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2008/05/20のBlog
写真:若き日のギュンター・ネッツァー


「書楽」のサッカー棚をあさっているうちに1つ面白い本が目に止まった。それはドイツサッカーの歴史を描いた本であった。題名は忘れたが、この本の主要な部分は読んで記憶した。

旧西ドイツの時代、”皇帝(カイザー)”と称されたフランツ・べッケンバウワー率いる西ドイツとトータルサッカーの革命児”空飛ぶオランダ人”と呼ばれたヨハン・クライフ率いるオランダが初めて戦った時があった。西ドイツをホームとして開かれた1974年のサッカーワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦であった。

「トータルサッカー」の”生みの親”であるアヤックスのリヌス・ミケルス監督(「トータル・サッカー生みの親、ミケルスさん死去」)とその”申し子”でアヤックスでチャンピオンズカップ(今のチャンピオンズリーグにあたる)3連覇中のヨハン・クライフの当時最強と謳われたオランダ代表と「コンチネンタルサッカー」の代表格で長らく欧州最強であった西ドイツの対戦であった。西ドイツの監督はシェーン監督。

オランダはそれまでまだたいした成績がなく、ダークホース的存在であった。しかし、本戦を危な気なく勝ち進み、とうとう決勝戦で強豪西ドイツと対戦することとなったのである(例えば、1974年・第10回西ドイツ大会)。

私は当時まだ高校生でサッカー選手のまっただ中にいたので、この試合を生中継でテレビで見たことを良く憶えている。またそれ以後何度もくり返し放映されてきたので、この試合は特に印象に残っている。

結果は、”予想外”にあっさりオランダが開始1分でPKで得点。しかし西ドイツも25分に同じようにPKで同点。そして前半終了時にゲルト・ミュラーの有名な”180度反転シュート”で勝ち越す。後半はともに決め手を欠き、オランダ初優勝の夢は消え、「革命サッカーが伝統のゲルマン魂サッカーに負けた」という試合だった。

写真:若き日のオベラーツ

これはおよそかなりのサッカー通ならだれでも知っていることだ。問題はその後だ。

どうしてこのような現実が実現したか?

ということである。その本には、この秘話が書かれていたのだ。読まないはずはない。

実は、これまた有名な1つの物語がある。それとこのワールドカップが絶妙に絡んだということである。この有名な話とは次のようなものである。

当時の西ドイツには「司令塔」、当時のセンターハーフに2人の天才がいた。1人は、”左足の芸術家”と称された天才ウォルフガング・オベラーツ(サッカーマガジン1973年06月01日号/)。もう1人は金髪碧眼のアーリア人の理想のような風貌の天才ギュンター・ネッツァー(Gunter NETZER)。

オベラーツはシェーン監督率いる強豪チームのバイエルン・ミュンヘンの司令塔。一方、ネッツァーはバイスバイラー監督(後に日本に来た時に奥寺を発見する)率いる新興チームのボルシアMGの司令塔。

2人はタイプがことごとく違っていた。まったく正反対の選手だった。オベラーツは周りを生かし、細かなパスを繋ぐ選手。一方、ネッツァーは自分を中心に周りを使うタイプ。中央突破で打開を計り、ワンツーで自分にボールが回るようにする選手だった。性格も正反対。控えめで地味なプロ好みのオベラーツに対し、スター性があり一般人に絶大の人気があったネッツァー。

西ドイツがホームとなって行われたこの大会前にネッツァーを待望する国民の声の前に怖じけずづき、絶不調となってしまったのがオベラーツ。自殺寸前の精神状態であったという。方や絶好調で神憑かり的なプレーのネッツァー。

そこで試しにシェーン監督は2人をいっしょに使ってみた。すると、日本の中田英寿と中村俊輔が混在するチームのように、どうもうまく噛み合わない。やろうとすることがことごとく裏目に出る。そういう試合ばかりとなってしまった。そこで、シェーンはワールドカップ西ドイツ大会前の直前までどちらをチームの柱にするのか迷いに迷っていた。

ところが、ある時、直前でネッツァーが怪我をしてしまった。それでしかたなくネッツァー抜きのオベラーツのみで西ドイツが戦うとどういうわけか国際親善試合で連勝した。そこで、シェーン監督はついに決断したのだ。本戦はオベラーツをセンターハーフの司令塔にすると。この時から怪我のネッツァーは控えに回り、生涯代表としてワールドカップでプレーすることはなく、”悲劇の天才”と呼ばれることとなった。

私が感心したのは、この後の話だ。


写真:ユベントス時代のギュンター・ネッツァー


西ドイツは、何とか無事決勝戦まで駒を進めたのだが、今のまま試合をすれば革命児クライフの餌食になって圧倒されて負けるだけ。

いったいどうしたら良いんだ?

とシェーン監督は悩む。そこでベッケンバウワーの提案で思い付いたのが、チームで紅白戦をやるのだが、その控えチームはオランダそっくりのチームとしてオランダのトータルサッカーの真似をする。これで何度も戦ってシミュレーションをして行くというものだ。

問題は、だれがヨハン・クライフの真似ができるか?

ここにネッツァーが登場する。ネッツァーは人間としてはヨハン・クライフとそっくりだったのだ。だから、サッカーのシステムや戦略は異なったかもしれないが、プレーヤーとしてはネッツァーはクライフに似ていた。

オランダ代表の11人すべてに”良く似た選手”があてられた。クライフにはネッツァー。ニースケンスにはだれそれというわけだ。決勝戦までにはまだ日がある。これを繰り替えしたというわけだ。

ところが、だんだんネッツァーはクライフの”トータルサッカーの神髄”をすぐに飲み込んで、ネッツァー率いる西ドイツの2軍はベッケンバウワー率いる代表レギュラーチームより強くなって来た。だれもネッツァーのクライフを止められなくなったのだ。そこで、ボルシアMGでネッツァーのチームメートだったフォクツが”スナイパー(殺し屋)”役としてクライフにぴったりついて回ることにした。

しかしそれでも自陣ゴール前付近から敵陣ゴール前まで神出鬼没にどこにでも動き回るネッツァー・クライフに悩まされ、フォクツは混乱し、どうしていいか分からなくなった。そこで、敵にボールがある時はどこまでもクライフに付いて回り、自軍にボールがある時は、どんどん攻め上がるという方法で行くことにしたというわけだ。さらにオランダはオフサイドトラップでどんどん浅く上がってくるために、その間隙を突くように、サイドハーフにドリブル突破のできる選手を置いた。

こうしてみると、当時はオランダのトータルサッカー革命ばかりに目が向いたが、実は当時の西ドイツもまたかなり現代的なサッカーシステムを採用したことがわかる。この時の西ドイツのシステムや戦法はほとんど現在でも通用し、実際マンチェスターUやレアルマドリードなどでも採用しているものとほとんどいっしょだからだ。

こうして人目からまったく”隠されたまま”、トータルサッカーを身に付けた天才ネッツァーの西ドイツチームは伝説の中へと消え去った。

とまあ、こういうようなストーリーが実は本当の物語だったようだ。これですべて合点がいった。

もしも”悲劇の天才”ネッツァーが西ドイツにいなかったのなら、西ドイツの優勝はなかったはずである。この意味では、西ドイツはオベラーツだけではだめだったのだ。表と裏、その両方にまるで光と陰となるような正反対の対照的な2人の天才があってこそ初めて偉業が実現できたのである。

多くの場合、サッカー選手は代表のレギュラーの座からもれ控えに回ると腐る。そして非協力的になる。このことからしてもネッツァーという選手は私好みの実に爽やかで良い選手だったということだろう。好い話であった。
2008/05/19のBlog
5月17日の午後1時半から「伏見譲先生退職記念講演会」があったのだが、その日の午前中はまだ時間があった。こういうとき、私はいつもその辺で一番の本屋に行くことにしている。

ホテルのフロントで近くに本屋はないかと尋ねると、北与野駅前にかなり大きな本屋があるというので行ってみることにした。

ホテル2階の正面玄関から出て歩いて行くと、まず右折、そして左折、さらに左折して「けやき広場」という場所に出る。ここはこの「さいたま新都心」の繁華街。アメリカでいうダウンタウンである。ここを降りるとすぐのところにスターバックスがある。

しかし、そこを降りないでさらにまっすぐに道なりに進む。さらに左折すると、線路に横に沿ったかなり広い通路に出る。その突き当たりを右折すると、階段に出る。ここを降りて線路下をトンネルのように抜けて出ると、その書店があった。”書楽”という本屋である。

最初に目に入るのが「ひし形を周期ユニットにした図形」のモニュメントである。このパターンは物理では結構有名で、私の師であるサザーランド博士がかつてこのトポロジーを持つ結晶格子の電子状態を計算し、すべての状態の2/3はトポロジカルに局在した状態であるという「トポロジカル局在」の論文を出している。確か1986年のことである。そんなわけで、私には非常に親しみのある図形ですぐに気に入った。

最初にサッカーの棚を目指したのだが、その際レジ前のサッカーのDVDに目が行った。ペレ、ロナウド、マルディーニ、トッティなどの有名選手のDVDであった。これは1つ500円だったので、後で子供のお土産にすることにして、サッカーの棚に行った。

そこで、ふだん阿南の書店にはないような本を読みふけった。日本サッカーの全歴史を書いたもの。さまざまな練習法。その中で1つユニークな(普通の人の観点からすればかなりふざけてみえる)本があった。とある運動学者が書いたという「脱力筋力トレーニング」を目的にする本だった。

要するに、人間の筋力の基本は身体の前面に備わる筋肉と身体の後面に備わる筋肉の2種類があり、前者が「ブレーキ筋」、後者が「アクセル筋」であり、サッカー選手は力を入れるというよりは力を抜いてプレーしなくては素早く動けないから、身体の後面の筋力を鍛え、前面の筋肉は脱力させて「ゆるゆる」の筋肉にすべきであるという、かなり一見”まゆつばもの”で”異端的な”発想で書かれた本である。その著者はこの種の本を2冊書いていた。

ふだんこんな本は見かけないこと、また「力を抜いてプレーせよ」というのは私の持論でもあるので、この本もお土産に買うことにした。

子供へのお土産は決まった。ではさっそくと理工関係書のある3階にエレベーターで向かった。物理、生物などと見て行くと、だいたい想像のつくものばかりで少しも面白そうなものは目に入らなかった。それで数学はどうか、というと、やはり数学関係には世界でもかなり良いライターがいるせいか、新書が何冊も出ていた。

新書は、「ノーベル経済学賞」を取ったジョン・ナッシュ関連本、「フェルマーの最終定理」を解いたアンドリュー・ワイルス関連本、「リーマン予想」を解決したペレルマン関連本、そして「アルプス山中」に隠生していると言われるグロタンディーク関連本とブルバギ関連本。

確か「ブルバギとグロタンディーク」という本だったと思うが、その最後の方は非常に痛ましい話があるのだが、興味深い面もあった。著者がグロタンディークの狂気にも耳を傾けよというのが印象深い。

若くしてフィールズ賞を取り、日本の広中平祐博士のフィールズ賞にも関わっているアレクサンドル・グロタンディークという数学者がいる。この人物は、10000ページ以上の論文や著作を書き、その大半は今だ解読されず、使われているほんの一部が現代数学に革命を起こしたという伝説のある歴史上の人物である。「数学のアインシュタイン」と言われている。この人は、ある時期から表舞台を去り、アルプス山中に隠とん生活しているとうわさされている。ほんの何人かとしか会わず、だれも彼の言うことを理解できない。したがって、大半の数学者からは「狂人」になったと残念がられているという。

こんな人物の今がちょっと書かれていたのだから、グロタンディークの「数学者の孤独な冒険」を一時期バイブルとしていた私には面白くないはずがない。

著者によれば、アレクサンドル・グロタンディークは「今毎日毎日悪魔に悩まされ続けている」という。この地球を悪くしようとする悪魔と戦っているらしい。それでアルプス山中に身を隠しているらしい。最近では「メートルと戦っている」らしい。メートルとは1m、2mのメートルである。このメートル法があまりに不完全だったために、我々の世界がこんなに悪に満ち充ちた不完全な世界に変わってしまったのだと考えているということだ。

チャーリー・チャップリンの母親はだんなに捨てられてあまりの貧困に喘いで発狂してしまったと言われているが、そんな状況でもチャーリーに道で拾った石をパンだと思って子供達に分け与え、おかしくなっても子供のために子供たちの幸せのためにと考え続けた母親であったと言われている。

アレクサンドル・グロタンディークを考えると、なぜか私はチャーリー・チャップリンの母親を思い出す。グロタンディークもいつもこの地球の世界平和のことを考えているのである。こういう学者はごくわずかだが、ペレルマン博士もどことなくグロタンディークに似ているところがある。

「ブルバギを批判したグロタンディークを追い出したブルバギの衰退は、グロタンディークを失った時から始まった」

という著者の視点はまず正しいだろうと私も思う。

この本を買おうか迷ったが、結局子供たちへのお土産だけ買って、昼食をローソンで買い、けやき広場で食べ、それから講演会に向かった。なかなか有意義な立ち読みであった。
ジョーク「”恐ろしい話”」のお話は実はまったくの事実の話である。

”主夫”を本業としその傍ら研究する私はめったに出張などないのだが、たまに同業者の研究者から”お誘い”を受けることがある。

今回は、神戸大と埼玉大の研究者たちから別々に受けたが、その時期がたまたま両方重なってしまった。それで、神戸に行っては一旦ここに戻り、そして翌日には埼玉に行くという珍しい強行軍となった。とはいっても、日頃から鍛えている私にはどうということはないのだが。

5月18日にすべての日程が終了し、「さいたま新都心駅」から京浜東北で一気に浜松町へ行き、モノレールで羽田へ行こうと思っていた矢先、架線工事のために赤羽まで不通となっていた。それでしかたなく、埼京線の北与野駅から赤羽で京浜東北に乗ることにしたのだが、その道すがら、電車の中でしきりに携帯でメールかなにかやっている若者がいた。その青年がちょっと手を止めて窓の外を見たとき、思わず私は日頃聞きたかったことを聞いてみた。

「浦和レッズの本拠地って、さいたまアリーナじゃないの?」
と私。
「ええ、違うんですよ。僕レッズファンなんですけど
さいたまスタジアムなんですよ」
「ここからはかなり遠いですよ。南浦和で乗り換えて行くんです」
「昨日は行かなかったんですが、いつも見に行ってます」
とその彼が答えた。
「へー、なーんだ、違うのか。僕もレッズファンなんだよ」
「ところで、トゥーリオの頭薄くなってきてない?」
と私。
「あれでまだ26ですからね、くっくっく」
「一応僕も小中高とずっとサッカーやってました」
と携帯の手を止めてその彼。
「君はリフティング何回くらいできる?」
「僕の最高回数は4001なんだけど」
と私が聞く。
「まあ数えたことないんですが、いくらでもできますよ」
と彼。
「じゃ、1万位? そりゃーすごいな」
と私。
「回数なんて問題じゃないですよ。じゃ失礼します」
と言ってその彼は電車を降りたというわけだ。

そして長旅はついに終わりにさしかかり、羽田から飛行機に乗って高松経由で徳島に着いた。最後に阿南に帰るために汽車に乗る。その途中、何度も汽車のドアが開く度に外から蚊が入ってくる。そして気がつくと、汽車の室内に”蚊柱が立っていた”というわけだ。それもそのはず、周りは田園風景。しかも夜だから明かりのついている汽車の室内は格好の場所である。

とまあ、こんな帰り道をジョーク風にアレンジしたというわけだ。

それにしても、たまたま隣に居合わせたごく普通のお兄さんがリフティングの達人という浦和。さすがにJリーグでも日本一になるはずである。サッカーが街の文化となっているわけだから。徳島あたりではこんなお兄さんならすぐにトップ選手となれるはずである。蚊しか集まってこない徳島のサッカー場とこんなお兄さんたちが集まってくる浦和のサッカー場ではそれはそれは大違いというわけである。
[ 15:10 ] [ ジョーク ]
写真:さいたま新都心駅

北与野から埼京線に乗り、
携帯電話に夢中になっていた隣の若者に
「君、浦和のファン? リフティング何回できるの?」
と聞くと、その若者は
「僕もレッズファンです。
小中高とずっとサッカーやっていました」
「ずっと続ければ1万回くらいはできますよ」
「でも回数は問題じゃないですよ」
と答えながら浦和あたりで降りて行った。

羽田から飛行機に乗って高松経由で徳島に着き
汽車で阿南に帰る途中、
汽車の中に蚊柱が立っていた。

いやはやどちらもそれぞれに恐ろしい話である。
ジュセリーノのような何かが起こった後の”事後報告”の予言では、あまりインパクトはないだろうが、5月11日の夕方、西空に広がる非常に細長い”地震雲”(波状雲も重なっていた)のようなものに私と妻が気付いた。そこで、「地震雲だといけないから、一応撮っておくか」と私が撮影したのがこの写真だった。

その時は、ひょっとすれば日本国内でまた巨大地震があるとまずいなと思っていたが、この雲の先の方の先端がどこかまでは気にしていなかった。あまりに長過ぎていったいどこで切れるのか見当も付かなかったからだ。

ところが、その翌日だったか、御存じのように中国内陸部で巨大地震が起こったわけだ。

地震雲研究者にもいろいろあるが、雲を研究している人たちは、地震雲の形状(長さや形や位置)、あるいは放射状の地震雲の中心などを気にしている。地震雲の先の方に地震が起こる地域があるというのだ。

今回の雲は、確かに西方の遠くを指していた。

お亡くなりになった人々や家族にはかける言葉もないが、地震雲であれ、ヒキガエルの異常行動であれ、何であれ、いろんなことを気に留めて置くべきだろう。たとえそれが一見非科学的なことであれ、それで少しでも命が救われるのならその方が良いからだ。

亡くなった方々の冥福を祈りたい。

ちなみに、このブログ内検索に「地震雲」と入れたらいろいろ以前の記事が出てくるはずである。
2008/05/13のBlog
2008年度第15回全国クラブ選手権県予選のトーナメントが5月4日に開幕した。

【1回戦】4日。吉野川運動場

レッドサンズ1一1(PK4一3)EURO
FCZIEL3一0白虎隊
蹴友会2一0リッチde赤貝
カンピオーネ6一0阿南クラブ
セレステ4一0パルティーノ
N・J1一1(PK3一2)ケントス
FCnaruto1一1(PK6一5)イエローモンキーズ
リベルテ阿波0一0(PK4一3)石井

【2回戦】11日。吉野川南岸運動場

レッドサンズ2一0FCZIEL
蹴友会4一0カンピオーネ
セレステ1一0N・J
FCnaruto2一1リベルテ阿波
小学校時代から選抜されてヴォルティスジュニア(U12)に入り、中学(U15)高校(U18)とサッカーをやってきたヴォルティスユースの選手たち。ここ最近、彼らヴォルティスのユース世代が”伸び悩んでいる”ように見える。

私が阿南高専の選手の指導を開始した2004年の冬、 いくらうまい選手が集められていたとはいえそれまで何の実績のないヴォルティスユースは初めてTリーグの一番下のレベルのT3に参加した。

連戦連勝であっという間に、阿南高専のいたT2に駆け上がり、阿南高専を5一0で一蹴(私が指導することになった時はちょっと遅く、この試合の次の試合からだった)。2005年にはT2優勝、T1に昇格。そして確か2006年にはT1優勝して四国プリンスリーグに昇格した。

それから、ずっとしばらくは高校チームを押さえてダントツの強さでプリンスに残留し、高校とクラブの最強チームを決めるU18高円宮杯でも圧倒的な力の差を見せつけて徳島代表、四国代表となった。

しかし、ここ最近、どういうわけか、中学レベルのU15高円宮杯などでも公立中学校の井川中に負け、創立2年の阿南FCに負け、高校レベルのU18でも徳島商業に負けるという状況が続いている。また、U18高円宮杯に出場しても予選リーグ3連敗で敗退。高校トップチームが全国大会でことごとく初戦敗退をくり返しているのと同じような状況となっている。

私は、U15ヴォルティスユースの”負け試合”を直接見たというわけではないが、1試合だけ”勝った試合”を見たことがある。そこで感じたことは、やはり「今のクラブユースの選抜法や指導法にはかなり問題が潜んでいる」ということである。

2008年度天皇杯県予選:準決勝、決勝」に

『「人間の成長」というものほど不思議なものは無く、小学生の時うまかったからといってワールドクラスに育つかといえばそういうことはない。むしろほとんどの場合、高校過ぎた頃から本当の才能の片鱗が開花するものである。ベッカムやクリスチャン・ロナウドなどはむしろ例外中の例外であり、ほとんどの好選手は、中村俊輔や中沢や中村憲剛選手のようにかなり後半になって急激に伸びてくるものなのである。(この問題についてはまた後々分析するつもりだ)。』

と書いたように、子供の成長ほど予想しがたく、一長一短のものはない。

小学校時代から有名選手でヴォルティスユースに鳴り物入りで入った選手がその後何が原因か知らないが、”札付きの不良少年”になって辞めてしまったということも少年たちの間では格好の話題となっている。現在では2番手だった選手がその子の代わりにトップ選手になっているとかいないとか。

故柘植先生が一生涯強調して主張し続けたことに

「小学生相撲の横綱が大相撲の横綱になることはない」

という事実がある。いくら”子供の頃の逸材”でもそれは所詮”子供時代のお話”に過ぎない。

日本人のように、ドゥンガのいうように「日本人特有のメンタリティー」を持つ日本人の親の場合、自分の子供が幼少から比較的身体が大きく、子供時代を優秀選手として活躍すると、どうしても親御さんの方が有頂天となり浮き足立つ。こういう際立った特徴が日本人には存在する。

そこで、もし自分の子供がヴォルティスジュニアの選手に選ばれたり、子供相撲の横綱になったりすると、大喜びして自分の息子は特別だと錯覚するのである(もちろん、これとまったく同じようなことが勉強にも言え、自分の子供の学校の成績が良いと自分の子供は天才だと早合点してしまう)。

しかし、これは大きな間違いである。

私はここ13年ほど徳島のサッカーシーンを見て来ているが、そしてその間自分の息子のいた小学校中学校そして阿南高専の学生や徳大の大学生、そしてヴォルティスの選手などを見て来たが、これまで誰ひとりとして私よりうまい選手に出会ったことがない。「こいつは俺よりうまい」というサッカー選手を一度も見たことがない。

もちろん、私は今は本格的なトレーニングはしていないから、現役のサッカー選手たちには体力的に引けをとる部分はある。しかし、リフティング、ドリブル、キック、サッカー戦術眼、知識、などを含めて、さらには私の現役時代に私自身が出来たことと比べてもそれを上回る選手はどこにもいなかったのである。

私はかつて関西遠征で天理大サッカー部と練習試合をしたが、試合開始のキックオフから1人で全員を中央突破で抜き去ってシュートして得点したことがある。千葉大学リーグでは5人抜き、練習試合では7人抜きもあった。今でもすぐに1000回程度のリフティングはできるし、キックも私の息子たちよりはるかに精度がありうまい。私の得意技の1つはゴルフでいうフェードボール、アウトサイドで蹴るロングキックである。

こういう正確なキックや足首をしっかり固定した正確無比のシュートのできる高校生は見たことがない。ましてや我々が高校生の頃、週2回は20kmマラソンに出ていたが、ここ徳島では数キロでもダウンである。

こういうわけで、体力的にも技術的にも我々の高校生時代からかなり落ちていると私個人は考えている。

しかし、ヴォルティスが出来て以来、どうも徳島サッカー関係者は何か大きな勘違いや誤解をしているようで、J2リーグのチームが徳島に出来たからまるで徳島サッカーのレベルが上がったかのように錯覚してしまったわけだ。ここに今の徳島サッカーの低迷の一番の理由があるのである。

もう少しより具体的な話をしよう。

では、なぜヴォルティスユースが勝てないのか?

その答えは、実にたわい無いことである。「全力プレーを知らない」からだ。

現在のヴォルティスジュニアやユースの選抜方式では、小学生時代から選抜テストをしてそれに合格した選手だけを入団させる。つまり、各小学校のキャプテンクラスや一番うまい(つまり子供サッカーの横綱)を取る。

それゆえ、このチームはどこのチームとやっても勝つのは当たり前だ。なぜなら自分の通っている小学校とも戦うが、そこの優秀選手は全部自分がいるヴォルティスに引き抜かれているからだ。どの小学校でも状況はいっしょ。これではヴォルティスの有利は変わらない。せいぜい別のクラブチーム、例えば、リベルモとかプルミエールとかが良い勝負になる程度だが、ここでも一番うまい子供サッカー選手はヴォルティスに取られるからだ。

では、いつどことやっても勝つのは当たり前となった状況で、ヴォルティスの選手は”本気になって””死にものぐるい”で試合をするか?

といえば、そんなはずはない。そんなにむきにならなくても適当にやれば、まるでネコがネズミをいたぶり殺すようにして相手をやっつけることができる。どの選手も適当にやっても勝てるのである。

これが、子供相撲の横綱、子供柔道のチャンピオン、子供サッカーの強豪などに”共通する問題”なのである。要するに、「他の子供と比べて比較的早熟の子供が有利となってしまう」、ということである。他の子供と比べて早い時期に大柄な選手は楽に試合に勝てるのである。相手が子供だからだ。

しかしかといって、所詮は子供の遊び、子供のすることだ。いくら子供横綱でも本当の横綱にはなれない。子供柔道チャンピオンも大人とやれば負ける。子供サッカーは所詮中学生や高校生には負ける。要するに、子供時代にうまくても現実は厳しく大人には通用しない。ヴォルティスの選手でも所詮大人には太刀打ちできない。

つまり、大人になって世界で通用する選手は他にいるということである。子供サッカーでいくらうまくてもだめなのだ。回りが基礎もへったくれもない世界でいくら勝ったところでそんなものは何の参考にもならないということだ。つまり、子供の中でいくらうまい選手を選んだところで、それは子供の中のお話に過ぎず、本当にうまい選手はもっと大人に近付いて生まれてくるということである。だから、小学生や中学生の「今うまいかどうかではなく、将来うまくなるかどうか」を見て選べということだ。つまり、”将来性”を見抜いて選抜できるかどうかということである。

さすがに、欧州のトッププロチームはそういうことをよーく理解してる。だから、例えば、バルセロナなどでは、「いつも目をつけている選手は数千人レベルである」と言われている。一応今のクラブのメンバーを25人ほどにしているが、どんどんメンバーを入れ替える。突然ある年齢で急激に伸びて来た選手をいつでもメンバーに入れる機会を設けているのである。

ところが、日本のジュニアやユースはこういうことはしない。むしろ、子供時代に頭角を表わした逸材としてそれ以後ずっとエリートサッカー選手として居座り続ける(つまり、選ばれ続ける)のである。

これが”大きな間違いだ”と私は言っているのである。

私自身本当にサッカーの才能が開花したのは、高校に入ってからである。特に高校の終盤の高2の終わり頃であった。しかし、高3にはまったくひと皮向けた。そして大学1年ではもはやその差は歴然とした。なぜならそれまでの技術に加えて身体能力が加わったからだ。この頃には極端に言えば、1人で90分間ずっとボールキープできたのである。それほど伸びるのである。それもそのはずで、高校大学と強豪校ではなく、回りがふがいないから、自分が頑張るしかなかったからだ。

ところが、ヴォルティスの選手は、回り中他と比べたらうまい選手ばかりである。いつも自分の持ってる力の50%も出せば、11人の50%でも相手チームのうまい1、2人の120%の力に頼るチームに勝てるようになってしまうからである。要するに、全力疾走しなくても、死にものぐるいでやらなくても、必死で集中しなくても、県内のどのチームにも勝ってしまうのである。

それと比べたら、弱小チームにいる選手たちは大変だ。いつも自分の実力以上の力を出さない限り勝てない。いつも必死でプレーしなくてはならない。特に、そういう弱小チームにいるエースはたいへんだ。150%の力を出さなくてはならない。いつもハンデキャップ付きの試合をしているようなものだからだ。

こういう状況でいつも”全力プレー”要求され、いつも必死の形相で走り回ってきた選手たちが、ヴォルティスの次のレベルとヴォルティスや徳島サッカー協会のお偉方から目される徳島商業などの高校サッカー部に入る。

この差が、日本全国で今出ているのだ。高校サッカー部の選手はいつも有名クラブからはぐれ、その中で必死で走り回った選手たち。方や有名クラブユースは、未だかつて一度も全力で死にものぐるいで走り回ったことがないというエリート選手たち。

こんなやつらが世界レベルで勝てるか?

そんなに世の中は甘くない。走らない選手はいらないとオシム監督が言ったように、必死で走らないサッカー選手は、世界レベルには届かないのである。

こんなわけで、ヴォルティスの選手はU12では勝てても、U15、そしてU18となるととたんに勝てなくなるのだ。

ところで、このヴォルティスユースとまったく逆を行っているチームがある。それが女子サッカーチームの「鳴門ポラリス」である。あるいは、なでしこジャパンである。(”なでしこジャパン”の強さの秘密?

「鳴門ポラリス」のU15の選手は、自分の通う中学のサッカー部に所属することが義務付けられている。つまり、自分よりスピードや身体能力で勝る男子選手たちといっしょにプレーすることが義務付けられているのである。こうすることにより、女子サッカーだけの遅いスピードや弱い身体能力に慣れてしまうことを避けるのである。

今ヴォルティスの選手に求められているのはこういうことだ。自分より身体能力のあるサッカーチームに所属し、ハイレベルのチームに慣れることである。あるいは、弱小チームに所属させ、ハンデキャップのある状況でプレーさせるべきである。

さもなくば、小学生サッカーチャンピオンとしていつまでもあぐらをかいているうちに大人になって自分より下手だと思っていた選手に追い抜かれてしまうのである。そうして、それに耐えられないものはその憤りから不良の道に落ちる。悪循環である。

今セルティックの中村俊輔は横浜マリノスユースをくびになった選手、MVPの日本代表中沢はまったく無名の選手でヴェルディの自費練習生、日本代表の中村憲剛は大学から頭角を表わした選手。優秀選手の大半は大人になってから訓練し伸びた選手たちである。相撲の朝青龍なども例外ではない。

こういう現実が何を物語っているか、日本のサッカー協会や指導者たちは肝に命じるべきだろう。
2008/05/12のBlog
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権2種)の準決勝が四国プリンスリーグの3チームにトーナメント戦優勝の城之内を加えて5月10日に行われた。決勝は5月11日に徳島市球技場で行われ、本命の徳島商業がヴォルティスユースに勝って優勝した。

この徳島商業が一般参加の大人チームと混じって徳島県予選に参加する。

【決勝】11日(日)
徳島商業(プリンス)1一0(0一0;1一0)ヴォルティスユース(プリンス)
得点者:
徳島商業:東1

【準決勝】10日(土)
徳島商業(プリンス)3一1(3一0;0一1)鳴門(プリンス)
ヴォルティスユース(プリンス)2一0(1一0;1一0)城ノ内(T1)

まあ、この順位はかなり妥当なものだが、だからといってプリンスリーグのメンバーだけを”特別扱い”するのはどうしたものだろうか? 

ほとんど同じくらいの実力を持つ城ノ内は一回戦から戦い、5戦目でこの準決勝に挑んできた。この意味では、ヴォルティスの方がはるかに有利に準備できたはずである。

それと比べたら、まだプロでもないのに”別格扱い”してプリンスチームの3つは準決勝からというのは非常にアンフェアである。これでは、まるでプリンスは一回戦から登場し、名も無い弱小チームとやって負けるのが恥じだと逃げ隠れしているようにしか見えないからである。

また、一般の公立高の弱小チームも同じ年代の好チームと戦って見て初めて自分達の足り無さや欠点などを知ることができるという良い機会を失うだろうからだ。

本来、「天皇杯」のもっとも”天皇杯らしい”ところといえば、アマチュアもプロも同じ土俵に乗って戦うことができるというところにある。これをプリンスだけ特別扱いというのは、天皇杯のその精神に極めて反する行為といえるだろう。

さらには、好チームの監督やコーチも一見弱小チームに見えるその中に時に存在する珠玉の逸材と出会うという最高の機会を逸することにもなるのである。

「人間の成長」というものほど不思議なものは無く、小学生の時うまかったからといってワールドクラスに育つかといえばそういうことはない。むしろほとんどの場合、高校過ぎた頃から本当の才能の片鱗が開花するものである。ベッカムやクリスチャン・ロナウドなどはむしろ例外中の例外であり、ほとんどの好選手は、中村俊輔や中沢や中村憲剛選手のようにかなり後半になって急激に伸びてくるものなのである。(この問題についてはまた後々分析するつもりだ)。

というわけで、プリンスもT1、T2、T3もすべて考慮せず、公平に抽選で組み、代表を選んでもらいものですナ。
2008/05/10のBlog
阪大名誉教授の伏見康治さん死去 原子力の平和利用推進

理論物理学者の伏見康治(ふしみ・こうじ)博士が8日午後8時17分、老衰のため横浜市内の病院で死去。享年98歳。

故柘植俊一博士の「反秀才論」の「面貌愚のごとし」にある、”学者の顔の分類法”で言えば、典型的な”村夫子顔”の天才が伏見康治博士であったと言えるだろう。

私がいつかどこかで聞いた話、あるいは、いつか何かで読んだ話に「伏見博士が大学の学生時代にまったくノートをとるのを見たことが無かった」というものがある。真偽のほどは定かではないが、伏見博士はどんな講議、どんな講演も何一つノートに書き留めることなく、頭に書き込むことができたという伝説のある人物であった。

それに対して、同世代の湯川秀樹博士や朝永振一郎博士はまだまだ鈍才に見える。ノートや紙と鉛筆なくしては研究はままならなかった。

私が伏見康治博士の凄さや面白さを初めて知ったのは、1990年に帰国してしばらくしてのことだった。ユタ大学で1次元準結晶の研究で学位をとり、帰国後企業に入ったのだったが、当時筑波大学の教授で「形の科学」学会を主催していた小川泰博士ととある準結晶の研究会で知り合いになり、小川博士から伏見康治博士の「紋様の科学」というコピーをいただいたからである。

この「紋様の科学」というのは、伏見康治博士が「数学セミナー」に連載したもので、小川博士が大切にコピーして保管していたものらしい。そのコピーを送ってもらったのである。これは今も製本して傍らにあるが、日本の家紋から始まり、その中に潜む対称性から、次第に群論を説明し、平面図形、位相幾何学、双曲線幾何学、そして統計力学や相転移理論まで進むという大変優れた解説である。残念ながら本として出版されてはいない。

私はこれほど博識な理論物理学者がいたのかと非常に驚いたもので、だからこそ上のエピソードを知りさらに驚いたというわけである。ノートもとらずにどうやってこれほどの知識が頭に残るのかと。

伏見康治博士には数多くの本があるが、特に有名な本に「量子統計力学」や「折り紙の幾何学」がある。「量子統計力学」は朝永振一郎博士の「量子力学」や湯川秀樹博士の「量子力学序説」に並び称される名著と言われている。

私自身も含めて自戒の念にかられるが、この湯川、朝永、伏見時代の理論物理学者から比べると、その後の日本の理論物理学者のレベルは格段に”落ちた”と言える。研究のレベルや質や独創性、研究者としての人間的スケールや質、人間としての存在感や迫力、これらすべてにおいて現代の理論物理学者は見劣りする。現在では毎日毎日2ちゃんねるに書き込んでいるというような連中ばかりとなったからである。

どうしてこうなってしまったのか? その理由は私には分からないが、今は昔の物語り、伝説の時代、黄金時代の話となってしまった。いずれにせよ、どうやればそれほど頭が良くなるのか、知りたいところである。

付け加えれば、伏見康治博士は数多くの優れた学生やお弟子さんたちも育てたということを指摘しておこう。中でも有名なのは「かごめ格子」という言葉とモデルを残した庄司博士である。これは、統計物理学の中で非常に有名なモデルである。

これでまた1人日本の伝説的人物、偉大な理論物理学者が世を去ってしまった。

御冥福を心からお祈りしたい。
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権1種(成人))の1次トーナメントが5月4日に開幕した。

【1回戦】吉野川運動場

徳島市役所16一1FCジャパン
応虎会6一0麦藁少年団
FCサムライ1一0四国大学
徳島大学2一0ビクトール
ヘインズ2一1航空隊
UNITY5一0SOCIOSuno
2008/05/09のBlog
”ラミパス、ラミパス、アスパルテーム”

何やら魔法使いサリーちゃんの呪文のような甘い響きを持つ合成甘味料。果たして本当はどうなのか?(「馬鹿は死ななきゃ直らない」?

しばらく前に、世界中のノーベル賞化学者14人が反対している「フッ素」の問題を書いていた。

”フッ素なし”練り歯磨き」はどこに?
「フッ素神話」崩壊

これと似たような状況が、俗に言う「合成甘味料」にもあるようだ。今回はこれを紹介しておこう。


(あ)では、まず最初の問題。

世界でもっとも多く消費され、もっとも良く知られている合成甘味料は?

答え:そう、「アスパルテーム」である。

これは、ガムの裏面を見ればかならず記載されている。超有名な合成甘味料である。コカ・コーラに使われているものもこのアスパルテームである。だから、子供や大人などほとんどの人々はこの人工甘味料の消費者である。

(い)では、次の問題。

合成甘味料の世界で一番大きな会社は知っていますか?

答え:そう、それは「G. D. Searle & Company」という大企業である。ここが発明し、世界中に供給しているものがアスパルテームである。

(う)では、

この持ち主は誰か知っていますか?

答え:そう、そのCEOは、ジョージ・ブッシュ政権でイラク戦争を引き起こしたあのドナルド・ラムズフェルド国務長官である。このラムズフェルドの会社「G. D. Searle & Company」がアスパルテームの製造元である。

私なら、ラムズフェルドと聞いただけでもうこの製品は買わないが、これはどうやら事実らしい。

アスパルテーム」には、こうある。

『また、FDAによる承認においても、最初にアスパルテームを承認しなかったJere E. Goyan(FDA長官在任期間1979/10/21 - 1981/1/20)はロナルド・レーガン大統領が就任した直後にFDA長官を解雇され、後に内定されたアーサー・ヘイズ(FDA長官在任期間1981/4/13 - 1983/9/11)[7]が翌年にアスパルテームを承認した。その直後、1983年にヘイズは辞任し、人工甘味料製造会社「G. D. Searle & Company」に就職。アスパルテームをNeutraSweetと改名し、同社CEOのドナルド・ラムズフェルドと共に莫大な利益を得た。このため、利益のために人体への悪影響を無視し承認に踏み込んだという批判の声が各地で上がっている[8][9]。』

要するに、ラムズフェルドは、自分の持つ合成甘味料会社の発明したアスパルテームを承認させるために、レーガン大統領と組み、反対派のゴヤン長官を解雇。すげ替えたヘイズ長官はワンポイントリリーフで、アスパルテームを承認するや否や辞任し、ラムズフェルドの会社の重役になった、というわけである。

これこそ”ラムズフェルドの陰謀”と呼ばずして何なのか?

このラムズフェルド戦略を見事に後追いしたのが日本の厚生省や日本のメーカー(味の素)というわけだ。


まあ、それでも「この合成甘味料アスパルテームに特に害が無い」のなら、まだ許せる。しかし、いろんな文献をよーく読めば実は「百害あって一利無し」ということが分かるだろう。

合成甘味料で一番の危険性は「発ガン性」というものだろう。だから往々にして研究者は「発ガン性」だけを調べる。つまり、「食っても発ガンしなければ良いだろう」という発想である。

次の危険性は「(短期的な)副作用」というものだ。例えば、アレルギーになったり、何かのショック作用を引き起こすかどうか、というものである。

これもまだ分かりやすい。ある種の障害者や先天的問題を持つ人々に対して調べれば良いからだ。例えば、「フェニルケトン尿症患者」には使うなと明記すればいい。

しかし、一番分かりにくいのは、「長期的使用」から来る問題や障害である。何十年後かに現れるかも知れないというような症状の場合である。この場合は、いろんなものとの相乗効果や累積効果などが混ざるために、一概にアスパルテームのせいだとは言い切れなくなるからである。この意味で、一番こういう問題が質が悪い。

多くの場合、「発ガン性」や「短期的な副作用」しか調査しないで承認するために、「長期的問題」は無視される。電線や携帯電話の電磁波の人体への影響などもこういう格好の例である。とかく無視されやすい。

私が調べた範囲でも、アスパルテームに関して、長期的使用の問題点を報告しているものはほとんどないようである。しかし、だからといって問題がない、無害だと解釈してもらっては困る。実は、ひょっとすれば、ラムズフェルドが一番気にいっているかも知れないことが「アスパルテーム」の中に”それとなく”あったのだ。

その中にこうある。

『安全性
----------------
このうち、アスパラギン酸とフェニルアラニンは神経毒とされるが、通常の使用量で問題が出ることはない。但し、これらのアミノ酸の量が偏るとアミノ酸の働きに異常が起きるため、特に妊婦は注意が必要という研究結果もある。』

『動物実験
----------------
ただし、マウス実験で、動物に影響がないとされているレベルの1/1000の量でマウスの精子に障碍を起こしたという実験結果もある。

ヒトでも恐らく、アスパルテームの摂り過ぎは精子数に影響があると見られる。』

つまり、このアスパルテームの取り過ぎは、女性の場合には妊婦で何らかの障害を引き起し、男性の場合には精子の数を減らす。要するに、人類の「生殖作用に作用する」ということである。

これこそ、アイクの言うレプティリアン、コールマン博士の言う「300人委員会」、両者の言う「イルミナティー」の好みのかっこうの物質である。なぜなら、「今後2050年までに人口を50億人減らす」というのが、彼らの目標と言われているからである。その有力メンバーであるラムズフェルドなら自分で企業を持ち、人口削減、ライバル民族の削減に貢献したいと考えるはずである。

「中国人やイラン人にコカ・コーラを飲ませて金玉を潰せ!」

というわけですナ!(もう日本人は御用済さ!ちなみに言うまでもないが、コカ・コーラそのものが悪いのではない。その主原料であるカフェインや合成甘味料アスパルテームが悪そうだと言っているのだ!)

実際、”特に何の原因もないまま”「無精子症」(あるいは「卵巣異常症」)と診断され、子供が授からない日本人はうなぎ上りのはずである。

実はその原因として一番”怪しい”のが、この合成甘味料アスパルテームなのである。

まあ、

「デブを恐れて無精子になるか、精子のでるデブがいいか、どっちだい?」

ということである。一番良いのは、デブでもなく精子も出る男だろうがネ。

ところで、イルミナティーの連中はいまだに「マルサスの人口論」を信じてるらしいが、かつてバックミンスター・フラーが発見したように、連中は「エフェメラリゼーション」という効果を御存じないようだ。マルサスの時代、マルサスは人口が増えれば人類は滅ぶと宣ったが、実際にはマルサスの予言をはるかに上回る人口の60億人でも人類は滅んでいない。そればかりかますます元気である。

それは、人類が増えると共に、技術革新も増え、その効果のために、人口増加を補って余りあるほどの生産性が増すからである。人口増加が一概に悪いわけでは無いのだ。もしマルサスの主張をうのみにしていれば、人類はコンピュータも何も発明することはできなかっただろうからである。

問題は「貧富の差」や「格差社会」だが、これらはすべて”人災”であって”天災”ではない。お金がありあまっているから”投資”に向かうのに、実際にはそのお金を貧しい人々の発展に投資せず、お金持ちの方へ回すからである。つまり「目先の損得だけを見て、将来の損得を考えない」ことによる。

フラーが言ったように、イギリス王朝のように今だに石や大理石のお城に住むと言うような低級文明にとらわれず、フラードームのようなリサイクル可能な金属文明の家に住めば、世界中の人々は健全で健康な文明社会に生きることが出来、世界は100億人になっても地球温暖化や公害などにさらされず、ずっと良い世界に住むことは可能なのである。

私はフラーの意見が正しいと思うヨ。

参考:
アスパルテーム
アスパルテーム
Donald Rumsfeld
織田信長「馬鹿は死ななきゃ直らない」
豊臣秀吉「馬鹿は死んでも直らない」
徳川家康「馬鹿は死ぬまで待っても直らない」

と言ったとか言わなかったとか。

これがちょっと質の悪いジョークだろうとは言うまでもなく誰にも分かる。

しかし、ブラックジョークならまだしも、実は我々もこういった悪いジョークと同じような状況にさらされているとは、御存じないだろう。本当はもっと悪い。

私もユタ大学に留学中、世界中からきた留学生といっしょになって良く「コカ・コーラ」を飲んだものだ。それも巨大なカップでがぶ飲み。

そこのソルトレークで良く聞いたうわさ話にモルモン教は「コカ・コーラ」の大株主だというものがあった。そしてモルモン教徒のお嬢ちゃんやお坊っちゃんたちは「ダイエットコークしか飲まない」、もちろんカフェイン抜き。

「なるほど、モルモン教というのは、かなり科学的宗教で現代科学の知識をないがしろにしせず、健康管理に善く注意した新しいタイプの宗教なんだな」と、私は好奇の目とともにかなり尊敬の念も込めてその当時は考えていたものだ。

しかし、ごく最近知ったことには、どうやらモルモン教徒も御存じないかも知れないという、極悪非道のちょっと困ったことがあるようだ。

それをジョークにすればこんな感じだろう。

初老のカオス理論学者とちょっとシニカルな老化学者が話していた。

「最近の学生は顔がつるつるでにきびもなくみんなイケメンばかり。
服装も髪型もみんないっしょだ。
昼食はマクドナルドのハンバーガーとコカ・コーラ。
食事が終わればかならず虫歯予防にフッ素入りの
歯磨きで歯ブラシする。だから息も爽やかさ。
アメリカじゃ、フッ素入りの水まで飲む。
おまけに今じゃ携帯電話でなんでもやる」

とカオス学者が切り出した。

「それと比べりゃ、俺らの頃はひどかった。
顔中にきびだらけ、昼食はあんパンと牛乳。
中には中華料理屋で餃子定食。
食後歯磨きの習慣もなかったから口の臭いのなんのってなかった。
水道の水も臭くて飲めなかったな。
我々の時代はどこへ行くにもメモ帳を持ってあるき、
どんなことでもメモしたものさ。
時代は変わったものだよ」

とそのカオス学者は続けた。

その言葉を慎重に聞いていた化学者が口を開いた。

「そうは言いなさんな。物事にはいつも一長一短があるのじゃよ。
昔の生活が遅れていたということには必ずしもならんものじゃ。
もしそんな食生活を若者が続けたとすれば、こうなるじゃろう」
「身体の筋肉はぶよぶよ、脳みそはスカスカ。精巣もスカスカ。
こんな老人のような肉体の持ち主となるのじゃ」

と老化学者は答えた。

「ひえー、どうしてそうなるの?」

と生化学のことは何一つ知らないのに生物学と名のつく研究雑誌に
無数の論文を出しているカオス学者が聞いた。

「そりゃー、こういうわけじゃよ。
まず抗生物質や成長ホルモン漬けで飼育された牛肉を食べて
顔はつるつるの筋肉はぶよぶよ。コカ・コーラの中の合成甘味料の
アスパルテームで精巣をやられ、フッ素で脳をやられる。
もし異常プリオンがあれば、脳みそはカニみそ状態じゃよ。
おまけに携帯の電磁波で脳みそはチーズ状態じゃ」
「行きつく先は、ロナルド・レーガン、シルベスター・スタローンや
アーノルド・シュワルツェネッガーのようになるじゃろう」

と老化学者は答えた。

「。。。」

さすがのカオス理論学者もこの答えには絶句してしまったようだ。