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TTS 旅の思い出
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2008/06/21のBlog
[ 08:03 ] [ 日常 ]
組合で理事会制をとっているところの代表者の肩書きって、こうなるのね。代表取締役社長というのは慣れてるけど、他にも「応用」可能っていうのは案外気がつかないもの。
ひさしぶりに記念硬貨を引き換えてみた。
昔はつくば万博記念とか、青函トンネル開通記念とか、内閣制度百年記念とか、いろいろな記念硬貨を集めてたのに、いつの間にか興味がなくなった。実家の机の引き出しの中に今も入っているはずだ。
[ 06:51 ] [ 鉄道 ]
「この地下駅は 次代をめざし 鉄道100年の技術を結集して完成した」
東京駅の総武線地下駅(丸の内)に掲げられている銘である。
蒸気機関車C62の動輪が展示されている「動輪の広場」に、こんな銘板があるとは知らなかった。ここも、喫煙室が設けられてからは遠ざけていたからなぁ。
それにしても、なんと大仰な。1972年という時代の雰囲気なのか、それとも国鉄という組織の独特のものであったか。
2008/06/15のBlog
[ 23:30 ] [ 日常 ]
青葉にたまった雨露が、ぽたりぽたり落ちてくることを、青時雨という。
青葉時雨ともいう。
露時雨という言い方もある。

ちなみに青葉が繁る頃に降る雨は、青葉雨。
[ 01:17 ] [ 旅行(スナップ) ]
徳島と神戸を結ぶ高速バスは淡路島を経由する。
鳴門大橋も、明石海峡大橋もまだ通ったことがなく、淡路島にも未到だったので、せめて高速バスの車窓から淡路島の風景を眺めることにした。

鳴門海峡を渡る。
渦潮とまではいえないが、白波が立って渦巻いているを見ることができた。これはこれで満足だ。いつかまた渦潮観光に来ることもあるだろう。
それよりも、この部分の道路の取り付け方に圧倒された。岬が細く伸びていて、かろうじて県道が1本付いている。両方が断崖になっている。剣の刃先のようなところに片側2車線、合計4車線の高規格な道路を建設するスペースはなく、断崖の下に土台を作って、そこに柱を立てて、空中道路を作っている。こっちの方がよっぽどの迫力である。
淡路島に上陸して、ほどなく三原の平野に差し掛かる。普通に田園風景が広がっている。
本土と違うのは、淡路島名産のたまねぎ畑が目に付くことと、そのたまねぎを干すための小屋が建っていることだ。最近は収穫して倉庫に運んで干すらしいが、たまねぎ小屋が点在する風景はなんだか懐かしい感じがする。
淡路島内の高速道路は、右へ寄ったり左へ寄ったり、島の中を蛇行するようにして走る。それも丘陵地帯を選んで走っているので今どこを走っているのか見当をつけるのは難しい。

この写真はおそらく北淡町あたり風景。海へ向かって棚田が重なっている。
涼宮ハルヒの憂鬱というアニメのワンシーン。場所はすぐわかったのだが、肝心のアングルがどうだったかは覚えてなくて、結局同じアングルの写真は撮らず仕舞い。
撮りたかったのはこのアングル。
[ 00:35 ] [ 鉄道 ]
新幹線0系の展示を見に行ってきた。
と言っても大宮の鉄道博物館ではなく、行って来たのは神戸のカワサキ・ミュージアム(実は神戸の海事博物館に間借りした格好になっている)。
さすが日本を代表する重工業企業だけあって、戦闘機からゴミ処理プラントまでいろいろな展示が実物、模型含めてある。中でも、世界の"Kawasaki"になっているバイクの展示コーナーは一見の価値があるものなのだろうが、バイクはあまり興味はない。その代わり、心躍らせて対面したのが新幹線0系の先頭車の展示である。

やっぱり0系はいいな。
前照灯で射すくめられると、その場で立ちすくんでしまうくらいだ。
暗闇の中にぼおっと浮かび上がるのも、格好いい演出だ。でもラーメンに入っている煮卵みたいな色と外観になってしまうのは、ご愛嬌かなぁ。
運転席の中にも入ることができる。ここは子供が入れ替わりやってきては、記念撮影したりして、大の大人が堂々と占拠するにはなかなかタイミングが難しいのだが、それをやらないとわざわざ神戸までやってきた意味がなくなってしまう。

運転席に座って思ったのが、前方の視界が狭いと言うこと。
これがさらに時速200kmで走るとさらに狭くなって見えてしまうのではないだろうか。
そして、0系新幹線の運転席で見逃してはいけないのが、背面にあるATC装置。子供たちはただの壁には何の興味も示さないが、これこそが新幹線の高速運転の鍵を握る、いわば中枢部なのだ。
モジュール化されていて「受信部」「照合部」などと記されている。
ここまで見れたら、もう満足だ。
2008/06/14のBlog
[ 17:22 ] [ 道路・道路交通 ]
国道42号を御坊市を南下していくと、大きな川を渡った。日高川に架かる天田橋である。橋の姿がカンチレバーの形をしていたので、気になって渡り終えた南詰から写真を撮った。

橋のデータ
橋長304.2m
1955年(昭和30年)竣工
汽車会社製
[ 14:15 ] [ 旅行(スナップ) ]
国道42号の富田川に架かる橋に「郵便橋」という名称が付いている。その名のとおり、郵便夫が往来した県営の渡船があった場所に架けられた橋で、この地に近代文明がもたらされた当時の雰囲気をそのままに残している。それだけでも、紀伊半島の先端が文明開化を迎えたことの衝撃の大きさをうかがい知ることができる。

郵便橋物語(記念碑記載のもの)
明治四年(一八七一年)近代郵便制度が始まり翌五年には紀南の村々にも郵便取扱所(郵便局)が開設された。この時点は南北からの手紙が受け渡しされたところから郵便引継所と呼ばれた。 当時富田川の各所にはいくつかの渡しがあったが、この渡しだけが唯一郵便を乗せるため県営で行われていた。対岸に船が向かっているときでも行嚢(郵便袋)担いだ郵便持ちの姿が見えると船を引き返して乗せたといわれる。その後、渡し船は廃止されたものの流れる川の瀬に板橋を架け郵便物の逓送が続けられたこの頃から誰言うとなく「郵便小橋」と呼ぶようになった。また、大雨などで板橋が流される度に板橋が架けられた。明治二三年(一八九〇年)頃和歌山県は思い切って両岸に跨がる大橋(県下で二番目)を架け「郵便橋」と命名したのもその由来によるものである。
[ 11:38 ] [ 旅行記 ]
どこからどこまでが紀伊半島かわからないが、一応、西は大阪の天王寺、東は四日市以南の範囲で国盗りをしてみた。

新しく盗れた国は、阿倍野・生野、住吉・平野、金岡、鳳・泉が丘、岸和田、貝塚・佐野、紀三井寺・和佐、和歌山、海南・那賀、有田・御坊、田辺・白浜、新宮・勝浦、熊野、尾鷲、宇治山田、松坂、鳥羽・阿児、津、鈴鹿、四日市、三重、上野・名張、柳生、天理、平城、橿原・桜井、北葛・高田、五條・吉野、橋本・高野、六十谷、加太の31ヶ国。
三重は四日市IC付近、加太も八幡前駅付近で盗った。両方ともエリアがかなり狭い印象。
紀三井寺・和佐は和歌山駅付近でOR
これで紀伊半島には用はないと思ったが、宇陀を盗り残していた。

さらに、和歌山から徳島へ渡り、神戸に戻ってきた。
洲本、徳島、鳴門、垂水・西神、明石・加古川、須磨・長田、三宮・神戸、灘、芦屋、尼崎の10ヶ国を追加。
洲本、徳島、鳴門はいずれも南海フェリーの洋上から盗った。明石・加古川も明石海峡大橋上から盗れた。

全部で161国を統一。
[ 09:57 ] [ ラーメン ]
和歌山から思いつきで南海フェリーに乗って徳島へ渡ったものの、目当てもなく、とりあえず徳島ラーメンだけでも食べることにした。
それも店の見当が付いていたわけではなく、駅前の徳島CITYという商業ビルにでかでかと垂れ幕を出していた「いわた」というラーメン屋にとりあえず入ってみることにした。

ゲームセンターの一角にあって、ドリンク飲み放題とかもあるから高校生とかがだべり場としても使っているのではないかと思うが、雰囲気で言うとハズレかなと思った。
それでも、店の前のメニューを見てみると「ご飯のおかずとして食べて欲しい」などと、大喜みたいな能書きが書いてある。

メニューを開いて豪華にチャーシュー麺を頼んでみた。
能書きどおり、スープは濃い目の味でこってりとしている。色も焦げちゃ色だ。チャーシューもトロリとしている。なるほど、徳島ラーメンはこんな感じであったかと思う。
徳島ラーメンライスセット+チャーシュートッピングで900円
おいしい。☆☆☆
2008/06/01のBlog
漁港
漁港の片隅にフェリー待合用の小屋がある。小屋の中には郵便ポストが設置されている。収集は1日に1回。
漁港の西側の高台に今福小学校の飛島分校跡がある。
廃校の記念碑によると、沿革は次の通り。
明治30年8月 今福尋常小学校の飛島分校として開校
昭和30年4月15日 市制施行に伴い松浦市立今福小学校飛分校と改称
昭和31年4月1日 松浦市立飛島小学校として独立校となる
昭和44年2月17日 飛島炭鉱閉鉱
平成12年4月1日 松浦市立今福小学校飛島分校となる
平成17年3月31日 廃校となる

炭鉱が栄えた昭和30年代には独立校となるくらい生徒数がいたということだ。島の人口も2000人を超えたという。島の盛衰をそのまま反映して、平成17年にはとうとう閉校している。
今は子供がいない島になってしまったのだろうか。
[ 03:00 ] [ 旅行(スナップ) ]
炭住の跡
廃墟となっている炭住の中の様子を見てみた。竈が切ってあり、煉瓦が赤く焼けた跡がある。その上に板を渡してガスコンロが置いてある。
炭住のあたりでは強かった海からの風も、集落の方に戻ってきたらいくぶん弱くなった。偶然かもしれないが、古くからの集落は風除けになるところに発生し、後から付け加わった炭住は風の強いところに無理やり作ったのかもしれないなと思う。
[ 02:57 ] [ 旅行(スナップ) ]
山側にも廃墟がある。
ベルトコンベアでも懸垂していたのだろうか。コンクリートの柱が並んでいる。
ホッパーの跡も残っている。
[ 01:55 ] [ 旅行(スナップ) ]
飛島は伊万里湾に浮かぶ島で、玄界灘との間には鷹島が横たわっている。面積は0.5平方kmの小さな島で、人口は80人ほどである。
飛島といえば島そのものだから住所は要らないようなものだが、長崎県松浦市今福町飛島免というのが正式な住所になる。島全体で飛島免という字名になっている。地名に「免」を付けて集落単位とするのは平戸藩の慣わしで、壱岐などにも見られる。

飛島に行こうと思ったのは、単に今福から鷹島へ行くフェリーが途中立ち寄るからであった。船の便も程よく1時間ほどの滞在時間を確保して、次の便で鷹島へ渡ることができるダイヤが組めた。
はじめは対して興味もなかった飛島だが、調べてみると、この島にはかつて炭鉱がありその遺構が残されているという。特にボタ山は、島の地形にもはっきりと小さな半島を作っている。観光地とは呼べないが、幾分見るべきものがありそうな島である。

残念ながら飛島へ渡る日は雨になった。前の晩から夜通し降り続けて、朝になってもやむ気配がない。時折、雨足が強くなる。フェリーの中にいるときは気がつかなかったが、飛島に上陸してみると、島なので風もあり横殴りの雨になる。
目指すボタ山は集落から外れたところにあり、足元はぬかるみ状態である。そこをとぼとぼ歩いて行く。粘土質の泥が靴について、三歩歩くと泥で重くなってくる。そういうところを歩いて、ようやくボタ山が目に入ってきた。
ボタ山と並んで、海には出炭に使われたと思われる施設の遺構が見えてきた。天気が良ければ、往時に思いを馳せることのできる景色なのだが、海からの風に傘を煽られながら、写真を写すので必死だ。
海へ向かって伸びている出炭用設備の遺構。
2008/05/31のBlog
[ 15:41 ] [ 鉄道 ]
吉祥寺→西国分寺→武蔵野線→常磐線→水戸線→東北本線→川越線→八高線→青梅線→立川→西国分寺
実キロ305.9km、運賃計算キロ308km、経路通りに運賃を計算すると5250円のところ、特例で210円で大回り。

新しく盗れた国は、小平・東村山、西東京、所沢、蕨・朝霞、浦和、鳩ヶ谷・安行、越谷、草加・春日部、野田・流山、松戸、柏、我孫子、取手、龍ヶ崎・牛久、土浦、鹿嶋、筑西、古河・結城、小山、久喜、川越、坂戸・飯能、青梅、あきるの・福生の24ヶ国。計71国。
水戸線は国盗りとしてはメリットがなかった。