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野良犬的
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2006/03/04のBlog
見つかった世界最古の手紙から検出された指紋と涙
2006/03/02のBlog
からませた指をほどいていくときに夜はねじれていくようでした

2006/03/01のBlog
迂闊にも真正面から風をうけ前傾姿勢が決まってしまう
もう3回目の参加になります。
今回もよろしくお願いします。
(しばらく、五十嵐きよみさんが運営する「題詠100首」に
 参加します)
2006/01/02のBlog
寝坊して拝みそこねた初日の出 よい一年でありますように(野良ゆうき)

マスノくんには新しい恋とベストセラーを!
皆さんにはご健康とおもしろい短歌を!
僕には、んーと、えーと……。

ま、とにかくよい一年にしたいですね。
2005/12/18のBlog
正しさと正しくなさの違いほど違わないよね僕たちはまだ(なんの菅野)

男と女が出会う。
だんだん(あるいは急速に)距離が縮まって
ひとつのカタチになる。

時の流れと伴にいろいろな要因で日々変化するカタチ。
そのカタチの変化に対して男と女が同じ認識を持ちつづけるのは
とても難しい、いやおそらくは不可能で、
やがて、こちらから見えているカタチと
むこうから見えているカタチが少しずつずれていく。

さて、と立ち止まる。

それはひとつのカタチがふたつのカタチになっていくのか
それとも、もともとひとつのカタチになったと錯覚していたものが
徐々に覚醒していく過程にすぎないのか……。

どっちにしても、人は「こちら側」からしか見ることはできない。
お月様の裏側は想像するしかない。
今、君から僕たちのカタチはどんなふうに見えていますか。
まさか、君が一方的に正しくて僕が一方的に正しくない
などと言うほどには、まだずれていないですよね……。
2005/12/11のBlog
太陽は正しいですか 満月は正しいですか 笑う先生(なんの菅野)

「正しい」というお題を出されて思わず辞書をひいてしまいました。

【正しい】
①道理・法に合っている様子だ。
 「君の言うことは全く正しい」
②真理・事実などに合っていて、偽りや間違いがない。
 「正しい答え」「正しい理解を妨げる」
③基準に合っている様子だ。
 「文法上は正しい」
④形がゆがんだり曲がったりしないで整っている様子だ。
 「正しい(=きちんとした)姿勢」

ふーん、って感じですね。
わかったような、わからんような。
結局、「道理」も「法」も「真理」も(?)「事実」も(?)「基準」も……
人間が作ったものだから、なんか胡散臭いですね。
その胡散臭いものを基準にして「合っている」のが正しくて
「合っていない」のが正しくはない。

なんかこう、泥沼の中で直立しようともがいているような
そんな感じがしますね。

冗談じゃない! 私が正しいのだ! と強弁する国家や政治家。
人間はやっぱり、「強いもの」にはあこがれますからね。
僕達大衆は無意識に「これが正しいのだ!」って
自分に思い込ませちゃうんでしょうね。

「正しさなんてどこにもない」と思い悩むよりは
「これが正しいのだ」と思い込んだほうがラクですからね。

「正しい短歌」は無いけど
「正しいかんたん短歌」はあるんでしょうね、多分。
2005/11/14のBlog
ピリオドは自分で打つと決めたから軽めの旅行鞄でいくよ(なんの菅野)
2005/11/09のBlog
旅にでるほどには煮詰まってはいない ごはんにふったブラックペッパー(なんの菅野)
2005/11/01のBlog
・わかったらつべこべ言わず旅に出ろ おまえも猫のはしくれだろう(なんの菅野)

・いつだって帰ってこいよ おまえには帰るところがあるんだからさ

・猫かえる猫かえらない猫かえる 花占いのようないちにち

・気まぐれな僕の言葉を真にうけて旅に出るのもどうかと思う

・3日目の朝に帰ってきたときの態度はもはや百獣の王
2005/10/16のBlog
最近はそこにホックがないくらい常識なのよ困ったひとね (なんの菅野)

どこまで書いたか忘れちゃいましたー。
読み手をA、B、Cと分け、Aについては説明しましたが、B、Cはまたそのうち
説明します。(自分で書いてて、ちょっと飽きました。スンマソン)

書かれた会話の発話者の性別判定はその「内容」も手がかりなることはあるけれど
だいたい、「一人称」と「二人称」、そして「語尾」である、ということを書きました。
ところで、この一人称と二人称と語尾のバリエーションというのは、日本語の特徴でも
あります。

英語では、一人称は「I」のたったひとつ。
二人称は「you」のたったひとつ。
語尾にいたってはゼロです。

語尾の貧困さを憂えたマスノくんは、かつて猫言葉を使っていたこともあるし
おねえ言葉を使って毎日新聞に文章を載せていたこともあります。
(ふー、やっとこさ語尾砂漠にたどりつきました)

何が言いたいのか、忘れちゃいましたー。
多分、こんなことを言おうと思っていたとおもいます。

その1:一人称、ニ人称、語尾はそんなに豊富ではないけれど、それなりに
 バリエーションがあるのが、日本語の特徴なんだから、存分に楽しみましょうよ!
その2:じゃあ、なぜ、英語でひとつしかないものが、日本語にたくさんあるのか
 などなどについては、まあゆっくり考えていきましょうよ!

ほら、日本は雨が多いから、「~雨」という表現が豊富だって言うでしょう。
一人称や二人称で性別を区別するのだって、それなりの理由があったんじゃないかって
そいでもって、男性が女性言葉を使ったり、女性が男性言葉を使ったりと
いう風に、ルールが緩んできているのにも、それなりの理由があるんじゃないかって。

で、「一人称」と「二人称」と「語尾」で性別が判定できる、なんてことを
書いていたら、さっそくマスノくんから「おねえ言葉もあるのでは?」という
問題提起(?)をしていただきました。

まあ、そうですね。おねえ言葉も使われている以上、排除する理由はありません。
内容によっては、美川憲一が言っているような、ピー子が言っているような……
そういう風に受け取ったほうがおもしろい短歌もあるでしょね。
これからは、女だ! と決め付ける前に、おねえ言葉である可能性に
ついても考えたほうが、おもしろそうですね。

ちなみに、最近の若い人は、女性でも「僕」と言うのは随分一般的に
なってきましたから、「一人称」「二人称」「語尾」でも、性別が判定
できなくなる時代は、そう遠くないかもしれませんね。
男性が「あたし」と言ったり、女性が「僕」と言うのは禁止されている
わけではないですし……。
 
さてここで、ふたつの会話体の短歌を読んでいただきましょう。

◆この煙草あくまで君が吸ったのねそのとき口紅つけていたのね(佐藤真由美)

ちょっと失礼して、この短歌の後に僕のペンネームを入れさせていただきましょう。

◆この煙草あくまで君が吸ったのねそのとき口紅つけていたのね(なんの菅野)

佐藤真由美さんは女性で、なんの菅野は男性です。
どうですか? 何か「違い目」を感じますか?
この短歌の場合はわかりませんが、僕は「内容によっては、女の台詞(あるいは
気持ち)を男性が詠んだほうが、おもしろい短歌(あるいは、グッとくる短歌?)
に仕上がる場合もあるのではないか」と思っています。

僕がよくテーマにするのは、「手強い女」「男を責める女」VS「気弱な男」
「女に責められる男」の構図かな。男性の側の「いや、まいったな」という
目線が入っているほうが、おもしろく読める場合もあるのではないか、
そんなふうに考えています。

と、まあこのへんで一旦終わりにしようと思ったのですが、マスノくんのblogに
早坂類さん(女性)の短歌が載っていたので、感想を書いておきますね。
こういう短歌です。

 ◆何故僕があなたばっかり好きなのか今ならわかる生きたいからだ(早坂類)

んー、内容的には「好きだ」の理由が「君と生きていきたい」ではなく(自分が)
「生きたい」というのは僕はイマイチ共感できませんけど、人生のある局面で
こういうことを思う男性がいても不思議ではないと思います。
そう言われた女性がどう思うかは……んー、わかりませーん。
で、問題は「僕」という男性一人称が使われている点です。

これは女性である作者が男性に言わせているわけですよね。
実際に言われたかどうかなんてことは、僕は興味ないのですが
作品中の「あなた」に作者を感じてしまうと(短歌と作者が完全には
切り離せない、という前提ですが)「おのろけ短歌」になって
しまうリスクがあるのではないでしょうか?

僕が「内容によっては」男性が女性言葉を(あるいは、女性が男性言葉を)
使ったほうがおもしろいこともあるのでは、と書いた理由もこのあたりに
ありわけです。

んー、またまた長いですね。
一応、この件はこれまでとしたいと思います。

2005/10/05のBlog
いけないわ そんなことしちゃいけないわ でもイけないわ してくれなくちゃ(なんの菅野)

とっても乱暴な分け方ですが、僕の短歌と出会う人を

Aさん:僕のことを「全然知らない人」
Bさん:僕のことを「少し知っている人」
Cさん:僕のことを「かなり知っている人」

の3通りに分けたとします。

「僕のこと」というのも、随分大まかですが、「性行」「ひととなり」「好き嫌い」
「発言傾向」「来し方」「ルックス」「これまでに作った川柳・俳句・短歌等」……
そんなものをぜーんぶ含んだ「僕のこと」とご理解ください。

それぞれに、僕が「こんな感じで受け止めてもらえたらいいな」という理想(のようなもの)
と逆に「こんな風に受け止められるとちょっと困っちゃうな」という懸念(のようなもの)
を考えてみることにしましょう。

まずは、Aの僕のことを全然知らない人。

 ◆悪いけどそんじょそこらの胃液ではあたしは溶けてあげないからね(なんの菅野)

【理想】
もしかしたら、ペンネームが先に目に入ってきてしまうと思いますが、僕の理想を
言わせてもらえれば、ペンネームに対する印象を持っていただく前に、まずは短歌を
読んでもらって、「ふふ」と会得の微笑を浮かべて短歌の評価をしてもらい、
しかる後に「んー、なかなかペンネームもおもしろいじゃん」さらに「どんな人なんだろ?」
とか「もっと、この人の短歌を読んでみたいな」と思ってもらえたら、もう最高!

もうひとつ贅沢を言えば、「この人、ペンネームからは性別はわからないけど
多分男なんだろうな」とまで想像していただいた上で、男の作者と短歌中の
発話者である女の作り出す空間を楽しんでいただけたら、さらに最高です!

【懸念】
反対に最も「困っちゃう受け止められ方」は、まずペンネームを見て
「なに?このふざけたペンネームは?こんなペンネームで詠まれた短歌なんか
絶対読まない! 読んでやるものか!」というネガティブな反応です。

なんとか、その嫌悪感を乗り越えて短歌を読んでいただいても、その嫌悪感に
縛られてしまうケースも困っちゃいますね。短歌そのものの「正当な評価」に
到る前にペンネームが立ちはだかってしまうわけです。

この「ペンネームが短歌の前に立ちはだかる」というのは、なにも上に書いた
ようにマイナス要因になるケースだけではありません。
有名な歌人のお名前が後ろにくっついているだけで、なんとなくいい短歌に
思えてしまうケースがこれです。

いずれの場合も、言葉の組合せによる短歌の評価が、ペンネームが
その前に立ちはだかることによって、「歪む」わけです。
この「歪み」も「込み」で短歌というのは評価されるものだ、
という意見もあるでしょう。

僕もある程度はしょうがないし、最終的(?)には、詠んだ人が誰であるかも込みで
味わったほうが、言葉たちが喜んでいるように感じることもあります。
ただ、僕は「まずは言葉そのもの」と向き合って、「しかる後にペンネームも
込みで」というほうが言葉を正しく評価するプロセスとしては、好ましいものと
考えています。

ふー、それにしても長いっすね。
語尾砂漠が遠ざかっていくような気がします。

(つづく)
2005/10/03のBlog
一線を越えたとたんに加速して越えてしまった二線三線(なんの菅野)

(また長くなりそうです……)

 愛することに 疲れたみたい♪
 嫌いになった わけじゃない♪
 部屋の灯りは つけていくわ♪
 鍵はいつもの 下駄箱の上♪

二人で暮らした部屋を女が出ていきます。
ご存知の方も多いと思いますが、松山千春の「恋」という歌です。
さて、僕は今「女が出ていきます」と書きましたが
なぜ、女とわかったのでしょう?

「愛することに疲れる」のは女の特権ではないですよね。
男だって、愛することに疲れることはあります。
従って、「愛することに疲れたみたい」という歌詞からだけでは
こんな台詞をひとりで吐いて、部屋を出て行くのが男か女かはわかりません。

お次。
「嫌いになった わけじゃない」
これはどうでしょう。この台詞も男女どちらとも言いそうですね。
従って、発話者の性別判定基準としては却下!

お次。
「部屋の灯りは 消していくわ」
出ましたねー。女性の台詞であることを示す語尾(=終助詞)「わ」
ただ、関西人は男でも「わ」を平気で使いますから
多少の注意は必要ですわ。

そして、聞いている人がこの歌は部屋を出て行く女の立場で歌っているんだな
とわかったあとも、なんの違和感もなく松山千春(男)の歌を聞きつづけます。
次は、加川良の歌。松山千春よりは知っている人は少ないかも……。

 「あたしコスモス♪」

ハナから「あたし」とくれば、これはもう女性ですね。
女性がよく使う一人称なので、女の台詞であることがわかります。
そして、聞いている人は、加川良(=男)が歌う女の台詞を
なんの違和感もなく聞き続けます。

「なんの違和感もなく」と僕は書きましたが
これは僕の感じ方であって、もしかしたら何らかの違和感を
持って、これらの歌を聞く人もいるかもしれませんね。

歌(短歌ではなくmusicの歌)の世界では、女の台詞を男が歌うことは
かなり一般的で広く受け入れられているようです。

お次。

 池(pond) 白石かずこ
 
 帰りな といった
 今晩は おまえといたくないから帰りな
 といった
 おまえは鼻をすすって泣きながら
 帰っていった
 おれは 帰るところがない
 
 (以下略)
 
これは逆のケースですが、詩の世界でも、異性の台詞はそれなりに
一般的なのかな?白石かずこが特別なのかもしれませんが……。 
キーワードは二人称の「おまえ」と一人称の「おれ」ですね。 
 
では、短歌の世界ではどうでしょうか?
他の人の作品を調べるのも面倒なので、僕の作品(五十嵐きよみさん
主催の「題詠マラソン」に提出した短歌です)を見ていただきましょう。

◆アクセルとブレーキだけを覚えても恋の免許はまだまだ先よ(なんの菅野)

◆悪いけどそんじょそこらの胃液ではあたしは溶けてあげないからね(なんの菅野)

◆初めてのデートが上野でしたってやっぱりあたし言いたくないし(なんの菅野)

◆あたしたちそろそろにする?昨夜(きのう)から肌に合わないあなたのジョーク(なんの菅野)

◆血も汗も涙も心で流すのねそんなのあたし嫌いよ 抱いて(なんの菅野)

◆その程度なのねあんたのとるリスクへっぴり腰で見てられないわ(なんの菅野)

◆そうやって蜜柑の皮もバラバラに剥いちゃうのよねあなたってひと(なんの菅野)

題詠マラソンに提出したときには、「野良ゆうき」というペンネームでだしましたが
ここでは、あえて一首ずつ短歌の後に「なんの菅野」を記載してみました。

違和感ありますか?
僕は「ホラ違和感ないでしょ」と言うつもりは全くありません。
僕は違和感はないのですが、どんなふうに受けとめられるのかな、という
素朴な疑問があるだけです。

僕を「全然知らない人」「少し知っている人」「かなり知っている人」で感じ方が
違うかもしれませんね。

ふー、いつもながら書き始めると長いですねー。
なかなか、語尾砂漠までたどりつけません。
ここで、また休憩を入れたいと存じまする。

(つづく)

2005/10/02のBlog
冷静になって自分を見つめてもコイツのことはまだわからない(なんの菅野)

10月のお題はシモネタですか~。
シモネタってあんまり得意じゃないんですよね。
川柳でもおそらく一句だけです。

 ◆48あって正常一手だけ(なんの菅野)

48手のうち「正常位」以外はみんな異常(つまりはアブノーマル)なの?
という至極真っ当な疑問を逆に言いきることで読み手の胸倉をつかむように
主張してみました。(大袈裟ですね)

さて、前回久しぶりに投稿した僕の短歌の中でマスノくんが食いついてくれたのはこの1首。

 ◆祝福のひかりの中に踊りでたときのことなど忘れていたわ(なんの菅野)

で、「なんの菅野さんなのに語尾を『わ』にするなんて、ずるいわ……偏見かしら。」
というコメントをもらいました。「偏見」というのは、かつて僕の短歌に「やらしい!」と
ツッコミを入れてくれた時に、こんな短歌を僕が作ったことがあるので、それを
踏まえています。

 ◆やらしい!と言ったあなたの心には夢に対する偏見はない?(野良ゆうき)

そう言えば、当時は「野良ゆうき」で投稿していましたね。最近「なんの菅野」で
また投稿しはじめたのは、「かなしーおもちゃ」(インフォバーン出版)に4首も載せて
もらえたのに、あとから「なんの菅野さんと知っていたら、採らなかった短歌も
あります」なんてことを言われたからなんです。まあ最近もペンネームのことを
マスノくんは書いていたから、マスノくんのペンネームに関する考え方は
「かんたん短歌blog」を読んでください。至極まっとうな考え方ではありますが
「作品主義」(まずは作者からはなるべく切り離して「言葉たち」が発する声だけに
耳を傾けてみましょう!)を標榜している僕には、「それよりも優先したいこと」が
あって、もろ手を挙げて賛成というわけではありません。
せっかくだから、頑張った「野良ゆうき」くんの「かなしーおもちゃ」に載せていただいた
短歌を書いておきましょう。

 ◆恋だって言っておきなよ そうすれば誰もバカだと思わないから(野良ゆうき)

 ◆ああこんなところに恋があったって拾ってみたらやっぱり恋だ(野良ゆうき)

 ◆片手間でおやりなさいよ恋なんて 手相も見ずに新宿に母(野良ゆうき)

 ◆ミラクルで奇跡みたいなミラクルで奇跡みたいな恋だったのに(野良ゆうき)

まあ、そんなこんなの事情で今回久しぶりに投稿させてもらう時には「なんの菅野」
でも採ってもらえる短歌を作りましょ、ってな感じで投稿させてもらいました。

話、なげー!

ここまでが、今回「なんの菅野」で投稿させてもらった「事情」の説明でした。
長くなりましたのでマスノくんのツッコミに関するお話は別トラックに載せます。
話の内容は、「語尾砂漠にさまよう男と女」かニャ?

(つづく)
2005/09/28のBlog
誕生日だものひくわよ紅くらい あなた好みの色じゃないけど(なんの菅野)
2005/09/27のBlog
僕たちの肺活量をあざ笑うように消えないロウソクだった(なんの菅野)
2005/09/26のBlog
祝福のひかりの中へ踊りでたときことなど忘れていたわ(なんの菅野)
2005/09/03のBlog
特別な人とすごした特別な日の想い出は特別苦い(なんの菅野)
2005/08/26のBlog
マスノからマスをとったらマスノではなくなることに片目を瞑れ(なんの菅野)

マスノくんが悩んでいる。
マスに向き合うことがマスノくんの存在証明なのに
マスに向き合うことに疲れている。

いや、マスノくんはマスに向き合うことに疲れているのではなく。
本当に向き合いたいものと向き合えないことで悩んで、疲れている。

マスノくんはいまとってもクヨクヨしている。
まあ人間誰しも少しはクヨクヨするものなのだろうけれど
いまのマスノくんはそれはそれはクヨクヨしている。
クヨクヨが力になるときとならないときがあるが
いまのマスノくんのクヨクヨはただのクヨクヨだ。

さて、どうしたらよいのでしょうね。
たいていの場合、どっちにしようかとひとに相談したときには
もう方向性はだいたい決まっていることが多いものだけど……。

僕はね。
やっぱり一度吐き出すものを吐き出しちゃったほうがいいと思うんですよ。
今のままじゃ、いくら仕事をしたって前に進んでる気がしないんじゃないかなあ。
むしろ、いくらやってもやっても自分で「逃げ」に見えてしまう、みたいな。

こんなことを勧めるのは失礼かもしれないけれど
今、マスノくんに必要なのはマスのサポートではなく
有能なカウンセラーではないのかなあ。
吐き出すための。
吐き出して1歩前に進むための。
いま必要なのはひとの声を聴いてあげることよりも
自分の声を聴いてもらうことなのではないかなあ。

もちろん、マスノくんはマスと向き合ってこそのマスノくんなわけだけど
このへんでちょっと一休みというのはアリなんじゃないかなあ。

2005/06/06のBlog
まあ、もともとマスノくんはインタビュー上手なライターなわけだから
聞き上手、というか「話させ上手」なわけだけど
相手がマスノくんが最も敬愛する歌人のひとりである
そして、とても経験も知識も豊富で、なおかつ親切な語り手である
マサオカくんなわけだから、それはもう、だいたいどんなペースの
トークになるかはだいたい予想をしていたのだが
それにしても、とても静かで、なんと言うか、くすぐりのない
というか、あんなに素直に人の話を聞いているマスノくんを見たのは初めてだ。

「海外詩」と「連句」以外の話は、ほとんど共感できたが
海外詩と連句は知らないので、ついていけなかった。
世界の中で、日本だけが取り残されている、というような話だったが
まあ、詩の世界に限らず、日本なんてえ存在は、そんなもんとちゃう?

とかね、

斉藤斎藤氏とか、しんくわ氏の名前がうんぬん、なんてえのは
毎日新聞仲畑貴志流万能川柳の世界では、あったりまえの話で
もういい加減、名前がどうの、ってえ話は、およしよ。

とかね、

いや、ツッコミがそれだけ、というのも噛みつき犬としては
情けない話ではありますが、それと言うのも、マサオカくんの
とても一生懸命で、絶望しながらも、どっこい夢を、希望を
捨てちゃいないことをひしひしと感じさせる語り口に
あっという間の数時間だったからで……。

マサオカくんの交通費はペイできたのだろうか……。

僕も木村半文銭あたりから、川柳をやりなおそうか
なーんてことを、少しは思いました。

んーと、次回のテーマは「短歌と朗読」と「エンターテインメントとしての短歌」希望!

(文中、マスノくんとかマサオカくんと書かさせていただいているのは
 枡野浩一さんの「石川くん」方式ということで、お許しを!)