Blog
2008/09/10のBlog
[ 20:13 ]
[ 映画 ]
2008/09/09のBlog
[ 05:00 ]
[ ビョーキ ]
今まで毎晩のように晩酌をしていましたが、さすがに介護関係で時間が取れなくなり
そう酔っ払ってもいられなくなり晩酌を中止しています。
もっとも、飲み会のほうは従前通り規制していません。
マスターをご承知の方は、遠慮なく声を掛けてください。
先日、痛風の通院で血液検査をしました。
晩酌中止で好結果を期待していましたが、結果は横ばい。
先生も「今回も薬を出しましょう。」というから、
好結果なら治癒のつもりだったのでしょう。
もともと尿酸値は高い体質なので、ここから先しばらく横ばいが続く予感がします。
朝夕にふと感じ始める秋の風
そう酔っ払ってもいられなくなり晩酌を中止しています。
もっとも、飲み会のほうは従前通り規制していません。
マスターをご承知の方は、遠慮なく声を掛けてください。
先日、痛風の通院で血液検査をしました。
晩酌中止で好結果を期待していましたが、結果は横ばい。
先生も「今回も薬を出しましょう。」というから、
好結果なら治癒のつもりだったのでしょう。
もともと尿酸値は高い体質なので、ここから先しばらく横ばいが続く予感がします。
朝夕にふと感じ始める秋の風
2008/09/08のBlog
[ 21:00 ]
[ お仕事 ]
雇用情勢が厳しいとはいっても、
露骨に様々な差別をする企業はマスコミに叩かれ
最近は内部告発も常態化して転落の道を歩むご時勢。
そのためか多くの企業は日ごろの極悪非道ぶりを必死に隠して
「いかに兵舎は立派か。」を採用活動でアピールしています。
ところで男女雇用機会均等法成立(1985年)からはや23年。
昇格が厳しい企業でも、女性管理職が陸続と誕生していても
おかしくはありません。
そこでダメモトで上記の質問をしましょう。
すぐに人数や、管理職内での比率、同世代の社員内での
昇進率などを正直に答えられればまあよしでしょう。
担当者が言葉に詰まったり、女性の定着率が悪いから
管理職はいないなどと言い出す会社は要注意です。
(いくらなんでもそんな会社はないと思いたい。)
いくら受験者に言い訳しても
違法な男女差別、セクハラがまかり通っている可能性大。
就職関係のネットや、
すでに就職した先輩の体験談に目を通しましょう。
白きビル見上げ溜息秋暑し
露骨に様々な差別をする企業はマスコミに叩かれ
最近は内部告発も常態化して転落の道を歩むご時勢。
そのためか多くの企業は日ごろの極悪非道ぶりを必死に隠して
「いかに兵舎は立派か。」を採用活動でアピールしています。
ところで男女雇用機会均等法成立(1985年)からはや23年。
昇格が厳しい企業でも、女性管理職が陸続と誕生していても
おかしくはありません。
そこでダメモトで上記の質問をしましょう。
すぐに人数や、管理職内での比率、同世代の社員内での
昇進率などを正直に答えられればまあよしでしょう。
担当者が言葉に詰まったり、女性の定着率が悪いから
管理職はいないなどと言い出す会社は要注意です。
(いくらなんでもそんな会社はないと思いたい。)
いくら受験者に言い訳しても
違法な男女差別、セクハラがまかり通っている可能性大。
就職関係のネットや、
すでに就職した先輩の体験談に目を通しましょう。
白きビル見上げ溜息秋暑し
2008/09/07のBlog
[ 20:29 ]
[ 社会批評 ]
最近スーパーでも並び始めた、
「たれ」別添え、フィルムなし納豆。
フィルムなしは文句無いが、
「たれ」なんて納豆には35年位前まで
ついてなかった。
味付けは醤油で済ましたものである。
それで特に不便はなかった。
「からし」に至っては、マスター家では
「からし」が別添えでついてくるまで使用しなかった。
もともと調味料のつけ方は人それぞれ。
強制されるものではない。
納豆も小細工はやめて「からし」「たれ」をつけないで欲しい。
先例がある。
コンビニで売っているサラダだ。
かっては袋入りドレッシングが添付されていたが、
数年前から別売りとなった。
やってみればどうということはないのである。
ただ、やる「勇気」がないだけ。
昨今の「食の安全」を乱す行為をした食品企業は
「マズイ事」とは知っていても「勇気」がなく
結果として高い代償を支払われているのである。
「たれ」別添え、フィルムなし納豆。
フィルムなしは文句無いが、
「たれ」なんて納豆には35年位前まで
ついてなかった。
味付けは醤油で済ましたものである。
それで特に不便はなかった。
「からし」に至っては、マスター家では
「からし」が別添えでついてくるまで使用しなかった。
もともと調味料のつけ方は人それぞれ。
強制されるものではない。
納豆も小細工はやめて「からし」「たれ」をつけないで欲しい。
先例がある。
コンビニで売っているサラダだ。
かっては袋入りドレッシングが添付されていたが、
数年前から別売りとなった。
やってみればどうということはないのである。
ただ、やる「勇気」がないだけ。
昨今の「食の安全」を乱す行為をした食品企業は
「マズイ事」とは知っていても「勇気」がなく
結果として高い代償を支払われているのである。
2008/09/06のBlog
[ 22:03 ]
[ ニュース ]
[関連したBlog]
旧薩摩藩士の墓の前で、「田原坂」を歌う西郷さん(イメージ)
西郷隆盛が政府軍と戦った西南戦争(1877年)の国事犯として仙台で獄死した旧薩摩藩士7人が眠る仙台市青葉区の瑞鳳寺に6日、西郷のひ孫の陶芸家西郷隆文さん(60)=鹿児島県日置市=が初めて訪れた。藩士の墓に手を合わせた西郷さんは、墓碑を建立し、30数年もの間、追悼を重ねてきたみちのく宮城鹿児島県人会に対し、お礼の言葉を述べた。
鹿児島からは西郷さんのほか、約130年前に宮城県監獄署(現宮城刑務所)で獄死した藩士・寺田泰介の子孫でピアニストの有満玲子さん(46)らが来仙した。
西郷さんらは県人会のメンバー約30人とともに、7人の藩士が眠る墓に参り、西南戦争の激戦の様子を歌った民謡「田原坂」を合唱して冥福を祈った。
「仙台に眠る藩士の存在は知らなかった」と西郷さん。県人会のメンバーに「異郷の地で眠る魂を長く見守ってくれたことに感謝したい」とあいさつし、「これをきっかけに宮城と鹿児島の交流を深めていきたい」と述べた。
西郷さんは8日、宮城県庁に村井嘉浩知事を表敬訪問する。
河北新報サイトより、
マスター帰仙中に読んだ地元紙に載っていました。
がっしりとした体格、顔つきなどひ孫でも「大西郷」を彷彿とさせます。
仙台は会津若松や長岡のように市街戦とならなかったためか
特に薩長に悪感情は持っていないようです。
墓地は関連記事にあるように近年の「発見」です。
鹿児島出身・在住の方で仙台を訪問される方は是非お立ち寄りください。
それが異郷の地で眠る人たちへの慰めとなります。
旧薩摩藩士の墓の前で、「田原坂」を歌う西郷さん(イメージ)
西郷隆盛が政府軍と戦った西南戦争(1877年)の国事犯として仙台で獄死した旧薩摩藩士7人が眠る仙台市青葉区の瑞鳳寺に6日、西郷のひ孫の陶芸家西郷隆文さん(60)=鹿児島県日置市=が初めて訪れた。藩士の墓に手を合わせた西郷さんは、墓碑を建立し、30数年もの間、追悼を重ねてきたみちのく宮城鹿児島県人会に対し、お礼の言葉を述べた。
鹿児島からは西郷さんのほか、約130年前に宮城県監獄署(現宮城刑務所)で獄死した藩士・寺田泰介の子孫でピアニストの有満玲子さん(46)らが来仙した。
西郷さんらは県人会のメンバー約30人とともに、7人の藩士が眠る墓に参り、西南戦争の激戦の様子を歌った民謡「田原坂」を合唱して冥福を祈った。
「仙台に眠る藩士の存在は知らなかった」と西郷さん。県人会のメンバーに「異郷の地で眠る魂を長く見守ってくれたことに感謝したい」とあいさつし、「これをきっかけに宮城と鹿児島の交流を深めていきたい」と述べた。
西郷さんは8日、宮城県庁に村井嘉浩知事を表敬訪問する。
河北新報サイトより、
マスター帰仙中に読んだ地元紙に載っていました。
がっしりとした体格、顔つきなどひ孫でも「大西郷」を彷彿とさせます。
仙台は会津若松や長岡のように市街戦とならなかったためか
特に薩長に悪感情は持っていないようです。
墓地は関連記事にあるように近年の「発見」です。
鹿児島出身・在住の方で仙台を訪問される方は是非お立ち寄りください。
それが異郷の地で眠る人たちへの慰めとなります。
2008/09/05のBlog
[ 15:59 ]
[ 介護 ]
2008/09/04のBlog
[ 20:39 ]
[ 映画 ]
2008/09/03のBlog
[ 21:57 ]
[ 社会批評 ]
アキバに出かけた。
街頭で年配の女性がなにやらパンフを配っている。
近づいてもらう。中国語版もあるようだ。
「大紀元」という新聞で、
どうも現中国大陸に対しては批判的な立場を取っている。
帰宅後Wikipediaで調べると法輪功系列らしい。
恐らくターゲットは日本人より、
アキバに買い物に来る中国大陸人だろう。
アキバでは以前から配布しているそうだ。
毎日のように地下を通過しているが気が付かなかった。
たまには「上」に出て世の中の動きを肌で感じるべきだ。
街頭で年配の女性がなにやらパンフを配っている。
近づいてもらう。中国語版もあるようだ。
「大紀元」という新聞で、
どうも現中国大陸に対しては批判的な立場を取っている。
帰宅後Wikipediaで調べると法輪功系列らしい。
恐らくターゲットは日本人より、
アキバに買い物に来る中国大陸人だろう。
アキバでは以前から配布しているそうだ。
毎日のように地下を通過しているが気が付かなかった。
たまには「上」に出て世の中の動きを肌で感じるべきだ。
そうはいってもすぐ隣の店では
中国の「銀聯カード」使用OKである。
「違法文書」を危険を冒して受け取る、
中国へ持ち込む人はどれほどもいないだろう。
買い物は簡単な電気機器だった。
ガード下の適当なパーツ屋に当たりをつけて扱っているか聞く。
扱っていなければ、扱っていそうな店を教えてくれる。
それを何軒か繰り返すとお目当ての機器を売っている店に行き着く。
原始的なネットワークだ。
インターネットと違い人情の機敏がここではまだ残っている。
行き着いた店の店員の肌は浅黒かった。
国を聞くとバングラデシュだという。
「頑張ってください。」と励ましの言葉を贈る。
マスターは外国人労働者には必ず親切な言葉を掛ける。
なぜか「もし、自分がこのように出稼ぎをしたらどうなるのだろう。」
と子供時代から思っているので、せめて親切な言葉を掛けるようにしている。
領収書の扱い者記名欄はカナ文字だった。
様々な想いが交差す夏アキバ
中国の「銀聯カード」使用OKである。
「違法文書」を危険を冒して受け取る、
中国へ持ち込む人はどれほどもいないだろう。
買い物は簡単な電気機器だった。
ガード下の適当なパーツ屋に当たりをつけて扱っているか聞く。
扱っていなければ、扱っていそうな店を教えてくれる。
それを何軒か繰り返すとお目当ての機器を売っている店に行き着く。
原始的なネットワークだ。
インターネットと違い人情の機敏がここではまだ残っている。
行き着いた店の店員の肌は浅黒かった。
国を聞くとバングラデシュだという。
「頑張ってください。」と励ましの言葉を贈る。
マスターは外国人労働者には必ず親切な言葉を掛ける。
なぜか「もし、自分がこのように出稼ぎをしたらどうなるのだろう。」
と子供時代から思っているので、せめて親切な言葉を掛けるようにしている。
領収書の扱い者記名欄はカナ文字だった。
様々な想いが交差す夏アキバ
2008/09/02のBlog
[ 09:00 ]
[ 思い出(「れば・たら」あり) ]
[関連したBlog]
カッター。日本語で短艇ともいう。
かっては木製の大型ボートのことを指す。
オールが8~10本ついておりそれが動力となる。
乗員は満載時で30名。
桟橋や船どうしの人員移動や、救命・救助用に使われる。
イメージは海軍兵学校のカッター桟橋の古写真です。
「引き揚げ」に使われたのは鉄道ばかりではない。
前述の「近場」の出身者には、カッターでの帰郷が勧められた。
この場合、荷物を積載するので人員は24名となった。
8本オールならば3交代で漕げる。
いくら内海で穏やかな瀬戸内海とはいえ、人力での航行は体力消耗が激しい。
狭く揺れる艇内ですぐに食べられるアンパン・菓子類が
優先的に「カッター組」に割り当てられた所以である。
なにぶん人力のため、最も近い四国の松山でも数時間はかかったそうである。
帰郷後、カッターはすぐに売却するように指示が出された。
「頑丈なので、買い手はすぐつく。」事実そうだったようだ。
遠いところでは大阪までカッターで帰った生徒たちもいた。
経済史を習ったマスターとしては、
敗戦直後の軍関係物資、保有財産の一斉放出による経済混乱が、
その後のインフレの原因の一つと教わっているので、多少複雑な思いである。
警笛の音も乾ける残暑かな
カッター。日本語で短艇ともいう。
かっては木製の大型ボートのことを指す。
オールが8~10本ついておりそれが動力となる。
乗員は満載時で30名。
桟橋や船どうしの人員移動や、救命・救助用に使われる。
イメージは海軍兵学校のカッター桟橋の古写真です。
「引き揚げ」に使われたのは鉄道ばかりではない。
前述の「近場」の出身者には、カッターでの帰郷が勧められた。
この場合、荷物を積載するので人員は24名となった。
8本オールならば3交代で漕げる。
いくら内海で穏やかな瀬戸内海とはいえ、人力での航行は体力消耗が激しい。
狭く揺れる艇内ですぐに食べられるアンパン・菓子類が
優先的に「カッター組」に割り当てられた所以である。
なにぶん人力のため、最も近い四国の松山でも数時間はかかったそうである。
帰郷後、カッターはすぐに売却するように指示が出された。
「頑丈なので、買い手はすぐつく。」事実そうだったようだ。
遠いところでは大阪までカッターで帰った生徒たちもいた。
経済史を習ったマスターとしては、
敗戦直後の軍関係物資、保有財産の一斉放出による経済混乱が、
その後のインフレの原因の一つと教わっているので、多少複雑な思いである。
警笛の音も乾ける残暑かな
2008/09/01のBlog
[ 09:08 ]
[ 思い出(「れば・たら」あり) ]
[関連したBlog]
アンパンについて述べる。(シバリョーか?)
敗戦直前まで兵学校の夕食はどんぶり飯一杯と味噌汁だった。
夜食としてアンパンが各自一個支給された。
当時二十歳前後の生徒たちは食料の少なさに不満を募らせていたそうだ。
しかし、母や同時代人、歴史書の語るところでは「とんでもない贅沢。」である。
その頃母一家は焼け残った知人宅を転々としていたのだから当然であろう。
かくして大量のアンパンが兵学校にあったのである。
マスターが思うに、敗戦後に小麦や小豆のまま生徒に渡すより、
アンパンに加工したほうがすぐに食べられるので便利だと関係者は思ったのだろう。
父の引き揚げに戻る。
父たちを乗せたフェリーは当初呉軍港に接岸、上陸の予定だった。
しかし呉は敗戦直前の空襲で港湾機能は壊滅。
沈船が赤い腹を出している有様なので、急遽宇品へと向かう。
宇品へ上陸後、「何も無い」広島市街地を歩いて、町外れの広島駅へ向かう。
駅で列車待ちをしていると有蓋貨車の「引き揚げ列車」がやってきて乗車する。
大阪につくと「東海道方面は危険」と言われ、北陸線経由の列車に
乗り換えを余儀なくされる。
マスターが思うに、当時米軍が関東地方に上陸したので、無用の混乱を
避けたのだろう。また北陸線利用のほうが距離的には東北・北海道に行くのは
ちかいので、混雑状況からの配慮もあったものと思われる。
父を乗せた列車は北陸本線をたどる。
無蓋貨車に変わっていた。新潟を過ぎたあたりで朝鮮から
引き揚げてきたという母子の子供がひどく腹を空かせているのに気がつき
有り合わせの水と調理器具で米をお粥にして炊いてその子に与えたという。
新発田から羽越線、余目で陸羽西線、新庄で陸羽東線、小牛田で
ようやく東北本線に乗り換え石越駅でおり生家へと向かった。
帰郷直後の父の軍服姿の写真が残っているが、やはり表情は暗い。
無念さを顔から滲ませている。
アンパンについて述べる。(シバリョーか?)
敗戦直前まで兵学校の夕食はどんぶり飯一杯と味噌汁だった。
夜食としてアンパンが各自一個支給された。
当時二十歳前後の生徒たちは食料の少なさに不満を募らせていたそうだ。
しかし、母や同時代人、歴史書の語るところでは「とんでもない贅沢。」である。
その頃母一家は焼け残った知人宅を転々としていたのだから当然であろう。
かくして大量のアンパンが兵学校にあったのである。
マスターが思うに、敗戦後に小麦や小豆のまま生徒に渡すより、
アンパンに加工したほうがすぐに食べられるので便利だと関係者は思ったのだろう。
父の引き揚げに戻る。
父たちを乗せたフェリーは当初呉軍港に接岸、上陸の予定だった。
しかし呉は敗戦直前の空襲で港湾機能は壊滅。
沈船が赤い腹を出している有様なので、急遽宇品へと向かう。
宇品へ上陸後、「何も無い」広島市街地を歩いて、町外れの広島駅へ向かう。
駅で列車待ちをしていると有蓋貨車の「引き揚げ列車」がやってきて乗車する。
大阪につくと「東海道方面は危険」と言われ、北陸線経由の列車に
乗り換えを余儀なくされる。
マスターが思うに、当時米軍が関東地方に上陸したので、無用の混乱を
避けたのだろう。また北陸線利用のほうが距離的には東北・北海道に行くのは
ちかいので、混雑状況からの配慮もあったものと思われる。
父を乗せた列車は北陸本線をたどる。
無蓋貨車に変わっていた。新潟を過ぎたあたりで朝鮮から
引き揚げてきたという母子の子供がひどく腹を空かせているのに気がつき
有り合わせの水と調理器具で米をお粥にして炊いてその子に与えたという。
新発田から羽越線、余目で陸羽西線、新庄で陸羽東線、小牛田で
ようやく東北本線に乗り換え石越駅でおり生家へと向かった。
帰郷直後の父の軍服姿の写真が残っているが、やはり表情は暗い。
無念さを顔から滲ませている。