「自食」は体のゴミ処理 国内2チームが証明

生物が飢えると細胞が自分の一部を食べる自食作用(オートファジー)というしくみが、細胞内の異常なたんぱく質を分解するゴミ処理装置としても働くことを、東京都臨床医学総合研究所などの2チームがそれぞれマウスで証明したという。

(あ)全身で自食作用を起こらなくした遺伝子改変マウスの神経と肝臓の細胞に異常なたんぱく質がたくさんたまり、生後1日で死亡した。
(い)神経細胞だけで起こらなくした遺伝子改変マウスは生後1カ月でうまく歩けなくなり、刺激に十分に反応できない運動障害がみられた。脳の神経細胞には異常なたんぱく質の塊がたまっていた。
(う)これらは人間のアルツハイマー病やパーキンソン病、ハンチントン病などの神経変性疾患と似ていた。

これらを眺めてみると、しばらく前に
「オートファジー」にも一長一短。
「オートファジー」は”断食”の科学的原理か?
に書いたことだが、イエスキリストも断食によってハンセン病(ライ病)などの病気の患者を直したと言われているが、”断食が癌に効く”という幾多の例もあることから、その科学的基礎付けが望まれていた。やはり、オートファジー(自食現象)は断食の科学的裏付けになるのではないか、と私は考える。

もしこれが事実であれば、人間の身体には本来の自然治癒力というものが備わっているということとなる。もし本来の自然治癒力が発現するとすれば、飽食の時代ではなく、飢餓の時代なのである。飢餓に陥れば、細胞自らがその栄養分を自身の中にある不要物から食い尽くしていく。あたかも家庭で火にくべる薪が無くなった時に家の中の不要物から燃していくように、外からの栄養が無くなれば、細胞は自らの内に燃焼すべき不要物を探し出す。もしそれが癌細胞であれば、癌細胞を食いつぶす。もしそれが、アルツハイマー病、パーキンソン病、ハンチントン病などの神経変性疾患を引き起こすタンパク質プラーク、あるいはリュウマチや筋ジストロフィーなどの自己免疫疾患を引き起こすタンパク質プラークであれば、それを食いつぶす。

このことから、「栄養状態を調節したり、薬を使ったりしてこのしくみを健全に保てれば、神経変性疾患を防いだり発症を遅らせたりできるかもしれない」というよりは、古来からある断食という方法によって難病を克服する道というものがあるのではないか、と私には思えるのである。
2006/04/20のBlog
トリノの教訓:スポーツと経済効果の最後に、日本の女子フィギュアスケートについてこう書いていた。

”こうした目的のためであれば、金メダリストに1億2000万円の報奨金など広告料としてははした金のはずで、安いはずである。

ところが、どうやら日本では、今回明らかになってしまったように、日本選手団の半数以上がスタッフやコーチで、半数未満が選手であるという。だから、選手の遠征費ばかりか関係者の遠征費までねん出しなくてはならなくなった。そのおかげで選手の強化費が激減し、結果として好成績に結びつかなかったのである。

挙げ句の果ては、まだ金メダルも取らない安藤選手やまだ代表にすらならない浅田真央選手の人気にあやかって協会がコマーシャルに引っぱりだし、協会費をねん出させられるはめに陥ったようにすら見えるのである。おかげで、安藤選手も承知のように不調に終わり、浅田選手は今や絶不調に陥ってしまい、いつもコンスタントに飛んでいた4回転ジャンプすらできなくなってしまったのである。

まさに、JOCのやり方は”本末転倒”であったと言えるだろう。このままでは、さらに世界から取り残されるだろう。それにしても、金メダリストの荒川静香さんに500万円だけというのは気の毒過ぎるのではないだろうか。”

最近、あれだけトリノ・オリンピック前には担ぎ出されていた安藤美妃選手がトップレベルから陥落したというニュースがあった。トリノ・オリンピック前には、あれだけ良い成績を収めていた浅田真央選手を年齢制限のために日本フィギュア協会は出場させないと固持していた。かつて、オリンピックの女子マラソンの出場選手を決める時にも、毎回すったもんだの”不明瞭な”選出が行われて来たが、それに違わず、日本女子フィギュアの選考も”不明瞭な”選出を行っているようだ。

こうした時、その背後に決まっているのが、城田憲子のようないわゆる”女帝”と呼ばれるタイプのリーダーの存在である。私は浅田選手がトリノ・オリンピック出場を逃した時にこの人物が恐い顔をして執拗に拒絶した姿を覚えている。そして、今度は、あれだけこの人物のおかげでCMやらイベントやらに引っ張り回されてすっかり調子を崩し挙げ句の果てには本番でも良いところなく終わってしまった悲劇のヒロインであった安藤美妃選手を強化選手からはずしてしまったというのである。

どうやらこういった摩訶不思議な行動のすべてが実は城田憲子が行っているらしい。要するにこの人物は人気選手を協会のお金集めの道具とし、自分に不満のある選手は逆に強化選手からはずすということをこれまでずっと頻繁に行って来たようである。

そして、前回オリンピックではまったく選考の目にも引っ掛からなかった荒川静香選手が今回の金メダルのおかげでこの人物のお眼鏡にかない、頻繁にCMで協会のために働かされているように見えるのである。

こういう、細木数子ばりの、どこかの”成り上がり”女経営者のような人物にもかならず落日の時が来る。今日のこのニュースは私がここ数年のフィギュアの流れを見て来て感じていることを如実に証明してくれているようで非常に面白い。

日本スケート連盟フィギュア部、協賛金を“裏口座”に

”日本スケート連盟が長野・野辺山で毎夏開催しているフィギュアスケートのエキシビションに対し、地元自治体が拠出している協賛金が連盟本部に報告されず、フィギュア強化部独自で管理していたことが明らかになった。

 “裏口座”とも取られかねない管理方法について、強化部の上位組織であるフィギュア委員会は「問題あり」と判断、25日の理事会で謝罪のうえ、収支を報告する。

 エキシビションは、五輪代表選手が多数参加する野辺山合宿のフィナーレを飾るイベント。約1000人の観客が集まることから、「村の活性化にもなる」などとして、リンクのある南牧村が2002年から4年間で計360万円、隣接の川上村が計137万2000円を支払った。

 両村によると、振込先は強化部の口座。この金は強化部スタッフが管理し、年度ごとの収支は、フィギュア委、連盟本部に報告していなかった。

 今回の件は、連盟の経理問題が3月に浮上したのを機に、諸経理を見直した結果、口座の報告漏れが表面化。9日のフィギュア委で初めて「4年間で330万円の繰り越しがあった」と報告された。席上、城田憲子強化部長は「ためてあった金がそのままになっていた」と説明したという。”

かたや同じ冬期オリンピックチームでも最近私が肩入れしている日本ボブスレチームのように、遠征費まで自腹を切ってワールドカップに出かけ、オリンピック参加も厳しい状況で参加しているグループもある。もちろんコマーシャルに使ってもらえるほどのスポンサーもない。1年前のカーリングのようなものである。(この2006年04月19日のブログにあるミスターXさんをジャンボさんに紹介したのがこの私だ。)

一体全体、女子フィギュアの強化部長さんは、何を御考えなのだろうかネ。JOCももっとこの辺をしっかりやらないと、ますますメダルから遠のくだろう。
日本人の平均身長はもう伸びないのか」によれば、日本人の平均身長は戦後一貫して増加し、あと数センチで欧米人に追い付くところまできていたが、数年前から身長増加傾向に頭打ち傾向がでてきて、ここ数年まったく伸びていない、という。

私の個人的印象では、それどころかむしろ低下して、日本人は再び江戸時代人のように低身長化しつつあるのではないかとすら思える。この1年半阿南高専生にサッカーを教えたが、1957年生まれの私ですら当時平均並みの身長であったが、その輪の中に入ってもむしろ背が高い方であった。

人間の身長は、ほぼ栄養状態と遺伝で決まっている。遺伝の影響が80%とすれば、栄養状況(つまり親の経済状況)の影響は20%くらいと私は見ている。

身長に対する遺伝の影響は男女で異なると言われている(もっともまだ一般人には全く知られていないが)。男は母親の遺伝的影響を受ける。女は父母の影響を上手に受ける。これは、簡単に言えば、「大きな受精卵(胚)ほど大きく育つ」という事実にあり、「大きな受精卵(胚)を作る遺伝子の影響に男女差がある」ということである。

メンデルの法則に従わない遺伝子」には私はこう書いていた。

” 例えば、性染色体XとYには胚(受精卵)を決定する遺伝子があり、特に胚の大きさそしてその後の個体としての大きさはX染色体で決まっているようです。女性は父母から1つずつXをもらいXXですが、男性は母からX父からYをもらいXYです。そのため、女の子はだいたい両親の平均程度の大きさになり、父母のどちらかに大きく依存しませんが、男性は母親の大きさにかなり依存します。したがって、大きな母親からしか大きな男性は誕生しないということが分かっています。”

このことから、大きな男は大柄の母親から誕生し、大きな女は大きな父親から生まれる可能性が高い。つまり、女の身長はだいたい両親の平均程度に落ち着く傾向にあるが、男の身長は母親の子宮の大きさに比例していると見て良い。
ハゲ研究:ハゲに朗報、ハゲは色盲といっしょ?
性染色体の戦略

このように遺伝的に決まった大枠に成長過程における栄養状況が多少の影響を与えるのである。

1957年秋に私が生まれた時、私の体重は3200gであった。戦後の復興まもない我が家は貧困のどん底にあり、生まれたばかりの赤ん坊であった私のためにミルクを買うお金はなく、私は重湯(おもゆ=米の炊き汁の上澄み)で育った。しかし、私の身体の成長期に日本の高度成長期が重なり我が家も比較的豊かになったために、存分に牛乳を飲むことができるようになった。そして、ずっと小柄だった私も高校生の頃には最長で172cm程度には育ったのである。3000年前の弥生人の身長から比べて10cm強である。もし我が家の経済状況が悪く、成長期に私が充分な栄養摂取できなかったとすれば、おそらく私の身長は弥生人男子の平均身長162cm程度で終わったであろう。これほどまでに遺伝の影響は強い。

以後私が観察した限りでは、新生児で

2000g前後はだいたい160cm前後、
3000g前後はだいたい170cm前後、
4000g前後は180cm前後、
5000g前後は190cm前後、
5kg以上は2m以上

に育つと見積もっている。胎児で5kgを支えるためには、骨盤も子宮も大きくなくては無理である。当然、母体自体が大きくなくては無理である。つまり、非常に大柄な女性でない限り5kgの重さの胎児を維持するのは困難である。日本人には、大柄の女性は少ないわけだから、当然大きな胎児は育ちにくい。あったとしても難産は必至である。一方、栄養状況は成長期にせいぜい10cm前後の差をつける程度だろうと私は見積もっている。

そこで、最初の問題に戻る。

戦後日本人の平均身長を10cm引き上げて来た原動力は何か?

と言えば、成長期における牛乳摂取のおかげであったことはまず間違いないだろう。それが、ここ最近話題になっている牛乳の消費量が極端に減ったという問題と見事に重なるのである。

この原因として、最初のホームページでは、スナック菓子やインスタント食品の過剰摂取による偏食、塾通いや深夜放送などによる睡眠不足、遊び場の不足やファミコンのしすぎ、などによる運動不足、いじめや家庭崩壊などによる情緒不安定、
などの”ライフスタイルの変化”、をあげる。これ以外に、
”少子化(で学校給食で牛乳が出なくなった)”、
”お茶などのペットボトル飲料の増加(で牛乳を飲まなくなった)”、
”(若者の)朝食抜きの増加(で朝食時にミルクを飲まなくなった)”、
”牛乳が太る飲み物と誤解させられた”
なども大きな原因と考えられているようだ。

どれも正しいだろうと私は思うが、いずれにせよ日本人が牛乳を太る(ないしはあたかも牛乳が身体に悪い)かのようにいう風潮を生み出した日本のマスコミの影響は見のがせないだろう。牛乳は万能薬のようなもので、百利あって一害なしのめったにない飲み物、栄養物である。

私が思うに、昨今日本の科学者がいわゆる”とんでも”といってアマチュア科学者やマイナスイオン関連のメーカーを糾弾しているが、そんなものよりももっと大事なことは、こういった間違った栄養に関する偏見を蔓延らせて儲けている”とんでもない”食品・清涼飲料水メーカーを糾弾することであろう。

牛乳は、成長期が来るのを遅らせ、成長期の期間を長くし、カルシウム摂取を促し、骨を太く大きくし身長を高める。胃の粘膜をスクリーンし消化を助け、急激な消化を起こさずに身体を太りにくくする。胃ガンの発生率も低下させている。身体の酸性化を防ぎ、疲れにくくする、などさまざまなメリットがある。アフリカのマサイ族のように、年がら年中牛乳だけで生活している民俗もある。

これほどまでに”牛乳”は日本人の健康に貢献してきて、日本人の体型を大きく強くし、スポーツも世界レベルに押し上げる原動力となったのである。

いわゆる高校サッカーからはアウトサイダーのルートで育ち今やサッカー日本代表のトップスターとなった中沢選手はこう言っていた。

「まったく無名の時代、自分が将来プロ選手となるための”こだわり”として守って来たことは、スポーツ飲料や清涼飲料水を飲まないこと、水か牛乳しかのまないことだった。」
「友だちがスポーツ飲料やコーラを飲めと言っても、俺は水でいい、といって断った。」

この”こだわり”が、日本代表で世界レベルの高い身長を持つ、日本になくてはならないディフェンダーに彼を成長させたのである。私はそう思う。

これに反して、茂木健一郎の『プロフェッショナル 仕事の流儀 佐藤章』にある、

”「生茶」「FIRE」などの清涼飲料を次々と大ヒットさせ、後発のキリンビバレッジを一躍、シェア上位に押し上げたビジネス界注目の商品企画部長・佐藤章(46歳)。”

のような男を私はどうもあまり好きになれない。というのも、その会社にとっては素晴らしい貢献だったかもしれないが、日本や世界という視点で大局的かつ長期的に見れば、今の日本人の低身長化の直接の原因を生み出し、現代人を縄文人や弥生人、強いては江戸時代人にまで後戻りさせかねない愚挙を行ったからである。要するに、”木を見て森を見ない”タイプの人物、”目先の損得にこだわり将来の大損をこく”タイプの人物、”今しかわからず未来が見えないタイプ”の人物は私はあまり好きになれないのである。しかし、今の日本では、どうもこういう輩がもてはやされるという傾向がNHKにも見て取れる。いやはや大変困った傾向である。