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KiKidoblog
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2007/03/30のBlog
海底逆断層が動いた可能性 能登地震で政府調査委が見解

”歴史的には、能登半島周辺では1600年以降、マグニチュード(M)7を超える地震は知られていないことも確認された。一方、M6級の地震はたびたび発生している。沈みこむ海のプレートに押され、列島にひずみがたまり、耐えきれなくなると弱いところで地震が起こるためだ。 ”


その昔の日本に地震予知に命を燃やした人物がいた。今村明恒という人である。地震は地核変動や地核の歪みから起こり、それが海底で起こると津波が起こる、と考えた人である。

この人は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から「関東では周期的に大地震が起こるもの」と予想した最初の人物である。現在、大地震が周期的に起こるという発想の先駆けとなった人であるらしい。

この今村が1905年、かのアインシュタインが25歳で特殊相対性理論を出した年に「今後50年以内に関東に大地震が起こる」と予言した。つまり、「帝都東京に巨大地震が来る」と予言したのである。

ところが、当時の権威たち(特に大森房吉、世界初の地震計を作り、「大森の公式」を発案、「日本地震学の父」と呼ばれた人物)から「世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された」というのである。現在でいう「トンデモ」扱い、あるいは「ニセ科学」扱いされたのである。

しかし、1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分44秒に本当に関東大震災が起こったのである。ちょうどその時、今村をほら吹き扱いした大森は汎太平洋学術会議に出席するためオーストラリアのシドニーにいた。留守の間に関東大震災が起こり、この帰国の船上で大森は脳腫瘍のために亡くなったというのである。

師である大森の死後、今村は大森の遺志を継いだ。1925年に但馬地震、1927年に北丹後地震が発生したために、次の大地震は南海地震と考えた。これを監視するために、1928年に南海地動研究所(現東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立したという。

しかしその甲斐もなく、今村の予想通り、1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生してしまったのである。

この「今村と大森の物語」は、現在の地震予知をめぐる状況を彷佛させるものがあり、今映画にしても面白いというような話である。

さて、安政の関東大地震(1855年)から約70年後に大正の関東大地震(1923年)が起こった。それから、すでに80年が過ぎた。これが意味するものは非常に恐ろしいものがある。

最初の能登地震の話に戻ると、大正の関東大地震の起こる前に、どこに地震が起きたのかが鍵なのかも知れないが、そういう情報は我々には手に入らない。しかし、物理学で言うところの「対称性」から言って、私には、今回の能登地震は”関東大震災の前触れ”というような感じがしてならない。

なぜなら、日本はアーチ型、あるいは弓型をしている。弓の中心軸には能登と東京が結ばれる。この軸の両側に地震が起こる時は、九州で地震が起こればその歪みを調節するために今度は北海道で起こる。北で起これば南で起こる。こんな感じの調節が可能である。しかし、今度軸の両端に地震が起こる時には、西で地震が起こればその歪みの調節は東で行うというのが対称性の原理からして自然である。

したがって、日本の中心軸の西に位置する能登で巨大地震が起これば、今度はその調節は関東に来るはずである。もちろん杞憂に終わることを願う。

とまあ、こんな直感を私は持つのだが、能登の地震を「対岸の火事」と思っていると、今度はこっちにもやってくるかも知れないのである。火事は陸地の上の話だが、地面はあっちもこっちも繋がっているからである。


参考までに、良く知られている巨大地震を以下に紹介しておこう。
それにしても、巨大地震は冬に多いように見えるナ。

1854年安政東海地震12月23日
1854年安政南海地震12月24日
1855年安政関東大震災11月11日
1894年明治東京地震6月20日
1905年明治芸予地震(広島愛媛)6月2日
1923年関東大震災9月1日
1925年北但馬(きたたじま)地震(兵庫県)5月23日
1927年北丹後(きたたんご)地震(京都府)
1933年昭和三陸沖地震3月3日
1944年東南海地震(静岡愛知三重)12月7日
1946年南海地震(和歌山徳島高知)12月21日
2007/03/29のBlog
このワクチンの方法(田平武博士(国立長寿医療センター研究所))とは、

(1)病原性がないウイルス(アデノ随伴ウイルスベクター)の殻にアミロイドというたんぱく質を作る遺伝子を入れる。
(2)それを口から飲む。
(3)腸の細胞がこの「偽ウイルス」に反応。
(4)リンパ球がアミロイドを攻撃する抗体を作る。
(5)この抗体が脳にたまったアミロイドにくっつき、ばらばらにして取り除く。


効果の確認方法とは、

(1)月齢を重ねると必ずアルツハイマー病を発症するよう遺伝子を変化させたマウス28匹を使う。
(2)アルツハイマー病を発症するまで待つ。生後10カ月の時点で発症。
(3)その時点で、半数の14匹にはワクチンを飲ませ、残りの14匹には飲ませない。
3カ月後
(4)記憶力や学習能力など認知力を試す4種類のテストを行う。
ワクチンマウス→すべてで成績が発症前のレベルまで戻った。
ノーワクチンマウス→全テストで成績が落ち、認知力の大半を失っていた。

ざっと、こんな感じの研究らしい。

名古屋大の鍋島俊隆教授(医療薬学)はこう言っている。

「アミロイドはたまり始めているが症状はまだ出ていない、という段階で使えば予防効果も期待できる」


これが”真実”であれば、”驚くべき”ことである。というのは、

「人間の身体に本来備わっている免疫機構をうまく誘導して病気を退治する」

という非常に優れた考え方であるからである。

この手のアイデアで一番有名なものは、花粉症のための「減感差療法」というアレルギー根治療法がある。次のような方法である。

(1)身体に外から注射で抗原(アレルギーの原因物質)を非常に低い濃度でわざわざ入れる。皮膚下に蚊が刺したようにぷっくりふくれるように注射する。
(2)刺した部分の細胞がこの抗原に汚染される。
(3)すると免疫細胞が集まり、異物かどうか判別し免疫抗体反応を起こす。
(4)何度も低い濃度の抗原を入れることにより、免疫細胞が異物と判断しなくなる。
(5)すると、本当に花粉などの抗原にさらされても極端な免疫抗体反応が起こらず、アレルギー症状が治まる。

私はこれをこの2年続けて今年初めて花粉症を根治できた。これで、今年の大量花粉時期にもかかわらず、ノーマスク、ノーティッシュ、ノーメディシンで過ごせるようになった。何よりも咳き込みによる吐き気がなくなったのが実に爽快である。抗ヒスタミン剤による心臓疾患の危機もなくなったこと、眠気がなくなったことなども嬉しいことである。


今回の実験の方法は、「減感差療法」で

”医者が抗原を皮膚に注射する”

という行為そのものを、

”ウィルスが抗原(=アミロイドというたんぱく質を作る遺伝子)を腸細胞に注射する”

というものである。

すなわち、「ウィルスにお医者さん代わりになっていただく」という優れたアイデアである。注射器の中に抗原の入ったワクチンを入れて身体に注射するように、ウィルス(=バクテリオファージウィルス)の頭の殻の中に必要な抗原遺伝子を入れて、ウィルスの注射器でミクロに注射させるという方法。あるいは、インフルエンザウィルスに感染するように、特定の細胞に感染するウィルス(アデノウィルスなど)を使うという方法だからである。

注射器の中身をいろいろ替えてさまざまなワクチン接種ができるように、ウィルスの殻の中の抗原遺伝子を替えてさまざまなワクチン接種が行えるはずである。

したがって、この方法は単に「アルツハイマー病ワクチン」ばかりか、
「パーキンソン病ワクチン」、
「ハンチントン舞踏病ワクチン」、
「抗原病ワクチン」、
「筋ジストロフィーワクチン」、
「りゅうまちワクチン」、
あるいは「ヤコブ病ワクチン」
などなど、身体に不必要な”異常タンパク質が蓄積して起こる病気”の数々への応用の道を開くものなのである。

真にノーベル賞に匹敵する方法であると言える。国立長寿医療センター研究所や名古屋大の研究者たちにはぜひ頑張ってもらいたいものである。また、他の大学の研究者たちも他の病気への応用を狙ってぜひ挑戦してもらいたいものである。

いつの日か、注射で痛い思いをしながらワクチンを接種すのではなく、水を飲むように透明の液体を飲めば自然にワクチン接種できる(「経口ワクチン」)という日が来るのかも知れない。
2007/03/28のBlog
米空母2隻、ペルシャ湾で演習 イランに軍事力を誇示

”米海軍の原子力空母「ステニス」を主力とする空母戦闘群”と”空母「アイゼンハワー」の戦闘群”が、ペルシャ湾で合流。2003年のイラク戦争の開戦時以来の”出来事”で、これから大演習が行われるという。


写真:空母アイゼンハワー


「演習はイランの領海から約19キロの水域で行われる。空母2隻とそれに伴う艦艇のほか、戦闘機100機以上が参加。潜水艦の探知や機雷除去などの演習に取り組む。ステニスは2月19日からアフガニスタンの対テロ戦の支援に参加していた。 」



写真:原子力空母「ステニス」


一応現段階では、英兵15人を捕虜にしたイラン軍への”牽制”ということらしいが、おそらくそれを”餌”にして”イラン空爆への口実”としたいというのが米軍の狙いなのだろう。

空母ステニスの司令官はいう。

「(米軍の)強力な展開があれば、他人を脅かすのは慎重にした方がいい、という鮮明なメッセージになる」


いよいよ「イラン戦争」秒読み開始なのだろうか。5段階評価で言えば、レベル4の危険レベルにあるということだろう。

いずれにせよ、近々、イランvs英米の戦闘が行われ、大量のイラン人が殺傷される日を見るのが近いような気がする。

写真:こんな一般人の女の子や子供達がまた悲しい思いにかられる日が来ないことを望む。


参考:
Peace papers
ヤマさんの活動日誌
私の西遊記その2
PHOTOS 世界の風景写真#101 - 150
2007/03/27のBlog
編集長も間違った!週刊朝日と週刊現代の表紙がそっくり

によると、最新の「週間朝日」と「週間現代」は、表紙がかぶった、という。
両者ともに女優の井川遥さんの”肩があらわになったドレス”姿。

私はどちらかと言えば、紅白よりは、青や紫の方が好きなんだが。




果たしてどっちが”オリジナル”?

真相は、”井川遥さんだけが知っている”、のかも知れない。

しかし、女優は仕事になれば文句無し。

「朝日もこんな写真でしたよ」

とか

「現代もこんな写真でしたよ」

とか教えないのだろうか?

芸能界は、実に不思議な世界ですナ。
先日(25日)の日曜日、我が家は子供のサッカーの試合の帰りに「阿南市科学センター」で行われた「光のアーチ・つながる阿南」に行ってきた。


50万個のLEDで出来た「ミルキーウェイ」、「光マンダラドーム」、「緑の階段」、「光のステラ」、「光のシェルピンスキーガスケット」などを見た。

これらは、我が家の友人の大栗さんたちが発明して作ったものである(阿南市の「L・E・D」訪問 )。


今回、光マンダラドームの内部には一般人は入れない方式のために、マンダラドームのコントロール施設がそっくりそのままドームの内部に設置されていた。我が家も中に入れてもらえたので、内部からの撮影も許可してもらえた。大栗さんに感謝。

中にはコントローラーがあった。

マンダラドームの表面は、360面体の半分の180面になっている。各面を一つのCPUで制御する。言ってみれば、その1つの面がパソコン1つのモニターとなっているようなもので、180個のパソコンを並列にインターネットで繋ぎ、それら全体を中央の本体パソコンでether net制御しているという発想らしい。したがって、本体は5つのブロックに分けられ、各ブロックには36個のCPUがセットになっている。


これをすべて大栗さん1人で作り上げたのだから”すごい”と同時にその天才振りに”恐れ入る”。また、その他の「光のミルキーウェイ」などの制御もすべて1人で行っているのである。


まさに、大栗さんの活躍が”光る”。
2007/03/26のBlog
慶応大名誉教授の渡辺格さん死去 分子生物学の草分け

”核酸”こと、渡辺格さんがお亡くなりになった。享年90歳。御冥福を心よりお祈りしたい。


私は渡辺格さんとちょうど30年前に会ったことがある。

昭和52年(1977年)の夏、私は東京理科大学の2年生になって間もない頃の夏休みの7月19日から21日の3日間、できて間もない大学セミナーハウスで、
「第二回東京理科大学特別セミナー:科学と私」
が開催された。当時、理科大の理事長となっていた東大出身の理論生物物理学者の小谷正雄博士が、先生の”ご学友”や親友の大物科学者たちを一同に集めて、「各人の己の科学観について一席ぶつ」というイベントであった。


ご学友とは以下の人々であった。

*橋口隆吉(東大工学出身)「金属学」1976年日本学士院賞
*増山元三郎(東大理物出身)「統計学」1947年朝日文化賞。1951年デミング賞
*岡本剛(東大理化学出身)「腐食学」1944年技術院賞。1961年日本化学会賞。1967年東洋レーヨン科学技術賞。
朝永振一郎(京大理物出身)「理論物理学」1964年ノーベル物理学賞。
渡辺格(東大理化学出身)「分子生物学」1963年MIT教授。
桑原武夫(京大文学出身)「フランス文学」1973年朝日文化賞。
*小谷正雄(東大理物出身)「理論生物物理学」1974年藤原賞、1975年東洋レーヨン科学技術賞1977年文化功労者。
*は当時理科大教授。

もう30年も前の頃の話で、いったいどこでどういう順序で話を聞いたのかもほとんど覚えていないが、朝永振一郎先生の”すごみ”のある講演、渡辺格さんの”熱血”ぶり、桑原武夫博士の”博識”ぶり、小谷正雄学長の”紳士”ぶりに驚いたことを昨日のように覚えている。


今「科学と私」(東京理科大出版)という本を読むと、すべての方々の話が手に取るように分かるので、この「30年の長き」を思う。当時はまったくどれも理解できなかった。中には、「温故知新」で今こそ先生方の研究を受け継ぐべきだと思わされるものも多いことに本当に驚く。できるなら、こういう素晴らしい価値を持つ本は再版復刻されるべきである。セミナー参加者だけの”秘蔵書”にしておくのはあまりに”もったいない”からである。きっと理科大の”良い収入源”になるだろう。

プログラムに関しては今や記憶にないが、セミナーは、初日午後から順次行われ、その後の討論会はいくつかのセミナールームで平行して行われた。2日目の午前午後と夕食後に討論会。3日目の午前に朝永振一郎の「総合講演」があり、午後解散。確か、こんな感じではなかったかと思う。しかし、定かではない。


私は、セミナーも討論会は渡辺格さんのものに参加した。そこで、「私は核酸を研究しているので”格さん”と呼ばれている」という”格さん”ジョークを初めて聞いたものである。しかし、今思えば、そうやって生物関連に参加したことからも、当時から”潜在的に”生物に興味を持っていたのかもしれない。それが現在「生命の起原」やDNA電子論やタンパク質などに関心を持つ理由なのかも知れない。

私の知る限りでは、このセミナーの講演者の諸先生方はすでにみんなお亡くなりになったのではないかと思う。この意味では、渡辺格博士が”最後の生き残り”だったのだろうと思う。そんなわけで、この機会に全員の方々の写真を紹介しておいた。

諸先生方の御冥福も祈りたい。
2007/03/24のBlog
笑いは百薬之長。以下はジョーク。信じないこと。笑い飛ばすのが肝心。

昨日紹介した和達さんの「最終講議」のジョークは非常に面白いところを突いている(必ずしも捕らえているというわけではないが)ので、ここでもう少し補足やコメントを加えてジョークにしておこう。

【研究生活のあり方】
研究生活のあり方について各国の研究者に聞いてみた。
すると、各国の研究者はこう答えるという。

アメリカ人とユダヤ人はこう答える。
「ベストは平凡な生活と平凡な研究。最悪は独創的な生活と独創的な研究だ。」
イギリス人とロシア人とドイツ人はこう答える。
「ベストは独創な生活と平凡な研究。最悪は平凡な生活と独創的な研究だ。」
フランス人とイタリア人はこう答える。
「ベストは平凡な生活と独創的な研究。最悪は独創的な生活と平凡な研究だ。」
日本人はこう答える。
「ベストは独創的な生活と独創的な研究。最悪は平凡な生活と平凡な研究だ。」

人はだれでも自分にないものを求めるものである。

【”基礎”の定義】
湯川秀樹の時代は、
「”基礎”というのは、まだわかっていないこと、まだ確立されていないことをやること」
を意味していた。それが、21世紀の現代では、
「”基礎”というのは、もう分かっていること、もう終わったことをやること」
を意味することとなった。

【Minorityの意味】
独創的で有名なユダヤ人学者はこう考える。
「研究は、はじめはMinorityの方がよい。しかしずっとMinorityではちょっとまずい」
流行に敏感なアメリカ人学者はこう考える。
「研究は、はじめからMajorityの方がよい。しかしずっとMajorityではちょっとまずい」
天才が多く出るロシア人学者はこう考える。
「研究は、はじめから終わりまでMinorityの方がよい」
欧米人学者に憧れる日本人学者はこう考える。
「研究は、はじめから終わりまでMajorityの方がよい」

【共著者の数】
研究論文を書く時、
イギリス人学者は、自分で考えるのでまず自分1人で書く。
アメリカ人学者は、先生と学生が対話して考えるので、2人で書く。
ドイツ人学者は、師弟関係があるので、教授、助教授、学生と3人で書く。
ロシア人学者は、だれも相手してくれないので1人で書く。
ユダヤ人学者は、ノーベル賞のことを考えるので3人まで。
日本人学者は、まともに何も知らないので教えてもらうためにだれでもかんでも共著者にして書く。

【ピーターの法則】
日本人の勝海舟はアメリカを見てこう言った。
「亜米利加は上に行くほど伶俐でござる」
アメリカ人のピーターは日本を見てこう言った。
「人は無能になるまで出世する」

【巨額の研究資金】
世の中には、noblesse obligeと清貧という2つの両極端の道がある。
前者は、自分が大金持ちになり貧乏人から施しをもらうものだが、
(自分が有名となり税金をもらうものだが)
後者は、自分が貧乏人になり大金持ちから施しをもらわないものである。
(自分が無名となり国からの補助を受けないものである)

【変貌するソクラテス】
かつて、30年前東大総長の大河内はこう言った。
「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」
それが、国立大法人化後の現在の東大総長はこう言う。
「やせたソクラテスよりは太ったソクラテスになれ」
そして、30年後の東大では
「太ったソクラテスはメタボリック症候群で死んだ」

【積分公式】
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果は、その経路によらない」
というのが、東大名物教授の「和達の積分公式」。
しかし、世界にはこんな公式もあるという。
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にマイナス」
(「日本の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にハッピーエンドで終わる」
(「アメリカの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にシャンソンになる」
(「フランスの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に女の数に等しい」
(「イタリアの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に苦渋の連続性がある」
(「ロシアの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に従属する」
(「ドイツの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にゼロ」
(「インドの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に中国を通る」
(「中国の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に隣国を目ざす」
(「韓国の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に将軍様に捧げる」
(「北朝鮮の積分公式」)

【教育論】
30年前の東大教授の教育論
「上の10%と下の10%は教えなくても変わらないので、
真ん中の80%を上に上がれるようにするのが教育だ。」

10年前の東大教授の教育論
「上の10%と下の80%は教えなくても変わらないので、
真ん中の10%を上に上がれるようにするのが教育だ。」

現代の東大教授の教育論
「上の10%と下の90%は教えなくても変わらないので、
真ん中がないので上10%を下がらないようにするのが教育だ。」

【教育論2】
昔は、3回に1回しか授業をしない先生とか、毎回20分遅刻してきて、
15分前には終わる先生とかそんなのがざらにいたよ。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんと学者になっていた。

それが今は、3回に1回しか授業を休まない先生とか、毎回20分早くきて、
15分もオーバーする先生とかそんなのがざらにいる。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんとした学者になれない。

【昔はのんびりしていた】
研究所の所長をしていた朝永振一郎氏。
まだ本格的なコピー機などがなかった時代で、
月曜に手紙の原稿を書いて秘書に渡したら、
水曜ぐらいにタイプされたものが完成して、
次に研究所に来る金曜にそれを受け取って投函する。
それから2-3週間したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっていた。

それが今では、だれにも高速パソコンがありインターネットがある時代。
月曜にE-mailを見るとスパムメールの山。そのチェックを秘書に頼んだら、
水曜ぐらいにチェックされたものが完成して、
毎日研究所に来て金曜にチェックを終わり送信する。
それから30秒したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっている。

【昔はのんびりしていた2】
昔は、ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくて、
「何かおもしろいことありますか?」
と聞いてくるので、
「こういうのがあります」
と言うと、
「そうかー、がんばってね」
と言って帰って行く。
ある意味で、理想的な上司に恵まれたので、自分の好き勝手にできた。

あれから30年。今では、
ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくても、
「何かおもしろいことありますか?」
とEメールで聞いてくるので、
「こういうのがあります」
と返信すると、
「そうかー、がんばってね」
と10秒後には返事が帰ってくる。
ある意味で、理想的な部下に恵まれたので、自分の好き勝手にできた。

【カリフォルニアの空港で】
カリフォルニアの空港で、solitonというバッグとか服
を売ってるお店を見つけたので、おそるおそる店員さんに、
「私もこれと同じのを職業にしてるんです」
と話しかけたけど、まったく受けなかった。
それで、
「写真をとってもいいか」
と聞いたら、「いい」と言う返事だったので、記念撮影したのがこれ。
後でどうして受けなかったか聞くと
「日本の同業者かと思った」
と言う。そこですかさず
「many solitonを見つけたのが私です」
と言ったら、また受けなかった。

【ヤン博士】
ヤンさんからの手紙は2回もらったことがあって。
1回目はポスドクのポストに応募した返事で、
「残念ながら不採用です」
という残念な手紙で。
2回目は、送った論文が認められて、
「おめでとう」
という嬉しい手紙だった。
プレプリントというのが、有名な先生に論文を送って
認めてもらう、という時代の話。
ヤン・バクスター方程式で有名なヤンさん。

私はヤンさんとアトランタのアメリカ物理学会100年祭で1回だけ会ったことがある。
スターバックコーヒーの前の行列に並ぶと目の前にヤンさんがいた。そこで、
「僕はビル・サザーランドの学生でした」
というと
「今はどこにいるの?」
とヤンさん。
「四国の徳島にいます」
というと、
「日本には何度か行ったが、四国には行ったことがない。どの大学にいる?」
と聞くので
「フリーで研究している」
と答えると後は
「ビルは元気かい?」
とビルの話で終わってしまった。
対称性の破れでノーベル物理学賞を取ったヤンさん。

【なかなか質問が出ない】
和達教授が、最終講議の後質問が出なくていらいらしてこう言った。
「質疑応答のところでは、主催者側があらかじめ
2つ3つ質問を仕込んでおくものなんじゃないの?
そうしないと、なかなかいきなり質問しにくいよね。
それが、政府もやってる由緒正しいやり方なのに。」
それに対して司会者はこう答えた。
「ここにおられるのは先生のお弟子さんたちばかりですよ」

【超多忙】
ものすごい多忙でお時間もないと思うのですが、
「先生はいつ冗談を考えていらっしゃるんですか?」
と司会者。
「そんなの、そう簡単に教えるわけにはいかないよ」
と和達教授。それでも
「何かヒントだけでもお願いします」
と司会者が聞いた。すると和達教授はこう答えた。
「教科書を書きながら考えるんだよ」
「普通は講議ノートに冗談をメモしておいて授業でジョークに言うが、
私は授業でジョークを言ってからそれをノートにメモする」
2007/03/23のBlog
今日、偶然、東大理学部物理の看板教授、和達三樹博士(Wadati Group)の最終講議なるものを見つけた。これは非常に面白いのでここに紹介しておこう。
(参考:”物理学研究者”和達三樹さんの体験談を聞こう!和達 三樹

私は、1982年だったか、まだ阪大の大学院生だった頃、長野で行われた「物性若手夏の学校」でお目にかかったのが最初。1990年にユタ大を卒業し帰国。妻と東大本郷を散歩している内に私の恩師であったビル・サザーランド博士の知人と聞いていたので、論文もらいに遊びに行ったのが2度目。その時、富士通と東芝の職があると紹介してもらったのである。その後富士通に入ることができたので、和達さんは私にとっての”恩人”の系譜に入る。

その和達さんも今年で退官ということなのだろうか。「最終講議」が行われたという。この様子をメモしたのが下のブログであるらしい。

Open-Ended

この中に和達さんの”ユニークさ”を象徴するものがいくつかあるので、勝手に引用させて(メモさせて)もらおう。

(あ)研究生活のあり方について。
「独創的な生活と平凡な研究」
よりは
「独創的な研究と平凡な生活」がいい。
2通りずつなので、全部で4通りの組み合わせがあるが、特に上の組み合わせはよくない。

(い)”基礎”というのは、まだわかっていないこと、
まだ確立されていないことをやることを意味する。(湯川秀樹)

(う)研究は、はじめはMinorityの方がよい(ずっとMinorityではちょっとまずい)
自分の研究成果は、今はまだ認められていないが、
100年後は必ず認められて主流になっているはずだ。
というようなことを言う人がいますが、
100年後にはあなたもいないし私もいないし、
そんなこと私に言われても困ります。
自分が生きているうちに主流になれるに越したことはない。

(え)よい情報は、信頼した人間関係から
いろんな分野の人をどんどん共著者に入れてあげて、いろいろ教えてもらうといい。

共著者の数を増やして困るのは、ノーベル賞をもらうときぐらい。
そのときは、3人まででないともめるかもしれない。
数学の人と共著で書くときは、
アルファベット順に並べられてしまうことが多いので気をつける。
そうしないと、いつまでたってもファーストオーサーになれないことがある。
数学の人であっても、それが中国の人などだと、
イニシャルがXもYもZの人もいるので困らない。

(お)人は無能になるまで出世する(ピーターの法則)
そうならないように。

(か)巨額の研究資金うんぬんという文脈において。
清貧 noblesse oblige
社会の底辺で光を浴びずに生きる学者の生き方もある。

(き)かつて、
「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」(大河内総長)
と言われたけれど、
(国立大法人化後は)
「やせたソクラテスよりは太ったソクラテスに」
(メタボリック症候群とか?)

(く)人生における成功や不成功をすべて積分した結果は、その経路によらない。 
(和達の積分公式)

(け)教育論。
上の10%と下の10%は教えなくても変わらないので、
真ん中の80%を上に上がれるようにするのが教育だ。

昔は、3回に1回しか授業をしない先生とか、
毎回20分遅刻してきて、15分前には終わる先生とか
そんなのがざらにいたよ。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんと学者になってるんだから。

(こ)昔はのんびりしていた。
研究所の所長をしていた朝永振一郎氏。
まだ本格的なコピー機などがなかった時代で、
月曜に手紙の原稿を書いて秘書に渡したら、
水曜ぐらいにタイプされたものが完成して、
次に研究所に来る金曜にそれを受け取って投函する。
それから2-3週間したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっていた。
今は、E-mailは瞬時に世界中に届くし、
30秒あれば返信が書けるなんて言う人もいる。

(さ)ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくて、
なにかおもしろいことありますか?と聞いてくるので、
こういうのがあります、と言うと、そうかー、
がんばってね。と言って帰って行く。
あるい意味で、理想的な上司に恵まれたので、
自分の好き勝手にできた。

(し)カリフォルニアの空港で、solitonというバッグとか服
を売ってるお店を見つけたので、おそるおそる店員さんに、
私もこれと同じのを職業にしてるんです、
と話しかけたけど、まったく受けなかった。
それで、写真をとってもいいかと聞いたら、
いいと言う返事だったので、記念撮影したのがこれです。

(す)ヤンさんからの手紙は2回もらったことがあって。
1回目はポスドクのポストに応募した返事で、
残念ながら不採用です、という残念な手紙で。
2回目は、送った論文が認められて、おめでとう
という嬉しい手紙だった。
プレプリントというのが、有名な先生に論文を送って
認めてもらう、という時代の話。
ヤン・バクスター方程式で有名なヤンさん。

(せ)なかなか質問が出なくて。
質疑応答のところでは、主催者側があらかじめ
2つ3つ質問を仕込んでおくものなんじゃないの?
そうしないと、なかなかいきなり質問しにくいよね。
それが、政府もやってる由緒正しいやり方なのに。

(そ)一番気に入っている研究は?
気障な答えだと、
The Next One. (チャップリン)
でも、若い頃にやった研究が好き。

(た)ものすごい多忙でお時間もないと思うのですが、
先生はいつ冗談を考えていらっしゃるんですか?
そんなの、そう簡単に教えるわけにはいかないよ。
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ところで、「社会の底辺で光を浴びずに生きる学者の生き方もある。」って、どうみても私のことですナ。和達さん。

学者の定義からして、「学者の生き方>社会の底辺」が普通。「学者の生き方=社会の底辺」の物理学者では他にいないからネ。

まあ、そういうことだが、自分にできないことは人に勧めるのはできない相談ですナ。
2007/03/22のBlog
写真:アメリカのメールボックス


「良いアイデアには必ずそのルーツがある。」

良いアイデアというものは、いかに一見”突飛なもの”であったり、”突出したアイデア”であったり、あるいは常人では考えもつかないような”天才的アイデア”であったりしても、必ずその切っ掛けとなる”ひな形”のようなものがある。そして、その発明にはそれ以前のその人の関わっている文化的背景が存在し、それが大きく影響する。

このことを端的に表現したのが最初の言葉である。私はこの歳まで科学の分野を見てきてこう信じている。

(あ)現代はもはやインターネット時代、これから後戻りすることはできない。このインターネット時代に先駆け、それを実現させたもっとも有力なアイデア(数学者によって生み出されたもの)に「公開鍵暗号」という概念がある。これなくして、メッセージの暗号化は実現せず、文書の秘密は守れないので、ここまでインターネットが普及できたかどうかは疑わしいと言われている。この「公開鍵」方式は専門家以外が理解するのは非常に難しいと考えられているものである。また実際に専門家が書いた説明を読んでも混乱せずにすんなり理解するのは難しい。

この「公開鍵暗号」方式の概念の説明には、さまざまなものがある。現時点でインターネット上でGoogle検索で調べると、「公開鍵暗号」で検索するとおよそ1、120、000件。「公開鍵」で検索するとおよそ606、000件。「公開鍵のアイデア」で検索するとおよそ1、130件のサイトが見つかる。

しかし、主要なものを見てみると、「公開鍵・暗号」の概念の説明はみな一様に同じものであるということがわかる。アメリカから伝わった時のそのままの説明なのである。そこには全く風変わりなものや、よりもっともらしいものはない。

例えば、こんなものがある。
公開鍵暗号
公開鍵暗号方式 (Public key encryption system)

だから、

その概念がいかに発明されたのか、
いかにその概念に到着したのか、
何がヒントになったのか、

などの問いに対する答えはない。あくまで「欧米の天才数学者が発明した概念」という感じで”天下り式”に完璧に完成した感じで書かれているのである。

私はずっと前からこの「公開鍵」のアイデアをもっとも簡単に理解するにはどうしたら良いか(ここでは、決して専門家になるための素養という意味でないことに注意。あくまで「オッカムのカミソリ」の意味である)、ということを自分なり考えてきた。また、「どうやればこういった物凄いアイデアを発明できるのか」、ということをずっと考えてきたのである。

これにはすぐには行き着かなかったが、そうして考えている間、ある時ハワイに住んだことがあるのだが、その時、”はた(=英語のアハ)”と気付くことがあった。

それは、アメリカの一般の集合住宅に設置された「郵便ポストシステム」の中にすでに「公開鍵」へのヒントが隠されていたのではないか、と私は気付いたのである。つまり、やはりこの概念は、アメリカ社会の永年の社会文化の中から当然の帰結として生まれた。『アメリカ人だからこそ「公開鍵」方式のアイデアに行き着いた』のである、と私は考えるようになったのである。

今回は私のこの”発見”についての”メモとして”ここで紹介しておこう。まあ、どこかで私と同じようなことを見つけ、すでに書いている人もいるかも知れないが、その時には適当に無視して、お許ししてもらうことにしよう。仮に私が何か重要だとその筋の専門家が知っていることを書かなかったとしても、それを私が無知だというふうに考えるのではなく、その時には適当に補足して自分なりに一貫したものにしてもらえば幸いである。

写真:デフィー博士


(い)さて、インターネット世界の科学の歴史としては、「公開鍵暗号」という概念は、1976年にアメリカの2人の数学者ディフィー (Whitfield Diffie) ヘルマン (Martin E. Hellman) によって考案された。そして、このアイデアを現実のものにできるようにするために、1997年、リベスト (Ron Rivest)、 シャミル (Adi Shamir)、 エイドルマン (Leonard Adleman)、 らが「素因数分解の困難さを利用した公開鍵暗号アルゴリズム」を開発した。この暗号化法は、3人の姓の頭文字をとって「RSA 暗号」と呼ばれる、ということになっている。


写真:ヘルマン博士


ここでは、数学的な詳細には興味がないので、一番最初の「公開鍵」のアイデアの出所がどこか、という私の発見についてだけを主に紹介する。

というのも、鍵と暗号の比喩というものは、表裏一体で、暗号化には数学的要素が色濃く、数学的素養が必要だが、”鍵”そのものの発想は、日常生活でだれもが使っているために、だれでも理解可能だからである。特に難しいことはない。

我々が使っている「現実の鍵」と「インターネット上の鍵」の問題を分かりやすく対応させるには、車の鍵とか家の鍵というよりは、「郵便ポストや郵便受けの鍵」を考えるのが一番分かりやすい。ここでは郵便受けの鍵を念頭に置く。だいたいこういう対応を考えれば良いだろう。

現実の鍵ーーーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
郵便物ーーーーーーーーー電子メール
----------------------------------------
郵便受けのアドレスーーー電子メールアドレス
----------------------------------------
受取人ーーーーーーーーー受信者
----------------------------------------
郵便受けの鍵ーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
鍵をかけるーーーーーーー暗号化
----------------------------------------
鍵をあけるーーーーーーー復号(=解読)
----------------------------------------
鍵の形状や仕組みーーーー暗号化の方法や原理
----------------------------------------
鍵を替えるーーーーーーー暗号を変える
----------------------------------------

つまり、メールボックスの鍵を開けて中の郵便物を手に取ることが、暗号の復号であり、郵便物をメールボックスに入れて鍵をかけることが暗号化に対応すると考えられる。現実の鍵の”形状”や”仕組み”の違いが、暗号化の”方法”や”原理”の違いに対応していると考えることができる。「鍵を替える」というのは、「暗号化の方法を変える」ことに対応する。現実の鍵では簡単に鍵を付け変えることは難しいが、インターネットの場合はコンピュータプログラムが行うので、無数に交換可能という違いがある。

こういう簡単な対応を考えておくと、インターネットの暗号化や鍵の問題を非常に理解しやすくなる。

(う)まず、「共通鍵」方式の場合。

ごく普通の説明ではこうある。

『1976年以前には、暗号と言えば共通鍵暗号であった。これは、暗号化と復号に同じ鍵を使うものである。』

これは、右写真のようなメールボックスを念頭に置けば良い。これはアメリカの多くの組織で使われている、非常に日常的にありふれたメールボックスシステムである。

メールボックスの管理者とその利用者は、ともに同じ(共通の)”秘密の鍵(非公開鍵)”を持ち、郵便物を管理者が入れて鍵で閉め、利用者が郵便物を自分の鍵で開ける。だから鍵を盗まれたり落とすとだれかにメールボックスを開けられる可能性がある。

アメリカは”鍵社会”である。私が過ごしたユタ大学の学生寮のメールボックスもこういうものであった。米軍のメールボックスもこんなものが使われている。たいていの組織のメールボックスはこれである。

これをインターネット版に焼き直したアイデアが、いわゆる「共通鍵」方式であると考えられる。

(え)次に、問題の公開鍵暗号の場合。

果たして、この「公開鍵方式」のような方法がアメリカのどこかで上の「共通鍵」のような感じで使われていないのだろうか?

というのが、永年私が抱いていた疑問であった。この疑問はハワイのオアフに住んだ機会に解決したのである。

我が家にはハワイ・オアフに親戚がいるが、かつてアイカヒガーデンという場所に住んでいた。数年前その家に住む機会があり、そこで郵便物を取りに行くと、そのメールボックスにすでに「公開鍵方式」が使われていたのである。

これは、写真にあるようなもの(これはネット上で見つけたもので、実際のアイカヒガーデンにあるものではない)であり、日本人はほとんど知らないだろうが、これまたアメリカ社会では非常にありふれたメールボックスである。アメリカの大半のコンドーミニアム(=日本でいうマンション)や集合住宅(=ガーデンハウス)などに設置されているのである。

このメールボックスには、上で紹介したような個人のメールボックスの他に少し大きめのだれのものでもないメールボックスが付いている。日本のコインロッカーのようなものに近い。この大きなものを宅配便などの大型郵便物を入れるのに使い、小型のメールボックスを通常メールのために個人(世帯)に割り振る。

このメールボックスの使い方はこうである。だいたい2つの使い方があるがエッセンスは同じである。

(1)私がハワイで見たものは、次のものである。

この場合、メールボックスは、その集合住宅の敷地の内部にあるため部外者は入らない。そこで、大きな宅配便用のメールボックスには”鍵をかけたまま”にしておく。そして個人向けの方には、個人が保管する鍵がある。

郵便屋さんは、通常メールはそのまま各人のメールボックスに入れる。各人は自分の鍵(非公開鍵)で自分のメールボックスを開ける。もし郵便屋さんや宅配便の人が大型の郵便物や小包を持ってきた場合には、そこについている(つまり鍵がついて開けたままで空になっている)大型メールボックスの方に入れ、その鍵(=公開鍵)をかける。そしてその鍵を受け取り人の個人のメールボックスの中に入れておくのである。

こうすれば、大型郵便物を受け取った個人が、自分のメールをチェックした時、その中に公開鍵が入ってれば、それで共有の大型メールボックスを開け、中身を受け取ることができる。そして、中身をもらったら、その鍵はそのままメールボックスにつけっぱなしにしておく、というわけである。

この方式もアメリカの集合住宅では実に一般的で、だれもが良く知っているものである。

(2)もう一つは、一般の外部者が出入りるような住宅でのものである。この場合は最初の共通鍵の場合のように、大型メールボックスの公開鍵も一応管理者が持っているが、だれかに小包が来たら、その公開鍵で大型メールボックスに入れ、その公開鍵をその個人のメールボックスに入れる。そうすれば、受け取り人の個人は、その公開鍵を見て大型メールボックスを開け、自分宛の小包をもらうことができる。そしてその鍵を管理者に返却する。

とまあ、こんな感じである。

(お)そこで、最後の「公開鍵」方式も対応表を作れば、こんな感じとなる。

現実の鍵ーーーーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
郵便物ーーーーーーーーーー電子メール
----------------------------------------
郵便受けのアドレスーーーー電子メールアドレス
----------------------------------------
受取人ーーーーーーーーーー受信者
----------------------------------------
個人の郵便受けの鍵ーーーー非公開鍵S
----------------------------------------
共通の大型郵便受けの鍵ーー公開鍵P
----------------------------------------
鍵をあけるーーーーーーーー復号(=解読)
----------------------------------------
鍵の形状や仕組みーーーーー暗号化の方法や原理
----------------------------------------
鍵を替えるーーーーーーーー暗号を変える
----------------------------------------

果たして、この対応と一般の「公開鍵暗号方式」の定義とうまく対応しているだろうか?

大方の定義にはこうある。

『1. 通信を受ける者(受信者)は自分の公開鍵(暗号化鍵)P を全世界に公開する。
2. 受信者に対して暗号通信をしたい者(送信者)は、公開鍵 P を使ってメッセージを暗号化してから送信する。
3. 受信者は、公開鍵 P と対になる秘密鍵(復号のための鍵)S を密かに持っている。この S を使って受信内容を復号し、送信者からのメッセージを読む。
4. 暗号通信を不正に傍受しようとする者(傍受者)が、送信者が送信した暗号化された文を傍受したとする。傍受者は、公開鍵 P は知っているが、秘密鍵 S は受信者だけが知っている情報であるので分からない。P から S を割り出すことは極めて難しい。そのため、暗号文を復号することはできない。』

まず、この中の1番目のアイデアは明白である。公開鍵とは大型郵便物を受け取るためにいつもかかったままの鍵のことである。つまり、だれにも知られている鍵である。

この定義の中では、2番目のアイデアが一番分かりにくい。ここに、この問題の焦点がある。つまり、「公開鍵 P と対になる秘密鍵(復