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2008/08/14のBlog
近くの居酒屋に出かけると
「森田健作さんを囲む会」の案内が
張ってあった。
早速参加申し込みをする。

当日定時少し過ぎに現れた森田さん。
実際に拝見するのは初めてである。

乾杯の挨拶もそこそこに早速一席。

「『I am 日本人』を是非見てください!」
「千葉にはディズニーランドをはじめとして
素晴らしい場所があります。農業も日本有数。
それなのに千葉の人たちは自らの魅力をしりません。!」
「千葉の皆さんは暮らしにそこそこ満足しているのが問題です。
現状を打破しましょう!」
「私は千葉に骨を埋めます。」

「さあ!僕も走るから、みんなも走ってくれ!」

の決まり文句を地で喋る森田さんに拍手が起こります。
普通の役者さんは当たり役のイメージがつかないように
必死になりますが、森田さんは逆手にとって
自らの思考まで「青春の巨匠」と化した稀有の人です。


ファンの人たちに
気さくに笑顔で応じる森田さん。
記念撮影にも
快く応じる姿は
将に「青春の巨匠」。

マスターの近くに森田さんが廻ってきた。

「森田さん。『Iam日本人』DVDで見ました。」
「おお。ありがとう!」
「すいません。サインお願いします。」
「オッケー!」

と、偶々持っていた本の裏表紙に
サインをしていただいた。
最後はファンのリクエストに
答える形でカラオケで
さらば涙と言おう」を熱唱。

いつまでも若々しく、
「青春スター」を演じ続ける
森田さんに感動しました。
2008/08/13のBlog
最終日、朝食の後バス停へ向かう。
すぐに後から民宿の主人夫婦のクルマが
近づき水上温泉まで送ってもらう。

実はこの界隈は、マスターは学生の頃
大学の山小屋があり、管理を所属部に
任されていたので、休暇時は一週間単位で
過ごしたものだ。
今でも行われている「藤原祭り」の相撲で負けたこと。
夜は「のど自慢大会」に参加したこと。
冬場は出来たばかりの宝台樹スキー場でバイトをしたこと。
(忙しいのは週末だけで、あとはタダで滑っていた。)
ご主人と思い出と現況の話の花が咲く。

昨日訪ねた「道の駅」で降ろしてもらう。
駐車場の片隅に水上~長岡間を走っていた電気機関車が
展示されている。プレートは一部分盗まれ、窓ガラスも破れており
保存状態は悪い。みなかみ市は反省していただきたい。

再び利根川に降り、ラフティングを見る。
29年前初めてこの地に来たときも
同様にラフティングが行われていた。
当時はまだスポーツとして認知されたばかりで
コースもあまり整備されておらず、
転覆して流される者を必死に追いかける
シーンを見たものだ。
現在はノウハウが蓄積されたと見え、
安心してみていられる。
イメージを拡大してもわからないだろうが、
橋上からはバンジージャンプが行われている。
こればかりはマスターも願い下げである。
一人で墜落するのでは万一の場合
助からないのは明らかである。
ボートはバンジージャンパーに気をつけながら
下流へ下って行く。
渓谷から国道に出るとすぐに
トリックア-ト美術館」がある。
外観は洋館だが、実はこれも
ペンキ絵。窓はありません。



内部のナポレオンの戴冠式の
模作も見事なトリック。
お暇があればお楽しみください。

駅前喫茶店で何も具がないカレーを食べ
普通電車を乗り継いでのんびりと帰京。
学生時代も水上の行き帰りは
普通電車を利用していたのを思い出した。


2008/08/12のBlog
マスター夫妻の乗ったバスは
藤原ダムの脇を過ぎ、奈良俣ダムを望み、
終点「湯の小屋」に到着。約一時間の旅。
かっての「湯の小屋」の象徴、貯木場は
山林保護と林業衰退で失われて久しい。
今は只の広場となっている。

バス停を降りた後、5分ほど歩き
民宿「輝葉荘」に荷を解く。

宿泊客は4組のみ。静かに時は流れていく。
翌日は館主に道を教えてもらい、
奈良俣ダムを見学。
ロックフィルダムの雄大さを堪能。
イメージは堰堤から下流への排水溝を望む。

他にも湖畔には売店・資料館があり、
結構楽しめる。
堰堤にはフェンスなどはないので
転落事故が心配である。
堰堤を渡り切ったところから
下流に降る階段遊歩道が設置されている
マスター夫妻は降りていったが、
結構登る人も多かった。
大変なアルバイトでご同情申し上げる。
堰堤基部は昨日通ったバス道。
そのまま歩いて湯の小屋に戻り、
照葉荘斜め向かいの蕎麦屋で昼食。
照葉峡へ歩いて向かう。

川沿いの車道を歩くこと一時間半。
眼下に様々な滝が現れる。
それぞれの滝のそばには滝の名前を
書いた掲示板と碑がある。
イメージは「翡翠の滝」

渓谷の中央部分だろうか
「ブナ太郎」と呼ばれる大木まで
たどり着いた所でタイムアップ。
夕食に間に合うように帰路につく。

この日は前日より宿泊客が倍増していた。
やはり旧盆休みに入ったためだろうか。

車道とはいえ久しぶりに8時間の歩行を楽しむ。
出発前に日焼け止めクリームを腕や首など
露出部に塗っていて助かった。
2008/08/11のBlog
[ 11:47 ] [ 旅行 ]
さて、駅を出ると案内の馬車が待っている。
連れ合いが乗りたいというので、
乗ろうとするがその前に食事をする。
食事を終えて出てみると、
すでに馬車の姿は見えなかった。
周遊コースは決まっており、
御者も携帯を持っているので
後ほど電話を掛けたが「蹄鉄の調子が悪いので
今日は厩舎に帰ります。」という声が、馬ののんびりした
パカポコ音とともに聞こえてきた。
駅から暑い日差しの中、
いつも眠ったような温泉街へ向かう。
パンフに「みなかみ町
山岳資料館
」とあったので、入場。
入場料は無料だが中も無人である。
主に谷川岳登山の歴史が説明されており
山登りに興味のある人にはよいだろう。
一隅にマスター所有と同じくらい
キタナイザック
が飾ってある。
「地元岳人が景気付けののため寄付したのか」と思いきや、
なんと今は亡き名クライマー長谷川恒男氏の愛用ザックと判明。
思わず一礼する。



階段を下りようとすると
戦後間もない頃の積雪期登山者の
服装をしたマネキンが見送ってくれる。
合成繊維の普及していない時代、
毛糸だけが頼りの防寒・防雪装備は
重くてさぞかし心ともなかったろう。
ヤマの先人たちの勇気と努力に
改めて脱帽する
すぐそばの「ふれあい交流館」を覗くと
先ほどの汽車で隣のボックスに座っていた
女子大生と思しき4人組が、
無料の足湯に浸かっている。
「折角水上まで来たのだから、
天神平までロープウェイで往復するとか、
せめて日帰り温泉でも入ればよいのに。」
と、マスターが呟くと、すかさず連れ合いが
「25年前の貴方の頃と、今の若い人では
事情が違う。皆カネに苦労している。」と
たしなめられる。

写真は「道の駅」まで歩いた後、
併設されている淡水魚水族館を泳いでいたチョウザメ。
パドリングの体験会の様子を
見物したりして、駅に戻ると
本日、明日の宿泊先「湯の小屋」へ
向かうバスが待っていた。
これから一時間のバス旅行である。
2008/08/10のBlog
高崎駅をSLはゆっくりと発車する。
勿論あの懐かしいドラフト音も、
忌まわしい黒煙も一緒だ。
まだトンネル区間に入っていないのに
車内には煙の臭いがうっすらと立ち込めている。
子供時代の列車旅行のときの「煙害」を思い出した。

車内では乗務員がイベントを始めていた。
番号札を引きその番号と一致した席番号の客に記念品をプレゼントする。
一両あたり三品しか割り当てられてないようで、すぐにプレゼントは終了。
途中吾妻線との分岐点、
渋川駅では30分近く停車。
後続の列車の追い抜き待ちのためだが
その時間も子供たちに制服の撮影会や
イイ大人の「テツ」向けに機関室の見学、
帽子をかぶせて「似非機関士撮影会」と
あっという間に時間は過ぎてゆく。

普段の電車よりゆっくりとしたペースで、渋川からの勾配を汽車は登っていく。
余談だが、この界隈に出かけるときは上越線利用を勧める。
新幹線、高速道は勿論、一般道でも、
勾配の感覚、山岳地帯へ向かう高揚感は味わえないのである。
やがて水上駅に汽車は喘ぎながら到着。
ホームでは地元(?)ミュージシャンが
今では珍しいスチールギターを奏でて
旅客を歓迎。
地元旅館の女将さんたちだろうか
横断幕で出迎えてくれた。
駅舎は前面こそ手を加えているが
駅前土産物屋街同様、
マスターが初めて足を踏み入れた
29年前と変わらない部分が多い。

ただし「駅弁」と、駅前の外れにあって、
岳人に人気のあった鍋焼きうどん屋が
なくなったのは残念である。

社員旅行も廃れ、スキー客も減り、観光産業は大変だろうが、
これからは本当の意味での「安上がりでゆったりと過ごす」リゾート型。
「変わらない懐かしさ」を売りにした方向で
観光を進めてほしいものである。

懐かしき汽笛が響く山の駅
2008/08/09のBlog
やがてドラフト音と汽笛を響かせながら、
蒸気機関車が後退しながら近づいてきた。
白煙を煙突から出している。
短距離ながら長距離貨物用として設計された
D51である。意外にも石炭が満載されている。
ホーム上のお客さん達はお祭り騒ぎだが
機関士は連結直前まで真剣な表情を
崩さなかった。この旧式のメンテナンスが
大変な機械を扱う者として当然だろう。
「ユニバーサルデザイン」なんて言葉が
想像もつかない時代の設計である。
見物客歓声の内に連結完了。
柴田式自動連結器の改良型だろうか。
運転席横の車番プレート。
一度引退後、静態保存されていたのを
再び稼動させたそうである。
一度使用されなくなった機械を
実働レベルまでリストアするのは
大変な苦労があったものと推察される。
機関車正面には
電気機関車にはつけられていなかった。
化粧プレートがつけられている。

さあ、出発進行だ。

黒き機械(たま)夏日を受けて走りだす
2008/08/08のBlog
8月10日午前8時。
マスター夫婦は奥利根へ旅立った。
乗車したのはタイトルの
「EL&SL奥利根号」。
上野駅で撮影した電気機関車は
マスター上京の頃、貨物列車を引いていたものだ。
ネットで調べると東日本で唯一の現役車種だそうだ。
これが高崎まで客車(勿論エアコン付)を牽引する。
車体横には
形式ナンバーと製造ナンバー。
製造工場のプレートが張られています。
客車はさすがに現代版です。
全鋼鉄製でエアコン付。
勿論扉は自動開閉。
これならSLの煙も防げるでしょう。
車内の様子です。
乗客は、家族連れ夫婦連れが多く
鉄道ファンや若者のグループ旅行は
意外と少ないです。
空席があるように見えますが、
途中で乗車してくるそうです。

マスター夫婦は出発と共に
手作りの弁当を食べます。
周囲も似たような物。
記念弁当が車内販売で来ますが
あまり売れ行きはよくありません。
昨今の経済事情を反映しているのか。
「快速」とは言いながら
普通電車よりゆったりとしたペースで
高崎駅に到着。
電気機関車が切り離されます。
代わりに、いよいよ蒸気機関車が
連結されます。

SLの汽笛夏空に響きける

(続く)
2008/08/07のBlog
「青春の巨匠」森田健作氏が
製作・出演しています。
内容は危ういところで
ナショナリズムのプロパカンダ映画

オノマユ・ノリピーといったサンミュージックの
綺麗どころを出演させ、キャンパス風景も多く、
若々しい華やかな画面が多いが
内容がその「カルサ」にシンクロしていない。

森田氏はがっかりするだろうが、
想い入れが強ければ、観客は飽きてしまう。

カメラワークも凡庸であり、
全体的にリラックスさが欲しかった。

もっと、コミカルさを前面に出せば
人気作となる可能性があったのに残念である。

聖火飛ぶ冷麦の手を休めたり
2008/08/06のBlog
いつの世でも就職活動は、もちろん大変だが、
それでもマスターの頃は10月1日が「解禁日」であった。
念のためにいうが「大学4年」のである。「3年」ではない。
就職先が年内ギリギリまで決まらない学生もかなりいた。
ここ数年は大学3年のうちに就職が決まるそうだが、
コレを学生も企業もおかしいとは思わないのが不思議である。

一年以上前に就職が決まるのに、だれも「青田買い」という言葉を
使用しないことに恐怖を感じる。

企業だって20代の若者の気持ちを一年も繋ぎ止めるのは
たいへんなことだ。
「内定辞退」をして他社の「お世話」になる学生も多いと聞く。
「青田刈り」をなんとも思わない企業も問題だし、
「オンシャにお世話になります。」といいながら
複数又を掛けて「選択の自由」をうそぶく学生も問題だ。

これでは、談合や偽装で世間を騒がせた企業のウェブサイトを見ると
「なんとか憲章」とか「コンプライアンス遵守」なんて
すまし顔で書いてあることはなくならないだろう。

なぜなら入社の段階で「世間の都合・オトナの論理」を
振りかざす手合いが「正社員」として働くわけだから、
「正論」は本音ではバカにしているからである。

いっそのことタイトルのような企業が現れれば、
黙っていてもマスコミは取り上げるし、うっかりしたこともできない。
まずは「偽装」「談合・カルテル」で世間の糾弾を浴びた企業から
「みそぎ」としてはじめたらどうだろう。

4月1日でも早すぎるが、最近大学側が企業側に
「せめてそこまで待って欲しい。」と申し入れたそうだ。
それに従ったまでである。

真夜中にセミが鳴きだすネオン街