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2008/08/21のBlog
[ 22:00 ] [ 猫 ]
ちょっと一休み。
明日から意外な思い出話を。

いつも本屋さんのブックスタンド下で
寝ている老猫が、今日は歩いています。
人なれしているので、カメラを向けると
「ニャー」と言いながらポーズを取ってくれました。


とあるお屋敷の向こう側
庭の中に猫さんが一匹
こちらを見ています。
実はこのお宅はノラ猫さんが
庭に入らないように金網を設けたのです。
でもこの程度の網の粗さでは、
猫さんは簡単にすり抜けます。
皮肉にも、外にいるより安全地帯となっています。
あとはエサやりさんの給餌時刻を待つだけ。

雷光の走るや野良の居場所なし
2008/08/20のBlog
[ 21:07 ] [ 社会批評 ]
オリンピックは都市主催なのだが
これを律儀に守っていた回は勿論ない。

しかし、今回ほど「国威発揚」が表に
でたオリンピックは戦後では一番だろう。

確か1984年のロス五輪以来続いている
開会式の大アトラクションは今回で止めて欲しい。
以前の、開会宣言の後、選手団行進がすぐに始まる
方式で一向に構わないのでは。

国威発揚にうんざりしていた二週間の最後に
このおどけた二階建てバスが出てきてホッとした人は
世界中で億単位はいるのでは。
ベッカム様の投球はアドリブだと思う。
球が落ちた地点にいた中国人マスゲーム参加者の
戸惑った顔を忘れることは出来ない。

「予定調和」への洒落た抗議である。

もっとも、中国人をアヘン中毒にして
自らの富を築いた国・都市が
次回開催地とはなんという皮肉。


気になるのは、ある中国人の言葉
「これでアメリカに対抗できる。」

過去少なくとも二回それをいって
コテンパンにやられた国の住民としては
「それ以上言うのは止めろ!」としか
忠告できません。

宴終え静かに聞き入る虫の声
2008/08/19のBlog
今頃オリンピックとは・・・・。
マスターの呑気さにお付き合いください。

さて、入場行進のとき意外と目を引くのは
中小国の民族衣装での行進である。
アフリカ・大洋の島々は無論のこと
欧州でも民族衣装派がいる。

入場行進のときの
西洋からの借り物衣装はそろそろ止めて、
時節も夏なのだから
男女共に浴衣姿で団扇を持って行進したらどうだろう。

次回のロンドンから早速実行に移すとよい。
柄も個人の自由に任せれば「日本人=同一行動」
という認識も改める人も出てくるだろう。
旗手は袴を穿いて「たすき掛け」。
当然外国の人たちは「たすき」の説明を求めるだろう。

ヨーロッパなので「日本文化の押し付け」といった
批判もないだろう。
有名デザイナーに垢抜けしない制服を作らせるより
よほど結構ずくめである。是非やっていただきたい。
JOCに投書しようかな。

浴衣着て世界の技を応援す
2008/08/18のBlog
[ 21:00 ] [ 眷族 ]
「クロです。ニャーさんとガオーさんに
心配をかけたお詫びを言いたいです。」
「弟よ。たまには顔をだしてくれ。
クロ君も元気だ。
俺も鴨居から降ろされて一安心だ。」


というメールが連れ合いに仙台から
送られてきた。
早速連れ合いは
ニャーとガオーをバッグに詰め込み
仙台へと向かう。
二匹とも二回目の来仙とあって
のんびり居眠りを決め込んでいる。
ニャーちゃんとクロちゃんは
再会するやさっそくじゃれあう。
ガオーは兄に礼。
「兄さん。お元気そうでなにより。」
「おお、お前も
まえより汚れが目立たなくなった。」
「はい。界面活性剤で洗ってもらいました。」
「それはなにより。」

シンガポールでは華人社会で
この二匹は暮らしていたのだろうか。

ということで、約半年振りの再会であった。

2008/08/17のBlog
母が使用している紙おむつが切れた。
いつも買いに行く薬屋はお盆休み。
もう一種類の使用を薦めるが、母は拒否。
父と相談して別の薬屋へ出掛ける。
幸い開いていて同じ製品を購入。
介護客に慣れているのか、黙っていても領収書を書いて差し出してくれた。
母の認知症は明らかに進行しているのが悲しい。

仕事の都合で一泊だけだが連れ合いも来訪。
母が「庭を見たい。」というので3人でベッドの位置を変える。

もともとこの家は戦前母の実家が別邸として建てた物。
母にとっては幼少時代からの慣れた住まい。
空襲で本家が焼けた後は、家族で数年をここで過ごしたそうだ。

そこに結婚と共に転がり込んだ父は、
家を持つことの大変さを知らないまま老いていく。
以前は「なぜ、みんな『家が欲しい。』というのか
解らない。」とよくぼやいていた。
2008/08/16のBlog
14日仙台駅に到着。豪雨の出迎え。
地下道がちょうど三菱東京UFJ銀行の前まで延びているので、
2000円札を両替。お盆のせいか人は少ない。
銀行はお盆期間も通常業務なので助かる。
たまには銀行も褒めないと。

帰宅すると、家の室内の段差部分にはスロープが増設されていました。
トイレに向かう段差も
スロープになっています。
写真上部は切れていますが
鴨居部分は削っていないため
マスターの身長だと、頭がぶつかります。
ガードみたいに「頭上注意」の標識と
衝突時のクッションをつけないといけません。
このような「関所」が家の所々にあり
家に慣れていない連れ合いは
そのたび額をぶつける始末。
幸い大事に至りませんでしたが、
次回来訪時には対応策をとります。
母はいよいよ自分で風呂に入るのを
あきらめたらしく。
介護入浴サービスが来ました。
室内に二つに分割している浴槽を
持ち込み手際良く組み立て
お湯を張ります。
お湯は持参のポンプで
風呂場から引き湯をします。



翌日、父はマスターが帰省しているので、
安心して日帰りで早朝宇都宮に新幹線で出掛けた。
周囲の介護関係者は父の体調も母並みに心配している。
以前と違い、疲れを訴え、一仕事終えると
長いすや畳の上でゴロ寝を始める。
精神・肉体的に気苦労が多いようだ。

母と二人の朝食後、ご飯を仏壇に供え、
般若心経、四弘誓願文を唱える。これで旧盆の儀式は終了。
2008/08/15のBlog
アーサー・ペン監督の青春回想物です。
時代は1960年代はじめからの
高校の同級生だった四人の交流を
公民権運動・ベトナム反戦運動・
ヒッピームーブメント・ドラッグなどを
絡ませながら、この作品が撮影される
’80年代はじめまでを描いています。
作品的にとくに新しいテクニックは使っていませんが
あの「いったいアメリカはどうなるのだろうか。」と
世界中が心配(?)した時代の雰囲気をよく捉えており
あきさせません。
大してヒットしているわけでもないし、
後年語られることの少ない映画ですが、
佳作の一つと申して良いでしょう。
(1982年11月9日 荻窪オデオン座)

(併映「ベスト・フレンズ」。)
2008/08/14のBlog
近くの居酒屋に出かけると
「森田健作さんを囲む会」の案内が
張ってあった。
早速参加申し込みをする。

当日定時少し過ぎに現れた森田さん。
実際に拝見するのは初めてである。

乾杯の挨拶もそこそこに早速一席。

「『I am 日本人』を是非見てください!」
「千葉にはディズニーランドをはじめとして
素晴らしい場所があります。農業も日本有数。
それなのに千葉の人たちは自らの魅力をしりません。!」
「千葉の皆さんは暮らしにそこそこ満足しているのが問題です。
現状を打破しましょう!」
「私は千葉に骨を埋めます。」

「さあ!僕も走るから、みんなも走ってくれ!」

の決まり文句を地で喋る森田さんに拍手が起こります。
普通の役者さんは当たり役のイメージがつかないように
必死になりますが、森田さんは逆手にとって
自らの思考まで「青春の巨匠」と化した稀有の人です。


ファンの人たちに
気さくに笑顔で応じる森田さん。
記念撮影にも
快く応じる姿は
将に「青春の巨匠」。

マスターの近くに森田さんが廻ってきた。

「森田さん。『Iam日本人』DVDで見ました。」
「おお。ありがとう!」
「すいません。サインお願いします。」
「オッケー!」

と、偶々持っていた本の裏表紙に
サインをしていただいた。
最後はファンのリクエストに
答える形でカラオケで
さらば涙と言おう」を熱唱。

いつまでも若々しく、
「青春スター」を演じ続ける
森田さんに感動しました。
2008/08/13のBlog
最終日、朝食の後バス停へ向かう。
すぐに後から民宿の主人夫婦のクルマが
近づき水上温泉まで送ってもらう。

実はこの界隈は、マスターは学生の頃
大学の山小屋があり、管理を所属部に
任されていたので、休暇時は一週間単位で
過ごしたものだ。
今でも行われている「藤原祭り」の相撲で負けたこと。
夜は「のど自慢大会」に参加したこと。
冬場は出来たばかりの宝台樹スキー場でバイトをしたこと。
(忙しいのは週末だけで、あとはタダで滑っていた。)
ご主人と思い出と現況の話の花が咲く。

昨日訪ねた「道の駅」で降ろしてもらう。
駐車場の片隅に水上~長岡間を走っていた電気機関車が
展示されている。プレートは一部分盗まれ、窓ガラスも破れており
保存状態は悪い。みなかみ市は反省していただきたい。

再び利根川に降り、ラフティングを見る。
29年前初めてこの地に来たときも
同様にラフティングが行われていた。
当時はまだスポーツとして認知されたばかりで
コースもあまり整備されておらず、
転覆して流される者を必死に追いかける
シーンを見たものだ。
現在はノウハウが蓄積されたと見え、
安心してみていられる。
イメージを拡大してもわからないだろうが、
橋上からはバンジージャンプが行われている。
こればかりはマスターも願い下げである。
一人で墜落するのでは万一の場合
助からないのは明らかである。
ボートはバンジージャンパーに気をつけながら
下流へ下って行く。
渓谷から国道に出るとすぐに
トリックア-ト美術館」がある。
外観は洋館だが、実はこれも
ペンキ絵。窓はありません。



内部のナポレオンの戴冠式の
模作も見事なトリック。
お暇があればお楽しみください。

駅前喫茶店で何も具がないカレーを食べ
普通電車を乗り継いでのんびりと帰京。
学生時代も水上の行き帰りは
普通電車を利用していたのを思い出した。


2008/08/12のBlog
マスター夫妻の乗ったバスは
藤原ダムの脇を過ぎ、奈良俣ダムを望み、
終点「湯の小屋」に到着。約一時間の旅。
かっての「湯の小屋」の象徴、貯木場は
山林保護と林業衰退で失われて久しい。
今は只の広場となっている。

バス停を降りた後、5分ほど歩き
民宿「輝葉荘」に荷を解く。

宿泊客は4組のみ。静かに時は流れていく。
翌日は館主に道を教えてもらい、
奈良俣ダムを見学。
ロックフィルダムの雄大さを堪能。
イメージは堰堤から下流への排水溝を望む。

他にも湖畔には売店・資料館があり、
結構楽しめる。
堰堤にはフェンスなどはないので
転落事故が心配である。
堰堤を渡り切ったところから
下流に降る階段遊歩道が設置されている
マスター夫妻は降りていったが、
結構登る人も多かった。
大変なアルバイトでご同情申し上げる。
堰堤基部は昨日通ったバス道。
そのまま歩いて湯の小屋に戻り、
照葉荘斜め向かいの蕎麦屋で昼食。
照葉峡へ歩いて向かう。

川沿いの車道を歩くこと一時間半。
眼下に様々な滝が現れる。
それぞれの滝のそばには滝の名前を
書いた掲示板と碑がある。
イメージは「翡翠の滝」

渓谷の中央部分だろうか
「ブナ太郎」と呼ばれる大木まで
たどり着いた所でタイムアップ。
夕食に間に合うように帰路につく。

この日は前日より宿泊客が倍増していた。
やはり旧盆休みに入ったためだろうか。

車道とはいえ久しぶりに8時間の歩行を楽しむ。
出発前に日焼け止めクリームを腕や首など
露出部に塗っていて助かった。