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2008/09/21のBlog
[ 11:44 ]
[ 道路・道路交通 ]
集落の中の、用水を跨いでいる橋の親柱に、「昭和六年十月竣功」の銘がはめ込まれていた。
今は車は集落外れの国道を走るが、「至久慈町三粁・四」という記載が往時の街道ルートだった頃を忍ばせてくれる。
反対側の親柱は破壊されてしまっていて文字が読めなかったのが残念。橋の名前はわからないが、集落名から生出町の橋としておく。
今は車は集落外れの国道を走るが、「至久慈町三粁・四」という記載が往時の街道ルートだった頃を忍ばせてくれる。
反対側の親柱は破壊されてしまっていて文字が読めなかったのが残念。橋の名前はわからないが、集落名から生出町の橋としておく。
[ 00:38 ]
[ 旅行(スナップ) ]
東北の信仰には独自のものがあるというのはわかっていても、この生出町観音には驚かされた。
場所がわからず集落の中の小道をうろうろしていたら、ちょうどお参りに行くという老夫婦と一緒になって、連れて行ってもらった。彼らは観音堂に着くとまずお手水を取った。それも、井戸から柄の長いひしゃくですくって、水を取るのである。お手水というか、閼伽井とも言うべきか。
そのあとおもむろに観音堂に行くと、拍手を打ち始めた。2拍。どう見ても神社にお参りする作法である。中央の観音様にお参りが終わると、両端の仁王様に対しても同様にお参りするのである。
神仏習合の風習が色濃く残されている-それもごく日常の習慣として-のを目の当たりにして、これは印象的だった。
場所がわからず集落の中の小道をうろうろしていたら、ちょうどお参りに行くという老夫婦と一緒になって、連れて行ってもらった。彼らは観音堂に着くとまずお手水を取った。それも、井戸から柄の長いひしゃくですくって、水を取るのである。お手水というか、閼伽井とも言うべきか。
そのあとおもむろに観音堂に行くと、拍手を打ち始めた。2拍。どう見ても神社にお参りする作法である。中央の観音様にお参りが終わると、両端の仁王様に対しても同様にお参りするのである。
神仏習合の風習が色濃く残されている-それもごく日常の習慣として-のを目の当たりにして、これは印象的だった。
両脇の仁王の造形も独特のものだ。
しかも赤のペンキで塗られた派手派手しいものだが、ペンキの塗り替えが「奉納」とされていることは、また発見だった。おそらくこうした赤に塗られたものが本来の姿であって、それが褪せて、黒ずんでいくのは、老化であり、退化であり、見過ごすことができないのであろう。
仏様といえば黒ずんだものに歴史を感じる感覚とは異なる。むしろ、韓国やタイなどの金ぴかな仏に通じるものがあるように思える。
しかも赤のペンキで塗られた派手派手しいものだが、ペンキの塗り替えが「奉納」とされていることは、また発見だった。おそらくこうした赤に塗られたものが本来の姿であって、それが褪せて、黒ずんでいくのは、老化であり、退化であり、見過ごすことができないのであろう。
仏様といえば黒ずんだものに歴史を感じる感覚とは異なる。むしろ、韓国やタイなどの金ぴかな仏に通じるものがあるように思える。
[ 00:23 ]
[ 旅行(スナップ) ]
2008/09/20のBlog
[ 13:53 ]
[ 建物 ]
2008/08/30のBlog
[ 21:01 ]
[ 遺跡・史跡 ]
[ 20:34 ]
[ 遺跡・史跡 ]
丘陵の山頂部を囲むように三重の環濠がめぐらされている、弥生時代出雲の特異的な遺跡。市立病院の移転にあわせて発掘が行なわれ、熱心な保存活動の末に史跡として保存されることになった。とはいえ、市立病院と松江自動車道とに挟まれて、窮屈そうである。
写真丘陵部の芝生に覆われている箇所が、遺跡である。背後に松江市立病院の8階建ての病棟が頭を出している。手前の道路は松江自動車道。
写真丘陵部の芝生に覆われている箇所が、遺跡である。背後に松江市立病院の8階建ての病棟が頭を出している。手前の道路は松江自動車道。
遺跡に登ってみると、さすがに三重の環濠は迫力がある。環濠が守っている山頂部からは九本柱の遺構が見つかっていて、逆に住居跡は環濠の外側から発掘されている。普通の環濠集落とは違って、祭祀施設を守るものだったと考えられている。
[ 20:16 ]
[ 農業土木・農耕技術 ]
[ 20:12 ]
[ 道路元標 ]
[ 20:10 ]
[ 道路元標 ]
[ 11:36 ]
[ マイクロ回線 ]
[ 11:10 ]
[ マイクロ回線 ]
[ 09:07 ]
[ 道路元標 ]
[ 07:58 ]
[ 道路元標 ]
2008/08/24のBlog
[ 23:57 ]
[ 旅行(スナップ) ]
[ 23:10 ]
[ 旅行(スナップ) ]
2008/08/17のBlog
[ 22:12 ]
[ マイクロ回線 ]