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2008/08/01のBlog
最近”謎の”経済アナリスト、マイケル・ハドソン氏の6年前の2002年の経済解説記事「日本はなぜ借金大国になったか (1) (OUR WORLD)」を偶然見つけて読んだのだが、これほど現在を見事にかつ完璧に分析したものは見たことがない。(後に調べたところでは、「超帝国主義国家アメリカの内幕」の著者らしい。)

この記事は、2001年の「9・11」以後のものであるが、これとは独立に長い間、日本の太田龍、イギリスのジョン・コールマン博士やデーヴィッド・アイク、さらにはタープレイ、ウィリング、マニング、アンドリュー・C・ヒッチコック、テックス・マーズ、スプリングマイヤーなどの、俗にいう「陰謀暴露論者」の人々によって「300人委員会」、「イルミナティー」、「国際金融寡占勢力」、「王家」、「黒い貴族」、「サタニスト」、「ルシファー信仰」などというキーワードによって表現されてきた人々が、「この現実社会でいかなることを行って来たか?」ということを実に見事に”普通の経済学の見方で表現したもの”である。

それゆえ、マイケル・ハドソン氏の記事には、そういったいかなる「陰謀論」もいかなる危ないキーワードも出てこないが、確かにかなり大きな権力が関わって、この日本社会やアメリカ社会、さらには全世界を「国際金融寡占勢力」が実に見事な経済的政治的手法に基づいて、「借金財政」の形にもっていったかが、詳細なデータを基にして語られている。

そして、この「国際金融寡占勢力」とは、かつてアメリカの20世紀最大の建築家の1人であったバックミンスター・フラーがその大著「クリティカル・パス」で「法律家資本主義」あるいは「軍産複合体」と呼んだものと同一のものなのである。

そしてそれは、ここ10年ほどで日本やアメリカ、そして『この世界がいかに急速に「格差社会」へと変貌を遂げたか』の経済学的な理由付けとなっている。

一言で言えば、「不労所得(地代、賃貸料、金利、キャピタル・ゲイン)」を得る、Finance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業など一般に《FIRE分野》と呼ばれる分野への”課税”を怠ったことが原因である。

その昔、堤一族の西部系列に「コクド」という会社があったが、超巨大企業であったにも関わらず、不動産投資で”赤字会社”であるので税金は支払はなくてよい、という法律で大成長したということを思い起こさせてくれる。もう一度、経済学や経済の原点に戻り、《FIRE分野》といえども、赤字会社であろうが、それなりの経済を担っているものにはそれなりの課税をすればいい、というのがマイケル・ハドソンの解決策である。実にもっともな話である。

これさえすれば、年金問題であろうが、何であろうが、すべてがうまく行くのである。
もっとも「国際金融寡占勢力」に洗脳された経済学者や経済アナリストは真っ向から猛反対するだろうがナ。

そういうわけで、ここに章別に分けて紹介させてもらおう。
【】《》などの記号は、私が”自分のために”加えたものである。


日本はなぜ借金大国になったか (1) (OUR WORLD)
投稿者 マイケル・ハドソン 日時 2002 年 2 月 27 日 21:16:03:

1965年から30年の間に、日本は国家債務ゼロから世界最大の負債国へと転落した。《日本の負債が他の国に見られない特性を持つのは、それが必然的なものではなく、純粋に政治的な理由から生まれた点にある》。

政府が借金をする伝統的な理由は戦争である。生死を賭けた戦いは、通常の税収入では賄えないため、借金で対処する。220年前、イギリスが米国植民地を相手に戦争をしていた時、アダム・スミスは、戦争のために増税すると有権者が戦争に反対するため、政府は借金を行い国民の負担を軽減したかのように見せかけるが、長期的にはより高くつく、と語っている。

日本の場合、過去半世紀の間、戦争を行っていない。米国の軍事プログラムへの援助以外は、日本の軍事予算はほぼゼロに近かった。

【I.金融および不動産部門への課税を怠ったことに起因する財政赤字】

《平和時に政府が借金を増やす理由は、主に国内の政治的失敗、つまり富に対する課税を怠ったことに起因する》。すなわち、《平和時の国家債務は海外との戦争ではなく、国内の階級闘争の結果、生まれたものである》。冷戦が事実上終結した今日、国内に階級闘争が舞い戻ってきたようだ。

階級闘争の本質は経済力を政治権力に転換することである。ほぼ決まって勝者となる富裕階級にとって、階級闘争の目的は自分達の所得や富に対する税金を削減することにある。その結果、税制は富裕者への累進制を弱めるよう改正され、賃金労働者や消費者の税負担が高くなる。《日本の場合も、今日の財政赤字と国家債務は、最も裕福な階級に対する課税を怠ったことが原因となっている》。

しかし、現在の財政政策の悲劇は、生産的な産業投資よりも、非生産的で寄生的な富の方が簡単に税金逃れができる点にある。不正な富の方が税金を削減しやすいのは、それがより多くの経済価値をもたらすからではなく、ただ単に最も収益性が高く、強い影響力を持つためである。過剰の富や、不労所得者の所得へ課税する代わりに、必需品や生産的な直接投資、労働者階級への課税を増加すれば、産業の発展や繁栄は抑制されてしまう。

税制の改正は、金融および不動産投資家に、寄生的かつ投機的な収益を求めることを奨励する。新しい税制は、製品やサービスの生産を促進するのではなく、負債を増やした銀行や賃貸料を上昇させた投機家たちに資金援助をしているのだ。この新しい財政哲学は、世界競争に向けた生産性や生産高拡大のための再投資に必要な収益を産業界から奪いかねない。

日本の大蔵官僚が新しい税制哲学を異口同音に支持しているという現実は、戦後形成された金融、不動産分野がいかに政治的に攻勢に転じてきたか端的に表している。金融、不動産分野は、米国製の「無価値」経済学を利用して、大々的な広報活動を繰り広げ、金利や賃貸料の上昇で経済のコスト構造を押し上げること以上に生産的な方法は、従来の金儲けの手法(例えば工場の建設)にはないと主張している。

この「無価値」の富は、主にFinance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業とその不労所得者の収入であり、それらの頭文字を取って一般に《FIRE分野》と呼ばれている。

不労所得者の収入は、貸し手と地主が事前に規定する固定利用料(家賃と利子など)から成る。《企業の成功如何で増減する収益とは対照的に、これらの固定料金は、経済の成長や支払い能力とは無関係に、いやおうなしに要求されるものである》。ある人の収入が他の人の支出になる「ゼロサム・ゲーム」がそうであるように、不労所得者が要求する料金は、債務者の基本資産を削るところまで利益を食いつぶしてくる。

この結果、《貯蓄は直接投資にではなく、融資や不動産投機に回される》。こうして、《経済の生産的資源は増えずに、金融や不動産投機による不労所得者の収入が増加する》。

国民はこの「新しい」税制政策がいかに深刻な影響を与えるか理解していない。事実、バブル以降の日本は、金融および不動産分野で膨張する富に対する課税を躊躇してきた。このことは、日本を含む世界の国々が歴史的に税制の基盤を地租に置いてきたという事実とは極めて対照的である。国王や天皇は、土地の支配権および所有権を官僚に移管した。もともと地主は、宮殿を守ったり、兵力などを含む軍事的ニーズをカバーするために、その土地から生まれる余剰農産物(および作物の用益権や農民の労働力)の大半を国に提供することになっていた。しかし、地主は次第に、そのような土地からの収益を社会のために使用するという義務を果たさなくなった。実際、地主にそのような「自由」を与えたことが、自由企業制や真の私有財産の基盤となったのである。

過去1世紀の間に、課税対象に最も適しているのは「不労増価分」、すなわち、社会の繁栄(あるいは単に通貨インフレ)に起因する土地や資産価値の増加分であるという考えが広まった。例えば、公共の交通機関や道路、電気、その他税金で実施される基盤整備によって、土地の不動産価値は一般に上昇する。《税金を使ったおかげで値上がりした分の賃貸料を取り戻すには、通常固定資産税を徴収することによって、その増加分が国民に還元される》。

しかし《税金が徴収されなければ、税金を使ったことによって生まれた利益は不労所得投資家の手元に残る》。そして《不労所得者階級が強力になればなる程、政治家をうまく操って自分達の税金を削減させようとする》。《その結果、財政赤字と国家債務が増加するのである》。

今回日本が他国と異なる点は、バブル経済のさなかに負債が増大した点にある。そしてこのバブルこそ、先例のない程の巨額な不労増価を意味している。

バブル経済の真っただ中に国債残高が増加した原因を見つけるのはそれ程困難ではない。バブル経済は、不動産価格を一般家庭の手の届かないところまで押し上げたのに加え、不動産億万長者を生み出し、不労所得者の地位を不動のものにした。

《FIRE分野の力が強力になると、その分野が1つの階級を形成し、自分達の利益が課税対象とならないようにするために、公共利益に反する活動をする》。その一方で自分達の目的を支持させるよう政府の政策に影響を与える。その結果、不動産分野が従来支払っていた税金は他の分野に振り替えられる。こうなると、《借金をしてでもさらに不動産を購入した方が儲かるようになり、不動産分野は借金だらけになっていくのである》。そして不動産の所有者はこの借金状態を強調して、金融機関と共に、業界は多額の借金を抱えているので、もっと減税すべきだと主張するのである。さらに、《不動産投機家はローンの利子分を課税所得から控除することが認められていたために、このプロセスにはさらに拍車がかかった》。

このような厄介な行動形式は、日本に限ったことではない。過去4,000年の文明化の歴史を通じて一貫して描かれてきた変遷の型である。しかし、日本の場合興味深いのは、《バブルが繰り返されることがないよう増税を呼びかけるのではなく、逆にバブル崩壊を口実に、不動産や銀行の富に対して減税が叫ばれている点である》。

最も裕福な不労所得者層が税金を逃れようとした結果、日本にほぼ慢性的な財政危機が生まれた。さらに、他の諸国の場合と同様に、既存の負債に対する金利も公的債務を増加させている。過去の負債に対する利払いが負担となって、結局毎年、財政赤字を生むことになる。国家が税収入、厳密には不労所得の富に課税をして歳出を賄わない限り、今回の累積債務から逃れることは難しい。《問題は、税金を逃れようとするFIRE分野の既得権益の経済力に対抗するだけの政治権力を結集させる能力が一般国民にない点にある》。その結果、政府は借金で金利を賄い、毎年国家債務を増加させていく。つまり、このことは、公債が指数関数的に複利で増加することを意味する。

【米国の財政赤字を資金援助するために、日本がいかに借金を増加させたか】

日本の国債残高増加にはもう1つの要因がある。国内の富裕者に対する減税や金融部門(最も顕著なのが住専)の救済、税金逃れに忙しい富裕階級への利払いといった負担の他に、《米国の財務省にも資金援助している点である》。金や円、その他の通貨ではなく米ドルで外貨準備高を保有することで、日本の中央銀行は結局、1996年4月時点で、財務省に2,045億ドル(20兆円)を融資している。

1996年7月のSurvey of Current Businessによれば、日本の民間部門の財務省証券の保有高を含めると、日本は米国財務省に対して昨年末時点で、2,230億ドルをも貸し付けている。これは、1994年末の数字、1,690億ドルに比べると31%の伸びになる。それに加えて、日本の公的機関および民間部門は米国の銀行に880億ドルも預金をしており、1995年末時点において日本から米国への融資総額は3,100億ドルにものぼった。

これだけの金額を日本は米国に融資していながら、日本政府は財政赤字を増やし、その結果、日本国民に対する負債を増加させているのである。
2008/07/30のBlog
日本、アルゼンチンに0一1で敗れる 雷雨で打ち切り
日本対アルゼンチン

【日本】
GK 西川(大分)
DF 安田理(G大阪)→長友佑都、水本(京都)、森重(大分)、内田(鹿島)
MF 本田拓(清水)→岡崎慎司、梶山(F東京)
香川(C大阪)、谷口(川崎)、本田圭(VVVフェンロ)
FW 豊田(山形)→森本貴幸

【アルゼンチン】
GK ウスタリ
DF パレハ、モンソン、サパレタ、ガライ
MF ガゴ、リケルメ、マスケラーノ
FW ラベッシ→アコスタ、ディマリア→ソサ、アグエロ

いやはや、同じサッカーでもこんなに違いがあるのか、というようなサッカーの試合だった。

アルゼンチンのサッカーは、だれがメンバーでもだれが監督でもどんな年齢でもやはりアルゼンチン、というそういうものがある。

同じサッカーだから、基本はいっしょ。ドリブル、トラップ、キック、ヘッド、フェイントなどどれも似たようなものである。しかし、ことばで表現するのは難しいが、日本とは「何かが違う」のである。

果たしてこれは何なのか?

まあ、世界ランクトップレベルのチームと日本を比較するのはこくと言うものだが、やはり格が違った。ボールキープのしかた、パス回し、責め上がり方など日本にはないものが多かった。また、日本選手のドリブルはすべてスライディングタックルで綺麗にストップされてしまった。

相手の攻撃はすべて華麗なスライディングタックルで阻止し、自分の攻撃は徹底してパスを繋いで突破していく。そしてシュートレンジにいる選手に繋げる。

言ってみれば実に簡単なことだが、それができるチームとできないチームの差が最後に出たというゲームだった。

これでは、日本の強豪ひしめく予選リーグ突破はかなり難しいだろう。
昨年の高校サッカー選手権の「徳島商、初戦で涙 全国高校サッカー、日大藤沢に1-2」に続き、今回のインター杯県予選では圧倒的な強さで全国大会に出場した鳴門高校(四国プリンスリーグでは2位)は、福岡県の強豪東福岡と初戦で対戦、1一4(1一0、0一4)であっさり逆転負けで初戦敗退の歴史を積み重ねた。

そろそろ徳島県サッカー協会のお偉方たちは責任とって辞任した方がよかろう。J2の徳島ヴォルティスの最下位同様に、あまりにひどい成績である。

高校サッカーは次の大学レベルやJリーグレベルにつながる大事な年代である。そのレベルがこれでは本当にお話にならない。

ここにどんな問題や障害があるのか、分析してみるべきである。一応、ここで私の分析をまとめておく。

(あ)「駅伝」が障害になっている。

私は個人的には「駅伝」は大嫌いである。

もちろん見るのは面白いと思うが、42・195kmを走るマラソン選手にも、1万mなどのフィールド選手にもならない中途はんぱなスポーツで、多くのマラソン選手やフィールド選手を台なしにするスポーツだと考えているからである。

実際、高橋尚子選手や昔の中山選手などほとんど駅伝では無名の高校時代を過ごした選手たちである。駅伝の選手が良いマラソン選手になることは皆無である。

同様に、「モンスター・ティーチャー 」で紹介したように、駅伝はサッカー選手の寿命を縮める最悪の競技でもある。

実際、サッカー選手が駅伝の練習を行えば、すぐに腰痛になる。あるいは、ひざや足の故障を抱えるようになる。それほど、走り方が違うのである。

にもかかわらず、徳島には「徳島駅伝」という実に変わったイベントがあり、中高生の多くがこれに引っ張り出される。その際、サッカー部や野球部など陸上部には所属していない選手も身体能力が高そうだと学校の先生に目を付けられると強引に参加させられてしまう。もちろん、他にも市町村レベルの地方自治体開催する「駅伝」にも参加させられることが多い。

このおかげで、私の見て来た範囲、知っている範囲でも、かなりの中学生のサッカー選手が腰痛や足の故障など”持病”を抱えてしまっているようである。一旦そういう”持病”を持つとまず一流選手に育つことは難しい。なぜなら無理できなくなるからである。足や腰が痛い状態でまずサッカーは無理である。サッカーはダッシュ、ターン、キック、ジャンプを頻繁にくり返すスポーツだからである。

(い)中学の(サッカー部や陸上部などの)先生が障害になっている。

私がここ10数年徳島県のスポーツ界を他県出身者の立場からずっと観察して来たところでは、「なぜ徳島県のスポーツがだめなのか?」と言えば、中学時代にそこそこ活躍した将来性のある若者が中学から高校に入ったころに、さまざまな理由でスポーツから足を洗って止めてしまい、高校でスポーツを続けているのは、必ずしも最も才能ある選手とは限らないからである。

簡単に言えば、中学時代に最も運動神経の良かった連中は、高校ではもうスポーツをしてないということである。

それは、中学時代の先生の変な指導や間違った指導のおかげで、正しい基本を身につけることが出来なかったり、無理な練習がたたって身体的に持病を抱え込んだりして、高校ではもはやスポーツ人としては”廃人”になってしまうからである。やる気を失うのだ。中学時代に燃え尽きてしまえば、もう高校では廃人同様だ。スポーツ選手としてはもう終わりである。

例えば、阿南中学のサッカー部でも大半は高校ではサッカー部に所属しない。半数はサッカーはおろかスポーツを止めてしまう。残りの半数はホッケーや駅伝に勧誘されてサッカーはもはや続けない。それゆえ、高校でサッカーを続けているのはほんの一握りに過ぎないのだ。

それも教えてもらった中学校のサッカー部の監督のイメージが悪すぎて「もうサッカーはこりごりだ」ということになってしまったからである。こんなことは我々の中学校時代には考えられなかったことだ。がしかし、ここ徳島県ではいたるところで見ることができる。

サッカーは本来高校大学と進むに連れてだんだん本格的になり面白くなってくるはずのものなのだが、それがここ徳島ではかなり多くの選手が高校で止めてしまうのである。

まあ、そんなわけだから、徳島で最強と言っても最良のもっとも運動神経の良い連中がやっているわけではないのだから、全国大会に出れば、その差が出るのは当然のことである。

こんな事態を招いた「徳島県サッカー協会」や各市町村の「教育委員会」のお偉方は、本気になって改革して行かないと非常にまずいと私は考える。

小中学校の「子供サッカー」でいい気になっていては高校以上の大人のサッカーではどこにも太刀打ちできないのは明らかだからである。

早急の対策を打ち出して欲しいものですナ。
毎日新聞に平地修氏による「ドーハ・ラウンド:保護主義に懸念…世界経済に暗い影」なる記事があったが、「ドーハ・ラウンドの決裂は世界経済に暗い影を落としそうだ」という完全に”欧米のリーダー”(=アイクのいう”イルミナティ”、コールマンのいう「300人委員会」)に洗脳され切った意見が出ていて驚いた。

毎日新聞は、日本人を愚ろうしたスケベ雑誌やスケベ記事で大問題となっているが、どうも本業の新聞記事でも欧米誌の主張をそのまま”パクッた”(=拝借した)記事を書いて載せているようである。

今回のドーハ・ラウンドは、「世界経済を完全にEU独裁体制に移行させる」というのが本来の目的(もちろん、表向きの大義名分の目的とは異なるが)で、「世界の石油供給を完全にEU独裁体制に移行させる」というアル・ゴアの狙いとほぼ同じことを経済界において目論んでいると考えられるのである。

世界の石油はこの1年という短い期間で誰の目にも明らかなような非常に大胆な仕方で大きくコントロールされてしまった(石油の値段はどこまで上がるのか?)。そのおかげで、今や日本でもどこでも魚すら取りに行く事ができなくなってしまった。トウモロコシの高騰で、鶏や家畜の維持も難しくなってしまったのである。

まあ、これも”イルミナティ”が計画実施中と言われている、「2050年までに世界人口を今の半分に削減する」(実は、欧米諸国が「2050年までにCO2を今の半分に削減する」という時の意味はこの意味なのである)ための戦術の1つ1つに過ぎない。

パスカル・ラミーのようなEUの手下連中は、今回のドーハ・ラウンドを成功に終わらせることができれば、イギリスのブレアのように欧米の(というよりイギリス王家の持つ)世界超大企業の”重役”の椅子が待っている。(ブレア前首相の”高笑い”? ) だから躍起となって成功させたいわけだ。

最近のアメリカの「サブプライムローン問題」を見れば明らかなように、その昔大前研一などが吹聴した「グローバリゼーション」や「自由貿易主義」というのは、実は一種の”大義名分”に過ぎず、本当の目的は”イギリス王家”(これはイギリス政府の意味でもイギリス国民の意味でもない! エリザベス女王やチャールズ皇太子などイギリス王族貴族の意味である)の持つ世界企業をいかに大きくするか、そしてそれを使っていかに世界をコントロールするか、ということであったということである。(「私は負けない」:”王族降臨の時代”?”王家のビジネス”?

もちろん、この一味にはヒラリー・クリントンやビル・クリントンも入ると言われている。だいたいヒラリーは民主党の大統領選挙に出たのに、普通なら選挙資金のために”自腹を切る”はずなのだが、選挙陣営に自分の金を「貸し付けた」というのだから驚きである。市民から来る寄付金は自分のもの、自分の金は自分のために働いている民主党に貸し付ける。どう考えてもおかしい。日本ではちょっとあり得ない。アメリカ政治を自分の金もうけに利用しているとしか考えられないからである。もちろんアル・ゴアも同じ穴のむじな。だから、ゴアの言うことはうまいこと”イルミナティ”を肥やす方向に動くというわけである。

一説には、「すでに第3次世界大戦は開始されている」という見方もあるように、自爆テロ攻撃はイラク、アフガニスタンばかりかパキスタン、インド、インドネシア、チベット、中国と徐々に極東方面にも飛び火して来ている。西側にはイギリスやトルコにも飛び火した。

「世界大戦」というと、「第2次世界大戦」のように戦闘機による空中戦やB29のじゅうたん爆撃を思い起こす人が多いだろうが、そういうことではない。かつて柘植俊一先生の師であったR・T・ジョーンズ博士が予言していたように「核爆弾を積んだトラックがビルに突っ込む」というような形態の戦争もあり得るのである。

また、「300人委員会」で名高いジョン・コールマン博士によれば、イギリス王家の所有する悪名高い「タビストック人間問題研究所」では、「第3次世界大戦は、情報戦や洗脳戦である」と考えられているらしい。「いかに一国の国民を精神的に支配し自滅の道に追い込むか」のテクノロジー戦になるだろうと見越しているのである(第2次世界大戦では通信の傍受と暗号解読が勝負と考えていた)。そのために実験をキューバにあるこれまた悪名高いグアンタナモ米軍基地でイラク人捕虜を使って毎日非人道的な人体実験を行っているというわけである(キューバの米軍基地グアンタナモから5年)。もちろん、これを指揮しているのがアメリカのジョージ・ウォーカー・ブッシュ現大統領であると言われている。

このジョージ・ウォーカー・ブッシュ現大統領は、ついちょっと前には、「非常時にはアメリカ人のだれの土地でも国が所有できる」という法律を通そうとしたが議会の反発と特に軍人の反発で破棄された。しかしごく最近には「非常時にはアメリカ人のだれの電話・通信・メールでも国が盗聴できる」という法案を通過させたばかりである。

かつて第1次世界大戦時や第2次世界大戦時にはジュネーブ条約による「捕虜規定」があり、捕虜を人道的に扱わなくてはいけないとかさまざまな規定があり、それを無視したドイツ軍や日本軍の指揮官が絞首刑となった。同様に最近ではイラクのフセイン大統領も絞首刑となった。しかし、それ以上の悪さをしている英米軍やブッシュ大統領は何のおとがめも受けないというのが”現在”なのである。

これが今の現実社会、現実の世界なのだから、毎日新聞の平地修が言うような何年前の話なのか分からないような”時代錯誤”の記事ではお話にならない。

実際にアメリカに行くには、もちろんハワイでもそうで、入国前には”指紋と顔写真”をディジタル化されてしまうのである。こんなことは20年前には考えられなかったはずである。

この意味では、何が「グローバリゼーション」か。何が「自由貿易主義を停滞させる」か。すでにそんなものは存在しない。あるのは、欧米各国にコントロールされた世界経済のみなのである。

私個人は、戦後60年近く経ち、欧州の白人国家が、おめでたい平和ぼけのパックスアメリカーナの時代から江戸時代以前のように”その牙”を再び見せ始めたので、実に面白い時代になってきたな、という感じがするのだが、毎日新聞や日本のマスコミたちにはその真実の意味はどうやら理解できないように見える。

本当におめでたい話である。
2008/07/29のBlog
海外に留学相談窓口…「30万人計画」発表

いやはや、”おとぼけ首相”の福田さんはいったい何をお考えなのだろうか?

このニュースによると、

『海外から日本に来る留学生を現在の約12万人から2020年をメドに30万人に増やすため、在外公館や大学の海外事務所など関係機関が協力して、日本への留学希望者のために一元的な相談窓口を海外に設置することなどを盛り込んだ。』

という。要するに、社会学における「パーキンソンの法則」といやつで、官僚の退職後の新手のサイドビジネスの場を(世界各地にまで)増やしたいということだろう。

私が拙著「三セクター分立の概念」を書いた1990年以前の世界とその後の「9・11」以降の世界は明らかに異なっている。ましてや、中曽根さんが「留学生受け入れ10万人計画」を掲げた1983年前後のバブル全盛期の20年前の世界とはまったく異なる。現実はそれほどまでに急速に変ぼうして来ているのだ。

どうやら日本政府の国会議員も官僚たちもこうしたことをまったく御存じないか、あるいは、すでに「9・11」以降の世界にどっぷり組み込まれてしまったかのいずれかだろう。

このニュースの後半には、こうある。

『日本への留学希望者の一元的な相談窓口の設置は、英国が世界各国に「ブリティッシュ・カウンシル」を設け、英国留学セミナーなどを開催していることを参考にした。』


では、その大本のイギリス(やアメリカ)が今どうなったか?

と言えば、デービッド・アイクが

世界中をまたぎ、流入する大量の移民・・・

において論じるように、イギリス人は発展途上国から流入した低賃金労働者と同じ低賃金の過酷な労働を強いられるばかり、そして中には移民や留学生に反感を持つものがたくさん現れて、極右の「白人至上主義者」の政治団体を支持する一般人が大幅に増え、今や極右と極左の政治団体の間で一触即発の状態という不安定な国家へと変ぼうしてしまったらしい。

アジアの各地から低賃金の看護師を「看護師不足」の”大義名分”で大量に雇おうとするのも、すべて同じ文脈の中の出来事の1つであるにすぎない。

生っ粋のイギリス人のアイクによれば、もはやイギリス人の文化は消滅寸前らしい。もっとも我々日本人には、イギリス文化もアメリカ文化もそれほど違いが分からないからどっちでも同じなのかも知れないが。

いずれにせよ、こういった動きは、「ワンワールド構想」の目玉である

(1) 国民国家を破壊すること
(2) 安価な労働力と雇用機会の壊滅

という一連の政治運動の流れに乗っているらしい。

福田さんやその取り巻きは、果たしてそういうことを御存じでおやりになっているのだろうか?

もしそうなら、相当な”悪者”ということになろう。

いやはや、世も末ですナ。
私は、3年ほど前に「そろそろネットや携帯も免許制度にしたら?」をここで書いていたが、今朝のニュースによれば、お隣の国韓国では、ネット規制をかなり強めるらしい。日本もどこまで規制を強められるか、今後を見る他ない。

一方、今日「レンタル携帯数千台詐取容疑 振り込め狙った60人逮捕」というニュースがあったが、これに関しても私は3年半ほど前に「”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術」を書いて、どうやれば犯人グループを発見できるか論じていた。

そこではこう書いていた。

”まあ原理は実に簡単だ。物理学者なら物理の本をたくさん所有し、物理の本をたくさん注文し、物理の本を図書館でたくさん借りる。だから一般人の中からたくさん物理の本をかり出す人物を特定すればそれが物理学者である確率は非常に高い。こういったことを系統的に行えばよろしいということである。

同様に、海賊版の違法コピーメーカーなら、ビデオデッキ等を異様にたくさん所有しているはずである。偽札メーカーならコピー機を異様にたくさん所有しているはずである。”

要するに、「頻度分析」という統計学のいろはを応用するだけの話である。組織犯罪するような輩はその目的に応じて普通人と比べて”異常に”数多くの携帯電話などを所有する。だから、携帯電波の発信集中度、電話代金、人の出入り等、普通の常識を超えているわけである。そうしたところを押さえれば、いとも簡単に犯人を特定できるはずである。そういうアイデアであった。

今回の逮捕劇は見事に私の主張を証明してくれたものであると言えるだろう。普通の人間は、携帯電話を数千台も所有することはあり得ない。そもそも持ち運べないから”携帯”電話ということの意味がない。

さて、いっそのことこういう悪いやつらには、映画「マトリックス」のように”首根っこ”に知らないうちにマイクロチップを埋め込んで発振器を取り付け、一旦犯人たちを泳がせて犯人グループを宇宙からモニターするのが得策かも知れない。

とまあ、こういう発想が、イギリス政府の今考えている「人類牧場化計画」というものであるらしい。牛に焼き印を押したように、今では遺伝子情報をインプットしたチップを牛に埋め込む。これと同じことを人類に対して行えば、貴族など優秀な人間に刃向かう馬鹿な人類をコントロールできるだろう、ということらしい。これが、ジョン・コールマン博士の発見した話である。

考えてみれば、そもそもなぜこれほどまでに振り込め詐欺がのさばっているかと言えば、検挙する側、つまり、捕まえる側が意図的にのさばらせているという事にならざるを得ない。なぜなら、私のアイデアのように、こういう組織は今のハイテクを使えば(つまり、電話会社やソフト会社やインターネット会社のハイテクを使えば)すぐに一斉検挙できるからである。また、銀行にとって金さえ入れば、金がどこからどこへ移動しようが、だれの所有であろうがまったく構わないと銀行は考えているからである。

では、なぜ犯人をのさばらせているか?

といえば、それは、「マイクロチップを埋め込んで発振器を取り付けろ!」というような国民的意見が高揚するまで待っているからであろう。こういう国民的議論が出てくるのを政府や権力側(銀行はもちろんこっちの味方)はじっと待っているのである。それまで、老人や一般人が詐欺師の餌食になろうがお構い無しである。だから、「振り込め詐欺に注意しましょう」というようなおとぼけなことを言ってお茶を濁しているというわけである。

そのうち詳しく書くつもりだが、「マッチポンプ」(”焚き付ける”というような意味)という”和製英語”(英語には存在しない単語)がある。これは、ポンプ(消火器)を売りたいものが、裏でわざとマッチで火事を起こす。そして、表では世間に「ほら火事の危険はいつもありますよ」、「火事に気を付けましょう」と言って、ポンプの必要性を説いてポンプを売る、ということがその語源であると考えられている。

まあ、コンピュータ世界の「ウィルス」と「ウィルス・ワクチン」の関係、「犯罪者」と「警察」などの関係も基本的にはこの「マッチポンプ」の関係と同じなのである。私はそう理解している。

ただ違いがあるとすれば、「マッチポンプ」では、ポンプを売りたいやつがマッチで火をつけるのだが、現実には、ポンプを売るのも作るのもだれか別のものにやらせ、マッチで火をつけるのもまた別のだれか悪いやつ(実行犯)を利用して行い、善い者と悪者の両方を後ろから別々に糸引いているというのが本当のところであろう。

太王四神記」で言えば、ファチョン会(火天会)の親玉やヨン・ガリョのようなものだろう。

いやはや、厭な世の中になったものである。
2008/07/26のBlog
イギリス王家やヨーロッパ連合の王家やアメリカ合衆国のネオコンなどを中心に俗にいう「ワンワールド」(1つの世界)構想を推進している。このワンワールド構想には日本のJALなどもすでに現実に組み込まれている。

この構想を推進するために、欧米の白人国家は、 WTO(世界貿易機関)WB(世界銀行)
IMF(国際通貨基金)
などなど、W??とか、I??とか、U??とか、W(World)やI(International)やU(United)で始まる名前を持つさまざまな国際機関を設けて来た。この中の一番有名なものは、やはりUN(国際連合)だろう。

これらの国際機関は、国家レベルを超えて国際的な問題や紛争をそれぞれの分野で解決する手段という”名目”を持って始まったわけだが、それも戦後何十年も経つと知らず知らずの内にその中身も変わる。最近ではかなり様相が変わって来たように見える。

比較的最近までこういう国際機関というものは、国際関係における諸問題を解決する上で、国家間の一種の”黒子役”として世界各国の力になろうというような世界機関であり、それゆえその職員も世界各国から選出された代表者たちが一種の「世界公務員」のような形式で仕事している職場のように思っていた。

がしかし、ごく最近では、それを超えて明らかに”国家間の上に君臨する”「超国家機関」としての一面が色濃く現れてきたように見える。言い換えれば、国家間の諸問題をミクロ的に解決するというよりは、国家の上に立ち、マクロ的な法規制を世界各国に押し付ける機関という様相を呈して来たように見えるということである。しかもその職員はだれが選出したかも分からないうちに”誰かによって”選びだされた者がついているような組織へと変貌を遂げた。

例えば、最近ドーハラウンドで話題となっているパスカル・ラミー事務局長(【IPSコラム】正念場迎えるWTO交渉 パスカル・ラミー)のように、いったい世界のだれが、どの国民がこの人物を支持したのかすら分からない、ましてや、どこにこんな人物がいたのかと思うような人物が世界一流の国際機関の長である「事務局長」となっている有り様である。

そして、こういう”得体の知れない”事務局長を持つ世界機関が、世界機関であるという権力をかさにして世界各国にヨーロッパ連合(EU)にとってのみ好都合な法律を通そうとしてくるという時代となったようである。(ラミーキャンディーに気をつけろ!(12.14HKPAプレスリリース)

写真:欧米の白人至上主義者による「ワンワールド」構想
世界中をまたぎ、流入する大量の移民・・・」による。


しかしこうなると、非常に困ったことになる。

そうイッツアスモールワールドの「世界は1つ、世界は1つ、小さな世界」という意味の「世界市民、世界の国々に住む人々が作る”1つの世界”や”1つの地球”」という意味から、「世界の国々の人々を欧州の白人国家がコントロールした”1つの世界”や”1つの地球”」という意味へと変わってしまったことを意味するからである。
どうやらここ10年ほどの内に急速にかつ急激に世界機関は後者の意味の「ワンワールド」化して来つつある。

アル・ゴア元副大統領の「不都合な真実」による「地球温暖化」への警告がかえって石油や穀物の高騰を招くための”大義名分”とされ、世界各国の貧しい人々やごく普通の人々が困ってしまったように(石油の値段はどこまで上がるのか?ゴアの”不都合な真実”の”不都合な真実”今年のノーベル平和賞は”不都合な真実”へ)、今や世界銀行や国際通貨基金や国際連合の提案することはことごとく世界各国のためにはならないことが多くなった。

このトレンドを見ていると、どうやら欧州の白人国家がやろうとしていることは、ちょうど日本には各省庁が日本を運営する日本の官僚機構となっているように、欧米の白人国家をワンワールドの主体とした時にそれを運営する「ワンワールド国家の官僚機構」として世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構などを配下に納めようとしているように見える。

果たして日本がこの「ワンワールド政府」の一員になれるかどうか知らないが、世界各国から世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構などへの「寄付金」というのは、名目上は「寄付金」であるが、実質的には「(ワンワールド政府への)税金」を支払っているように見えなくもない。国際機関はすでに世界の国々へ税金を租税していると見た方が良いだろう。

こういうふうに見てみると、世界の個人と個人が瞬時に交流できるこの情報化時代に果たしてこういうタイプの国際機関は必要なのだろうか、ということである。今後はこういう問題が出てくるだろうと私は感じる。

かつて日本やドイツなど世界戦争に引き込まれて行った時、当時の国際連盟から脱退するということが1つの契機になっていた。戦争や紛争に走る独裁国家の象徴的行動の1つがこういうものであった。国際連盟が善で脱退国家が”悪の枢軸”という見方からすれば、我々の世界史観では、脱退した方が悪いということになる。

しかし、裏を返せば、そうやって脱退者を出させ、戦争を起こしやすくしていたものが国際連盟であったという見方もできる。そもそもそんな国際機関がなければ、戦争は当事者間だけのローカルな紛争で終わるはずだからである。

こんなわけで、私は最近、果たして国際機関が必要なのかどうかかなり疑わしいと考えるようになったというわけである。国際連合というような世界機関は、実は時が来れば世界戦争を引き起こすための時限爆弾のようなものであるかも知れないからである。ひよっとすればないほうがましなのかも知れないと思うからである。


では、「ワンワールド政府」とは、国家の上に超越する権力機構であり、諸国の国民が知らない内にさまざまな法律や圧力をかけてくる機関であるとするならば(実際ここ最近本当にそういうことをしているが)、だれがその「ワンワールド政府」の住人となるのかという問題が生じる。選挙するのか、推薦するのか、いったいどういうメカニズムで人を選ぶかという問題が生じる。しかし、現実にはどこからともなくパスカル・ラミーのような知らない人物が選ばれる。いったい誰が選んでいるのだろうか?

こうしたことから、かつて「無政府主義」というのが、”国家”(政府)というものに対してあったが、現代ではむしろ「無ワンワールド政府主義」というようなものもあり得るのかも知れない。言い換えれば、「マルチワールド主義」とでも言えるのかも知れない。

かつてアルバート・アインシュタインやシュバイツアーが唱えた「世界政府」ならいざ知らず、だれがつくかも知れない「ワンワールド政府」が世界政府というのであれば、むしろそんなものは不必要であろう。世界はいろんな国々が勝手に存在して結構。渾沌としていて結構。それこそ「多様性のある地球」というものであろう。

除草剤で朽ち果てた後のようなワンワールドでは困る。焼き尽くされた後の森のような世界では困る。むしろかつてのジャングルのように多様な生物の住むワイルドな森の方がより魅力的である。「マルチワールド」、「無ワンワールド政府」で結構なのではないか。

この意味では、だれも世界貿易機関などの世界機関の言う通りにしなくてもきっと世界は適当にうまくバランスするはずである。私は最近よくそんなことを考える。
2008/07/25のBlog
2008年度県中学総体サッカー決勝が、24日(徳島市球技場)で行われ、昨年の優勝者である井川中学が2連覇を果たした。おめでとう井川中学!

結果は以下の通り。

【徳島市球技場24日】

井川4一1(2一0、2一1)北島

【得点者】
【井川】三浦、能倉3 【北島】稲田

【井川】4一4一2
GK 西村 
DF 井上 大浦 佐々木 大柿
MF 能倉 平岡 大西恍 石山
FW 三浦 高島

【北島】3一5一2
GK 長尾 
DF 加藤寛 芝原 河野
MF 稲田 松浦 武市 逆巻 谷本
FW 井形 細谷



井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ー3ーー1ー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┓ーー┌━━┓ 
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー┃ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー┃優ー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー┃勝ー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー┃井ー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー┃川4│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー┗┛─┓
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│準1┃ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│優ー┃ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│勝ー┃ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│北ー┃ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│島ー┃ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー┗━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ー1ーー2ー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)

この試合は残念ながら観戦できなかったが、井川が勝つのは明らかだった。実質上の決勝戦は、井川vs徳島だったからである。全国大会で上位進出を狙う鳴門高校や徳島商業並みの厳しい練習を中学でも科しているのが井川中である。それゆえ、他の中学チームとは歴然たる運動量に差があり、テクニックでは自分達に勝るチーム、例えば、徳島中学や徳島ヴォルティスユースや阿南FCなど、に対してもゲームを支配して勝つことができる。この井川なら、おそらく、高校生の大会で戦ってもかなり上位へ食い込むことができるはずである。この意味では、中学と高校が混在する大会というのがあっても面白いかも知れない。私自身は、井川スタイルの走力中心の練習法は、”この年代のサッカーとしては”お勧めはしないが、安定して常に優勝を狙うにはこのくらいの厳しい練習が必要なのだというのもまた事実なのである。マラソンでも練習をしたかどうかは最後の35km過ぎで表れるというが、それと同様にサッカーでも練習の成果は最後の最後に表れる。徳島戦でも延長戦の最後に走力の差が出て井川が連続2得点で突き放した。

ところで、私が井川スタイルの走力中心の練習法をこの年代ではかならずしも勧めない理由は、「「モンスター・ティーチャー」?」に書いた理由と実はもっと楽に勝つ方法があるからである。残念ながら、徳島にはまだそれができるチームはないが、鳴門ニ中の北島戦の1点はそれに非常に近づく良い戦術であった。この時の得点シーンは私が考えるこの年代における理想に最も近いものだった。鳴門ニ中にはもっとそれができるようなることを期待したい。一方、逆に北島はもう少し走力練習を行ったほうがいいだろう。初戦の阿南戦と比べて、準決勝では明らかに動きが悪かった。連戦の疲労が出ていたのだろうが、それに負けない体力をつけないと優勝は難しいからである。

しかしながら、走力や体力ばかりに気をとられては井川の非常に優れた戦術に関して見落としてしまうだろう。井川の戦術は、ヴォルティスユースや阿南FCを超えるレベルのもので、”超中学級”とでも呼べるものである。こういう戦術を中学レベルで身につけるためには「いったいどういう練習をさせているのか?」、他のチームの監督は監督連中が集まって合宿して学ぶ必要があるのではないかと私は考える。体力練習はこれを実現するには大事だが、仮に体力がなかったとしてもやろうとするサッカーとしては井川のような攻撃は基本中の基本であるからだ。私自身も一度その練習風景を見てみたいと思う。三好市のたったの3チームがすべてベスト8進出した理由は、おそらく井川の練習メニューが他のチームにも浸透してきているからだろう。

また、見たところ、井川には監督、コーチ、顧問など合わせて3人がベンチ入りしていたが、他は顧問と監督の2人、あるいは監督1人の場合がほとんどであった。3人で練習をみるのと、1人で練習をみるのとでは大きな違いがある。なぜなら最低3人いれば、学年ごとに別メニューの指導ができるようになるからである。また、攻撃、中盤、守備の3つに分けて練習することも可能になるからである。1人ではそういうことができず、時間を無駄にしてしまう可能性が高い。いずれにせよ、徳島県の現状としては井川サッカー部を模範にすべきだろうと私は見ている。

さて、今回の井川の布陣:

【井川】4一4一2
GK 西村 
DF 井上 大浦 佐々木 大柿
MF 能倉 平岡 大西恍 石山
FW 三浦 高島

は、この5月25日の中学選手権における池田戦の時の布陣:

【井川】3一5一2
GK 西村 
DF 能倉 大浦 佐々木
MF 平岡 大柿 井上 大西 石山
FW 三浦 高島

と若干異なる。また、おそらく3月9日のU14サッカー大会決勝における阿南FC戦の時とも異なる布陣であるだろう。今回はDFの能倉がMFに変わり、逆にMFだった大柿と井上がDFにまわり、3一5一2から4一4一2へとシフトしたようである。

どうしてそういうシフトをしたかという、その内実は知らないが、この年代では身長の伸び、からだの成長などでかなり能力的なものが大変化する時期でもある。だから、成長に合わせてポジションを変えるというのはどのチームでもあることである。しかし、私の記憶では、もし阿南FC戦と同じ布陣で池田と戦ったとすれば、井川の右サイドバックは、小柄な選手でディフェンスの穴となっていたように思う。だから、その穴を塞ぎ、守備を分厚くするために、中盤のもっと大きめの選手を2人下げ、逆にその小柄な選手を前に上げたのかも知れない。結果的にこの変更は大成功だったと言えるだろう。

果たして来年は井川の3連覇となるか? 

その確率はかなり高い。他の学校の挑戦を待ちたい。

ついでに書いておくと、実は今回のような対戦カードになること、すなわち優勝候補どうしが先に準決勝で戦うことになりもう一つのブロックの方が少し力が劣るというような形になることがトーナメントの大会の場合しばしば生じる。この場合、優勝、準優勝チームが四国大会や全国大会に進出することになるため、実力的には準優勝に匹敵するチームが涙を飲むことになる。

実は、私が高校生の時のインターハイでも同じで、我々は韮崎と同じブロックで準決勝で当たり0一1で負けた。決勝では別のブロックから出たチームが韮崎と当たったが、もっと大差で負けた。そんなわけで、実力的に拮抗している我々は全国大会に出場できなかったわけである。ところが、韮崎は初の全国優勝したのである。その当時はあまりこういう問題は深く考えることもなかったが、今思えば、非常に理不尽なやり方であると私は考える。なぜならやはり県代表を2チーム出すなら同じくらいの力のチームを出すほうが理にかなっているからである。

我々の時であれば、柔道の敗者復活戦ではないが、韮崎に僅差で負けた我々と準優勝チームとで「2番手代表決定戦」を行うべきであった。そうれば、全国優勝した韮崎に匹敵する実力を持った我々が全国大会に出ることができただろう。今回の上の中学生の大会であれば、優勝した井川に僅差で負けた徳島中学と準優勝した北島中学が「2番手代表決定戦」を行って四国大会に出て行くべきだろうと私は考えている。明らかに徳島中学の方が北島中学より強いからである。

決勝トーナメント方式は、それがその大会そのもので閉じている時にはうまく働くが、優勝準優勝チームが全国大会や四国大会などの2代表となるという場合には必ずしもうまく働かない。後者の場合は、やはり柔道のような「敗者復活戦」が一番良いが、それに一番近くて試合数も少なくてすむ、準優勝チームと準決勝で優勝チームと戦って負けたチームの「2番手代表決定戦」というものが一番合理的なやり方だろうと私は考える。

日本のスポーツ界でこういうやり方が流行して欲しいものである。しかし、頭が固い連中しかいないから難しいだろうナ。
2008/07/24のBlog
戦後の日本にとって義務教育はアメリカによってもたらされた最大の改革の1つである。しかし、それも戦後数十年も経つとさまざまなきしみや歪みを生じる。

小学校というのは、児童が幼い年齢から始まるために、学校の先生と父兄やPTAの距離が比較的近い。それゆえ、小学校というのはかなり父兄に開かれているのが日本の小学校である。ママさんバレーは小学校の体育館で練習するし、子供のバレーやバスケット、野球やサッカーなど父兄の協力なくしてはなしえない。

ところが、同じ義務教育でも中学校となるとこれが打って変わり、むしろ”密室教育”に近い形となるから不思議である。児童から生徒と呼名が変わり、自立心も芽生え、身体的にも大人への階段を登る。半ば自立した生徒にとって児童からも先生からも「親はじゃまもの」扱いするというのが、日本の公立中学校の日常的姿である。

だから、PTAや父兄は学校行事、あるいはクラブ活動における遠征の送迎などの特別な場面でしか必要とされないのが普通である。ましてや、小学校の時のように、父兄が学校のスポーツ施設を自由に使うなどということはほとんどままならなくなる。また、小学校の場合、サッカー少年団なども率いるのは父兄の有志だったりするが、中学校ともなると、父兄が参加することを生徒も学校の先生も極度に忌み嫌うようになる。

こうして日本の中学校も戦後十数年経つと、PTAや父兄からかなり隔絶した空間として、そして先生たちの独壇場として一種異様な学校教育の場となったというわけである。


そんなわけで、昨今では、小学校を中心に「モンスター・ペアレント」などという言葉をマスコミが面白がって使っているが、中学校では逆に「モンスター・ティーチャー」とでも呼ぶべき人々が君臨するようになる。

ちなみに、英語の「モンスター」(monster)というのは、必ずしも悪い言葉ではなく、むしろ良い意味で使うことが多い。例えば、「モンスター・マインド」(怪物のように何ごとにも動じない心の持ち主)とか、怪物のように人間を超絶した卓越した能力の持ち主を称して使われることが多い。だから、「モンスター・ペアレント」という和製英語の場合では、おそらく「イビル・ペアレント」(邪悪な親)とか「デビル・ペアレント」(悪魔的な親)と呼ぶべきだろう。いずれにせよ、欧米人に「モンスター・ペアレント」と言えば、「超絶したものすごい親」というような意味に受け取るはずである。

この「モンスター・ティーチャー」とでも呼ぶべき人々の中には、まず俗に言う「わいせつ教師」、「エロ先生」が入る。「わいせつ教師」事件などというのは大昔からあったことで今に始まったわけではない。しかしそういう先生が事件を起こしたとしても、昔は学校の権威が強すぎて公になることもなく、示談ないしは無視されて、だれも知らずに被害者の生徒は泣き寝入りさせられたに過ぎないのである。生徒が大人になって、むかしこんな事をされたことがあるとか、昔話程度でお茶を濁してしまったのがその昔の日本の学校の姿なのである。

こういう状況を物語っているのが、最近の「わいせつ教師」で捕まる先生たちであろう。これは、先生のレベルが低下したというより、むしろ昔から存在するそういう先生たちが学校が比較的オープンになったおかげで、白日の下にさらされやすくなったという結果である。

同様に、「モンスター・ペアレント」などと呼ばれる親が話題となるのも、ある意味で、学校というものがオープンとなり、親ならだれでも先生に話ができるようになったということの副作用のようなものである。だから、これは必ずしも悪いというのではなく、学校がかなりオープンとなり、白日の下にさられるようになったことを意味すると肯定的に見るべきである。

その昔では、NHKの朝ドラで見るように、「先生は絶対」であり、被害者の生徒は一種の「生け贄」のようなものに過ぎなかったからである。したがって、そういう「エロ先生」の中には、学校の女子生徒の中の自分好みの美人生徒はすべて自分のもののように思ってちょっかいだしても他の先生たちは見て見ぬ振りをするという時代だったわけである。


これと比べてかなり分かりにくいタイプの「モンスター・ティーチャー」がいるようである。このタイプは”壊し屋”あるいは”つぶし屋”と呼べるかも知れない。

何の”壊し屋”かと言えば、「生徒の身体を壊す」のである。要するに、生徒に年齢に見合った練習量以上の練習量を科してその生徒をスポーツ選手として”おしゃか”にしてしまうというようなタイプの教師がいるということである。

例えばサッカーの場合、一般に12歳から15歳までは、スペインの超一流のプロチームのFCバルセロナやアスレチコマドリッドなどでもだいたい1日置きに週3回2時間程度の練習と週末の練習試合程度とクラブのルールによって決まっているようである。だから、そ