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あかねさんのかぶと虫
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2004/12/12のBlog
[ 01:58 ] [ ヤマハ系 ]
84年、「ワインレッドの心」で突然に大ブレイク。
でも下積みは長かったようです。
73年には既に「安全地帯」のバンド名でポプコンに出場。76年には北海道代表になっています。この時は長渕剛も九州代表になってますね・・
しかし、デビューは82年。「ワインレッドの心」は83年11月の発売でした。

玉置浩二(たまき・こうじ) 1958年9月13日生 A型
武沢 豊(たけざわ・ゆたか) 1958年5月16日生 AB型 
六土開正(ろくど・はるよし) 1955年10月1日生 A型
矢萩 渉(やはぎ・わたる) 1957年6月27日生 A型
田中裕二(たなか・ゆうじ) 1957年5月29日生 O型
※全員が北海道出身
デビュー曲「萠黄色のスナップ」(1982.2.25)

個人的ベスト3。
1.「ワインレッドの心」(1983.11.25) 井上陽水/玉置浩二/安全地帯・星勝
2.「熱視線」(1985.1.25) 松井五郎/玉置浩二/安全地帯・星勝
3.「恋の予感」(1984.10.25) 井上陽水/玉置浩二/安全地帯・星勝
意外にありそうでなかった、タイプの曲だったと思います。フォークでもなくAORでもないけど心に染み入る曲。玉置浩二はよく、曲作りの原点は童謡、というようなことを言ってましたが、確かにそうかもしれません。
この曲、そして詞が彼独特の艶のある声で歌われると、グッとくるのかもしれません。
そんな中、「熱視線」は路線的には異なる曲。この曲の持つスリリング感はたまりません。カラオケとかで歌うと間延びするのですが(笑)

その後も「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」「プルシアンブルーの肖像」など佳曲を出すとともに、井上陽水さんとの「夏の終わりのハーモニー」などの企画モノも好調で、まさに日本歌謡界の中で重要な位置を占めたと言えます。

87年に玉置浩二はソロ「All I Do」をリリース。この時は余技かな・・くらいに思っていたのですが、88年の「微笑みに乾杯」で安全地帯が活動休止に入ると、89年よりソロ活動を充実。「キ・ツ・イ」(89年)などがヒット。「田園」(96年)はミリオンに。
90年から93年まで安全地帯として、年1曲ペースでの活動再開。その後また休止し、02年に久々の活動再開。93年まで3枚のシングルをリリース。

玉置浩二さんは、売れないバンド時代を支えた奥様と別れ、再婚したあたりから女性の支持を失った気がします(同事例:ミスチル・桜井、GLAY・TERU)。プライベートと言えばそれまでですが、やはり影響はあったのではないでしょうか。
2004/12/11のBlog
[ 02:05 ] [ 総括&データ ]
84年のオリコン1位はわらべ。83年の「めだかの兄妹」3位に続く連続大ヒットでした。
こういう曲が売れる時の世相というか、心の状態を洞察したかったのですが・・よくわかりません(笑)
あとはチェッカーズと中森明菜がベスト10に3曲ずつ。実はこんな感じがしばらく続いたんですよね・・ちょっとツッパって生きている人に共感する一方で、わらべ。やっぱりダメです(笑)

そんな中、レコ大も歌謡大賞も「長良川艶歌」でした。勿論悪い曲ではないのですが、ちょっと違和感ありましたね・・オリコン年間ランクは14位。ふむふむ。

そしてレコ大の新人賞の5組・・桃子さんは会場にも現れず(苦笑)
一世風靡セピアやSALLYは確かに売れましたが、ここは他の賞レースと一線を画した選考でした。
最優秀も例年と少し違った選び方をしたのですが、TV画面を見ている限りでは、ちょっと首を捻る雰囲気を感じました。
(参考データ)
【オリコン売上枚数】(83年12月~84年11月)
1.「もしも明日が・・・。」わらべ
2.「ワインレッドの心」安全地帯
3.「Rock'n Rouge」松田聖子

4.「涙のリクエスト」チェッカーズ
5.「哀しくてジェラシー」チェッカーズ
6.「十戒(1984)」中森明菜
7.「娘よ」芦屋雁之助
8.「星屑のステージ」チェッカーズ
9.「北ウイング」中森明菜
10.「サザン・ウインド」中森明菜

【日本レコード大賞】
<大賞>
「長良川艶歌」五木ひろし
<最優秀新人賞>
「恋はじめまして」岡田有希子


<金賞>
「北ウイング」中森明菜
「北の螢」森進一
「唇のプライバシー」河合奈保子
「最愛」柏原芳恵
「浪花節だよ人生は」細川たかし
「長良川艶歌」五木ひろし
「ピンクのモーツァルト」松田聖子
「星屑のステージ」チェッカーズ
「もしかしてPART Ⅱ」小林幸子・美樹克彦
「ワインレッドの心」安全地帯

<新人賞>
「前略、道の上より」一世風靡セピア
「恋はじめまして」岡田有希子
「SUMMER EYES」菊池桃子
「モニカ」吉川晃司
「バージンブルー」SALLY

【日本歌謡大賞】
<大賞>
「長良川艶歌」五木ひろし
<最優秀新人賞>
「恋はじめまして」岡田有希子
「ラ・ヴィアンローズ」吉川晃司

2004/12/10のBlog
[ 01:46 ] [ その他女性アイドル ]
84年の新人賞レースは吉川晃司、岡田有希子の一騎打ちになりました。
あとは荻野目ちゃんが健闘したくらいです。
デビュー曲がすごく良い人が多かっただけに、その後の展開が残念だったのが、高橋美枝、宇沙美ゆかり、それからホリプロ期待の田中久美・・・
山本ゆかりとか、好きな人も結構いたのですが、残念です。

そんな中、レコ大の新人賞は予想もしなかった顔ぶれとなりました(詳細は次回)。

あと、この年は後に女優として活躍する人の歌手デビューが多いのも注目です。
【参考データ:IDOL POPS '80s】
山口由佳乃(「チャイニーズ・ボーイ 」83.11.1)
冨田靖子(「オレンジ色の絵葉書」83.11.21)
高橋美枝(「ひとりぼっちは嫌い」83.11.21)
渡辺典子(「花の色/少年ケニヤ」84.1.1)
オナッターズ(「恋のバッキン」84.1.25)
安田成美(「風の谷のナウシカ」84.1.25)
おかわりシスターズ(「恋をアンコール」84.2.21)
黒沢ひろみ(「不思議あげます」84.2.25)
田中久美(「スリリング」84.3.3)
倉沢淳美(「プロフィール」84.3.21)
赤坂小町(「放課後授業」84.3.21) ※後のプリンセスプリンセス
宇沙美ゆかり(蒼い多感期」84.3.21)
中村容子(「ティーンエイジ・ソルジャー」84.3.23)
渡辺千秋(「夏にフレッシュ。」84.4.1)
辻沢杏子(「サヨナラMr.…」84.4.21)
堀江しのぶ(「ビキニ・バケーション」84.4.25)
可愛かずみ(「春感ムスメ」84.5.1)
成清加奈子(「パジャマ・じゃまだ!」84.5.5)
青田浩子(「月の夜星の朝」84.5.25)
加藤香子(「偽名」84.6.20)
仙道敦子(「青いSunset」84.6.21)
長谷川真弓(「星に約束」84.6.21)
沢口靖子(「潮騒の詩」 84.6.21)
フローレンス芳賀(「ドゥ・ユー・リメンバー・ミー」 84.6.21)
松本友里(「過剰にオンリー・ユー」84.6.21)
山本ゆかり(「私MAILUWA」84.6.21)
麻生真美子&キャプテン(「恋の免許証」84.6.21)
ヒロコグレース(「うぬぼれて誘惑」84.7.21)
キララとウララ(「センチ・メタル・ボーイ」84.8.1)
鳥越マリ(「暗くなるまで待てない」84.8.5)
冨永みーな(「不思議なひらめき」84.8.5)
少女隊(「Forever」84.8.28)
2004/12/09のBlog
多くの人が苦笑とともに語る、桃子ロックバンド・プロジェクト、ラ・ムー。
本当に失敗だったのか?検証しようと思ったのですが、止めておきます・・多分、思い入れが勝っているから上手く書けない気がしたので。

最初の報道で驚き、何も言ってくれない桃子さんに苛立っていたあの頃。
ある日、ラジオのレギュラー番組で、真剣に心のうちを話してくれました。
私は、“そうまで言うなら応援しよう”と思ったのです。

「愛は心の仕事です」。タイトルはあまりロックという感じではありません。
ジャケットは宗教団体かオカルト雑誌のよう(名前もニアだ)。違和感・・・

でも、アルバムを聴き続けていくうちに、結構いいじゃない・・って思ってきたのです。ブラックの要素もありつつ、キーボードが効いたアレンジは、結構聴いているとハマっていく感じがしました。
嬉しかったのは、当時アイドルものをバカにしていたサークルの後輩が、「ラ・ムー、いいですね、毎日聴いてます」と言ってくれたこと。彼はT-スクエアなどを当時聴いていて、近いものを感じたのかもしれません。

とにかく生でのパフォーマンスが観たくて、出演していた“ROCK WAVE '88”に参加。夏フェスのハシリみたいなもんですが、夏なのに雨で、とにかく寒かった・・確か、カルロス・トシキ&オメガトライブ、川嶋みき、関口誠人との組だったと思います。初めて観たというのはあるのですが、寒くて・・
#そんな中、一番印象に残ったのは、関口クンの「雨の満塁ホームラン」だったりします・・

ラ・ムーはシングル4枚、アルバム1枚をリリースして活動を終了、ソロでは活動しないものの、90年代に入ると、「渋谷で5時」なども・・

今でもTVをつければCMで顔を見られるのは、ほんと、奇跡的だと思います。
それも、恐らくこの時期があったから長く生き残っている、のだと信じています。
2004/12/08のBlog
桃子さんの個人的ベスト3。
1.「青春のいじわる」(1984.4.21) 秋元康/林哲司/林哲司
2.「雪にかいたLOVE LETTER」(1984.11.1) 秋元康/林哲司/林哲司
3.「Broken Sunset」(1986.2.13) 有川正沙子/林哲司/林哲司


ソロでのシングルは年3枚×4年間=12枚という寡作の桃子さん。その全てを作曲したのが林哲司さん(アレンジは他の人が担当したことも)。杉山清貴&オメガトライブなどを手がけるとともに、84年には中森明菜「北ウイング」、堀ちえみ「稲妻パラダイス」、原田知世「愛情物語」と好きだと思うとどれも彼の作品だったり、という時期もありました。

そんな中で「Say Yes!」(86年)は、彼女には珍しいストレートなメッセージ・ソングですが、恐らくユッコのことがあって、後追いする人とかいて・・という状況で、彼女なりの表現だったのだと思います。「生きるのがとても好き 世界中が君を待ってる」と彼女が歌うことで救われた人がいることを願います。

楽曲各々にはいろいろ思い出もありますが、シチュエーション的に思い出に残っているのは、「Nile in Blue」(87年)。確か9月7日の月曜日、新宿厚生年金会館でのコンサートの日。月曜といえば、『トップテン』。コンサートがひととおり終わって、堀クンが登場。会場からの中継となりました。その日、この曲が1位というのは、やや出来すぎの感もありますが、貴重な経験でした。

あとは、「ガラスの草原」(87年)の時に東武動物公園で開催されたイベントでは、偶然最前列の席に座ることができ、ファンクラブ会報に小さーく写真が載ったり・・なんてこともありました。。

そして、その後、ソロでの活動に一旦終止符を打ち、翌88年からは・・(つづく)
2004/12/07のBlog
菊池桃子さんの詞は秋元康さんが主に担当しました。
秋元康は稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」などで売り出してはいたけれど、デビューから本格的に手がけるのは桃子さんが初めて。

「青春のいじわる」は、そういう意味では彼にとっても重要な1曲だっただろうと思います。“渾身の一曲”といってもいいのではないでしょうか。
彼は詞の冒頭で、風景をうまく切り取って見せる(情景を絵として聴く人にイメージさせる)ことに優れていますが、恐らく意識してそういうアプローチをしています。

「青春のいじわる」は
“緩い坂道 錆びたバス停 遠い街が黄昏れてく
 君は僕から少し離れて ガードレール腰掛けてた”
と始まりますが、ここが彼の手法の出発点だったかもしれません。

桃子さんでは、陽射しにバリエーションを持たせることで、イメージを拡げさせています。
“コテージの窓から拡がる コバルトのリーフが光れば”(「SUMMER EYES」)
“緑の木々の隙間から春の陽射しこぼれて 少し眩しい並木道 手をかざして歩いた”(「卒業」)
なぜかこの手法は他の作詞家にも受け継がれ、
“陽射しがひとつ弱まるたびに ふたりの心も脆くなるね”(「もう逢えないかもしれない」by 康珍化)
“木漏れ日が眩しい そよ風の坂道”(「夏色片想い」by 有川正沙子)
と徹底しています。

桃子さんで気づいたこの方法論は、河合その子でも繰り返し使われていて、
“夕陽が傾く西の空 舗道に集めた影絵”(「落葉のクレッシェンド」)
“夏の前の淡い陽射しが 駅のホームにこぼれてる”(「青いスタスィオン」)
と陽射し系で攻めたと思えば、「僕」の一人称を歌わせるのは「悲しい夜を止めて」で使っています(ちなみに、この曲のシチュエーションはシブがき隊「ドリームラッシュ」にも使用)。「僕」はその後、小泉今日子「夜明けのMEW」等でも効果的に使われます。

また、桃子さんは、宇宙、銀河といったテーマや、世界紀行的な雰囲気もアルバムを中心に醸し出しています。そういう広大なテーマが似合う人でもありました。

ある意味、時代の寵児とも言える秋元康の基礎をつくった点でも桃子さんのパワーがすごいといえると思います。
2004/12/05のBlog
[クリスマス・ソング集めましょう]by k.m.joeさん

多少ひいき目に見ているところがあるかもしれませんが、私のベスト・クリスマス・ソングは菊池桃子さんの「雪にかいたLOVE LETTER」です。

多分、通学路の雪の上に、好きな人に見てもらうためのメッセージを書くんです。
日本では、12月に雪が降る地域は意外と少ないので、シチュエーション的には、かなり無理がありますが、良い曲だと思います。
作詞は秋元康、作・編曲は林哲司。桃子さんを支えた黄金コンビ。

最後の囁くような“Merry X'mas ! ”が極めつけ。

この曲が発売された84年、私の住んでいた地域では、12月24日、雪が降りました。ものすごく積もるほどではなかったのですが、奇跡的とも言える天気に私は桃子パワーを感じざるを得なかったのです。。
2004/12/04のBlog
芸能界において一種独特な存在感を示す人がいる。
菊池桃子さんはその典型で、多くの人があまり曲も知らなかったり、どんな映画やTVに出ていたかも記憶していないのに、CMで出てくると殆どの人が彼女のことを認識できる。そして画面から漂う妙なほのぼの感。
すごく客観的に彼女を見ると、そんな感じなんではないでしょうか。
でも、私は桃子さんのことを客観的には見れません(笑)
どのくらいの長さになるかわからないので、とりあえず(その1)としてみました。。

映画『パンツの穴』でデビューしたのが清純派を売り物にしたかった筈の彼女としてはいかがなものかとも思いつつ、そのデビュー以来、桃子さんを中心にいろんなものがまわっていきました。
雑誌『Momoco』の創刊。そして、モモコ・クラブという集団(何と呼べばいいのだろう・・)の結成(?)メディア・ミックスでのプロモーションがスタートし、そこから西村知美、畠田理恵、白田あゆみ等がデビューしました。

菊池桃子(きくち・ももこ)
1968年5月4日生
東京都出身
血液型B
デビュー曲「青春のいじわる」(1984年4月21日)
桃子さんの影響の広範囲さを感じた出来事を一つ。

吉本ばななさんの『キッチン』には、以下のようなくだりが出てきます(ちょっと長いけど引用。実際は八分音符ではない)。

------------------------------------------------

カップを洗っていると、水音にまぎれて雄一が口ずさむうたが聞こえた。
♪月明かりの影 こわさぬように
 岬のはずれにボートをとめた

「あっそれ知ってる。何だっけ。けっこう好き。誰のうただっけ。」
私は言った。
「えーと、菊池桃子。すごい耳につくんだよね。」
雄一が笑った。
「そうそう!」
私は流しをみがきながら、雄一は床をみがきながら、声を合わせてうたを続けた。真夜中、しんとした台所に声がよく響いて楽しかった。
「ここが、特に好き。」
と私は2番のアタマのところをうたった。
とおくの-
とうだい-
まわるひかりが-
ふたりのよるには-
こもれびみたい-
はしゃいで、大声でくりかえして2人はうたった。
♪遠くの灯台 まわる光が
 2人の夜には 木もれびみたい

-----------------------------------------------

私は自分の中でまだ評価の定まらない、この女性作家の実質デビュー作でこの箇所を読んだだけで、吉本ばななを「通しっ!」と思いました(笑)。
私なら、こんな体験があれば、それだけでその人と生きていけると思うでしょう。
その曲はファースト・アルバム『OCEAN SIDE』のA面ラストに入っている「Futari No Night Dive(二人のナイト・ダイヴ)」という曲だけれど、そんな曲を知ってる人が身近にいるだけで全ての価値観を共有した気になるかもしれないと思います。

いずれにしても、吉本ばななさんに、この大事な場面でアルバムの1曲を使わせるパワーが桃子さんにはある、ということでしょう。
[ 03:18 ] [ サンミュージック ]
ここで語るのかどうかは迷ったのですが、今ならある程度は冷静に見られると思ったので、書き留めておくことにしました。
86年4月8日は私の大学の入学式の日で期待と不安が混ざり合った落ち着かない気分の日でした。距離的にはそれほど離れていない場所で、そのことは起きました。別にムシの知らせとかそんなのなかったのが、バカみたいだけどショックでした。

同世代の彼女が、何に対してそこまで思い詰めて行動に移したのかは知る由もないけれど、アイドル・岡田有希子としてではなく、一人の人間であり女性・佐藤佳代としての決断(衝動だったのかもしれませんが)だったのだと思います。

ユッコは(というか佐藤佳代さんは)とても頑張り屋で、愛知県でも有数の進学校に合格しました。そして成績学年1位にもなりました。それが芸能界入りを認めてもらう条件だったからです。夢に向かって努力し達成する、それが彼女の根本にあったと思います。

デビューした年の夏、プロモーションで近くのスーパーに握手会に来ました。すごく小さくて目が大きくて可愛かった。暑い日だったのに汗ひとつかいてなかったのが不思議だったのですが、後日雑誌で、汗をかくとメイクが崩れるから訓練して顔には汗をかかないようにしたみたいな記事を読んで、何てプロなんだと思ったのを強く記憶しています。

岡田有希子(おかだ・ゆきこ)
1967年8月22日生
愛知県出身
血液型O
デビュー曲「ファースト・デイト」(1984年4月21日)

正直言うと、私は竹内まりやさんの曲(というか詞の世界)があまり好きではありません。ただし、ユッコの場合は凄くハマっているというか、愛情の溢れる作品になっていると思います。ユッコが「クラスで一番目立たない私」(@「ファースト・デイト」)なわけはないのですが、そういう自分に自信をもてない少女の成長の様をうまく追えていると思います。

個人的ベスト3。
1.「ファースト・デイト」(1984.4.21) 竹内まりや/竹内まりや/萩田光雄
2.「Love Fair」(1985.10.5) かしぶち哲郎/かしぶち哲郎/松任谷正隆
3.「哀しい予感」(1985.7.10) 竹内まりや/竹内まりや/松任谷正隆


「Love Fair」は何だか奇作と言っても過言ではない不思議な曲ですが、聴けば聴くほど味が出る曲だと思います。「哀しい予感」もそうですが、マイナーな曲にユッコの真髄が感じられると思っています。

実は、ユッコの曲を聴くのをあれ以来、封印してきたのです。
思い出してしまうから・・という理由で。アナログ盤しか持ってなかったのも原因でしたけど。
ただ、20年たった今、聴き返してきようと今年ベスト盤を購入しました。
「二人だけのセレモニー」とか「Summer Beach」とか、こんな曲だっけ?と思うようなこともありました。曲構成が複雑怪奇な気がしました(亜美さん・・)。
やはり、記憶というのは薄れていくものですが、もう1回いろいろと聴いてみようかと思います。ユッコが残してくれた音楽を心に刻んでおくためにも。
2004/12/02のBlog
[ 01:40 ] [ その他女性アイドル ]
デビュー前に『明星』で芸名を募集してたのです。本名は渡部桂子。柏原芳恵、松居直美と同じゴールデンミュージック所属で大阪出身。私は必死で考えて応募しました。結果は・・だったら募集するなよって感じ。

渡辺桂子(わたなべ・けいこ)
1966年11月9日生
大阪府出身
血液型A
デビュー曲「H-i-r-o-s-h-i」(1984年3月21日)

でも、デビュー前から関わってきたという錯覚は思い入れに変わるのに時間はかかりませんでした。デビュー直後の4月1日、あまり関心なさそうな友達を誘って名古屋テルミナ屋上に。生まれて初めての握手会参加です。デビュー曲は曲名のインパクトも手伝ってまずまずの滑りだし。しかし後が今一つ続かず。。大映ドラマ(『乳姉妹』)にも出たり頑張ってたんだけど。

個人的ベスト3。
1.「H-i-r-o-s-h-i」(1984.3.21) 売野雅勇/筒美京平/大谷和夫
2.「赤道直下型の誘惑」(1984.6.21) 売野雅勇/筒美京平/大谷和夫
3.「第II少女期」(1984.9.1) 売野雅勇/筒美京平/大谷和夫


またまたデビューから3曲。おまけに発売順。どんどん冷めていったのが見てとれます・・
そしてその後、突然失踪にも近い形で米国へ旅立ち結婚など慌しい人生を送られたようです。それからのことは、あまり見ないようにしていました。

ただ・・この12月15日にベスト盤が発売されるそうです。
既に音源も全て処分してしまっていたので、20年ぶりに聴いてみようかな、と思います。