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あかねさんのかぶと虫
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2005/02/08のBlog
[ 23:59 ] [ サンミュージック ]
87年デビュー組にたどり着きました。自分にとって大切なこの日には大切な人を(笑)

酒井法子は“のりピー”を演じるのに疲れているのではないか、とデビューの時から思い続けてます。
私の周りは「あれは地」「聞いてるとムカムカする」とか言ってた“のりピー語”も当然そんな反応も予想した上での戦略のハズ。
[beavisさーん・・]

酒井法子(さかい・のりこ)
1971年2月14日生
福岡県出身
血液型B
デビュー曲「男のコになりたい」(1987年2月5日)
酒井法子という人は、多分とてもクレバーな人で、嫌われる部分があることより広くインパクトが与えられ世の中への認知度を上げることを選択したのではないか。。

真実を確かめたくてナマの酒井法子が観られるライヴに何度か足を運びました。ある時は当時付き合っていた相手よりも優先し、周りから顰蹙を買いつつ(苦笑)
CD-BOOKなるヘンテコなもの(→)まで購入し細部を検証(なんてったって“宇宙初”ですから。。)。

結果は・・よくわかりません(笑)
でも異様に頭が良い人なのは確か。影響されます。
私は、今でもカメラを向けられるとピースサインの代わりに指を三本立ててしまう癖が治らない。。そんな人は宇野元首相と私だけかもしれません(爆)

個人的ベスト3。
1.「GUANBARE」(1988.2.24) 森雪之丞/馬飼野康ニ/馬飼野康ニ
2.「Love Letter」(1989.4.26) 尾崎亜美/尾崎亜美/佐藤準
3.「渚のファンタシィ」(1987.5.21) 竹花いち子/タケカワユキヒデ/新川博
「GUANBARE」は、表面上は“のりピー”の典型的な曲だけど、酒井法子の本質が覗く傑作。直前に発売されたミニアルバム『夢冒険』はバラエティに富みつつスリリングな素晴らしい出来。「フィヨルドの風」「キャッチワードが切り出せない」等、質の高い曲の怒涛の攻勢にノックアウトされます。。本質を掴んだ気がしたタイミングだったからの過大評価かも(笑)
「Love Letter」は、酒井法子らしい一曲。プライベートでも色々あった時期のせいもあるかもしれませんが情感の溢れたヴォーカルが、詞の女性の酷さを正当化してしまいそうな勢いです。

ただ、まさか酒井法子にミリオンヒットが出るとは夢にも思わなかったです。固定ファンしかCDは買わないので何らかのブレイクスルーが必要だったけど、ドラマ『星の金貨』の主題歌「碧いうさぎ」が大ヒット。紅白にも出演。歌手として記録にも名を残しました。

今や子持ち。信じられないくらい可愛いお母さんですが、今後の展開は子供向けののりピーグッズかも。だとしたら、すごい長期戦略です。。
2005/02/07のBlog
[ 23:41 ] [ その他バンド系 ]
88年の3月、大学のサークル仲間(彼の愛読誌は『FOOL'S MATE』だった)が顔を合わすなり「ヒルビリーの宮城、死んだってさ」と言った。「なんで??」理由が知りたかった。だけど結局、今になっても誰ひとりとして教えてはくれていない。
当時、自分の周りの人が沢山亡くなっていた。不慮の事故も自殺もあった。すごく近いというよりは、友達の友達で会えば挨拶や言葉を交わすくらいの関係の人たち。
ヒルビリーバップスも私にとっては、そんな感じの距離感だった。だけどだからこそ妙なリアリティを感じた。

PVを見た時は珍しいバンドだなと思った。ウッドベースも配したロカビリー調のバンド。
「劇的バーニング・ラブ」の重く、ずんずん来る感じにハマっていく。心地良いような、いたたまれないような微妙な感じが癖になる。
「ビシバシ純情!」は一転ストレートに攻めてくる。気持ち良く抜けるヴォーカルに身体が動き出す。でも共通するのはベースラインのこれまで体験したどの音楽とも違う響き。

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追悼ライブがあると聞き、チケットがないのに向かった日比谷野音。音漏れを聞きながら、私はこの人達ほどファンじゃないと周りの人を見て思ったら何故か涙が出て来て、そこにいる資格が無い気がして途中で有楽町駅に向かって歩き始めた。それ以来、CDすら聴けずに16年たった。

去年の終わりにふとしたことがきっかけで自分から彼らの名前を口にし、もういいかと思って棚から引っ張り出して1stアルバムを聴いた。86年のいろんなことを思い出した。自分で自分の縛りを解いた。素直に良いアルバムだと思った。
2005/02/06のBlog
[ 14:18 ] [ 支えた出来事 ]
『よい子の歌謡曲』の存在を知ったのは、『月刊明星』の付録である「YOUNG SONG」(歌本ですね)の新曲批評のコーナーを編集長の梶本学さんが担当していた時期があったことがきっかけでした。当時、確か中学生か高校生の私は、その雑誌を読んでみたかった。でも田舎では売っている書店がなさそうで泣く泣く断念してたのでした。

大学に入学して上京し落ち着いたところで、書店で見つけたのは偶然と言えば偶然でした。版型もわからなかったし。ぼけっと棚を眺めていたところで主張してくるナンノの表紙。これだっ!ぱらぱらっと見て、レジへ。

帰ってから食い入るように読んだ。歌謡曲批評というのは少し前まではスタイルとして確立されていなくて、恐らく近田春夫さんが『気分は歌謡曲』で展開したのが初期だったと思います。『よい子の歌謡曲』を梶本さんが創刊したのは79年。私の「歌謡曲」の定義や見方は、かなりここから影響されています。日本で発売され、日本語で歌われているものを、全て「歌謡曲」と呼ぶ。演歌もロックもアイドルも。その姿勢にとても共感したし、今でもその考え方は堅持しています。
86年に入り、おニャン子が一大ムーヴメントになり、それがきっかけで部数を大幅に伸ばしたようです(私が買い始めた頃と偶然一致します)。おニャン子を扱う紙数が増え、それを快く思っていない読者が離れていったようです。
(→私が一番好きな表紙のNo.28号。86年8月号です)

私はと言えば、隔月の発売日を心待ちにし、毎号とにかく熟読するとともにバックナンバーを買い揃えていきました。

私がこの雑誌から受けた影響は計り知れません。
聴く音楽の幅が拡がったこともそのひとつ。あるライターの方の影響でP-MODELを中古レコード屋で購入。それこそ毎日聴きました。これも彼の影響ですが、どうしようもなく眠いのに徹夜しなければいけないときのお供は『IN A MODEL ROOM』を大音響でかけること(お隣さん、すみません・・)。今でも大事な1枚ですが、LPなので聴けず。。

その後、自分でミニコミ誌をつくるようになり、インタヴューのスタイルや装丁等、参考にさせてもらいました。後に、当時のスタッフの方に会う機会があり、いろいろとお話を聞かせていただきましたが、自分の身分は明かさず(苦笑)

91年に休刊。80年代の終わりを見るようで寂しかったですが、自分も既にそれまでと同じようには歌謡曲に接することができなくなっていました。
とても大事な雑誌にも関わらず、現在、手元には殆どありません。実家に送ったはずなのに探しても見当たらず・・あーどこいったんだよー(汗)
[ 01:24 ] [ ホリプロ ]
「天城越え」を最初に聴いたときは、物凄く惹き込まれました。こんなこと殆ど無いというくらい。
冒頭から、“誰かに盗(と)られる くらいなら あなたを 殺していいですか”って・・怖いっ・・
このあたりから、さゆりさんを“情念の女”と呼ぶ人が出てきます。

石川さゆり(いしかわ・さゆり)
1958年1月30日生
熊本県出身
血液型A
デビュー曲「かくれんぼ」(1973年3月25日)
77年の「津軽海峡・冬景色」で一躍スターに。その後も「能登半島」「暖流」と立て続けにヒットを飛ばし、都はるみさんや小林幸子さんとともに演歌界をしょって立ち続けたとも言えますが、80年代に入るとなかなか一般の人にまで届くヒットが出ませんでした。
そこに来たのが86年の「天城越え」。そして87年の「夫婦善哉」となかなか良い流れになっていきます。

70年代も含めた個人的ベスト3。
1.「天城越え」(1986.7.21) 吉岡治/弦哲也/桜庭伸幸
2.「津軽海峡・冬景色」(1977.1.1) 阿久悠/三木たかし/三木たかし
3.「能登半島」(1977.5.10) 阿久悠/ 三木たかし/三木たかし
適当な言葉がないので「演歌」と軽々しく書いていますが、さゆりさんの世界は「演歌」ではなく、「艶歌」とでも言うような独特の世界で、ひょっとしたら「ロック」に近いのではないかと思うこともしばしば。魂が声を通して伝わるという意味では、真の意味のロックなのかもしれません。

その迫力や色気は(藤あや子さんなんかは、別の意味で色気にあふれてますが・・)若手の追随を許しません。いずれにしても、女性演歌歌手が充実してきたとは言え、やはり石川さゆりさんにまだまだ頑張っていただきたいのです。
あっと驚くような新曲を期待したいと思います。
2005/02/05のBlog
[ 02:36 ] [ ビーイング ]
今ではすっかり開き直って”夏はチューブ”というイメージを更に増強しようとしている彼ら。“冬は何してるんだ”的なネタが最初は嫌だったのか多少抵抗を試みていた節はありますが。

デビュー当初からサザンを意識してたと思うんですが、前田さんのキャラが前面に出たバンドになりましたね。暑苦しいといえばそれまでですが(汗)

TUBE(ちゅーぶ)
前田亘輝(vo) 1965年4月23日 神奈川県出身 血液型A
角野秀行(ba) 1965年7月6日 神奈川県出身 血液型A
松本玲二(dr) 1966年5月30日 神奈川県出身 血液型AB
春畑道哉(gu) 1966年11月5日 東京都出身 血液型A
デビュー曲「ベストセラーサマー」(1985年6月1日)

個人的ベスト3。
1.「シーズン・イン・ザ・サン」(1986.4.21) 亜蘭知子/織田哲郎/織田哲郎
2.「SUMMER DREAM」(1987.4.10) 亜蘭知子/織田哲郎/織田哲郎
3.「Dance with you」(1987.8.26) 亜蘭知子/栗林誠一郎/長戸大幸


何だか普通の人なので、ベタベタな選曲になってしまいました(笑)
「シーズン~」は何やかんや言っても名曲だと思いますね。歌って気持ちがいいってのは名曲の条件だと思うけど、それをきちんと満たしてます。織田哲郎さんの曲ってそういうのが多い。
しかし、作家陣もビーイング!って感じになってます。そんな中でキラリと光る栗林さん★
「Summer City」以降、メンバー・オリジナルになって行きますが、時々いろんな人の曲を歌うってのも幅が出ていいと思いますけどね。
2005/02/03のBlog
[ 23:26 ] [ その他バンド系 ]
どんどんマイナー路線にハマっていく気が(汗)

86年の曲で今でも時々歌いたくなるものといえば『セーラー服反逆同盟』の主題歌だったA-JARIの「SHADOW OF LOVE」もあります。
ドラマが好きというのもありましたが(美穂さん、ありがとう★)こういう気持ち良く声を出せる曲が好きだという理由もあります。カタルシスがあるっていうか。でもこれもカラオケにはないんです(苦笑)

”A級のジャリ”だからアジャリ。子供の純な気持ちを忘れないっていう意味が込められているのでしょうか。いずれにしても真っすぐな詞や曲で好感が持てるというか照れくさいというか。

そして、更なる青くささがシングル「卒業」(87年)。85年の“「卒業」同時多発戦争”(斉藤由貴/菊池桃子/倉沢淳美/尾崎豊)には乗り遅れましたが、切ないまでの切羽詰まり感がたまらなく、カラオケで歌いたくなります(笑) 実は、カラオケで、こっちは見たことあるんですがチャレンジしたことなし(恥)

実は、こういうストレート系バンドは今では沢山いますが、当時は結構新鮮でした。チューブのような(約1名)熱いバンドも出てきましたが、もう少しヒネた?バンドが幅をきかせていた中で、今後を期待したんですけどね。。
[ 00:22 ] [ その他男性アイドル ]
恥ずかしながらファンでした(笑)私の中の86年のもう1曲は「ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー」。今でも時々歌いたくなるんですが、カラオケとかにもないし(あっても誰も知らないし。。)お風呂で歌ってます(苦笑)

深夜番組の『まんまとアイドル』(ヒルビリーバップスと共演)で知って、その後は『スケバン刑事』(少女鉄仮面伝説)の“影の総統”としても有名(ほんとか)。
天は二物を与えずって嘘だよ、などと独りごち、続く2ndシングル「サレンダー」もカッコよく。。作詞・作曲も自ら手がけビジュアルもGood。過去で言えば坂上忍さんが近いか?本田恭章君ほどキワモノっぽくなく。あまり例のないタイプでしたね。

しかし、その後がパッとしない(涙)まあ、冷静に考えると個人的にはよかったかも、なんて少しだけホッとしたりもしてました。
売れないから続けていけるというのも逆説的だし矛盾してますが、そんな微妙な思いを今も持ち続けてます。
2005/02/02のBlog
[ 00:55 ] [ AOR系 ]
地味めなルックスつながりというわけでもないですが、私の中の86年は「モノクローム・ヴィーナス」だったんです。切ない気分の秋、昔の恋を思い出しては妄想に浸ってました(苦笑)

池田聡(いけだ・さとし)
1963年7月21日生
栃木県出身
血液型A
デビュー曲「モノクローム・ヴィーナス」(1986年8月5日)

池田さんは日大在学中に小林麻美さんの目に止まりデビューしたと言われてましたが一体どこにそんな機会があるのかが全く解りません。。見た目は冴えない兄ちゃんという感じでもありましたが歌は天下一品(古)。男性諸氏の反感を買わない具合が良い加減で広く受け入れられた感じです。
90年代に入ってもドラマに出つつ主題歌を歌うなど良い感じの活躍でした。

90年代も含めた個人的ベスト3。
1.「モノクローム・ヴィーナス」(1986.8.5) 松本一起/佐藤健/清水信之
2.「悲しみにキリがない」(1993.8.21) 秋元康/中西圭三/遠山淳
3.「思い出さない夜はないだろう」(1994.2.2) 秋元康/金田一郎/萩田光男


♪忘れたくて 楽しんで 忘れたくて 偽りの恋をしてた 今まで
走り過ぎた車には あの日よりも ほっそりとした横顔 確かに君だったよ♪

うーん、いい(笑)
何でこんなに切ないのでしょう。。自分の中のセンチメンタリズム・ドーパミンがドバドバ出てしまいます(汗)

池田さんは、当然今でもマイペースで頑張ってらっしゃいます。ある意味、理想。
こんなふうに生きれたらいいだろうな、って思ううちの一人だったりします。
2005/02/01のBlog
[ 00:56 ] [ AOR系 ]
秋元康氏は自らのターニングポイントとして、稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」の作詞を手掛けたことを挙げることが多い。本格的に作詞家として世に出た最初の作品であり彼なりの方法論をいくつか確立したからです。稲垣さんにとってもメジャーになった重要な一曲であり、巡り会いの運は不思議です。ドラムを叩きながら歌うという変則スタイルながらAOR的な曲調が時代の流れを捉らえました。

稲垣潤一(いながき・じゅんいち)
1953年7月9日生
宮城県出身
血液型O
デビュー曲「雨のリグレット」(1982年1月21日)

個人的ベスト3。
1.「ドラマティック・レイン」(1982.10.21)秋元康/筒美京平/船村基紀
2.「オーシャン・ブルー」(1984.4.28)松任谷由実/松任谷由実/松任谷 正隆
3.「夏のクラクション」(1983.7.21)売野雅勇/筒美京平/井上鑑


「ドラマティック・レイン」のインパクトは強くて、今でも雨が降ると♪Rain もっとつよぉく♪と歌ってしまう人は多いと思いますが(笑)そういう脳みその深いところにこびりつく感じが凄いです。
「オーシャン・ブルー」でユーミンとの相性の良さも実感。都会派的なところの波長が合うんでしょうか。今でも道に迷うと♪迷いこんだよぉ♪と歌ってしまいます(←こればっか)。

ただ・・AOR的な感じが強すぎたか、軽そうでトレンディっぽく見られたか、音楽通を自称する、特に男性からは敬遠された気がします。かく言う私も80年代後半からはあまり聴かず・・。でも何故か家の棚を見ると、『HEART&SOUL』『セルフ・ポートレイト』と2枚もCDがありました。。私のではありません(汗)杏里、稲垣さん、今井美樹と並ぶ棚は、ある意味恐怖だったりします。
2005/01/31のBlog
[ 23:59 ] [ ごあいさつ ]
新年あけましておめでとうございます♪
本年も、このblogよろしくお願いいたします。

お立ち寄りの記念や、記事個々以外へのコメントなどに是非お使いください。
今月のBGMは渡辺満里奈ちゃんの「ホワイトラビットからのメッセージ」で。
♪新しい年 キミにいいこと ありますように♪