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Lucien's Library~メタ・フィジカルな気分~
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2008/11/07のBlog


もともとアメリカの現代政治哲学についは、リベラリズム、コミュニタリアニズム、リバタリアニズム、アナーキズム、保守主義などの複雑な言説が入り混じって、わずかな差異でもって派閥が別れていたりする事情もあり、非常にややこしい。その中でも新自由主義(ネオリベラリズム)について、私は次のようにとらえている。
(1)規制緩和による経済の自由放任主義、市場主義。
(2)政府機能の最小限化、福祉の撤廃
(3)スムーズな雇用調整機能を実現するための雇用の流動化
(4)それらの世界への押し付け(グローバル化)

 これらはブッシュ政権のいわゆるネオコン的世界観と重なっており、違いがわかりにくい。しかし、ネオコンとは保守的なアメリカ的価値観(要するに自由と民主主義)といった、ネオリベを一部含む、より大きな世界観のように思える。

 さて、オバマが当選して(1)から(4)までのネオリベ的な政策によって全世界に蔓延してしまったネオリベ的環境が変化するのだろうか。あるいは(1)から(4)までのベクトルを逆向きに回収することができるのだろうか。
少なくともダブルスコアの票でオバマを当選させたアメリカ人の多くはそれを望んでいるはずだ。
 あまりにも格差の拡大した米国社会、泥沼のイラクやアフガン、金融界の暴走による世界的金融危機=経済成長後退、これらの問題を抱えて嫌気がさした米国民による今回の選択を私は大いに尊敬したい。

とはいっても、世界的規模でまるで「環境」のように蔓延してしまったネオリベ的なるものを、世界各国が嫌悪し始めているのは当然として、それに対処できるだろうか?なんとか元に戻したり、オルタナティブな何かを提示したり構築したりすることができるだろうかと疑問を感じる。
 もちろん、今回の金融危機に関して、各種の劣悪な債権を細切れにし、優良債権などとミックスして売り出すような詐欺的な手法などは規制されるべきだ。おそらくオバマ政権は、金融に対する規制強化を実施するにちがいない。
 しかし、今回の金融危機でも明らかになったように、世界は現在、一つの土俵で競争する枠組みの内部から逃れることはできなくなっている。もちろん、その土俵に乗っていない国も多数あるが、貧困国として甘んじるしかない。
 世界が一つの土俵で競争するには(1)~(4)を実行するしかないのである。果たしてこの超巨大な問題にはどのように対処するのか。

私はわざとネオリベ的なものを「環境」と言ったのだが、それには理由がある。劣悪な環境であっても人間は何がしかの人工的な制度や構築物を作って生き延びることができると思うからだ。つまり、ネオリベが世界的な地球上の環境と化したのであれば、その上に共同体や市民社会などの「中間集団」を作って、相互扶助や感情的安全装置としてうまく利用することもできると思うのだ。そのためにできることは何だろうと私は考えているのだが、なかなか、浅薄な頭からは良いアイデアが生まれてこない。

[ 19:52 ] [ 日々のコメント ]
二つ下の記事を書いてからずいぶんと時間が経っているが、先日科学雑誌「ニュートン」10月号を見ていたら、一般的な乗用車のエネルギー効率が載っていた。

ガソリンの持っているエネルギーのうち、

走行に費やされるのは約15%
エアコンやナビなどの電力として費やされるのは約5~10%
大気中に熱として放出されるのが約70%


だというのである。やはりこんなバカで非効率的な前時代的なものはあるまい。ガソリンエネルギーの70%も無駄にして1トンもの鉄クズ+プラスティック+ガラスのガラクタを一緒に移動しているアホな代物がクルマなのである。

せいぜい人間一人だったら50CCあれば十分であろう。

下の記事では、自家用車のガソリン販売価格を1000円にして、事業用車には100円で売れば良いみたいなことを書いたが、では地方の交通機関のない地域はどうする?
みたいなことがあるので、
人口密度である一定の基準を設け、たとえば都市部、区部、市部に住所を持っている者の取得するクルマだけを1000円にすればいい。
もちろん、あの手この手で地方でクルマのナンバーを取得する奴らが出てくるだろうが、発覚した場合は懲役30年以上。笑。さらに、密告者には報奨金20万円を贈呈する。

昨日はトヨタショックなるものが業界を駆け巡っていたというが、あまりにもクルマが低脳な代物なので当然であろう。日テレでやっている「ソーラーカー」でも早いとこ開発したほうがいいよ。

2008/06/28のBlog
6月8日は衝撃的な日だった。
もちろん震央は秋葉原である。私はとうとう脱社会化した人たちによるテロが始まったような気がしてならない。

秋葉原無差別殺傷事件の犯人にとって、「イスに座っている人たち」は次のような条件を備えている人たちであろう。

1)希望の持てるだけの収入があること。
2)彼女がいること。
3)生活のプラットホームとしてのつながりがあること(家族、友人)。

あの犯人の書き込みである「彼女がいないという一点で人生崩壊」というのはちょっと異常な感じがする。彼女がいなくても人生など崩壊しないのが普通。しかし、彼女がいる=イスに座っている、と見えてしまう以上、それは動機になりうるのだろう。

「イス」に座れず放置されている、あるいはイスに今後座れる見込みがない人たちがイスに座っている人たちを憎み、暴力を肯定するまでには、そんなに時間がかからない。というより、すでに始まったとみるべき。

あの事件は、イスに座れない、すなわち実際に社会性から排除されているのかいないのかにかかわらず、社会から疎外されていると思い込んでいる人間の、社会の側へのテロだ。

これを防止するには、ただ一つ、脱社会化してしまっている人間に、「承認」を与えること。つまり、人間関係や社会的位置づけを含む、なんらかの「社会性」によって包摂してやる以外にない。
つまりあの事件とはアイデンティティの問題が引き起こしたのである。

テロ攻撃を受けた側(一般社会)、テロ攻撃の恐怖を感じる側には、次のような選択肢がある。

1)脱社会化した人たちをゾーニングなどによって物理的に隔離したりして押さえつける。警備・監視の強化、法律の厳罰化もこれに含まれる。

2)座れるイスの数を増やすように努力する。なんらかの包摂的な社会性を構築するように努める。

悲しいかな、我々の社会が採用するのは(1)になりがちだ。しかし、(1)を採用し続けている限り、「テロ」はなくならないのである。

2008/05/22のBlog
[ 20:10 ] [ 日々のコメント ]
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/91961.html

町ムダ官房長官、いや、町村官房長官が初めていいことを言った。
ガソリンを200円にしたいそうだ。
大賛成である。
10代20代でさんざんバイクや車を乗り回したくせにこういうことを言うのもなんだが(笑)、世田谷という狭い路地に囲まれて生活していると、車がウザくてたまらない。
最近はナビ搭載が標準で、抜け道に入りやすくなっているのか、やたらと住宅地の交通量が多い。
そこを歩いていると電信柱の脇でクルマが通過するのを待たなければならない。
どうして通行人がクルマに道を譲らなければならないのか。

私なんぞはわざとクルマの通行妨害になるように車道にはみ出して歩くことがよくある。笑。もちろん、後ろからクルマが来ている場合はやらない。前から来ている時に限る。
なんともタチの悪いくせだが、乗っている人間もよく観察してやっている。
オジサン系ならたいてい喧嘩になっても勝つ自信があるが、ヤクザなんかのクルマにはまちがってもやらない。

まぁでも、そなんバカなことは滅多にやらないが、ムカついているときは時々やる。
それにしても、クルマとは人類史上最大最悪の発明品であろう。
私の見た限りでは1人で乗っているクルマが多いように思えるが、だいたい、1人の人間を運ぶのに1トンもの鉄クズとガラスとプラスティックのガラクタを同時に運ばなくてはならない。こんな非効率的で不合理なものは人類史上最悪の低脳な発明品といっていい。
早くこんなものなくなってくれ。

ガソリン1リットル1000円になって欲しい。それか早いとこ原油が枯渇して欲しい。
といっても、我々の生活はガソリン無しじゃ成立しないので、事業者には1リットル100円で販売すればよろしい。自家用車は1000円にする。
車両に100円で購入できる証明書なりチップを取りはずせないように取り付ける。
クルマに乗るのは金持ちだけでいいよ。都内だったら自転車で十分。自分のカロリー使って移動すれば医療保険料の心配だってなくなるだろうに。

私が独裁者になったらこうするんだがな、笑。

2008/05/10のBlog

しかしみなさん、本当、昨今の日本を見て、なにもかも終わってると思いませんか(笑)。

この福田なんて野郎はコキントウに気をつかうあまり、「フリーチベット!」と叫ぶ連中ばかり逮捕させて、中国人留学生の狂気じみた集団には一切手をつけさせない。
おかげで長野県は中国国内のようなありさま。
日本人の大集団が北京で国旗を振り回したらどうなるってんだ。

日本人を逮捕して中国人を逮捕しない。いったいここはどこの国なんだ?私は誰?本当に日本人なのか?ここは本当に日本という国なのか?

現場の警察官も低脳な上層部からの「命令」で中国人には手を出せなくて忸怩たる思いだったと信じたい。

それにしても、道路特定財源の無駄使いがボロボロと出るわ出るわ、、
結局「宙に浮いた年金」は未解決、、
医療制度も崩壊寸前、年寄りの保険料は値上げし「延命措置希望書」みたいな死刑宣告書が突きつけられる始末である。

その一方で「死刑に成りたかった」「誰でも良かった」なんてほざく殺人事件が多発。

自殺者は年間三万人以上。自殺にコミットした人数はおそらくその数倍、十万人くらいはいるのではないか。
そのあげくに「硫化水素」である。
硫化水素の発生方法は意外に簡単で、入浴剤の販売自粛だそうな。
だったら首吊り用に使えるロープや、JRの車両も自粛したらどうか。

だいたい自殺する方法(情報)をシャットアウトしたところで何の解決にもならんだろうに。

ひょっとすると、自殺者を救う方法は「霞ヶ関をクレーターにすること」なのではないか?
霞ヶ関のバカどもはもう、口で言っても無駄。暴力によってしか改悛することはない。すこしでも明日への希望の光が見えてきたら自殺者は減るにちがいない。

我々の社会の明日のために、霞ヶ関が一刻も早くクレーターになることを希望する。
2008/01/27のBlog
久しぶりに女子マラソンをじっくりと見た。
話題になっていたのは1万メートルなどの中距離の女王、福士加代子の初参加だ。
しかし結果はご覧の通り、一人旅だった34キロ付近から失速し、最後はフラフラの状態に。見ていただけでも4回は転んでしまった。

普通であればそうなる前に棄権するだろう。しかし福士はどんなにみっともなくても最後まで走った。見ていておそろしく感動してしまった。

トラックに入ってからも2~3回転び、ヨタヨタと走るその姿を見て母親も泣いていた。
しかし、転んで立ち上がるとき、福士はうっすらと笑顔になっていた。
びっくりするぐらいのド根性だ。

私は最長45分程度しか軽いジョギングをしたことがないので、福士がどんな状態
なのかサッパリわからないが、相当しんどいものなのだろう。
やっとこさゴールした福士はニコニコしていた。なんという人なのだ。

結果的にはみっともない姿を晒してしまったのかもしれないが、ヨタヨタと力なく走っている福士の姿をみて、私は、「人間とはかっこよく生きていけないものなのだな」と思ってしまった。芸能人や天才でもない限り。

みっともなかったり、失敗することを恐れて挑戦する人が少ないこの世で福士は燦燦と輝いていたと思う。

野口みずきやかつての高橋尚子がぶっちぎりでゴールするシーンも素晴らしいが、今日の女子マラソンもずっと記憶に残っているだろう。
2008/01/14のBlog
「本格映画」なんて呼び名はない。しかし、そう呼びたくなるのがゾディアックだった。
というのも、何回もここで言っているが、私は子供だましの怪物が出てくる映画
は大嫌いだ。しかし昨今の映画~といっても米国西海岸製の映画が主流なのだが~では、怪物やら超能力やらありえないアクションやらがCGの力を借りて当たり前になっている。

はっきり言ってそういう映画は子供が見るものである。笑。スーパーマンやスパイダーマンもそうだ。ダイハード4・0も、もしかするとそのカテゴリーに入るかもしれない。ダイハードの第一作は平凡な刑事がどうしようもなく大事件に巻き込まれてイヤイヤ闘っているのだが、4・0のブルース・ウィリスはもう、スーパーマンと変わらないキャラなのである。

「ゾディアック」には怪物もありえないアクションシーンもCGもない(あるのかもしれないが)。しかし、前編を覆い尽くしている恐怖感といったらすごいものがある。これこそ映画なのではないか?
特に、犯人の関係者らしき男の家の地下のシーンには戦慄させられる。

おそらく、主人公が追いかけていた人物、三人の捜査官に尋問されて証拠不十分で逮捕できなかった男が犯人なのだろうが、時が流れ、その男も死亡する。謎は時間に埋もれていまだに解明されることはない。

アメリカにはこういう傑作を作るだけの力があるんだから、もういい加減、アホウや子供向けの怪物キャラクター映画はやめようや。

2008/01/09のBlog

草思社が民事再生法申請 ベストセラー刊行の出版社
http://www.47news.jp/CN/200801/CN2008010901000478.html


草思社といえばかなりお世話になった(読書しただけだが)出版社で、このブログでも以下の本を紹介した。

健康帝国ナチス
http://www.doblog.com/weblog/myblog/26329/748430#748430

エレガントな宇宙http://www.doblog.com/weblog/myblog/26329/936116#936116

非常に残念だ。面白い切り口の本ばかりだったのに。こうなってみると、「女子高生+ホスト+妊娠+病死」がセットになっているゲロのようなクソ・ケータイ小説でも出して稼いで欲しかった。草思社のような出版社がゼニ稼ぎで低脳向けのゲロ小説を出すのはどんどんやって欲しいと思う。

こうしてケータイゲロ小説とかホームレス低脳中学生とか細木ゲロババァとか詐欺デブ江原のクソ本とかが出版の世界を席巻するのであろう。

2008/01/04のBlog
パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ

著者/訳者名 ミチオ・カク/著 斉藤隆央/訳
出版社名 日本放送出版協会 (ISBN:4-14-081086-6)
発行年月 2006年01月
サイズ 437,40P 20
価格 2,415円(税込)

こんなにすごい、わかりやすい宇宙論の本があったとは!

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31652784
セブンアンドワイのに掲載されている解説を次に引用してみる。

------------------------------
ブラックホールへの決死の旅や、タイムマシン、もうひとつの宇宙、そして多次元空間―本書は宇宙論の世界を席捲する革新的な宇宙の姿を鮮やかに描き出す。今日、ひも理論とその発展理論であるM理論は圧倒的な支持を得て、世界の名だたる物理学者や天文学者が、最先端の波検出器、重力レンズ、衛星、天体望遠鏡を動員し、多宇宙(マルチバース)理論の検証に取り組んでいる。もしパラレルワールドが存在するのなら、いつかこの宇宙が暗く凍ったビッグフリーズを迎えるとき、われわれの未来の先進文明は、次元の「救命ボート」によってこの宇宙を脱出し、パラレルワールドへと至る方法を見つけるであろう。
------------------------------

ある程度宇宙論の本を読んだことがある人は、「超ひも理論」とか「M理論」という言葉ぐらいは知っているだろう。しかし、なんで「ひも」なのか?という基本的な理由がわからなかったのではないか?私もそうだ。でも、この本はどうして「ひも」なのかがわかるのだ!目からウロコとはこのことだった。どうして10次元とか11次元とかが出てくるのか、もよくわかるし、M理論がmembrane(膜)のMだったこととか、そこらへんの宇宙論を説いた書よりもはっきりとわかる。
初心者にわかりやすく書いている宇宙論の(ひも理論の)権威とは珍しいのではないか。だいたい権威なんて持っている人は初心者を相手にすることは稀だからである。カク・ミチオという日系人みたいな名前の著者は世界的にも認められている宇宙論の権威であるらしい。

と、ここまで書いてみたが、本書を読む前には、最低限、アインシュタインの二つの相対性理論程度の予備知識は持とう。笑。

この本は本当に何回も読みたくなる本だ。グチャグチャと噛み砕くたびに滋養が滲み出てくるような気がする。

2007/12/27のBlog
メディアは存在しない

著者/訳者名 斎藤環/著
出版社名 NTT出版 (ISBN:978-4-7571-0205-7)
発行年月 2007年10月
サイズ 301P 20cm
価格 2,310円(税込)

著者はラカン主義者で、本書を読むには最低限、現実界、象徴界、想像界というラカンの三界を理解しておく必要がある。そしてそれは本書の主張と深くかかわっている。

「一億総白痴化」と言ったのは大宅壮一で、しかも40年も50年も前の話だと記憶している。当時の新しいマスメディアの番組がどれもこれも低俗だから、視聴者はヴァカになるだろう、という予言だ。

そのような物言いは今までも多数なされてきたが、本書は「メディアは人間をヴァカにしない」と言いたいのではない。人間がヴァカになるならないという次元は本書とは無関係だ。
私は低脳メディアは人間を低脳化し、品性のないクズを量産している、と確信しているが、本書はそれと矛盾しないのである。

というのも、著者は人間にとっての最初に訪れる決定的なメディアは象徴界だとし、その支配から逃れられない宿命にある以上、マスメディアがどのような情報や記号で働きかけても根本的な変化はない、とするのである。

要するに、無意識を決定的に構成する専制君主ともいえる象徴界=言語システムを内臓している人間はマスメディア程度の働きかけでは、その構造が変性したりすることはないということだ。
すくなくとも私はそのように本書を読んだ。

ただ、私はマスメディアの作用によって、象徴界が弱体化することがあると思うし、劣化することがあると思う。いや、象徴界そのものが変化するのではなく、象徴界と私たちの意識を結びつける道筋、すなわちシナプスなどの神経細胞の道筋の変化はあると思う。しかしその変化といっても、自転車に乗れる人と乗れない人の差異程度の変化であろう。

そうはいっても、自転車に乗れる乗れない程度の差異も、私には不快である。
はっきり言わせてもらって、この数字には何の根拠もないが、世の中の90%はヴァカだ。こう言ったあとで、「その90%に私も含まれているのだが」と続けて許してもらおうとも、最近は思わなくなった。笑。

ちょっと前までロンドンブーツの「格付け」が面白いと思ってよく見ていた。ロンドンブーツの馬面の下品さには辟易するが、出演者同士が貶し合うシステムを初めて見たからだ。しかしそれも早々に飽きたし、金髪じゃないほうの田村がいつだったか「頭良い」と祭り上げられていて、気色悪くなった。品性のかけらもないヴァカ面低脳のくせに「頭が良い」ことになっていてあ然とした。

もういい加減、バカなものはバカと言おうぜ。
ツタヤでの貸し出し開始を待っていた映画。
遠い宇宙で金属生命体同士の戦争に地球が巻き込まれてしまう話。

話は単純だが、やはりこれも映像が凄い。ちょっと前の映画のように、ロボットの動きが
ぎこちなくて陳腐ということがない。しかし、最近の映像技術は凄い。驚き。

おそらく、正義の味方のロボットが活躍するアニメは日本発祥だろう。
そういったことにあまり詳しくないが、ロボットアニメを実写化した初の映画かもしれない。(実写化といってもCGなので実写とは言えないが)
2007/12/17のBlog
エイリアンVSプレデターみたいな怪物がバンバン出現する映画は基本的には子供向けだと思っている。しかし新作のエイリアンVSプレデターは見たい(笑)。

この映画には怪物は出現しない。火星人は出るが、怪物として描かれているわけではない。火星は昔地球みたいに青い星だったのだが、巨大隕石のおかげで荒廃。高度な文明を持っていた火星人たちは火星を脱出。その一部が地球に生命の種を撒いたという設定。なかなかいいのではないかと思う。


それにしてもこの半年間、たくさんの映画を見て、たくさん本を読んだので、このブログに書くネタはしこたまある。
しかし、いろいろな作品を通して一番衝撃を受けたのは「エヴァンゲリオン」だった。

漫画的な設定とはいえ、アンチATフィールドで地上の人類を溶かし、一つにまとめてしまうという発想。これはちょっとやそっとじゃ思いつかない。
人間は孤独で単体として存在しているからこそ不完全で、それをサルベージするには一つの単体にまとめてしまうしかない。
このような発想が出てくるのは、庵野監督は相当病的に悩んでいたのではないか。

思い出したのは昔読んだクラークの「幼年期の終わり」。
新しい段階に達した人類の子供たちの心が一つになっていて、月を動かしたり、地球を破壊して宇宙の彼方へ新生命体へと昇華して飛び立つ話だ。

エヴァンゲリオンが放映された当時、オウム真理教事件で大騒ぎだった。
当時、私はエヴァンゲリオンなど知りもしなかったが、かのカルトとエヴァのシンクロを論じた文章は読んでいた。なるほど、確かに不完全な人類を補完するための物語としては両者に共通項がある。

オウム事件以降、心霊現象とかUFOとかのテレビ番組が消滅したのだが、最近再び台頭してきたように見受けられる。細木ババァとかボケ顔デブ江原の大流行ぶりを見ればあきらかである。

さて、再度ハルマゲドン幻想の流行はあるのか。だんだんそのような欲望が充電されてきたように思える。

何を隠そう、この私もこんな低脳クソ社会など吹っ飛んでしまえと思っているのである(笑)。





時々知り合いに「ヘンな映画ない?」と聞く。
以前に教えてもらったのは「奇談」「RAMPO」などだった。善悪二元論の構図にヒーローが大活躍し、最後はハッピーエンドみたいな米国西海岸製の映画に辟易しているので、そこからできるだけ逃避できるヘンチクリンな映画を観てみたいわけである。

そこで紹介されたのが「ゴッド・ディーヴァ」

さっそく見てみたが、やっぱりヘンチクリンだった。
何しろCGで描かれた人間と実写の人間が入り混じり、人間を創造した神までが登場。神の姿は古代エジプト・ピラミッドなどに描かれている半神・半獣のような(笑)。
で、神の世界でなんらかの罪を犯し、時間的な猶予を与えられた神がNYのセントラルパークの上空にピラミッドとなって降臨。人間世界の女を探し出し、交合して子孫を残そうとするのだ。

笑ってしまった。

米国西海岸製の脳天気な映画から逃避したいといっても「ダイ・ハード4.0」を見逃すわけにはいかない。ストーリーはサイバーテロVSB・ウィリス」で単純極まりないが、とりあえず、金にモノを言わせた映像は凄い。この凄さに圧倒されまくりだ。
米国西海岸製映画はもう、金にモノを言わせた映像の凄さしか見るべきものはない(笑)。

気になっている映画は「アイアムレジェンド」世界が破滅する話なら必ず見る。
2007/12/13のBlog
年金問題が次々と新しい問題を繰り出し、まるで収拾がつかなくなってきた。
その詳細はニュースで見て欲しいが、ここまでヒドイとは。この問題を完全に解決するには、年金を掛け金方式ではなく税金方式に切り替えるしかなくなってきていると思う。

過去の社会保険庁の歴代の幹部を皇居前広場で打ち首獄門にしろ。晒し首にしろ。
冗談で言っているのではない。本当にやれ。さもなくば「社会的信用破壊罪」を新設・適用して片っ端から投獄せよ。

それにしても、戦後60年以上経過したが、とうとう社会システムの耐用年数も過ぎたように見える。しかし、私は今社会システムと言ったが、人間を除外した(除外することは不可能だが)社会システムそのものの形式・構造は間違っていないと思う。何が疲弊し劣化したかというと、それはまさしく人間なのだ。人間の劣化が社会システムの劣化に見せていると私は思っている。「死の恐怖」を味あわせて改悛させない限り、この国の中枢に虫食っている低脳官僚どもは沈み行くタイタニックの内部で依然として席取りゲームに興じ続けるのである。

今週号の週刊文春p42には、福田総理の脳天気な発言が掲載されている。

「私は国民の間に、不安があるとは思いませんがね。むしろね、逆に現状に、安心しちゃってるところがあるんじゃないのかなあと」

もう、何をかいわんやである。おそるべき低脳総理大臣(笑)。
こんな発言。信じられません。本当に恐怖を感じる。





2007/11/30のBlog
ラストのブログは半年前。
その間いろいろなことがあった。
たくさん本を読んだし、映画も見たし、世の中もへんちくりんな事件がたくさん発生した。

そう、このブログから逃げちゃ駄目だ。逃げちゃ駄目だ。笑

しかし私事での大きな変化があるとすれば、私がオタクになったことだろう。笑

今年の夏、私はテレビ版の「新世紀エヴァンゲリオン」を初めて見た。
例によってTUTAYAで片っ端から借り、オンエアから10年以上も遅れて。

なんとすごいアニメなのだろう。びっくりしてしまった。こんなのが夕方に放送されていたのか!
主人公の内面世界の葛藤劇にはまったく興味を感じなかった。はっきり言っていまさらそんなものにシンクロする年齢ではない。

しかし、、
物語の凄さ。これはちょっと狂気じみているような気さえするのである。
私の大好きでたまらないジャンルの「世界の終わり」の物語なのだ。

当時、テレビオンエア版は24話までは正常に進んだが、25、26話で視聴者の
不満が噴出したらしい、。そこで、劇場版で25、26話を作り直した。
エヴァンゲリオンは劇場版の25、26話がすべてのような気がする。
「AIR~まごころを君に」を見てから、それ以前の話は霞んでしまった。

こんな話を考え出した監督とは相当変人なのだろう。正直びっくりしまくりである。

まったく残念だ。こんな凄いアニメを見逃していたとは。私はオタクでありたかった。
褒めてばかりいるのだが、どうも気に入らないところもある。
それは、登場人物の極端な性格だ。
この物語も現在ではとっくに失効してしまったエディプスコンプレクスの影が濃い。
威厳などない粗大ゴミのようなみじめな父親。崩壊した家族関係。こんな現状に
エディプスも何もないもんだ。
主人公のシンジ。こいつがまた、他人とのコミュニケーションだか関係だかに悩んで
他人の承認を気にするあまり、拒否されたと思うやいなや身近な女の子の首を絞める
のである。アホか。
それに、やたらヒステリックなアスカに正反対の人形綾波レイ。やたらと旧友の同僚
にビンタをかます葛城ミサト。母子二代にわたって同一の上司と不倫する赤城博士。
夫と子を捨ててエヴァ初号機に溶け込んで永遠に宇宙で一人生きようと意思する
碇ユイ。
そして最大の変人はみずから神になろうとしてアダムを手に移植し綾波レイの
オッパイをむんずともんだ碇ゲンドウである。

ヘンチクリンで性格の破綻した人物ばかりだ。

たぶん、そう私が感じている限り、私はオタクではないのだろう。笑。

2007/04/30のBlog
[ 23:21 ] [ 読書録 ]
村上春樹の海辺のカフカをファンタジー・幻想小説とこきおろしたが、私はステファン・キングだけは大好きだ。読んでいると、ずっとこのまま読み続けていたいと思うほど。
この作品はケータイで通話している人たちすべてが一瞬にして狂人と化す物語。
狂人たちはケータイを持っていない主人公たちを襲う。狂人たち同士でも殺し合う。
この小説もケータイがなければ生きていけない現代人を批判しているように思える。笑。
2007/04/28のBlog
かつて私は「面白い本がなくなってきた」と言ったが、それは私の努力が足りなかったからだった。笑。こんな面白い作品を書く作家を知らなかったからである。

少しだけ言い訳をさせてもらえば、面白い本がなくなってきたというのは日本人の作家に限ってのことだ。「東京タワーオカン」とか「がばいばあちゃん」とか細木ババァのゲロを文字列にした本ばかりが売れる低脳な社会からはマトモな大作家など生まれるはずがない。笑。

この本を読みながら、私は六本木ヒルズを思い出していた。
「スーパー・カンヌ」では、世界的な大企業が集まって、今流行りの「ゲーテッド・コミュニティ」=「エデン・オランピア」を作り、その内部の人間たちが狂ってくる話。
どう狂ってくるかというと、早い話が、文明的な超管理化された環境では、人間の脳の一番古い部分=本能をつかさどる部分が退化し始め、人々はうつ病にかかったり、免疫機能が衰えてさまざまな疾患にかかるようになるのだ。その治療を任された医師が、「暴力=狂気」を処方するのである。

たぶん、本なんて読む人は少ないだろうし、「スーパー・カンヌをこれから読もうと思って楽しみにしていた」なんて人はいるはずがないから、ネタバレをさせてもらうが、多国籍企業の重役たちはチームを作って外部に武装して遠征し、低所得者とか売春婦、麻薬密売人、アラブ人たちを襲撃するのである。この結果、あらゆる疾患が治り、エデン=オランピアは健全に発展をし続ける。

ここで提示されている仮説には首肯する人が多いのではないか?私なども世の不祥事を見聞するにつれ、「責任者を射殺しろ!」とか「焼き殺せ!」とか本当に思ってしまうのである。低脳な官僚ごと霞ヶ関や永田町一帯がクレーターになって欲しいと切望している次第である。関係ないか。笑。

人間の脳の古い部分に刻印されている「暴力的なもの」を肯定するとしたら、まずこの文明は管理しようとするだろう。しかし、管理されたとたんにそれは意味を失う。K-1などの格闘技ですら、次第に訴求力がなくなってゆく。

ストレス性疾患、アレルギー疾患などが本能的な活動の欠如からもたらされるものだとして、もしその解決のために暴力しかない、ということになったらどうなるだろう。街中で人をなぐってスカッとすることが肯定されるようになったら?
「スーパー・カンヌ」はそのような恐怖感を哲学的な問題点として示すことに成功している。
2007/04/25のBlog
福知山線の事故から二年経過した。
それ以来、電車の先頭車両に乗る人が少ない。私なんかは人がいない場所へ移動する習性があるので、先頭車両でシートを確保することがよくある。

京浜急行に乗ったとき、相変わらずものすごいスピードを出しているので、「大丈夫なのか」と思う。「京急は飛ばす」と思っている人も多数いることと思う。こんなに飛ばしたら福知山線のようになるのではないかと不安が一瞬よぎる。
しかし、調べてみると、京急は新幹線並みの線路幅であるらしい。
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-jiko-2.htm
このページを見ると、普通のJR線が1067mmであるのに対して、京急は1435mmである。福知山線は当然1067mmで、京急並みの120キロで走れば当然脱線だってするだろう。
福知山線と競合している阪急や阪神電鉄の線路幅は1435mmなのである。脱線事故は線路幅と関係がないとは言えないはずだ。ちなみに1435mmは新幹線と同じ幅なのだそうだ。
http://www2.pf-x.net/~just-r/data/data-top.html

マスコミの報道を見ていると、この線路幅(軌間)を問題にしていたところはほとんどないと記憶している。
これはどうしたことだろう?もしかして大スポンサーのJRにおもんばかってのことなのか。
上のリンクを詳細に見てみると、東京でもJRは狭く、東横、小田急、西部、東武が狭いことがわかる。京急や地下鉄、京王が広い。

みなさんもよく乗っている電車の線路の幅を調べてみてはどうだろうか。笑。

2007/04/19のBlog
[ 18:57 ] [ モノクロな風景 ]
デジカメで適当に写真を撮り、あとでパソコンで見てみると、「なんてつまらないんだろう」と思うことが多い。

それは撮影者の写真センスが悪いからの一言に尽きるが、試しに撮った写真をモノクロにしてみると、いくぶんかマシになる。これはどうしてだろう。凡庸な風景に凡庸な色彩のタダの写真も色という情報をそぎ落としてみると不思議が効果があるように思える。
カメラの性能を何百万画素にアップしたり、精妙な色の情報を詰め込んで「情報量を増加させる」よりも「情報量をそぎ落とすこと」の方が味が出るというのは不思議ではないか?

毎日見慣れている色彩ではなく、情報をスリム化した、私たちの目で(色盲ではないかぎり)見ることのできない風景が脳を刺激するのであろう。

写真は横浜中華街。関帝廟。
フカヒレまんを並んで購入して立ち食いしたが、あまり騒ぐほどのものではないような気がした。笑。


世田谷は上町のよく通るボロ市通りで見かけたなつかすぃ~クルマ。

代官屋敷。

石畳の小みち。

2007/04/07のBlog
[ 11:25 ] [ 日々のコメント ]
上野公園のウジャウジャ。酒飲んだオヤジのバカ笑い。
井の頭公園ではドンチャン騒ぎに大音量のカラオケ。
目黒川沿いは座るところがなく、ただウロウロして疲れるだけ。

お花見は砧公園に限る。笑。
広大な芝生にポツポツとシートが敷かれているだけで、花見客も実にガラが良く、おとなしい。ノンビリと春風に吹かれて何時間もサクラを見ることができる。

どうして今まで砧公園に気がつかなかったのだろう?

さらに、サクラは枝を切らないと、地面にまで枝が伸びてくることを初めて知った。
地面スレスレまでサクラの花が落ちてきて、まるで花の山のような景観になるのだ。

2007/03/26のBlog
4月から「美しい国」を実現するための有識者会議が始まるそうだが、バカバカしくて片腹痛い。「愛国心」を国民に植え付けるだと?w 爆笑させてくれるのもいい加減にしてもらいたい。政府が国民の意識のあり方を規定しようとする?それじゃあ全体主義ではないか。こいつら本当にヴァカなんだな。
国民の自然に発生した集合的な意識が天皇制なり愛国心なりの形態をとるのであれば問題はない。ったく、どうしてこう阿呆ばかりなのだろう。

あの三島由紀夫でさえ愛国心の押し付けには反対していた。ちっとも愛国心など持ってないのに、愛国心を出世の道具にする似非愛国者、特に腐敗政治家やクソ官僚などが蔓延するからである。

もっとも愛国心を植えつけられそうになっている愚衆にも問題がないではない。いっそのこと、愛国心をしっかりと植えつけられ、それゆえ、君側の奸を討ってよし、という意識が国民に芽生えればよい。だいたい、どうして松岡何某とかいうウンコ臭い低脳政治屋なんぞが大臣でいられるるのか。本当に国を愛していれば、そんな事態には耐えられないはずである。格差社会にだって耐えられないはずだ。この国に弱者が存在することには耐えられないはずなのである。

弱者の味方をするとすぐに左翼呼ばわりする低脳がよくいるが、だったら北一輝は何だといいたい。北一輝のやろうとしていたことすらわからずに、人を左翼呼ばわりする低脳にはうんざりである。

愛国心?結構だ。それなら、美しいこの日本という国を愛するがゆえに、低脳政治家やクソ官僚を討つ!天誅を加えてよし!
そう考える人たちが増えることを期待する。




2007/03/24のBlog
最近の大型映画でよく感じることは、「詰め込みすぎ」だ。金をかけて作るとネタが大量でできてしまってそれを2時間に詰め込むと、ストーリーが複雑になり、一回見ただけじゃわからないことがある。
この映画も映像の切り替わりが早くて(ヘリコプターで追われているシーンなど)ついていけない感じがした。私の脳の性能の問題かもしれないが、映画観で一回見ただけじゃチンプンカンプンだった人も多かったのではないか。

しかし、この映画は大変に面白かったといっておきたい。
2007/03/21のBlog