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2006/09/14のBlog
今日は疲れているので、
かって気に入っていたジョークを披露。

ソ連のソユーズ宇宙船にポーランド人宇宙飛行士が搭乗したのをみた
普通のポーランド人たちは叫んだ。
「畜生!俺たちは地球を離れることは出来ても、
ソビエトから離れることは出来ないのか!」


一夜ごと秋冷増す帰り道

2006/09/13のBlog
夏休みも終わりに近づいたある日。悪友二人を
「おい。クリステルのハダカを見に行こうぜ。」
と誘い、新宿の二番館へ。
クリステル姉さんが少年の童貞を奪う話で。
封切り時にスポーツ新聞で話題になった。

チャチなミステリーなどからませないほうが良かった。
肝心のハダカも吹き替えは明らかで
エンディング・ロールでも明記してあった。
「つまらなかったねー。」とお互いに
顔を見合わせる。
こんな作品でもDVDが出ています。

たいして、期待をせずにみた
「ブルース・ブラザーズ」
はい。場内は大熱狂。
この映画については、
マスターごときより
「語り始めたらキリがない。」人は
いまでも大勢いるでしょう。
「いやー。拾い物だねー」
とお互いニッコリ。


興奮の余韻を残したまま
観客たちの多くは靖国通りを新宿駅方面に
歩き始める。
友人の一人が「後ろを歩いているのは中村晃子じゃ
ないか。
」とささやく。
ちらりと振り返ると、サングラスこそかけているが
明らかに彼女である。
一緒に手を絡ませている男性は、
女性週刊誌の吊り広告で「中村晃子と熱愛!」
として顔が知られている服部靖治氏である。

有名人でも話題作を、封切りで見逃すと
お忍び(すぐにわかったが)で名画座にでかけるのか
と妙な感心をした。

その後の二人の人生を想起すると感慨無量です。

お互いに見つめあう瞳夜長し

(1981年9月14日 テアトル新宿?)
2006/09/12のBlog
昨日の再現ドラマ。
世の中には、いざとなると自分の命を投げ捨て、
赤の他人の命を救おうとする人々がいかに多いかを
改めて確認いたしました。

残念ながら、セミドキュメントととしての出来は、
今回も映像が使用された、偶然消防隊の日常を
ルポしていたフランスのテレビ局の映像を使用していた
テロ一周年に放映された映像には及びませんでした。

作り物と「事実」との違いを感じざるをえません。
4年前の番組でも、「再現部分」はいかにもチャチに見えたことを
覚えています。

もう時効になるでしょうが、20年近く前マスターは
お見合いをしました。
お相手の方は、大学卒業後、外資系の会社でバリバリと
働いているということでした。

キップのよさに惹かれて、何度かお会いしました。
しかし、マスターが
「世の中には自分の命を捨ててまで、人を助ける人がいる。」
というと彼女は、血相を変えて。
「私はそんなことはしないし、そういう人の存在も認めない。
そういう話はみなデタラメだ。」
と言い切りました。

自分は「しない」のはかまわないと思います。
でも、「そういう行為」を行う人の存在そのものを、
いくらマスターが例示をしても、かたくなに否定し続ける
彼女の発想に、マスターは背筋の寒さを覚え、
「お見合い」のおきて破りですが、
仲人さんにマスターの方から「お断り」の依頼を出しました。

もし彼女が昨日の番組を見てたらどう思ったでしょうか。
イメージははや十数年前、
マスターの友人がニューヨークに出かけたとき
マスターに送ってきた絵葉書です。
今となっては、貴重なものとなってしまいました。

生きる人去る人それぞれに露しぐれ
2006/09/11のBlog
[ 23:47 ] [ 社会批評 ]
前記事で述べたように言葉とは、命懸けです。
言う機会を少しでも逸すれば、武士は白隠の脳天を
刀で叩き切っていたでしょう。

そのわずかなチャンスを逃さないのが
修行というものです。

最近、日曜朝に「カーツ!」と叫んでばかりいる
老人がいます。

あの、「カーツ」とは、マスターには「トンカツ」と
しか聞こえません。

いかにも、和装に身を固め強面の雰囲気を出しても
本物の「喝」とは程遠い。

学生時代、あの老人が現役監督のときに講演を聴きました。
そのときは和装も「喝!」もしゃべらず、当たり前の
先輩として、穏やかな口調で話をしてくれたものです。

そんな人に「和装」「喝」を吹き込んだ、または
「売れる」と思わせた手合いにマスターは怒りを覚えます。
イメージはその「喝人」です。

「カツ」といえばやはりマスターは
学生時代によく食べに出かけた
大井町の「丸八とんかつ店」を思い出します。
今でも一年に最低一度は出かけています。
おいしいです。
一階はカウンター(一部椅子・机席)
二階は座敷です。
学生時代は一番安いカツ定食ばかり頼んでいました。
今では、「出世払い」のつもりで(ぜんぜん出世していないが)
「ロースカツ定食」を頼んでいます。あとビールも。
比較的近くにお住まいという
文芸評論家の福田和也氏も
贔屓にしているそうです。

カラシはとても辛いです。


秋刀魚焼く漆黒の夜を友として
2006/09/10のBlog
過去記事で触れていますが、

結果は残念なこととなりました。
現場の状況から、被害者に気づかれないように後ろから絞殺し、
さらに週刊誌報道によれば死後「暴行」を加えたようです。

何が彼をそのような行動に走らせたのかを、彼自身の供述、裁判で
明らかにすべきでしたが、犯行直後の自殺ということで本当に残念です。

こういう事件がおきるたびに、マスターは江戸時代中期の
禅僧、白隠のある逸話を思い出します。

白隠がある武士と対話していたとき、
武士が「地獄とはあるのか。」と白隠に問いました。
白隠は「ある。」と答えると、武士は
「お前ら坊主はないものを『ある』といって人をだましている。
けしからん。成敗してやる!」と叫ぶや、
抜刀し白隠の頭めがけて刀を振り下ろしました。
その瞬間、白隠は
「それが地獄だ!」と一喝、
武士はあわてて刀を戻し、白隠に詫びを入れました。

「切捨て御免」が武士に認められていたのはあくまで
建前のことで、実際にそれを行使した武士は
「武士として心がけ悪し。」などの理由で、
良くて蟄居閉門、悪ければ切腹が実情でした。
このケースならば無抵抗な僧侶を殺したので、
武士本人はもとより、当時は連座制でもあり
家族も切腹・斬首となったかも知れません。

まさに「地獄」が待っていたのです。

「死んで責任をとる。決着をつける。」と考えるならば
なぜ、そのような「地獄」となることに
事前に思いいたらなかったのか、
このような事件がおきるたびマスターは思います。
(イメージは白隠の自画像です)

生き死にを越え行き鳴きぬちちろ虫
2006/09/09のBlog
数日前、帰宅すると商工中金より配達記録郵便が届いていました。
開封すると、中から新しいICカードが出てきました。
マスターは友人が商工中金に勤務しているため、古くから
口座を開いています。
第一勧銀でのキャッシュカード置き引き・不正引き出し
被害の時も、商工中金に口座の預金があったため、当面の現金の工面の
必要がなく助かったのである。

キャッシュカードのIC化によって、暗証番号の読み取りは非常に困難になる。
マスターの場合、盗難後4時間で全額+借入可能額まで引き出されたが、
盗難後わずか数分で引き出された例もあるので、今後はこのような
ずさんなケースは少なくなると思われる。

他行もカードのIC化は進めているが、マスターの知る限り、新規口座開設時
や、わざわざ店舗減少で込み合っている窓口に申請に出かけたり、
手数料を支払ったりしないといけない。

銀行の悪口はもう書きたくないが、何でも手数料を客からむしりとる殿様商売
にはただあきれるばかりである。それでカネを引き抜かれてもあの対応で
ある。あきれてものも言えない。

さて。イメージを御覧いただきたい。
上が口座開設時からのキャッシュカードである。
下がICカードである。

商工中金ではICカードを全預金者に送付。
旧カードは預金者自身に処分してもらう。
また本年10月25日以降は旧カードは
使用できなくなる。

この作業により、休眠口座・偽装、マネーロンダリングの
疑いがある口座の確定ができる。
金融機関側にも実はセキュリティー上
メリットのある話である。
無料交換でも「おつり」のでる話ではないか。

また、新カードはクレジットカード同様5年の使用期限を設定している。
カード切り替えにあわせてか、ATMの一日あたり引き出し・入金限度額も
邦銀にしては低めに設定され、希望すれば、さらに低額に設定変更も
ATMでできるようになる。


商工中金は数年後に控えた「民営化」に備えて、着々と布石を打っている様である。
また同行の場合、その設立目的から顧客は「預金者保護法」でも保護されない
中小企業の「法人口座」が多いものと推測され、預金を全額引き出されたら
即経営破たんに陥る「顧客」も多いことからの対応とも言えよう。

「民営」の各行はどう対応すべきか答えはおのずから明らかであろう。
でも「客が幼くて、すぐに横並びサービスを要求する。」と言い放つ、
客を客として扱わない行員がいまだ実在するようでは、あまり
期待しないほうが良いかもしれない。

商工中金の該当サイト
2006/09/08のBlog
[ 08:58 ] [ 2000円使用 ]
前記事で、紙幣の肖像画に触れていました。
マスターとしては、肖像画が「政治家・建国の英雄」から
「文化人」、肖像画無しへの流れは避けられないと考えています。

まず、取り上げられる人物からみてみましょう。
かっては、どこの国でも、国家元首・歴史上の著名政治家が
用いられていました。
しかし、これらの人々への評価は国内でも時代によって変遷が激しく、
またある国では「建国の英雄」でも、他国からは「侵略・反乱の張本人」
という場合が起こります。
かっての千円札の「伊藤博文」などはその典型です。

紙幣への文化人登用は、やはり隣国同士
血で血を洗う戦争を繰り返してきた欧州が
始まりのようです。
ユーロ登場直前には、ほとんどの国が
文化人になりました。
イギリス・フランスの紙幣ですと日本でも
知名度の高い文化人たちが起用されています。
ドイツも、グリム兄弟はじめ同様です。
イメージではクララ・シューマンを出しました。
外国紙幣の肖像画についてはこちらのサイト
詳しいのでリンクさせていただきます。

さて、アジアではどうでしょうか、日本・韓国以外では
いまだ、元首・「初代皇帝」・「初代国王」が幅をきかせています。
とくに「初代皇帝」・「初代国王」にいたっては
彼らの命令で起こされた戦争・紛争・内乱・粛清の
犠牲者と遺族に思いをはせると、暗澹たる思いがします。
一外国人のマスターでもそう思いますので、
該当国の「犠牲者と遺族」の中には
「自国紙幣を見るのもイヤ。」という人々は
必ず存在するでしょう。
しかも、これらの国々ではその嘆きを
公にすることは、いまだ憚れます。

「初代皇帝国」では少数民族も起用していますが
この国の少数民族対策を思うとき、
少数民族の「尊重」より「同化・とりこみ」策ではないか
と下種の勘ぐりをしたくなります。
ユーロ紙幣は、ウィキ君を御覧ください
建築物も、実在しない建築物にする徹底振りです。
そこまでしないと、複数国の同意が得られないと思ったのでしょう。

紙幣に有名政治家の肖像が使用されたのは、
大概年配者であり、顔にしわが多く、髭を蓄えている人もおり
偽造には高度な印刷技術が必要という
実務的な要望がありました。

しかし、これも特殊インクやホログラムの発明・採用に伴い
以前より必要性は薄れました。
先の「クララ・シューマン」といいフランの「サン=テグジュベリ」といい
女性や比較的若い人の肖像が採用されたのもこの流れからでしょう。

あのマスターでも「のっぺらぼう」の印象を持つユーロ紙幣
もこれらの最新技術は勿論採用されています。


日本の場合、江戸時代の藩札に至っては文字ばかりですから
肖像画がなくなるのは寂しいですが、まあ昔に戻った
と納得するしかないでしょう。(イメージは藩札)

夜業ありブログ更新遅れけり
2006/09/07のBlog
この記事は該当誌を入手しましたので書き換えます。

タイトルの件、
「2000円札」検索をしていたところ、ある人のブログで発見しました。

二重引用で、著作権にも引っかかるかも知れませんが
浅田氏は、JAL機内誌「SKYWARD」2006年9月号
つばさよつばさ(リレーエッセイ?)で
「消えた二千円札」という題で、
二千円札が流通しない理由を、
①「発行手数料がかからない」との噂からタンス預金になっている、
②肖像画がないから有難味に欠ける、
③勘定しにくいので銀行員が流通させない
の3つを指摘しているそうです。

さらに
「ATMから二千円札が出てくるためしはめったになく、
両替機にも二千円札が入っていないものは多い」


とかいているようです。

追記
いま、郵便で該当誌が届きました。
よく読むと、良くある「弐千円札クダンネー。」ではありませんでした。
マスターの早とちりです。お詫びします。

引用者は浅田氏のエッセイの冒頭、
「2単位通貨は欧米で普及しており、日本で登場すれば当然
便利さをしっている人を中心に大いに普及すると思ったが、
実際は普及どころか嫌われてしまった。」という文章を
なぜか引用していません。

明らかに引用者は誤読または、悪意をもった「弐千円札観」を
持っています。


浅田氏はさらに「銀行は故意に流通を排除している。」という説を
披露しており、(その文脈でATMの不便さに触れた)
江戸時代の貨幣制度の複雑さに触れ、それでも
「約二百七十年の間、平和な社会を保ってきた
先人の叡智と努力に思いをいたせば、二千円札の行方に首をかしげる
われわれも、ましては両替商の末裔たる銀行も、いやはや
いくじがないものである。」


と、二千円札愛好者なら誰でも感じる銀行の不熱心さ
を指摘してエッセイを結んでいます。

肖像の件は浅田氏といえどもご不満のようで、
同じく肖像画のない「ユーロ紙幣のあの空疎感」を
引き合いにだしています。
しかし、エッセイ全体としては、
「かわいそうで誤解されている二千円札。」への
「銀行の怠慢ぶり」を柔らかなタッチで批判しています。

自分勝手な色眼鏡での「引用」は怖いですね。
マスターも襟を正します。


悪意無理解人を惑わす秋暑し