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2006/10/29のBlog
[ 10:04 ]
[ 科学ニュース ]
写真:遺伝子の全解読がなされた蜜蜂。
昆虫では、ショウジョウバエ、マラリアを媒介するハマダラカの次の第三番目とか。
ゲノムの大きさは、約2億6000万塩基対で、人間の1/10。
ハエ、カ、ハチと来たら次はバッタかカブト虫か。果たして次のターゲットは何だろうか。
Honeybee:ミツバチゲノムの解読
ミツバチの全遺伝情報を解読 東大などの研究者
昆虫では、ショウジョウバエ、マラリアを媒介するハマダラカの次の第三番目とか。
ゲノムの大きさは、約2億6000万塩基対で、人間の1/10。
ハエ、カ、ハチと来たら次はバッタかカブト虫か。果たして次のターゲットは何だろうか。
Honeybee:ミツバチゲノムの解読
ミツバチの全遺伝情報を解読 東大などの研究者
写真:1億年前のハチ。
海の中でも、海の植物と節足動物は見事に共生しているが、それと同じように陸上でも植物と昆虫は見事に共生している。最古のハチはアリのようであった。
1億年前の琥珀にハチ 米研究者がミャンマーで発見
海の中でも、海の植物と節足動物は見事に共生しているが、それと同じように陸上でも植物と昆虫は見事に共生している。最古のハチはアリのようであった。
1億年前の琥珀にハチ 米研究者がミャンマーで発見
写真:鹿児島で見つかった沖縄・奄美のみで生息のクロボシセリ。
日本列島が徐々に温帯から亜熱帯地域に変化しつつある証拠。そのうち、マラリア、デング熱、ライム病なども伝染してきかねない。もっとも我が家の長男は数年前にライム病にかかったので、すでにどこかに潜伏しているかも知れない。
沖縄や奄美に生息のチョウ、クロボシセセリ本土で初確認
日本列島が徐々に温帯から亜熱帯地域に変化しつつある証拠。そのうち、マラリア、デング熱、ライム病なども伝染してきかねない。もっとも我が家の長男は数年前にライム病にかかったので、すでにどこかに潜伏しているかも知れない。
沖縄や奄美に生息のチョウ、クロボシセセリ本土で初確認
写真:広島で見つかった白いオオサンショウウオ。
白いオオサンショウウオ、5匹が群れ 広島・北広島町
白いオオサンショウウオ、5匹が群れ 広島・北広島町
2006/10/28のBlog
[ 11:11 ]
[ 徳島 ]
海陽町・みとこ荘、来年1月閉館 7年連続の赤字響く
旧宍喰町、現海陽町宍喰浦にある「国民宿舎みとこ荘」が来年1月末で閉館するとのニュース。施設の老朽化、8339万円程度の累積赤字などの理由で閉館が決まったという。
実に残念なことだ。
旧宍喰町、現海陽町宍喰浦にある「国民宿舎みとこ荘」が来年1月末で閉館するとのニュース。施設の老朽化、8339万円程度の累積赤字などの理由で閉館が決まったという。
実に残念なことだ。
2000年に私のユタ大時代の恩師であるビル・サザーランド教授が来た時には、眉山の「かんぽの宿」と「ヴィレッジ淡島」を使った。
2002年に私の友人の山田弘明さんが訪問した際とその1月後にビルが奥さんのヴェロニカさんとやって来た2度目の訪問の時には、「ヴィレッジ淡島」と「みとこ荘」を使った。その時、私の妻とビルとヴェロニカと4人で見た朝日はこれまでの人生で見た”最高に美しい朝日”であった。ディスカッション用には、私と妻がもっとも好きで我が家の特別スポットにしている「白い灯台」を使った。我が家のホームページの風景はその時にヴェロニカさんがディジタルカメラで撮ったものである。
写真:眉山山頂の「かんぽの宿」
2002年に私の友人の山田弘明さんが訪問した際とその1月後にビルが奥さんのヴェロニカさんとやって来た2度目の訪問の時には、「ヴィレッジ淡島」と「みとこ荘」を使った。その時、私の妻とビルとヴェロニカと4人で見た朝日はこれまでの人生で見た”最高に美しい朝日”であった。ディスカッション用には、私と妻がもっとも好きで我が家の特別スポットにしている「白い灯台」を使った。我が家のホームページの風景はその時にヴェロニカさんがディジタルカメラで撮ったものである。
写真:眉山山頂の「かんぽの宿」
昨年2005年にDNA研究のユージン・スタリコフさん、田中成典さん、栗田典之さん、山田弘明さんらが訪問した際には、やはり「ヴィレッジ淡島」に宿泊してもらい、「白い灯台」の喫茶室で大平洋を眺めながらスタリコフさんの最新の研究成果の講演をしてもらったものである。
私は野に住む研究者、言ってみれば、”野外研究者”なので、大学や研究所の研究者などとは違い、大学や研究所の宿泊施設を使うことはできない。それゆえ、そういった民間施設を使う。図書館は大学の図書館や研究所の図書室ではなく、市立県立図書館を使う。コピーも大学や研究所にあるコピー室を使うのではなく、ローソンやサンクスの10円コピーですませる。大学や研究所の研究者は、大学や研究所の喫茶店でコーヒーを飲むが、私はスーパーの喫茶で飲む。つまり、大学や研究所の研究者が大学や研究所に活動の場を求めるのに対し、私は街そのものを活動の場にしているというわけである。
写真:白い灯台
私は野に住む研究者、言ってみれば、”野外研究者”なので、大学や研究所の研究者などとは違い、大学や研究所の宿泊施設を使うことはできない。それゆえ、そういった民間施設を使う。図書館は大学の図書館や研究所の図書室ではなく、市立県立図書館を使う。コピーも大学や研究所にあるコピー室を使うのではなく、ローソンやサンクスの10円コピーですませる。大学や研究所の研究者は、大学や研究所の喫茶店でコーヒーを飲むが、私はスーパーの喫茶で飲む。つまり、大学や研究所の研究者が大学や研究所に活動の場を求めるのに対し、私は街そのものを活動の場にしているというわけである。
写真:白い灯台
こんなわけだから、我が家のひいきにしている施設が老朽化し、潰れて行くのは非常に痛い。しかし、「かんぽの宿」も破たん、「みとこ荘」も閉鎖とは実に残念である。
”ノブレス・オブリージェ”とは、お金持ちが自分を育んでくれた社会に対してそのお返しとして何かすばらしい貢献をしなくてはならないという意味の言葉である。私が大金持ちならもちろん「みとこ荘」をすぐさま援助するだろう。なぜなら、確かに施設は老朽化するだろうが、そこから見ることのできる風景は半永久的なもの、”永遠のもの”で、決して老朽化しないものであるからだ。この景色の美しさの価値は人間界を超えていると思うからである。
だれか、大金持ちにこうした”ノブレス・オブリージェ”の意義の理解できる者がいれば良いのだが。
写真:日和佐の大浜海岸(うみがめの海岸)。ビルの奥さん、ヴェロニカさん撮影
”ノブレス・オブリージェ”とは、お金持ちが自分を育んでくれた社会に対してそのお返しとして何かすばらしい貢献をしなくてはならないという意味の言葉である。私が大金持ちならもちろん「みとこ荘」をすぐさま援助するだろう。なぜなら、確かに施設は老朽化するだろうが、そこから見ることのできる風景は半永久的なもの、”永遠のもの”で、決して老朽化しないものであるからだ。この景色の美しさの価値は人間界を超えていると思うからである。
だれか、大金持ちにこうした”ノブレス・オブリージェ”の意義の理解できる者がいれば良いのだが。
写真:日和佐の大浜海岸(うみがめの海岸)。ビルの奥さん、ヴェロニカさん撮影
2006/10/27のBlog
[ 08:31 ]
[ 教育 ]
必修漏れ、35都道県254校に 多くの科目で発覚
「必修科目の履修漏れ」が、ごく最近とあることから発覚し、全国的な”大問題”に発展してきている。今さらながらに、日本のマスコミは「学校バッシング」を行いたい様子だが、そもそもこの問題のルーツは何であったと言えば、それは遠い時代の我々が高校生だった30年前には少なくとも遡るはずである。
私の記憶でも、私が高校生であった1970年代中ごろには、いわゆる「文系」、「理系」によってクラス分けをしていた。それによって数学3(=高校3年の数学)まで学ぶか数学1(=高校1年の数学)までで済ませるかを選択させられたものである。確か大学受験間近の高3にはさらに「国立文系」か「私立文系」、「国立理系」か「私立理系」かに分かれ、さまざまな授業科目の分配が行われていた。これにより、5教科学ぶもの、たったの3教科しか学ばないものなどが分かれることとなった。
その当時の高校(ここではいわゆる全日制普通科の進学校のこと)で、履修科目の”改ざん”や”単位捏造”を行っていたのかどうか定かではないが、ごくごく普通のことであったように思う。
だから、今回の”発覚”があったとしても、学校関係者たちは、「何で今さら」という思いが強いはずである。もうすでに1世代以上経ってしまっているからである。今の高校生の親たちの時代から同様のことは日常的に行われていて、当時の文部省もそれを推進して来たはずだからである。
つまり、この30年もの間にすでに”既成事実化”していたことなのである。さもなくば、この進学競争の厳しい時代に、公立進学校は”6年制”私立進学校に太刀打ちできない。
それが、今回何かの切っ掛けで”蒸し返された”のである。
これが、しばらく前に私が
「”高齢者に振り回される時代”突入? 」、
「伊吹文科相、”思い付き”で早速国民を”振り回す” 」
などで言いたかったことなのである。
今後こう言った感じのことがどんどん起こってくるだろうということである。権力を持つ中高年のその時々の思いつきであっちこっちへと振り回されるのである。
確かに高校の「単位捏造」はよろしくないが、これまで30年以上も見過ごしておきながら、まるでつい最近突然に生じたかような”しらばっくれた”行為はもっとよろしくないと私は考える。すべては悪しき「ペーパー試験制度」が生んだあだ花なのだから、誰かのせいにすればそれですむというような類いの話ではない。
一番の非は文部省や日教組や当時の政府にあるはずである。それゆえ、誰かが謝ればすむという問題ではなく、今後数十年の将来のために、”国民的な議論”を行って決めるべきものであると私は思う。
「必修科目の履修漏れ」が、ごく最近とあることから発覚し、全国的な”大問題”に発展してきている。今さらながらに、日本のマスコミは「学校バッシング」を行いたい様子だが、そもそもこの問題のルーツは何であったと言えば、それは遠い時代の我々が高校生だった30年前には少なくとも遡るはずである。
私の記憶でも、私が高校生であった1970年代中ごろには、いわゆる「文系」、「理系」によってクラス分けをしていた。それによって数学3(=高校3年の数学)まで学ぶか数学1(=高校1年の数学)までで済ませるかを選択させられたものである。確か大学受験間近の高3にはさらに「国立文系」か「私立文系」、「国立理系」か「私立理系」かに分かれ、さまざまな授業科目の分配が行われていた。これにより、5教科学ぶもの、たったの3教科しか学ばないものなどが分かれることとなった。
その当時の高校(ここではいわゆる全日制普通科の進学校のこと)で、履修科目の”改ざん”や”単位捏造”を行っていたのかどうか定かではないが、ごくごく普通のことであったように思う。
だから、今回の”発覚”があったとしても、学校関係者たちは、「何で今さら」という思いが強いはずである。もうすでに1世代以上経ってしまっているからである。今の高校生の親たちの時代から同様のことは日常的に行われていて、当時の文部省もそれを推進して来たはずだからである。
つまり、この30年もの間にすでに”既成事実化”していたことなのである。さもなくば、この進学競争の厳しい時代に、公立進学校は”6年制”私立進学校に太刀打ちできない。
それが、今回何かの切っ掛けで”蒸し返された”のである。
これが、しばらく前に私が
「”高齢者に振り回される時代”突入? 」、
「伊吹文科相、”思い付き”で早速国民を”振り回す” 」
などで言いたかったことなのである。
今後こう言った感じのことがどんどん起こってくるだろうということである。権力を持つ中高年のその時々の思いつきであっちこっちへと振り回されるのである。
確かに高校の「単位捏造」はよろしくないが、これまで30年以上も見過ごしておきながら、まるでつい最近突然に生じたかような”しらばっくれた”行為はもっとよろしくないと私は考える。すべては悪しき「ペーパー試験制度」が生んだあだ花なのだから、誰かのせいにすればそれですむというような類いの話ではない。
一番の非は文部省や日教組や当時の政府にあるはずである。それゆえ、誰かが謝ればすむという問題ではなく、今後数十年の将来のために、”国民的な議論”を行って決めるべきものであると私は思う。
2006/10/26のBlog
[ 18:14 ]
[ サッカー ]
日本2─0中国U-21、梶山先制・平山が追加点
平山、”ゴッドハンド”で2点目。
U-21の親善マッチ、日本対中国。2-1で日本の勝利。
新聞には「82分、中村の鋭いクロスに飛び込んだ平山が相手GKと交錯しながらボールを体に当てて追加点を決めた。」とあるが、だれがみても平山の手で入れたハンドのファール。”ゴッドハンド”による得点だった。監督のいない中国チームに2-0では、予選突破はかなり厳しいだろう。
それにしても、将来のワールドカップの代表候補であるU-21の試合をテレビで放映しないというのは困ったものである。
平山、”ゴッドハンド”で2点目。
U-21の親善マッチ、日本対中国。2-1で日本の勝利。
新聞には「82分、中村の鋭いクロスに飛び込んだ平山が相手GKと交錯しながらボールを体に当てて追加点を決めた。」とあるが、だれがみても平山の手で入れたハンドのファール。”ゴッドハンド”による得点だった。監督のいない中国チームに2-0では、予選突破はかなり厳しいだろう。
それにしても、将来のワールドカップの代表候補であるU-21の試合をテレビで放映しないというのは困ったものである。
[ 15:35 ]
[ 教育 ]
写真:南極上空のオゾンホール。
その昔の日本の大学では、年末になると成績が悪く単位履修がままならない学生達が、担当教授の自宅に行き、酒を献上してそれで点数を上乗せしてもらって単位をもらったという。私が大学生時代にこんなお話を聞いたことがある。
学生の方もこうしたことは十二分に分かっていて、年末になると、自分の成績の悪さや努力の欠如はさておいて、自分の勝手な希望ばかりを要求してくる。卒業できないと、せっかく決まった就職が困るとか、身勝手なへ理屈をこねてくるわけだ。ブランデーやら酒1本で何とかしてくれ、というわけだ。
これも日本の大学の牧歌的な風情として面白おかしく聞いたものである。こういった学生が社会人となってはや30年は経つだろう。この頃、すなわち、1970年代、80年代に卒業した若者は、今では40台後半から50台前半の初老の大人となっている。日本の組織の中では、中堅から幹部にまでなっている。事実、私のかつての同級生や友人たちの多くも、大学教授やら管理職やら学部長やらとなって久しい。今では立派な”肩書き”を持つ。
こうして1世代の社会の回り方を見ていると、この世代が今後日本社会の牽引車になっていくことは(年功序列として)確かであるが、問題が山積みとなっているように私は感じる。というのも、この世代(つまり、私とほぼ同世代)は、かつての「軽薄短小」世代、バブル全盛期の世代であるからである。何につけても物事の理解が軽薄なのである。深くない。同時に、バブル時代の甘さや「甘えの構造」世代でもあり、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の価値観にどっぷり浸かった世代でもある。
こんな時代的風潮に感化されつつ大人になった世代であるため、みんながやっていることは自分もやりたいと思っているというタイプである。そして、大学生や中高校生など、現在の学齢年齢にある子供たちのほとんどがこの世代の子供たちである。だから、世の中の見方はどんどん軽薄短小となる。これに拍車がかかる。
彼らの子供の世代は、努力し苦労して何かを成し遂げることより、楽して簡単に何かを得ることを望む。彼ら、その親達も物事すべてにマニュアルがあり、教科書通りに進むことを願う。「他山の石」とばかりに、他校で行っていることは自分の学校でもしなければなならいと考えてしまう。こうして、どこも似たり寄ったりの画一的でステレオタイプの発想で充ち満ちてしまう。
どうやら、ごく最近問題になっている、高校の授業未履修の問題(ここでは、「単位捏造」と呼んでおこう)の根源はこんな所にありそうに見える。あそこの進学校でも受験教科だけ教えているのだから我が校も世界史ははしょる。どうせ多科目受験の東大、京大に入れるものはごくわずか、大半の学校は3教科受験だから、受験科目にないものは省こう。どこもみんなやっていることだ。学校の中堅の先生達はみなこう考えたのだろう。
こうして、日本史、世界史も学ばない大学生が世の中で跋扈する時代となったわけである。最近、どうして地理や歴史の無知な成人が増えたのか、と不思議に思っていたら、高校の先生たちが組織的に「履修科目改ざん」や「単位捏造」していたわけである。
しばらく前に
「”捏造”の時代精神 」、
「”科学者の規範作り”には2種類必要だ! 」、
「理研の”不正行為防止策” 」
「”科学者の捏造論文”vs”文芸人の無断盗用” 」
「ランダエタ戦の”八百長疑惑”:ちまたの声、声、声 」
などを書いていたが、この最後に
”それにしても、昨今の日本はひどい。政治家の”履歴書捏造”から始まって、科学者の”論文捏造”やら、画家の”絵の捏造”やらと続き、とうとうボクシングの”判定捏造”、”チャンピオン捏造”にまで来てしまった。これでは、”国家の品格”もなにもない。本当に”目に余る”。”
と書いていたが、今度は高校の「単位捏造」と来た。
1970年代に文部省が行った教育(「受験戦争」、「受験地獄」)の”つけ”が今まさに社会問題となってきたのである。したがって、この問題の”根”は実に深い。
江戸時代の終焉には江戸時代特有の理由というものがあったが、それと同様に”東京時代”の終焉には東京時代特有の理由というものがあるはずである。この理由の1つが、過度の”ペーパー試験信仰”というものである。
私が本当によく理解できないことは、今の日本人(つまり、1970年代の受験ブーム世代前後の教育を受けた日本人)が、現在「学力低下」と叫ぶときに、学校の教科書やら塾や予備校で勉強すれば本当に学力がつく、とまじめに信じているらしいということである。学校がダメ教師なら塾へ行けば良い。それで何とかなるというふうに信じているのだから始末に負えない。
しかし、現実には、学校であろうが、病院であろうが、大学であろうが、「完ぺきな人間」などいようはずがない。「完ぺきな教師」も「完ぺきな医師」も「完ぺきな博士」もいない。それは、「完ぺきなサッカー選手」がいないのと同じことだ。それぞれの人間はそれぞれの特徴を持つ。それぞれの個性がある。みな単に自分ができることをやっているにすぎない。
したがって、我々にできることとは、お互いに”補いあう”ことだけだ。先生にできないことは親が補う。親ができないことは先生が補う。医者ができないことは患者が補う。患者ができないことは医者が補う。学校にできないことは家庭で補う。家庭でできないことは学校でやってもらう。こういうお互いに補うという精神が大事である。
過度の信頼は、宗教と同じで盲目的な過信につながる。先生を信頼しすぎるから何かが起こった後後悔するのだ。先生を信じすぎたばかりに、ことが起こった後に逆に先生を恨むこととなる。医者を信じすぎたばかりに、患者が死ねば遺族の悲しみも深くなる。
結局は、健康維持において、「自分の健康は自分で守る」というように、教育においても「我が子の学習は自分で守る」ということがもっとも理にかなっているのである。先生も教科書もどんな書物も過度に信じてはいけない。”腹八分目”で結構。100点でなくて結構。80点でよろしい。
こんな感じの、”ちょっと不真面目”な感じでないと、真実から遠ざかる。生真面目すぎれば、角が立つ。物事に”過剰反応”して小さなことまでも大騒ぎ、一大事と見えてしまう。「受験戦争」の何が悪かったかといえば、あまりに生真面目、糞まじめな人間で、小粒な人間ばかりを育て上げてしまったということだろう。ちょっと歯車が狂えば、人生の終わりだと大騒ぎ。ちょっと先例がなければ、問題だと大騒ぎする。これでは、世界では通用しない。
それにしても、日本のテレビマスコミも、自分のことは棚に上げて、何かと大騒ぎしすぎだ。
ナザレのイエスは、過ちを犯した人に石を投げ付け罵る人々にこういったという。一度も過ちを犯したことのない人のみ石を投げなさい。だれもが過ちを犯すもの。
今の日本のマスコミは聖書でも読んだ方がよほどためになるように見える。
その昔の日本の大学では、年末になると成績が悪く単位履修がままならない学生達が、担当教授の自宅に行き、酒を献上してそれで点数を上乗せしてもらって単位をもらったという。私が大学生時代にこんなお話を聞いたことがある。
学生の方もこうしたことは十二分に分かっていて、年末になると、自分の成績の悪さや努力の欠如はさておいて、自分の勝手な希望ばかりを要求してくる。卒業できないと、せっかく決まった就職が困るとか、身勝手なへ理屈をこねてくるわけだ。ブランデーやら酒1本で何とかしてくれ、というわけだ。
これも日本の大学の牧歌的な風情として面白おかしく聞いたものである。こういった学生が社会人となってはや30年は経つだろう。この頃、すなわち、1970年代、80年代に卒業した若者は、今では40台後半から50台前半の初老の大人となっている。日本の組織の中では、中堅から幹部にまでなっている。事実、私のかつての同級生や友人たちの多くも、大学教授やら管理職やら学部長やらとなって久しい。今では立派な”肩書き”を持つ。
こうして1世代の社会の回り方を見ていると、この世代が今後日本社会の牽引車になっていくことは(年功序列として)確かであるが、問題が山積みとなっているように私は感じる。というのも、この世代(つまり、私とほぼ同世代)は、かつての「軽薄短小」世代、バブル全盛期の世代であるからである。何につけても物事の理解が軽薄なのである。深くない。同時に、バブル時代の甘さや「甘えの構造」世代でもあり、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の価値観にどっぷり浸かった世代でもある。
こんな時代的風潮に感化されつつ大人になった世代であるため、みんながやっていることは自分もやりたいと思っているというタイプである。そして、大学生や中高校生など、現在の学齢年齢にある子供たちのほとんどがこの世代の子供たちである。だから、世の中の見方はどんどん軽薄短小となる。これに拍車がかかる。
彼らの子供の世代は、努力し苦労して何かを成し遂げることより、楽して簡単に何かを得ることを望む。彼ら、その親達も物事すべてにマニュアルがあり、教科書通りに進むことを願う。「他山の石」とばかりに、他校で行っていることは自分の学校でもしなければなならいと考えてしまう。こうして、どこも似たり寄ったりの画一的でステレオタイプの発想で充ち満ちてしまう。
どうやら、ごく最近問題になっている、高校の授業未履修の問題(ここでは、「単位捏造」と呼んでおこう)の根源はこんな所にありそうに見える。あそこの進学校でも受験教科だけ教えているのだから我が校も世界史ははしょる。どうせ多科目受験の東大、京大に入れるものはごくわずか、大半の学校は3教科受験だから、受験科目にないものは省こう。どこもみんなやっていることだ。学校の中堅の先生達はみなこう考えたのだろう。
こうして、日本史、世界史も学ばない大学生が世の中で跋扈する時代となったわけである。最近、どうして地理や歴史の無知な成人が増えたのか、と不思議に思っていたら、高校の先生たちが組織的に「履修科目改ざん」や「単位捏造」していたわけである。
しばらく前に
「”捏造”の時代精神 」、
「”科学者の規範作り”には2種類必要だ! 」、
「理研の”不正行為防止策” 」
「”科学者の捏造論文”vs”文芸人の無断盗用” 」
「ランダエタ戦の”八百長疑惑”:ちまたの声、声、声 」
などを書いていたが、この最後に
”それにしても、昨今の日本はひどい。政治家の”履歴書捏造”から始まって、科学者の”論文捏造”やら、画家の”絵の捏造”やらと続き、とうとうボクシングの”判定捏造”、”チャンピオン捏造”にまで来てしまった。これでは、”国家の品格”もなにもない。本当に”目に余る”。”
と書いていたが、今度は高校の「単位捏造」と来た。
1970年代に文部省が行った教育(「受験戦争」、「受験地獄」)の”つけ”が今まさに社会問題となってきたのである。したがって、この問題の”根”は実に深い。
江戸時代の終焉には江戸時代特有の理由というものがあったが、それと同様に”東京時代”の終焉には東京時代特有の理由というものがあるはずである。この理由の1つが、過度の”ペーパー試験信仰”というものである。
私が本当によく理解できないことは、今の日本人(つまり、1970年代の受験ブーム世代前後の教育を受けた日本人)が、現在「学力低下」と叫ぶときに、学校の教科書やら塾や予備校で勉強すれば本当に学力がつく、とまじめに信じているらしいということである。学校がダメ教師なら塾へ行けば良い。それで何とかなるというふうに信じているのだから始末に負えない。
しかし、現実には、学校であろうが、病院であろうが、大学であろうが、「完ぺきな人間」などいようはずがない。「完ぺきな教師」も「完ぺきな医師」も「完ぺきな博士」もいない。それは、「完ぺきなサッカー選手」がいないのと同じことだ。それぞれの人間はそれぞれの特徴を持つ。それぞれの個性がある。みな単に自分ができることをやっているにすぎない。
したがって、我々にできることとは、お互いに”補いあう”ことだけだ。先生にできないことは親が補う。親ができないことは先生が補う。医者ができないことは患者が補う。患者ができないことは医者が補う。学校にできないことは家庭で補う。家庭でできないことは学校でやってもらう。こういうお互いに補うという精神が大事である。
過度の信頼は、宗教と同じで盲目的な過信につながる。先生を信頼しすぎるから何かが起こった後後悔するのだ。先生を信じすぎたばかりに、ことが起こった後に逆に先生を恨むこととなる。医者を信じすぎたばかりに、患者が死ねば遺族の悲しみも深くなる。
結局は、健康維持において、「自分の健康は自分で守る」というように、教育においても「我が子の学習は自分で守る」ということがもっとも理にかなっているのである。先生も教科書もどんな書物も過度に信じてはいけない。”腹八分目”で結構。100点でなくて結構。80点でよろしい。
こんな感じの、”ちょっと不真面目”な感じでないと、真実から遠ざかる。生真面目すぎれば、角が立つ。物事に”過剰反応”して小さなことまでも大騒ぎ、一大事と見えてしまう。「受験戦争」の何が悪かったかといえば、あまりに生真面目、糞まじめな人間で、小粒な人間ばかりを育て上げてしまったということだろう。ちょっと歯車が狂えば、人生の終わりだと大騒ぎ。ちょっと先例がなければ、問題だと大騒ぎする。これでは、世界では通用しない。
それにしても、日本のテレビマスコミも、自分のことは棚に上げて、何かと大騒ぎしすぎだ。
ナザレのイエスは、過ちを犯した人に石を投げ付け罵る人々にこういったという。一度も過ちを犯したことのない人のみ石を投げなさい。だれもが過ちを犯すもの。
今の日本のマスコミは聖書でも読んだ方がよほどためになるように見える。
2006/10/25のBlog
[ 12:15 ]
[ 歴史 ]
最近、カナダのジャーナリスト、ヤコボビッチ氏がつくった「The Exodus Decoded(読み解かれた出エジプト)」の日本語版(『出エジプト記の“真実”奇跡は本当に起こったのか?』(前・後編))をNHKでやっていたので見た。プレゼンターは、「タイタニック」のジェームズ・キャメロン。
私が見たのは後編であったが、実に面白かった。一緒に見ていた我が家の息子達も非常に面白がっていた。インディージョーンズを見ているかのようなスリルとサスペンスに満ちた構成で、エンターテイメントとしての見事さもあった。
写真:失われたアーク、10戒のある石碑の入った入れ物と祭壇。このいれものは、なぜか日本の神輿(みこし)に似ている。
私が見たのは後編であったが、実に面白かった。一緒に見ていた我が家の息子達も非常に面白がっていた。インディージョーンズを見ているかのようなスリルとサスペンスに満ちた構成で、エンターテイメントとしての見事さもあった。
写真:失われたアーク、10戒のある石碑の入った入れ物と祭壇。このいれものは、なぜか日本の神輿(みこし)に似ている。
”Exodus(エクソダス)”とは、”旧約聖書”にある「出エジプト」のことである。現在の”ユダヤ人”が、エジプト捕囚(奴隷)となり、そこからモーゼに率いられ、海を渡り、シナイ山で神との契約を結び、神が雷電によって石に”十戒”を碑文に刻む(アーク)。ユダヤ人が”ユダヤ人”となったこの壮大な脱出物語のことである。
我々日本人は、文部省の「世界史」の教科書に「出エジプト」が書かれているので、あたかもそれが歴史上の真実であるかのように学ぶ。だから、その物語を既知の事実と受け止めているのではないだろうか。
写真:モーゼがアークを受けた本当の”シナイ山”
我々日本人は、文部省の「世界史」の教科書に「出エジプト」が書かれているので、あたかもそれが歴史上の真実であるかのように学ぶ。だから、その物語を既知の事実と受け止めているのではないだろうか。
写真:モーゼがアークを受けた本当の”シナイ山”
しかし、欧米人にとってそれが本当にあったかどうか、歴史上の事実かどうか、もしあったとすればそれはどこであったのか、というのは、どうやら我々日本人が想像する以上に深刻な問題であるようだ。それゆえ、古来から長期間に渡って研究されてきた。その年月は約3000年と云われる。
この番組はそれをついに解明したというものであった。ぜひ一見することを勧める。
写真:モーゼの”海が割れた”現象を表す碑文
この番組はそれをついに解明したというものであった。ぜひ一見することを勧める。
写真:モーゼの”海が割れた”現象を表す碑文
さて、数千年前にエジプト捕囚となった古代ユダヤ人は、出エジプト以来中近東に居住し、古代イスラエルを作った。この時12支族がいたとされる。これがダビデ王やソロモン王の時代である。その後、古代イスラエルは、北のイスラエル(10支族)と南のユダ(2支族)に分裂する。
だが、この地域の特性上幾多の戦争に遭遇した。こうして、まず最初に北のイスラエルが鉄器文明開化したアッシリア帝国に滅ぼされ、「 アッシリア捕囚」となる(BC660年)。それから100年ほどしてついに南のユダもバビロニア帝国に滅ぼされ、「バビロン捕囚」となる(BC597年)。
このアッシリア捕囚となった北の10支族の消息は失われて、「失われた10支族」の物語として現在ユダヤ人の間では神話となっている。一方のバビロン捕囚となった部族のユダ民族の末裔はよく知られていて、これが現在の西洋のユダヤ人である。この番組を作った人々も、この南のユダ王国の末裔である現代ユダヤ人の人々(俗に、我々が”ユダヤ人”と呼ぶ人々)である。
実は、一方の「失われた10支族」を探索するという研究も古来から残された西洋のユダヤ人の間では3000年に渡って行われてきているらしい。
これが、最近では、日本人の祖先である、大陸から渡り大和民族となった人々ではないか、という研究が行われるようになってきた(「目白と駒込 」)。
かつて遺伝子による祖先の探索をするという番組で聾唖の女優忍足亜希子のミトコンドリア遺伝子で探索した結果、西アジアの民族にまったく同一の遺伝子を持つ女性がいたというものがあった。
このように、日本人の祖先の1つに北方アジア系というものがあるが、それが西アジア経由で伝来した民族である。日本人の遺伝子の70%は西洋の白人と共通、25%は北方モンゴル系と共通、わずか数%が南方モンゴル系と共通であると云われる(柘植の「反秀才論」)。
この事実と全く呼応するかのように、アッシリア捕囚(”失われた10支族”)の行く先は、西洋の歴史の中では、西アジアまでは明確な証拠が記録されているというのである。これら両者を内挿すれば、なんとなく日本へまで到達した経緯が想像できるような気がする。
カタカナは、古代ヘブル語とうり2つ。右から左へ記述する。日本の神話にも、現在の日本人の発音にはない、意味不明の不思議な音声のものが多く存在する。たとえば、”スメラ命”、”ウガヤフキアエズ”などとという名の人物が登場する。”スメラ命”は、古代サマリアやシュメール人のことではないか、と想像するのもうなずける。また、”侍(サムライ)”とは、古代シュメール語でシャムライ(=守る人)である(アイデルバーグ「日本書紀と日本語のユダヤ起源」徳間書店)。
最後に、実は現代ユダヤ人には、「エクソダス」よりもっと壮大な神話が残されているという。それは、「エフライムの木」という、予言というのか、神話というのか、物語である。「エフライムの木」は、2500年前にエゼキエル書のエゼキエルが書き残した予言と云われる。
”主の言葉が私に臨んだ。
「人の子よ、あなたは1本の木を取り、その上に
「ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために」
と書き、また1本の木を取って、その上に
「ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために」
と書け。
これはエフライムの木である。
あなたはこれらを合わせて、1つの木となせ。
これらはあなたの手で1つになる。。。
私はイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、
四方から彼らを集めて、その地にみちびき、
その地で彼らを1つの民となしてイスラエルの山々におらせ。。。
我がしもべダビデは彼らの王となる。。。”
実は、この中の”エフライム”というのは、古代イスラエル10支族の主要民族のエフライムのことである。
ちなみに、古代イスラエル10支族とは、アシェル、ナフタリ、ダン、マナセ、ゼブルン、イッサカル、ガド、エフライム、ルベン、モアブ(ケモシュ)のことであり、古代ユダヤ2支族とは、ベニヤミンとユダ(シメオン)。
これが、後に「ユダヤの2支族とイスラエルの失われた10支族がいつか合流するとき、世界平和が実現する」という「エフライムの木」なる予言になったと云われている。
ここまで解明できれば実に面白い。
だが、この地域の特性上幾多の戦争に遭遇した。こうして、まず最初に北のイスラエルが鉄器文明開化したアッシリア帝国に滅ぼされ、「 アッシリア捕囚」となる(BC660年)。それから100年ほどしてついに南のユダもバビロニア帝国に滅ぼされ、「バビロン捕囚」となる(BC597年)。
このアッシリア捕囚となった北の10支族の消息は失われて、「失われた10支族」の物語として現在ユダヤ人の間では神話となっている。一方のバビロン捕囚となった部族のユダ民族の末裔はよく知られていて、これが現在の西洋のユダヤ人である。この番組を作った人々も、この南のユダ王国の末裔である現代ユダヤ人の人々(俗に、我々が”ユダヤ人”と呼ぶ人々)である。
実は、一方の「失われた10支族」を探索するという研究も古来から残された西洋のユダヤ人の間では3000年に渡って行われてきているらしい。
これが、最近では、日本人の祖先である、大陸から渡り大和民族となった人々ではないか、という研究が行われるようになってきた(「目白と駒込 」)。
かつて遺伝子による祖先の探索をするという番組で聾唖の女優忍足亜希子のミトコンドリア遺伝子で探索した結果、西アジアの民族にまったく同一の遺伝子を持つ女性がいたというものがあった。
このように、日本人の祖先の1つに北方アジア系というものがあるが、それが西アジア経由で伝来した民族である。日本人の遺伝子の70%は西洋の白人と共通、25%は北方モンゴル系と共通、わずか数%が南方モンゴル系と共通であると云われる(柘植の「反秀才論」)。
この事実と全く呼応するかのように、アッシリア捕囚(”失われた10支族”)の行く先は、西洋の歴史の中では、西アジアまでは明確な証拠が記録されているというのである。これら両者を内挿すれば、なんとなく日本へまで到達した経緯が想像できるような気がする。
カタカナは、古代ヘブル語とうり2つ。右から左へ記述する。日本の神話にも、現在の日本人の発音にはない、意味不明の不思議な音声のものが多く存在する。たとえば、”スメラ命”、”ウガヤフキアエズ”などとという名の人物が登場する。”スメラ命”は、古代サマリアやシュメール人のことではないか、と想像するのもうなずける。また、”侍(サムライ)”とは、古代シュメール語でシャムライ(=守る人)である(アイデルバーグ「日本書紀と日本語のユダヤ起源」徳間書店)。
最後に、実は現代ユダヤ人には、「エクソダス」よりもっと壮大な神話が残されているという。それは、「エフライムの木」という、予言というのか、神話というのか、物語である。「エフライムの木」は、2500年前にエゼキエル書のエゼキエルが書き残した予言と云われる。
”主の言葉が私に臨んだ。
「人の子よ、あなたは1本の木を取り、その上に
「ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために」
と書き、また1本の木を取って、その上に
「ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために」
と書け。
これはエフライムの木である。
あなたはこれらを合わせて、1つの木となせ。
これらはあなたの手で1つになる。。。
私はイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、
四方から彼らを集めて、その地にみちびき、
その地で彼らを1つの民となしてイスラエルの山々におらせ。。。
我がしもべダビデは彼らの王となる。。。”
実は、この中の”エフライム”というのは、古代イスラエル10支族の主要民族のエフライムのことである。
ちなみに、古代イスラエル10支族とは、アシェル、ナフタリ、ダン、マナセ、ゼブルン、イッサカル、ガド、エフライム、ルベン、モアブ(ケモシュ)のことであり、古代ユダヤ2支族とは、ベニヤミンとユダ(シメオン)。
これが、後に「ユダヤの2支族とイスラエルの失われた10支族がいつか合流するとき、世界平和が実現する」という「エフライムの木」なる予言になったと云われている。
ここまで解明できれば実に面白い。
2006/10/22のBlog
[ 12:16 ]
[ 社会 ]
写真:衝突する銀河
数学五輪の出場者、数学研究者になったのは1割以下
このアンケートは、文部科学省の文部科学省科学技術政策研究所が行ったという。
(「日本の”数学研究がピンチ”? 」
「研究者社会は”少数精鋭”に限る!」参照)
「日本数学オリンピック」に出場した中高生のうち実際に数学者になったものは、その1割にも満たないという現実が浮き彫りとなったというニュース。
1990-2005年の間に「日本数学オリンピック」に参加し、予選を通過した現在14-32歳の1063人を対象に調査し、296人(回収率28%)が回答を得たという。
その結果、現在数学研究者になっているものはたったの6.6%。その一方で、参加した現在の中高生が目指す将来の職業は、29.6%で数学者がトップということが分かった。
現実についた職業は、以下の通り。
民間企業や役所などの事務職で22.0%
医師20.9%、
情報処理技術者が11.0%。
そして最後に現在社会人になっているものの感想が紹介されている。「現在の職業は数学の知識を生かせる」と考える人は、半分以下の47.8%。 つまり、自分の持っている数学的才能を自分の職業で生かせると思っているのは半数以下。
こんな実態が浮き彫りとなった。
日本では「理系離れ」、「理科離れ」、「数学離れ」といろいろ話題になるが、その本当の理由はなかなか理解されていない。この理由は実に単純で、要するに「それでは食えない」ということである。もうちょっとカッコつけていえば、「理系分野には十分な職が用意されていない」ということである。ここが欧米とは大変異なっている。
欧米でも英米は、第一次、第二次世界大戦でも数学者が暗号解読などで顕著な実績を残し、戦争では数学者を無視して語れないという歴史を持っている。戦後の世界経済の中でも同様で、英米では多くの数学者が経済学を研究し数多くの金融商品を生み出す原動力となってきたという歴史がある。実際、ジョン・ナッシュ博士のように多くの数学者がノーベル経済学賞を受賞した。この筋では日本の確率論の数学者伊藤清博士はウォール街でもっとも有名な日本人とすらいわれるほどに経済学に貢献した数学者である。数多くの著名な賞を受賞している。
現代社会において物理化学も実に大切だが、コンピュータなど数理科学分野でも数学の力は欠かせない。経済学などはなおさらである。これが現実の世界なのである。
しかし、日本では数学者の待遇が悪く、またその意義もあまり知られていないために、理論物理学者同様に社会における存在意義が薄い。
にもかかわらず、大学の先生たちは逆に「数学オリンピック」やさまざまな科学オリンピックに出場することが中高生の科学離れや理科離れの阻止につながると考えるために、参加を促す。そうした努力は素晴らしいのだが、現実の社会における無理解とが相まって、結局才能ある中高生がその才能を発揮する職場に勤めることができないという事態を生むのである。
これがアンケートに見事に現れたということだろう。
数学五輪の出場者、数学研究者になったのは1割以下
このアンケートは、文部科学省の文部科学省科学技術政策研究所が行ったという。
(「日本の”数学研究がピンチ”? 」
「研究者社会は”少数精鋭”に限る!」参照)
「日本数学オリンピック」に出場した中高生のうち実際に数学者になったものは、その1割にも満たないという現実が浮き彫りとなったというニュース。
1990-2005年の間に「日本数学オリンピック」に参加し、予選を通過した現在14-32歳の1063人を対象に調査し、296人(回収率28%)が回答を得たという。
その結果、現在数学研究者になっているものはたったの6.6%。その一方で、参加した現在の中高生が目指す将来の職業は、29.6%で数学者がトップということが分かった。
現実についた職業は、以下の通り。
民間企業や役所などの事務職で22.0%
医師20.9%、
情報処理技術者が11.0%。
そして最後に現在社会人になっているものの感想が紹介されている。「現在の職業は数学の知識を生かせる」と考える人は、半分以下の47.8%。 つまり、自分の持っている数学的才能を自分の職業で生かせると思っているのは半数以下。
こんな実態が浮き彫りとなった。
日本では「理系離れ」、「理科離れ」、「数学離れ」といろいろ話題になるが、その本当の理由はなかなか理解されていない。この理由は実に単純で、要するに「それでは食えない」ということである。もうちょっとカッコつけていえば、「理系分野には十分な職が用意されていない」ということである。ここが欧米とは大変異なっている。
欧米でも英米は、第一次、第二次世界大戦でも数学者が暗号解読などで顕著な実績を残し、戦争では数学者を無視して語れないという歴史を持っている。戦後の世界経済の中でも同様で、英米では多くの数学者が経済学を研究し数多くの金融商品を生み出す原動力となってきたという歴史がある。実際、ジョン・ナッシュ博士のように多くの数学者がノーベル経済学賞を受賞した。この筋では日本の確率論の数学者伊藤清博士はウォール街でもっとも有名な日本人とすらいわれるほどに経済学に貢献した数学者である。数多くの著名な賞を受賞している。
現代社会において物理化学も実に大切だが、コンピュータなど数理科学分野でも数学の力は欠かせない。経済学などはなおさらである。これが現実の世界なのである。
しかし、日本では数学者の待遇が悪く、またその意義もあまり知られていないために、理論物理学者同様に社会における存在意義が薄い。
にもかかわらず、大学の先生たちは逆に「数学オリンピック」やさまざまな科学オリンピックに出場することが中高生の科学離れや理科離れの阻止につながると考えるために、参加を促す。そうした努力は素晴らしいのだが、現実の社会における無理解とが相まって、結局才能ある中高生がその才能を発揮する職場に勤めることができないという事態を生むのである。
これがアンケートに見事に現れたということだろう。
2006/10/20のBlog
[ 11:00 ]
[ テクノロジー ]
透明マント実現できる? 「見えなくする」理論確認
”透明人間”はSFの王道にある。いたずら心のある人間の一種の夢なのかも知れない。それゆえ、プレデターに出てくる未知のテクノロジーを持ったエイリアンも透明スーツを来ていた。
戦争では”見えない敵”と戦うことがいかに大変なことかよく知られている。そのため、レーダーに映らない戦闘機開発に欧米ではやっきになってきた。ステルス戦闘機はその代表格である。昔には、船のソナー(音波探知機)に映らない潜水艦開発というのもあった。
”映らない”、”見えない”ということは、探知しようとしているものが発する波を探知しているものの方に”反射しない”ことである。”反射しない”ためには、大きく分けて3つある。1つ目は”吸収する”こと。2つ目は”迂回させる”こと。3つ目は”透過させる”こと。
欧米では結構有名な研究者や科学者が戦時中になるとこういった防御技術を研究するという歴史がある。確か私の記憶では、第一次世界大戦の時にはアメリカのラングミュアがソナーの研究や”ソナーに見えない潜水艦”(透明潜水艦)の研究を行った。第二次世界大戦の時は、アメリカの学者たちが”レーダーに傍受されない飛行機”(透明飛行機)の研究を行った。(実は、こういった研究がベースになって、無反射波問題というものが研究されるようになり、後に非線形波動のソリトン理論につながった。だから一律に悪いというわけではない。)
こんなわけで欧米人が”透明”という時には、まず真っ先に戦争への応用ということが頭にある。そう見て間違いない。
今回の”透明人間”の研究は、私にはそういう目的が見え隠れしているように思うが、その辺を見事に”透明”に見えなくしているところが面白い。つまり、人間や物体を透明にする(見えなくする)という研究の軍事目的を見事に透明にする(見えなくする)ことに成功したということである。
もしこんなスーツが誕生すれば未来の戦争はまさにプレデターのような戦いになるだろう。
ある時、あなたが町を歩いていると、どういうわけか、だっだっだっだという足音だけが聞こえる。ふとそちらを見ると、足跡がザク、ザク、ザクと近づいてくる。何だと思って顔を上げると、いきなりタタタタタと機関銃照射で打たれあなたは死んだ。
人から見えない、人から隠れるというのには、やはり心理的に何か後ろめたい目的があるはずである。敵から逃れるために防御として使用するなら良いが、人を欺くための攻撃に用いるのであれば、それは非常に危険なものとなるだろう。
”透明人間”はSFの王道にある。いたずら心のある人間の一種の夢なのかも知れない。それゆえ、プレデターに出てくる未知のテクノロジーを持ったエイリアンも透明スーツを来ていた。
戦争では”見えない敵”と戦うことがいかに大変なことかよく知られている。そのため、レーダーに映らない戦闘機開発に欧米ではやっきになってきた。ステルス戦闘機はその代表格である。昔には、船のソナー(音波探知機)に映らない潜水艦開発というのもあった。
”映らない”、”見えない”ということは、探知しようとしているものが発する波を探知しているものの方に”反射しない”ことである。”反射しない”ためには、大きく分けて3つある。1つ目は”吸収する”こと。2つ目は”迂回させる”こと。3つ目は”透過させる”こと。
欧米では結構有名な研究者や科学者が戦時中になるとこういった防御技術を研究するという歴史がある。確か私の記憶では、第一次世界大戦の時にはアメリカのラングミュアがソナーの研究や”ソナーに見えない潜水艦”(透明潜水艦)の研究を行った。第二次世界大戦の時は、アメリカの学者たちが”レーダーに傍受されない飛行機”(透明飛行機)の研究を行った。(実は、こういった研究がベースになって、無反射波問題というものが研究されるようになり、後に非線形波動のソリトン理論につながった。だから一律に悪いというわけではない。)
こんなわけで欧米人が”透明”という時には、まず真っ先に戦争への応用ということが頭にある。そう見て間違いない。
今回の”透明人間”の研究は、私にはそういう目的が見え隠れしているように思うが、その辺を見事に”透明”に見えなくしているところが面白い。つまり、人間や物体を透明にする(見えなくする)という研究の軍事目的を見事に透明にする(見えなくする)ことに成功したということである。
もしこんなスーツが誕生すれば未来の戦争はまさにプレデターのような戦いになるだろう。
ある時、あなたが町を歩いていると、どういうわけか、だっだっだっだという足音だけが聞こえる。ふとそちらを見ると、足跡がザク、ザク、ザクと近づいてくる。何だと思って顔を上げると、いきなりタタタタタと機関銃照射で打たれあなたは死んだ。
人から見えない、人から隠れるというのには、やはり心理的に何か後ろめたい目的があるはずである。敵から逃れるために防御として使用するなら良いが、人を欺くための攻撃に用いるのであれば、それは非常に危険なものとなるだろう。
2006/10/18のBlog
[ 10:58 ]
[ 社会 ]
アメリカ、人口3億人突破 約40年で1億人急増
ついにアメリカの人口が3億人突破したという。
World POPClock Projection
によれば、世界の人口は現在”6,551,079,530”。
USA POPClock Projection
によれば、アメリカ合衆国の人口は現在”300,004,202”。これは時々刻々と”増加”中。
一方日本人の人口”統計”(人口時計ではない)によると、日本の人口は、”127,693,706”。これは時々刻々と”減少”中。
確か私の記憶では、日本が第二次世界大戦に突入した1930年代後半、アメリカの人口は8000万人で日本の人口が当時のイギリスと同じで6000万人くらいではなかったか。定かではないのでまた後々調べてみたい。(朝日新聞記事には、アメリカの人口は1915年に1億人、67年に2億人とあるので、1930年代にはすでに1億数千万人に到達していたのかもしれない。)ちなみに江戸時代の日本の人口は4000万人程度だったと記憶している。
いずれにせよ、明治維新以降、日本は富国強兵で生めよ増やせよ路線でやってきたため、第二次世界大戦前夜では日米の人口はだいたい似たり寄ったりであったということである。
それが、戦後60年の間にアメリカは3億、日本は1億と差が開き、約3倍の人口差となったわけである。アメリカは急勾配で急上昇中、日本は急勾配で急降下中。
これまで日本は世界で2位の経済大国、人口経済ともにアメリカの1/2の規模と自称してきたが、どう考えてもこれからは差がつく一方かも知れない。一方のEUも「ヨーロッパ合衆国」の様相を呈してきたため、アメリカ合衆国と同じようにかなりの人口を持つ。そんなわけで、経済において今後はさらに厳しい競争を強いられることだろう。
私もつい最近まで日米の教育問題や科学問題を論じる際に1970年代的に論じて来た。
つまり、アメリカには日本よりはるかに多く、日本の人口に匹敵するアメリカの人口の約半分の1億人の高等教育を受けた人々がいる。仮に日米の教育が同じくらいのレベルとすれば、日本の平均以上の教育を受けた者が1億人もいる。日本にはそれがせいぜい1000万人程度だから、アメリカには日本の10倍程度の高等教育を受けた人がいる、というような論じかたをして来た。
しかしそれも今や昔の話。今日からは約2億の高等教育を受けた人々がいて、アメリカには日本の20倍程度の高等教育を受けた人がいる、というように変えなくてはならないのだろう。
これは単純に見れば、こういうことだ。
ある分野の専門家が日本で1人で研究しているとすれば、アメリカでは同じ問題を20人で研究しているということである。アーサー・コーンバーグ博士がアメリカでは「研究者数が膨大で、至る所に“はみ出し者”がいる」という理由も頷ける。(ノーベル賞大国アメリカ )
”3人寄れば文殊の知恵”というが、20人寄れば何と言うのか知らないが、これではとても研究競争では勝ち目がない。あるとすれば、イギリスや韓国のように徹底した天才教育、天才発掘しかない。1人で20人でも何十人でも束になっても勝てないというような天才を見い出す他はない。
また見過ごされがちなことだが、人口増大で一番気になるところは、その国で下層階級や犯罪者が増えた場合に国の外で戦争を起こしてそうしたものどもを軍人として使役するという現実である。アメリカの人口が増えればそれに応じて軍事大国なわけだから諸外国に軍事派兵してくることは自然の成りゆきだろう。
つまり、これまで2億しかいなかったものが、今は3億もいるのだから1億は軍事的に消耗してもかまわないという考えも出てくるだろうということである。今後は中東へもアジアへもアフリカへも中南米へもどんどんアメリカは世界制覇に向けて軍事派遣してくるだろう。
かつてのローマ帝国がそうであったように、アメリカが自由の名の下にどんどん海外派兵してくる時代に入ったと私は見ている。
それゆえ、アメリカが今一番やりたいことは共産主義の中国とロシアのまっただ中にある北朝鮮を爆撃して、そこに米軍基地を作ることだろうと私は考えている。したがって、かつてルーズベルト大統領のアメリカが日本がアメリカ領土を侵攻(真珠湾攻撃)してくるのを待っていたように、あるいは、最近ではブッシュ大統領がアフガン人がニューヨークテロを起こすのを待っていたように、現在では北朝鮮が何かしでかすのをジッと待っているのだろう。そのための準備を今着々と進めているのだろうと想像できる。
どう考えてもアメリカは日本人と違い”拉致問題”などという個別の問題にはそれほど関心がなく、もっと本質的な大きな問題を頭に計画しているはずである。したがって、北朝鮮に米軍基地を作り、北朝鮮を根こそぎ支配することがその最大の目的なのであって、拉致問題などその結果解決できる附随問題なのである。アメリカはこういう考え方をする。
アメリカにとって一番良いことは、北朝鮮がいろいろ原子炉や原爆施設を作ってくれ、ある程度の近代化した設備が北朝鮮内にできれば、後々それらを全部アメリカの軍事基地に使えるということである。おそらくこれを待っている。
そして、今度は中国とロシアと直接面したところにアメリカ軍基地を作り、そこに中国人やロシア人を招き入れて、アメリカ生活を満喫させ、中国とロシアをアメリカ化するというものだろう。
いずれにせよ、こうしたことを行うに足る十二分の人口が今のアメリカには存在するのである。
ついにアメリカの人口が3億人突破したという。
World POPClock Projection
によれば、世界の人口は現在”6,551,079,530”。
USA POPClock Projection
によれば、アメリカ合衆国の人口は現在”300,004,202”。これは時々刻々と”増加”中。
一方日本人の人口”統計”(人口時計ではない)によると、日本の人口は、”127,693,706”。これは時々刻々と”減少”中。
確か私の記憶では、日本が第二次世界大戦に突入した1930年代後半、アメリカの人口は8000万人で日本の人口が当時のイギリスと同じで6000万人くらいではなかったか。定かではないのでまた後々調べてみたい。(朝日新聞記事には、アメリカの人口は1915年に1億人、67年に2億人とあるので、1930年代にはすでに1億数千万人に到達していたのかもしれない。)ちなみに江戸時代の日本の人口は4000万人程度だったと記憶している。
いずれにせよ、明治維新以降、日本は富国強兵で生めよ増やせよ路線でやってきたため、第二次世界大戦前夜では日米の人口はだいたい似たり寄ったりであったということである。
それが、戦後60年の間にアメリカは3億、日本は1億と差が開き、約3倍の人口差となったわけである。アメリカは急勾配で急上昇中、日本は急勾配で急降下中。
これまで日本は世界で2位の経済大国、人口経済ともにアメリカの1/2の規模と自称してきたが、どう考えてもこれからは差がつく一方かも知れない。一方のEUも「ヨーロッパ合衆国」の様相を呈してきたため、アメリカ合衆国と同じようにかなりの人口を持つ。そんなわけで、経済において今後はさらに厳しい競争を強いられることだろう。
私もつい最近まで日米の教育問題や科学問題を論じる際に1970年代的に論じて来た。
つまり、アメリカには日本よりはるかに多く、日本の人口に匹敵するアメリカの人口の約半分の1億人の高等教育を受けた人々がいる。仮に日米の教育が同じくらいのレベルとすれば、日本の平均以上の教育を受けた者が1億人もいる。日本にはそれがせいぜい1000万人程度だから、アメリカには日本の10倍程度の高等教育を受けた人がいる、というような論じかたをして来た。
しかしそれも今や昔の話。今日からは約2億の高等教育を受けた人々がいて、アメリカには日本の20倍程度の高等教育を受けた人がいる、というように変えなくてはならないのだろう。
これは単純に見れば、こういうことだ。
ある分野の専門家が日本で1人で研究しているとすれば、アメリカでは同じ問題を20人で研究しているということである。アーサー・コーンバーグ博士がアメリカでは「研究者数が膨大で、至る所に“はみ出し者”がいる」という理由も頷ける。(ノーベル賞大国アメリカ )
”3人寄れば文殊の知恵”というが、20人寄れば何と言うのか知らないが、これではとても研究競争では勝ち目がない。あるとすれば、イギリスや韓国のように徹底した天才教育、天才発掘しかない。1人で20人でも何十人でも束になっても勝てないというような天才を見い出す他はない。
また見過ごされがちなことだが、人口増大で一番気になるところは、その国で下層階級や犯罪者が増えた場合に国の外で戦争を起こしてそうしたものどもを軍人として使役するという現実である。アメリカの人口が増えればそれに応じて軍事大国なわけだから諸外国に軍事派兵してくることは自然の成りゆきだろう。
つまり、これまで2億しかいなかったものが、今は3億もいるのだから1億は軍事的に消耗してもかまわないという考えも出てくるだろうということである。今後は中東へもアジアへもアフリカへも中南米へもどんどんアメリカは世界制覇に向けて軍事派遣してくるだろう。
かつてのローマ帝国がそうであったように、アメリカが自由の名の下にどんどん海外派兵してくる時代に入ったと私は見ている。
それゆえ、アメリカが今一番やりたいことは共産主義の中国とロシアのまっただ中にある北朝鮮を爆撃して、そこに米軍基地を作ることだろうと私は考えている。したがって、かつてルーズベルト大統領のアメリカが日本がアメリカ領土を侵攻(真珠湾攻撃)してくるのを待っていたように、あるいは、最近ではブッシュ大統領がアフガン人がニューヨークテロを起こすのを待っていたように、現在では北朝鮮が何かしでかすのをジッと待っているのだろう。そのための準備を今着々と進めているのだろうと想像できる。
どう考えてもアメリカは日本人と違い”拉致問題”などという個別の問題にはそれほど関心がなく、もっと本質的な大きな問題を頭に計画しているはずである。したがって、北朝鮮に米軍基地を作り、北朝鮮を根こそぎ支配することがその最大の目的なのであって、拉致問題などその結果解決できる附随問題なのである。アメリカはこういう考え方をする。
アメリカにとって一番良いことは、北朝鮮がいろいろ原子炉や原爆施設を作ってくれ、ある程度の近代化した設備が北朝鮮内にできれば、後々それらを全部アメリカの軍事基地に使えるということである。おそらくこれを待っている。
そして、今度は中国とロシアと直接面したところにアメリカ軍基地を作り、そこに中国人やロシア人を招き入れて、アメリカ生活を満喫させ、中国とロシアをアメリカ化するというものだろう。
いずれにせよ、こうしたことを行うに足る十二分の人口が今のアメリカには存在するのである。
[ 09:23 ]
[ テクノロジー ]
探査船ちきゅう、試験掘削中止
これによると、
”海洋研究開発機構は17日、地球深部探査船「ちきゅう」が9月から続けていた青森県下北半島沖での試験掘削を中止すると発表した。台風なみの低気圧が通過した今月7日、海底に固定した装置と船から垂らした掘削用パイプを切り離す緊急避難の作業が間に合わず、両者をつなぐ棒が大きく曲がって、交換修理が必要になったためだ。”
とあるように、地球深部探査船「ちきゅう」が地球最深部到達を前に早速”頓挫”したようだ。
しばらく前に私は「「日本沈没」、「ちきゅう」、そして在日米軍 」というものを書いていた。
これに書いたように、映画「日本沈没」における”エース”は、地球深部探査船「ちきゅう」であった。しかし、私は巨大な津波を前にして幾多の掘削船が無傷ですむはずはなく、絶対沈没するはずだと考え、こう書いていた。
”たとえば、掘削船「ちきゅう」などがプレートを剥がすために爆弾をしかけるための掘削作業中に大地震とそれによる津波が日本列島を襲った。しかし、掘削船群は無傷であった。常識的には、掘削船も沈没するだろう。”
奇しくも私の予想が当たり、今回は津波ではなかったが、発達した台風程度でも見事に沈没しそうになったわけだ。
また、私はこうも書いていた。
”最後に、掘削船「ちきゅう」に関して言えば、これは(私の観点からすれば)、大問題の中にある。この「ちきゅう」は、そもそも、地球物理学のアカデミックな問題を解決するために作られたのだが、現在は世界中の資源探査、つまり、鉱物資源や石油資源探査のために出向いていて、ちっともマントル内部まで掘削なんかしていないのだ。”
これも大当たり。結局、この掘削船の目的である「地球最深部到達」がかなわず、沈没寸前で逃げ帰ったが、大きなダメージを負ってもはや使い物にならないということだろう。
これは、かつての第二次世界大戦の時に建造された「戦艦大和」や「戦艦武蔵」を思い起こす。どちらもたいした貢献する前に”見通しの甘さ”から活躍する前に沈没したからである。
こんなわけで、地球深部探査船「ちきゅう」に関して私が心配していたことがそのまま起こってしまったようである。たいへん”遺憾な”(=残念な)ことである。
最初の記事に関してはこんなものだが、実は前の話とは別に私はもう1つの心配をしていたのである。それは、こんなものだ。
仮に地球深部探査船「ちきゅう」の計画が全部成功して無事に地球の地殻岩石を全部カラム(筒)に取って帰って来たとしよう。
ではどうなるか?
実は、ここで問題が起きる。
以前私は「ノーベル賞のメッカ、”カリフォルニア”に学べ! 」というものを書いていた。そこでマイケル・ボウルター、"Extinction: Evolution and the End of Man"(日本語訳、「人類は絶滅する化石が明かす「残された時間」」、朝日新聞社)という本を紹介した。
その本に良く書かれているのだが、地殻カラムに入っている地殻岩石の”年代測定”にはかなりの経験と知識の集積が要求される。そのため、カラムを得てもそれから正確な年代測定するにはその筋の専門家が必要となる。欧米の石油会社は20世紀に入ってからすでに長い間世界中の地殻を掘削してきた。それゆえ世界中の地殻の入った無数のカラムを持っているという。ところが、石油会社はどこに石油がありそうかだけに関心があり、石油がある地殻はどういう地層であるかまでは分からない。ましてや正確な地層年代の測定の仕方が分からない。
結局、石油会社はその本の著者であるボウルター博士のような「古生物学者」に年代測定を”頼む”ことになった。そうなると、せっかく会社が得た現物から会社の外の大学にいる古生物学者が一番”美味しいところ”をデータとして全部得られたということである。
私が地球掘削船「ちきゅう」の計画が出た時から最初から何となく心配していたのは、その地殻コラムを分析できる専門家が日本にいるのかということである。いれば良いがいなければ、結局欧米のボウルター博士のような年代測定の専門家に仕事を回さなくてはならない。そして一番大事なデータを全部欧米人に無償で提供することになる。そういう心配であった。
まあ、それでも世界の科学に貢献できるならまだ良いだろう。
しかし、実際にはアメリカやイギリスには無数の掘削船がありすでに物凄い数のデータを持っている。映画「日本沈没」でも日本近海に世界中から掘削船が駆け付けて爆弾を装着するシーンがあった。これほどまでにたくさんの掘削船が存在する中で、日本の掘削船「ちきゅう」が”Nプラス1”になってどれほどの活躍ができるか、といえばそれはあまりたいしたことにはならないだろうと考えられる。
むしろ”オンリーワン”の立場を目指して「ちきゅう」は最深部到達のみを目指して初めてその意味があるのだと私は見ている。
そのもっとも大事な目的をいきなり目指して今回大失敗し、それ以後は恐くて地球上に無数にある石油掘削船と同じことをインド洋で行うという。おそらく、これでは結局、最深部到達を前に船が老朽化して一番の目標は実現できないということになるだろう。
余計なことは考えず、ただひたすら”地球最深部到達”のみを目指すべきだと私は考えているのだが。
これによると、
”海洋研究開発機構は17日、地球深部探査船「ちきゅう」が9月から続けていた青森県下北半島沖での試験掘削を中止すると発表した。台風なみの低気圧が通過した今月7日、海底に固定した装置と船から垂らした掘削用パイプを切り離す緊急避難の作業が間に合わず、両者をつなぐ棒が大きく曲がって、交換修理が必要になったためだ。”
とあるように、地球深部探査船「ちきゅう」が地球最深部到達を前に早速”頓挫”したようだ。
しばらく前に私は「「日本沈没」、「ちきゅう」、そして在日米軍 」というものを書いていた。
これに書いたように、映画「日本沈没」における”エース”は、地球深部探査船「ちきゅう」であった。しかし、私は巨大な津波を前にして幾多の掘削船が無傷ですむはずはなく、絶対沈没するはずだと考え、こう書いていた。
”たとえば、掘削船「ちきゅう」などがプレートを剥がすために爆弾をしかけるための掘削作業中に大地震とそれによる津波が日本列島を襲った。しかし、掘削船群は無傷であった。常識的には、掘削船も沈没するだろう。”
奇しくも私の予想が当たり、今回は津波ではなかったが、発達した台風程度でも見事に沈没しそうになったわけだ。
また、私はこうも書いていた。
”最後に、掘削船「ちきゅう」に関して言えば、これは(私の観点からすれば)、大問題の中にある。この「ちきゅう」は、そもそも、地球物理学のアカデミックな問題を解決するために作られたのだが、現在は世界中の資源探査、つまり、鉱物資源や石油資源探査のために出向いていて、ちっともマントル内部まで掘削なんかしていないのだ。”
これも大当たり。結局、この掘削船の目的である「地球最深部到達」がかなわず、沈没寸前で逃げ帰ったが、大きなダメージを負ってもはや使い物にならないということだろう。
これは、かつての第二次世界大戦の時に建造された「戦艦大和」や「戦艦武蔵」を思い起こす。どちらもたいした貢献する前に”見通しの甘さ”から活躍する前に沈没したからである。
こんなわけで、地球深部探査船「ちきゅう」に関して私が心配していたことがそのまま起こってしまったようである。たいへん”遺憾な”(=残念な)ことである。
最初の記事に関してはこんなものだが、実は前の話とは別に私はもう1つの心配をしていたのである。それは、こんなものだ。
仮に地球深部探査船「ちきゅう」の計画が全部成功して無事に地球の地殻岩石を全部カラム(筒)に取って帰って来たとしよう。
ではどうなるか?
実は、ここで問題が起きる。
以前私は「ノーベル賞のメッカ、”カリフォルニア”に学べ! 」というものを書いていた。そこでマイケル・ボウルター、"Extinction: Evolution and the End of Man"(日本語訳、「人類は絶滅する化石が明かす「残された時間」」、朝日新聞社)という本を紹介した。
その本に良く書かれているのだが、地殻カラムに入っている地殻岩石の”年代測定”にはかなりの経験と知識の集積が要求される。そのため、カラムを得てもそれから正確な年代測定するにはその筋の専門家が必要となる。欧米の石油会社は20世紀に入ってからすでに長い間世界中の地殻を掘削してきた。それゆえ世界中の地殻の入った無数のカラムを持っているという。ところが、石油会社はどこに石油がありそうかだけに関心があり、石油がある地殻はどういう地層であるかまでは分からない。ましてや正確な地層年代の測定の仕方が分からない。
結局、石油会社はその本の著者であるボウルター博士のような「古生物学者」に年代測定を”頼む”ことになった。そうなると、せっかく会社が得た現物から会社の外の大学にいる古生物学者が一番”美味しいところ”をデータとして全部得られたということである。
私が地球掘削船「ちきゅう」の計画が出た時から最初から何となく心配していたのは、その地殻コラムを分析できる専門家が日本にいるのかということである。いれば良いがいなければ、結局欧米のボウルター博士のような年代測定の専門家に仕事を回さなくてはならない。そして一番大事なデータを全部欧米人に無償で提供することになる。そういう心配であった。
まあ、それでも世界の科学に貢献できるならまだ良いだろう。
しかし、実際にはアメリカやイギリスには無数の掘削船がありすでに物凄い数のデータを持っている。映画「日本沈没」でも日本近海に世界中から掘削船が駆け付けて爆弾を装着するシーンがあった。これほどまでにたくさんの掘削船が存在する中で、日本の掘削船「ちきゅう」が”Nプラス1”になってどれほどの活躍ができるか、といえばそれはあまりたいしたことにはならないだろうと考えられる。
むしろ”オンリーワン”の立場を目指して「ちきゅう」は最深部到達のみを目指して初めてその意味があるのだと私は見ている。
そのもっとも大事な目的をいきなり目指して今回大失敗し、それ以後は恐くて地球上に無数にある石油掘削船と同じことをインド洋で行うという。おそらく、これでは結局、最深部到達を前に船が老朽化して一番の目標は実現できないということになるだろう。
余計なことは考えず、ただひたすら”地球最深部到達”のみを目指すべきだと私は考えているのだが。
2006/10/17のBlog
[ 21:35 ]
[ オシムの言葉 ]
オシム流を熱く伝授 S級指導者講座で講義
オシム監督が、公認S級コーチ養成講習会で講議。
「監督は試合前の控室で、一流の映画監督や演出家のように雰囲気をつくらないといけない」
「バルセロナの水準まで日本のサッカーが届くには、時間、運、多くの努力が必要。大事なことは何ができて何ができないかを把握すること」
「サッカーにはリスクを冒す余地が残っている。どの方法で(指導するか)ということにレシピはない」
オシム監督が、公認S級コーチ養成講習会で講議。
「監督は試合前の控室で、一流の映画監督や演出家のように雰囲気をつくらないといけない」
「バルセロナの水準まで日本のサッカーが届くには、時間、運、多くの努力が必要。大事なことは何ができて何ができないかを把握すること」
「サッカーにはリスクを冒す余地が残っている。どの方法で(指導するか)ということにレシピはない」