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あかねさんのかぶと虫
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2004/11/04のBlog
[ 01:16 ] [ ジャニーズ ]
昨日、ふと思い出したのです。
”そういえば、11月2日ってシブがき隊の解散コンサートの日だったんだ”って。
1988年のことだから、もう16年もたちます。
あれから、ヤックンは主婦に人気の司会業に忙しく、モックンは個性的俳優としての地位を確立し、フックンは地道にバラエティなどで活躍しています。
当時、今の3人の活躍を誰が予想したでしょうか。本当に息の長い3人です。

言わずと知れた『2年B組仙八先生』からのデビュー。三田寛子、本田恭章と共演。
当初は「シブがきトリオ」と名乗っていましたが、デビューにあたって「シブがき隊」と命名。

薬丸裕英(やくまる・ひろひで)
1966年2月19日生
東京都出身
血液型B

布川敏和(ふかわ・としかず)
1965年8月4日生
神奈川県出身
血液型B

本木雅弘(もとき・まさひろ)
1965年12月21日生
埼玉県出身
血液型A

デビュー曲「NAI・NAI 16」(1982年5月5日)

彼らの偉大な足跡は語りつくせないですが、多分独特のテーマやタイトルの曲を発表してきただけに、微妙なスタンスで接した人が多かったのではないでしょうか。ただ、かえってバカバカしさに徹したことで女性だけでなく男性ファンを取り込めたのかもしれません。

個人的ベスト3は。。
1.「DJ in My Life」(1985.4.3) JOEY CARBONE(日本語詞・売野雅勇)/JOEY CARBONE/後藤次利
2.「Zokkon命」(1983.5.5) 森雪之丞/水谷竜緒/水谷竜緒
3.「PSST PSST」(1988.2.26) 秋元康/後藤次利/後藤次利(ブラス・アレンジ:新田一郎)


「DJ」は彼らの主演映画『バロー・ギャングBC』の主題歌。うまく言えないんですが、当時の状況に詞も曲もシンクロしてグッときます。シブがき隊というよりも、人生において思い出に残る一曲。
「Zokkon」は最初イントロを聴いたときはナイトレンジャーのカヴァーかと思ったのですが(実はエンディングも・・)、パワーは圧倒的にこっちが上。初期の名曲。
「PSST PSST」は曲もいいですが、出入りの多い立体感のあるステージングがカッコよかった一曲。

実はホントなら2、3位に入れたいくらいだったのは、「ZIG ZAG セブンティーン」と両A面扱いだった「Gジャンブルース」と、これまた「べらんめぇ伊達男」のB面「100万粒の涙」。
「Gジャン」は彼らのファンになった1曲。当時、まわりではモックンの♪抱きしめぇ~♪という4文字(しかない)ソロに非難轟々・・

ただ、意外なのは普通の人はモックンが昔も今も1番人気だと思うじゃないですか?
実際、彼らのコンサートとかナマのステージを見ると違うことがよくわかるんですよ・・ヤックンへの声援が圧倒的に多いんです。ここら辺がジャニーズのコア・ファンの凄さです。少年隊でも似たようなことを感じたことがあって、こちらもヒガシより全然ニッキのファンの方が多いのは衝撃でした・・

彼らの活動の中では、バカバカしさを極めた森雪之丞さんの功績は重要ですね。「処女的衝撃!」あたりの三浦徳子さん、”日本男児三部作”(「サムライ・ニッポン」「喝!」「アッパレ!フジヤマ」)を担当した売野さんとともにシブがきの世界を形づくってくれました。

今でも「スシ食いねェ!」は定番になり、”発芽米”のCMに「NAI・NAI 16」が使われたりするなど皆の心に残る曲を残してきたのが彼ら、と言えるでしょう。

↓誰かシブがき隊のこと書いてないかなぁと思って検索したら・・。笑ってしまいました。。面白い記事です。トラックバックさせていただきました。
[何気ない一言に笑う・・byふぁびゅらすさん]
2004/11/03のBlog
[ 14:33 ] [ 研音 ]
研音にWP・・少なくとも「新人賞レース参戦!」というデビューではなかったと思います。デビューも地味な感じのスタート。「出会いはスローモーション」と唄うのは、まるで彼女と世の中との関わりを表現したかのようでした。ただ、飛び切りの良い曲を、ぎこちない初々しさに芯の強さを兼ね備えた表情で唄う上々のスタートだったのではないでしょうか。

「少女A」で大ブレーク、ある意味社会現象になり”ツッパリ明菜”というイメージが定着します。言動の一つ一つをそう解釈され、辛い日々だったかもしれませんが、彼女にとっては超えなければいけない道だったと今となっては思います。だって、それで世の中に認知され、「セカンド・ラブ」が世の中に出せたのですから。
1曲ごとに来生姉弟のバラードを挟むデビュー~2年目までの展開は、男女問わずいろいろなファンを惹き付けたという点で非常にうまくいったといえるでしょう。

中森明菜(なかもり・あきな)
1965年7月13日生
東京都出身
血液型A
デビュー曲「スローモーション」(1982年5月1日)

なかなかに難しいですが、個人的ベスト3。
1.「スローモーション」(1982.5.1) 来生えつこ/来生たかお/船山基紀
2.「サザン・ウインド」(1984.4.11) 来生えつこ/玉置浩二/瀬尾一三
3.「Fin」(1986.9.25) 松本一起/佐藤健/佐藤準


何となくベスト盤を聴き返しちゃったりしてますが、全て好きと言っても過言ではないです。当時はあまり・・と思っていた「SOLITUDE」(85年)さえ感慨深い・・他では「北ウィング」「十戒(1984)」「飾りじゃないのよ涙は」(84年)「TANGO NOIR」(87年)「TATTOO」「I MISSED"THE SHOCK"」(88年)・・好きな曲ばかり。
(特に日本武道館で聞いた"THE SHOCK”は忘れられません・・カッコよかった・・)
聖子さんを陽とすれば、明菜は陰。でも確実に私たちの心に染み入る歌声でした。

あとはアルバムの充実度も目を見張るものがあります。特に『POSSIBILITY』(84年)は大好きなアルバム。「北ウイング」のアンサーソング「ドラマティック・エアポート」なども収録され、最も充実した時期のバラエティに富んだアルバムと言えます。

思えば、私は一時期ある会社の同僚から”明菜ちゃん”と呼ばれていた(周りは奇異に思っていたでしょう)のですが、それは、カラオケで「あなたのポートレート」(『プロローグ(序幕)』収録)を歌ったのがきっかけでした。確か98年頃のような気がします。デビューから16年後(笑)。一時期、すっかり同化して「DESIRE」とかをフリつきで歌ってましたね(恥)。

今なお、”歌姫”の称号は明菜のモノと思っている私です・・
2004/11/02のBlog
[ 00:23 ] [ 芸映 ]
デビューシングルのジャケ写はかなり衝撃的です。”秀樹の妹”として河合奈保子さんに続いて選ばれた彼女のセールスポイントはおそらく「健康」。陸上やバスケで鍛えたフトももが注目されるのは本人としても不本意だったでしょうか。

先発デビュー組と差別化を図るためにか健康路線が強化されるとともに、湘南=サーフィン(「ゆ・れ・て湘南」~「哀しみのブリザード」)というイメージも形づくっていきました。

石川秀美(いしかわ・ひでみ)
1966年7月13日生
愛知都出身
血液型A
デビュー曲「妖精時代」(1982年4月21日)

個人的ベスト3。
1.「熱風」(1984.7.25) 鈴木博文/林哲司/大谷和夫
2.「めざめ」(1984.2.8) SHOW・クロエジュン/小田裕一郎/入江純
3.「涙のペーパームーン」(1983.1.1) 麻木かおる/小田裕一郎/大谷和夫


ちょっと趣の異なる3曲になりました。哀愁系の「熱風」、ミディアム・テンポの「めざめ」、メルヘン系の「ペーパームーン」。その他にも”シャウト系”というジャンルを開拓し、ハードロック調のアレンジと調和させてみたり(「ミステリーウーマン」など)、”バカっぽさ系”での「春霞恋絵巻」のような曲あり(♪なのにタワケ者め、元禄BOY♪@森雪之丞 ですからね・・)、大変多彩なディスコグラフィーになっています。特に後半は秀美ちゃんならではの路線が凄いです。

「涙のペーパームーン」「ミステリーウーマン」「もっと接近しましょ」・・と数々のパクリ疑惑に晒されるも、そこは本人とは関係のないこと。

ダンナ様もしっかり稼いで、子沢山の現在ですが、また”シャウト”を聴かせてほしいです。
2004/10/31のBlog
[ 21:05 ] [ サンミュージック ]
帰国子女の典型的なアイドルである優ちゃん。ハワイ三越のエレベータ内でスカウトされたという逸話は、なかなかに衝撃的でした。また、バイリンガルは大きな武器になりました。英語のTV番組に出たり、長寿番組「百万人の英語」のパーソナリティも努めるなど、その活躍は多彩を極めました。そして、上智・比較文化路線は後に西田ひかるちゃんに引き継がれていきます。

早見優(はやみ・ゆう)
1966年9月2日生
静岡県出身
血液型B
デビュー曲「急いで!初恋」(1982年4月21日)

個人的ベスト3。
1.「哀愁情句」(1984.10.3) 銀色夏生/筒美京平/船山基紀
2.「Love Light」(1982.7.21) Pia Jackson(三浦徳子・訳詞)/Jimmy Jackson/萩田光雄
3.「PASSION」(1985.8.1) 中原めい子/中原めい子/新川博


「夏色のナンシー」とハワイ出身の印象が強いので、夏のイメージがありますが、実は秋の曲に彼女の真骨頂があります(と言って夏っぽい曲を選んでしまいましたが)。
きっと、それは落ち着きのなせる技。「哀愁情句」のほかにも「ラッキイ・リップス」(83年)は大好きな曲。あと、忘れてはならないのは「誘惑光線・クラッ!」(84年;これは春の曲ですが・・)でしょう。京平さんらしいキャッチーなメロディーで、優ちゃんの魅力を存分に引き出しています。
「PASSION」は中原めい子さんのナンバー。好きな曲が沢山あって困ってしまいます・・
[中原めい子:goodさん]
[ 13:40 ] [ その他女性アイドル ]
「仙八先生」の中ではシブがき隊、本田恭章とともに82年デビュー。京都弁・のんびりした性格が本当にアイドル向きかどうか心配される向きも多かったと思いますが・・

三田寛子(みた・ひろこ)
1966年1月27日生
京都府出身
血液型B
デビュー曲「駈けてきた処女」(1982年3月21日)

個人的ベスト3は。。
1.「夏の雫」(1982.6.21) 阿木耀子/井上陽水/坂本龍一
2.「色づく街」(1982.9.21) 有馬三恵子/筒美京平/川口真
3.「駈けてきた処女」(1982.3.21) 阿木耀子/井上陽水/萩田光雄


デビュー曲からインパクトの強いタイトルと重ーい陽水節。。ちょっと厳しかったかなという感じです。でも「夏の雫」は良いです。♪どしたらいいの 海になれない 私は雫ぅ♪・・リアリティの欠片もないですが(笑)音楽性が高いのか妙に印象に残り、個人的には82年夏のベストソングだと言ってもいいくらい唄ってました(笑)♪去年の水着 胸がキツいのぉ♪と唄われるとドキドキしますね・・
なお、「駈けてきた処女」は後に中山忍さんがカヴァーするなど注目度は高かったと思います。
続く「色づく街」は南沙織さんのカヴァー。これはこれでハマってましたね。こういう路線でいくのかな?と思ったら年が変わると「ひとりぽっちの卒業式」。悪い曲ではないですが、中途半端な軽さが彼女の個性を殺してしまったかもしれません。その後も村下孝蔵さんと「初恋」を競作するなど話題性はありましたね。

現在は中村橋之助さんの妻として、母としても活躍し、どっこい芸能界で生きている・・って感じです。お母さんタレントとしては森尾由美さんと並ぶ使い勝手の良さに加え、異色な世界に身を置くセレブ感がプラスされ、独自のポジションを保ってらっしゃいます。
[ 01:35 ] [ バーニング ]
82年組の中では、すっかり大御所扱いのキョンキョンですが、個人的には「すんごくフォトジェニック!」という印象を持ち続けてます。優ちゃんや秀美ちゃん(二人ともそのうち書きます)みたいな健康美もよいですが、小ぢんまりした身長の割にグラビアでは、すんごく映えてました。カワイかったぁ・・

小泉今日子(こいずみ・きょうこ)
1966年2月4日生
神奈川県出身
血液型O
デビュー曲「私の16才」(1982年3月21日)

個人的ベスト3は。。
1.「艶姿ナミダ娘」(1983.11.1) 康珍化/馬飼野康二/馬飼野康二
2.「夜明けのMEW」(1986.7.10) 秋元康/筒美京平/武部聡志
3.「まっ赤な女の子」(1983.5.5) 康珍化/筒美京平/佐久間正英


それまではどちらかと言うと、歌手としてはそれほど好きでなく、(失礼ながら)グラビアアイドルとしての認識が強かったのですが、「まっ赤な女の子」で”ほっほー”と見直して(個人的にはかなりキました)、「半分少女」で”そー来たか”と感心し、そして「艶姿」で本格的に歌手・小泉今日子を(自分の中では)確立しましたね。。
その後も「迷宮のアンドローラ」「魔女」等なかなかの良曲がありますが、「夜明けのMEW」が秀逸。秋元康が時々使う”「僕」一人称の詞を女の子に歌わせる”手法が完全にハマった名曲です。絵が浮かんでくる心地よくも切ないヴォーカル。

「なんてったってアイドル」のせいで、皆が小泉今日子を記号化し、サブカルチャーの旗手というか時代の寵児みたいに持て囃したけれど、彼女が語られるべきは歌手としてである、と確信しています。
2004/10/30のBlog
[ 03:08 ] [ ホリプロ ]
その愛くるしさは守ってあげたい妹のようで、どこにでもいそうで実はどこにもいない普通っぽさとスタア的資質が同居した82年デビュー組1番のアイドル(断言)。

今でこそ沢山の子どもを抱えつつ、たくましく生きる女性になってしまったけれど、どれが本当の彼女だか全く解らないほど、いくつもの顔を見せてくれました。

堀ちえみ(ほり・ちえみ)
1967年2月15日生
大阪府出身
血液型B
デビュー曲「潮風の少女」(1982年3月21日)

「セシル」や「キャンレディ」のCMでお茶の間のアイドルになった彼女がブレイクしたのは『スチュワーデス物語』でした・・
彼女の地には近かったと思うのですが、何だか痛々しくて見ていられませんでした。。
そして、今改めて衝撃は片平なぎささんの息の長さ。最近ますます綺麗になって。まったく関係ないんですが(笑)

個人的ベスト3は。。
1.「稲妻パラダイス」(1984.4.21) 康珍化/林哲司/萩田光雄
2.「リ・ボ・ン」(1985.1.23) 三浦徳子/松田良/萩田光雄
3.「青春の忘れ物」(1985.9.25) 売野雅勇/鈴木キサブロー/後藤次利


「稲妻」は元気が出る曲です。この頃の林哲司さん、好きでした。「消えない日焼け、残してあげる♪」のくだりなんか、グッときます。。
「リ・ボ・ン」はベンチャーズ風のエレキが幼い声と妙に合ってるな、と思った発見の曲。
「青春の忘れ物」は歌詞が胸に染みます。ホントそうだったから・・
でも、彼女の場合は実験的に遊ばれた面もあって「Wa・ショイ!」(85年)なんてその典型でしょう。その頃の『Lonely Universe』は大好きなアルバムの1枚で、気だるい感じが繰り返して聴くとクセになる危険な1枚でした。『プラム・クリーク』もお勧めです。高橋幸宏が炸裂しています。
2004/10/29のBlog
[ 02:14 ] [ ボンド ]
テレビなどで既に有名になり歌手デビューの日を待たれる人がいる。
「松本伊代」はそんな存在だった。だからこそ翌年デビューにカテゴライズされる81年10月21日まで待った。そのデビュー曲で「伊代はまだ16だから」と歌い、世の中の度肝を抜いた。
それから世の中は松本伊代を歌謡曲をアイドルを知ったかぶりで語り始めた。彼女が世の中を欲情させた。なぜだかはわからないけど。

松本伊代(まつもと・いよ)
1965年6月21日生
東京都出身
血液型B
デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」(1981年10月21日)

大学1年の時のバイト先の先輩(正社員・男)に、初仕事のお昼御飯を食べている時に「今日、伊代ちゃんのコンサートなんだよね、行かない?」とふられた。えっ?こんなイイ年の割といいオトコなのに、松本伊代??とマジで驚いたあの日。「今日はちょっと・・」って用も無いのに断ってしまった。
今、思うと行っとけば良かった(笑)彼はどうしてるのかしら。

そんな伊代ちゃんの個人的ベスト3。
1.「あの日に帰りたい(Dancin' In The Heart)」(1985.3.5) 売野雅勇/筒美京平/中村哲
2.「シャイネス ボーイ」(1984.9.21) 尾崎亜美/尾崎亜美/小林信吾
3.「チャイニーズ・キッス」(1983.3.3) 康珍化/亀井登志夫/鷲巣詩郎


世間の発情は糸井重里が作詞した「TVの国からキラキラ」(”ねぇキミってキラキラ?”)、「オトナじゃないの」(♪かけちゃうぞ、ピーピピッピ♪)で頂点に達した。

伊代ちゃん個人も楽曲も、どうしても好きになれなかったのだけれど、その騒動が落ち着くと、妙に歌詞もその他も等身大に聞こえてくるようになった。
そして、彼女は戸板女子短大に進んだ。女子大生、である。文化放送で”ミスDJ”のパーソナリティもやった。毎週聞いた。「恋のKNOW-HOW」がラジオから流れてきた。素直に良い曲だと思った。
TVの国の伊代ちゃんが、すごくフツーの女子大生として(勿論遠い存在であるのは間違いなかったけど)、語りかけてきた。
2004/10/28のBlog
[ 01:11 ] [ ジャニーズ ]
郷ひろみさんは本当に息の長いアーティストになりました。正直言うと、デビューの頃からは想像していなかったことです。
アイドル!という感じのいでたちと鼻にかかったような声。いかにも賞味期限が短そうな印象を子供心に受けたものです。

郷ひろみ(ごう・ひろみ)
1955年10月18日生 (←ついこの前が誕生日だったですね。)
福岡県出身
血液型A
デビュー曲「男の子 女の子」(1972年8月1日)

しかし。
彼と彼の周りでは着々と戦略が練られ、楽曲的にも(必要以上に)大人の曲があてがわれます。こんなに妖しい世界を歌っていいの?というのが70年代後半の郷さんに対する正直な思いでした。

まずは1970年代個人的ベスト3。
1.「ハリウッド・スキャンダル」(1978.9.21) 阿木耀子/都倉俊一/都倉俊一
2.「いつも心に太陽を」(1979.6.21) 阿久悠/ミッキー吉野/ミッキー吉野
3.「バイブレーション(胸から胸へ)」(1978.3.21) 島武実/都倉俊一/船山基紀


一番売れたのは「よろしく哀愁」(74年)。「お化けのロック」「林檎殺人事件」の企画モノや、網倉一也サンが"唐沢晴之介"名義で作詞・作曲をした「マイ レディー」がその次くらい。
「いつも心に太陽を」は当時の郷さんには珍しく(?)爽やかな佳曲。

そして80年代。
1.「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」(1980.1.21) 来生えつ子/南佳孝/萩田光雄
2.「素敵にシンデレラ・コンプレックス」(1983.5.12) 阿久悠/鈴木康博/井上尭之、甲斐正人
3.「How manyいい顔」(1980.7.21) 阿木耀子/網倉一也/萩田光雄

インパクトは「お嫁サンバ」(81年)と「2億4千万の瞳」(84年)でしょうか。売れたのはこれも後の基本路線となるカヴァーの「哀愁のカサブランカ」(82年)。後半は渡米により殆ど音楽活動なし。

しかし。
90年代、まさに不死鳥のように復活するのです。
”ヒロミ・ゴー”ブランドを確立。ストイックな生活に裏打ちされた完璧な肉体と、エンターテイナーとしての華麗なパフォーマンス。「言えないよ」(94年)「逢いたくてしかたない」(95年)とヒットを連発。そして極めつけは「GOLDFINGER'99」(99年)。本当に大ブームと言えるムーブメントを巻き起こしました。

今は音楽活動休止中、とのことですが、次の展開は何かわくわくさせられる数少ないアーティストです。

※05/03/12 santaroさんのご指摘で一部加筆・修正。
2004/10/27のBlog
[ 00:39 ] [ その他男性アイドル ]
野口五郎さんの80年代は地味です。
70年代が地味でなかったかどうかと言うと議論も分かれるところでしょうが、コンスタントにヒットも出ていたし、ある意味、世界が確立されていたと思います。

野口五郎(のぐち・ごろう)
1956年2月23日生
岐阜県出身
血液型A
デビュー曲「博多みれん」(1971年5月1日)

ディスコグラフィーを改めて振り返ると、彼ほど筒美京平がこだわった歌手はいないようにも感じます。ここまで書いてるのか・・と思うほど。それは筒美さんが五郎さんの正統派歌謡的資質に惚れ込んだからではないでしょうか。

個人的ベスト3は。。
(1970年代)
1.「真夏の夜の夢」(1979.4.21) 阿久悠/筒美京平/筒美京平
2.「グッド・ラック」(1978.9.1) 山川啓介/筒美京平/高田弘
3.「針葉樹」(1976.9.10) 麻生香太郎/筒美京平/筒美京平


多分、良くも悪くもその世界を変えたのは、79年の「真夏の夜の夢」でしょう。
デビュー曲は「博多みれん」。演歌系とでも言えそうな売り出し方。「私鉄沿線」等のヒットで”実力派アイドル”的な扱いになり、数合わせっぽい雰囲気も含め”新御三家”と呼ばれました(誰と誰との3人か、新でない御三家は誰がいたか、知らない人はお家の人に聞いて見ましょう)。

ただ、彼はラリー・カールトンを愛し、ギターを愛していたのです。
それが高じて?ステージでスタンドマイクでギターを弾きながら歌うことにしました。
セールスは期待と較べてどうだったのでしょうか・・

(1980年代)
1.「さすらい気分」(1980.6.5) 山上路夫/筒美京平/大村雅朗
2.「ダイヤル177」(1981.12.25) 伊藤アキラ/山中涼平/山中涼平
3.「19:00の街」(1983.1.25) 伊藤薫/筒美京平/川村栄ニ


1位はTVドラマ主題歌。爽やかで当時の私の心境をうまくとらえていました・・2位は良い曲ですが、今でも”天気予報と時報、どっちだっけ?」とか思うと”♪まわすぅダイヤルいちなぁななぁなぁ天気予報に相槌を打つぅ♪”と口ずさんで確かめるバカな私です(汗)

80年代でそこそこ売れたのは「コーラス・ライン」(80年)と「19:00の街」くらい。ここで取り上げるのも疑問に感じるくらいですが、後世に与えた影響は大きくて、ヨッちゃん(野村義男)は彼からもらったギターを大切に持っているし、今をときめく山本耕史は彼にギターを教えてもらったと。そして”カックラキン大放送”で魅せた独特のギャグセンスはアイドルのバラエティとの関わり方の新しい姿を提示していたと言えます。