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KiKidoblog
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2007/02/03のBlog
[ 11:14 ] [ 公表論文 ]
(62) Kazumoto Iguchi, Shu-ichi Kinoshita and Hiroaki S. Yamada,
"Boolean Dynamics of Kauffman Models with a Scale-Free Network",
to be published, J. Theor. Biol. (2006).*
cond-mat/0510430
日テレの大杉アナ、自殺か 自宅マンションから転落死

いやはや、これは残念なニュース。「女子アナ」ブームの切っ掛けを作った女子アナの一人、大杉(旧姓鈴木)君枝アナウンサー(43)、が飛び降り自殺でなくなったという。出産後の育児休業中に線維筋痛症にかかり治療専念していたらしい。

どうやら出産後の育児の忙しさと線維筋痛症の治療の忙しさの中で心身症にかかり、自殺してしまったように見える。おそらくうまく”眠れない”状態が続き、うつ状態になったのだろう。

私(と妻)は、最近よく思うのだが、どうやらちまたの病院では、このうつ状態の症状を見せるとすぐに処方してくれる「睡眠薬」があるようだ。我が家では、どうもこの薬の副作用に逆に「うつを悪化させ自殺を促すものがある」のではないか、と疑っている。そして、この薬には”常習性”があり、一度使い出すとなかなか手が離せない状態になる。

アメリカなどでは、睡眠薬ではなく、睡眠ホルモンのメラトニンの錠剤を飲むことになっているが、だから眠れないから薬を飲んでうつになるということはない。逆にメラトニンは若返りの健康食品の一種としてすら考えられているほどである。

どうも日本(厚生労働省)は、日本の製薬会社が儲かりそうにないアメリカ製メラトニンは病院で処方しないようである。その代わりに日本の製薬会社が儲かりそうな睡眠薬、つまり日本製睡眠薬を処方しているのではないか、という気がするのである。要するに、日本の官僚は自分の配下の企業が儲からないことはいくら国民のためとなっても許可しないのである(これは、小児の脳死移植を見れば分かるだろう。この場合も小児1人1億円も日本円がアメリカに流出して日本人が損をしているのにお構いなしなのである。逆に、アメリカは世界中から患者が来て大喜びだろう)。

日本の”薬害”というのは、水戸黄門のワンパターンの悪代官振りと全く同じで、全くのワンパターンを繰り返し続けている。(「薬害、薬害、薬害 」参照)。 悪名高い「ミドリ十字」は、薬害エイズ、薬害肝炎などなど相変わらずである。

どうも「睡眠薬」の場合にもこれと似たようなことが起こっている気がしてならない。つまり、「睡眠薬害」である。

その昔の睡眠薬「ハルシオン」というのは、非常に危険な副作用があった。これと同時にアルコールを飲むと自殺願望が増すのであった。日本人は、眠れない場合に普通すぐに酒に頼る。酒の力で眠ろうとする。そしてもっと眠れるようにと睡眠薬を飲む。この場合に、副作用が出て、突然喚き散らして窓から飛び降りる。こうして死んだ人々が無数にいるはずだと私は理解している。

かつて、天才伊丹十三監督が突然飛び降りた。悪童青春歌手の尾崎豊が路上で突然死した。両者ともに大酒を飲んでいた。もしその前に睡眠薬を飲んでいれば、衝動的に自殺したという可能性がある。

こういう場合、アルコールと睡眠薬のカクテルだけは避ければいいのである。しかし、日本の医者も医療官僚も不思議とその危険性を主張しない。だから、これも一種の”薬害”なのである。

似たような例にインフルエンザ薬のタミフルがある。タミフルを飲んで突然衝動的に自殺した子供が出た。私はこの場合もアルコールが関与したのではないか、と想像している。というのは、日本では「卵酒」というような庶民の対処療法がある。また、その上に薬を飲めば2重で効くだろうという誤解もある。だから、不幸にも、酒と睡眠薬が重なって自殺者が出たように、不幸にもタミフルと卵酒で衝動的に自殺してしまった、ということかもしれないからである。そんなわけで、我が家では、タミフルの場合は、アルコールも他の風邪薬も飲まない。素人カクテル療法は危険だからである(少なくとも6時間以上の時間を空けて飲む)。

ところで、”薬害”というものと”同じ構造”が裁判にもある。これは”裁判害”とでもいうべきかも知れない。いわゆる「えん罪」事件のことばかりでなく、日本の裁判は全般に言える。

日本の裁判は、「裁判官」というよりは「裁判屋」、「検事」というよりは「事件屋」、「弁護士」というよりは「弁護屋」が行っている観あり、であるからだ。要するに、裁判官僚である裁判官が、利益団体である検察や弁護士に仕事をくれてやるというような構造のことである。(この問題は映画「ぼくはやっていない」に描かれているようだ。またそのうちここで書くこともあるだろう。)

さて、いずれにせよ、私好みの美女がまた1人日本からいなくなってしまった。残念なことである。御冥福を祈りたい。
2007/02/01のBlog
おとといの”NEWS Zero”という深夜の報道番組を見ていてあぜんと思う事が起こった。忘れない内に、一応書いておこう。

アメリカのNASAは宇宙探査でお持ち帰りしたものは、”非公開”が原則だという。というのは、ロケット打ち上げに数百億円、探査に2000億円ほどかかる。だから、研究用としてすべて保存するらしい。

ところが、日本では違うようだ。その番組では、日本の南極探査のお持ち帰り品である”貴重な”「南極の氷」が、番組に出てきて、氷っていた氷を水につけて溶かしてしまった。それを実演して大喜びだったのである。

この番組の人や南極の探検隊員はどう考えていたのだろうか。いったい氷を持ち帰るのに幾らかかっているのだろうか。

その辺の氷とは違い。その成分に古代の地球の歴史を秘めている。そう番組の解説者も言っていた。その歴史が我々の見ている目の前でお釈迦になった。

ほんと最近のテレビ番組は全く頭が働いていないのではないだろうか。もっとも何でもかんでももののごとの価値がゼロと思うのがこの番組のZEROの意味だったのかもしれないね。

いずれにせよ、あの「南極の氷」はどうなったんだろうか?
私が良く知っている人にこんな人がいる。

その人物は、自分の目的や理想を持つ。そしてそれゆえ、それにまい進する。しかし、本人はなかなかそれが実現しない。大半はむしろ失敗である。ところが、その人物には不思議な魅力があり、会う人会う人その人の影響を受ける。

その人物が大学へ行くと言えば、じゃおれもと友人は言って受験する。ところが本人は大学入試を失敗するが、友人たちは成功する。だから本人はあまり良い大学に行けないが、周りのものは結構良い大学に行く。

その人物が大学院へ行くと言えば、じゃおれもと友人は言って受験する。ところが本人は第一志望の大学院に入れないが、友人たちは志望がかなう。数年して、本人は博士号取得に失敗するが、友人たちは成功する。だから本人は大学に残れないが、周りのものは結構良い大学に残って教授となる。

その人物がアメリカに留学をする。すると、あいつが留学するならと友人も留学する。その本人は留学を終えて帰国するがあまり良い職に恵まれない。しかし、つられて留学した友人たちは帰国後立派な職を得る。

その人物は自分のテーマを持って研究する。そして今これが面白いといって仲間にも勧める。ところが、自分はいつもうまく行くとは限らない。ところが、教えてもらった友人が成功し有名となる。

その人物は結婚し子供も作る。ささやかながらも楽しい家庭である。すると、知人はその人の幸せそうな家庭を見て自分も結婚してみたくなり結婚する。しかし本人はそれほどリッチな家庭は作れない。知人はその人物よりずっと幸せでリッチな家庭を作る。

その人物はスポーツが好きである。知識も経験もある。そこでどこかの学校で非常勤のコーチとなる。しかし非常勤のため給料はない。遠征費も自腹を斬る。すると、指導を受けた子どもはうまくなり、チームも好成績をあげる。中には海外遠征代表に選ばれるものも出る。そしてその学校のスポーツ音痴の監督も有名になる。しかし、その人には何の見返りもない。

その人物はインターネットをやりはじめる。ちょっとしたサイトを作る。それを見た友人が自分もと思ってやりはじめる。すると、本人のサイトは廃れるが、その友人のサイトは非常に有名になる。その本人にはたいした得はないが、友人は自分の仕事の評判につながるからだ。

その人物は毎日せっせとエッセイを書きはじめる。すると少なからずの人がそれを読む。そして自分の仕事のネタやきっかけに使う。すると、その人物のエッセイは売れないが、それを真似た人物のエッセイがベストセラーになる。

その人はやることなすことすべてが空回りでうまくは行かないのだが、周りに大きな影響を与え、それを受けた人々が成功する。とまあ、毎日毎日そういうことをしている、変わった人物のことである。

この人のタイプはセレンディピティーというのともちょっと違う。なぜなら、セレンディピティーは、偶然の出来事で自分自身が得るラッキーだからである。この人物は偶然の出来事で自分以外の周りをラッキーにするのである。むしろ自分は損をするがその結果として周りの人を幸せにする。そういう人物だからである。アゲマン、アゲチンの類いかも知れないが、これともちょっと違っている。なぜなら周りと深い人間関係を結ぶわけでもないからである。イエス・キリスト的とも言えるがちょっと違う。なぜなら別に本人は他人のために奉仕しているのでも犠牲になっているのでもないからである。カリスマ的とも言えるが、これとも違う。なぜなら、カリスマは周りの熱狂的サポートの上に成り立つが、この人にはだれもサポートはしないからである。福の神的とも言える。しかし福の神は神様。自分はいつも幸せものだ。だから周りを幸せに引き込む。この人は、自分はむしろ失敗の連続で不幸なのである。しかし、なんだかんだと言ってもこの人物に関わっていると関わった周りの人がなにかにつれ幸せになる。もっともその周りの人は、自分がその人の影響のせいで幸せになったと思わないから、だれもその人の効果に気付かないし感謝もしない。こういう変わった人のことである。

果たしてこういう人を何というのだろうか?



2007/01/31のBlog
大麻、コカイン所持容疑 NOVAの教師7人を逮捕

私が日本の英語教育でいつも混乱させられてきたのは、英語圏文化と日本文化のミスマッチである。

かれこれ30数年ほど前私が中学生の頃、当時できたばかりの英会話スクールに学校代表として参加したことがあった。実験的にアメリカ留学帰りの先生が各中学校の希望者に英会話を教えるというものであった。こっちはサッカーの部活で忙しい最中、めんどうくさくてたまらないのに週一回の参加でいいから参加してと学校に頼まれたからしかたなく参加したのだが、自宅からあまりに遠くでいつも遅刻してしまった。その都度、日本人女性の英会話教師が英語で"Please tell us why you are late"といきなり初回から聞き出す始末。毎回、行けば"I am sorry to be late"とかなんとか言い訳ばかりさせられるはめになった。ある時、そのパーティーで当時はやりの連想ゲームというのをやった。しかし、その時間は部活で一度も見た事がない私はなんだかさっぱり分からず大失敗の連続。みんなに大笑いされてすっかり嫌気がさしたので、私はそれっきり英会話そのものもすっかり止めてしまった。

とまあ、こんなことがあった。それ以来私は自分が英会話ができるようになるなどと一度たりとも夢にも思わなかった。

ところが、人生とは不思議なものである。1980年代半ばに大学院を経て企業に就職したが、とあることが機会となり、アメリカ留学に自分の未来を賭ける必要が出てしまった。アメリカ留学か、さもなくば無職か。

そんなわけで、留学願書の要求に合わせて、いわゆるTOEFLを受けに明治大学に行ったのだが、そこで見たのはなんとも懐かしい風景だった。ひげ面でいかにもインテリ教授風の白人指導官がまん中で王様のように振る舞う。その傍らに日本人女性がかしづき、我々に慇懃に振る舞う。そして、白人の余裕たっぷりの英語をその女性が大袈裟に通訳する。単なるインストラクションなのだが、私にはそれでもさっぱり分からない。ヒアリングがさっぱりなのだ。試験終了の合図も実に官僚的で無慈悲だった。時間が終わってもまだなにか書き込むと非常に迷惑そうな顔をする。そして教官どうしは、「ハーイ、マリーコ。サンキュー」というような調子で大袈裟にハグし合って、我々を無視して帰る。そんな調子だった。そんなわけだから、もちろん、目標の500点には届かない。

それでも幸運の女神がいて、私はスコアは未定の状態でアメリカに留学できた。留学しているうちにパスすればいいということだ。アメリカ、ユタで初めてTOEFLを受けるとそこでこれまた懐かしい風景に遭遇した。現地に遊学してTOEFLにパスし、現地で大学進学したいという日本人の若い男女で満杯だった。いざ試験が始まると、ユタのごく普通の老夫婦のようなカップルが指導してくれる。英語は早すぎて分からないが、実に親切で好感が持てた。しかし結果はなかなか受からず、すっかり顔なじみになる始末。しかし、いつ行っても実に親切な老夫婦だった。時間がすぎてももう良いか、もう十分かと何度もみんなに聞いてじゃ終わろうか、という親切さだった。

1年もすると、学部のお偉方があきれたのか、いきなり私に授業を持たす。しょうがなく1日1日としどろもどろのへたくそ英語で何とかしのいで行く。そうやって1年、また1年が過ぎる。すると、少しずつ私のへたくそ英語もまともになってくる。そうして4年目には結構すぐれた英語が話せる留学生となってしまった。この時期、ハワイオアフに旅することがあったが、盗難事件で警察を呼んで話すと、「お前の英語はおれらのよりいいぞ」と変に誉められる始末。

それから20年が経ち、こうして振り返ると、再び私の耳も元通りに近くなってしまった。しかしそれでも苦労して身体にしみ込んだ体験英語は失われないようである。

こんな体験をしたものだから、私はこの記事のような英会話教師を見ると、すぐさまその昔の出来事の時代にワープしてしまう。昔の悪い記憶が蘇る。「英会話のできる日本女性でいい子はいない」というトラウマというやつだろう。英語でいう”フォビア”というものかもしれない。

本国でとりえのないものが、外人顔をぶら下げて日本に来る。本国ではありふれたもてない顔でも日本ではものめずらしがられて日本女性がちやほやする。そうこうするうちに自国でもできないことを日本でやろうとするものが出る。学校で女性と交尾したり、自分の部屋で日本人女性を相手とする。酒池肉林というやつだ。それに飽きると今度はもっと刺激を求めて覚醒剤、そして麻薬へと進む。

駅前留学は高くつく。やはり本国のまっとうな英米人に教えてもらうべきである。その際、人種的にはどうでもいい。すぐれた人物に教えてもらうべきである。さもなくば、英語ではなく、英語のエッチ会話を学ぶだけに終わってしまうだろう。”オーイェー、オーイェー、オーイェーース”。

ちまたでは、日本は、白人天国、黒人天国、アラブ人天国、インド人天国らしいネ。外人天国らしい。

そういえば、何年か前に私の恩師が来た時こういっていたヨ。

"Foreigner can do anything!" (外人は何でもできる!)
月探査機「ルナーA」計画中止 152億円散る

コップに水がいっぱいあったがあなたは半分まで飲んでしまった。この時、「まだ半分ある」と思うか、「もう半分しかない」と思うかは人による。まだ半分と思う人はイエスタイプ、もう半分と思う人はノータイプである。イエスタイプの人には、直接的に「こうしよう」、「こうですか?」といい、ノータイプの人には、間接的に「こうしないように」、「こうではないですか?」といえばいい。こんな心理学者の話がある。

さて、あなたはすでに16年間で152億円の税金を費やしてしまった。しかしまだ計画は途中で頓挫したまま。こんな時、あなたはどう思うか?

「もう152億円無駄にしてしまった」

と思うか、あるいは、

「まだ152億円しか無駄にしていない」

と思うだろうか。

まさにこんな選択を迫られる話が最初の記事の話題である。

月面に「ペネトレーター」というヤリ形観測機器を打ち込み、内部構造を調べる月探査機「ルナーA」計画(宇宙航空研究開発機構)が事実上中止となったというニュースである。

まったくボランティアでゼロ研究費で研究している私であれば、そんな無駄するとはなんてこった、と言ってもしかたないだろう。

しかし、日に1000万円の出演料、1億円の月収、12億円の年収を得ていると言われている、みのもんたや所ジョージやしんすけやさんまならどういうだろうか?

”16年で152億?1年で10億にもならんのやでー。おれらの年収にも満たんやないけー。そんなんでなんで開発できるん?ウソやろー。ウソちゃうんか?そんなんで月までいけるんやったら、おれら月まで何往復できるん?”

とまあ、こんな声が聞こえて来そうである。どうも科学研究の音頭を取る人たちのしみったれた金銭感覚が税金をどぶに捨てている感じだね。どう見ても桁が1つ足りない感じがする。これでは、ナニワの毎度衛星と良い勝負だろう。

いずれにせよ、こういう開発というのは、成功してなんぼ。失敗すれば無駄になるもの。それゆえ中止というのは、本来あり得ない。中止するなら初めからしないほうがまし。ダム建設と同じ事だろう。成功の見込みがあればずっと根性すえてやるべきだし、見込みがなければ最初から別の事をすべきなのである。

研究費の欲しい私らからすれば、何とも後味の悪い話である。
2007/01/30のBlog
「あるある」関テレ数十億円の損失か

いやはや、テレビマスコミの”現実”が次第に明らかになってきた。関西テレビ制作の情報番組「発掘!あるある大事典2」の「◯◯ダイエット」というようなものが、ほとんどが”嘘”、捏造らしいということが発覚してきたのである。

昨今のテレビは、”いい加減なネタ”の記事を出す週間芸能雑誌と同じように、”いい加減なネタ”の番組を作っているという証である。一方で週刊誌の乗りで番組を作っておきながら、その一方で「公共放送」という”正義感ぶり”をしているのである。

この関西テレビの常連も吉本興業のタレント達であるが、人前では正義感ぶって他人の起こした事件を評してさんざん悪口を叩いておきながら、陰では自分達は風俗店で豪遊しているというわけである。表と裏を見事に使い分けているわけだ。

こういう”悪徳吉本文化”の中で関西テレビも育っているわけだから、インチキは当然のこととなる。要するに、大阪人特有の論理、「なんでもありあり売れりゃー良いのさ大事典」となるのである。

こうしてみると、「発掘!あるある大事典2」のタイトルそのものが、実は何でもありの大阪人が作ったとさえ思われてくるからか摩訶不思議である。

では、志村ケンの番組ばかりでなく、みのもんたの番組や所ジョージの番組はどうか、ということになる。おそらく、みんな似たような手法を使っているのではないだろうか。見た目には、ほとんど同じような構成になっているからである。

しかし、こういった番組司会者はのんきなものである。自分が話す”内容の真偽”などどうでもいいからである。内容が正しければ自分が得をし、内容が間違っていれば、その人や作成者を非難すればいいのだからだ。どっちみち、番組に出演し続けられれば1時間の出演料数百万円(普通の人の年収以上)を獲得できるからである。

ところで、私は善人面した所ジョージやみのもんたやしんすけは大嫌いである。なぜなら、「日本は大変な国になった」とか言いながら、実は自分よりお金のない人々がお金がないことのために起こしたことを自分の番組のネタにして自分は大儲けしているからである。また、「事件」をネタにして自分が儲けるからである。他人の不幸を自分の利益に変える。こういう行為はいただけないからである(こういうのを”悪魔的”という)。自分がリッチで他人が不幸なのであれば、番組などで取り上げるまでもなく、リッチな人が不幸な人をただ援助すればいいだけだからである。ところが、みのもんたは飲み歩くだけ、所ジョージは趣味に浪費、しんすけは私腹を肥やすだけだからである。

「それが経済さ」と言ってしまえば単純だが、そういうものではない。古来よりどこの国にも、善人面した所ジョージやみのもんたやしんすけのような人物はいて、そういうものを「偽善者」と呼ぶ。しかし、こういう人物が人気を得るのが今の「品格のない日本」の特徴なのである。

中田英寿とて同類と言える。自分1人で旅をしたいという。一人旅はいい。人を成長させる。しかし、実はいつもマネージャーもつき、カメラマンも同伴。行く先々で話題を作って何かの番組を作る。ワールドカップサッカーでもチームにだまって自分だけの番組を作る。これでは人はついてこない。引退したならもうサッカー選手ではない。一旦サッカー選手のユニフォームを脱いだ以上、それをネタに番組は作るべきではない。旅をするなら、だれもつけず、個人として旅を続けるべきである。密かに本のため、写真集のためにやるのであるなら、”一人旅”という嘘はつくべきではない。それがサッカー少年のためだからである。”サッカーは単なるスポーツではない”。そこが野球と違うところである。

ましてや、いつも思う事だが、テレビでちまたで売られている新聞や雑誌を取り上げて簡単に紹介してニュース番組だと思っているバカ番組の類いは”やらせ”ではないのか。少なくとも、これは公共放送としての資格はない。というのは、これは立派な「プレイジャリズム」=「他人の記事の無断盗用」だからである。許可なく、他人の記事を営業目的では披露できないのが普通の常識である。がしかし、得意満面でテレビ番組の中でそれを読んでいるばか者たちがいる。

私の個人的観点からは、こっちの方が実は「あるある大事典」より悪質なのである。

なぜなら、もしこういう形が普通のこととなれば、真面目に取材するものほど損をすることになるからである。取材、取材費、取材時間、取材記事作成などさまざまな苦労のもとに作った商品である新聞や雑誌の記事が、テレビ局は新聞雑誌を一般消費者同様の安さで買って自分の番組に使えるからである。これでは、マトモな記者は減ってしまう。育たない。

こういう風潮がマトモな番組作りをないがしろにする文化を生み出すのである。そうして、今回の事件のようなものを産む。

これまた、安倍さん好みの、日本の”美しくない”ところだ。
[ 11:48 ] [ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。笑い飛ばすことが肝心。信じるなよ。

柳沢厚労大臣が、「女性の10代から50代までは子を産む機械」と発言して失笑をかっているという。

そこで、とある日本の公共放送局が、これこそ人気ばん回のチャンスと各界の著名人に「あなたは女性をどう見ますか?」とインタビューを実施した。

生命科学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりにおぞましい比喩です。生命の誕生こそ生命科学の神秘に他なりません。女性こそ、生命科学の謎とするものなのです。大臣にはぜひ生命科学を勉強してもらいたい。」

工学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりに原始的な比喩だね。今やナノテクノロジーの時代。女性こそ、ナノテクノロジーの極致にちがいない。大臣にはぜひナノテクを勉強してもらいたい。」

物理学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりにあいまいな比喩です。たった1つの原子でも量子コンピュータにできます。なのに女性のように原子の集合体が単なる機械であるはずがない。きっとそれ以上のものであるはずです。大臣にはぜひ物理学を勉強してもらいたい。」

数学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりに文学的な比喩だね。10代から50代までの女性でも1人目の子、2人目、3人目とちゃんと数えられるではないか。だから、子を産むだけではない。女性こそ、数学に自然数を産んだ張本人なんです。それに、数学は科学の女王というのですぞ。大臣にはぜひ数学を勉強してもらいたい。」

化学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりに工学的すぎる比喩です。たった1つの細胞でも無数の化学反応から成り立っている。なのに女性が機械とはお笑いぐさだ。女性こそ、無数の化学反応の連鎖なのです。大臣にはぜひ化学を勉強してもらいたい。」

教育学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりに一面的な比喩ですね。子を産むだけではだれがその子を教育するのでしょうか。女性には産むだけではなく、教育者としての面もあるのです。女性こそ、真の教育者の鏡でなくてはならないのです。大臣にはぜひ教育学を勉強してもらいたい。」

社会学者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとか。あまりに現実離れした比喩だね。女性にも熟したのと未熟のものがある。だれでも子に恵まれるわけではない。もし女性を機械に例えるのなら、女性の10代から50代までは子を産む可能性のある機械と言うべきだった。大臣にはぜひ社会学を勉強してもらいたい。」

ついでに、その放送局はアダルト関連会社にも聞いてみた。すると、アダルトビデオ制作者はこういった。
「子を産む機械とは何ごとサ。ヤバイよ。あまりにビミョーな比喩だ。女性についてあまりに知らなすぎるヨ。出産シーンよりエッチシーンの方が売れるんだよナ。女性は幼女から老婆まですべて需要があるのヨ。年令相応、分相応にお客がつくのサ。大臣にはぜひエッチビデオを勉強してもらいたいヨ。」
週刊誌の八百長報道、4大関が疑惑否定相撲協会聴取

これは、結構面白い問題を含んでいる。

ニュースは、大相撲の横綱朝青龍に関連して、一部週刊誌が”八百長疑惑”を報じたらしい。私は読んでいないのでどんなことが書かれたか知らないが、この問題で、日本相撲協会が29日に記事の中で実名を挙げられた栃東、琴欧洲、千代大海、魁皇の4大関から事情を聞いたところ、全員が疑惑を否定した、というものである。

最近になってやっと「あるある大辞典」の”番組のやらせ・捏造”問題が発覚して、テレビマスコミの下劣さがちまたに明かとなったが、上の相撲の問題は、こんどはいわゆる週刊誌の”記事のやらせ・捏造”問題の一種に関係するからである。

私の記憶では、だいたい20年前頃だったか、かつて千代の富士が横綱だったころ、荒瀬という力士がいて、引退後自分がどのように「八百長」に関わったかを暴露したという記事があったと思う。この力士の言う「八百長」とは、我々が想像するようなものではない。

普通、スポーツで「八百長」というと、昨年のイタリアのサッカー界に起こった「八百長」事件のようなものを想定する。この場合は、”選手以外の”誰かと特定の選手が”取り引き”してお金をもらい、サッカーのトトカルチョの勝敗を調節し、”選手以外の”誰かに得をさせる、というものである。キーパーがわざとミスして負けたり、わざとシュートをはずすというような方法で勝敗をコントロールする。

野球の八百長疑惑というのも、その昔あった。この場合は、ピッチャーがわざと打てるボールを投げてホームランやヒットを打たせて負けるのである。強豪チームが負ければオッズが高くなるから闇賭博にとっては儲かるのである。

我々がスポーツの「八百長」を想像するとこういったものを一番先に考える。しかし、荒瀬の言ったものはこういうものではなかった。これが面白いところである。

荒瀬の言った相撲の「八百長」とは、力士以外のだれかを儲けさせるものではなく、力士自身が儲けるものであった。これは、”星勘定”の帳じりを合わせるために、「勝ったり負けたりの取り組みの星をその都度の状況に応じて臨機応変に力士の間で譲り合う」ということである。

つまり、例えば、ある力士が角番で、今回負け越せば大関陥落するという危機にあるとしよう。そうすると、まわりの力士が大関が何とか勝ち越せるように、帳じり合わせを画策するということなのである。大関自身がこれに関わる場合も関わらない場合もある。これを将来の親方株や金で取り引き(注射)するのだという。これを「注射相撲」という。

日本の大相撲は、個人競技のようで個人競技ではない。むしろ、チームどうしで戦う自動車のF1やラリーに似ている。

F1では、各チームには優勝候補のトップドライバーがいて、その下のクラスの仲間は、自チームの優勝候補が優勝できるように徹底的に相手チームを邪魔するのが仕事となる。タナボタ式に自分が優勝することもあるが、トップレーサーになれなければ、優勝という仕事はまだ自分には入ってこない。また実力もともわなければそのチャンスも来ない。

これと同様に、相撲は部屋ごとに戦う。”兄弟力士”である同部屋力士は対戦しない。だから、格の低いクラスの力士は必至で自分の部屋の一番上位の力士が良い成績を残せるようなお膳立てをする。この目的で一番常識的なのは、下のクラスが頑張って好成績を残せば、ライバル部屋の力士は星勘定が悪くなるわけだから、自分の部屋の上位陣も好成績を納めやすくなるのである。

しかし、もし上位陣が怪我などで絶不調となった場合には、下手をすればあっという間に陥落してしまう。それでは、飯の食い上げとなる。なぜなら、関取の給料は上位陣力士の稼ぎに依存しているからである。

そこで、こういう場合には、格下の兄弟力士が”取り引き”して、ライバル部屋の上位陣と当たる時にわざと負けてやるから、今度は自分の部屋の不調の上位力士が勝ち越せるように、相手の部屋の力士に負けてもらう。こういう”取り引き”をして自分の部屋の力士の地位を守る。

こういうのを荒瀬は相撲の「八百長」(=真剣勝負ではないという意味)と言ったと私は記憶している。

したがって、各部屋の上位陣であるスター選手に「お前は八百長したか」と聞いてもだれもそうしたとは言わない(はずである)。

なぜなら、スター選手はそれなりに必至でやっているし、八百長するべき理由もないからである。しかし、自分の部屋の先輩力士や上位力士の成績を心配する親方や下位力士や後輩力士たちは、何とかして給料をもらってくるべき力士の成績をあげようと画策するのである。

今回の事件とまったく同じようなことが、20年程前にもあったのである(ほとんどの人は忘れてしまったかも知れないが)。もちろん、30年前にも、10年前にもあった。

というのは、これが大相撲の構造的問題だからである。「同部屋力士は対戦しない」というのは、たびたびこの「八百長」問題を引き起こし、大問題となるが、未だにこれ以外の有効な方法は現れていない。(これを大分前に論じたのが、拙著「フラーとカウフマンの世界」の中の「フラーとカウフマンの違い5 若貴相撲バブルの終焉」というものである)

いずれにせよ、この問題の解決は非常に難しいだろう。

なぜなら、今の大相撲の審判団や協会側についているのは、かつての往年の名力士たちである。彼等も今の横綱・大関たちと同じく、大相撲の良い面だけを見て引退できた”幸せもの”たちである。それゆえ、彼等の大半もその昔に同じような質問を受けた人々であったが、今の横綱・大関たちと同じように返答した力士である。したがって、問題を正しく認識でできようはずがないからである。荒瀬のように、大横綱や大関になれずに、ずっと縁の下の力持ちで”汚い仕事”だけさせられて引退した力士というものにこそ”本音”が現れているはずである。

やはり、第三者機関(警察当局や検察当局)などの全く独立した機関が調査すべきなのかも知れない。

ところで、実は大相撲の力士とか、自動車のF1とかだけにこういった問題があるというわけではない。野球でもサッカーでも科学者でも新聞記者でもジャーナリストでもテレビ制作者でも似たような問題がある。もちろん、政治家にも官僚にも当然存在する。一般社会にも、企業にも存在する。ヤクザ社会にも存在する。つまり、どんな組織であれ、こうした問題はある。なぜなら、この問題は、トップスターが存在し、そのスターを支えるために誰かが犠牲を強いられるという”構造的問題”だからである。したがって、もちろん、ジャニーズであれ、吉本興業であれ、どこにも存在する。

自分がどこかの組織でトップスターに登りつける事が出来たとすれば、そこには無数の”無名の夢半ばで頓挫してしまった人々の下支え”があるのである(これは自分のファンのことではない。自分と同業者の格下の人々のこと)。トップスターはそれを想像できなくてはならない。その種の想像力がぜひとも必要である。

しかし、サッカーの中田英寿、野球の長島、などを見ていてもどうも日本人にはこの精神が希薄である(野茂選手は例外である。彼はこれにしっかり気付いている)。

科学者とて同様である。1人のノーベル賞学者の陰には約1万人の犠牲が必要なのである。1人のトップスターのために1万人の自己犠牲が必要なのである。が、しかしそれに気付いている学者は少ない。

才能ある若者のために自分が練習材料になる。ある才能ある若手役者のために自分が”芸の肥やし”となる(女性の場合は、男女関係、肉体関係、恋愛関係の練習材料にされてしまうということ)。必ずこうした不遇の役目を負わされる人物が出る。

ある意味これは一種の宿命かも知れない。ユダヤ人のように、その役目は他の人種に請け負わせても当然と達観できる人種は良い。しかし、日本人のように、同じ民族どうしでそれを背負うというのは、かなりいびつなことかも知れない。これが何なくできるとすれば、同じ日本人でも自分は別格だという一種の差別意識がどこかに潜んでいるはずである。さもなくば難しいだろう。

大横綱になりたくて入門したがそうはなれずに大横綱のために”汚れ役”を担うはめに陥ってしまった力士たち。大科学者になりたくて大学院に入ったがそうはなれずに大科学者のための”下請け仕事”を担うはめに陥ってしまった科学者たち。大番組のプロデューサーになりたくてテレビ界に入ったがそうはなれずに大番組の”下請け仕事”を担うはめに陥ってしまったテレビ関係者たち。

こういった人々の気持ちを表現するうまい言葉を私は知らないが、何と言うのか”怨念(おんねん)”というのか、そういうものが渦巻いているのが、今の日本という国なのかも知れない。

いずれにせよ、「あるある大事典」問題にせよ、力士の「八百長」問題にせよ、学者の「論文盗用・捏造」問題にせよ、同じような構造的問題がその背後にあるような気がしてならない。

人は、 人として生まれたからには、人の上に立つ一角の人物になってみたいと一度は欲するものである。

しかし、そうなれるものは、稀である。これが現実であろう。多くの場合は、自分以外の誰か好まざるもののために自己犠牲を強いられるものである。自分の身内や家族のためならまだましである。自分が尊敬できる人物ならまだましである。しかしそうではないもののために、自己犠牲を強いられるとすれば、”美しくない”。

私は、個人的には、”美しい”とは、「物事が見事に首尾一貫している」という意味である。

果たしてこの国に”美しさ”があるかどうか。

これは、明白だろう。
2007/01/27のBlog
写真:マックノート彗星


写真:土星の衛星タイタンの地表写真

写真:”大赤斑”がたくさん誕生した木星


写真:海底から湧き出る”青い温水”。一応地球も天体に入れておこう。


写真:南極の”フジドーム”で掘削して得られた”氷カラム”。
写真:今年の干支のイノシシ




写真:飛び立つオオワシ




写真:世界一臭い花、ラフレシア


写真:巨大な花ラフレシアと”遺伝的に”親戚だと分かったポインセチア

写真:ゴマフアザラシ
2007/01/26のBlog
さて、少し”荒唐無稽な”お話をしよう。

最近まで、大前研一氏の20年程前の「道州制」にほだされて未だに自民党や民主党などの政治家は道州制が”来るべき日本”の理想的な国家のあり方だと信じているようである。しかし、私は最近になって「これはまったくの間違いだ」と個人的に確信を持って考えるようになった。

その理由は、ここずっと私が続けてきたネットワーク理論の分野の科学的知識に基づく。これらについては、このブログ内を「ネットワーク」で検索すれば参照できる。例えば、
”物理的でないもの”の物理学:究理学
”世襲社会”
研究者グループもスケールフリー?
スケールフリーネットワークとエイズ禍

さて、そこで、ネットワークで何が重要かといえば、ネットワークには”→”で表わされる”向き”があるということである。AからBへのリンク(結びつき)は、
(あ)”A→B”
のように表わす。同様に、BからAへのリンクは、
(い)”A←B”
のように表わす。これらが両方ある場合の”A<=>B”のようなものを簡単に
(う)”A-B”
のように表わす。したがって、Aという人物にとって(あ)の場合は「出力」であり、(い)の場合が「入力」である。もし「出力」を支出、「入力」を収入とすれば、ネットワーク構造は、バランスシートのマネーフローチャート構造(お金の流れ)を表現する事になるだろう。

そうすると、現実の日本社会にあてはめると、政府からの補助や支援などが地方への合法的なお金の環流(リベート、英語本来の意味)であり、これがインプットリンクになる。逆に、地方から政府への税金がアウトプットリンクとなる。

これで、現実の地方と中央政府の関係を表現するとしよう。実際には非常に難しいが関係者がやればできるだろう。単純化すれば、こんな感じだろう。

○ ○ ○
 \|/
○一●一○
 /|\
○ ○ ○

この中心の”●”をハブ、周辺にある”○”をリムと呼ぶ。そして”一”を双方向のリンクを表す。日本の場合はハブが東京であり、リムは地方である。

この概念を使って日本の「格差社会」がなぜ誕生したか、を考えよう。あるいは、東京と地方の差がなぜ顕著になったかを論じよう。

バブル崩壊したおよそ10年程前までは、「地方交付税」や土木建築費など地方への政府からの資金援助があった。それは、地方から得た税金とほぼ同程度のものだったと考えておこう。すると、各リンクには、収支決済としてはとんとん(五分五分)のものがあったことになり、地方から税金が取られてもそれなりに地方へお金は環流していたことになる。

ところが、小泉政権になって、「地方分権」を銘打って、「地方交付税」が削減された。同時に、談合などの問題やバブル崩壊から、ダムや道路やトンネル工事などの土木建築費もカットされるようになった。すると、マネーフローのネットワークは次のように代わったと考えられる。

○ □ ○
 \↓/
□→●←□
 /↑\
○ □ ○

すると、地方の中で、税金は取られるが、資金は戻ってこないという地方が生まれたことになる。

実は、ネットワーク理論に基づくと、”□”で表わしたようなノード(点)の活動は、そこに外から入る入力がないために、すぐに”活動が凍結する(死ぬ)”ことが分かっている。つまり、こういう構造になってしまった地方(や人)はすぐに破たんするのである。

ところが、これまで地方に「地方交付税」などで地方に環流したものが、地方には行かなくなったわけである。では、どこに行ったかと言えば、それは東京などの大都市の大学や研究所に行ったのである。

したがって、実際には、上の図よりさらにまん中の東京が太ったのである。すなわちこんな感じである。

 ○ □ ○
ーー\↓/
ーーー●
□→●●●←□
ーーー●
ーー/↑\
 ○ □ ○

これが「格差社会」の真実である。

こんな理由から、私は、これから「地方分権」あるいは「道州制」に変えても上手く行かないと信じる。むしろ、「道州制」に変えたらさらに悪くなることは必至である。

では、どうすれば宜しいか。

というと、答えは図から明らか。リンクをカットすればいいのである。すなわち、東京への出力リンクをカットするのである。すると、こうなる。

 ○一一一○
ーー\ /
ーーー□

ーーー●
□ ●●● □
ーーー●

ーーー□
ーー/ \
 ○一一一○

この意味は非常に単純である。要するに、「地方交付税」をもらわない代わりに、税金も払わないということである。つまり、言い換えれば、道州制などとバカなことを言わないで、いっそのこと道州ごとにいくつかくっついて丸ごと「独立国家」になることである。例えば、九州、四国、本州、北海道の4つが独立国家を歩むのである。言い換えれば、イギリスのように4つの「連邦国家」になるのである。

こういう大胆なことが日本を活性化させるのである。そう私は考えている。

例えば、日本が4つの国の連邦国家となれば、サッカーのワールドカップには、4つのチームを派遣できる。九州代表、四国代表、本州代表、北海道代表である。オリンピックにも4つ派遣できる。実際、イスラエルは600万人程度の国である。100万人程度の国すらたくさん存在する。したがって、四国の人口は一国として十分である。

また、連邦国家にすると、東京の悪しき文化(「品格のない国」の代表格)が、地方に伝播することを防ぐ事ができる。どうでも良い芸人は大阪や東京の本州に行ってもらい、九州や四国は、本物の住む国に変える事もできる。もちろん、”独自の憲法”を持つ事もできる。

今、憲法改正などといって安倍政権は騒いでいるが、そんな改正など本州国でやってもらい、四国や九州は一気に独自の憲法を発令した方が手っ取り早い。アメリカ型憲法でもよろしい。1つの”思想”により書かれた憲法を修正するより、まったく新しい”思想”に基づいた憲法を作る方が簡単である。

国会議事堂やいろんな施設を作る必要が出て、経済は右上がりになることは明らかである。欲しければ独自の”軍隊”すら作る事ができる。

とかく「この国の形」などと日本人はいう事がある。しかし、それは1つの前提をもとにしてのお話にすぎない。明治に出来た国の形を基にしてのお話である。しかし、明治維新以降、この国は疲れ果てた。人々も疲れ果てた。ではどうすべきかと問えば、改革しかないと人は口にする。しかしそれとて同じ前提の上のこと。昔のように他国を侵略して領地を増やせば経済問題はすぐに解決する。しかし今や戦争はできない。戦争することなく領土を増やすこと。それは簡単だ。日本が分裂することである。連邦国家になれば、領土は増える。もちろん物理的な面積は増えない。これによって、日本は刷新可能である。

昔、とは言ってもごく最近まで、私は「遷都」(都を東京から別に移す事)が、日本再生の鍵であると考えていた。都を移せば、それに応じた経済が動く。それにより国内は活性化する。これは、江戸時代から明治時代に向けて勝海舟が考えた事である。

しかし、遷都は国内だけのお話である。これよりもっと合理的なものが「連邦国家」の独立国家制度である。遷都より多く、少なくとも4つの新たなる都が日本に誕生する。

とまあ、こんな”荒唐無稽”の話である。
2007/01/24のBlog
エチゼンクラゲからコラーゲン抽出 化粧品原料メーカー

これは、”逆転の発想”で面白い。

大阪の企業が、”越前クラゲ”の利用法を発明したというニュース。越前クラゲからコラーゲンを取る、というものである。要するに、災害である越前クラゲの襲来を逆に資源到来の好機とみる逆転の発想なのである。

もうこの商品の名前はこれしかないだろう。

”エチゼンクラーゲン”
助演女優賞候補に菊地さん

菊地凛子さん(26)という日本人女優が、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バベル」でアメリカのアカデミー賞”助演女優賞”にノミネートされたという”快挙”のニュース。

しかし、私もアメリカに4年ほど住んでアメリカに住む日本女性というものは比較的良く知っているので、この人には正直”がっかり”である。

というのは、映画の演技では、ごく普通の日本人女子高校生(ただし聾唖の)を演じたのに、アメリカ在住の今となってはその辺の”お登り日本女性”のような風体となってしまったからである。髪を金髪に染め、目の上を真っ黒に描いた、水商売風(つまり、アメリカの売春婦のような)メイクをして、あたかも「私は大女優よ」という調子。自分の平凡な顔にまったく似合わない。

私は、この女優がオスカーの前のすべての有名な賞にノミネートされ、あれほど”評判”が高かったのに、それがことごとく”落選”したというのにひどく驚いていた。が、どうやらその原因が”これ”なのだろうと見