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あかねさんのかぶと虫
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2004/12/25のBlog
[ 02:07 ] [ その他女性アイドル ]
ミス・マガジンに選ばれ、ドラマ『野球狂の唄』に主演。「卒業」で鮮烈な歌手デビューを果たし、『スケバン刑事』主演。。怒涛の85年。
86年にはNHK朝の連ドラ『はね駒』主演、そして紅白の司会・・かなり端折ってますが、とにかくもの凄かったのです。今で言えば、タイプは違いますが、上戸彩ちゃん並の大車輪の活躍、いやもっとスケールは大きかったでしょう。
明星食品の『青春という名のラーメン』や富士フィルムの『AXIA』など、企業が起死回生の新ブランドを投入するときのキャラクターとして選ばれることが多かったのも、斉藤さんのパワーに皆が期待したからでしょうか。

斉藤由貴(さいとう・ゆき)
1966年9月10日生
神奈川県出身
血液型B
デビュー曲「卒業」(1985年2月21日)
斉藤さんの魅力は、まっすぐなところ。ピュアなところ。ドラマにも映画にも、そして歌にも。多くの人が、そこを支持しました。

アルバムも何だか沢山聴きました。斉藤さんの世界を作り上げたという意味では、アルバムの方が浸れます。
クリスマス・イブだったので、確か『PANT』に「Christmas Night」入ってたな。。とか思ったのですが、それよりも『ripple』が聴きたくなってそっちにしてしまいました。このアルバムは、ア・カペラのコンセプト・ミニ・アルバム。こっちの方が、よりクリスマスちっく(笑)

個人的ベスト3。
1.「卒業」(1985.2.21) 松本隆/筒美京平/武部聡志
2.「青空のかけら」(1986.8.21) 松本隆/亀井登志夫/武部聡志
3.「砂の城」(1987.4.10) 森雪之丞/岡本朗/武部聡志


何だか好きな曲多いな・・
「卒業」は数ある「卒業」ソングの中でもベストではないかと個人的には思っています。。
「青空のかけら」は斉藤さんには珍しく、突き抜けた感じです。夏の青空の下で聴きたい一曲。

その性格のまっすぐさから、私生活ではいろいろあった斉藤さんですが、お母さんになった今でも、その魅力は失ってないな。。と思うこともあります。
斉藤さんのヴォーカルが耳について離れない、クリスマスの夜♪
2004/12/23のBlog
[ 22:53 ] [ その他女性アイドル ]
久々に引っ張り出してきたカセットテープ。記事を書くために順番に聴いてます。まずは1stアルバム『あなたの背中を見つめながら』。腰が抜けそうになるくらい可愛いです。
3rdアルバム『MODERATO』に移る。すごい。そして6thアルバム『R・Y・O・K・O Station~TOKYO DELUXE SANOPAC TOUR~』。もう卒倒しそう。そして、大好きな7thアルバム『TOY PIANO』。何度も聴いてたらしくテープの調子が悪い。伸びてるのかな(涙)。

佐野量子(さの・りょうこ)
1968年8月22日生
静岡県出身
血液型A
デビュー曲「ファースト・レター」(1985年4月21日)
秋元康らしい遊び心で、「教科書のイニシャル」(86年)では“あなたのK.H”と歌い、「これって欽ちゃん?」との憶測を呼び起こし、続く「瞳にピアス」では、多くの青少年に「痛ぇよっ!」と突っ込みを入れさせ、「あくび」(89年)ではリコーダーまで吹かせた。。

って、普通の人には、量子ちゃんの歌なんてどうでもよくて、『笑っていいとも!』の“動物に例えると何ですか?”や『ひょうきん族』の“なまこ姫”なんだろう・・
まあ、それでもよいのです。彼女の人気がなくなると曲が聴けなくなってしまうのだから、と思ってました。

個人的ベスト3。
1.「TOMORROW」(1988.7.21) 有川正沙子/牧野信博/武部聡志
2.「4月のせいかもしれない」(1987.3.21) 秋元康/後藤次利/後藤次利
3.「さよならが聞こえない」(1989.3.21) 森田由美/水谷公生/水谷公生
結構好きな曲が多いです。「TOMORROW」は特に大好きな曲。当時沈んでいた気持ちを一番吹っ切れさせてくれたのが、量子ちゃんのこの曲だとは誰にも言えません(笑)
「さよならが聞こえない」は佐野量子版「人生いろいろ」。聴くといろいろなことを思い出します。

現在は武豊夫人。もう少し表舞台に出てきてもいいのに、全く見ない。この前の池添クンの結婚式は武夫妻が仲人って見たから、出てきてたのかな・・。
昔書いたものを読み返すと、92年の1月、年明け早々にユタカと量ちゃんのキス写真が写真週刊誌に出たと書いてあった。95年に結婚。もう10年か。早いな・・

『R・Y・O・K・O Station』はジャケットが秀逸。シングル「哀愁エクスプレス」とセットでどうぞ。。
2004/12/22のBlog
[ 01:32 ] [ ジャニーズ ]
ジャニーズがソロでデビューさせるのは、ひかる一平以来。イーグルスでの助走期間があったにせよ、いかに期待がかけられていたかが解ります。その後は基本的にソロデビューは無し(ソロ活動はあるけど)。タッキーだってユニットです。
85年は男性新人が殆どいなくて賞レースは独走の気配が漂っていました。

中村繁之(なかむら・しげゆき)
1967年9月1日
千葉県出身
血液型B
デビュー曲「Doファッション」(1985年7月24日)
しかし、世の中そんなにうまくはいかないのです。
結局、歌謡対象では優秀放送音楽新人賞(2組)から漏れ、レコ大でも新人賞5組から漏れてしまいました。
印象に残っているのは、いわゆるコール。ファンが声を合わせて応援するアレです。
“なーかーむーら しげゆきくん クールなやさしさ No.1!”
大体のものは大目に見る私ですが、この応援はいかがなものかと思いました(苦笑)

個人的ベスト3。
1.「マジカル・シンデレラ」(1986. .)山本英美/和泉一弥/馬飼野康二
2.「Do ファッション」(1985.7.24)都志見隆/都志見隆/船山基紀
3.「カイショウ無いね」(1985.9.26)売野雅勇/馬飼野康二/馬飼野康二

ちなみに、イーグルスには、中村成幸(ソロデビューで改名)、宇治正高、内海光司、大沢樹生、石川博文の5人が所属。内海、大沢はご存じのとおり、後に光GENJIのメンバーの中核・年長組となり、時代を席巻することになります。
しかし、ジャニーズ事務所の歴史は常にそのようなメンバーの切り貼りが魅力であり、また刹那感をファンに植えつけてもいる、と思います。

歴代ジャニーズのメンバー

[TonyKeiさん迷歌ジャケット美術館]

※コール部分を「なな」さんのご指摘により修正(2005.1.15)
2004/12/20のBlog
[ 00:07 ] [ 第一プロ ]
典子ちゃんをレコード会社がどうしようとしていたか。CBSソニーは松田聖子さんと同じ。おそらく“聖子二世”的な売り方をしたかったのではないかと想像がつきます。ファースト・アルバム『Straw Hat』のジャケットは、まさに聖子っぽく迫っています。

松本典子(まつもと・のりこ)
1968年1月30日生
群馬県出身
血液型B
デビュー曲「春色のエアメール」(1985年3月21日)

個人的ベスト3。
1.「さよならと言われて」(1985.9.21) 銀色夏生/呉田軽穂/松任谷正隆
2.「儀式(セレモニー)」(1986.10.1) 中島みゆき/中島みゆき/戸塚修
3.「春色のエアメール」(1985.3.21) epo/epo/大谷和夫
非常にいろいろな作家陣が曲を提供してたし(ベスト3が典型。「虹色スキャンダル」(86年)は久保田利伸さん、「さよならと言われて」B面の「ジンジャー」は矢野顕子さんなど)、カバー曲が多いのも特徴。金井夕子さんの「パステル・ラブ」(「KEEP ME HANGIN' ON」と両面カバーシングル)、三木聖子さん~石川ひとみさんの「三枚の写真」(「NO WONDER」B面)など・・癖のない声なので、何でもハマってしまうという反面、特徴に欠けたヴォーカルだったかもしれません。でも、そんな典子ちゃんの歌が好きでした。アルバムもとても良くて、『Straw Hat』『KIWI』と名盤揃いです。

そんなふうに「松本典子」は、まさにアイドルの中のアイドル・・のハズでした。でも、既に多くの人には『志村けんのだいじょうぶだぁ』とかに出ていたバラドルで、ヤクルトの苫篠(とまぴょん)と結婚したタレント・・というイメージかもしれません。

でも気がつくと、私の周りには常に典子ちゃんの歌がありました。
好きな人に電話したとき、偶然TVで歌っていた「春色のエアメール」。大学受験の試験中に頭の中をぐるぐるまわっていた「虹色スキャンダル」。友達の家で泊まったときに目覚まし代わりのFMラジオから流れてきた「NO WONDER」。病気で寝ていた真っ暗な部屋で聴いて涙した「儀式」。いいなと思っていたコンビニの店員さんとたまたま同じ電車になってドキドキしたときに私のウォークマンから流れていた「天使が棲む島」。付き合っていた相手が突然クリスマス・イブにバイトを入れてしまい、ヤケになって当日券で行った新宿の典子ちゃんのコンサート・・。

一緒に育ってきた、そんな感じを持つ歌手が私にとっての松本典子、なのです。
2004/12/19のBlog
[ 01:46 ] [ 芸映 ]
みっちょんは美奈子と比べると、ものすごく恵まれたデビューだったと思います。デビュー曲は完璧。インパクトもあり、テーマ性もあって、何しろ可愛い感じが全編漂う仕上がり。非の打ち所がなかったと思います。多分、85年デビュー組をトータルに見ると、最も楽曲に恵まれた一人だと言えると思います。「青い靴」以降に作家陣をチェンジ(財津和夫と筒美京平)することになるミポリンと双璧でしょうか。

芳本美代子(よしもと・みよこ)
1969年3月18日
山口県出身
血液型B
デビュー曲「白いバスケットシューズ」(1985年3月21日)

個人的ベスト3。
1.「横顔のフィナーレ」(1986.12.24) 松本一起/難波弘之/大村雅朗
2.「白いバスケットシューズ」(1985.3.21) 松本隆/井上大輔/井上大輔
3.「青い靴」(1986.6.4) 松本隆/筒美京平/船山基紀
「横顔のフィナーレ」はセールス的には売れなかったですが、本当に名曲だと思います。ここから、みっちょんの楽曲の方向性が変わったのではないでしょうか。その後の「ヴァニティ・ナイト」は久保田利伸が曲を提供するなど、ロック色を強めていきます。

「東京Sickness」を中心とした87年夏の時期が、私がみっちょんに最もハマっていた時期で、アルバム『I'm the one』は何度も繰り返し聴きました。
その後、理由あって、彼女にインタヴューする機会に恵まれたり、その後もマネージャーさんに良くしていただいて、アルバムのサンプル盤を頂いたり・・と個人的にもいろいろありましたが、生みっちょんを観に聴きに、いろんなところに足を運びました。
ステージ上から目が会うと微笑んでくれたりして・・遠くまで行った甲斐があったと思ったものです。

私生活ではいろいろあったようですが、今では娘さんと、勿論旦那さんとも仲良く暮らしていらっしゃいます。ブラウン管を通しても目にする機会は少なくなったし、ましてや新しい曲は聴けないけれど、生涯のうちで、最も本当に一番身近に感じたアイドルだったと言えます。
2004/12/18のBlog
[ 02:32 ] [ ボンド ]
可愛い。小顔。声量もあって、歌も上手い。日本の歌謡界では稀有な存在ともいえる本田美奈子。河合奈保子さんの後継は美奈子か・・と思ってた時期もあります。

しかし、デビュー曲が「殺意のバカンス」って・・。嫌いな曲ではないですが、重くて難解。80年代女性アイドル歌手デビュー曲・奇曲ベスト5には入りそうです(あとは「駆けてきた処女」「ねらわれた少女」「HELP」・・さて誰の曲でしょう(笑))。「好きと言いなさい」が最初は候補だったと聞いたことがありますが、絶対そっちの方がよかった・・と言うのは簡単。インパクトとしては残ったのかな・・

本田美奈子(ほんだ・みなこ)
1967年7月31日生
東京都出身
血液型O
デビュー曲「殺意のバカンス」(1985年4月20日)

個人的ベスト3。
1.「Temptation(誘惑)」(1985.9.28) 松本隆/筒美京平/大谷和夫
2.「Oneway Generation」(1987.2.4) 秋元康/筒美京平/大谷和夫
3.「1986年のマリリン」(1986.2.5) 秋元康/筒美京平/新川博
「Temptation」は85年秋を代表する私の心の1曲。イントロのどきどき感がたまりません。モータウン風で凄い可愛いTVパフォーマンスだった「Oneway Generation」も珠玉の1曲でした。

バラエティに富んだ曲を歌っていたのに、88年に突然「Minako with Wild Cats」として再スタート。「あなたと、熱帯」は忌野清志郎サンです・・彼女ほどのシンガーは、何も「ロックです」とわざわざ言わなくても、十分ロックなのに。「1986年のマリリン」や「Sosotte」は十分カッコ良かったのに。「the Cross~愛の十字架~」もロッカバラード風で、それなりに良い味を出してたのに。ジャンルに拘らないで。。と切に願ったあの日。

その後、彼女はミュージカルスターの道を歩んでいる。舞台も、ソロ・コンサートも確実にこなしている。
名前の後に「.」を付けたとか、どうでもよくて、いつも歌っていてもらいたい。そう、いつまでも、いろんな曲を・・
2004/12/16のBlog
[ 10:39 ] [ ヤマハ系 ]
ヤマハ系の大御所と言えば中島みゆきさんです。ポプコン第10回グランプリ(「時代」)の後にデビュー。
先般の「地上の星」の大ヒットにより、70年代、80年代、90年代、00年代と4世代(decade)にわたりシングル売上1位を記録するという、おそらく空前絶後の金字塔を打ち立てました。サザンがそれに近い位置にいますが(タイミングの問題だけで、セールス的にはもっと上かも)それにしても自分なりのスタイルを貫き、すでにデビュー30年。脱帽です。

中島みゆき(なかじま・みゆき)
1952年2月23日生
北海道出身
血液型
デビュー曲「アザミ嬢のララバイ」(1975年9月25日)

80年代個人的ベスト3。
1.「あした天気になれ」(1981.3.21) 中島みゆき/中島みゆき/星勝
2.「あの娘」(1983.10.21)中島みゆき/中島みゆき/井上堯之
3.「誘惑」(1982.4.5)中島みゆき/中島みゆき/船山基紀
70年代の「時代」(75年)「わかれうた」(77年)、90年代の「浅い眠り」(92年)、「空と君とのあいだに」(94年)と印象に残る活動をされてきましたが、私にとってのみゆきさんは「悪女」(81年)を含む「ひとり上手」(80年)から「横恋慕」(82年)までの印象が非常に強いですね。この間には「金八先生」(直江喜一や沖田浩之が逮捕、連行されるシーン)の挿入歌として「世情」が使われて大きな話題になったり、オールナイトニッポンのパーソナリティ(何と79年4月から87年3月まで8年間担当!)として高い人気を得たりしました。

そして、「地上の星」のスーパーロングヒット。彼女の足跡はそのまま日本高度成長を支えてきた日本男性たちのノスタルジーを呼び起こし、その苦労とシンクロする・・ということでしょうか。毎週流れるとどうしても耳に残るので、主題歌を歌わせたら右に出る歌手はいないと言って良いでしょう。
これからも、ますますご活躍されることを期待します、とありきたりに結べないほどに、すごい、です。
2004/12/14のBlog
ポプコン出身と言えば、彼等もそう。「きゅうてぃぱんちょす」というバンド名で出場したのが80年。デビューは83年秋のことでしたが、バンド名は都会派?風に、また杉山さん一人をフィーチャーする形でのスタートとなりました。

杉山清貴(すぎやま・きよたか)
1959年7月17日生
神奈川県出身
血液型AB
<その他のメンバー>
高島信二(たかしま・しんじ) ギター
吉田健二(よしだ・けんじ) ギター
大島孝夫(おおしま・たかお) ベース
廣石恵一(ひろいし・けいいち) ドラムス
西原俊次(にしはら・としつぐ) キーボード

デビュー曲「サマー・サスピション」1983年4月21日

個人的ベスト3。
1.「ふたりの夏物語」(1985.3.6) 康珍化/林哲司/林哲司
2.「サマー・サスピション」(1983.4.21) 康珍化/林哲司/林哲司
3.「君のハートはマリンブルー」(1984.1.21) 康珍化/林哲司/林哲司


なんだか自分でも俗っぽい趣味だな、と思うのですが、歌って気持ち良く感じるものを上位に。オメガトライブ=夏みたいなイメージがありますが、サウンドの爽やかさとタイトルによるところが大きそうですね。春先発売だったりしますし。

85年12月、杉山清貴&オメガトライブ解散。
ソロ活動をし、「さよならのオーシャン」「最後のHoly Night」(ともに86年)等もヒット。(この2曲は結構好き)
残されたオメガトライブは、メンバーを変え、ヴォーカルにカルロス・トシキを迎え、「1986オメガトライブ」として再デビュー。「君は1000%」など、クリーンヒットを放ちました。
後に、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」と名前を変え、解散。メンバーは少しラ・ムーに移る等、トライアングル・プロダクションの中で流用されていきます。

オメガトライブは、日本におけるAORの頂点という感じがしますね。林哲司の影響が大きいにしても、時代が求めた音、とも言えそうです。
2004/12/13のBlog
[502records さん]

502Recordsさんのところで、
■■ Otology 09「勝手に!Doblog紅白歌合戦♪」 ■■
という企画をやってらっしゃるので、私も紅白1組ずつ選んでみたいと思います。

高校生の頃、紅白歌合戦の出場者選考に勝手に腹をたてて、自分で選んだ曲を毎日お風呂で4曲ずつ歌ってたのを思い出しました(笑)
紅組:東京事変「遭難」

この曲聴くと、本当にワクワクするっていうか、バンドやりたいっ!って思うんですよねぇ・・
今年、最もCDプレイヤーの中でまわったCDでした。

椎名林檎嬢の圧倒的な存在感。
『無罪モラトリアム』に叩きのめされた5年前。
そのときとは、また違うポップな音で戻ってきた彼女こそが、まさに「東京事変」だったと個人的には思ってます。

男性メンバーの方が数は多いけど、紅でいいですか?(笑)
白組:スキマスイッチ「奏(かなで)」

去年の「view」の時から大注目してたのだけど、今年は一気にブレイクしましたねぇ。
詞よし、メロディよし、歌声よし。
切なく、絡みつくようなヴォーカルが、脳ミソの深いところにひっかかります。

「奏(かなで)」は、シチュエーションがバーッと目の前に拡がり、涙が出そうになる名曲だと思います。
「たとえばそこにこんな歌があれば ふたりはいつもどんな時もつながっていける」
うーん、良い(笑)

売れてもある意味で、アバンギャルドな姿勢をなくさないでほしいな。それだけを願ってます。
2004/12/12のBlog
[ 23:40 ] [ 支えた出来事 ]
NHKで毎週日曜夕方の18時から、放送していた歌番組で、歌謡曲を中心に当時の流れを上手く作り、伝えた番組だと思います。ほとんど毎週観てました♪
全ての音楽番組の中で史上最も好きだったかもしれません。。

記事を書こうとして、記憶が曖昧だったところがあるので、ネットで調べてみました。
「ひとみ」さんの、★「レッツゴーヤング」メモリアル★が参考になりそうです。
最後の3年半の期間に司会を担当した石川ひとみさんのファンの方のページのようですが、データ的には、ここが一番充実したサイトでしょう。

レッツゴーヤングと言えば“サンデーズ”です。
レギュラーとして出ていた当時男性6名に名前を付けたのが始まり。
初代は太川陽介、狩人の2人、川崎麻世、未都由、黒沢浩の6名。
その後、メンバーが入れ替わり、番組終了時まで在籍したのは50組53名だそうです。
後に司会もした、田原俊彦松田聖子が参加したときは衝撃的でした。まだデビュー間近でしたがトップアイドルが約束された2人が加わったことで、一気にサンデーズに華やかさが増しました(それまでも華やかでしたが(笑))。
このブログで個別に紹介した人では、ひかる一平小出広美長山洋子がサンデーズ・メンバーとして出演。のちに少年隊としてデビューする植草克秀や、85年デビューの中村繁之、光GENJIの大沢樹生(中村、大沢はイーグルスとしてはデビュー済)、まだまだデビュー前の保坂尚希等も在籍しました。サンデーズ・オリジナルとして新曲を歌うことで注目されるなど良い宣伝効果があったと思います。
私が個人的に印象に残っているのは、
麻見和也クンと中村繁之クン、矢吹薫クン(銀蠅一家なのにサンデーズ・・)の3人で歌った「キッド・ブルー」。麻見クンはソロでもシングルとしてリリースしました(84年)。
しかし、麻見クンはあんなにカッコよかったのに、今は・・

太川陽介の「Lui-Lui」や渋谷哲平の「ディープ」とか天馬ルミ子の「教えてください神様」なんかを多くの人が知っているのは、きっとレッツヤンの影響。今は、こういう若手をじっくり育てる番組が少なくなったなぁ・・